ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本は無条件降伏していない1

2006-01-30 11:24:27 | 歴史
 ある方から、日本は無条件降伏したのか、条件付降伏したのかというご質問を頂いた。降伏したのは、国家か軍か、その証拠はあるか、さまざまな書籍を読んでも、腑に落ちる説明のされたものがないという。

 答えは、まったく明白である。日本国はポツダム宣言を受諾することによって、条件付降伏をした。ただし、日本軍は無条件降伏をした。軍は無条件降伏、国は条件付降伏。ポツダム宣言とは、それを合意したものである。
 これが要点なのだが、実はまだまだ日本は無条件降伏したと思っている人は多い。中国の反日デモや皇室典範改正問題などで、最近国のことを考えるようになった人にも、無条件降伏したという思い込みが、どれほど日本をゆがめてきたかを知らない人がいる。学校でそう教えており、受験勉強で頭に叩き込まれているのだから、思い込みが思い込みであることにすら気づかないのだろう。

 日本が無条件降伏したと思い込んでいる限り、まともな憲法改正はできないし、皇室典範の改正も改悪にしかならない。教育基本法に愛国心が盛られることもない。そこで、10年ほど前に書いたノートを手直しして、私のウエブ・サイトに挙げることにした。BLOGには3回に分けて掲載する。


■日本は無条件降伏などしていない(その1)

 「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」ーーこれは○ですか、Xですか?
 学校では、○と教えられたと思う。ところが、正解はX。日本は無条件降伏などしていないのである。正しくは「日本国は、ポツダム宣言の条件を受諾して降伏した」と言わなければならない。
 これは、昭和53年「無条件降伏論争」の中で、文芸評論家の江藤淳氏が明らかにしたことである。平成8年から活発になった自虐史観の見直しの中で、無条件降伏論の誤りが、かなり知られるようになった。しかし、まだまだ「日本は無条件降伏した」となんの疑いもなく思っている人が多い。もしあなたもそうであれば、この機会に真実を知っていただきたい。

第1章 ポツダム宣言は降伏条件を明示

 日本は大東亜戦争に敗れ、昭和20年8月14日、ポツダム宣言を受諾した。それにもとづき、9月2日ミズーリ艦上で降伏文書に調印した。
 このポツダム宣言は、日本に無条件降伏を要求した文書ではなかった。それは宣言をちゃんと読んでみれば、誰の目にも明らかである。13項目のうちの第5項には、
「われらの条件は左のごとし。われらは右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。われらは遅延を認むるを得ず」
と降伏条件が提示されている。つまりこの宣言は通常信じられているのとは反対に、以下8ヶ条にわたって降伏条件を明示した文書なのである。
 高校の教科書や資料集には、「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」と書いてあって、ポツダム宣言が囲み記事で掲載されているものがある。しかし、なぜかそこには「われらの条件は左の如し」という第5項は抜かれている。第5項が掲載されていれば、これは無条件降伏ではなく、降伏のための条件を書いてある文書であることが、分かってしまうからだろう。せこいトリックである。

 もっとも、宣言の中に「無条件降伏」という言葉が使われていないわけではない。最後の第13項には使われている。すなわち
 「われらは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意につき、適当かつ十分なる保障を提供せんことを、同政府に対し要求する」
とある。ここで無条件降伏を求められているのは、日本の軍隊であって、日本の政府でも国民でもないことに注意していただきたい。この違いが、非常に重大なのである。日本の運命を分けたほどに重大な違いがここにあるのだ。

 江藤氏は、先駆的な名著『忘れたことと忘れさせられたこと』に、次のように記している。
 「もし日本が『ポツダム宣言を受諾した』のが客観的事実なのであるなら、それは決して『無条件降伏』ではあり得ない。また逆に、もし日本が『無条件降伏』したというのであれば、それはポツダム宣言の規定に明らかに抵触せざるをえない。なぜならポツダム宣言第5項は、『われらの条件は左のごとし』として、以下第6項から第13項にいたる8項目の『条件(Terms)』を明示しているからである。つまり、ポツダム宣言受諾の結果『無条件降伏』したのは、『全日本国軍隊』であって日本国ではなかったのである。
 宣言第13項には『全日本国軍隊の無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)』という文言があるが、『無条件降伏』という言葉が用いられているのは、ここ1個所だけで、それ以外の条項では、この言葉は只の一度も用いられていない。
 これは決して私の恣意的な解釈ではない。宣言発出当時、米国務省はすでに『ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈される国際協定をなすものとなる』という見解を下している。換言すれば、それが一種の『国際協定』である以上、ポツダム宣言は日本のみならず連合国をも拘束する性格をそなえているはずであり、また事実そうだったのである」。

第2章 「無条件降伏」は作り話

 日本の無条件降伏」という言葉は、日本が軍のみならず、国をあげて連合国の膝下に服し、連合国の自由な措置に身を任せたかのような印象を与える。しかし、国際法の権威ハンス・ケルゼン教授によると、「元来降伏という言葉は、法律用語としては軍隊の降伏に対してしか用いないもの」である。それゆえ「日本国が無条件降伏した」と言うならば、国際法上は全く間違った表現である。
 実際には、日本は、降伏条件の提示されたポツダム宣言を受諾し、条件を取り決めた降伏文書に調印して降伏したのである。その後の連合軍による日本占領は、こうした国際法上の行為を前提として行われるべきものだった。それゆえ、占領は、ポツダム宣言と降伏文書に示された諸条項に基づいて実施されなければならないものであり、恣意的な権力の濫用はできないものだったのである。

 敗戦直後の日本の政治家、法学者、外交専門家などは、ポツダム宣言受諾による降伏を決して「無条件降伏」とは考えず、むしろ「有条件降伏」、つまり合意による協定にもとづいた降伏と考えていた。それに引き続く連合軍による占領も、双方が降伏条項を履行するための合意による占領と考えていた。
 ところが、現実に占領が開始されると、アメリカは降伏条件を著しく逸脱したことを次々に行った。アメリカは、ポツダム宣言及び降伏文書の内容を捻じ曲げ、日本国民に「日本は無条件降伏した」と思わせて、数々の占領政策を強引に押し進めたのである。

 それらの占領政策は、ポツダム宣言・降伏文書に違反するだけでなく、占領軍の権利・義務を規定しているハーグ陸戦規則に照らしても違法なものだった。つまり、国際法には根拠がなく、彼らの一方的な政策を力によって押し付けたものだったのである。
 アメリカは、日本人に対し、日本の降伏を「無条件降伏」であると思わせ、占領政策は一切条件交渉をすることのできない命令であり、連合軍最高司令官マッカーサーは全能の権力を持つという観念を、日本人の脳裏に注入した。それは、天皇の身命の危険をにおわせ、原子爆弾の使用を暗示したおどしと、厳しく巧妙な言論統制によって行われた。

 後に昭和21年5月3日に開始される東京裁判は、国際法になんら根拠を持たない、戦勝国による儀式化された復讐劇だったが、実は20年9月に始まる占領政策そのものが、はなから国際法を無視したものだったのである。そのうえで、日本人は、勝者が作った歴史を、真実と思わされてきたのである。
 江藤氏は、 記している。「われわれは真実を忘れ、かつ忘れさせられてきた。そして巧妙に仕組まれた忘却のうちに安住しながら、偽りの歴史によって今日まで生きてきたのである」と。
 この発言は、 約30年前のものだが、多くの日本人は「偽りの歴史」を疑うことなく、今日まですごしている。いやむしろ、学校教育と多くのマスメディアによって、「偽りの歴史」を教え込まれてきたのである。

 これこそ、アメリカの日本弱体化の謀略の結果であり、 アメリカの占領政策が生み出したマインドコントロールが、今日も人々の心を縛りあげている姿なのである。
 皇室の存続の危機も、極東有事も、財政破綻も、3歳児崩壊も、ニートの増加も、その他のもろもろの危機は、共通の根にいたる。戦後日本人が受けてきたマインドコントロールから抜け出し、日本人本来の精神を取り戻さない限り、 日本人は、 今日の危機を何一つ解決できないだろう。
 まず「日本は無条件降伏したのではない」という真実に目覚めよう。そこから、別の歴史が見えてくるとき、危機の根本解決の道が開かれるだろう。
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麻生外相「天皇陛下が靖国参拝を」

2006-01-29 10:11:46 | 靖国問題
麻生外務大臣が、「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」と発言したと報じられた。

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【「天皇陛下が靖国参拝なさるのが一番」…麻生外相】

 麻生外相は28日、名古屋市で開かれた公明党議員の会合で、靖国神社参拝について「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べ、天皇陛下の靖国神社参拝を実現することが望ましいとの考えを示した。

 そのうえで、「参拝できなくなったのは、(三木首相が1975年に私人を強調して参拝したことに伴う)公人、私人の話だ。解決の答えはいくつか出てくる」と語った。

 首相の参拝に関しては、「外国から言われて決めるのは絶対通ることではない」とし、「靖国問題が終わったら、日中間の問題がすべて解決するわけではない。隣の国なのだから、ある程度緊張感を持ってやっていく以外に方法はない」と述べた。

(読売新聞) - 1月28日23時48分更新
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 麻生外相の言っていることは正しい。天皇陛下の靖国参拝が中断されているのは、昭和50年、三木首相が私人としての参拝を強調し、首相の参拝が政治問題化してからのことである。いわゆる「A級戦犯」の合祀とは、直接関係ない。合祀は、昭和53年のことだからだ。
 麻生氏が言うように天皇陛下に靖国参拝を再開していただくには、政府が障害を取り除かねばならない。障害は、首相の参拝は、公人としてか、私人としてかという論議に発する。一連の小泉靖国参拝訴訟で、国側は、「参拝は内閣総理大臣の職務として行われたものではない」と「私的参拝」を主張している。これは、首相の参拝は公式参拝ではないと主張するのと同じである。
 麻生氏の発言は、現在の政府の主張を改めるべきことを示唆したと理解される。改めるとは、首相は、日本国の総理大臣の資格において、その職務として公的に参拝するという見解を打ち出すということである。それによって、天皇陛下の靖国参拝の復活が初めて実現に向かう。

 天皇・皇室と靖国神社との関係は深い。  

 靖国神社は、幕末から維新にかけての激動の時期に、国事のために殉難した人々の霊を慰めるために創建された。明治維新は大政奉還・王政復古によって、皇室を中心とした近代国家をつくる改革だった。皇室はわが国の政治的・文化的・精神的中心として、その存在を新たにした。それゆえ、皇室は明治維新とそれに続く近代国家建設の過程で、国に命を捧げた人々の慰霊をねんごろにしてきた。

 そもそも靖国神社は、明治2年(1869)、明治天皇によって、現在の東京都千代田区九段に創建された。初めは「東京招魂社」と呼ばれたが、明治12年(1879)に靖国神社と改称された。「靖国」という名称には、平和への願いが込められている。『春秋左氏伝』に、「吾は以て国を靖んずるなり」「以て国を靖んぜんと曰へり」とある。これが出典とされる。命名は、明治天皇によるとされる。

 天皇・皇后は度々、靖国神社に参拝されてきた。明治時代に11回、大正時代に5回、昭和時代には54回の行幸啓(ぎょうこうけい=天皇・皇后のお出かけ)がされた。

 戦前戦後を通じて、靖国神社の春秋の例大祭では、皇室の勅使(天皇の使者)が差し遣わされ、「奉幣」が行われてきた。皇室の幣帛(へいはく=神に供える物)を、伊勢神宮と靖国神社に奉(たてまつ)る伝統は、現在に至るまで変更されていない。

 敗戦後、昭和天皇は昭和20年11月20日に、初めて靖国神社に参拝された。(ご親拝と呼ぶ) それ以来、30年間ご参拝が続けられていた。しかし、昭和50年(1975)秋の例大祭に昭和天皇が参拝されて以来、ご親拝は途絶えている。同年8月15日、三木武夫首相が私人としての参拝を表明したため、憲法問題として公式か私的かの論議が紛糾した。このことが影響していることは明らかである。

 今上天皇(きんじょう・てんのう=現在の天皇)は皇太子時代には5回、参拝された。しかし、天皇に即位されてからは、ご親拝は行われていない。つまり、平成になって一度も天皇は参拝されていない。

 死後、靖国神社に祀られると信じて亡くなっていった戦没者は、天皇が参拝されると信じ、そこに栄誉を感じていた。それゆえ、昭和50年以降、天皇のご参拝がないという日本の現状は、その期待を裏切るものとなっている。
 これは天皇の責任ではなく、政治の責任である。

 明治天皇に以下の御製がある。

  よとともに 語りつたえよ 国のため
         命をすてし 人のいさをを

(大意=国のために生命を捧げた人たちの功績を、いつの世までも語り伝えていって欲しい)(明治37年)

 また、昭和天皇に以下の御製がある。

  忘れめや 戦(いくさ)の庭に たふれしは
          暮しささへし をのこなりしを

(大意=忘れることができようか。戦場で亡くなったのは、みな家庭のくらしを支えていた男たちだったことを)(昭和37年)

参考
・私の靖国論は、以下をご参照のこと
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08f.htm
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日本解放綱領~中国の対日工作

2006-01-27 18:47:33 | 国際関係
 中国は、極秘の対日政治工作計画を立て、30年以上にわたって、工作活動をしている。そう思われる文書が、昭和40年代から伝えられている。『日本解放綱領』という。
 この文書は、昭和47年に国民新聞社が発行した後、長く忘れられた文書のようになっていた。国民新聞社には在庫がなく、原本も所在不明ということで、私が同社に原本をお貸ししたことがある。平成11年から私がネットや雑誌に書いてきたことが、再び世の関心を呼び覚ましたようだ。
 平成13年、『月刊日本』(9月号)が全文を掲載した。その後も、私は本や雑誌で引用されるのに出会わなかったが、ネット上では、徐々に知られてきた。このたび再び、『WILL』(ワック)3月号に、「中国の「対日政治工作」」という題名で、全文が掲載された。
 中国の反日運動、対日工作に関心のある方に、ご一読をお勧めする。国民新聞社は、以下のサイトに全文を掲載している。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html

 私は、この文書に中国語の原文があるのか知らない。また、偽書の可能性がないのかどうかを含めて、専門家に検討を呼びかけてきた。このたびの掲載にあたり、『WILL』の編集部は、次のように書いている。
 「この文書は一部ではかねてより知られていた。驚くべき内容である。中国の対日工作計画がこと細かに、かつ具体的に書かれ、随所に思い当たる点も多い。ただし、出所が不明なため「怪文書」扱いされたこともある」
 「「文書」そのものがこのままの形で存在したものか否かは不明のままだが、内容については信憑性があると判断し、上海領事自殺事件などで中国の諜報活動が問題になっている今、敢えて全文を公開する」

 次に、私がこの文書について書いた一文を掲載する。私のサイトに掲載してあるのだが、見つけにくいという声があるので、読者の便宜のために本日の日記に掲載する。

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■『日本解放綱領』の残影

 昭和47年(1972)8月、中国共産党の秘密文書なるものが、出現しました。当時は、田中角栄内閣が成立し、マスコミが日中早期国交のキャンペーンを展開していました。三島由紀夫自決や70年安保収束の2年後のことです。
 故・西内雅(ただし)教授(当時中央学院大学、のち皇学館大学)は、北東アジア各地を旅行中に、中共による『日本解放綱領』という文書を入手したと言います。そして、国民新聞社が日本語の翻訳版を出版しました。それが、『中共が工作員に指示した「日本解放」の秘密指令』という小冊子です。

◆忘れられた文書

 発行当時を知る関係者の話では、本書は、論壇誌で取り上げられたり、日本共産党も言及するなど、反響を呼びました。しかし、その後、本書は、存在すら忘れられたかのようです。
 本書の原書は実在するのか、また翻訳において創作的な点はないのかなど、私には詳細はわかりません。しかし、本書に推薦の辞を寄せた鍋山貞親氏(戦前の佐野・鍋山の「転向声明」で有名)は、西内教授は「はったり性の全然ない学究」であり、「持ち帰った文書も、すぐふりまわしはせず、まず3人の中共研究者に、それぞれ個別の検討を委嘱し、3人の判断がいずれも一致しているのを見て、ようやく公表することに踏みったというほど、用意周到である」と記しています。

◆日本共産化の基本戦略

 本書が出現した昭和40年代、我が国は、左翼革命運動で騒然としていました。産経新聞を除くほとんどのマスコミは文化大革命を礼賛し、毛沢東に共鳴する一群が活発に活動していました。熱病にかかったような時代でした。未だ実態は明らかではありませんが、背後に中国共産党による何らかの工作・支援があったのではないでしょうか。
 中共の「日本解放」の秘密指令なるものには、次のような内容が書かれています。まず本書は、「我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有する国力のすべてを我が党の支配下におき、我が党の世界解放戦に奉仕せしめる」と規定しています。
 「日本解放」つまり日本の共産化は、3段階を経て達成するとしています。第1目標は日中国交の樹立、第2目標は「民主連合政府の形成」、第3目標は「日本人民民主共和国の樹立ーー天皇を戦犯の首魁として処刑」である。
 本書は、田中内閣成立で第1目標は達成されつつあるとし、第2目標の民主連合政権樹立に必要とする心理作戦、マスコミ、政党、左右両団体への工作、さらに在日華僑対策を具体的に指示、在日中共大使館開設によってさらに筋金入りの革命工作員2千名を派遣、第3目標達成に全力をあげるとしています。
 「民主連合政府」の形成は、それ自体が目的ではなく、次の「人民共和制=共産政府樹立」に転じていくための、単なる手段にすぎないことが、明記されています。あくまで最後は暴力方式をとって共産政権を樹立することが目標です。その際、連合政権樹立に協力した、当時の既成政党(自民党・社会党・民社党・公明党など)の一切を打倒し、排除することとしています。この過程で最も注目すべきは、天皇を「戦犯の首魁」と規定し、「処刑する」ことが、はっきりと明記されていることです。
 
◆対日工作員への指示内容

 次に、本文の内容から、注目すべき点をまとめてみます。中共工作員の行動要領の第一には、「群集掌握の心理戦」が指示されています。すなわち、「全日本人に中国への好感、親近感をいだかせる」「目的は、我が党、我が国への警戒心を、無意識のうちに捨て去らせることにある」「これは、日本解放工作成功の絶好の温床となる」などとしています。もし日中友好には、このような工作のもとに推進された面もあるとすれば、ゆゆしきことでしょう。
 第二に、「マスコミ工作」が指示されています。マスコミ工作については、「今日では、新聞、雑誌を含め、いわゆるマスコミは、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意志が世論を作り上げるのである」という認識が書かれています。当時の日本の保守政権を国交正常化への道に「追い込んだ」のは、「日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下においた我が党の鉄の意志と、たゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである」と記しています。そして、新聞・雑誌、テレビ・ラジオ、出版に関する工作の詳細な指示を出しています。
 そのなかには、新聞・雑誌に「強調せしむべき論調の方向」の一つとして「人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調」という項目があります。
 その説明として次のように書かれています。「ここに言う『人間の尊重』とは、個の尊重、全の否定を言う。『自由』とは、旧道徳からの解放、本能の解放を言う。『民主』とは、国家権力の排除を言う。『平和』とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。『独立』とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を言う」と。その後、わが国のマスコミ・左翼・日教組が強調してきた「人権、民主、平和」などが挙げられていることが、注目されましょう。
 スイスの『民間防衛』では「心理的防衛」の重要性が強調されていますが、いかに重要なことか確認できましょう。
 第三の政党工作においては、連合政府は手段であることが明記されています。「本工作組に与える『民主連合政府の樹立』という任務は、日本解放の第2期における工作目標に過ぎず、その実現は、第3期の『日本人民民主共和国』樹立のための手段に過ぎない」と。
 目標実現のための工作として、本書は国会議員を掌握し、工作員の支配下におくように指示しています。「議員の弱点を利用する」として、「金銭、権力、名声等、ほっするものをあたえ、又は約束し、必要があれば、中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段もいとうてはならず、神聖なる任務の遂行として、やりぬかねばならない」と書かれています。
 政党について、特に自民党に対しては、「自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる」ということを基本方針としています。そのための手段は、「派閥の対立を激化せしめる」こととし、非主流派に政治資金を与えたり、議員個人の掌握を活用することを指示しています。長期単独政権を維持していた自民党がその後分裂し、連立政権時代に移行したことと、符合していて考えさせられましょう。
 注目すべきことに、中共の秘密指令は、日本共産党については、ほとんど触れていません。簡単に「日本共産党を含めた野党共闘を促進する」という一行のみです。「民主連合政府」そして続く「人民民主共和国」の政府において、日本共産党は、どのように位置付けられるのでしょうか。対立か提携か、いずれにせよ、中共の指令書と日共の綱領は、発想が似ていることは、見逃せません。

◆「第二の蒙古襲来」か

 ここで本書を公表した西内教授の見解を紹介します。
 「中共の国是は、世界共産革命の覇権を握ることである。そのための戦略戦術は、目的のためには手段を選ばぬ、千変万化なものである」。そして「1950年の朝鮮戦争の後の基本戦略は、直接侵略(武力戦)の意志と準備の下に、間接侵略(思想戦・外交戦・経済戦)によって相手国の秩序の破壊、人心の収攬を計り、そのまま共産圏に組み入れることを期し、若しも目的を達し得ないときは、タイミングを計らって直接侵略によって、とどめをさすことにある」
 「『日本解放』は、第二の蒙古襲来の警鐘である。700年の昔には、兵甲艦船という物的物理的な目に見える脅威であった。然るに今日の攻撃は間接侵略、特に思想戦であって、しかもラジオ・テレビ・マスコミの発達した現代では、どこからでも攻撃できるし、また攻撃して来ているのである」

◆国際反日運動への残影
 
 中国共産党は、その後、毛沢東の死、「四人組」の追放などを経て、昭和53年に小平が実権を握り、路線を大きく転換しました。市場原理と外国資本を導入した中国には、もはや武力侵攻や革命工作を行う可能性など、ほとんどないかに見えます。
 しかし、一方では、中国はソ連の崩壊後、軍拡の道をひた走り、また同時に反日的な宣伝活動を活発化してきました。南京事件の捏造・喧伝、歴史教科書や靖国神社首相参拝への干渉、戦争の謝罪と賠償の要求など、日本への心理的・外交的な攻勢は強まってきました。さらに今日のアイリス・チャンらによる国際反日運動の背後にも、中国政府の関与が指摘されています。日中の真の友好にとって、誠に残念な傾向です。
 こうした中国の対日政策をさかのぼると、『日本解放綱領』なるものが存在し、今日まで、影を落としているのかも知れません。今後の専門家による研究に期待したいと思います。

 結びに、20世紀以降、日本は、共産主義の活動によって、大きく進路を狂わされてきています。まだ明らかになっていないことは多くあります。その真相を究明することなくして、日本の進路を軌道修正できないことを再認識したいものです。
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・西内雅氏について、『WILL』編集部が書いたプロフィール
 明治36年生まれ。数学の天才と言われ、陸軍士官学校を出て内閣総力戦研究所所員。東條英機元首相らとも交遊があった。戦後は皇學館大学、京都産業大学、中央学院大学などで教鞭をとった。
 中国、台湾問題などが専門で、「中国の正体」「日本の防衛」「八千万の運命」などの編著書もある。
 昭和40年代半ばから、香港で日本語学校を運営、文化大革命で中国から逃げてきた中国人に日本語を教えつつ、情報を収集していた時に、この文書を入手したといわれる。
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天皇・皇族方のご意思と宮内庁

2006-01-26 12:39:13 | 皇室
 天皇・皇族方のご発言を抑えようとする宮内庁に抗議し、また政治家や官僚に、天皇・皇族方のご意思の尊重を求めたいと思う。
 最初に皇室典範改正をめぐる国会の動向について記す。法案の提出について政党間の調整にあたる国会対策委員長が、反対論が大きくなり、今後の展開は予断を許さないと述べたと伝えられる。

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●細田氏「典範改正案 提出難航も」(産経web 2006.1月25日2時ごろ)

 自民党の細田博之国対委員長は24日、政府が今国会に提出を予定している女性、女系天皇を容認する皇室典範改正案について「非常に反対論が大きくなっている。今後の展開は予断を許さない」と述べ、提出が難航する可能性があるとの見方を示した。細田氏は、寛仁親王殿下が月刊誌で「皇室典範に関する有識者会議」の議論を批判したことを念頭に「宮さまが否定的な見解を公表されたことも大きく影響している」と指摘した。
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 寛仁親王殿下が見解を公表されたという月刊誌は、「文藝春秋」2月号である。殿下の勇気あるご発言が政治家や国民に大きな影響をもたらしているようだ。雑誌刊行後、殿下は、日本会議の機関誌「日本の息吹」2月号で、三笠宮家は父君・母君も同意見であることを明らかにされ、そのことが、産経新聞で紹介された。

 殿下のご発言に対し、宮内庁の高官は「皇室の方々が発言を控えていただくのが妥当」「天皇陛下や皇族方は憲法上発言すべきでなく」などと発言し、皇族方のご発言を抑えようとけん制している。
 しかし、天皇・皇族方が、皇位継承というご自分たちの立場に関わることについて、ご発言することが、憲法に違反するかどうかは、一官僚に判断できることではない。前例自体がないのである。
 仮に天皇・皇族方がご自分はこう思うとご意思を公にされた場合、それが憲法に違反するかどうかは、司法の判断によると思う。司法判断は、誰かが訴訟を起こし、それを裁判所が受理し、下級裁判所で審理され、最終的に最高裁判所で判決が出るまで、合憲とも違憲とも確定しない。仮に訴状を出す者があったとしても、裁判所が受理しなければ、合憲とも違憲とも判断されない。
 それゆえ、宮内庁の高官が、憲法を持ち出して、ご発言を抑えようとするのは、大きな誤りなのである。

 次に、宮内庁に国民の意思を表すため、「草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN」というサイトから転載する。
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-date-200601.html
 このサイトは、地方議員の人たちが意見表明をしているサイトである。
 「私たち地方議員は、かつて幕末の坂本龍馬らが幕藩体制を倒幕した草莽の志士のごとく、地方議会から「誇りある国づくり」を提唱し、日本を変革する行動者たらんことを期す。(平成17年5月30日~) 」
とその志を明らかにしている。彼らの名簿も掲載されている。

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●皇族の意見を無視し、拙速な改定を推進する宮内庁に抗議の声を上げよう!

 女系天皇導入を憂慮される寛仁殿下の御発言に対して宮内庁サイドは「皇室の方々が発言を控えていただくのが妥当」(羽毛田宮内庁長官/産経新聞1/13)「天皇陛下や皇族方は憲法上発言すべきでなく」(風岡宮内庁次長/読売新聞1/14)などと発言し、皇族方の御発言を封じ込めようとする動きがあります。しかしこれに対しては

①宮内庁は、皇室のご意向を体してそのお世話に努める役所のはずで、そこが皇族方のご意向を伺わないばかりか、逆にその発言を封じ込めようとすることはきわめて異常です。
 
②憲法4条は、天皇が憲法の定める国事行為のみを行われ「それ以外の国政上の権能」を持たれないことを定めただけ(従来の政府見解)で、皇族方が私的発言をされたり、インタビューに答えられたりするのは憲法上問題はありません。

③これまでの皇位継承のあり方を根本的に改変しようとしているのに、当事者である皇室のご意見を全く聞こうとしないのは絶対に許されるものではありません。

皇室典範の改悪を進める宮内庁に断固抗議しましょう。

■抗議先
 羽毛田信吾 宮内庁長官
 風岡 典之 宮内庁次長

〒100-8111 東京都千代田区永田町1-1
電話03-3213-1111(代表)
メールinformation@kunaicho.go.jp
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 皇位継承について、私は、さらに踏み込んだ検討が必要だと思っている。天皇陛下や皇族方に、皇室典範に関することで、ご意思を表す権限を保障すべきと思うからである。
 皇室会議というものがある。その議員に皇族の代表が2人入っておられる。他は、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官並びに最高裁判所の長官及びその他の裁判官1人の計10人、議長は総理大臣である。
 皇室会議は、皇族のご意見を反映するための会議体である。皇族には一切、発言権がないというのであれば、会議体を設ける必要もないだろう。ご意見を聴くために、皇室会議が設けられているのである。

 産経新聞1月18日号の「正論」で、百地章・日大教授は、次のように書いている。
 「事実、現在の現行の皇室典範でも、「皇位継承の順序」の変更や「皇族の身分の離脱」などについては皇室会議の議を経ることとされ、皇族の意見が反映できるようになっている。にもかかわらず、それ以上に重大な「皇位継承のルール」の抜本的な変更について皇族方の意見も聞かないということは、当事者である皇室の全くあずかり知らないところで勝手にルールを変更してしまおうということであって、絶対に許されない」と。

 私は、皇室会議に、皇室典範に関して、皇室のご意向を反映させる権限をもたせ、改正を行う場合は、皇室会議の議を経た上で、国会で審議・採決することにすべきと思う。
 現行憲法上、皇室典範は一つの法律ではある。しかし、天皇・皇族方のご意向を無視して、皇室典範を改正するのは、天皇・皇族方に対する重大な権利侵害だと思うからである。

 もし政治家や官僚があくまで天皇・皇族方のご意思を無視して、皇室典範を改正しようとするならば、またその内容が皇室の伝統と天皇・皇族方のご意思に反したものであったならば、天皇陛下は自ら公式の場で、ご意思を明らかにされるとよいと私は思う。
 普段、憲法とのかかわりでご発言を控えるというのは、慣習にすぎない。ご発言が憲法違反となるかどうかは、先に書いたように、司法判断を待つべき事柄である。
 非常に可能性は低いが、もし法廷で争うような事態となったならば、2・26事件や「終戦のご聖断」の際の昭和天皇のご判断の例を挙げ、わが国における統治権の根源と天皇の権能について、審理を行うべきと思う。万人注視の中で、日本の国柄の本質が確認される機会となるだろう。
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官僚らによる伝統破壊を許すな

2006-01-25 11:16:06 | 皇室
 月刊「致知」(致知出版社)の本年2月号に、渡部昇一氏と中川八洋氏の対談が載っている。そこで中川氏は、平成13年から「内閣法制局」が前面に出て、皇室典範の改正案の起草を始めた、と述べている。そして、内閣法制局は「文藝春秋」の平成14年3月号に「女性天皇容認! 内閣法制局が極秘に進める これが『皇室典範』改正草案」という論文を載せ、皇室典範改正の「烽火」を上げた、と中川氏はいう。
 私は「文藝春秋」の論文は読んでいないので、詳細は存じない。だが、内閣法制局の幹部がこの極秘の研究会のメンバーに入っており、法制局長官も参加したことがあったというのだから、この改正草案は、内閣法制局の官僚が、極秘の研究会が立てた皇室典範改正の方針、具体的な改正内容を踏まえて、作成したものと思われる。
 内閣法制局とは、内閣提出の法案を作成する法務のプロ集団である。それと同時に、政府の憲法解釈や法律解釈を実質的に決めている、日本国政府の中枢・頭脳である。法制局が具体的な皇室典範改正案(=法案に相当)を作成済みとすれば、皇室典範の改正は、「有識者会議」の設立以前の段階で、既にほぼ国会での審議を待つだけという状態だったのだろう。

 今日、行政では、一部の官僚・政治家・学者が自分たちの思想を実現する手法として、「民主的な手続き」を踏むために、審議会方式が濫用されている。「皇室典範に関する有識者会議」は、この審議会方式によるものである。

 審議会の委員の人選は、一部の官僚・政治家・学者が行える。自分たちの思想を代弁または推進してくれるメンバーを選べば、後は事前に敷いたレールの上を進んでいく。国民は委員を選挙することも、審査することもできない。審議会から答申という形で上がってくるものには、政治家がしっかり吟味をしないと、法案に危険な仕掛けが仕組まれていても、それに気づかないまま、法律となり、それが行政によって実現される。
 たとえば、男女共同参画社会基本法は、この方式で、国会では問題点の認識すらないまま成立してしまった。
 今回の「有識者会議」も、極秘に皇室典範の改正を準備してきた人間たちにとっては、準備した方針・改正案に賛同するような人間を選べば、後は思惑通り進むという魂胆だったのだろう。

 「週刊文春」は、昨年12月8日号に、有識者会議の胡散臭さや、メンバー(委員)の、不敬な発言や、無責任で、醜悪な国家観・皇室観を取材して、報道している。「「女帝問題」ご発言を「封印」された天皇皇后両陛下のご真意」という記事である。
 一部抜粋で紹介する。

 「天皇皇后のご真意については、会議のメンバーも気にしていたという。「会議には宮内庁から次長が出席しています。次長がやおら立ち上がって何か言い出せば、それは天皇のご意思でしょうから大変なことでしょうが、幸いそれはありませんでした。次長の顔色を見るかぎり、会議全体がご意思に反してとんでもない方向に行っていることはないと考えています」(メンバーの一人)」
 私見によれば、天皇のご真意と、宮内庁高官の意思が異なっていないのかどうかは、確認されていないわけである。次長は黙っていることによって、あたかも会議が天皇のご意思に反していないとメンバーに感じさせることも可能である。いずれにしても、天皇及び皇族のご意思をうかがうことなく、進められていることに違いはない。
 
 「この有識者会議には、吉川座長をはじめ、JICAの緒方貞子理事長、経団連の奥田碩会長、元最高裁判事の園部逸夫氏、前内閣官房副長官の古川貞二郎氏など各界の重鎮が名を連ねた。だが、その内実は、「園部氏、古川氏以外は皇室問題には無縁の人」(宮内庁担当記者)という「素人集団」(同前)そのものだった。」
 このことは、「極秘の検討会」であった研究会のメンバーだった園部氏、古川氏が、有識者会議をリードしたということを示している。そして、園部氏、古川氏は、研究会で立てた方針、改正内容をもとに、有識者会議を方向付けた。その時点では、内閣法制局による皇室典範改正案(法案)が既に出来ていた。有識者会議はそれを実現するための、審議会方式という「民主的な手続き」を踏む仕掛けだったということだろう。

 日本のデモクラシーは、今も官僚主導である。官僚には共和主義や共産主義やフェミニズムを信奉する者たちがいる。その多くは、東京裁判史観とGHQ憲法の思想によって、マインド・コントロールされている。
 一部の官僚が政治家・学者と結託して、この国の伝統を否定し、国柄を変え、文化も精神も崩壊させようとしている。そのように見ることができると思う。

 では、その官僚・政治家・学者のコネクションを打ち破るには、どうすればよいか。真に国家のために大鉈を振るう政治家の出現・活躍以外にはない。
 そうした指導者を見出し、選び出すのは、国民の精神にかかっている。
 国民諸氏に、日本精神を取り戻すこと、また日本精神に基づく日本の再建を呼びかけるゆえんである。このたびの皇位継承問題こそ、日本人が自己本来の日本精神に目覚めるべき、最大の機会だと思う。
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皇室典範改正へ官僚らの検討

2006-01-24 11:46:30 | 皇室
 最初に、皇室典範改正についての最新の世論調査を抜粋でご紹介する。

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日本テレビ世論調査・平成18年1月23日

2006年1月定例世論調査

- 速 報 -
※ グラフ等の詳細は、1月25日以降に掲載致します。

調査日: 2006年 1月20(金) ~ 1月22日(日)
サンプル数:1000 回答数:532 回答率:53.2%
少数点第2位以下を四捨五入

--------------------------------------------------------[ 問13] 現在、天皇は男子に限られています。あなたは、今後、女性が天皇になることがあってもよいと思いますか、思いませんか?

(1) 思う 85.9 %
(2) 思わない 9.8 %
(3) わからない、答えない 4.3 %
--------------------------------------------------------
[ 問14] 天皇制は、伝統として父方の天皇の血筋を継ぐ「男系」が維持されてきました。政府の有識者会議では、女性が天皇になるのみでなく、女性天皇の子どもが天皇になる「女系天皇」を認めています。あなたは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いについてご存知ですか、ご存知ではありませんか?

(1) 知っている 36.7 %
(2) 知らない 53.2 %
(3) わからない、答えない 10.2 %
--------------------------------------------------------
[ 問15] 小泉内閣は、「女系天皇」を認める皇室典範の改正案を、いまの国会で成立させたい考えです。あなたは、改正案についてどうするべきだと思いますか?

(1) 速やかに成立させるべきだ 23.1 %
(2) 今の国会にこだわらずに時間をかけて審議すべきだ 66.9 %
(3) 女系天皇を認める改正は必要ない 6.2 %
(4) わからない、答えない 3.8 %

http://www.ntv.co.jp/yoron/
(日本テレビ世論調査・速報のページへ)
--------------------------------------------------------

 世論調査の一例にすぎないが、この調査では、女性天皇容認が、85.9%にも上る。「女性天皇」と「女系天皇」の違いについて知っている人は、36.7%。逆に知らない、わからない、無回答を合わせると、63.3%の人は、この最大のポイントを理解していないと見られる。注目すべきは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを知ったうえで、女性天皇を肯定する人がかなりいるということである。その割合は、設問がないのでわからない。
 この調査が優れているのは、「女性天皇」ではなく、「女系天皇」を認める皇室典範の改正案について問うている点である。その改正の必要はないという人は、未だ6.2%である。
 さらに「女系天皇に賛成か、反対か」という設問を設けないと、調査としては踏み込みが足りない。しかし、「女系天皇」に関わる問いに対し、「今の国会にこだわらずに時間をかけて審議すべきだ」という人が、66.9%、3分の2以上もいるというということは、世論に変化が出てきていることを示すものだろう。

 さて、「皇室典範改正は宮内庁発」ということ、21日の日記に書いたが、これに関連する情報が友人から送られてきた。 毎日新聞が、本件について、昨年11月下旬に報じていたという。他に、地方紙の東奥日報もだそうである。
 以下に、毎日の記事を掲示する。

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毎日新聞2005年11月25日

皇室典範:97年から極秘検討会 内閣・宮内庁OBら

 内閣や宮内庁のOBらによって皇室典範の改正を念頭にした極秘の検討会が、97年から開かれていたことが、政府関係者の証言などで 24日明らかになった。メンバーは、内閣法制局や宮内庁、総理府(当時) の元幹部らで、天皇家の長女、紀宮さま(黒田清子さん)の即位の シミュレーションも行われた。政府関係者が皇位継承の危機的状態を 背景に少なくとも8年も前から検討を始めていた実態が浮かんだ。

 会合は特別研究会や懇話会などの名前で、OBを集めて行われ、当時、 宮内庁の鎌倉節長官や古川貞二郎官房副長官、大森政輔内閣法制局 長官ら現役の政府関係者も参加したこともあったという。97年4月から 始まり、皇位継承制度を重要な課題と位置づけ、法律・政治・歴史などの 研究者を集めて月1回程度の割合で開いていた。

 大学教授らが資料を作成して持ち寄っての勉強会形式で、結果は、 今回の有識者会議の資料としても活用された。有識者会議で座長代理 を務めた元最高裁判事の園部逸夫氏も当時の研究者のメンバーの一人で、 主に法律上の課題や法改正の方向をまとめる中心になっていたという。

 皇太子妃雅子さまの懐妊などがあり、研究会は3年近く開かれなかった 時期もあったが、03年春から内閣の官房・法制局、宮内庁が公式検討に 向けて準備を始め、女性天皇の配偶者に関する項目など具体的検討に 入った。関係者の一人は「皇室制度の改正は、天皇家に直接かかわる話で、性質上、細心の注意を払って対応した」と極秘検討の理由を説明している。

毎日新聞 2005年11月25日 3時00分
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 1997年とは、平成9年のことである。確認のために、これまで得た情報を整理すると、

・平成9年に始まった「極秘の検討会」とは、宮内庁による「研究会」と伝えられるものと同じである。
・研究会のメンバーには、「内閣法制局や宮内庁、総理府(当時) の元幹部ら」が入っていた。
・「宮内庁の鎌倉節長官や古川貞二郎官房副長官、大森政輔内閣法制局長官ら現役の政府関係者」も参加したこともあった。
・研究会は「大学教授らが資料を作成して持ち寄っての勉強会形式」だった。その資料が「有識者会議の資料としても活用された。
・有識者会議で座長代理を務めた元最高裁判事の「園部逸夫氏も」当時の研究者のメンバーの一人だった。園部氏は、 主に法律上の課題や法改正の方向をまとめる「中心」になっていた。
・平成15年(2003)春から「内閣の官房・法制局、宮内庁」が公式検討に向けて準備を始め、女性天皇の配偶者に関する項目など具体的検討に入った。
・研究会の中心メンバーだった園部逸夫氏、古川貞二郎氏が、平成16年12月設立の「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーになり、この会議を主導した。
・有識者会議の答申は、平成9年以来の極秘の研究会の方針・改正内容を強く反映したものである。

ということになろう。

 続きは明日書く。
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皇室存続の鍵は、旧宮家に

2006-01-23 13:01:30 | 皇室
 私の20日の掲示に、三島由紀夫氏は女系天皇・女系継承容認だったのか、という書き込みを頂いた。

>(略)こんなの見つけました。
三島由紀夫が女系天皇容認派だったって本当なのでしょうか。
真偽のほどはまだ調べても無いですが、ちょっとショックを受けました・・。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2004/shuchou0816.html <

 リンク先は、新右翼といわれる鈴木邦男氏の文章である。三島氏が憲法案に女系継承容認を書いていることは、他でも読んだことがある。関係条文は、

 「皇位は世襲であって、その継承は男系子孫に限ることはない。」

である。男系子孫に限らないということは、女系の男子も、女系の女子もよしとする意味になる。これは、万世一系・皇統連綿たる皇室の伝統を否定するものである。三島氏は、皇室の存続を願うあまり、このような極論を説いたのだろう。今日議論されているような、女系継承となった場合の皇室廃絶・日本解体の危険性について、深く考察していると思えない。
 三島氏には、一部に崇拝者のような感じのする人が居るが、氏の天皇論・皇室論・日本文化論は個性的なもので、広く評価されているものではない。また、学問的にはそう深くない。私自身、日本精神を考究する上で、三島氏から得るものは、意外なほど少ないと感じている。だから、皇位継承について、伝統に反することを説いても驚かない。

 昨年の9・11衆議院選挙で、政界では「伝統尊重的な保守」が大きく後退した。そのことが、社会運動の各所に弊害をもたらしている。その隙に、皇室典範改正の動きが推進されている。しかも、後退した「伝統尊重的な保守」が、皇位継承問題で大きく二分化しつつある。真正の保守が、男系継承の堅持か、女系継承の容認かに分かれてきている。これが、保守の分裂・闘争へと悪化しないよう、国を思う者同士の真摯な議論として深化・収束するよう願ってやまない。

 私が皇位継承問題に強い関心を持つようになったのは、7年ほど前である。ちょうどその頃、平成10年11月に、高橋紘+所功著「皇位継承」(文春新書)が出て、一部で話題になった。その頃、不思議に思ったのは、皇室に女子の誕生ばかり続き、また秋篠宮殿下のご誕生以後、30数年(当時)男子が誕生されていないという事実である。もし皇室が今後とも存続することが自然の法則にかなっているのであれば、男子が誕生されるはずだろう。一体、どうして皇室に男子が誕生しないかということは、不思議に思ったわけである。
 その後、戦後、臣籍降下した旧宮家には、男子が多く誕生していることを知った。本年元日現在で言えば、45歳以下の男系男子が、5家に計14名いらっしゃる。この事実は、皇室と明確な対比を示している。つまり、女子誕生の続く皇室と、男子誕生の多い旧宮家の対比である。そして、旧宮家が皇籍に復帰すると、男子・女子のバランスが取れ、繁栄できるような具合になっているわけである。また旧宮家の皇籍復帰をしないと、皇室が存続もし得ないということを、実に明確に、鮮明に示していると思う。

 ここには何か、不思議なものがあり、超自然的な意思が働いているのではないか、とさえ考えられる。神意と言えば、ピンと来る人もあるだろう。
 現在、旧宮家には、将来、愛子様のご配偶の対象となり得る年齢の男系男子が3名もいらっしゃる。(旧東久邇宮家1名、旧賀陽宮家2名) いずれも小学校就学以前のお子様だそうである。ここにも、私は、何か超自然的な意思の働きがあるのではないかと思うのである。

 万世一系とは男系継承によってのみ可能なことである。男系継承を断念することは、万世一系の皇統を否定することである。
 今日の目先のことにとらわれて、「今さら伝統にこだわっていられない、女系でも血統がつながっていればそれでいい」などとジタバタ、小手先の解決を考え出すと、2千年以上続く歴史を見損なう。男系継承を一貫して堅持してきた日本民族の精神を見失う。危機にあればあるほど、腹をすえ、魂を鎮めて、臨むべきである。
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皇室典範改定は、「宮内庁」発

2006-01-22 12:37:48 | 皇室
 皇室典範の改正は、宮内庁に発するものという情報が入った。

 平成9年から宮内庁は皇室典範の研究会を行い、女性天皇・女系継承を容認する方針を検討した。それが今回の有識者会議へと発展してきたらしい。
 政府部内の「研究会」のメンバーには、
  前内閣官房副長官の古川貞二郎氏
  元最高裁判事の園部逸夫氏がいた。
 この二人は有識者会議のメンバーにも入り、園部氏は有識者会議の座長代理となった。そして、有識者会議をリードして、宮内庁「研究会」の結論へ誘導したらしい。

 1月22日、「チャンネル桜」が1月14日の日比谷野音における集会とデモ行進の模様を放送した。その中で、「新しい歴史教科書をつくる会」会長の八木秀次氏が、「皇室典範改悪案は宮内庁発」ということを発言したと伝えられる。
 また、私は未読だが、大阪の国民会館という保守系の講演会が行なわれる所から緊急の別冊として、歴史学者・田中卓(たかし)氏の講演録「女帝・女帝反対論に対する批判と私見―原則『有識者会議』報告に賛同し、政府案に要望する」という小冊子が発行された。この冊子は、平成9年以降、宮内庁でこの問題の議論が続けられて、その承認という形で「有識者会議」が持たれたことを伝えているという。

 君主の側にあって、国を誤らせる家臣を「君側の奸(くんそくのかん)」という。やはり宮内庁の高官に奸臣が居り、一部の政治家や学者と結託していると見なければならないようだ。

 詳しくは、以下のサイトをご参照のこと。
http://hagukumu.exblog.jp/2562319
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天皇が南京大虐殺説の標的

2006-01-20 11:25:33 | 南京事件
 女性天皇・女系継承の問題で、わが国は皇統存続の危機に直面している。これは単に日本人だけの問題と思ってはならない。皇室の衰亡を願っている人間が、国の内外にいるからである。
 昨日、南京事件の映画化について書いたが、「南京大虐殺」という途方もないつくり話も、皇室の廃止とそれによる日本の改造・支配をめざす人間が、宣伝しているのである。
 近年ますます誇張される「南京大虐殺」説と、国際的な反日運動の狙いを確認しておきたい。

 アイリス・チャンは『ザ・レイプ・オブ・南京』で、次のように主張した。南京の中国人を皆殺しにするという方針は、昭和天皇から直接任命された朝香宮上海派遣軍司令官が、南京攻撃前に署名した命令に明記され、事前に政府、軍最高レベルで決まっていた、と。チャンは、この部分を、デビッド・バーガミニの『天皇の陰謀』に全面的に依拠している。
 バーガミニは、1940年代にエドガー・スノーが喧伝した「田中上奏文」と「南京大虐殺」を、1970年代に再び世界に知らしめた。私も当時、本書を読み、衝撃を受けた一人だ。
 バーガミニは、本書で、昭和天皇は野望に満ちた世界征服の計画書「田中上奏文」を承認し、その計画に基く「南京大虐殺」の究極の命令者は天皇であり、戦争と虐殺の最高責任者は天皇であると主張した。彼は、昭和天皇をヒトラーのようなファシストとして描いた。

 バーガミニの著書は、誤謬と偏見に満ちている。今日欧米のまともな歴史学者は誰も取り上げない。「田中上奏文」が偽書であることも、明らかになっている。ところが、このバーガミニの誤りだらけの本に依拠して登場したのが、アイリス・チャンだった。チャンは、バーガミニの「大虐殺30万、強姦2~8万」という記述を引き写した。そして、日中の歴史にうといアメリカの大衆は、チャンの本を真に受けた。

 『ザ・レイプ・オブ・南京』を皮切りに、国際反日運動が活発化した。それは、江沢民・中国共産党の愛国主義・反日教育の激化を背景にしていた。
 平成12年12月に松井やより氏らが、「女性国際戦犯裁判」を行った。平成16年1月になって、NHKのディレクターが発言し、NHKと朝日新聞の争いを生んだ事件だ。「裁判」を装ったこの集会は、慰安婦問題により昭和天皇を「有罪」と「判決」した。彼らの動きは、チャンらによる国際的な反日運動と軌を一にしていた。チャンこそ、『ザ・レイプ・オブ・南京』で、慰安婦問題を歪曲・誇張して世界に伝えた張本人だからである。
 彼らは、明らかに、天皇を攻撃の対象としている。個人的な恨みではない。日本という国の中心として、天皇を標的にしているのである。

 かつて昭和40年代に、三島由紀夫氏は、日本の文化の中心は天皇であり、天皇を守ることが、日本の文化を防衛することだと説いた。三島氏は「日本を守るとは何を守るのか、それは天皇を守ることだ」と訴えた。
 氏の自決には評価が分かれる。しかし、国際的な反日運動が、天皇の権威を貶めようと宣伝するのを見て、三島氏の洞察の深さを感じ取った人は、少なくない。

 平成12年、国際的な反日運動が広がりを見せていた時、三島氏の「文化防衛論」に共鳴する竹本忠雄氏(フランス文学者)は、次のような問いを発した。
 「アイリス・チャンと、彼女を擁立する反日諸勢力の攻撃目標は、…国家原理ーー道徳の崩壊を喧伝しているのではないか」。(竹本忠雄著「『背徳者』はどっちかー日本文化防衛戦を勝ち抜け」雑誌『正論』平成12年1月号)

 この問いは、ポイントを突いている。反日勢力は、南京事件に関し、もともと事実認識を争っているのではない。事実でないことは承知で、「大虐殺」を捏造・誇張し、政治的なプロパガンダを行っているのだ。
 その目標は、日本という国を成り立たせてきた原理、日本人の道徳を打ち倒し、日本という国そのものを崩壊させることにあるだろう。その攻撃の標的とされているのが、天皇なのである。

 天皇は、「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」である。また、日本の精神文化の中核である。扇で言えば、要である。
 美しい扇も、要をはずすとバラバラになる。その要である天皇を、国際的に公然と侮辱すること。国の要を標的とすることによって、日本人を精神的に打ち砕き、日本を解体すること。それが、「南京大虐殺」の宣伝だと考えられる。国際反日勢力は、「大虐殺」を材料に、天皇の権威を貶め、日本人の求心力を弱め、日本を支配下に置こうとしている。そう見るべきと思う。

 竹本氏は、次のように問う。「この(註 日本の)文化体系の要をなすものこそ天皇であると、胸を張って言うだけの信念が我に欠け、ゆえに『天皇の陰謀』によって世界侵略と大虐殺は行われたとする彼の主張に国民的に抵抗し得ないのではなかろうか」。
 では、日本人は、いかにすべきか。竹本氏は、「自国文化への愛を取り戻すこと」が重要ではないか、と呼びかける。
 「自国文化への愛」とは、何か。それは、日本の文化を深く理解し、その素晴らしさを感じることによって育つものであろう。そしてその愛は、その文化を創ってくれた先祖への愛となり、また日本文化の要である天皇への敬愛となってゆくだろう。

 私たちは、こうした「自国文化への愛」をもって、いわれなき攻撃から、日本の文化と、その中心を守る意志を固めねばならない。その意志を持たなければ、私たちは、国際社会で日本という国を、そして日本人である私たち自身を守り得ないところに立たされている。このたびの南京事件を主題としたハリウッド映画の製作も、日本人にこういう認識と決意を迫るものと思う。

 このような時に、女性天皇を安易に容認し、女系継承もやむを得ないなどと考えている人は、失礼ながら不勉強であり、またあまりにも無防備である。
 日本人は、自国の伝統・文化・国柄について、ここで掘り下げて学び、自己を取り戻さなければならない。日本精神に立ち返らないと、国も民も危うい。私が日本精神の復興を呼びかけるゆえんである。

 日本の文化と、その中心となる天皇については、少し勉強するだけで、目が開かれるだろう。私の書いているものも、参考にしていただけると幸いである。

※私の天皇論・皇室論は、以下をご参照のこと。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind02.htm
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind10.htm
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05.htm
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南京事件、ハリウッド映画に

2006-01-19 13:36:30 | 南京事件
 18日から「南京事件、ハリウッド映画に」というニュースが注目を集めている。

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南京事件、ハリウッド映画に…メリル・ストリープ出演

【上海=加藤隆則】旧日本軍による1937年の南京事件を題材にしたハリウッド映画の制作が決まり、来年12月の事件70年に合わせ、世界で同時公開されることが明らかになった。
 18日付の上海紙「文匯報」が報じた。
 同紙や制作協力する江蘇省文化産業グループによると、映画のタイトルは「南京・クリスマス・1937」で、当時、南京にいた米国人宣教師の目を通して、旧日本軍が行った中国人への殺害行為を描くストーリー。クリント・イーストウッドが監督を務め、同氏と「マディソン郡の橋」で共演したメリル・ストリープの出演が予定されている。
 中国では旧日本軍が南京を包囲した12月13日を「南京大虐殺記念日」としており、70年にあたる来年は、各種行事が行われる予定。
(2006年1月18日23時23分 読売新聞)
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 アメリカにとって日本は旧敵国である。アメリカには、反日的な思想を持った人間が少なくない。ハリウッドの映画界にも、反日的な思想を持った者たちがいる。彼らは、巨額を投じて反日宣伝映画を製作している。数年前、ディズニー映画で「パール・バーバー」という作品があった。当時、史上最高額の製作費といわれた。今度は、いよいよ「南京大虐殺」の本格的な映画化である。

 故アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」が平成9年に発刊されたとき、わが国の政府は、反論をせず、訂正要求もしていない。それどころか虐殺があったということを前提にした釈明をするような外交を行ってきた。この姿勢を根本的に改めないと、「大虐殺」という捏造が生んだ誤解は、全世界に広がる一方である。日本国と日本人の名誉は地に落ち、回復することはますます難しくなる。このたびの映画「南京・クリスマス・1937」に対し、日本人がどう対応するか、これは重大な課題である。

 華僑は、国際的なネットワークをつくっている。アメリカには、アメリカで成功を収めた中国人のリーダーで構成する「百人委員会」」というグループがある。このグループを代表的存在として、華僑は組織的にロビー活動をし、また反日活動を行っている。
 「ザ・レイプ・オブ・南京」が発行されたとき、在米中国人の「チャイニーズ・コネクション」が様々な形で支援をした。支援団体の一つに「南京大虐殺の犠牲者を追悼する連帯」(本部・ニューヨーク)があった。
 伝えられるところによると、「連帯」は、南京事件の後にマギー牧師が撮影した16ミリフィルムを基に「マギー牧師の遺言」というビデオを作って、各方面に配布した。また南京事件は天皇の命令で行われた虐殺だと主張する「天皇の名の下に」という映画を作って、各国のマスコミに働きかけた。この映画は、中国・韓国・フィンランド・スエーデン等でテレビ放映された。アメリカでは「ザ・レイプ・オブ・南京」を映像化したテレビ番組が放映された。ジョン・ラーベの「南京の真実」は、チャンを通じてラーベの日記の存在を知った「連帯」が、刊行を進めたものだった。平成12年に「ラーベの日記」」として映画化された。
 こういう何年にもわたる組織的な宣伝工作が、今回の映画「南京・クリスマス・1937」の製作につながってきていると見るべきだろう。

 ハリウッドを支配するのは、ユダヤ系の富豪である。ユダヤ人にも親日的な人間と反日的な人間、反共的な人間と容共的な人間がいる。その一部が、チャイナ・コネクションと、反日において関係を深めていると見られる。600万人ホロコースト説と「南京大虐殺」説は、お互いを補強する関係になっているのだろう。
 ユダヤ・コネクションとチャイナ・コネクションの豊富な資金が、映画の製作・宣伝、これに時期を合わせた報道・出版に注ぎ込まれる。映画とマスメディアの効果は大きい。アメリカには、旧敵国だった日本に憎悪を持っている議員や団体がいる。カリフォルニア州議会では「対日賠償と謝罪決議」を議決した。その動きは、下院に及びつつある。日本の戦争犯罪追及をめぐる訴訟が再燃するおそれがある。
 反日的なアメリカ人と、反日的な中国人・ユダヤ人は結びつく。彼らは、さらに大きな国際的な反日組織を形成している。平成15年9月、中国共産党政府は、韓国、北朝鮮、米国、日本、フィリピン、オランダの反日組織のリーダーを上海に集め、国際反日ネットワーク「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」を結成した。反日的な国際組織は、「南京大虐殺」という虚構を最大限に、利用しようとしていると見るべきだろう。

 「ザ・レイプ・オブ・南京」をきっかけに、わが国では民間の有志が、東中野修道著『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)の完訳学術版、東中野+藤岡著『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』(祥伝社)に基づく大衆普及版、図解入り提要とでも称すべき『再審南京事件』(日本会議国際広報委員会編)等を刊行し、国際的な広報活動を行ってきた。
 民間がこうした努力をしているのに対し、日本国政府は、依然として反論や事実の説明を一切行っていない。日本の運命に死活的な影響を及ぼすのは、アメリカと中国である。超大国化しつつある中国が、仮に米国と手を結んでアジア制覇の戦略を展開したならば、日本の国運は危うい。
 南京事件を、これ以上、政治的に利用されることを防がねばならない。海外で、日本国と日本人に関する誤解が広がり、日本の国家と国民の名誉が貶められていることに対して、政府は、毅然とした対応をすべきである。

 我々日本国民は、日本人としての精神を取り戻し、「南京大虐殺」の虚構を暴き、日本の立場を堂々と主張してゆかねばならないと思う。

※私の南京事件論は、以下をご参照のこと。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06b.htm
 「南京での『大虐殺』はあり得ない」 
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