ある方から、日本は無条件降伏したのか、条件付降伏したのかというご質問を頂いた。降伏したのは、国家か軍か、その証拠はあるか、さまざまな書籍を読んでも、腑に落ちる説明のされたものがないという。
答えは、まったく明白である。日本国はポツダム宣言を受諾することによって、条件付降伏をした。ただし、日本軍は無条件降伏をした。軍は無条件降伏、国は条件付降伏。ポツダム宣言とは、それを合意したものである。
これが要点なのだが、実はまだまだ日本は無条件降伏したと思っている人は多い。中国の反日デモや皇室典範改正問題などで、最近国のことを考えるようになった人にも、無条件降伏したという思い込みが、どれほど日本をゆがめてきたかを知らない人がいる。学校でそう教えており、受験勉強で頭に叩き込まれているのだから、思い込みが思い込みであることにすら気づかないのだろう。
日本が無条件降伏したと思い込んでいる限り、まともな憲法改正はできないし、皇室典範の改正も改悪にしかならない。教育基本法に愛国心が盛られることもない。そこで、10年ほど前に書いたノートを手直しして、私のウエブ・サイトに挙げることにした。BLOGには3回に分けて掲載する。
■日本は無条件降伏などしていない(その1)
「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」ーーこれは○ですか、Xですか?
学校では、○と教えられたと思う。ところが、正解はX。日本は無条件降伏などしていないのである。正しくは「日本国は、ポツダム宣言の条件を受諾して降伏した」と言わなければならない。
これは、昭和53年「無条件降伏論争」の中で、文芸評論家の江藤淳氏が明らかにしたことである。平成8年から活発になった自虐史観の見直しの中で、無条件降伏論の誤りが、かなり知られるようになった。しかし、まだまだ「日本は無条件降伏した」となんの疑いもなく思っている人が多い。もしあなたもそうであれば、この機会に真実を知っていただきたい。
第1章 ポツダム宣言は降伏条件を明示
日本は大東亜戦争に敗れ、昭和20年8月14日、ポツダム宣言を受諾した。それにもとづき、9月2日ミズーリ艦上で降伏文書に調印した。
このポツダム宣言は、日本に無条件降伏を要求した文書ではなかった。それは宣言をちゃんと読んでみれば、誰の目にも明らかである。13項目のうちの第5項には、
「われらの条件は左のごとし。われらは右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。われらは遅延を認むるを得ず」
と降伏条件が提示されている。つまりこの宣言は通常信じられているのとは反対に、以下8ヶ条にわたって降伏条件を明示した文書なのである。
高校の教科書や資料集には、「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」と書いてあって、ポツダム宣言が囲み記事で掲載されているものがある。しかし、なぜかそこには「われらの条件は左の如し」という第5項は抜かれている。第5項が掲載されていれば、これは無条件降伏ではなく、降伏のための条件を書いてある文書であることが、分かってしまうからだろう。せこいトリックである。
もっとも、宣言の中に「無条件降伏」という言葉が使われていないわけではない。最後の第13項には使われている。すなわち
「われらは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意につき、適当かつ十分なる保障を提供せんことを、同政府に対し要求する」
とある。ここで無条件降伏を求められているのは、日本の軍隊であって、日本の政府でも国民でもないことに注意していただきたい。この違いが、非常に重大なのである。日本の運命を分けたほどに重大な違いがここにあるのだ。
江藤氏は、先駆的な名著『忘れたことと忘れさせられたこと』に、次のように記している。
「もし日本が『ポツダム宣言を受諾した』のが客観的事実なのであるなら、それは決して『無条件降伏』ではあり得ない。また逆に、もし日本が『無条件降伏』したというのであれば、それはポツダム宣言の規定に明らかに抵触せざるをえない。なぜならポツダム宣言第5項は、『われらの条件は左のごとし』として、以下第6項から第13項にいたる8項目の『条件(Terms)』を明示しているからである。つまり、ポツダム宣言受諾の結果『無条件降伏』したのは、『全日本国軍隊』であって日本国ではなかったのである。
宣言第13項には『全日本国軍隊の無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)』という文言があるが、『無条件降伏』という言葉が用いられているのは、ここ1個所だけで、それ以外の条項では、この言葉は只の一度も用いられていない。
これは決して私の恣意的な解釈ではない。宣言発出当時、米国務省はすでに『ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈される国際協定をなすものとなる』という見解を下している。換言すれば、それが一種の『国際協定』である以上、ポツダム宣言は日本のみならず連合国をも拘束する性格をそなえているはずであり、また事実そうだったのである」。
第2章 「無条件降伏」は作り話
日本の無条件降伏」という言葉は、日本が軍のみならず、国をあげて連合国の膝下に服し、連合国の自由な措置に身を任せたかのような印象を与える。しかし、国際法の権威ハンス・ケルゼン教授によると、「元来降伏という言葉は、法律用語としては軍隊の降伏に対してしか用いないもの」である。それゆえ「日本国が無条件降伏した」と言うならば、国際法上は全く間違った表現である。
実際には、日本は、降伏条件の提示されたポツダム宣言を受諾し、条件を取り決めた降伏文書に調印して降伏したのである。その後の連合軍による日本占領は、こうした国際法上の行為を前提として行われるべきものだった。それゆえ、占領は、ポツダム宣言と降伏文書に示された諸条項に基づいて実施されなければならないものであり、恣意的な権力の濫用はできないものだったのである。
敗戦直後の日本の政治家、法学者、外交専門家などは、ポツダム宣言受諾による降伏を決して「無条件降伏」とは考えず、むしろ「有条件降伏」、つまり合意による協定にもとづいた降伏と考えていた。それに引き続く連合軍による占領も、双方が降伏条項を履行するための合意による占領と考えていた。
ところが、現実に占領が開始されると、アメリカは降伏条件を著しく逸脱したことを次々に行った。アメリカは、ポツダム宣言及び降伏文書の内容を捻じ曲げ、日本国民に「日本は無条件降伏した」と思わせて、数々の占領政策を強引に押し進めたのである。
それらの占領政策は、ポツダム宣言・降伏文書に違反するだけでなく、占領軍の権利・義務を規定しているハーグ陸戦規則に照らしても違法なものだった。つまり、国際法には根拠がなく、彼らの一方的な政策を力によって押し付けたものだったのである。
アメリカは、日本人に対し、日本の降伏を「無条件降伏」であると思わせ、占領政策は一切条件交渉をすることのできない命令であり、連合軍最高司令官マッカーサーは全能の権力を持つという観念を、日本人の脳裏に注入した。それは、天皇の身命の危険をにおわせ、原子爆弾の使用を暗示したおどしと、厳しく巧妙な言論統制によって行われた。
後に昭和21年5月3日に開始される東京裁判は、国際法になんら根拠を持たない、戦勝国による儀式化された復讐劇だったが、実は20年9月に始まる占領政策そのものが、はなから国際法を無視したものだったのである。そのうえで、日本人は、勝者が作った歴史を、真実と思わされてきたのである。
江藤氏は、 記している。「われわれは真実を忘れ、かつ忘れさせられてきた。そして巧妙に仕組まれた忘却のうちに安住しながら、偽りの歴史によって今日まで生きてきたのである」と。
この発言は、 約30年前のものだが、多くの日本人は「偽りの歴史」を疑うことなく、今日まですごしている。いやむしろ、学校教育と多くのマスメディアによって、「偽りの歴史」を教え込まれてきたのである。
これこそ、アメリカの日本弱体化の謀略の結果であり、 アメリカの占領政策が生み出したマインドコントロールが、今日も人々の心を縛りあげている姿なのである。
皇室の存続の危機も、極東有事も、財政破綻も、3歳児崩壊も、ニートの増加も、その他のもろもろの危機は、共通の根にいたる。戦後日本人が受けてきたマインドコントロールから抜け出し、日本人本来の精神を取り戻さない限り、 日本人は、 今日の危機を何一つ解決できないだろう。
まず「日本は無条件降伏したのではない」という真実に目覚めよう。そこから、別の歴史が見えてくるとき、危機の根本解決の道が開かれるだろう。
答えは、まったく明白である。日本国はポツダム宣言を受諾することによって、条件付降伏をした。ただし、日本軍は無条件降伏をした。軍は無条件降伏、国は条件付降伏。ポツダム宣言とは、それを合意したものである。
これが要点なのだが、実はまだまだ日本は無条件降伏したと思っている人は多い。中国の反日デモや皇室典範改正問題などで、最近国のことを考えるようになった人にも、無条件降伏したという思い込みが、どれほど日本をゆがめてきたかを知らない人がいる。学校でそう教えており、受験勉強で頭に叩き込まれているのだから、思い込みが思い込みであることにすら気づかないのだろう。
日本が無条件降伏したと思い込んでいる限り、まともな憲法改正はできないし、皇室典範の改正も改悪にしかならない。教育基本法に愛国心が盛られることもない。そこで、10年ほど前に書いたノートを手直しして、私のウエブ・サイトに挙げることにした。BLOGには3回に分けて掲載する。
■日本は無条件降伏などしていない(その1)
「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」ーーこれは○ですか、Xですか?
学校では、○と教えられたと思う。ところが、正解はX。日本は無条件降伏などしていないのである。正しくは「日本国は、ポツダム宣言の条件を受諾して降伏した」と言わなければならない。
これは、昭和53年「無条件降伏論争」の中で、文芸評論家の江藤淳氏が明らかにしたことである。平成8年から活発になった自虐史観の見直しの中で、無条件降伏論の誤りが、かなり知られるようになった。しかし、まだまだ「日本は無条件降伏した」となんの疑いもなく思っている人が多い。もしあなたもそうであれば、この機会に真実を知っていただきたい。
第1章 ポツダム宣言は降伏条件を明示
日本は大東亜戦争に敗れ、昭和20年8月14日、ポツダム宣言を受諾した。それにもとづき、9月2日ミズーリ艦上で降伏文書に調印した。
このポツダム宣言は、日本に無条件降伏を要求した文書ではなかった。それは宣言をちゃんと読んでみれば、誰の目にも明らかである。13項目のうちの第5項には、
「われらの条件は左のごとし。われらは右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。われらは遅延を認むるを得ず」
と降伏条件が提示されている。つまりこの宣言は通常信じられているのとは反対に、以下8ヶ条にわたって降伏条件を明示した文書なのである。
高校の教科書や資料集には、「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏した」と書いてあって、ポツダム宣言が囲み記事で掲載されているものがある。しかし、なぜかそこには「われらの条件は左の如し」という第5項は抜かれている。第5項が掲載されていれば、これは無条件降伏ではなく、降伏のための条件を書いてある文書であることが、分かってしまうからだろう。せこいトリックである。
もっとも、宣言の中に「無条件降伏」という言葉が使われていないわけではない。最後の第13項には使われている。すなわち
「われらは日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ、右行動における同政府の誠意につき、適当かつ十分なる保障を提供せんことを、同政府に対し要求する」
とある。ここで無条件降伏を求められているのは、日本の軍隊であって、日本の政府でも国民でもないことに注意していただきたい。この違いが、非常に重大なのである。日本の運命を分けたほどに重大な違いがここにあるのだ。
江藤氏は、先駆的な名著『忘れたことと忘れさせられたこと』に、次のように記している。
「もし日本が『ポツダム宣言を受諾した』のが客観的事実なのであるなら、それは決して『無条件降伏』ではあり得ない。また逆に、もし日本が『無条件降伏』したというのであれば、それはポツダム宣言の規定に明らかに抵触せざるをえない。なぜならポツダム宣言第5項は、『われらの条件は左のごとし』として、以下第6項から第13項にいたる8項目の『条件(Terms)』を明示しているからである。つまり、ポツダム宣言受諾の結果『無条件降伏』したのは、『全日本国軍隊』であって日本国ではなかったのである。
宣言第13項には『全日本国軍隊の無条件降伏(the unconditional surrender of all Japanese armed forces)』という文言があるが、『無条件降伏』という言葉が用いられているのは、ここ1個所だけで、それ以外の条項では、この言葉は只の一度も用いられていない。
これは決して私の恣意的な解釈ではない。宣言発出当時、米国務省はすでに『ポツダム宣言は降伏条件を提示した文書であり、受諾されれば国際法の一般規範によって解釈される国際協定をなすものとなる』という見解を下している。換言すれば、それが一種の『国際協定』である以上、ポツダム宣言は日本のみならず連合国をも拘束する性格をそなえているはずであり、また事実そうだったのである」。
第2章 「無条件降伏」は作り話
日本の無条件降伏」という言葉は、日本が軍のみならず、国をあげて連合国の膝下に服し、連合国の自由な措置に身を任せたかのような印象を与える。しかし、国際法の権威ハンス・ケルゼン教授によると、「元来降伏という言葉は、法律用語としては軍隊の降伏に対してしか用いないもの」である。それゆえ「日本国が無条件降伏した」と言うならば、国際法上は全く間違った表現である。
実際には、日本は、降伏条件の提示されたポツダム宣言を受諾し、条件を取り決めた降伏文書に調印して降伏したのである。その後の連合軍による日本占領は、こうした国際法上の行為を前提として行われるべきものだった。それゆえ、占領は、ポツダム宣言と降伏文書に示された諸条項に基づいて実施されなければならないものであり、恣意的な権力の濫用はできないものだったのである。
敗戦直後の日本の政治家、法学者、外交専門家などは、ポツダム宣言受諾による降伏を決して「無条件降伏」とは考えず、むしろ「有条件降伏」、つまり合意による協定にもとづいた降伏と考えていた。それに引き続く連合軍による占領も、双方が降伏条項を履行するための合意による占領と考えていた。
ところが、現実に占領が開始されると、アメリカは降伏条件を著しく逸脱したことを次々に行った。アメリカは、ポツダム宣言及び降伏文書の内容を捻じ曲げ、日本国民に「日本は無条件降伏した」と思わせて、数々の占領政策を強引に押し進めたのである。
それらの占領政策は、ポツダム宣言・降伏文書に違反するだけでなく、占領軍の権利・義務を規定しているハーグ陸戦規則に照らしても違法なものだった。つまり、国際法には根拠がなく、彼らの一方的な政策を力によって押し付けたものだったのである。
アメリカは、日本人に対し、日本の降伏を「無条件降伏」であると思わせ、占領政策は一切条件交渉をすることのできない命令であり、連合軍最高司令官マッカーサーは全能の権力を持つという観念を、日本人の脳裏に注入した。それは、天皇の身命の危険をにおわせ、原子爆弾の使用を暗示したおどしと、厳しく巧妙な言論統制によって行われた。
後に昭和21年5月3日に開始される東京裁判は、国際法になんら根拠を持たない、戦勝国による儀式化された復讐劇だったが、実は20年9月に始まる占領政策そのものが、はなから国際法を無視したものだったのである。そのうえで、日本人は、勝者が作った歴史を、真実と思わされてきたのである。
江藤氏は、 記している。「われわれは真実を忘れ、かつ忘れさせられてきた。そして巧妙に仕組まれた忘却のうちに安住しながら、偽りの歴史によって今日まで生きてきたのである」と。
この発言は、 約30年前のものだが、多くの日本人は「偽りの歴史」を疑うことなく、今日まですごしている。いやむしろ、学校教育と多くのマスメディアによって、「偽りの歴史」を教え込まれてきたのである。
これこそ、アメリカの日本弱体化の謀略の結果であり、 アメリカの占領政策が生み出したマインドコントロールが、今日も人々の心を縛りあげている姿なのである。
皇室の存続の危機も、極東有事も、財政破綻も、3歳児崩壊も、ニートの増加も、その他のもろもろの危機は、共通の根にいたる。戦後日本人が受けてきたマインドコントロールから抜け出し、日本人本来の精神を取り戻さない限り、 日本人は、 今日の危機を何一つ解決できないだろう。
まず「日本は無条件降伏したのではない」という真実に目覚めよう。そこから、別の歴史が見えてくるとき、危機の根本解決の道が開かれるだろう。