ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

インド28~アーリヤ人の時代

2019-12-13 08:27:37 | 心と宗教
●アーリヤ人の移動

 インダス文明の滅亡後、アーリヤ人がインドの北西部に侵入した。アーリヤ人のインド侵入は、インド・ヨーロッパ共通基語を祖語とする諸民族の大規模な移動の一環だった。それらの遊牧民族は、人口の増加、寒冷化、旱魃等の理由によって、紀元前2000年頃から黒海北方の原住地を離れて様々な地方へ移動したと見られる。背景には、地球規模の大きな気候変動があったと推測される。
 西方へ移動した諸民族は、ヨーロッパ各地に拡散・定住し、現代ヨーロッパ諸言語族の祖先となった。東方へ移動した諸民族は、中央アジアの高原地帯で数世紀間、遊牧中心の生活を送った。その後、その一部がイラン高原に定住して、イラン人となった。またそこから分かれて東南方へ移動した者たちがいた。彼らがアーリヤ人である。言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に分類され、西方のギリシャ人、ローマ人、ゲルマン人等と共通する文化を持つ。インドに入る前、アーリヤ人がイラン人の一部だった時代の民族を、インド・イラン人という。それゆえ、アーリヤ人とイラン人は、共通の宗教的な基盤を持っている。
 アーリヤ人は、イラン高原からヒンドゥークシュ山脈を越えてハイバル峠を通り、インド北西部へ侵入し、パンジャーブ地方に入った。移動は、かなりの年月かけて、波状的に行われたようである。

◆アーリヤ人の社会
 アーリヤ人は、家族を社会の基本的単位とし、家父長制の大家族で集団生活をした。男性を尊ぶ傾向が強く、女性の社会的地位は低かった。婚姻は一夫一妻が原則だった。祖先を共通する諸家族が氏族を構成し、いくつかの氏族で構成する部族が多数存在した。部族の族長は王を自称した。軍事は将軍が補佐し、宗教的儀式は祭官が戦勝祈願等の祭儀を行った。
 やがて諸部族が統合されて、唯一の王が独裁権を持つ国家が形成された。国王は、平時には人民を保護し、裁判を主催した。戦時には軍隊を指揮した。一般の人間と区別して神聖化され、威厳を授与したり誇示したりする祭儀が発達した。王権の伸長に伴って、祭官の権威が高まった。

◆アーリヤ人の語義
 アーリヤ人は、肌の色が白く、長身で鼻筋が通っている。アーリヤ人という名称は、「高貴な」「すぐれた」等を意味する形容詞アーリヤから来ている。もとは「部族の宗教を忠実に信奉する者」を意味し、次いで「同じ部族の者」を意味するようになったが、インドに侵入して先住民族を征服した結果、「支配階級の人々」という意味を持つようになった。

●インドでの定住

 インド北西部に侵入したアーリヤ人は、ヴェーダの文化を作り上げていった。これが、インド文明の文化の母体となった。そこで、一般に前1500年頃から前500年頃までの時期をヴェーダ時代と呼ぶ。また、この時代を、前1000年頃を境に前期と後期に分ける。
 アーリヤ人は、鉄器文化の段階にあった。前期の時代には、鉄器を使用しながら牛を飼育する牧畜を行って生活した。パンジャーブ地方に定住していたアーリヤ人は、前1000年頃から後続のアーリヤ人に追われ、より肥沃な地を求めて東進し、ガンガーの流域に広がった。この過程で彼らは先住民族を征服しつつ、インドの気候風土に即した農耕文化へ移行していった。また、先住民族との混血や文化的な融合が進んだ。

◆征服・支配とカースト制の形成
 アーリヤ人は、鉄製の武器を持っていた。鉄製の武器は、青銅製より強度や軽さや製造のしやすさ等で有利である。また彼らは遊牧民族なので、自由に馬を乗りこなした。軽快な戦車を駆使して、弓などの飛び道具を使用した。それゆえ、こうした軍事技術で勝るアーリヤ人は、先住民族を圧倒した。
 アーリヤ人が征服した先住民族は、『リグ・ヴェーダ』に「肌が黒く鼻が低い」と書かれている。その人種的特徴から、ドラヴィダ人の祖先やムンダ語を使用する未開民族の祖先等だったと考えられている。彼らはダーサ(悪魔)またはダスユ(魔族)と呼ばれた。
 アーリヤ人がガンガーの流域を征服していく過程で、カースト制が形成されたと考えられている。支配された先住民族は、最下位の身分であるシュードラにされた。
 古代ローマの奴隷は、大規模かつ組織的に使役され、手かせ足かせをはめられ、家畜同然に鞭で打たれて働かされた。インドで征服・支配された先住民族は、ローマの奴隷のような扱いは受けなかった。シュードラを奴隷ではなく、隷民と訳すのはそのためである。だが、カースト制は今日まで続く強固な身分制度となっている。

●インド的な気質への変化

 アーリヤ人は優れた軍事技術を以てインドの先住民族を圧倒したが、その後は、外敵の侵入を受けることの少ない比較的平穏な生活を送った。また、インド亜大陸に定住するうちに、熱帯性気候の影響もあって非行動的になり、かつての勇猛な気質や進取の気象が次第に失われていった。支配的な身分は、慣例を墨守し、安逸を貪るようになった。その反面、バラモンによって祭式の詳細な規定が発達し、それを記したヴェーダの文献は細目を極め、また哲学的・論理的な思考が深められた。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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李栄薫氏の「反日種族主義」とは1

2019-12-12 10:07:55 | 国際関係
 麗澤大学客員教授・西岡力氏は、「現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する親北反日で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ」と見ている。(「『反日』の本質を暴くアンチ反日との思想的内戦」、『正論』令和元年10月号)
 また、西岡氏は、次のように言う。
 「いま韓国で展開している戦いは朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ」と。(「カギ握る『検察改革』の行方」、『正論』令和元年12月号)
 「朱子学的全体主義勢力」とは、中国・北朝鮮という東アジア的な専制体制を支持する勢力である。東アジア的な専制体制は、皇帝の独裁を正当化する朱子学によって強化された。共産党が支配する中国と金一族が支配する北朝鮮は、ともにマルクス=レーニン主義の影響を受けた全体主義国家だが、その根底には、伝統的かつ封建的な朱子学の思想がある。
 これに対し、韓国の保守派の指導者たちは、文在寅政権に反対する勢力を「文明勢力」と呼んでいる。西岡氏はこの勢力を「自由民主主義文明勢力」というのだが、それは、伝統的かつ封建的な朱子学的全体主義の勢力に対し、自由、人権、民主主義、市場経済、法治等を普遍的な価値とする近代西洋文明を守ろうという勢力だからである。
 自由民主主義は、西洋文明が生み出した思想・体制である。一方、伝統的・封建的な朱子学的全体主義は、シナ文明が生み出した思想・体制である。これだけの対立であれば、文明間の摩擦・衝突ということになるが、韓国における「朱子学的全体主義勢力」は、単に土着的・前近代的なものではない。その点を明らかにしているのが、韓国でベストセラーになっている李栄薫(イ・ヨンフン)編著の『反日種族主義』である。韓国では10万部売れ、わが国で邦訳が出ると、発売後2週間で20万部以上が売れているという。
 李氏は、ソウル大学名誉教授で、実証的な経済史学者として権威ある学者とのことである。李氏は、本書で、いわゆる従軍慰安婦、徴用工、植民地化等の問題について、史実を踏まえて、その「嘘」を暴いている。
 李氏は、韓国の教科書を執筆した歴史家について、彼らは、日帝によって「土地だけでなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書いてきました。その全てがでたらめな学説です」と述べている。なせ「でたらめな学説」が横行しているか、その理由について、李氏は、次のようにいう。「歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます」と。その韓国の伝統文化を李氏は、「種族主義」と呼ぶ。
 韓国の種族主義は、シナより朱子学を摂取する以前から韓民族が持ち続けてきた呪術や風水などのシャーマニズム的な民俗信仰を含んでいる。それが土台にあり、上物として朱子学的な全体主義が立っているという構造である。
 さて、李氏の『反日種族主義』について、拓殖大学総長で開発経済学者の渡辺利夫氏が、産経新聞令和元年11月28日付で取り上げた。
 渡辺氏は、韓国の民族主義を「血族的民族主義」と呼んできた。単なる民族主義ではなく、血族的という点に特徴があるとする。
 渡辺氏は、次のように書いている。「血族は、たどれば古朝鮮の王・檀君にたどり着く。『我々はみな檀君の子孫であるという民族意識』である。朝鮮人の、とりわけ支配階級『両班』においてこの観念は拭いがたく強いものであったらしい。一代の家計図(ママ)『族譜』の壮大な拡大バージョン、これが朝鮮民族である。その観念は、『新しき両班』現代韓国の進歩派・左派エリートの思想を呪縛し、竹島や慰安婦や徴用工といった架空の新しい捏造の記憶を国民に刻み込むことによってより強固なものへと再生産されている」と。
 祖先を共通するという意識によって、近代的な集団意識を形成したことは、多くの国民・民族で見られることである。だが、朝鮮民族ほど家系図に対する関心が高い民族は、珍しい。おそらく世界一だろう。またそれとともに、李氏朝鮮において両班という特権階級ができ、それが現代の韓国における知識階級に置き換わっているところが、現代朝鮮の特異性をなしている。
 渡辺氏は「民族主義」という漢語を使っているが、民族主義は、一般に政治学的な意味での国民に関わる場合と人類学的な意味での民族に関わる場合があり、混同されやすい。私は、国家・国民を意味するネイションに関わるものをナショナリズム、民族・部族に関わるものをエスニシズムと区別している。ナショナリズムは、一般に「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳される。ナショナリズムはネイションにかかる主義であり、ネイションは「国家」「国民」「民族」「共同体」等と訳される。だが、国家と国民は異なり、国民と民族は異なる。私は、基本的にネイションを政治社会としての「国家」または政治的集団としての「国民」、エスニック・グループ(ethnic group)を「民族」とし、ナショナリズムを「国家主義」「国民主義」、エスニシズムを「民族主義」と区別する。ナショナリズムとは、エスニック・グループをはじめとする集団が、一定の領域における主権を獲得しようとし、またその主権を行使するネイションとその国家を発展させようとする思想・運動である。また、西洋文明の近代以前及び非西洋文明にも広く見られるエスニシズムの特殊な形態であり、近代西欧的な主権国家の形成・発展にかかるエスニシズムである。
 このような私の見方を基に言えば、渡辺氏のいう「血族的民族主義」は、エスニックな性格が極めて強いナショナリズムである。

 次回に続く。

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インド27~ヒンドゥー教の歴史

2019-12-10 14:30:36 | 移民
 今回から、第2部「ヴェーダの宗教、仏教、ヒンドゥー教の歴史」に入る。

●ヒンドゥー教形成の歴史

 第1部では、インド文明のダルマの主要部分となるヒンドゥー教の概要を書いた。この第2部では、ヒンドゥー教のもとになったヴェーダの宗教や大きな影響を与え合った仏教等について述べたうえで、ヒンドゥー教の発達過程をたどり、その後、近現代における展開と現状を書く。

●インド文明の領域

 インド亜大陸は、ヨーロッパよりも広い面積を持ち、多くの民族と言語、文化が存在する地域である。本稿でインド文明と呼んでいるのは、インド亜大陸で古代から今日まで続く文明である。インド文明は、インダス文明の滅亡後、アーリヤ人の文化と先住民族の文化とが融合しながら発達してきた。インド文明は、その周囲に西アジア及び東南アジアの諸文化を伴っている。
 世界史でインドの歴史を書く時は、現在のインド共和国の領土の範囲だけでなく、インド文明の地域の一部であるパキスタン、バングラデシュ、またその周辺のネパール、スリランカ、さらに時代によってはアフガニスタン、ミャンマー等の地域を含めて、南アジアの歴史として書くことが多い。インド文明が生んだヒンドゥー教、仏教が伝播した東南アジアのインドシナ半島やインドネシアへと、その範囲を広げて書く場合もある。
 インド亜大陸の地理について書いておくと、北西部は、インダス川上流にカシミール地方、その下方にパンジャーブ地方、下流にシンド地方が広がる。北東部は、ガンガー中流にヒンドスタン地方、下流にベンガル地方がある。ガンガーの支流であるブラマプトラ川の流域はアッサム地方と呼ばれる。亜大陸の中央部には、デカン高原がある。これを中心に南北に分けると、北インドは概ねアーリヤ人中心の社会、南インドは非アーリヤ系諸民族の社会となっている。

●インダス文明

 インド文明の発生以前には、インダス文明が存在した。

◆特徴
 インダス文明は、古代のインド亜大陸において、インド北西部のインダス川流域で発達した文明である。空間的には、現在パキスタンのある地域から北西インドにかけて、東西約1600キロ、南北約1400キロの範囲で興亡した。この範囲は、世界の四大文明――他はメソポタミア文明、エジプト文明、黄河文明――の中で最も広いものである。また時間的には、紀元前3000年紀の前半ないし半ば頃から、紀元前1800年以降にわたり、千数百年間続いた。
 インダス文明の存在は、19世紀半ばまで他の地域には知られていなかった。当時、インドの直接支配に乗り出したイギリス人が、ハラッパーの遺跡を発見したのが、始めである。その後、半世紀以上経った1920年代になって、ハラッパーとモエンジョ・ダーロの発掘が開始された。
 インダス文明は、整然とした計画に基づく都市文明だった。都市遺跡は焼き煉瓦を積み上げた建物や道路からなり、下水渠、沐浴場、穀物の貯蔵所等の公共施設が確認されている。米、アワ、麦等を栽培する農耕文化を基盤とし、彩文土器とともに青銅器を使用する青銅器文化の段階に入っていた。
 遺跡から出土する印章には、インダス文字が書かれている。言語的には、ドラヴィダ語族の諸言語によく似た特徴を示すといわれる。だが、未だ文字の解読がなされていない。そのため、後代の社会との関係は明らかになっていない。
 メソポタミア文字を記したテラコッタや凍石の印章等が出土しており、メソポタミア文明との関係が伺われる。一方、インダス文明の印章が古代のメソポタミアやエラムの地層から出土している。こうした事実は、インダス文明とメソポタミア文明との間で、海上交通による交易が行なわれていたことを示している。

◆担い手
 インダス文明を担ったのは、ドラヴィダ人ないしドラヴィダ人につながる民族という見方が有力である。ただし、遺跡から発見された人骨は、数種類の形質人類学的特徴が混じり合った性質を持ち、現存する特定の一種族の特徴を示してはいない。

◆宗教
 インダス文明の遺跡や遺物には、後代のヒンドゥー教の習俗を思わせるものがある。神像、大地母神などの女神崇拝、ヨーガ行者、リンガ崇拝、牛などの動物崇拝、祭儀での水の使用、火葬、卍などである。
 インダス文明は、多くの神像を持っていた。このことは、ヒンドゥー教における神像崇拝が、アーリヤ人侵入以前からのものであることを示している。
 発見された神像の中に、多数の大地母神の像がある。これは、農耕儀礼において、大地母神を祈願の対象とし、類似したもの同士は互いに影響し合うという発想による類感呪術を行ったものと見られる。大地母神崇拝は、ヒンドゥー教における女神崇拝につながっている。
 ハラッパーから出土した印章には、結跏趺坐したヨーガ行者らしき絵があり、シヴァを連想させる。また、シヴァの象徴であるリンガへの崇拝のもとと思われる直立した男性器を表す絵もある。
 インダス文明では、動物崇拝が行われていた。中でも牡牛ではあるが牛の神聖視が見られることは、ヒンドゥー教の聖牛崇拝の淵源と考えられる。
 遺跡には、ヒンドゥー教の神殿の沐浴場を想起させる四角形の貯水池のような構築物がある。これは、水が祭儀で特別の意味を以て用いられていたことを示唆している。
インダス文明では、火葬が行われていた。遺体を川の土手で火葬にし、遺灰を川に投じたようである。この点も、ヒンドゥー教の習俗と一致する。
 ヒンドゥー教だけでなく、ジャイナ教、仏教でも幸福の印として用いられる卍が、インダス文明の印章の中に描かれている。
 インダス文明には、ヒンドゥー教で広く見られる神殿、祭壇、祭具と思われるものは、発見されていない。また目立った武器や利器が出ていないので、比較的闘争の少ない社会だったと考えられている。
 インド文明において、ヒンドゥー教の特徴となる要素が確立されるのは、インダス文明の滅亡後、アーリヤ人の侵入と定着、ヴェーダの文化と非アーリヤ文化との混淆・融合を経た後である。だが、インダス文明には、ヒンドゥー教の習俗を思わせる文化要素が多くあるということは、インダス文明とインド文明は別のものではなく、インダス文明はインド文明の原型であり、基盤であると考えられる。そして、滅亡した文明の精神文化が、新しい文明の下地となって、表面に浮かび上がってきたのだろうと考えられる。

◆滅亡の原因
 インダス文明の滅亡は、紀元前1800年頃と見られる。アーリヤ人の侵入は前1500年頃からとされるから、年代が一致しない。概ね300年程の開きがある。
 インダス文明が滅亡した原因について、未だ定説はない。地球規模の気候変動、環境破壊による乾燥化、地下水位の低下、塩害、土地の隆起による川の氾濫と流域の変化及びそれによる土地の生産力の減衰などが考えられている。

 次回に続く。

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高出力マイクロ波兵器の本格的な開発へ

2019-12-09 09:30:02 | 移民
 わが国はミサイルやドローン攻撃を効果的に遮断できる高出力マイクロ波兵器の本格的な開発に入る。11月17日産経新聞が伝えたのを受け、韓国では中央日報、聯合ニュースが報じた。
 高出力マイクロ波兵器は、各国が開発にしのぎを削っている。わが国の優れた技術を結集して、早期に優秀な防衛兵器が完成・実用化されるよう期待したい。

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●中央日報

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191118-00000012-cnippou-kr
陸海空どこでも攻撃無力化…日本が「HPM武器」開発着手
11/18(月) 9:45配信

 日本がミサイル・無人機(ドローン)攻撃を効果的に遮断できる最先端武器、高出力マイクロ波(High Power Microwave=HPM)兵器の開発に本格的に入る。17日の産経新聞によると、日本防衛省は早ければ2021年度予算に装備開発費用を反映する方針という。開発から実戦配備までは5年ほどかかると予想される。
 現在、主要国が先を競って開発中のHPMは「戦闘の様相を変えることができる」決定的な兵器に挙げられる。陸・海・空のどこでも配備可能で、敵のミサイル攻撃のほか作戦中の有人・無人機の機能をまひさせて無力化できるためだ。
 中国とロシアは人工衛星を攻撃できるHPM兵器まで開発している。米空軍は5月、20基以上のHPMミサイルを実戦配備したという。
 マイクロ波の原理は日常でもよく接することができる。病院で医療機器の誤作動を引き起こすおそれがあるとして携帯電話使用の自制を求められるのが代表的な例だ。携帯電話の通信帯域がマイクロ波周波数帯(0.3-300GHz)に該当し、各種電子機器の作動に影響を及ぼしかねないからだ。
 マイクロ波を軍事用として使用するには普通100MW以上の連続的な出力が必要だが、事実上不可能であり、主にパルス形態で使用される。
 日本ではすでに2014年からHPM基礎研究が進められてきた。産経新聞によると、防衛省の外局の防衛装備庁電子装備研究所で効率的にHPMを発生させる技術を研究中だが、来年には研究と試験をすべて終える計画だ。
 防衛省は5月と7月、HPM発射装置開発および製造、輸入に関する業務を担当する企業を選別するための手続きに入った。これに12社が応募したと、同紙は伝えた。防衛省はHPM導入時、陸上配備型と艦艇搭載用のほか戦闘機(F-2後続機)搭載も検討中という。

●聯合ニュース

https://n.news.naver.com/article/001/0011217271
日、「ミサイル・航空機無力化」高出力電波発射装置の開発推進
記事入力2019.11.17。11:45

(東京=連合ニュース)パク・セジン特派員=日本の防衛省が自国を脅かす国のミサイルや航空機を無力化させることができる高出力電波発射装置の開発を進めていると産経新聞が17日報じた。

 報道によると、日本防衛省は、2014年から関連研究を進めて開発目標の輪郭をとった状態だ。
 早ければ2021年度予算に関連する費用を入れて開発に本格的に着手して、陸上配備型とトラップ搭載型に活用して、F2戦闘機の後継機にも搭載することを念頭に置いている。
 電子戦装備の一種である高出力電波発射(照射)装置は、周波数が3~30ギガヘルツ(㎓)で、非常に高いマイクロ波(HPM)技術が適用される。
 レーザーのようなエネルギーを集めて光線(ビーム)の形で放出する高出力マイクロ波技術は、将来の戦闘の様相を変える最先端の軍事技術として注目されながら、主要国が開発を進めている。
 日本では、効率的に高出力マイクロ波を出す技術を研究している防衛省傘下の防衛機器庁の電子機器研究所が来年まで試験を終える計画であることが分かった。
 高出力電波発射装置は、燃やす方法でターゲットの外側を破壊する高出力レーザーと異なり、強力なマイクロ波で相手ミサイルや航空機の電子機器を妨害して一度に無力化させることができるのが特徴である。
 日本の防衛省は、高出力電波発射装置の運用に同時多発的に行われることができる多数の無人機攻撃にも対応が可能な環境構築を目指しているという。
 産経は防衛省が今年5月と7月に高出力マイクロ波発射装置と関連した開発・製造、輸入業務などを取ることができる放散企業を調べるなどの開発推進計画を具体化している間、開発着手から実戦配備まで、少なくとも5年程度がかかると予想した。
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「西田と和辻」をアップ

2019-12-08 08:44:12 | 移民
 11月26日から12月7日にかけて、ブログに連載した西田幾多郎と和辻哲郎に関する拙稿を編集して、マイサイトに掲載しました。通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■西田幾多郎と和辻哲郎~哲学の可能性と限界
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11k.htm
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西田と和辻6~哲学の可能性と限界

2019-12-07 12:00:14 | 心と宗教
●和辻哲郎の思想(続き)

③善悪と「良心の声」

 和辻は、倫理学の根本原理を、最も一般的に「絶対的否定性が否定を通じて自己に還る運動」と規定する。個人は全体の否定によって個人となり、全体は個人の否定によって個人となる。「個人とは、全体者が成り立つためにその個別性を否定せられるべきものにほかならず、全体者とは個人が成り立つためにそこから背き出るべき地盤である」という。ここから和辻は、倫理学の課題の一つである物事の善悪を説明する。
 和辻は、主体が全体の統一を促す行為を善、主体が全体から分離する行為を悪と規定する。実践において、善とは全体の信頼に応えること、悪とは信頼を裏切ることであるとする。ここで全体とは、家族、親族、地縁共同体等の集団である。和辻は個人も全体もその真相は「空」であるとし、それを絶対的全体性ととらえる立場から、主体が全体の統一へ向かう行為は「空」へ帰還する方向、逆に主体が全体からの分離へ向かう行為は「空」から離反する方向とする。こうした主体の統一と分離を、ともに「否定の運動」と呼ぶ。そして、人間は「空から背き出つつ空に帰来する運動」を繰り返しているととらえる。
 和辻は、「人間の存在の理法は、然し、絶対否定性の自己への還帰運動である。何らかの共同性から背き出ることに於て己れの根源から背き出た人は、更にその背反を否定して己れの根源に帰ろうとする。この還帰も亦何らかの共同性を実現するという仕方に於て行われる」「この運動も亦人間の行為として、個別性の止揚、人倫的合一の実現、自己の根源への復帰を意味するのである」と述べている。
 和辻は、個人は「己れの本源たる空(すなわち本来空)の否定」として個人となるという。悪に陥っている個人には、悪から善へ戻るように促す心が働く。その働きが、良心の声である。和辻は、良心の声とは「我々自身の奥底から我々を否定する声の聞こえること」であるとし、我々の本源は「空」であるので、そこから「分離する我々の本性が呼び声を引き起こす」のだと説明する。
 私見を述べると、良心の声は、「己れの本源たる空」へ帰ろうという呼び声である。和辻は「空」を無差別・自他一体の慈悲ととらえているので、この呼び声は、仏教的に言えば、衆生を救おうとする仏の呼び声と言うことができる。だが、和辻は、仏教の思想に基づきながら、慈悲の人格的な主体としての仏や菩薩を語らない。当然、この「空」を一般的に神と呼ぶこともしない。ただ絶対者という。絶対者は、対立するものを持たないがゆえに絶対者である。和辻は「絶対者は己れを否定することを通じてのみ己れを展開するのである」と説いている。絶対者が己れを否定したところに、個人が存在し、絶対者と個人が相対する。西田であれば、絶対者と個人の関係を「絶対矛盾的自己同一」ととらえ、「逆対応」と呼ぶだろう。和辻においては、絶対者は人間に「呼び声」をかけるものとされている。そのことは、絶対者が人格性を持つことを意味する。しかし、和辻は、絶対者の人格性を示唆しながら、宗教的な信仰を説くことなく、哲学的な倫理学を提示するのみである。

④「自己に還る運動」

 和辻は、倫理学の根本原理を「絶対的否定性が否定を通じて自己に還る運動」とする。運動の論理を一般に、弁証法という。それゆえ、「絶対的否定性が否定を通じて自己に還る運動」は、弁証法的な自己運動と呼ぶことができる。和辻は、人間存在の行為的連関を絶対的否定性の弁証法的な自己運動ととらえているといえる。これは、ヘーゲルの絶対的観念論の弁証法哲学の影響によるものである。ヘーゲルは、キリスト教に基づき、神を実体にして主体とし、神が自らを否定して疎外し、否定の否定によって回帰する弁証法的自己運動として世界史をとらえた。和辻は、仏教に基づき、実体ではなく関係性である空を根源とし、それを主体として、弁証法的な運動を説いている。和辻の空は絶対的否定性であるが、ヘーゲルの神は絶対的肯定性である。これらは、絶対的全体性である点では共通する。仏教の思想史において、空は絶対的否定性でありつつ絶対的全体性となった。インドにおいて、大乗仏教はヒンドゥー教の影響を受けて有神教化したからである。否定性が肯定性に転じたのである。和辻は、その展開をよく研究せずにヘーゲルの弁証法哲学を大乗仏教に基づく哲学に応用したのだろう。
 和辻は、「絶対的否定性が否定を通じて自己に還る運動」を「不断の創造」とも言っている。基本的には、個人性と社会性を持つ人間の行為についていうものである。だが、「不断の創造」は、人間の行為によるものだけではない。和辻の論理を援用すれば、人間だけでなく自然もまた絶対的否定性の創造的な弁証法的自己運動の過程にある。人間は間柄的存在であり、自然は風土的存在である。その人間と自然が時間的空間的に相互作用する過程を、歴史ととらえることができる。西田は、「絶対矛盾的自己同一」を歴史的世界の構造としたが、和辻の空の哲学を拡大すれば、西田の「絶対の無即有」を「空」に置き換えて、歴史的世界を人間と自然の相互作用という観点からとらえるものに発展し得たかもしれない。だが、和辻は、弁証法について論理学的な研究を十分行っておらず、独自の総合的な哲学を構築することは出来ていない。

結びに~哲学の可能性と限界

 西田哲学と和辻倫理学は、近代日本に現れた優れた哲学である。だが、哲学は、いかに優れた思想が築き上げられても、その継承・発展は困難である。それは、哲学の本質的な性格による。
 科学においては、ある科学者が見出した法則や発見は、その科学者の人格を離れて、客観的な知識として共有され、蓄積されていく。そこに科学の発達がある。哲学は、思索によって真理に到達し得る可能性がある。だが、哲学は、仮にある哲学者が真理に接近し得て、その後継者が先駆者の哲学を受けてさらに発展させようとしても、科学とは異なり、思索は蓄積的に発展しない。後継者は、先駆者の影響を受けながら、新たな哲学を生み出す。その繰り返しが哲学史である。
 西洋の哲学史では、プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、デカルト、ロック、カント、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ、ベルグソン、ハイデッガー、ヤスパースらが優れた哲学を築いた。だが、彼らの哲学は、彼らの後継者によって、継承されると同時に変容し、また次の流れへと移り変わった。
 哲学は、その哲学の人格者の人格と切り離せない。それぞれの人間と思索の記録であり、言葉による作品である。後継者が受け継いでそのまま発展させることは、ほとんど不可能である。その後継者の人格が作用するからである。
 大塚寛一先生は「結論の出ている哲学はひとつもない」と説かれている。私は、20歳代のはじめに、そのことを知って衝撃を受けた。確かに哲学は哲学者の数だけあり、諸説紛々である。その状態は、どの説も真理に達していない証拠である。真理とは単なる知識ではなく、真理に到達すれば即、力となって、現実に作用するものであることを大塚先生は、実証で示されている。病者が医薬に頼らずとも健康を回復し、脳細胞が活性化して、頭骨の形まで変わる。女性は自然分娩で、短時間の楽なお産ができる。人々は死の恐怖から解放され、遺体は長時間体温が冷めず、死後硬直や死臭・死斑が現れない。動物や植物まで生き生きと成長する。私は、こうした現代の科学では説明のできない現象を数多く見聞し、自ら体験もしている。
 西田幾多郎と和辻哲郎は、それぞれの道を歩んで、真理を探究した。だが、真理の究極にまで到達することは出来ずに、その生涯を終えた。彼らの哲学は、その生涯に咲いた大輪の花である。だが、それは言葉を細胞とする花であって、言葉を超え、即、力となって、現実に作用する真理の働きには到達していない。それは、過去の哲学者たちと同じである。また、そこに哲学の限界がある。(了)

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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西田と和辻5~和辻の「否定性」と「全体性」

2019-12-06 09:54:39 | 心と宗教
●和辻哲郎の思想(続き)

②「否定性」と「全体性」

 和辻において、人間は個人も全体も、真相は空である。そのようなものとしての人間を、和辻は、行為において分離と結合、生成と消滅を繰り返しつつ変化する主体ととらえる。
 和辻は、主体の行為的連関を「否定の運動」と呼び、次のように言う。「人間存在が根源的に否定の運動であるということは、人間存在の根源が否定そのもの、すなわち絶対的否定性であることにほかならない。個人も全体もその真相においては『空』なのであり、そうしてその空が絶対的全体性なのである」と。
 和辻は、空とは絶対的否定性であり、かつ絶対的全体性であるという。この点について、私見を述べると、和辻は形式論理学及び弁証法の徹底的な検討をすることなく、大乗仏教の思想に基づいて、人間の真相は空であるという見方を前提としている。空が「自己同一性を保つ主体がそれ自身においては存在しないこと」を意味するとすれば、それは、物事はそれ自体では存在せず、他との関係において存在することを意味する。この性質を関係性と呼ぶことができる。関係性を運動の相でとらえる時、関係性は自己と他者、個人と全体等が相互に否定を繰り返す運動である。この性質を否定性と呼ぶことができる。それゆえ、空は関係性であり、かつ否定性である。
 否定性とは、判断における肯定に対する否定に基づく概念である。「AはBである」は肯定の文、「AはBでない」は否定の文である。ここでAを「空」とすれば、「空」とは、「AはBでない。Cでない。Dでない。・・・」という否定の無限の連続であり、あらゆる相対的なものの否定である。ここでAを「AはAでない」と否定するならば、これは絶対的否定性としてのAの否定である。すなわち、否定の否定である。ここでAとしての「空」を主体ととらえれば、この否定の否定は、絶対的否定性の自己否定である。
 和辻は、次のように書いている。「人格共同態としての一つの全体は、個別的なる多数人格がその個別性を超えて無差別を実現したものでなくてはならぬ。かかる全体に於ける全体性は、差別の止揚、無差別の実現に他ならぬのである」「全体性が以上の如く差別の否定に他ならぬとすれば、有限相対の全体性を超えた『絶対的全体性』は絶対的なる差別の否定である。それは絶対的であるが故に、差別と無差別との差別をも否定する無差別でなければならぬ。従って絶対的全体性は絶対的否定性であり、絶対空である。すべての有限なる全体性の根柢に存する無限なるものはかかる絶対空でなければならぬ」
 このように、和辻は、有限相対の全体性を超えた「絶対的全体性」は絶対的なる差別の否定であり、差別と無差別との差別をも否定する無差別であるから、絶対的全体性は絶対的否定性であると説いている。ここにおいて、絶対的否定性と絶対的全体性は、相補的な関係にある。『般若心経』は、大乗仏教の空の思想を端的に表したものとされるが、有名な「色即是空、空即是色」の一句は、この論理を簡潔に表したものということになるだろう。
 和辻は、釈迦の無我説と竜樹の空論は同一として、空を自身の倫理学の前提とした。だが、大乗仏教では、竜樹が空の思想を説いたのち、それを受けて様々な説が現れた。空を具体的に解き明かす縁起説では、唯識派の頼耶縁起、如来蔵思想の如来蔵縁起、華厳思想の法界縁起説、密教における六大縁起説等が現れた。その間、大乗仏教は法身仏という一種の神格を立てるようになり、無神教から有神教へと変化した。一切皆空でありながら、諸法を法身仏の現われととらえるならば、空は関係性であり、否定性であり、かつ全体性でもあることになる。和辻は、こうした大乗仏教の思想の展開を十分考察することなく、空が真相という前提に立ったものだろう。

 次回に続く。

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「桜を見る会」問題は、モリカケの替わり

2019-12-05 14:07:55 | 時事
 「桜を見る会」については、招待者が多くなりすぎたり、各界で功績・功労のある人を招くという趣旨から不適切な部分は改めれば、よいことである。違法な行為が疑われるのであれば、国会ではなく、検察に調査させればよいことである。内外に重大な課題が山積するなかで、日本共産党が切りだしたこの問題に野党の多数が食らいついているのは、モリカケ騒ぎと同じ構図だろう。狙いは、安倍政権の支持率を下げ、何が何でも憲法改正を阻止すること。そのためには、何でもあり。今度はモリカケの替わりに、サクラということである。
 野党多数にマスメディアが協力して、国民の目をくらまし、大衆の意識を操作しようとしている。背後には、反日的な外国勢力があり、野党多数や偏向したメディアは、その意思を受けて動いているものだろう。国民は、彼らの策謀に騙されてはならない。
 そうしたなか、日本テレビの番組で、辛坊治郎氏が次のように発言したとのことである。「考えようによっちゃ、こうやって言えば些末なことと言いながら、追及することで野党がどうしても反対したい憲法改正につながる国民投票法法案を今国会で成立できなくしたという見方もあります」と。
https://news.infoseek.co.jp/article/20191130hochi087/?fbclid=IwAR1hv92EDHC0ooR7DwgTf0mxxeS4LM7286tJfSJwRll-kBzYRM3yu9TDxt0
 今国会については、まさにその通りと思う。憲法改正における国民投票は、国民の重要な権利である。その権利を行使する機会に関する国民投票法を適切な規定に整備することは、公僕としての国会議員の責任である。憲法改正を阻止するために、法案の成立に反対し、何度も廃案に追い込む野党多数の行為は、国民に対する背任行為である。心ある国民は、こうした議員の横行を許さず、選挙で審判を下し、国会から駆逐しなめればならない。

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西田と和辻4~和辻哲郎の生涯と思想

2019-12-03 09:41:14 | 心と宗教
●和辻哲郎の生涯

 明治時代中期から大正・昭和戦後期を生きた和辻哲郎は、東洋的・日本的な倫理学を構築した哲学者である。日本の精神文化や仏教の思想史を研究した文化史家でもある。生年は1889年(明治22年)、没年は1960年(昭和35年)である。
 和辻は東京帝国大学文科大学哲学科の卒業後、ニーチェ、キルケゴールの研究書を発表し、日本における実存哲学の研究の先駆けとなった。ところが、29歳頃から、日本人の祖先の生活に関心を向け、大和の地を訪ねた。その旅行記が30歳の時に出版した『古寺巡礼』である。和辻は、この旅行をきっかけとして、日本に回帰し、日本人の精神文化の研究に取り組んだ。その成果が、『日本古代文化』『日本精神史研究』等である。一連の著作を通じて和辻は、仏教思想がいかに深く日本人の精神生活に影響しているかを認識した。仏教思想の研究を始めると、インド仏教以来の史的展開を理解することによってのみ、シナ・日本における仏教思想の特殊性を理解できることを悟った。そして初期仏教思想を理論的に理解しようとした。西田幾多郎はシナ・日本の仏教思想に基づいて自らの哲学を生み出したが、和辻は仏教の原点であるインドの初期仏教を研究した。その成果が、『原始仏教の実践哲学』である。ここで深めた仏教への理解が、後の倫理学の構築の基礎になった。
 和辻は1927年(昭和2年)にドイツに留学した。期間中、その年に刊行されたハイデッガーの『存在と時間』を読み、強い刺激を受けた。帰国後、西田等に招かれて京都大学教授となり、1934年(昭和9年)に『人間の学としての倫理学』を出した。本書で、ハイデッガーもそうであるところの近代西欧の個人主義的な思想を脱却する倫理学を打ち出した。それが、人と人との関係を重視し、間柄を基礎とする倫理学である。
 その後、東京大学教授の職に転じた和辻は、『風土―人間学的考察』を出した。本書はハイデッガーの『存在と時間』への反論であり、ハイデッガーが人間の存在を時間性からとらえたに対し、和辻は同時に空間性からもとらえねばならないとして、風土の研究を行ったものである。
 和辻の主著は、1937年から49年(昭和12~24年)にかけて刊行した『倫理学』である。本書は、『人間の学としての倫理学』を発展させ、体系的な倫理学を構築したものである。東洋的・日本的倫理学であるが、同時に世界的な普遍性を持つものとなっている。
 和辻は戦前、戦後を通じて尊皇心を持ち続けた。自らの倫理学をもとに、教育勅語を優れたものと評価している。1952年(昭和27年)に刊行された第二の主著『日本倫理思想史』では、古代から近代までを貫く尊皇思想の伝統を中心として、日本人の倫理思想史を書いた。それは、和辻がとらえた日本精神の発達史ともなっている。

●和辻哲郎の思想

 私は、和辻の哲学については、別に拙稿を書いて、マイサイトに掲示している(註1)。本稿では、仏教との関係に絞って書く。
 和辻は、人間には「個人性と社会性の二重性格」があるととらえる。主著『倫理学』は、個人性と社会性を持つ間柄的存在である人間の二重性格を具体的に解明したものである。さらに人間の共同態である「人倫的組織」を家族、親族、地縁共同体、経済的組織、文化共同体、国家の6つに分けて考察し、「確固たる人倫体」を形成した諸国民が「諸国民間の人倫的組織としての世界国家」を形成するという世界の将来像を提示した。


(1) 下記の拙稿をご参照ください。
「日本的倫理は世界的人倫実現の鍵~和辻哲郎(1)」
「風土と文明と民族の心~和辻哲郎(2)」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/j-mind11.htm
  目次から30、31

①空を真相とする

 『倫理学』における和辻の人間観及び倫理説には、彼の仏教の理解が反映されている。西田は、禅の思想に基づいて「無」を根本概念として使ったが、和辻は、竜樹の思想に基づいて「空」を使っている。
 和辻は、『原始仏教の実践哲学』等で、釈迦が説いた無我を論理的に明らかにしたものが竜樹の「空」であると理解した。ここで「空」とは、「自己同一性を保つ主体がそれ自身においては存在しないこと」を意味する。「空」の悟りは、自他が本来、無差別であることの悟りである。和辻は、「空無差別を真に知るとは無差別に帰り行くこと、無差別を実現することであり、従って慈悲と同義である」と説く。自他が根本的に一体であるという「空」を悟ると、他者の苦悩を自己の苦悩として感じ、他者の苦悩を救おうとする慈悲が生まれる。無我を説いた釈迦が人々に布教を行ったのは、慈悲による。和辻は、空と慈悲をこのように結び付け、そこに仏教の倫理の根源を見出したのだろう。
 こうした仏教の理解が和辻倫理学の根底にある。『倫理学』において、和辻は、「個人存在の根柢が空であることを覚ることによって、個人存在は自他不二的充実の根柢となり、従って道徳性の可能となるのである」と述べている。ここで「道徳性」とは、先に書いた慈悲を核心とするものとである。
 『倫理学』の主題は、個人性と社会性の二重性格を持つ人間である。和辻の人間は、個人であるだけではなく、家族、親族、地縁共同体等の集団である。それらの集団を全体または全体者と呼ぶ。
 和辻は言う。「個人と全体者とは、いずれもそれ自身に於て存せず、ただ他者との連関に於てのみ存するのである」「個人の独立性は全体者に背くところにあり、全体者の全体性は個人の独立を否定するところにある」「他者との連関に於て存在するということは、他者を否定すると共に他者から否定せられることに於て存在するというに他ならない」と。
 ここで個人と全体は、ともに相対的である。相対的なものの相互的な否定を、和辻は述べている。だが、個人と社会の根源には、相対的なものを超えた絶対的なものがなければならない。その絶対的なものとは、差別と無差別、個人と全体の差別を否定した無差別でなければならない。それを、和辻は「空」と呼ぶ。和辻は、空を絶対的否定性ととらえている。和辻は言う。「個人は己れの本源たる空(すなわち本来空)の否定として、個人となるのである」「それは絶対的否定性の自己否定に他ならない」と。全体としての社会もまた、その本源たる空の否定として、全体となる。この否定もまた絶対的否定性の自己否定である。それゆえ、和辻は「個人も全体もその真相においては『空』」であると規定する。

 次回に続く。

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習近平主席を国賓として招いてはならない

2019-12-02 09:48:16 | 国際関係
 11月12日、自民党国会議員有志による「日本の尊厳と国益を護る会」は、正しい日中関係構築を求める緊急アピールを岡田官房副長官に手交した。意見書は、香港、尖閣諸島、チベット、ウイグル、南モンゴル、臓器移植等を挙げ、「これらの諸懸案に改善が見られない場合は、習近平国家主席の国賓としての来日に反対する」と明確に意思を表示している。



 習近平主席を国賓として招くべきでないという、国民の声は高まっている。それを受けて、産経新聞は、12月1日の社説「主張」に「弾圧者が国賓でいいのか」と書いた。いよいよ全国紙の一角からも、政府への批判が上がった。

 「隣国で過酷な弾圧が行われているにもかかわらず、日本政府や国会の反応は鈍すぎる。安倍晋三首相や茂木敏充外相は何をしているのか。もっと抗議の声を上げ、弾圧に苦しむ人々に救いの手を差し伸べなければならない。とりわけ懸念されるのが、習近平中国国家主席の国賓としての来日だ。日中両政府は来春の実施で合意している。だが、極めて深刻な人権弾圧の最高責任者を国賓として招いていいのか」
 「2国間関係だけに気を配り、深刻な人権問題を軽視していいはずもない。日本が本当に人権を重んじる国なら、米英仏独などと協調して弾圧停止へもっと努力すべきではないか。安倍首相は12月下旬の訪中で、習主席と会談するはずだ。ウイグルの人々の解放と国連監視団の受け入れ、香港の民主派弾圧の停止を正面から迫ってもらいたい」

 現在の情勢で中国の習近平主席を国賓として招待することは、戦前の日本にたとえれば、ユダヤ人を激しく迫害していたヒトラーを国賓として招く以上の愚行である。今上陛下に、ヒトラー以上の虐殺者・習近平主席とのご会見(引見)をしていただき、その写真が世界に報道され、歴史に刻まれるような愚行を、安倍内閣総理大臣は決して行ってはならない。

 文化人類学者・楊海英氏は、中国モンゴル自治区出身のモンゴル系帰化日本人である。楊氏は、産経新聞令和元年11月25日付で、習主席を「国賓」として招くことは安倍政権の首を絞めると警告した。

 「そもそも世界最大の独裁政権の独裁者を国賓として呼ぶのには、国民の合意と理解を得なければならない。これは民主主義制度下では当然の手続きである。その国民の意思を軽視するのは、長期政権の驕(おご)りにみえる」と楊氏は言う」
 「中国が国内外に対して取っている行動は、民主主義制度が定着した日本とは相容(あいい)れないものばかりである。それにも関わらず密室で決定された独裁国家の独裁的指導者を招待する政策は民意を完全に否定するあるまじき行為である」
 「中国は自らの「亜細亜的後進性」を死守し、さらにはその後進性・独裁制を世界に広げる目的で中華周辺の諸民族を虐待し続けているし、近隣諸国にも侵略の手を伸ばしてきたのである。こうした「亜細亜的後進性」を拒絶せずに、かえって助長しようとする今の自民党政権は世界の潮流と逆行していると言わざるを得ない」と楊氏は、安倍政権の政策を批判する。
 そして、最も重要な指摘をしている。「習氏の来訪が決まると、宮中晩餐(ばんさん)会も催さなければならないし、恐らくは両陛下の訪中も要請されるだろう。外交儀礼上、要請に応じられた場合は独裁国家への訪問が陛下即位後の最初の外国旅行になる。
 これは、令和時代の幕開けに不適切な、天皇の政治利用である、と国民の誰もがそう考えている」と。
 今の段階では「国民誰もが」というのは誇張だが、天皇陛下の政治利用という指摘は、誠にそのとおりである。楊氏は、次のように警告と要望を書いている。「自民党政権がこのまま何人かの親中派議員に牛耳られているかぎり、国家戦略は見えず、次の選挙は危うい。国家百年の大計を誤らず、今一度、対中外交を抜本的に練り直すことが求められている」と。

 自由と人権を唱えている人たちが中国共産党を批判せず、方や天皇陛下の御即位を奉祝する人たちが国賓問題で沈黙しているのは、どうしたことか。彼らの自由主義や人権擁護、愛国心や尊皇心は、いずれも本物ではない。
 以下は、楊氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和元年11月25日

https://special.sankei.com/f/seiron/article/20191125/0001.html
「国賓」習氏は政権の首を絞める 文化人類学者・静岡大学教授・楊海英
2019.11.25

 安倍晋三内閣の大臣が先月相次いで辞任した。今の自民党政権のガバナンス能力の衰えが見え出したのはほかでもない中国の国家主席、習近平氏を来春に国賓として招待すると発表してからではないか、との見方が出ている。この状況を如何(いか)に理解すべきだろうか。

≪民主主義の日本と相容れず≫
 そもそも世界最大の独裁政権の独裁者を国賓として呼ぶのには、国民の合意と理解を得なければならない。これは民主主義制度下では当然の手続きである。その国民の意思を軽視するのは、長期政権の驕(おご)りにみえる。
 21世紀の現在、なぜ、特定の民族、ウイグル人を百万人単位で強制収容所に送り込み、あたかもナチスドイツのユダヤ人抹殺と同様な措置を取るのか。どうして人権を無視し続け、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏を事実上獄死させたのか。そして、英国が租借していた香港を復帰させた際には「50年間高度の自治政策は変わらない」と高らかに宣言しながら、「英国と交わした公文書はもはや歴史の屑箱(くずばこ)に捨てられるものだ」との詭弁(きべん)に転じ、市民と学生に向けて発砲するようになってきた。日本の領土である尖閣諸島海域にはほぼ毎日のように公船を侵入させ続ける狙いはどこにあるのか。
 中国が国内外に対して取っている行動は、民主主義制度が定着した日本とは相容(あいい)れないものばかりである。それにも関わらず密室で決定された独裁国家の独裁的指導者を招待する政策は民意を完全に否定するあるまじき行為である。
 おりしも、一部で根強い支持を誇る日本共産党は党綱領を改定し、中国の異質な行動を批判する姿勢をみせている。リベラル層は当然、こうした野党の行動を一層評価するにちがいない。保守層はもともと、習氏を国賓として招待した自民党政権に強い不満を抱いている。となると、次期衆議院選挙において、驕りと弛(ゆる)みに陥った自民党議員、それも中国に宥和(ゆうわ)的な議員たちに対し、厳しい審判が与えられるだろう。日本国民の8割が中国に好意的な印象を抱いていないという世論調査を受け止めた方がいい。

≪世界の潮流に逆行する≫
 現代中国は日本にとって、常に鬼門のような存在である。それは、日本が明治期から「脱亜」を実現できたのに対し、古い「亜細亜」の代表格である中国はずっと専制主義と強権体制の塊のような性質を放棄していないからである。「中国の亜細亜的後進性は革命を経ても変わらない」、とマルクスやウィットフォーゲル(『東洋的専制主義』)らも予想していた。日本は西洋由来の思想と制度を駆使して独自の近代化を実現させたし、ウイグルやチベット、それにモンゴルなどの諸民族も西方の文明に親和性を感じ、「亜細亜的後進性」との政治的関係を断ち切ろうとしたために、歴世の中国政府から弾圧されてきた。
 中国は自らの「亜細亜的後進性」を死守し、さらにはその後進性・独裁制を世界に広げる目的で中華周辺の諸民族を虐待し続けているし、近隣諸国にも侵略の手を伸ばしてきたのである。こうした「亜細亜的後進性」を拒絶せずに、かえって助長しようとする今の自民党政権は世界の潮流と逆行していると言わざるを得ない。
 日本国民は誰も習近平氏の中国と断交せよとは主張していない。2020年という特別な年に、国賓としての来日が不適切だ、との心情は国民に共有されている。というのも、来年には平和の祭典、オリンピック・パラリンピックが東京で開催される。前回、即(すなわ)ち1964年の東京オリンピックの年に中国は原爆実験を行い、国際平和に水を差した。今回は独裁者の来日で国民の平和を愛する気持ちに冷水を浴びせようと自民党はもくろんでいるようにすら見える。

≪対中外交の抜本的練り直しを≫
 平和祭典の熱気を冷ますだけではない。来年令和2年は、今上陛下の治世が世界に向けてスタートする。というのも、令和元年には即位を含めた諸種の宮中行事が重なり、両陛下の外国訪問も次年度以降になる見通しだ。習氏の来訪が決まると、宮中晩餐(ばんさん)会も催さなければならないし、恐らくは両陛下の訪中も要請されるだろう。外交儀礼上、要請に応じられた場合は独裁国家への訪問が陛下即位後の最初の外国旅行になる。
 これは、令和時代の幕開けに不適切な、天皇の政治利用である、と国民の誰もがそう考えている。五輪後の日本はどういう方向に向かうのか。次の目標は何なのか。もともと、国民には漠然とした一抹の不安があったが、自民党政権には次のビジョンが見えていないのだろうか。
 日本の対中宥和的姿勢に対し、同盟国の米国が心底どう考えているのかも問題である。こうした不安は「国賓」習氏の来訪によってさらに増幅されるだろう。自民党政権がこのまま何人かの親中派議員に牛耳られているかぎり、国家戦略は見えず、次の選挙は危うい。国家百年の大計を誤らず、今一度、対中外交を抜本的に練り直すことが求められている。
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