ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

岸田政権で憲法改正を実現しよう

2021-11-13 10:08:57 | 憲法
 衆議院議員総選挙後の憲法改正への動きについて、SNSに書いたものをまとめて掲示します。

2021.11.1
 衆院選で自民、公明、維新、国民など憲法改正に前向きな勢力は、国会発議に必要な総定数の3分の2(310議席)を維持しました(公示前 計338議席)。いわゆる改憲勢力は合計352議席。75.70%で、衆院の4分の3以上になります。また、参院では3分の2を確保しています。
 岸田首相は自民党総裁選で、自衛隊の根拠規定明記や緊急事態条項の創設などを柱とした4項目の党改憲案について、「総裁任期中の実現を目指す」と意欲を示しました。
 衆院選後、岸田首相は1日、自民党本部で開かれた記者会見で、「党是である改憲に向け、精力的に取り組む」「国民の理解を得るための活動もしっかり行う」「国民に(改憲についての)理解を広げていく余地はたくさんある。国民の理解を得ることが国会議員の行動にも影響する」と語り、憲法改正の前進に意欲を示したとのことです。
 令和版所得倍増政策もいいけれど、本来国家第一の課題は憲法改正です。岸田政権は、立憲・共産が後退した今を好機として、憲法改正実現に力を集中すべし。

2021.11.2
 一部の報道は、衆院選で改憲勢力が今回初めて国会発議に必要な総定数の3分の2に達したかのような伝え方をしています。誤解を生じやすい伝え方です。
 実際は、平成29年(2017年)10月22日に行われた衆議院議員解散総選挙は、自民党が圧勝して284議席、公明党29議席で与党が313議席を獲得しました。総定数465議席のうち憲法改正の国会発議に必要な3分の2となる310議席を超えました。当時新設の希望の党の50議席、日本維新の会の11議席を加えると、いわゆる改憲勢力は374議席となりました。実に80.43%です。
 今回の衆院選の結果は75.70%ですから、29年当時を下回っています。

2021.11.2
 衆議院で4倍近くに議席を増やし、大阪ローカルから全国民的な政党に飛躍した日本維新の会。松井一郎代表は、国会で来夏の参院選までに憲法改正原案をまとめて改正を発議し、国民投票を参院選の投票と同じ日に実施すべきだとの考えを示し、「投票率も上がるし、大きな選挙のテーマにもなる」と述べました。
 維新は、教育無償化や統治機構改革、憲法裁判所の設置に向け、憲法を改正するべきだと主張。国会の憲法審査会について、「立憲民主党や共産党のボイコットで前に進まない。ボイコットする側をいくら待っても仕方ない」「憲法審査会を正常化させ、スケジュールを決め、まともな議論をして、最終的には(国民投票で)国民に(憲法を改正するかどうか)決定していただくべきだ」と述べたと朝日新聞が伝えています。
 岸田首相は腹を決め、来夏、国民投票のスケジュールで、憲法改正をやりましょう!

2021.11.7
 日本維新の会の松井一郎代表が、「立憲民主党や共産党のボイコットで前に進まない。ボイコットする側をいくら待っても仕方ない」「憲法審査会を正常化させ、スケジュールを決め、まともな議論をして、最終的には(国民投票で)国民に(憲法を改正するかどうか)決定していただくべきだ」と述べたのに対し、国民民主党の玉木雄一郎代表が積極的な反応。

共同通信の記事より
 「国民民主党の玉木雄一郎代表は7日のフジテレビ番組で、日本維新の会と国会運営での連携を強化するため、9日にも両党の幹事長、国対委員長会談を開催すると明らかにした。
 玉木氏と同じ番組に出演した維新の吉村洋文副代表(大阪府知事)は、憲法審査会などで憲法改正論議の促進を目指す考えで一致した。吉村氏は『国民民主の皆さんとは非常に価値観が近いところがある。個々の政策や、法案などを実現するために協力していくのが非常に重要だ\』と強調した。改憲を巡り、玉木氏は『衆参両院の憲法審査会は毎週開いたらいい。議論するために歳費をもらっている。開かない選択肢はない』と語った」

2021.11.10
 日本維新の会の吉村洋文副代表(大阪府知事)は、国会の憲法審査会で慣例となっている全会一致の原則について「聞こえはいいが、決めない政治(の温床)になっている。やめたらいい」と持論を展開。自民党の姿勢もやり玉に挙げ「この原則を維持する限り、本気で憲法改正をやる気はないと思う。党是で改憲、改憲と言っているが『やるやる詐欺』だろう」と批判。「憲法を改正すべきだという意見が3分の2あるなら、国民に諮るのが当然だ」「最後(改正するかどうかを)決めるのは国会議員でなくて、国民だ。主権者の国民が判断させてもらえない状況になっている」「自民が本気かどうかの試金石は(改憲までの)スケジュールを定めるかどうか。スケジュールを決めないのであれば、やる気がないとしか言いようがない」と述べたとのことです。
 よく言ってくれました。
 岸田首相以下、自民党の国会議員は、真摯に受け止めるべし。
 吉村氏もここまで言うのなら、最も重要な第9条改正と緊急事態条項新設について党内の議論をまとめて、国民に問うべし。

2021.11.12
 岸田文雄氏が第101代内閣総理大臣に就任。第2次岸田内閣発足に当たり、岸田首相は「今回の総選挙の結果を踏まえ、党是である憲法改正を進めるため、党内の体制を強化する」と表明。「国民的議論のさらなる喚起と、国会における精力的な議論を進める」と語りました。
 改憲に向けて自民党の党内体制を強化するということですが、どのように強化するか、具体的でありません。来年の参院選で同時に憲法改正の国民投票を実施するというスケジュールを国民に示し、自民党の責任担当者を安倍晋三元首相としてはどうか。安倍氏が担当する以上に、党内体制を強化する方法はないと思います。

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憲法9条は国民の“命の敵”~門田隆将氏

2021-05-08 09:00:05 | 憲法
 作家・ジャーナリストの門田隆将氏は、産経新聞4月30日付で、憲法9条は国民の「命の敵」となったという表現で、9条の問題を鋭く指摘している。そして、9条の改正案を提示している。次の文章である。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和の維持と国民の生命・財産及び領土を守るために自衛隊を保有し、いかなる国の侵略も干渉も許さず、永久に独立を保持する」

 以下は、門田氏の文章の全文。

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●産経新聞 令和3年4月30日付

国民の“命の敵”となった憲法9条 作家・ジャーナリスト・門田隆将
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20210430/0001.html

 陸海空の戦力保有と国の交戦権を否定した憲法9条は、平和憲法の象徴として左派勢力によって神聖化されてきた。しかし、逆にその条項が国民の「命の敵」と化していることについて論考したい。

≪国際情勢の激変の中で≫
 まもなく施行から74年を迎える日本国憲法は成立以来、一言一句変わっていないという意味で「世界最古の憲法」である。
 同じ第二次大戦の敗戦国でもドイツは連合国の介入を押しのけ、1949年5月、政治家・法律家で構成する議会評議会で条文を起草し、ドイツ連邦共和国基本法を定めた。その後も六十余回改正し、内外の状況変化に対応してきた。その意味で全く変わらない日本国憲法とは対(つい)を成している。
 では、なぜ日本国憲法が国民の「命の敵」となってきたのか。
 戦後76年という歳月は、想像もつかない国際情勢の変化を生んだ。だが直近の10年、特にこの5年の変化は凄(すさ)まじい。理由は中国の「力による現状変更」にある。私はこの激変まで熱心に憲法改正を説いていたわけではなかったことを先に告白しておく。
 戦後長く続いた米ソ冷戦下で憲法改正の必要性は現在ほど高くはなかった。冷戦の最前線が欧州だったからだ。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊し、共産主義国が次々瓦解(がかい)し、遂(つい)には盟主・ソ連も解体、ロシアとなった。安全保障を米国に丸投げし、その核の傘の下で日本は平和を享受できたのである。だが、やがて国際秩序を破壊する国が登場した。

≪中国の侵攻への「対策なし」≫
 中華人民共和国である。1949年の建国以降、チベット、ウイグル、南モンゴルを版図(はんと)に収め、香港の人権を踏み潰(つぶ)し、台湾への侵攻意図を隠しもしない国だ。南シナ海では他国の排他的経済水域内の岩礁を埋め立てるなど軍事基地化し、日本には尖閣を自国領土と宣言し、連日、領海侵入を繰り返している。
 「必要があれば、いつでも武力で我が国の領土(※尖閣のこと)を守る準備はできている」
 軍幹部が常に発するこの言葉は、いつでも尖閣を奪取するという意志表明にほかならない。つまり東アジアは、どの国も中国の脅威に晒(さら)されているのだ。
 ポイントは、習近平国家主席が2013年以来広言している「偉大なる中華民族の復興」にある。建国百年の2049年までに世界の覇権奪取を実現することを意味する言葉だ。これは、かつて歴代の王朝が誇った「華夷(かい)秩序」を強く意識している。中華帝国が世界の中心にあり、まわりの蛮族(ばんぞく)は帝国につき従い、朝貢するものだ。中華民族にとっては、これが世界の理想の形なのである。
 さらにこの言葉には前段がある。「百年の恥辱」への恨みを晴らす、というものだ。偉大なる中華民族の復興は、アヘン戦争以来の百年の恥辱を晴らした上で実行されるのである。大都市に創(つく)られた租界、満洲国の建国、百万を超える大兵力投入による大陸支配。中国が恨みを晴らす主敵が「日本」であることを忘れてはならない。しかし日本には中国の侵攻への対策は何もない。相変わらず米国一国に頼っているだけである。
 欧州は1949年、NATO(北大西洋条約機構)を創設し、集団的自衛権の抑止力によってソ連に対抗する方策を取った。ソ連が加盟国を攻撃すれば、全体への攻撃とみなして「全体で反撃する」というものだ。この集団安保体制は72年間、ソ連そしてロシアの侵攻から欧州を守っている。

≪抑止力で平和守る改正私案≫
 2000年以降、NATO入りの成否で明暗を分けた国がある。「バルト三国」と「ウクライナとジョージア」だ。ラトビア、リトアニア、エストニアのバルト三国は、ロシアの介入に苦戦しながらもNATO入りを果たす。一方、ウクライナとジョージアは国内の親ロ勢力が強く、世論構築ができず加盟できなかった。ウクライナはクリミア併合、ジョージアも2州独立という目に遭(あ)ったことは記憶に新しい。政財官マスコミが中国に侵蝕(しんしょく)されている日本と極めて酷似しているだけに恐ろしい。
 集団的自衛権の抑止力によって平和を守る-米国一国でなく、各国がスクラムを組み、アジア版NATOを創設し、中国の力による現状変更を止めなければならない。だが、日本には集団的自衛権を否定する憲法9条があり、それが叶(かな)わない。憲法が国民の「命の敵」と化した理由がそこにある。集団的自衛権の獲得は急務であり同時に自衛隊の合憲化も不可欠。この2点を踏まえ、私は具体的な憲法9条改正案を提案したい。

 憲法9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。わが国は、国際平和の維持と国民の生命・財産及び領土を守るために自衛隊を保有し、いかなる国の侵略も干渉も許さず、永久に独立を保持する。

 家族や子孫の命を守るために私たちは歴史への使命を果たさなければならない。(かどた りゅうしょう)
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感染症の真の危機に備え法制度の整備を~百地章氏

2020-12-12 11:03:48 | 憲法
 中国・武漢発の新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。12月12日現在で、世界の感染者数は6987万人、死亡者数は158万人となった。米国での感染者増加が収まらない。ヨーロッパでは感染者が激増している。わが国は感染拡大の第3波が起こり、感染者が急増している。冬の寒さが進むにつれ、北半球での被害は一層深刻化すると見られる。
 そうした中、イギリスでファイザー製のワクチンの投与が始まった。米国が間もなくこれに続く。ワクチンは、どの程度、実効性があるかは数カ月たたないと分からない。やはり副作用の恐れはある。アレルギー反応を経験したことのある人が、接種後、強いアレルギーを起こした例が報告されている。
 わが国の対応を振り返ると、本年4月7日に安倍前首相が緊急事態宣言を発令し、外出の自粛や夜間営業の時間短縮等が求められた。法的強制力がなく、要請や指示に従わなくとも罰則はないという緩やかなものだったが、それでも多くの日本人は自主的に行動を慎んだので、緊急事態宣言は一定の効果を生んだ。感染者が減少したことから、5月26日に宣言が全面解除された。この間、社会経済活動が大幅に縮小したため、生活への影響が大きく、健康を守ることと経済を動かすことのバランスを取る必要が生じた。宣言の解除後、全国的に社会経済活動が一定程度、回復された。だが、規制を緩和すると7月から再びコロナウイルスの感染が拡大し、感染の第2波が生じた。わが国は、この第2波を抜け出すことが出来ぬまま、11月から第3波に突入した。第1波、第2波を遥かに上回る感染者・重症者・死亡者が出ており、かつ増加傾向にある。
 世界各地で感染拡大が続くと、そのうちウイルスが大きく変異し、強毒化する恐れもある。その場合は、このたび開発されたワクチンは効かないと予想されている。わが国は、今後、強毒化したウイルスが襲来する可能性も意識しておく必要がある。
 国士舘大学特任教授・日本大学名誉教授の百地章氏は、産経新聞令和2年5月4日付の記事で、感染症の真の危機に備え、憲法を含む法制度を整備することを提案している。
 安倍前首相が4月7日に発令した緊急事態宣言は、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づくものだった。百地氏は、この特措法は「緊急事態に備えた法といいながら、実のところ危機管理の在り方に逆行した法構造になっている」と問題点を指摘する。
 百地氏は、第一の問題点として、「最悪の事態に備え先ず厳しく」ではなく、逆に「必要最小限度の規制から」という特措法の考え方を挙げる。必要最小限度の規制という考え方を示すのは、第5条である。「同条には『国民の自由と権利を制限する際には、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない』とある。それ故、この条文に忠実に従うならば、規制も徐々に行うのが自然となろう。例えば、先ず『外出の自粛要請』を行い、十分な効果が得られなければ次に『休業要請』ということになる」と百地氏は解説する。
 次に、百地氏は、第二の問題点として、「権力の所在が国と地方に分散し、しかも、地方に比重が置かれていること」を挙げる。「緊急事態宣言の発出は首相の権限だが、実際に緊急措置権を行使するのは都道府県知事とされている。『地域主権』を掲げた民主党政権の発想によるものだが、これでは緊急事態において大統領や首相に権限を集中している諸外国の憲法とは発想が逆だ。特措法上、国ができるのはせいぜい『基本的対処方針』を定めた上で各県知事らと総合調整を行うくらいのもので、首相は陣頭指揮に立てない。これでは、外出の自粛要請や休業要請など様々な権限を持ち、前面に立って指揮を執る知事に、敵うはずがない」と百地氏は解説する。
 これら2つの問題点を指摘したうえで、百地氏は「特措法は軍隊でいう『逐次投入』のような拙劣な構造になっている」と指摘する。軍事における戦力の逐次投入は、最悪の戦術とされる。危機管理における資源の投入においても、逐次投入は下手な対応の代表例とされる。「しかも」と百地氏は、追記する。「首相には実質的な権限は与えられていない。そのうえ『必要最小限』の縛りがあるため、外出の制限にしても『禁止』ではなく、あくまで『自粛要請』しかできない」と。
 こうした特措法の問題点を理解する時、武漢ウイルス感染拡大への政府の対応が遅く、また中途半端となっているのは、特措法の欠陥に大きな原因があることが分かる。現行の特措法は新型インフルエンザ等への対策を規定したものであって、武漢ウイルスのような新型インフルエンザとは比べものにならないほど強力な病毒に対応できるものとなっていないのである。
 百地氏は、言う。「今後、感染の蔓延が収束したとしても、第二波、第三波の襲来が予想される。今回よりもさらに悪質で感染力の強い感染症がいつ又発生するかも分からない。であれば、特措法を抜本的に見直し、真の危機に対処できるよう法整備を行うべきであろう」と。百地氏は「取りあえず、外出の制限については、場合によっては外出禁止命令を出して厳しく規制することなども考えなければなるまい」と書いているが、外出以外についても要請や指示ではなく命令が出せるようにし、また命令に従わない場合は罰則を科す規定に改める必要があると私は思う。
 百地氏は、特措法の改正と共に、「今こそ、諸外国並みに憲法に緊急事態条項を定めておく必要があると思われる」と主張する。「例えば感染症の蔓延により国会が集会できない場合の内閣による緊急政令権や定足数の特例、さらに国政選挙が実施できないときに備えた国会議員の任期延長などは、憲法に根拠を定めておくしかない。あるべき憲法を目指して、まずできるところから取り組もうではないか」と呼びかけている。憲法の緊急事態条項に何を盛り込み、関連する法律に何を盛り込むかには、いろいろな考え方があるだろう。だが、個々の法律だけでは、仮にそれが罰則による強制力を伴うものであったとしても、定め得ないのが、百地氏が例示する内閣や国会に関する事項である。
 百地氏は、この記事の冒頭部分で、国会において衆参憲法審査会が開催されていないことについて、「2年以上も野党の横暴が抑えられず、譲歩に譲歩を重ねてきた自民党の責任は重い。今こそ審査会長は、審査会規程に従って職権で審査会を開き、目下の急務である緊急事態法制について積極的な論議を開始すべきだ」と主張した。残念ながらその後、今日まで憲法審査会で本件課題について実質的な議論はされていない。何も議論されないまま通常国会は閉会した。緊急事態が発生した時、国権の最高機関である国会をどうするのかを検討し、必要なことを決めておくのは、他でもない国会議員の責任である。その議論すらしようとしない国会議員は、国民が選挙で国会から駆除するのみである。
 以下は、百地氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和2年5月4日

真の危機に備え法制度の整備を 国士舘大学特任教授 日本大学名誉教授・百地章
2020.5.4

≪職権で憲法審査会の開催を≫
 3月27日、令和2年度予算が成立し、国会では各委員会で本格的な審議が始まった。しかし日本維新の会を除く野党の反対で一度も開かれていないのが、衆参憲法審査会である。それどころか衆議院では開催の日程を決める与野党の幹事懇談会さえ、野党の反対で目途が立っていない。
 野党筆頭幹事(立憲民主党)のいう反対理由は「コロナ対策があるので今は応じられない」という胡乱(うろん)なものだ。これが武漢肺炎問題が本格化してからも桜を見る会や森友問題にうつつを抜かしてきた党のいう言葉か。
 他方、2年以上も野党の横暴が抑えられず、譲歩に譲歩を重ねてきた自民党の責任は重い。今こそ審査会長は、審査会規程に従って職権で審査会を開き、目下の急務である緊急事態法制について積極的な論議を開始すべきだ。
 新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づく安倍晋三首相の緊急事態宣言については、多くの国民が評価した。しかし宣言の遅れに対して、国民の目は厳しい。また宣言と同時に政府が国民に要請したのは「外出の自粛」だけで、「休業要請」は含まれなかった。
 これに対して、東京都知事は首相の宣言に先立って「外出の自粛要請」だけでなく大幅な「休業要請」まで打ち出した。それどころか、法的根拠のない東京都のロックダウン(都市封鎖)まで口走った。知事の行動に対しては、都知事選向けのパフォーマンスだとの批判も少なくない。しかし「最悪の事態に備えて先ず厳しく」というのが危機管理の要諦だから、武漢肺炎の蔓延(まんえん)に不安を抱く国民が都知事の行動を高く評価したことは、理解できなくもない。
 とはいうものの、わが国は法治国家である。それゆえ都知事も当然、特措法に従って行動しなければならない。それを無視した行動を手放しで称えて良いのか。

≪危機管理に逆行する特措法≫
 初動をめぐる混乱の原因はさまざまだろうが、一つは、特措法にある。というのは、特措法は緊急事態に備えた法といいながら、実のところ危機管理の在り方に逆行した法構造になっているからである。その第一が、「最悪の事態に備え先ず厳しく」ではなく、逆に「必要最小限度の規制から」という特措法の考え方である。これを示すのが第5条だ。
 同条には「国民の自由と権利を制限する際には、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」とある。それ故、この条文に忠実に従うならば、規制も徐々に行うのが自然となろう。例えば、先ず「外出の自粛要請」を行い、十分な効果が得られなければ次に「休業要請」ということになる。
 とすれば、先ず2週間の自粛要請を行い、その後休業要請を行おうとした政府こそ、特措法を忠実に適用したことにならないか。逆に、「外出」と「休業」の要請を同時に行い、しかも休業対象を国より拡大しようとした都知事のやり方こそ、特措法と矛盾することになろう。
 特措法の第二の問題点は、権力の所在が国と地方に分散し、しかも、地方に比重が置かれていることだ。緊急事態宣言の発出は首相の権限だが、実際に緊急措置権を行使するのは都道府県知事とされている。「地域主権」を掲げた民主党政権の発想によるものだが、これでは緊急事態において大統領や首相に権限を集中している諸外国の憲法とは発想が逆だ。
 特措法上、国ができるのはせいぜい「基本的対処方針」を定めた上で各県知事らと総合調整を行うくらいのもので、首相は陣頭指揮に立てない。これでは、外出の自粛要請や休業要請など様々な権限を持ち、前面に立って指揮を執る知事に、敵(かな)うはずがない。

≪憲法に緊急事態条項を≫
 このように、特措法は軍隊でいう「逐次投入」のような拙劣な構造になっている。しかも首相には実質的な権限は与えられていない。そのうえ「必要最小限」の縛りがあるため、外出の制限にしても「禁止」ではなく、あくまで「自粛要請」しかできない。
 今後、感染の蔓延が収束したとしても、第二波、第三波の襲来が予想される。今回よりもさらに悪質で感染力の強い感染症がいつ又発生するかも分からない。
 であれば、特措法を抜本的に見直し、真の危機に対処できるよう法整備を行うべきであろう。取りあえず、外出の制限については、場合によっては外出禁止命令を出して厳しく規制することなども考えなければなるまい。
 それと共に、今こそ、諸外国並みに憲法に緊急事態条項を定めておく必要があると思われる。
 例えば感染症の蔓延により国会が集会できない場合の内閣による緊急政令権や定足数の特例、さらに国政選挙が実施できないときに備えた国会議員の任期延長などは、憲法に根拠を定めておくしかない。あるべき憲法を目指して、まずできるところから取り組もうではないか。(ももち あきら)
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武漢ウイルス対応を踏まえて、憲法に緊急事態条項を定める議論を~百地章氏

2020-06-09 14:35:37 | 憲法
 4月7日、安倍首相が緊急事態宣言を発出した。当初の対象地域は7都府県だったが、その後、全国に拡大した。5月25日に全面解除となったが、この間、具体的な緊急措置を行なったのは、各都道府県の知事だった。首相ではない。各自治体の事情が尊重される反面、全国一斉の統一的な措置をすることができない。
 わが国の緊急事態宣言は、名称は諸外国と同じだが、法的強制力がなく、要請や指示に従わなくとも罰則はないという緩やかなものである。この点、イタリア、フランス、米国等では買い出しなど一部を除いて外出や移動を原則禁止し、違反した場合は罰金を科すとした。カナダでは違反者に最大76万カナダドル(約5800万円)の罰金か禁錮6カ月を科すとした。インドでは13億人の国民を外出禁止とし、違反した場合は罰金だけでなく最大6カ月の拘束を行なうとした。
 わが国の緊急事態宣言が法的強制力を持たないのは、憲法に緊急事態条項がなく、緊急事態において私権を一時的に一定程度、制限し得ると定められていないからである。それゆえ、もしオーバーシュートが起こり、感染者・死者が爆発的に増加してしまったら、欧米諸国がやってきたような厳しい措置が出来ず、収拾がつかなくなってしまうおそれがある。
 憲法学者の百地章氏は、産経新聞令和2年3月27日付に「武漢ウイルス、特措法で大丈夫か」と題した記事を書いた。
 わが国で、武漢ウイルスを「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(平成24年)の対象に加えるための改正法は3月13日に成立した。百地氏は、改正特措法の内容についえて、私権(財産権などの私法上の権利)の制限に当たる緊急措置は、次の通りだと説明する。

 「特措法によれば、新型ウイルス感染が国内で発生し、全国的かつ急速な蔓延(まんえん)によって国民生活と国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある場合、首相が『緊急事態宣言』を行い(32条1項)、蔓延防止のため知事は以下のような権限を行使できる。

・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を『要請』(45条1項)
・学校、社会福祉施設、興行場等に対し使用制限や停止等の措置を講ずるよう『要請』し(同条2項)、正当な理由がないのに応じない時は措置を講ずるよう『指示』(同条3項)
・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要があるときは、『所有者の同意』を得て、土地等を使用(49条1項)。正当な理由がなく同意が得られないときは、同意なしに利用(同条2項)
・緊急事態措置の実施に必要な医薬品、食品などの物資で、販売、輸送業者等が取り扱うものについて、その所有者に『売渡し』を『要請』(55条1項)。正当な理由がないのに要請に応じないときは収用(同条2項)
・必要物資の収用のための立ち入りや検査(72条)
・緊急の必要があるときは、それらの物資の生産、販売、輸送業者らに保管を命じ(55条3項)命令に従わず物資を隠匿などした者に6月以下の懲役または30万円以下の罰金(76条)
・国会が集会できない時は、内閣が金銭債務の支払い延期等のための政令を制定(58条1項)」

 これらが、私権の制限に当たる緊急措置に当たる事柄である。百地氏は、「大部分が『命令』ではなく『要請』や『指示』にとどまり、強制力はない。また必要物資の保管命令に従わない場合の『罰則』も、物資を隠匿したりした場合に限られている」と解説する。
 百地氏は、「危機管理の要諦は『想定外の事態』にも対処できるようにしておくことであるといわれる。しかし、武漢ウイルスのパンデミックによる緊急事態は、想定外どころかいわば目の前で起こっている危機であり、いつ日本で爆発的感染が発生するかもわからない。にもかかわらず、わが国の特措法ではそのような本当の緊急事態に効果的に対処する方法を定めていない。それゆえ、万一イタリアのように感染の爆発的拡大や医療崩壊が生じたら大変なことになろう」と懸念を述べている。そして、「国会はさらに実効性のある法制度を検討するとともに、憲法の中に法律上の緊急措置を担保するための緊急事態条項を定めるよう、活発な論議を始めるべきだ」と主張している。
 私は、憲法に緊急事態条項を定めることに賛成であり、そのことを20数年前から一貫して主張している。
 百地氏は、「憲法は、国民のすべての権利・自由が『公共の福祉』によって制限されうることを明記し(12条、13条、22条、29条)、民法も冒頭で『私権は、公共の福祉に適合しなければならない』(1条1項)と明言している。にもかかわらずそのことを忘れ、『私権』を絶対視するかのような言説が目立つ。これでは真の緊急事態において、国が国民の命と健康を守ることはできない」と指摘している。全くその通りである。現行憲法は、個人の権利の保障に厚い反面、個人の義務が少なく、個人の自由を尊重する反面、個人の責任を軽視している。そのために、緊急事態において公共の利益を守るために私権の制限をすることができず、多くの尊い人命が失われたり、大切な財産が失われたならば、取り返しがつかない。自分のためは、みんなのため、みんなのためは自分のためなのである。国民はそのことをよく考える必要があると思う。その点は、ほそかわ憲法私案に私見を書いている。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08h.htm
 武漢ウイルスの感染拡大は、第二波、第三波がいつ起こっても不思議ではない。今回の経験を踏まえて、憲法に感染症対応を含む緊急事態条項を新設すべきである。
 以下は、百地氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和2年3月27日

武漢ウイルス、特措法で大丈夫か 国士舘大学特任教授、日本大学名誉教授・百地章
2020.3.27

 中国・武漢発の新型ウイルスの感染者と死亡者は世界的規模で拡大しており、欧米各国も相次いで緊急事態宣言を行ったり、厳しい緊急措置を取りだした。
 わが国でも、武漢ウイルスを「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(平成24年)の対象に加えるための改正法が3月13日成立した。ところがこの平成24年特措法の定める「緊急事態宣言」や緊急措置に対しては、警戒する声や私権制限への批判が少なくない。

≪特措法は第一歩にすぎない≫
 特措法によれば、新型ウイルス感染が国内で発生し、全国的かつ急速な蔓延(まんえん)によって国民生活と国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある場合、首相が「緊急事態宣言」を行い(32条1項)、蔓延防止のため知事は以下のような権限を行使できる。

・みだりに外出しないなど、感染防止に必要な協力を「要請」(45条1項)
・学校、社会福祉施設、興行場等に対し使用制限や停止等の措置を講ずるよう「要請」し(同条2項)、正当な理由がないのに応じない時は措置を講ずるよう「指示」(同条3項)
・臨時の医療施設を開設するため土地、家屋、物資を使用する必要があるときは、「所有者の同意」を得て、土地等を使用(49条1項)。正当な理由がなく同意が得られないときは、同意なしに利用(同条2項)
・緊急事態措置の実施に必要な医薬品、食品などの物資で、販売、輸送業者等が取り扱うものについて、その所有者に「売渡し」を「要請」(55条1項)。正当な理由がないのに要請に応じないときは収用(同条2項)
・必要物資の収用のための立ち入りや検査(72条)
・緊急の必要があるときは、それらの物資の生産、販売、輸送業者らに保管を命じ(55条3項)命令に従わず物資を隠匿などした者に6月以下の懲役または30万円以下の罰金(76条)
・国会が集会できない時は、内閣が金銭債務の支払い延期等のための政令を制定(58条1項)

≪万一爆発的感染が生じたら≫
 私権(財産権などの私法上の権利)の制限に当たる緊急措置はこの通りだ。つまり、大部分が「命令」ではなく「要請」や「指示」にとどまり、強制力はない。また必要物資の保管命令に従わない場合の「罰則」も、物資を隠匿したりした場合に限られている。
 「緊急事態宣言」は国民に警戒を呼び掛けると共に、国が責任をもって国民の生命や健康を守るとの決意表明ともいえよう。しかも緊急措置を行うのは首相ではなく知事である。にもかかわらず、国民の命と健康を守るための一時的な「私権制限」さえ危険視し、3月14日の安倍晋三首相の記者会見では、宣言によって私権が制限され、やがて「安倍独裁」に繋(つな)がらないかなどという質問まで出た。
 幸い、政府による大規模イベントの自粛や全国の小中高校の一斉休校要請などによって、現在、わが国では感染の拡大は抑制されている。しかし、専門家会議は予断を許さないという。
 感染の爆発的な拡大や医療崩壊は世界的に発生しており、中国と違って人権の手厚く保障されている欧米各国でさえ、国民の外出や移動の禁止、商店の閉鎖などを次々と行い始めた。
 フランスでは買い物などを除き全土で国民の外出を禁止し、移動のための通行証まで発行しだした。米国ではトランプ大統領が国家非常事態を宣言し、カリフォルニア州では実質的な外出禁止令が出された。英国も、全国の学校を閉鎖している。中国を超える死者を出したイタリアでも3月10日から国内全域で移動制限を行い、理由なく外出した者に罰金まで科している。また、商業活動も大幅に制限されるようになった。

≪憲法にも緊急事態条項を≫
 危機管理の要諦は「想定外の事態」にも対処できるようにしておくことであるといわれる。しかし、武漢ウイルスのパンデミックによる緊急事態は、想定外どころかいわば目の前で起こっている危機であり、いつ日本で爆発的感染が発生するかもわからない。
 にもかかわらず、わが国の特措法ではそのような本当の緊急事態に効果的に対処する方法を定めていない。
 それゆえ、万一イタリアのように感染の爆発的拡大や医療崩壊が生じたら大変なことになろう。
 憲法は、国民のすべての権利・自由が「公共の福祉」によって制限されうることを明記し(12条、13条、22条、29条)、民法も冒頭で「私権は、公共の福祉に適合しなければならない」(1条1項)と明言している。にもかかわらずそのことを忘れ、「私権」を絶対視するかのような言説が目立つ。これでは真の緊急事態において、国が国民の命と健康を守ることはできない。
 国会はさらに実効性のある法制度を検討するとともに、憲法の中に法律上の緊急措置を担保するための緊急事態条項を定めるよう、活発な論議を始めるべきだ。(ももち あきら)
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憲法に感染症対応を含む緊急事態条項創設の議論を~西修氏

2020-02-22 08:45:04 | 憲法
 駒沢大学名誉教授の西修氏は、令和2年2月19日付の産経新聞の記事で、新型コロナウイルス問題に関して、憲法に感染症を含む緊急事態条項を設ける議論を提案した。
 世界的規模の感染拡大について、自民党の幹部や日本維新の会の馬場伸幸・幹事長らは、国家緊急事態条項の新設を考える契機になるのではないかと述べた。 これに対して、立憲民主党の枝野幸男代表は「人命に関わっている問題を憲法改正に悪用しようとする姿勢は許されない」と批判し、公明党の山口那津男代表ら同党の幹部も、消極的な発言をしているが、西氏は「人命に関わる重大な事案であるからこそ、憲法レベルで論議すべきではないのか」と問いかけている。
 西氏は、各国憲法に緊急事態との関連で感染症がどのように扱われているのかを調査した。その結果、エチオピア、ホンジュラス、ヨルダン、ネパール、台湾、トルコなど、少なくとも18カ国・地域の憲法に「一定の地域に予想を超えて発生する感染症」(エピデミック)、「世界的に流行する感染症」(パンデミック)が、戦争や内乱、大規模な自然災害などとともに、「国家的緊急事態」のなかに包摂されていることが分かったという。 ネパールでは、2015年の新憲法で「重大な緊急事態」にエピデミックが挿入された。またトルコでは、2017年の改正により、憲法にパンデミックが加えられた。
 西氏は、「今日、憲法に国家緊急事態条項を設定するのは、世界の憲法常識といえる。ちなみに、私が1990年以降に制定された104の憲法を調査したところ、同条項を欠いている憲法は皆無であった」と書いている。そして、 「緊急事態対処条項の本質は、予測し得ない緊急事態が発生した場合に、国の独立と平和、国民の生命と身体を防護し、もって憲法秩序の回復をはかる点にある。この点を理解すれば、与野党の別なく、議論が集約されるはずだ。その具体的ありようを真摯(しんし)に議論すべき場である憲法審査会の審議が、遅々として進んでいない。怠慢きわまりない。一刻も早く審議が進むことを心底から願いたい。」と訴えている。
 以下は西氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和2年2月19日

新型肺炎、憲法レベルで論議を 駒沢大学名誉教授・西修
2020.2.19

 昨年の12月初旬に中国湖北省の武漢市で発生した新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。
 中国本土では18日午前0時現在、感染者は7万2436人、死者1868人に達し、世界各地に波及している。わが国では80代の女性が死亡し、中国への渡航歴のない医師や、経路不明の感染者が各地で続出している。

≪世界の緊急条項と感染症≫
 このような世界的規模の感染拡大について、自民党の幹部や日本維新の会の馬場伸幸・幹事長らは、国家緊急事態条項の新設を考える契機になるのではないかと述べた。
 これに対して、立憲民主党の枝野幸男代表は「人命に関わっている問題を憲法改正に悪用しようとする姿勢は許されない」と批判し(産経新聞2月1日付)、公明党の山口那津男代表ら同党の幹部も、消極的な発言をしている。
 人命に関わる重大な事案であるからこそ、憲法レベルで論議すべきではないのか。
 私は、各国憲法に緊急事態との関連で感染症がどのように扱われているのかを調査してみた。
 その結果、エチオピア、ホンジュラス、ヨルダン、ネパール、台湾、トルコなど、少なくとも18カ国・地域の憲法に「一定の地域に予想を超えて発生する感染症」(エピデミック)、「世界的に流行する感染症」(パンデミック)が、戦争や内乱、大規模な自然災害などとともに、「国家的緊急事態」のなかに包摂されていることが分かった。
 このうち、ネパールでは、1990年の旧憲法には入れられていなかったが、2015年の新憲法で「重大な緊急事態」にエピデミックが挿入された。またトルコ憲法(1982年)は、2017年の改正により、パンデミックが加えられた。
 世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は、「今回の新型コロナウイルスはテロよりも大きな脅威である」と語った。中国の習近平国家主席は「人民戦争」と名づけている。

≪なぜ現行憲法にないか≫
 百地章・国士舘大学特任教授は、現行法では対処に限界があること、終局的には憲法の定める居住・移転の自由(22条1項)や人身の自由(31条)との関係が問われることになると指摘している(2月12日付本欄)。
 このようなことにかんがみれば、今回の新型コロナウイルスへの対応を憲法改正との関連で考察の一材料にしようというのは、ごく当然のことだ。決して「悪用」ではない。
 現行憲法になぜ「緊急事態対処条項」が入れられなかったのか。政府の当初案には、国会が召集できない場合の緊急措置条項が設けられていたが、連合国軍総司令部(GHQ)によって拒否された。
 GHQ側は、憲法に明示されていなくても、行政府にはエマージェンシー・パワー(緊急権)が認められるので、それで対応すれば十分だというのである。エマージェンシー・パワーとは、国家に緊急事態が発生すれば、行政府は既存の法律に反しない限り、必要なあらゆる措置を講じることができるという英米法に基礎をおく考え方である。
 しかし、このような考え方は、法律に明示されていることしかできないという明治憲法以来とってきたわが国の法体系とは異なる。そこで、日本側はしつこく談じ込み、何とか54条2項と3項に参議院の緊急集会の規定を導入することができた。
 この参議院の緊急集会は、衆議院が解散中に参議院が暫定的な措置をとるものであって、国民の権利の一時的制約を伴うものではなく、本来の意味の緊急事態条項とはいえない。

≪国民の命守る本質理解を≫
 今日、憲法に国家緊急事態条項を設定するのは、世界の憲法常識といえる。ちなみに、私が1990年以降に制定された104の憲法を調査したところ、同条項を欠いている憲法は皆無であった(拙著『憲法の正論』産経新聞出版、令和元年)。
 自民党の「たたき台素案」では、「緊急事態対応」として、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」に限定し、暫定的に政令を制定することと、衆参両院議員の任期の特例を定めることができる改正案を提示している。
 各国憲法は、外部からの武力攻撃や内乱など正当な憲法秩序が維持されない場合を主要な対象としている。このような憲法動向からみて、自民党素案はいささか制約的すぎる感じがする。
 緊急事態対処条項の本質は、予測し得ない緊急事態が発生した場合に、国の独立と平和、国民の生命と身体を防護し、もって憲法秩序の回復をはかる点にある。
 この点を理解すれば、与野党の別なく、議論が集約されるはずだ。その具体的ありようを真摯(しんし)に議論すべき場である憲法審査会の審議が、遅々として進んでいない。怠慢きわまりない。一刻も早く審議が進むことを心底から願いたい。(にし おさむ)
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https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 
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「待ったなし! 憲法改正の国会論議」全国大会の報告

2018-12-07 14:26:20 | 憲法
 憲法改正をめざす国民運動を展開している「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、12月5日都内の砂防会館で、「待ったなし! 憲法改正の国会論議」と題して全国大会を開催しました。私は一賛同者として参加しました。

 「国民の会」は平成26年に憲法改正賛同者拡大運動を開始し、本年1月に目標の1,000万人署名を達成しました。この度の集会では、署名1,005万人、国会議員署名408名、地方議会決議36都府県議会と報告され、衆参国会議員110名、同代理123名、全国からの賛同者約1,100名が参集しました。



 同会の共同代表を務める櫻井よしこ氏は、基調提言で「憲法改正の発議を国会議員にお願いする時期は過ぎた。お願いする立場から要請する立場に移り、国民投票を一日も早く実現したい。今日の大会は、その第一歩としたい」と訴えました。
 自民党、公明党、日本維新の会、希望の党、未来日本の代表が挨拶し、憲法改正に向けての各党の考え方や取り組みを述べました。各党は、憲法改正に向けてさまざまな改正・新設の項目を揚げましたが、最大の焦点である9条について、改正を具体的に訴えたのは、自民党と希望の党のみでした。維新の会は、9条に関する議論を進めることを明らかにするに留まりました。
 これに対し、民間団体や地方議会の代表者から、憲法改正・国民投票の実現を求める熱いメッセージが発せられました。

 満場一致で採択された声明文は、「今後、衆参憲法審査会での憲法論議の充実と超党派による合意形成、さらに早期の国会発議と国民投票実現をめざし、次のことに取り組む」として、下記の二項目を掲げました。

一、各党が、政局を離れて憲法審査会での審議を促進し、改正原案作成に向けた合意形成に努めるよう要望する。
一、全国の選挙区に、国民投票に向けた啓発活動の推進拠点を設立し、憲法改正の国民的論議を地方から醸成する。

 まずは、第一項の通り、憲法審査会がまともな議論の場として機能し、国家の根本問題がまともに議論されるようにならねばなりません。次に、第二項について補足すると、全国289ある衆議院小選挙区のすべてに国民投票の連絡会議を設立するというもので、既に202が開設されており、年内に全区での達成が目指されています。

 現在、国会では、具体的な改正案を作成したり、積極的に議論に臨もうとする政党がある一方、野党のうち6党は憲法審査会の開催自体に反対しています。こうした国会の現状は国民の現状の表れであり、戦後日本人の多数が自己本来の日本精神を失って、精神的に分裂状態に陥っていることの反映です。
 今後、日本精神の復興が進めば、国民の意識が変わり、国会議員の議論も変わるでしょう。これから、どこまで国民及び国会議員の意識を高められるか。それによって憲法改正の成否が決まり、また改正内容も変わってくると思います。私たち日本を愛する日本人は、最善の努力をすべき時にあります。頑張りましょう。

安倍首相が自民総裁三選と憲法改正に意欲

2018-07-22 13:44:51 | 憲法
 安倍首相が7月20日の記者会見で、自民党総裁3選に意欲を示し、憲法改正への強い意志を表すとともに、憲法改正が総裁選の大きな争点になると明言しました。

 「本日も3万人を超える自衛官の皆さんが今般の豪雨災害(註 西日本豪雨)の被災地において行方不明者の捜索や、あるいは給水、入浴、そしてまたゴミの処理などに本当に懸命にあってくれています。連日猛暑が続く過酷な現場でも被災者の皆さんのために、黙々に献身的に任務をまっとうする自衛隊の諸君はまさに国民の誇りだと思います」
 「私は毎年、防衛大学校の卒業式に総理大臣と出席し、そして任官したばかりの若い自衛官たちから『事に臨んでは危険を顧みず、責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える』。この重たい宣誓を総理大臣として、そして最高指揮官として受けます。彼らは国民を守るために命をかけます」
 「しかし、近年でも自衛隊は合憲と言い切る憲法学者は2割にしかなりません。その結果、違憲論があることについての記述がほとんどの教科書には載っています。自衛隊の、自衛官たちの子供たちもその教科書で勉強しなければならないわけでありまして、この状況に終止符を打つのは今を生きる私たち政治家の使命であると、こう思っています」
 「憲法にわが国の独立と平和を守ること、そして自衛隊をしっかりと明記し、その責任を果たしていく決意であります。そうした思いのもと、先の昨年の総選挙では初めて選挙公約の柱、主要項目のひとつとして憲法改正を位置づけ、4つの項目の一つとして自衛隊の明記を具体的に掲げました。その上で私たちは国民の信を得て、また選挙に勝利をして、政権与党として今の立場にいるわけであります」
 「本年の党大会では、党の運動方針として公約に掲げた4項目の議論を重ね、憲法改正案を示し、憲法改正の実現を目指すとの方針を決定したところであります。これに沿って意見集約に向けた党内議論が精力的に行われてきました」
 「自民党というのは自由闊達な議論を行いますが、さまざまな意見が出ますが、いったん結論が出れば一致結束してその目標に向かって進んでいく。それが政権与党としての責任感であり、矜持でもあります。私としては、これまでの議論の積み重ねの上に自民党としての憲法改正案を速やかに国会に提出できるよう取りまとめを加速するべきと考えております」
 「その上で、9月に総裁選挙が行われますが、憲法改正は立党以来の党是であり、自民党としても長年の悲願でありますし、今申し上げましたように4項目を掲げ、われわれはみんなで選挙を戦ったわけであります。そして、それはまさに党としての公約であります。当然ですね、候補者が誰になるにせよ、次の総裁選においては当然、候補者が自分の考え方を披瀝する、大きな争点となると考えます」
 「憲法改正は衆議院、参議院、両院の3分の2を得て発議をし、そして国民投票において過半数の賛成を得なければ実現できません。政治は結果であります。つまり発議できる3分の2を得ることができるかどうか、そして国民投票でそれを成立させることができるかどうか、賛成を得ることができるかどうかという現実にしっかりと目を向けながら結果を出していく。そういう姿勢を私たちには求められている。先ほど申しあげました、今を生きる私たちの責任とは何かということを念頭に議論が行われるものと思います」

 この希にみる政治家が率いる政権で憲法改正を成し遂げることができなければ、再び日本の再建の道を開くチャンスは、容易に訪れないでしょう。まさに日本人の正念場です。

 憲法と自衛隊、自民党の改正案、憲法改正への動き等については、下記の拙稿をご参照下さい。
 「いまこそ憲法を改正し、日本に平和と繁栄を」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion08q.htm

改憲論28~日本を愛する国民は、どう考えるとよいか

2018-06-25 12:52:37 | 憲法
 最終回。

結びに~日本を愛する国民は、どう考えるとよいか

 現在のわが国の国民及び政治家の状態では、一気にめざすべき内容の憲法に改正することはできない。その理由は、日本国民の多くがまだ日本精神を取り戻していないからである。理想を明確にするとともに、現実をしっかり見据える必要がある。
 国会は、昨29年の衆院選後、いわゆる改憲派が8割超となっているが、第9条の改正には、発議の可能な衆参両院で総議員の3分の2以上が賛成するかどうかは微妙な状況である。賛成は自民党と維新の会と一部野党の議員のみ。連立与党の公明党が賛成しないと、自公による発議は難しい。
 また、国民の現状は、憲法改正に反対の人たちが3割以上いる。9条改正に反対の人たちは、4割以上いると見られる。態度がはっきりしない無党派層は、マスメディアやその時の雰囲気の影響を受けやすい。こうした中で、改正しようとするには、国民投票で過半数を得られるような案を追求せざるを得ない。
 日本を愛する人々の活動によって日本精神の復興が進めば、国民の意識が変わり、国民が選ぶ国会議員も変わる。これから、どこまで国民及び国会議員の意識を変えられるか。それによって、憲法改正の成否、また改正内容が変わる。
 特に国民の半分を占める女性の賛否が、改正を左右する。女性が国防の重要性を理解し、家族を守るため、平和と安全を守るために、9条を改正しようという意識を高めることに、日本の運命がかかっている。そうしたなか、「国防女子」を名乗る女性たちによる、女性を対象とした啓発活動が広がっている。(葛城奈海、川添恵子、赤尾由美氏等)また、女性による「憲法おしゃべりカフェ」が全国で展開されている。日本を愛する女性たちの活動が、日本の国と国民を救う可能性がある。
 もし9条1項、2項維持で3項に自衛隊を明記という案が、国会で成立し、これに賛成か反対かという国民投票が行われることになった場合、日本を愛する国民はどうすればよいか。
 私はもし先の案が発議された場合は、これに賛成するのが適当であると考える。理想的な案でないからと反対したり、棄権するのは、結果としてよくない。というのは、その案が国民投票で否決されれば、現状のままとなる。現状維持を望むのは、共産党、社民党、立憲民主党、旧民進党の一部等の左翼や左派の政党であり、それらと同じ側に立つことになってしまう。また、仮に国民投票で9条改正が否決された場合、もう一度やり直すのは、極めて難しい。国民投票に諮る以上は、過半数を獲得しないと、その後の全面改正への道も、非常に険しいものになる。失敗は許されない。また、9条改正が否決されれば、自衛隊は違憲だという主張が強まり、これまで統治行為論によって明確な判断を避けてきた裁判所が、国民投票の結果を受けて違憲の判決を出す可能性もある。それによって、自衛隊の解散という事態になったら、日本は諸外国に侵攻・占領されて、自滅する。
 まずは現状を打破するため、現実に可能な案で憲法を改正し、それを第一歩として、あるべき憲法を目指していく。そういう考え方が必要な状況である。
 繰り返しになるが、日本国憲法は全面的な改正が必要であり、数項目の改正や新設は、全面改正に向けた第一歩にすぎない。できるだけ早く憲法を本格的に改正し、日本の再建を進めなければならない。(了)

改憲論27~護憲派の主張の誤り(続き)

2018-06-21 09:31:28 | 憲法
11.護憲派の主張の誤り(続き)

 次に、護憲派の主張に関連することを、補足として3点述べる。

 第一に、憲法改正反対派の中には、「安倍政権における改憲に反対」という主張がある。安倍政権でなければ改憲に賛成するのかわからないが、憲法改正はどの政権ならよく、どの政権ならダメというような課題ではない。国家の根本的なあり方に関する課題だからである。反安倍派は、安倍政権への不信感を駆り立て、政権の支持率を下げ、それによって憲法改正を阻止しようとしているのである。憲法改正という重大な課題を、政局の問題にし、政党間の闘争に使っているものであり、立法府のあるべき姿から大きく外れている。

 第二に、自衛隊を支持する人々の中には、自衛隊が軍隊になると暴走するのではないかという不安の声がある。わが国では、戦前軍部が暴走し、政治家を暗殺したり、政府の命令を受けずに行動したりして、不幸な戦争に突入した歴史がある。それゆえ、こうした不安を持つ人は少なくないだろう。しかし、軍隊を持てば軍隊が暴走するのであれば、世界中の国々がそうなっているだろう。先進的な民主国家である米国、英国、フランス等の国ではそういうことは起っていない。民主主義が発達している国では、シビリアン・コントロール(文民統制)が行われ、政府が軍隊を統制している。戦前、わが国が軍事同盟を結ぶ枢軸国だったドイツ、イタリアは敗戦後も軍隊を持っているが、軍隊の暴走は起っていない。軍隊が暴走するのは、民主主義が発達していない国や、独裁者のいる国、全体主義の国である。
 戦前のわが国では、天皇が軍隊の統帥権を持っていたことを理由にして、軍部が政治の介入に反発した。また憲法に内閣総理大臣の記載がなく、政府の中心が不明確だった。そのため、軍部の暴走を招いてしまった。戦後のわが国では、シビリアン・コントロールが憲法に定められており、憲法改正の際には、これをさらに明確に定めることで、政府による統制をよりしっかりとしたものにできる。また、国民が政治に関心を持ち、日本の平和と繁栄を維持できるような政治が行われるように選挙等で自らの意思を示し、民主主義がより良く機能するように努力することが必要である。
 
 第三に、現行憲法が改正されぬままの状態で、他国の侵攻を受けた場合、武力行使と交戦権の行使ができるのかという問題についてである。護憲派は、こういう事態において、どうやって国民の生命と財産、国家の主権と独立を守るかを、まともに考えていない。また、国民に考えさせないようにしている。
 他国の侵攻を受けた場合、わが国は自衛権を行使して、武力行使することができる。他国の侵攻を受けた場合、内閣総理大臣は自衛隊に防衛出動を命じる。ただし、武力行使は「我が国に対する武力攻撃が発生」し、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」と判断された存立危機事態に限る。存立危機事態と認定すれば、内閣総理大臣は自衛隊に武力行使を命令する。
 次に、武力行使以外の交戦権についてはどうか。交戦権は、国家が交戦国として国際法上有する権利であり、戦争の際に行使し得る権利である。その権利の中に、武力行使を含む。同時に交戦権は、敵国との通商の禁止、敵国の居留民と外交使節の行動の制限、自国内の敵国民財産の管理、敵国との条約の破棄またはその履行の停止が、合法的な権利として含まれている。これらを行使し得るかという点が問題になる。
 9条1項は侵攻戦争のみを放棄したものとし、2項の「前項の目的を達するため」という文言は侵攻戦争の放棄という目的を意味し、自衛のための戦力は保持できるという解釈に立てば、9条2項の後半は自衛戦争に関する交戦権までを否認したものではない。だが、わが国の政府は、9条1項は侵攻戦争のみを放棄したものとし、2項の「前項の目的を達するため」という文言は侵攻戦争の放棄という目的を意味するとしながら、自衛のために持てるのは戦力ではなく「最小限度の実力組織」であるという立場を取っている。その場合、わが国はこの「最小限度の実力」の行使を含む交戦権を行使し得るのかが問題となる。一方、左翼勢力は交戦権を国家が戦争をなし得る権利と解釈し、自衛戦争も含めて交戦権を否認したのだと主張する。ここにも解釈上の対立や混乱がある。
 こうした状態において、わが国に対して他国が武力攻撃をして存立危機事態が発生した場合、内閣総理大臣は武力行使以外の交戦権についてどのように判断して、対処するのか。私は、憲法学者や野党等に憲法解釈上異論があることは承知しつつ、国民の生命と財産、国家の主権と独立を守るために、国家最高指導者の責任において判断し、勇断を振るうべきと考える。
 存立危機事態における交戦権の行使は、憲法の規定に違反したり、規定を無視した超法規的措置ではない。憲法解釈上の問題であり、その解釈権は行政において内閣総理大臣にある。内閣総理大臣は、自信を以て国家国民のために、自衛の権利を行使すればよいのである。

 次回に続く。

改憲論26~護憲派の主張の誤り

2018-06-19 12:20:23 | 憲法
11.護憲派の主張の誤り

 第9条の改正に反対する護憲派の人々は、次のように主張する。

 (1) 9条が日本の平和を守ってきた
 (2) 軍隊を持ったら戦争が始まる。
 (3) 日本を戦争の出来る国にするのか
 (4) 9条改正は徴兵制につながる

 このように主張して9条改正の危険性を説く人たちは、ただ、恐怖心を煽って、国民に国防の大切さを考えさせないようにするものである。
 これらの主張について反論する。

 (1)の「9条が日本の平和を守ってきた」という人たちは、外国との紛争は話し合いで解決すべきという。すべての紛争を話し合いで解決できるなら、各国は軍隊をなくすだろう。
実際に日本の平和が守られてきたのは、9条があったからではなく、自衛隊を持ち、日米安保を結んでいるからである。
 旧ソ連から日本が守られたのは、北海道に自衛隊の精鋭の部隊を置き、「北の守り」を怠らなかったからである。もし自衛隊を解体し、日米安保も破棄していたら、非武装中立路線をとっていたら、敗戦前後にソ連軍が満州や樺太等に侵攻した際の惨事が繰り返されただろう。
 もっとも悲惨なのは、仏教国で平和を愛し、小さな軍隊しか持たなかったチベットは、中国の人民解放軍に侵攻され、多数のチベット人が虐殺や迫害を受けている。
 中国は尖閣諸島周辺で領海侵犯を繰り返しているが、尖閣諸島を守ることができているのは、海上保安庁が警備し、後ろに海上自衛隊が控え、また日米安保によって米軍が存在するからである。
 憲法に9条を規定すれば平和が守られるのならば、どうして日本にこの憲法を押し付けた米国は、自国の憲法に9条の内容を取り入れないのか。米国以外の国も平和を愛する国は、どうして9条の内容を取り入れないのか。現実の国際社会では、9条の内容は空想的な理想論にすぎず、そのような規定では自国を守ることができないことがわかっているからだろう。

 (2)の「軍隊を持ったら戦争が始まる」――護憲派はこのように言って、特に女性の意識を改正反対に誘導している。だが、軍隊を持てば戦争が始まるというなら、世界中で軍隊を持つ国同士が絶えず戦争を行っているだろう。ヨーロッパ諸国は、イギリス、フランスをはじめみな軍隊を持っているが、第2次大戦後、平和を保っている。第2次世界大戦の枢軸国だったドイツ、イタリアも軍隊を持っているが、軍隊を持ったからといって周辺国に侵攻していない。戦争を仕掛けて領土を略奪する国は、独裁者のいる国や全体主義の国が多い。これに対し、自由民主主義国は、戦争抑止力として、近隣諸国から侵略されないように軍隊を持っている。また、国連を通じて平和を守るために協力し合っている。
 また、国連憲章は、第51条に自衛権を規定し、各国の自衛権を認めている。そのために軍隊を持つことを当然のこととして認めている。そのうえで国際平和を維持しようというのが、国連である。
 護憲派は、具体的にどのように国を守るのかという疑問に、答えようとしない。ただ戦争になると、人々に不安を煽っており、無責任である。

 (3)の「日本を戦争の出来る国にするのか」ということについては、日本の周辺のことを見て、考えてもらいたい。
 まず中国である。日本から中国に戦争を仕掛けたらどうなるか。中国は、核兵器・ICBM・空母等を持っている。「待ってました」とばかりに叩き潰されるだけである。北朝鮮についても、もし日本から攻め入ったら、中距離ミサイルをしこたま打ち込まれる。大都市を中心にサリン等の毒ガスを大量に散布され、大悲劇を招くだろう。ロシアについてもそうで、ロシアは米国に次ぐ世界第二の核大国であり、世界最先端の最新兵器を開発している。徹底的に国土を破壊され、占領・支配を受けるだろう。韓国は日米と連携している国だが、もし日本が韓国に侵攻したならば、韓国は徴兵制の国であって国民は北朝鮮の侵攻に備えて軍事訓練をしているうえに、強い反日感情を持っている。こちらから攻めたら、烈しくやり返されることは、火を見るより明らかである。
 このように日本の周りの国々を考えると、日本がこちらから戦争して得になるような国はない。

 (4)の「9条改正は徴兵制につながる」という主張については、9条改正と徴兵制は直接関係がない。
 最も重要なことは、まず国民が自ら国を守るという意識を持つことである。護憲派には、日本人として自ら日本を守ろうという姿勢がない。外国が侵攻してきたら、無抵抗で降伏することは、国民を略奪・虐待の危険にさらすことになる。むしろ日本が外国に征服・支配されることを望んでいるような倒錯した心理が感じられる。護憲派には、在日韓国人・中国人や韓国・中国からの帰化人が多い。彼らは、母国または精神的な母国の利益のために、日本を丸裸にして侵攻しやすいように図っているものと見るべきである。
 国民が国防の義務を負うことと徴兵制を定めることは、別である。軍隊には、徴兵制と志願制がある。国によって、志願制を採用している国と徴兵制を採用している国がある。それはその国の事情によって国民が選択することである。憲法に国防の義務を定めているが、徴兵制を敷いていない国もある。米、カナダ、英、仏、独、オランダ、ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガル、ポーランド等は、徴兵制を廃止して志願制に変更したが、憲法で国民に祖国防衛の義務を課している。
 世界的な傾向としては、志願制を採用する国が多くなっている。理由の一つは、軍事技術がハイテク化し、現代の軍隊は全職種・全部隊が最新の技術と武器を用い、高度に専門化されていることである。そのため、専門的な訓練を受けていない者は役に立たないという考え方が主流になっている。
 そうしたなかで徴兵制を維持している国もある。韓国は北朝鮮から国を守るため、徴兵制を続けている。また、注目すべきは長く永世中立国だったスイスは、徴兵制を採っていることである。スイスでは数年前に一部の国民が徴兵制廃止を求め、国民投票が実施されたが、徴兵制廃止は反対多数で否決された。国民多数が徴兵制の維持に賛成したのである。
 徴兵制を採っている国においては、良心的兵役忌避を権利として認めたり、兵役の代わりに社会奉仕活動を選択することができるようにしている場合がある。本人の意思と権利を尊重しているものである。
 国防の義務というと、強制的な徴兵制をイメージし、子供が戦争に生かされるのではないかと心配になる親がいるだろう。だが、もし外国の侵攻を受けた時には、外敵から自分や家族を守るための訓練を受け、そのために必要な装備を持っていなければ、多くの人が殺されるのである。子供であれば、親や家族を守るために必要な技術と武器を備えていなければ、何もすることもできずに愛する人々の生命を奪われるのである。その点で、国民全体が自国を守る意識を持ち、基礎的な訓練を受け、必要な装備をすることは、自分と家族を守るために必要なことである。
 私が日本にとって最も参考にすべきと思うのは、先に触れたスイスである。スイスは永世中立国として知られる。近年国連に加盟したので、永世中立国ではなくなったが、スイスは非武装中立ではなく、国民皆兵の国である。国民が一致団結して、国家を防衛することを徹底している。国民が一致団結して外敵に対処する国は、容易に攻め込めない。ヒトラーでさえ、スイスには攻め入らなかった。スイス政府は、国民に『民間防衛』という冊子を配布している。国民は常に訓練を怠らない。道路・施設等のすべてが、いざ外敵が侵攻してきたときには、国を守るために使用できるようになっている。また、小学校など様々の施設の地下に、核シェルターがあり、仮に核戦争になっても国民のほとんどが生き残れるように備えている。こうしたスイスの例から、日本人が国防のあり方を学ぶことのできることは多い。
 9条を改正したうえで、国を守るためにどういう制度にするかは、国民の意思で決定すればよいことである。9条を改正すれば、いつの間にか徴兵制が敷かれるということはない。まず国民が自ら国を守るという意思を持ち、国を守るためにはどういう体制にするのがよいかを国民全体で考えていけばよいのである。

 次回に続く。