●因果応報
縁起の項目に因縁果の法則について書いたが、ここでそれを補足する。
仏教では、人間の苦悩の原因を、因縁果の法則で説明する。因は直接的原因、縁は間接的条件、果は結果である。
因果律は、人間が経験を通じて見い出す法則であり、また宇宙・生命・精神を貫く法則でもある。哲学・自然科学・社会科学に共通する。仏教の因縁果の法則は、因果律を宗教的にとらえたものである。苦しみの原因と消滅という人間の生き方に関わるものであること、また、輪廻転生を前提としていることに特徴がある。
仏教の観点に立つと、宇宙の生きとし生けるのものは、すべて因縁果の法則に従っている。自らの行為は、因縁果の法則によって、結果を生む。その結果を果報という。この因果関係を因果応報という。よい行いにはよい結果、よい報いがあり、悪い行いには悪い結果、悪い報いがある。これを善因楽果・悪因苦果という。善い行いをすれば、その果報として、安楽が得られる。悪い行いをすれば、その果報として、苦悩を味わうことになる。これは、一般的な考え方だが、仏教における安楽は、解脱によって得られる涅槃寂静をいう。また、苦悩とは、煩悩によって輪廻転生を続けることをいう。善因楽果・悪因苦果は、善因善果・悪因悪果ともいう。よい結果とは、快さであり、悪い結果とは苦しみである。因果応報は、自分の行為(業)の結果を自分が受けることゆえ、自業自得ともいう。
●知恵と無明
キリスト教では、アダムとエヴァが神の教えに反して善悪の区別を知る知恵の実を食べたことによって、楽園を追放されたとする。知恵は、神との結合を失った原因とされている。しかし、近代の西欧人は、人間の知恵を動物より優れたものと評価し、知恵の発達によって、文化が発達したと肯定的にとらえるようになった。
これに比し、仏教では、人間の知恵は真理をとらえておらず、人間は真理に暗い無明の状態にあるととらえる。そして、無明が原因となって煩悩が生じ、それによって、人間は輪廻転生を繰り返すと説明する。
私見を述べると、人間には、知恵と自由がある。知恵を用いて自由に行動することによって文化を発達させてきた。その反面では、知恵を誤って用いることによって、人間は因縁果の法則に反した行為をし、その結果、悪い原因を積み重ねて、自ら苦しんでもいる。仏教によれば、人間の知恵は真理には達していない知恵であるから、そこに苦しみが生まれるということになる。知恵を持った以上、人間は真理への到達を目指して、向上しなければならない。その向上をしない限り、知恵があるがゆえの苦しみが続く。また、真理への到達を目指して、知恵を用いるところに、最もよい知恵の用い方がある。また、自由については、仏教は、人間の自由より不自由を強調する。思うようにならないことを苦しみとし、すべてのものは思い通りにならないとして、一切皆苦を説く。だが、この苦しみから逃れようとして、苦しみの原因を求め、その原因を消滅するための行為をすることもまた人間の自由である。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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縁起の項目に因縁果の法則について書いたが、ここでそれを補足する。
仏教では、人間の苦悩の原因を、因縁果の法則で説明する。因は直接的原因、縁は間接的条件、果は結果である。
因果律は、人間が経験を通じて見い出す法則であり、また宇宙・生命・精神を貫く法則でもある。哲学・自然科学・社会科学に共通する。仏教の因縁果の法則は、因果律を宗教的にとらえたものである。苦しみの原因と消滅という人間の生き方に関わるものであること、また、輪廻転生を前提としていることに特徴がある。
仏教の観点に立つと、宇宙の生きとし生けるのものは、すべて因縁果の法則に従っている。自らの行為は、因縁果の法則によって、結果を生む。その結果を果報という。この因果関係を因果応報という。よい行いにはよい結果、よい報いがあり、悪い行いには悪い結果、悪い報いがある。これを善因楽果・悪因苦果という。善い行いをすれば、その果報として、安楽が得られる。悪い行いをすれば、その果報として、苦悩を味わうことになる。これは、一般的な考え方だが、仏教における安楽は、解脱によって得られる涅槃寂静をいう。また、苦悩とは、煩悩によって輪廻転生を続けることをいう。善因楽果・悪因苦果は、善因善果・悪因悪果ともいう。よい結果とは、快さであり、悪い結果とは苦しみである。因果応報は、自分の行為(業)の結果を自分が受けることゆえ、自業自得ともいう。
●知恵と無明
キリスト教では、アダムとエヴァが神の教えに反して善悪の区別を知る知恵の実を食べたことによって、楽園を追放されたとする。知恵は、神との結合を失った原因とされている。しかし、近代の西欧人は、人間の知恵を動物より優れたものと評価し、知恵の発達によって、文化が発達したと肯定的にとらえるようになった。
これに比し、仏教では、人間の知恵は真理をとらえておらず、人間は真理に暗い無明の状態にあるととらえる。そして、無明が原因となって煩悩が生じ、それによって、人間は輪廻転生を繰り返すと説明する。
私見を述べると、人間には、知恵と自由がある。知恵を用いて自由に行動することによって文化を発達させてきた。その反面では、知恵を誤って用いることによって、人間は因縁果の法則に反した行為をし、その結果、悪い原因を積み重ねて、自ら苦しんでもいる。仏教によれば、人間の知恵は真理には達していない知恵であるから、そこに苦しみが生まれるということになる。知恵を持った以上、人間は真理への到達を目指して、向上しなければならない。その向上をしない限り、知恵があるがゆえの苦しみが続く。また、真理への到達を目指して、知恵を用いるところに、最もよい知恵の用い方がある。また、自由については、仏教は、人間の自由より不自由を強調する。思うようにならないことを苦しみとし、すべてのものは思い通りにならないとして、一切皆苦を説く。だが、この苦しみから逃れようとして、苦しみの原因を求め、その原因を消滅するための行為をすることもまた人間の自由である。
次回に続く。
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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