ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権260~「ウィーン宣言及び行動計画」

2016-01-31 08:50:45 | 人権
●「ウィーン宣言及び行動計画」の重要性

 1993年、第2回世界人権会議がウィーンで開催され、「ウィーン宣言及び行動計画」が採択された。
 ウィーン会議において、新国際秩序の創造へ果たす役割に期待のかかっていた国連のブトロス・ブトロス=ガリ事務総長(当時)は、人権は「究極の価値」であり、「われわれは、その価値を通して単一の共同体(コミュニティ)となる」と高らかに演説した。
 「ウィーン宣言及び行動計画」は、人権の発達史で、国際人権規約以来のメルクマールとなるものだった。この文書は、人権の普遍性、人権にかかる国家の義務、人権侵害の停止を強調した。そうした文書で、「発展の権利」が人権の一部として重ねて、強く宣言されたのである。
 ウィーン宣言は、「Ⅰ 人権問題に関する原則」の第5節に、「すべての人権は、普遍的、不可分、相互に依存し、関連している。国際社会は、同一の立場に基づき、かつ同様に重点を置いて、公平かつ平等な方法で、人権を全世界的に取り扱わねばならない。国、地域の特殊性及び種々の歴史的、文化的及び宗教的背景の重要性は考慮されねばならないが、すべての人権及び基本的自由の促進及び保護は、その政治的、経済的及び文化的制度の如何を問わず、国家の義務である」と記した。
 また第28節に、次にように記した。「世界人権会議は、大規模な人権侵害、とりわけ難民及び強制移住者の大量流出を惹起す戦時下の虐殺、『民族純化』及び女性に対する集団強姦に失意を表明する。これら忌むべき行為を強く非難するとともに、その犯罪の加害者が処罰され、このような行為がただちに停止されることを繰り返し訴える」と。
 「ウィーン宣言及び行動計画」が、このように人権の普遍性、不可分性、相互依存性、相互関連性を打ち出したことは、人権の思想の展開において重要な出来事である。この打ち出しは、自由権と社会権の一体性を示したものと理解されている。
 それまでは、自由権と社会権は別のものであり、まず自由権が発達し、後に社会権が発達したと考えられてきた。欧米では、自由権のみが普遍的・生得的な「人間の権利」であり、社会権を人権とは認めないという考え方が、今も有力である。自由を最高の理念とし、平等への配慮は個人の自由を侵害しない範囲で最小限にとどめるべきという考え方に立てば、社会権の拡大は人権の侵害となる。だが、「ウィーン宣言及び行動計画」は、自由権と社会権の一体性を示すことにより、事実上こうした考え方の誤りを表明した。
 自由権と社会権が一体のものであるとすれば、これらは根源的な権利から分化したものと考えられる。根源的な権利からまず自由権が展開し、次に社会権が展開した。さらにその後に、「発展の権利」を含む連帯の権利が展開したということになる。そうした根源的な権利は、権利を個人的なものではなく集団的なものと考えるときにのみ、理論的に成立する。他の集団に対して優位にある集団において、集団の権利から個人の権利が分化し、その後に個人間の権利の調整が行われるようになった。次に、その集団に対し劣位にあった集団が、集団として権利の回復を求めるようになった。それが「発展の権利」である。もとの優位集団はその「発展の権利」を行使し得ていたから、個人の権利の保障・拡大をなし得たのである。ここにおける優位の集団とは、歴史的には欧米諸国であり、劣位の集団とはアジア、アフリカ、ラテン・アメリカの諸民族である。
 人権の発達史における第1段階から第2段階への展開は、主に欧米諸国における階級間での権利の拡大だった。帝国の周辺部からの収奪の上に繁栄する中核部で、支配者集団から労働者や社会的弱者へと権利が拡大していったものである。それが第3段階では、欧米諸国民から非西洋文明の諸国民へと拡大された。第2段階から第3段階への移行は、民族間の拡大であり、中核部から周辺部への拡大である。こうした文明間・地域間・民族間の展開が最も明確な形を取ったのが、「ウィーン宣言及び行動計画」である。
 「ウィーン宣言及び行動計画」は、自由権と社会権の一体性を示しただけでなく、国家の義務を定めた。国家の不介入ではなく、積極的な取り組み、しかも義務としての履行を求めている。実は政府のこの役割は、もともと西欧諸国の政府が担ってきたものである。政府が国防や治安維持、司法等を担って集団として持つ権利が確保されているから、その社会で個人の自由と権利の確保・拡大が可能になったのである。もし政府の統治権がしっかり行使されず、国家権力が機能していなかったなら、他国の侵攻・支配を受け、人民の権利は制限または剥奪されてしまう。または、国内の治安が乱れ、人民の権利は保障されなくなる。公権力によって裁判が行われず、処罰が課せられなくなると、暴力が蔓延し、私刑が横行する。政府の統治権がしっかり行使され、国家権力が機能していて初めて個人の権利が享受される。このことは、先に書いたように、集団の権利が個人の権利に先立ち、集団の権利から個人の権利が分化し、個人間そして集団間の権利の変動が起こってきたことと関連している。
 国際人権規約から「発展の権利宣言」へ、さらに「ウィーン宣言及び行動計画」という展開は、人権の発達史の第3段階の進行だった。この進行そのものが、近代西欧で発達した人権の思想は、根本的に見直されるべきものであることを示しているのである。

 次回に続く。

イスラーム7~罪と罰、予定説と因果律

2016-01-30 10:09:34 | イスラーム
●罪と罰

 イスラーム教の罪には、神の命に背いた罪と、人間同士の間の罪がある。
 アッラーの命にそむいた罪として、『クルアーン』に明記されているものは、まず(1)姦通、(2)姦通についての中傷、(3)飲酒、(4)窃盗、(5)追剥ぎである。
 しかし、これらの罪は、アッラーによって赦されることがあるとされる。絶対許されない罪とは何か。それはアッラー以外のものを神として崇拝することである。アッラーを唯一神とするイスラーム教では、アッラー以外の神々はすべて偶像だとし、偶像崇拝は大罪とされる。
 『クルアーン』には、第4章48節に「本当にアッラーは、(何ものをも)かれに配することを赦されない。それ以外のことに就いては、御心に適う者を赦される。アッラーに(何ものかを)配する者は、まさに大罪を犯す者である」などとある。
 アッラーは、他のいかなるものとでも一緒に並べられたら絶対に赦さない。それ以外の罪なら、気が向けば赦すこともある。だが、アッラーに並ぶものを祀ることだけは、赦されない大罪だという主旨である。この大罪を「シルク」という。シルクを犯した者は、最後の審判において、永遠の地獄に行かされるとする。ここには、寛容のかけらも一切ない。
 次に、人間同士の間の罪については、イスラーム教の教えとして知られるのが、「目には目を、歯には歯を」である。しかし、この格言は、イスラーム教独自のものではなく、ユダヤ教のものである。ムハンマドが出現した時代のアラブ社会では、もっと酷い報復が通常、行われていた。それをムハンマドは「目には目を、歯には歯を」の同害報復にまで減免したのである。

●予定説と因果律

 セム系一神教では、神は全知全能である。無から宇宙を創造し、宇宙を超越した存在である。このような神観念のもとに、この宇宙におけるあらゆる出来事は、神によってあらかじめ定められ、神の意志に支配されているという考え方が成立する。この考え方を予定説という。
 キリスト教では、このような世界観を人間の救済に適用したものを、救霊予定説という。救霊予定説では、人間が天国に行けるかどうかは神の意志によるものであり、死後救われるか救われないかは、予め神が決定しているとする。キリスト教の信仰を持ってさえいれば必ず救われるのではない。信仰が篤く善行を積んだ者でも、救われるとは限らない。神は絶対であり、人間の行為が神の意志に影響を与えることはないとする。
 このような教義が確立される前には、重大な論争があった。5世紀のペラギウスは、神は人間を善なるものとして創造したのであり、原罪は人間の本質を汚すものではない、人間は神からの恩寵を必要とはせず、自分の自由意志で功徳を積むことによって救霊に至ることができると説いた。これに対し、教父アウグスティヌスは、人間に選択の自由はあるが、選択の自由の中にも神意の采配が宿っており、人間単独の選択では救いの道は開けず、神の恩寵と結びついた選択によってのみ道が開けると説いた。416年のカルタゴ会議、431年のエフェソス公会議でペラギウス主義は異端として排斥された。
 人間の自由意志による救霊を否定し、救霊予定説を徹底したのが、カルヴァンの教説である。それが、プロテスタンティズムの教義の柱となった。
 ところで、宗教学者・岸本英夫氏によれば、宗教には「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」がある。前者は崇拝・信仰の対象として神を立てるもので、一神教・多神教・汎神教等である。後者は、神観念を中心概念はしない宗教で、マナイズムやいわゆる原始宗教・根本仏教等である。岸本氏の弟子・脇本平也氏は、前者を有神的宗教、後者を無神的宗教と呼ぶ。後者は、法、力等を中心概念とするが、それを人格化する場合は、前者に近づく。また前者のうち、神を非人格的で理法や原理を意味するものは、後者に近づく。
 予定説は、「神を立てる宗教」において、神が人格的であり、かつ人間世界に介入するという神観念のもとでのみ成り立つ。「神を立てない宗教」では、予定説は成り立たない。これに替わる論理が因果律である。物事の生成・消滅は、原因―条件―結果の関係において起こるという考え方である。
 仏教の縁起の理法は因果律であり、悟りは修行という行為が原因となって得られる結果であるとする。煩悩を消滅しようとする人間の努力なくして解脱には至れない。大乗仏教では、如来や菩薩が想定されるようになり、彼らに帰依すれば救済されると説く。称名念仏や唱題をするだけでみな極楽往生できると説く宗派もある。この場合も、そうした行為が原因となって結果としての救いを得られるとするものである。
 イスラーム教は、本質的には予定説である。六信の一つに天命があり、信徒は神の意志による予定を信じる。イスラーム教徒の慣用句に、「イン・シャー・アッラー」がある。文字通りには「もしも神が欲し給うならば」を意味する。しかし、イスラーム教は、人間の自由意志を認める。この点が、キリスト教と異なる。
 現世の物事の大筋は神によって定められているが、信徒は自らの自由意志によって、現世を生きねばならぬ義務を与えられている。イスラーム教では、アッラーは人間が自ら運命を変えぬ限り、人間の運命を変えることがないとしている。信徒にとって現世は試練の場であり、そこで彼が自らの意志で選び取ったことの結果によって、来世での地位が定められると考える。
 イスラーム教の救済の論理は、アッラーを信ずる者は、みな来世の天国に行けるというものである。キリスト教と違い、神が予め救う者を選別しない。ただし、来世で天国へ行くか地獄へ行くかは、現世でよいことをするか悪いことをするかによって決まるとする。この部分は因果律であり、仏教に似たところがある。ただし、仏教は因縁果の法則によって結果が生じるのに対し、イスラーム教では、最終的にはアッラーの意志によって決定される。またイスラーム教では、現世で罪を犯しても、他の神を信じることがなければ、最後はアッラーの赦しを受けて天国に行くことができるとする。この赦しへの期待は、アッラーを慈悲あまねく慈愛深き神と信じることによっている。

 次回に続く。

人権259~人権発達史の三つの段階

2016-01-29 06:35:38 | 人権
●人権発達史の三つの段階

 私は、人権の発達史をとらえるには、世代よりも段階の概念が適当と思う。人権の発達史において、第1段階では17~18世紀の西欧において、新興ブルジョワジーを中心に自由と権利が主張され、普遍的・生得的な権利が主張された。これが自由権である。ただし、第1段階で発達した権利には、単なる自由権ではない権利が含まれていた。単純な世代論は、これを見失わせる。第2段階では、20世紀前半の欧米において、平等に配慮した権利が多く主張され、権利の主体が労働者へと拡大された。これが社会権である。第2次世界大戦後、先進諸国を中心に「福祉国家」という目標像が打ち出され、「福祉国家」を目指す国々では、社会権が多く実現されている。
 第1段階・第2段階は、主に欧米を中心に展開されたが、第2次世界大戦後、アジア・アフリカの有色人種が独立と解放を勝ち取り、自由と権利の希求がアジア・アフリカへと広がった。新興独立国の多くが「国際連合=連合国」に加盟すると、それらの国々の主張を背景として、国連で「発展の権利」が主張されるようになった。
 先に書いたように、国際人権規約は「連帯の権利」を定めた。自由権を中心とした段階を人権発達史の第1段階、社会権が加わったのが第2段階とすれば、国際人権規約は、自由権・社会権についてそれぞれ規約を定めたことで、社会権の地位を高めた。それによって人権の発達史の第2段階を確立した。それと同時に、「発展の権利」等によって人権発達史の第3段階を開くものとなった。A規約(社会権規約)・B規約(自由権規約)は、共通第1条に、「すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」と定めた。この「経済的、社会的及び文化的発展」を自由に追求する権利が、「発展の権利」である。集団が発展する自由への権利と理解することができる。単に経済的な発展だけでなく、より広汎な社会的・文化的な面も含むことが重要である。「発展の権利」は、植民地から独立した国々の多くが、低開発や貧困等に苦しんでいる中で、主に発展途上国の側から主張されたものである。「発展の権利」の規定は、人権の発達史において画期的だった。「発展の権利」が国際人権規約に盛り込まれたことで、欧米中心に発達してきた人権の思想は、人類的な次元に進み入ったのである。
 共通第1条は1項に「すべての人民は、自決の権利を有する」と述べて、人民(peoples)の自決権を定めている。人民の自決権は国民自決権・民族自決権・集団自決権のどれでもあり得る。権利の主体が個人ではなく、集団となっていることが重要である。その集団の自決権に基づいて、人民が「政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」としている。この第1項の規定は、15世紀以来の白人種による植民地支配を否定するものである。第2項では、天然の富及び資源に関する権利を定め、生存のための手段を奪われることはないとした。これは、宗主国による資源収奪の否定である。第3項でも、自決権の実現の促進と尊重が書かれている。これは、過去の欧米における人権宣言と大きく異なっている点である。また個人の人権だけを規定した世界人権宣言とも、著しい対照を示している。これは、人権の発達史において、重大な変化だった。
 国際人権規約の制定後、1981年にアフリカ人権憲章(バンジュール憲章)が制定された。この地域的人権条約は、植民地主義、新植民地主義、アパルトヘイト、シオニズムの廃絶を謳い、「発展の権利」を規定している。
 「発展の権利」は、1986年に国連総会で採択された「発展の権利に関する宣言」すなわち発展の権利宣言において、一個の権利として強調された。
 この宣言は、「発展の権利」について、「奪うことのできない人権である。この権利に基づき、すべての個人および人民は、あらゆる人権および基本的自由が完全に実現されうるような経済的、社会的、文化的および政治的発展に参加し、貢献し、ならびにこれを享受する権利を有する」と宣言した。ここで「発展」は個人の能力の発達を可能にするような「国家的発展政策を樹立する権利」を含み、特に「発展途上国のより急速な発展を促進する」ことを目的とする。さらに、「発展のための機会の平等は、国民および国民を構成する個人の双方の特権である」と述べている。権利の主体は個人だけでなく人民を含み、単に経済的発展だけでなく社会的、文化的および政治的発展とし、また発展の権利というだけでなく発展に参加・貢献・享受する権利を宣言した。
 「発展の権利」は、自由権及び社会権に対して、次のような特徴がある。権利の主体は、 個人と集団の双方である。義務の主体は、国家、先進工業国、国際機関、国際共同体である。実現には、個人、国家、団体等の参加が必要である等である。
 「発展の権利に関する宣言」の採択は、自由権的人権と社会権的人権を保障する前提となる権利として、開発または発展を人権として捉えるという国際社会の意思を明確に示した点で画期的なことだった。人権の発達史は、「発展の権利」を含む「連帯の権利」によって第3段階に入った。同時にまた欧米中心の段階から人類全体的な段階に入ったのである。

 次回に続く。

イスラーム6~シャリーア、愛、対異教徒

2016-01-28 08:51:08 | イスラーム
●シャリーア

 イスラーム教では、神は人間を創造し、人間が従うべき規範を与えたとする。この規範がシャリーアである。神が人類に授けた規範をシャリーアという。シャリーアは、何を信じ、いかに行動すべきかを、神が人類に指示した命令の総体である。シャリーアに従って生きることがイスラーム教の教えである。
 シャリーアを「イスラーム法」と訳す。本稿では一般的な訳語に従うが、この訳語は法という語を用いるために、シャリーアを単なる法の体系という誤解を与えやすい。
 イスラーム法は、啓示によって表された神の意志に立脚する宗教法である。立法者はアッラーであり、信者たちは唯一人としてこれに違反して命令を下す権利を与えられていない。この点で世俗法を基本とする近代西欧の法体系とは、全く異質のものである。
 シャリーアは近代西欧の実定法が対象とするものや政治に関することばかりでなく、さまざまな宗教儀礼の細則や道徳の範疇に属するものまでを含んでいる。すなわち、宗教・道徳・法・政治等が一体となって規範の体系である。宗教・道徳・法・政治等が一元的・一体的になっているのが、イスラーム教の特徴である。聖と俗を切り離すことなく、政教一致を原則とする。
 シャリーアは、第一法源が『クルアーン』、第二法源がムハンマドの言行に基づくスンナ、第三法源がイジュマーと呼ばれるウラマー(法学者)の合意であり、第十法源まである。シーア派は歴代イマームの言行も法源として重んじる点が、スンナ派と異なる。

●神の愛と人の愛

 『クルアーン』によればアッラーは「愛の神」であり、その点では、イスラーム教は愛を説く宗教である。ただし、キリスト教とはここでも異なる。キリスト教は、イエスを「神の子」としたうえで、神の愛を説く。神は原罪を犯し、神から隔絶した人間を救うために、独り子・イエスを遣わしたとして、神の愛を強調する。またイエスは人類の罪を贖うために、磔刑に処されるという自己犠牲的な行為を通じて、人類を再び神と結びつけてくれたとする。
 キリスト教は、三位一体論によるアガペー的な愛を説き、「神は愛である」「愛は神である」と愛そのものを絶対化、普遍化する傾向が強い。また、「汝の敵を愛せよ」と説き、絶対無抵抗の姿勢での極限的な理想を説く。
 アッラーは、自分を絶対唯一の神と崇拝しない者を愛さない。他の神を崇拝する者を、最後の審判で永遠の地獄に落とす予定である。アッラーの愛は、絶対的に帰依するアッラーの信者にしか与えられない。
 イスラーム教における人間同士における愛は、こうしたアッラーを信じる共同体における愛である。その限りで、イスラーム教は愛を単なる理想とせず、共同体においていかに具体化するか、について説いている。『ハディース』には、「あなた方は信仰を持つまで天国に入ることはできない。また他人と愛し合うまでは信仰を持ちえない」とある。信者同志が互いに愛し合わぬ限り、信仰を持ったとは言えず、天国に入ることはできないと教えている。
 この一方、イスラーム教では「汝の敵を愛せよ」とは説いていない。アッラーの敵は、愛すべき対象ではなく、敵として戦い、殺すべき対象とされている。キリスト教は「汝の敵を愛せよ」と説きながら、異教徒を大量に殺戮してきた。この点、ジハードを信徒の義務としているイスラーム教の方が偽善が少ないとは言えるだろう。

●他宗教への態度と異教徒の処し方

 イスラーム教の他宗教に対する態度は寛大である。イスラーム教徒が異教徒に対して、暴力的だったり、排他的だったりしたことは、歴史的に少ない。『クルアーン』は、イスラーム教の宣教にあたっては、強制しないこと、叡智と立派な説教によって説得することを条件としている。「右手に『クルアーン』、左手に剣」という文言は、改宗するか殺されるかという脅迫で改宗を迫る言葉のようだが、これはキリスト教徒が作ったもので、実際とは異なる。
 改宗は強制ではなく、イスラーム教の支配地域では、支配に従い、税金を納めていれば、他宗教の信仰を続けることが認められた。この点、キリスト教の方が異教徒を激しく迫害したり、大量に殺戮したりしてきている。ナチスによるユダヤ人の迫害も、キリスト教国での出来事である。
 イスラーム文明圏にあった時には、パレスチナの地でユダヤ教徒もイスラーム教徒も平和に共存していた。だが、第2次世界大戦後、イスラエルが建国されたことにより、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム教徒の間の宗教紛争が生じている。
 イスラーム教は他宗教に寛容だと言っても、信者同士と異教徒とで態度を変えている。イスラーム教徒は、異教徒は神の言葉を他の預言者によって説かれていたり、偶像を崇拝していたりしており、いわば敵だから騙してもいいと考える。騙しても、最後の審判では罪とならない。異教徒を騙すことで、イスラーム教徒の得になれば良い行為なのだと考える。そのため、イスラーム教徒は異教徒に対しては約束を守らなかったり、嘘を言ったりすることに罪悪感を覚えないようである。
 ところで、ユダヤ教では、旧約聖書の「申命記」に「外国人には利息を付けて貸してもよいが、同胞には利息を付けて貸してはならない」と定めている。異教徒には利息を取っていいということである。これは、古代メソポタミア文明における古代バビロニア王国の「ハンムラビ法典」で、食料・種などに貸付利子が定められていたこと以来の西アジア諸文明の伝統である。
 だが、イスラーム教では、イスラーム教の信徒であるかないかに関わらず、利息を取ることを禁じている。その教えに従い、イスラーム金融に基づく銀行では、利息が付かない。だが、金利が付かないと金融業は成り立たない。そこで、イスラーム金融の銀行では、利息ではなく、手数料を取るという形にしている。

 次回に続く。

人権258~人権の世代論

2016-01-27 08:48:08 | 人権
●人権の世代論

 人権は歴史的・社会的・文化的に発達してきた。その人権の発達史の見方に、人権の世代論がある。ユネスコの人権部長等を務めたカレル・ヴァサクが唱えたものである。人権の世代論は、「第3世代の人権」を主張する。
 人権は近代西欧で、まず国家権力の介入からの自由として発達した。それゆえ、その権利すなわち自由権は「第1世代の人権」と呼ばれる。次に、資本主義の発展により生じた社会的矛盾を解決するために、国家の積極的関与によって実現される権利が発達した。それゆえ、その権利すなわち社会権は、「第2世代の人権」と呼ばれる。
 これら第1世代、第2世代の人権は、ともに20世紀半ばに、世界人権宣言及び国際人権規約に規定されるものとなった。世界人権宣言及び国際人権規約は、私見では主に普遍志向的な権利を定めたものだが、特殊的権利を定めてもおり、それを拡張する形で特殊志向的な人権条約が制定されてきた。地域的人権条約及び個別的人権条約である。これらの人権条約は、第1世代、第2世代の人権を特殊志向的に発達させてきた。
 1966年制定の国際人権規約は、第1世代、第2世代だけでなく、新たな権利をも定めた。それが「第3世代の人権」と呼ばれるものである。「第3世代の人権」は、自由権・社会権に対し、「連帯の権利」と称される。その代表的なものが「発展の権利」であり、他に「環境と持続可能性への権利」「平和への権利」等が提起されている。
 「第3世代の人権」のうち「発展の権利」は、白色人種の支配から独立を勝ち得た有色人種の要望によって承認されたものである。移住労働者に関する項目に書いたが、ILOは1944年のフィラデルフィア宣言で、「すべての人間は、人種、信条又は性にかかわりなく、自由及び尊厳並びに経済的保障及び機会均等の条件において、物質的福祉及び精神的発展を追求する権利をもつ」として人権の観念を強調した。45年の国連憲章や48年の世界人権宣言は、発展のための機会均等の原則を、はっきりと認めている。「発展の権利」の確立過程で、重要な道標となったのが、「植民地独立付与宣言」である。植民地独立付与宣言は、1960年に国連総会で採択された。この宣言は、世界人権宣言を踏まえて自己決定を行いたいという人民の抱負と国連憲章の原則の適用が非常に遅滞しているとの認識に基づいて、発せられた。
 植民地独立付与宣言は、「外国による人民の征服、支配および搾取は、基本的人権を否認し、国際連合憲章に違反し、世界の平和及び協力の促進に障害となっている」(1項)と明言し、さらに「すべての人民は自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民はその政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追及する」(2項)と宣言した。付帯条項では、「単独での主権独立国家」「独立国家との自由な連合」「独立国家への統合」の三種類をもって合法的な自治権の達成と定義した。これは、個人の自由権及び社会権の前提として、諸個人の所属する集団の自己決定権を認めるものである。そして、自決権だけではなく、自決権を根本として、「発展の権利」を宣言しているのである。
 自決権は、国家における主権に比べることができる。西洋文明では、各国が近代西欧的な主権を所有しており、その主権に対抗して人権の確保・拡大が追求された。これに対し、非西洋文明の諸社会では、欧米諸国に主権を奪われている状態から、統治権を奪還し、主権を確立することによってのみ、人権の確保・拡大を追求し得る。
 私の観点からいえば、欧米諸国はもともと集団の自決権を持っていたので、個人の自由権・社会権が発達し得た。集団の自決権はそれらの暗黙の前提となっていた。欧米諸国によって集団の自決権を奪われていた有色人種が独立を目指す時に、その背景、いわば“図”に対する “地”が反転して顕在化したのである。
 植民地独立付与宣言後、1960年代には個人の権利の成立条件として人民の自決権が強調された。自決権はその政治的側面だけでなく経済的、文化的側面にも拡大された。そのうえで、「すべての人民はその政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追及する」として「発展の権利」が打ち出されている。そして、1966年に至って、国際人権規約に、人民の自決権とともに、それに基づく「発展の権利」が規定された。植民地独立付与宣言は、「発展の権利」を掲げ、その発達を促進するものとなったのである。
 国際人権規約は、世界人権宣言を条約化したものであり、第1世代、第2世代の人権を国際的な人権条約に規定して定着させ、国際社会に共通する価値とした。さらに規約は「第3世代の人権」を発達させるものともなった。その代表的なものが、「発展の権利」である。「発展の権利」は、自由権規約・社会権規約に定められた。そして1986年の「発展の権利宣言」、1993年の「ウィーン宣言及び行動計画」を経て、国際社会に定着した。またこれらの宣言を通じて、「連帯の権利」がより強く主張されるようになった。「連帯の権利」については現状、否定的な意見が多いが、国際的な議論を通じて新たな権利として承認されるようになっていく可能性がある。

 次回に続く。

イスラーム5~ジハード、信仰のあり方、対キリスト教

2016-01-26 08:54:51 | イスラーム
●ジハードの義務

 六信五行の義務以外に、『クルアーン』はジハードに参加することを、信徒の義務とする。ジハードは、もともと「奮闘努力」を意味する。それが、「聖戦」の意味で使われる。
『クルアーン』は、しばしば聖戦について言及している。アッラーは、信徒の勇気を鼓舞し、激しい表現で決然と「戦え」「殺せ」と命じる。
 たとえば、第2章第190節「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え」。同第191節「本当に迫害は殺害より、もっと悪い。だが聖なるマスジドの近くでは、かれらが戦わない限り戦ってはならない。もし戦うならばこれを殺しなさい。これは不信心者ヘの応報である」。同193節「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え」などである。
 そのうえ、次のような言葉もある。第8章第17節「あなたがたがかれらを殺したのではない。アッラーが殺したのである。あなたが射った時、あなたが当てたのではなく、アッラーが当てたのである」
 アッラーは、聖戦で死ぬ者を救うことを約束する。たとえば、第22章第58節「アッラーの道のために移住し、その後(戦いで)殺され、または死んだ者には、アッラーは必ず善美な糧を与えるであろう」。第4章第74節「来世のために、現世の生活を捨てる者に、アッラーの道のために戦わせなさい。アッラーの道のために戦った者には、殺害された者でもまた勝利を得た者でも、われは必ず偉大な報奨を与えるであろう」などである。
 聖戦で殉教した者は、最後の審判を待たずに天国に直行すると信じられている。その反対に、イスラーム教の戦士と戦う敵に対し、アッラーは容赦ない仕打ちをし、地獄行きの懲罰を下す。たとえば、第5章第33節「アッラーとその使徒に対して戦い、または地上を攪乱して歩く者の応報は、殺されるか、または十字架につけられるか、あるいは手足を互い違いに切断されるか、または国土から追放される外はない。これらはかれらにとっては現世での屈辱であり、更に来世において厳しい懲罰がある」などである。
 『ハディース』に基づく預言者ムハンマドの伝記によって、ムハンマドの生涯がジハードの連続だったことが分かる。イスラーム教徒がジハードと聞いて第一に思い浮かべるのは、ムハンマド自身が行ったジハードそのものの事績である。そのため、信仰に熱心であれば、聖戦への献身に熱烈になる。

●信仰のあり方

 イスラーム教の信仰のあり方は、絶対唯一とするアッラーへの絶対的な帰依に尽きる。神と信徒との関係は、神は主人(ラッブ)、信徒は奴隷(アブド)とされる。アブドは、文字通り奴隷を意味する。
 アッラーを信じる信徒が神に対して取るべき態度は、ただ感謝あるのみとされる。「慈悲あまねく慈愛深き」と形容されるアッラー無限の恩恵に対し、人は常に感謝の念をもって応えなければならないとされる。『クルアーン』の言語用法では、感謝(シュクル)は信仰(イマーム)の同義語である。逆に、感謝の心をわすれた状態、すなわち忘恩(クフル)は無信仰と同義語である。
 キリスト教はただ内心の信仰だけあればよいとするが、イスラーム教は、正しい信仰が行為によって具体的に表現されなければならないとする。心の中で思うだけでなく、行動に表さなければならない。

●キリスト教の重要教義の否定

 キリスト教は、325年にニカイアで行われた宗教会議で、イエス・キリストは「唯一の主」にして「神の子」であると規定した。また父と子は「同質」だとし、父と子と聖霊の三位一体を規定した。
 三位一体は、カトリック教会、東方正教会、プロテスタント諸派に共通する中心的な教えの一つである。これは神が三つ存在するということではなく、神の実体(サブスタンシア)は一つ、神の位格(ペルソナ)は三つと概念化されている。三位一体はキリスト教徒にとっても難解な教義であり、理性をもって理解する対象ではなく、信仰をもって信じる対象としての神秘であると強調されてきた。
 イスラーム教は、このキリスト教の教義の重要部分を否定する。『クルアーン』は、イーサー(イエス)は「神の子」ではないことを強調する。神ではなく、単なる人に過ぎない。優れた預言者であるに過ぎないと断じる。
 『クルアーン』は、次のようにイーサーが「神の子」であることを否定する。第19章第35節「アッラーに子供が出来るなどということはありえない。かれに讃えあれ。かれが一事を決定され、唯『有れ。』と仰せになれば、即ち有るのである」。
 イーサーは「神の子」ではないと否定するから、当然三位一体説も明確に否定する。第4章第171節に次のようにある。「啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤム(註 マリア)の子マスィーフ・イーサー(註 イエス)は、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。『三(位)』などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。天にあり、地にある凡てのものは、アッラーの有である。管理者としてアッラーは万全であられる」。
 ムハンマドは、このように三位一体説を否定したが、三位とは神とイエスと聖母マリアだと誤解していた。当時そのように説くキリスト教の一派があった。この誤解を補正し、聖母マリアを聖霊に替えたとしても、イエスは「神の子」ではないと否定するので、基本的な論理は変わらない。
 イエスをどうとらえるかは、キリスト教では大問題である。古代にその点を中心とする論争が起こり、正統と異端に分かれ、また諸宗派・諸教会が発生した。
 325年のニカイア公会議では、父なる神と子なるイエスは「異質」だというアリウスの説が否定され、アタナシウスの「同質」論が正統と決定された。また、同会議で三位一体説が正統とされたため、神性と人性の二つの位格しか認めないネストリウス派は異端と認定され、排斥された。ニカイア公会議で採択された信条を原ニカイア信条という。
 この後、381年の第1コンスタンティノポリス公会議において、ニカイア信条は拡充され、聖霊・教会・死者たちの復活についての教義の詳細が文章化された。これをニカイア・コンスタンティノポリス信条という。
 451年のカルケドン公会議では、受肉したイエス・キリストは単一の本性(ナトゥーラ)を持つとする単性論が否定され、キリストは神性と人性という二つの本性を持つとする両性論が正統と決定された。カルケドン会議の決議を拒絶する者たちは、非カルケドン派と呼ばれる。アルメニア使徒教会、エチオピア正教会、コプト正教会、シリア正教会などがある。これらのうちコプト教会は、マリアを「神の母」として熱心に崇敬する。
 こうした教義論争の結果、ムハンマドが生きた時代には、キリスト教はイエスやマリアを巡って様々な主張が諸宗派・諸教会として存在していた。ムハンマドは、それらに対して、イエスが「神の子」ではなく、ただの人間であり、預言者の一人に過ぎないと説いた。ユダヤ教では、イエスを救世主としても預言者としても認めない。この点、イスラーム教はイエスを預言者の一人と評価している点が異なる。
 ユダヤ教は、唯一絶対の神を信仰する。これに比し、キリスト教は、神と人間の間に「神の子」としてのイエスを仲介者として置くことで、唯一神の絶対性・超越性を弱めたという見方が成り立つ。イスラーム教は、神に子などないとして、これを否定する。それゆえ、イスラーム教は、セム系一神教の神観念を、もともとのユダヤ教の考え方に戻し、これを徹底・純化しようとしたと言えよう。

 次回に続く。

人権257~人権条約の普遍志向的と特殊志向的の関係

2016-01-25 10:07:01 | 人権
●普遍志向的と特殊志向的の関係のまとめ

 ここで普遍志向的な人権条約と特殊志向的な人権条約の関係について補足し、この項目のまとめとしたい。
 もともと人権とは、近代西欧において、王侯・貴族・聖職者に対し、庶民が自らの権利を確保・拡大しようと主張してきたものだった。彼らは、その権利をすべての人間の固有の権利と表現した。ただし、権利主体の実態は、西欧の白人種の富裕な大人の男性の健常者だった。その西欧においても、また人類全体においても、一部の集団に属する者の権利が、人間に普遍的・生得的なものと主張されたのである。普遍的権利ではなく、特殊的な権利だったのである。
 この地域・人種・財産・年齢・性別・心身機能によって限定されていた権利が、20世紀に入ってから大人の男性全体や女性、子ども、障害者等へと保障の対象を拡大してきた。対象の拡大によって、人権は疑似的な普遍性を強めてきた。言い換えれば、特殊的権利の非特殊化である。同時に、この過程で、労働者のみの権利、女性のみの権利、子どものみの権利等が派生してきた。新たな特殊的な権利の付加である。こうして人権は特殊的な権利の疑似的な普遍化、疑似普遍的な権利への特殊的権利の付加という二重の進行によって発達してきた。特殊的な権利の疑似的な普遍化を進めたものが、国際人権規約であり、疑似普遍的な権利への特殊的権利の付加を行ってきたものが、地域的または個別的な人権条約である。厳密な意味ですべての人間の権利とされる普遍的権利は、理念においてしか存在しない。実際には、特殊的権利の非特殊化と新たな特殊的権利の付加という展開で、人権は「人間的な権利」として歴史的・社会的・文化的に発達してきたのである。
 今日の世界には、普遍志向的な人権条約のほかに、多数の特殊志向的な人権条約が存在している。主に三つの地域的人権条約と多数の個別的人権条約である。どれも対象を限定した特殊志向的なものだが、これだけ多くなると、普遍志向的と特殊志向的の逆転が起こってくる。というのは、まず地域的人権条約については、欧州・米州・ラテンアメリカの三つの地域を合わせると、世界の人口の約4割に上る人々が特殊志向的な地域的条約の権利主体となっている。次に個別的人権条約については、まず人類のうち半数以上は女性である。女子差別撤廃条約は、人類の過半数を対象とした特殊志向的な条約である。また18歳未満の者は、世界人口の約10%を占め、子供の権利条約はその集団を対象としている。障害者は、世界人口の約10%を占め、障害者条約はその集団を対象としている。その他、各種の個別的条約が対象とする者を除くと、残るのは3割程度となるだろう。残る人々は、18歳以上の男性の健常者で難民・国内避難民等でない者となる。そのうちの大半は労働者であり、労働者としての権利を保護される対象ゆえ、どのような個別的人権条約の対象にもならない者は、わずか数%だろう。その数%の人々は普遍志向的な条約のみで権利を保障され、それ以外の大多数の人々は単数または複数の特殊志向的な条約によっても権利を保障されている。
 ふつう普遍的とは全部または大多数に当てはまることをいい、特殊的とは一部または極少数に当てはまることをいう。その量的な点のみから言えば、人権条約における普遍志向的と特殊志向的の関係は、逆転しているのである。これは実際にどの程度権利を保障されているかとは別の話である。1%の超富裕層が世界の富の40%を所有しているといわれる。そのごく一部の者が多大な自由と権利を享受する一方、99%の大多数の者は自由と権利を制限されているのが、現在の世界だからである。
 次に、権利関係における優劣に関して述べると、権利関係における劣位者の権利を保護することは、必要である。それが個別的な人権条約を制定する目的である。だが、注意すべき点として、劣位者の権利の拡大によって優位者の権利は縮小され、これが極度に進められると、権利関係における優劣の逆転が起こり得ることである。例えば、女性の男性に対して、子供の大人に対して、在住外国人の居住国の国民に対して、先住民族の非先住民族に対して等の関係において、部分的こうした逆転が起こっている。差別という観点から述べると、差別-被差別の関係は、権利関係と連動するから、同様な逆転が起こり得る。差別されている側の権利を保護することによって、差別している側が権利関係において劣勢になることが起こり得る。これを逆差別という。いったん権利を獲得または拡張した者は、権利を縮小されることに抵抗する。縮小は「人権侵害」だとの主張がなされる。これに対して、論理的かつ実証的に反論することは、容易なことではない。
 普遍志向的な人権条約のほかに、多数の個別的人権条約が存在している。そのため、普遍志向的と特殊志向的の逆転が起こっている。また劣位者の権利の拡大によって優位者の権利は縮小され、これが極度に進められることにより、権利関係における優劣の逆転も一部に起こっている。こうした事態が生じ得るのは、そもそも人権とは普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」だからである。またそれらの権利主体とされる人間のもとになる人間観がいまだ確定したものではなく、人間観が多様化しつつ発達する過程にあるためである。

 次回に続く。

イスラーム4~教義の根本、六信五行

2016-01-24 08:52:40 | イスラーム
2.教義

●教義の根本

 『クルアーン』は、唯一の神アッラーとその最後の預言者ムハンマドとを信じ、神に仕え、神のよしとする正しい人間関係を結び、来世は天国に迎え入れられよと教える。
 『クルアーン』の第1章(開扉)に、次の主旨の言葉が記されている。
 「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、慈悲あまねく慈愛深き御方、最後の審きの日の主宰者に。わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。わたしたちを正しい道に導きたまえ、あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。」
 ここに『クルアーン』の大切な内容がすべて含まれているといわれる。祈りの際には必ずこの一章が読み上げられる。

●六信五行

 イスラーム教徒は、天国に行くために、六つのことを信じ、五つのことを守らねばならない。これを六信五行という。
 六信とは、(1)アッラー、(2)天使、(3)啓典、(4)預言者、(5)来世、(6)天命を信じること。五行とは、(1)信仰告白、(2)礼拝、(3)喜捨 (ザカート)、(4)断食、(5)巡礼を行うことである。
 六信のうち、(1)アッラーと(4)預言者については、ここまでに詳しく書いた。それ以外のものについて記す。
 (2)天使(マラク)は、アッラーと地上を取り持つ存在である。神が光から創造し、神の補佐役として様々な役割を遂行する。ジブリール、ミーカーイール、イズラーイール、イスラーフィールの四大天使等がいるとされる。
 (3)啓典(キターブ)は、『クルアーン』だけではない。モーゼに下された五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)やイエスの言行を記した福音書も啓典とされる。
イスラーム教で「聖なるもの」とされるのは、アッラー、天使、啓典であり、預言者はただの人間であって崇拝の対象ではない。
 (5)来世(アーヒラ)は、神による最後の審判を受けた者が行く世界である。信仰を持ち正しい行いをした人は天国で平安な生活を、信仰せず不義をなした者は地獄で永劫の罰を受けるとする。
 (6)天命(カダル)は、予定とも訳される。イスラーム教徒は、人類の興亡、栄枯盛衰など、現世で起こるすべての出来事は偶然ではなく、あらかじめ定まっており、天命であると考える。

 次に、五行について記す。五行は、五柱と呼んだほうが、イスラーム教の信仰を支える五本の柱の意味で良い。しかし、わが国では、六信五行がという用語が定着しているので、本稿はそれに従う。
 (1)信仰告白(シャハーダ)は、アラビア語で「アッラーのほかに神なく、ムハンマドはアッラーの使徒である」という簡潔な言葉 (カリマ) を唱えることである。 イスラーム教への入信または改宗の際や礼拝のたびごとに唱えられる。
 (2)礼拝(サラート)は、神への服従と感謝の念の行為による表明である。義務としての礼拝は1日に5回、夜明け、正午、午後、日没、夜半に、聖地メッカの方角に向かって、定められた方法で祈る。ほかに自発的礼拝を行うことが推奨される。
 イスラーム教では一切の偶像が否定されている。したがって、日常生活の中で、目に見えない神を常に意識し、崇拝し続けるために、1日5回もの礼拝が行われていると考えられる。
礼拝において、イスラーム教徒は、一心に神に祈りを捧げる。義務としての祈りでは、神への感謝を表す。願いごとを入れてはいけない。これとは別に、個人個人が自分の望みを神に呼びかける祈りをすることができる。その祈りは、ドゥアーと呼ばれる。
 (3)喜捨(ザカート)は、シャリーア(イスラーム法)の定める信徒の義務であり、貧しい者の救済・援助のために寄付を行う。義務化された施しなので、実質的な宗教税、救貧税である。所有する財産によって率が決められている。金銭は2.5%、穀物は10%等となる。ザカートの本来の意味は浄めである。ザカートによって、貧者は困窮から救われ、富者は魂の犯す物質的欲望から救われると考える。
 施しには、これとは別にサダカと呼ばれる自発的な喜捨がある。  
 (4)断食(サウム)は、1年に1ヶ月、イスラーム暦(ヒジュラ暦)の第9月(ラマダーン月)に行う。日の出から日没までの間、飲食や喫煙を禁止する。日没後は許容される。
 (5)巡礼(ハッジュ)は、聖地メッカへ巡礼することである。イスラーム暦第12月(ズー・アルヒッジャ月) の8日から10日までの間、定められた順序と方法でメッカのカーバとメッカ東方の聖地を訪れる。一生に一度は巡礼することが望ましいとされる。

 六信五行は、『クルアーン』と『ハディース』に基づくものである。『クルアーン』に記されたイスラーム教の教義は、イーマーン、イバーダート、ムアーマラートからなる。イーマーンは信仰内容、イバーダートは神への奉仕、ムアーマラートは行動の規範、特に信者同士の人間関係を意味する。
 イーマーンは、六信に対応する。イバーダートは、五行のうちの礼拝、喜捨、断食、巡礼を含むが、『クルアーン』は、それ以外にジハード(聖戦)を特に強調している。この点は重要なので、後で別途記す。イバーダートは、宗教学的には儀礼に当たるが、イスラーム教の儀礼には祭りもある。宗派の別なくイスラーム法に定められた二大祭 (イード) は、断食明けの祭 (イード・アルフィトル) と犠牲祭 (イード・アルアドハー) である。このほかに、数種の祭りがある。またムアーマラートには、姦淫をしないこと、孤児の財産をむさぼらないこと、契約を守ることなどの倫理的なおきてのほか、婚姻、離婚、遺産相続、ハッド (犯罪) に関する規定から利子の禁止、孤児の扶養と後見、酒を飲まないこと、豚肉を食べないこと、豚肉以外でも正しい法によって殺された動物の肉以外は食べないこと、日常の礼儀作法の心得までが含まれている。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm

人権256~宣言にとどまり条約化されていないもの

2016-01-23 08:55:49 | 人権
●条約化されていないもの

 個別的な人権条約の主なものについて書いてきたが、現段階では、宣言にとどまり、条約化はされていないものもある。
 その一つに、1992年に国連総会で採択された「民族的または種族的、宗教的および言語的少数者に属する人々の権利に関する宣言」すなわち少数者の権利宣言がある。この宣言は、少数者は自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、自己の言語を使用し、かつ自国も含め、いかなる国からも出国し、かつ自国へ帰国する権利を有すると宣言している。宣言は、これらの権利を促進し、擁護する行動をとるよう各国に要請している。
 また2007年に採択された「先住民族の権利に関する宣言」すなわち先住民族の権利宣言がある。ここで先住民族とは、indigenous peoplesの訳語である。先住民族はまた「最初の住民」、部族民、アボリジニー、オートクトンとも呼ばれる。現在地球上には少なくとも5,000の先住民族が存在し、5大陸の70カ国以上の国々に住んでいるとされる。ただし、ある集団をその居住国や国際社会が先住民族と認めるかどうかによって、数値は変化する。何を以て先住民とするか、その基準が重要であるし、先住民だと主張する個人個人がその基準に適っているかどうかを、適切に判断する仕組みも必要である。
 先住民族の権利宣言は、先住民族が個人として、また集団として国連憲章、世界人権宣言を始め、国際人権法に認められるあらゆる人権を享有する権利があり、その権利の行使について、いかなる差別もなく、平等であるとしている。また先住民族の個人及び集団の権利をはじめ、文化、アイデンティティ、言語、雇用、健康、教育、その他の利益に対する権利を規定している。また先住民族自身の制度、文化、伝統、それらの発展のモデルを維持、発展させる権利を強調している。また、宣言は先住民族に対する差別を禁止し、公務への参加を推進している。さらに集団の自決権に基づいて、独自の政治的、法的、文化的な制度を保持する権利があり、強制的な同化政策や文化の破壊を受けない権利を有するとしている。その他、立ち退きや移住を強制されない権利、独自の宗教、教育、メディアなどを維持する権利、自分たちに関わる意思決定に参加する権利なども挙げている。
 先住民族の総人口は3億7,000万人を数え、世界人口の4.6%に上るとされる。先に書いたように基準とそれによる判断という課題があるが、仮にその数値に基づくならば、彼らの権利を広範囲に認めると、非先住民族は歴史的・社会的・文化的に獲得・拡大してきた権利を縮小されることになる。国民のアイデンティティ、居住、資源利用、環境保全等の多くの問題に影響する事柄である。彼らは世界の約190か国のうちの707か国以上に居住する。場合によっては、世界の約36%の国々において、人口5%未満の少数者と大多数を占める多数者の間で、権利関係の逆転すら起こり得る。
 少数者及び先住民族の権利保護は、道徳的課題として、注目されるものである。一般に発達したデモクラシーにおいては、多数者による合意の形成と実現とともに、少数派の意思の尊重が重要とされる。デモクラシーは選挙制度と同一視されるべきものではなく、「討議による統治」こそ中心要素と理解されるべきものである。しかし、権利関係は意思の合成に係るものであり、また権利関係は権力関係でもあるから、少数者の意見の尊重が多数者の権利の多大な侵害となってしまうとデモクラシーは機能しない。権利保護を人権の理念のもとに政治的な闘争に利用する左翼人権主義者が世界的に横行している現状では、この点の確認が極めて重要である。
 今日の国際社会においては、民主主義を標榜していながら、「討議による統治」としてのデモクラシーが実現していない国が多数ある。このような状況で、少数者の権利宣言、先住民族の権利宣言で挙げられているような少数者または先住民族の権利を急進的に実現しようとすることは、複雑で多様な問題を生み出す。文化も宗教も言語も民族も、固定的・不変的なものではなく、これまでの人類の歴史の中で生成・変化してきたものである。少数者及び先住民族が権利の拡大を実現するには、それを可能にするだけの価値と普及力を発揮できなくてはならない。またここでも権利は義務と相即的なものでなくてはならないのであって、権利を保障されるとともに、義務を果たし、社会に貢献し得てこそ、権利の拡大が承認される。義務の面を無視してただ権利の保障や拡大を求める者は、真の権利主体とは言えない。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権――その起源と目標 第3部」は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-3.htm

イスラーム3~アッラーが与えた宗教

2016-01-22 08:52:50 | イスラーム
●アッラーが与えた宗教

 『クルアーン』は、イスラーム教は神が宗教を完成させて、人間に与えたものとする。第5章第3節に次のようにある。「今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである」。
 このアッラーによる宗教とは、アッラーを絶対唯一の神とする教えである。第3章83節に次のようにある。「アッラーの宗教の外に、他(の宗教)を求めるというのか、天と地にあるものは、好むと好まざるとを問わず、只かれに服従、帰依し、かれ(の許)に帰されるのである」。
 こうした言葉を伝えるムハンマドには、新たな宗教を創始しようという気持ちはなかった。彼が意図したのは、ユダヤ民族・アラブ民族が共通の祖先とし、ムハンマドが預言者の一人とするイーブラヒーム(アブラハム)の宗教の復活である。イーブラヒームは、神は唯一であり、宇宙の創造者であって、この神だけが信仰の対象たるにふさわしいものであることを明確に規定した。ムハンマドは、そのような純粋な一神教を復活させようとした。

●天地創造と人間誕生

 イスラーム教は、ユダヤ教の聖書(旧約聖書)とキリスト教の新約聖書を神の啓示の書、啓典と認める。それゆえ、天地と人間の創造については、大筋においてユダヤ民族の神話を継承している。
 『クルアーン』によれば、永遠の昔、神は天地を創造し、天には日月星辰を、地には人類をはじめとする生命を創造した。
 人間の起源について、『クルアーン』は、ユダヤ神話のアダムとイブの物語を基本的に継承する。ただし、その記述には違いもある。旧約聖書では、邪悪な蛇がイブを唆し、イブが禁断の実に手を伸ばすのだが、『クルアーン』では、男のアーダム(アダム)がサタンに唆されて、禁断の実に手を伸ばす。禁断の実を食べたアーダムとその妻(註 『クルアーン』には名は記されてしない)は過ちに気づき、アッラーに赦しを乞う。アッラーは二人を赦し、それから二人を楽園から追放する。ここも旧約聖書と違う。
 楽園追放は、旧約聖書では人間の原罪と堕落を意味する。だが、イスラーム教では、人間が地上の世界に来ることになったことに積極的な意味を見出している。なぜなら、二人が地上に遣わされたのは、罪が赦され後のことだからである。アーダムはアッラーの導きに従えば必ず成功すると約束され、子孫に神の教えを伝えた。こうしてアーダムは最初の預言者となったとされる。
 神は自然には天体の運行や四季、風雨、昼夜の変化などの秩序を与えたが、人類には、来世の天国に行けるように現世で守るべき規範を授けた。神が人類に授けた規範をシャリーアという。シャリーアについては、教義に関する項目で述べる。

●『ハディース』

 『クルアーン』に次ぐ聖典とされているものに、『ハディース』がある。『クルアーン』は、神の言葉そのものであるのに対し、『ハディース』は、ムハンマドの言行を記録したものである。この点で『ハディース』は、イエスの言行を記した福音書に比すべきものといえよう。
 『クルアーン』に書かれていないことを知り、物事の是非を判断するには、ムハンマドの発言や行動がよすがとなる。例えば、『クルアーン』には、礼拝の仕方は書いていない。メッカ巡礼も、具体的なやり方はすべて『ハディース』に書かれたムハンマドのやり方に従う。その他イスラーム教徒のあり方やなすべき行動は、この書をもとに体系化されている。

●聖地

 イスラーム教には、メッカ、メディナ、エルサレムなどの聖地がある。メッカはムハンマドの生地であり、啓示と創唱の地である。またカーバ神殿がある。メディナはムハンマドが迫害を逃れて移住し、信仰共同体を築いた地であり、また没した地である。メッカ、メディナとも、サウジアラビアにある。これに対し、イスラエルにあるエルサレムは、イスラーム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの宗教の聖地である。
 ユダヤ民族とアラブ人の先祖とされるアブラハム(イーブラヒーム)は、神から一人息子のイサクを犠牲にするように命じられた。アブラハムは丘の上の岩にイサクを横たわらせ、刃物で殺そうとした。神はそれを見て、アブラハムが忠実であることを認め、イサクを殺すのをやめさせた。許されたアブラハムは、子供の替わりに犠牲の羊を捧げた。その場所を、ユダヤ教では「聖なる岩」という。ユダヤ人はそこに神殿を建てた。だが、神殿は紀元70年にローマ帝国によって破壊され、神殿の西側のみが残っている。これを「嘆きの壁」という。
 ムハンマドは、この「聖なる岩」の上に手をついて、そこから天に昇り、かつて神の声を聞いた預言者たち(アーダム、イーブラヒーム、ムーサー、イーサー)に会って、再びエルサレムに降りてきたとされる。イスラーム教では、ウマイヤ朝時代に「聖なる岩」を覆い、「岩のドーム」を建造した。
 また、キリスト教では、イエスが十字架にかけられた「ゴルゴダの丘」に、聖墳墓教会が建設されている。
 このように、エルサレムはイスラーム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地となっている。同市旧市街のわずか1キロ四方ほどの場所に、これらの宗教の聖地が集中している。エルサレムは、1947年国連で国連永久信託統治区と決議されたが、第1次中東戦争の結果、イスラエルとトランス・ヨルダンの休戦協定で東西に分割された。さらに第3次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西側を占領した際、全市を押さえた。イスラエルは、エルサレムを「統一された首都」と宣言した。国連決議を完全に無視した行動である。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をティルアビブに置いている。

 次回に続く。