●1990年代からの構造改革政策を批判
私は、日本の構造改革を、それを主に推進した政権の名を並べて、橋本=小泉構造改革を呼んでいる。構造改革は、橋本内閣で本格的に開始され、それ以降多少の行きつ戻りつはあったが、小泉内閣でさらに強力に推進された。
私見によると、従米的なプラザ合意後に発生したバブルは、当然のこととして崩壊し、わが国の経済は大打撃を受けた。1990年代はそこからの回復の過程だった。ようやく回復の兆しを示していた平成8年(1996)、政権を担った橋本内閣は、6大改革を掲げた。これがわが国における本格的な構造改革の開始である。橋本内閣は緊縮財政と消費増税を行い、日本経済はデフレに陥った。またアメリカの圧力で金融ビッグバンを進め、わが国はアメリカに金融的に属国化した。こうした失政の結果、平成10年(1998)7月の参議院選挙で自民党は惨敗した。橋本内閣は総辞職し、小渕内閣が成立した。
丹羽氏は、小渕政権の時代、わが国の政界・官界・財界等に浸透していた反ケインズ主義的な政策を厳しく批判した。
平成10年5月に発表した「正統派的ケインズ政策の有効性」にて、丹羽氏は、大意次のように言う。当時、規制緩和が声高に叫ばれていたが、丹羽氏は「いかに懸命に規制緩和に努めたとしても、総需要が増えなければ、わが国経済の不況・停滞は続くことにならざるをえない。そして、規制緩和によって総需要が増えることになるかどうかは、本質的に、不確実」と言う。対照的に「正統的なケインズ的政策」は「100パーセント確実に総需要を拡大させうる」。「規制緩和でケインズ的政策の代用をつとめさせようという政策姿勢は、根本的に間違っている」。リストラや行革は「総需要を減少させるデフレ要因」であり、「不況・停滞を激化させるもの」にほかならない、と。
丹羽氏は、このような見解をもって、時の国家最高指導者に直接提言した。平成10年(1998)に小渕首相に提出した「政策要求書」においては、次のように進言した。
「わが国経済の現在の不況・停滞の原因は、現実には、構造改革・構造調整の立ち遅れだとか規制緩和の不十分だとかといったミクロ面の供給サイドの問題にあるのではありません。わが国経済の不況・停滞は、ひとえに、マクロ的な総需要の不足にこそ、その原因があります。したがって、平成不況がはじまってから今日まで、わが国の朝野を通じて広く唱えられてきたところの、『まず構造改革をやれ! それがすむまでは、総需要拡大政策などはやるな!』といった意見は、根本的に間違っています。そのうえ、リストラ、構造改革、等々は、企業どうしで注文を削りあうことにほかなりませんので、不況を激化させる要因でもあります」と丹羽氏は言う。そして「もちろん、構造改革は、それ自体、長期的には必要なことであるには違いありませんが、それは、総需要の拡大によって不況が克服され、経済が成長率を回復して、完全雇用・完全操業の『天井』が視野に入ってきた段階になってから行なうべきことですし、また、そうなれば、市場メカニズムの働きで、それは自ずからスムーズに行なわれていくことにもなるはずです」と述べている。
丹羽氏は、平成11年にも小渕首相に「建白書」と題した政策提言を行った。小渕氏は、首相就任以来、橋本政権以来の財政改革を凍結して積極財政を行い、景気は回復に向った。そこに丹羽氏の提言が影響を与えたかどうかは不明である。
小渕氏は、平成12年(2002)4月、志半ばで急病に倒れた。後継の森喜朗首相は、橋本構造改革に戻す経済政策をまとめ、小泉純一郎首相がそれを強力に実行した。橋本政権から小泉政権へと、小渕内閣を除いて、一つの方向性のもとに構造改革政策が行われているのは、財務官僚を中心とした官僚集団が企画・立案・推進しているからである。
次回に続く。
私は、日本の構造改革を、それを主に推進した政権の名を並べて、橋本=小泉構造改革を呼んでいる。構造改革は、橋本内閣で本格的に開始され、それ以降多少の行きつ戻りつはあったが、小泉内閣でさらに強力に推進された。
私見によると、従米的なプラザ合意後に発生したバブルは、当然のこととして崩壊し、わが国の経済は大打撃を受けた。1990年代はそこからの回復の過程だった。ようやく回復の兆しを示していた平成8年(1996)、政権を担った橋本内閣は、6大改革を掲げた。これがわが国における本格的な構造改革の開始である。橋本内閣は緊縮財政と消費増税を行い、日本経済はデフレに陥った。またアメリカの圧力で金融ビッグバンを進め、わが国はアメリカに金融的に属国化した。こうした失政の結果、平成10年(1998)7月の参議院選挙で自民党は惨敗した。橋本内閣は総辞職し、小渕内閣が成立した。
丹羽氏は、小渕政権の時代、わが国の政界・官界・財界等に浸透していた反ケインズ主義的な政策を厳しく批判した。
平成10年5月に発表した「正統派的ケインズ政策の有効性」にて、丹羽氏は、大意次のように言う。当時、規制緩和が声高に叫ばれていたが、丹羽氏は「いかに懸命に規制緩和に努めたとしても、総需要が増えなければ、わが国経済の不況・停滞は続くことにならざるをえない。そして、規制緩和によって総需要が増えることになるかどうかは、本質的に、不確実」と言う。対照的に「正統的なケインズ的政策」は「100パーセント確実に総需要を拡大させうる」。「規制緩和でケインズ的政策の代用をつとめさせようという政策姿勢は、根本的に間違っている」。リストラや行革は「総需要を減少させるデフレ要因」であり、「不況・停滞を激化させるもの」にほかならない、と。
丹羽氏は、このような見解をもって、時の国家最高指導者に直接提言した。平成10年(1998)に小渕首相に提出した「政策要求書」においては、次のように進言した。
「わが国経済の現在の不況・停滞の原因は、現実には、構造改革・構造調整の立ち遅れだとか規制緩和の不十分だとかといったミクロ面の供給サイドの問題にあるのではありません。わが国経済の不況・停滞は、ひとえに、マクロ的な総需要の不足にこそ、その原因があります。したがって、平成不況がはじまってから今日まで、わが国の朝野を通じて広く唱えられてきたところの、『まず構造改革をやれ! それがすむまでは、総需要拡大政策などはやるな!』といった意見は、根本的に間違っています。そのうえ、リストラ、構造改革、等々は、企業どうしで注文を削りあうことにほかなりませんので、不況を激化させる要因でもあります」と丹羽氏は言う。そして「もちろん、構造改革は、それ自体、長期的には必要なことであるには違いありませんが、それは、総需要の拡大によって不況が克服され、経済が成長率を回復して、完全雇用・完全操業の『天井』が視野に入ってきた段階になってから行なうべきことですし、また、そうなれば、市場メカニズムの働きで、それは自ずからスムーズに行なわれていくことにもなるはずです」と述べている。
丹羽氏は、平成11年にも小渕首相に「建白書」と題した政策提言を行った。小渕氏は、首相就任以来、橋本政権以来の財政改革を凍結して積極財政を行い、景気は回復に向った。そこに丹羽氏の提言が影響を与えたかどうかは不明である。
小渕氏は、平成12年(2002)4月、志半ばで急病に倒れた。後継の森喜朗首相は、橋本構造改革に戻す経済政策をまとめ、小泉純一郎首相がそれを強力に実行した。橋本政権から小泉政権へと、小渕内閣を除いて、一つの方向性のもとに構造改革政策が行われているのは、財務官僚を中心とした官僚集団が企画・立案・推進しているからである。
次回に続く。