ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「人種差別問題~克服すべき米国、利用する中国」をアップ

2020-09-30 10:49:43 | 国際関係
7月30日から9月28日にかけてブログに連載した拙稿「人種差別問題~克服すべき米国、利用する中国」を編集し、マイサイトに掲載しました。全文を通してお読みになりたい方は、下記へどうぞ。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-9.htm

仏教61~教相判釈、智顗

2020-09-29 10:55:19 | 心と宗教
●隋唐時代の仏教の諸相

◆教相判釈
 シナには、古来、インドでの聖典の成立の順序に関係なく、膨大な量の文献が次々に伝えられた。そのため、シナの仏教者は経典の内容をどのように整合して理解するかを大きな課題とした。そこで行われたのが、教相判釈(きょうそうはんじゃく)である。
 教相判釈は、経典の解釈と評価に関するシナ仏教独自の方法である。具体的には、経典の研究者がそれぞれ根本・中心に置く経典を選び出して、それを最上位に位置づけ、その他のすべての経典をこれに関連させて解釈する。そして、他の経典をすべて釈迦が生涯の様々な時期に実際に説いたものと考え、順序付けて体系化し、それによって、釈迦の説いた真意を明らかにしようとした。
 隋以前の三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の六王朝を六朝ともいうが、六朝時代から隋・唐の時代の仏教は、教相判釈を中心課題とした。教相判釈を通じて、仏教家や諸宗派は、教学を整備し、教義を宣揚した。経典の解釈と評価の違いによって、様々な立場が生まれた。主なものに天台宗の五時八教、法相宗の三教八乗、華厳宗の五教十宗、三論宗の大小二教、密教の顕密二教と十住心論等がある。
 だが、教相判釈は、もとより誤解を免れないものだった。まずインドにおける経典の成立は、初期仏教、部派仏教、大乗仏教を通じて数百年に渡り、それぞれ成立した年代が異なる。その間に編纂する者の思想や立場が多様化し、またヒンドゥー教の影響を受けてもいた。さらに、教理的な対立と混乱が広がっていた。シナでは、こうした事情を知らなかったため、経典に対して壮大な誤解が生じた。近代的な歴史学的・文献学的研究がまだ行われていない時代である。シナ仏教には当時、教相判釈しか方法がなかった。
 次に、隋・唐の時代の仏教者の思想と活動について述べる。

●智顗

 天台大師と呼ばれる智顗は、6世紀後半、陳の末期から隋の初期に活躍し、シナで初めての宗派となる天台宗を確立した。天台宗は、始祖・慧文、第二祖・慧思、智顗は第三祖だが、彼を開祖とする説もある。
 智顗は、時の為政者の信任が厚かった。東晋の楊広王に対しては、王の懇請によって大乗戒を授け、王から智者の号を賜わった。その王は、智顗の死後、隋の2代煬帝となった。
 大乗戒というのは、インドの初期仏教で確立された戒律がシナで緩和されたものである。シナの仏教は儒教の性善説の影響を受けて、また人間の善なる本性に照らして戒律の制約的・禁止的性格を改めた。そこに生まれたのが、大乗戒である。大乗戒は、菩薩戒ともいい、大乗の仏教徒が菩薩としての自覚を持って受持するもので、止悪すなわち悪をとどめ、修善すなわち善を修め、利他すなわち人々のために尽くすという三つの面がある。最後の利他は、大乗仏教の特徴である。いわゆる小乗の声聞戒と違い、出家者も在家の信徒も共通の戒法を受ける。また、シナ仏教は教団の戒律よりも個人の自覚を重視し、自律自戒を尊んだ。智顗は、在家者である煬帝にこの戒律を授けたのである。
 智顗の最も重要な業績は、教相判釈を行って、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』を経典の最上位とし、他のすべての経典を、その真理を伝えるための手段・方法すなわち方便として体系づけたことである。智顗によると、釈迦は『法華経』の根本真実を明らかにするために、相手の理解能力に応じて、その向上のために、数々の経典を説いた。その説法には、五つの時すなわち段階の教えがあるとして、五時八教論を説いた。
 第一の華厳時は、釈迦が、相手の能力を顧みることなく、悟りの内容を語った時期とする。ただし、実際は、『華厳経』は、大乗仏教の時代に、ヒンドゥー教の影響のもとに書かれ、有神教化が進んでいるものである。
 第二の阿含時(または鹿苑時)は、最も能力の低い人々に対して、世間的な生活に応じて、小乗経典の阿含経を説いた時期とする。これも実際は、阿含経は部派仏教の時代に作られた経典の総称で、釈迦自身が説いた教えに近いものと考えられる。
 第三の方等時は、釈迦が小乗経の説法を終えて、人々を大乗に導くため、『維摩経』、『勝鬘経』等の大乗経典を初めて説いた時期とする。実際は、これらの経典を釈迦の生涯の特定の時期に関係づけることはできない。
 第四の般若時は、大乗仏教への徹底である般若の教え、空の思想が説かれた時期とする。方等時に続くため、すべて否定的な教えと見る。実際は、般若経の経典群とこれらの経典に明確な前後関係はない。
 第五の法華涅槃時は、釈迦が晩年に『法華経』を説き、入滅に際して『涅槃経』を説いた時期とする。すべてを肯定する総合的な教えと見る。実際は、『法華経』を根本真実の経典と評価した智顗による独自の位置づけである。
 智顗の教えは、天台三大部と呼ばれる『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義』『摩訶止観』等の著作に記されている。その教学思想は、『法華経』を根本真実とするもので、一心三観を修して、諸法すなわち現象世界の実相である一念三千・円融三諦を悟ることを教えるものである。これらの概念については、次に述べる。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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人種差別24~自由/平等の価値対立を超える精神的向上へ

2020-09-28 08:14:04 | 国際関係
 最終回。

●「自由世界が中国を変えなければ、共産中国が私たちを変えてしまう」

 自由主義的民主主義は、西欧で生まれた思想であり、その主唱者は、19世紀にはイギリスであり、20世紀以降はアメリカとなっている。英米は、共産中国が香港に国安法を施行して以来、中国に対する姿勢を強硬化している。 
 香港の旧宗主国であるイギリスは、英国海外市民旅券を保持する香港住民とその扶養家族に英市民権付与の道筋を開く方針を表明し、香港との犯罪人引き渡し条約を停止する方針を明らかにした。米国のポンペオ国務長官は、本年7月下旬に訪英し、21日にボリス・ジョンソン英首相、ドミニク・ラーブ外相と会談し、中国への対応などを協議した。記者会見でポンペオは「中国共産党の試みに対抗するため、すべての国々と一致協力したい」と述べ、国際的な連携の必要性を強調した。米国は、第5世代(5G)移動通信システムから中国企業を排除するため、華為技術(ファーウェイ)の製品を買わないよう日本・欧州・豪州等の諸国に呼びかけている。また、南シナ海での中国の無法な領有権の主張を拒絶し、中国と領有権を争う東南アジア諸国を支持する方針を明確にするなど、中国への対決姿勢を鮮明にしている。
 7月23日、ポンペオ国務長官は、対中政策に関して演説し、トランプ政権のそれまでの政策より格段と踏み込んだ方針を示した。この演説は、歴史的な演説となるだろう。
 ポンペオは、米中和解以降の歴代米政権の対中政策について「中国に盲目的に関与していくという古い枠組みは失敗した」と断じ、「現在の中国は、国内では一層権威主義化し、国外では自由を攻撃し敵視している」と指摘し、「自由世界は新たな専制国家に打ち勝たなくてはならない」と呼びかけた。中国の習近平国家主席については「破綻した全体主義思想を心から信じており、中国的共産主義に基づく世界的覇権を何十年間も切望してきた」と非難した。「今こそ自由主義国が行動するときだ。各国が自国の主権や経済的繁栄などをどう守るかに思いを致す必要がある。われわれは過去の過ちを繰り返してはいけない」と述べた。
 ポンペオは、中国の脅威の対処という課題には「一国で立ち向かうことはできない」とし、「民主主義国家による新たな同盟を構築するときだろう。自由世界が中国を変えなければ、共産中国が私たちを変えてしまう。中国共産党から自由を守ることは私たちの時代の使命である」と強調した。
 ここで重要なことは、ポンペオが「米国は中国の人々と関係を築き、彼らに社会的な力をつけさせなくてはならない。彼らは中国共産党とは完全に異なり、活力に満ちた自由を愛する人々だ」と述べ、一般の中国民衆との連帯を目指す、新たな対中関与の形態を打ち出したことである。これは、トランプ政権は、中国の体制変更を目指していることを意味する。
 ポンペオ演説は、世界コロナ危機に乗じて一層、覇権主義的行動を強める共産中国に対抗するため、米国が自由主義諸国を束ねていく決意を明確に示した。演説後、司会者との対談で、ポンペオは「世界各国が自由と専制のどちらを選択するかの問題だ」と語り、米国と一緒に中国の脅威に立ち向かうことを選んだ国々は「米国が支えていく」と明言した。
 米国は、「中国共産党から自由を守る」ために、自由主義的民主主義の国々の新たな同盟を呼びかけている。イギリス、オーストラリア、インド、そしてわが国が連携の主要な対象となる。EC諸国や東南アジア諸国、台湾等も対象となるだろう。
 私見を述べると、米国がこの同盟の中心となって、「自由世界」を牽引するには、対外的な外交・安全保障政策の実行だけでなく、国内における人種差別や社会的・経済的な格差の問題の解決に政府が積極的に取り組むことが必要である。この取り組みのためには、自由を一元的な価値とする古典的な自由主義から脱却し、自由を中心としながら平等に配慮する修正的自由主義に転換することが求められよう。そのうえで、対内的には歴代の民主党政権が掲げてきたような政策、日本の国民皆保険をモデルにするような政策、また対外的にはトランプ政権が推進しているような対中強硬政策が組み合わされた政策体系が打ち立てられなくてはならない。米国の二大政党体制では、かつて実施されたことのない新たな政策体系を掲げて、国民を統合していけるような指導者の出現が待望されよう。

結びに~自由/平等の価値対立を超える精神的向上へ

 人種差別や民族対立の問題の根は深い。歴史と現実、感性と感情が深く絡み合っている。また、この根深い問題が、21世紀の地球で世界的な覇権を争っている米国と中国という二大国の関係に絡んでいる。
 米国と中国の対立は、自由主義と統制主義、資本主義と共産主義の対立である。自由主義・資本主義の側は、自由主義的・資本主義的な政治・経済の体制を人類史上最高のものとし、今後もこの体制を維持しようとする。これに対して、統制主義・共産主義の側は、資本主義から社会主義への移行を歴史的必然とし、世界の共産化を推し進めようとする。この対立は、自由と平等のどちらを第一の価値とするかという思想の対立である。
 西欧で近代化が進行する中で、自由を至上の価値とする思想が現れた。だが、自由を一元的な価値とすると、貧富の格差が広がる。そこで、自由を理念としつつ平等を考慮する思想が現れた。前者の思想は古典的自由主義であり、後者の思想は修正的自由主義である。これらに対し、平等を第一の価値とする思想が現れた。それが、社会主義である。それを暴力的に実現する思想が、共産主義である。だが、平等を追及する社会では、自由が規制され、少数者が自由を独占し、多数者は不自由に置かれた。その結果、平等を追及するはずが、不平等を生み出した。
 現代世界において、自由を一元的な価値とする古典的自由主義の国家の代表が米国である。また、平等を第一の価値としながら、不自由と不平等を生んでいる共産主義の国家の代表が中国である。こうした自由と平等という二つの価値の力学に関係しているのが、人種差別の問題であり、人種を基礎とした民族間の問題である。米国には、白人種による黒人をはじめとする有色人種への差別があり、中国には漢民族による少数民族に対する抑圧がある。
 現代世界で覇権を争う二大国における人権と自由の問題状況を改善するには、自由/平等の価値の対立を超えるものが必要である。それは、人類の道徳的な向上であり、精神的な進化である。自由の追求が不平等を生み、平等の追及が不自由と不平等を生むのは、それらの価値を追求する者が利己主義に陥るからである。人類は、この利己主義という人間の根深い悪性を乗り越えなければ、個人と個人、集団と集団、国家と国家、民族と民族における利己主義と利己主義の争いによって、自滅への道を歩むのみだろう。この破局的な結果を避ける道は、人類が自ら精神的な進化へと向かう以外にない。
 人類の精神的な進化に関する私見については、紙製の拙稿『超宗教の時代の宗教概論』『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)をご参照ください。(了)

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仏教60~隋・唐時代と仏教

2020-09-27 13:37:01 | 心と宗教
●隋・唐時代と仏教

 後漢の末期から魏晋南北朝時代の長い分裂の時代に終止符を打ったのは、隋である。北周の権力を奪った楊堅が、国名を隋と称し、高祖文帝となり、589年に陳を滅ぼして、シナを統一した。
 楊氏は、北魏で長城北辺の防衛に当たっていた漢人武将の家柄である。ただし、漢人とは言っても、通婚関係からみて、非漢民族、特に鮮卑の血を多く交えていると見られる。
 文帝は、律令制、均田制、租庸調制、府兵制等を敷き、中央集権化を目指した。官僚の採用では科挙を開始したが、宗教政策では5儒教に替えて仏教を中心にすえたので、仏教は鎮護国家の役割を拡大した。新都の大興に、全国の仏教の本拠として大興善寺が建てられ、各地に大興国寺等の名称の寺院が建造された。文帝は、道教も保護し、大興善寺に対応するものとして玄都観を設けた。晩年、仏教への信仰を強めた文帝は、諸州に舎利塔を建立し、その地方の信仰の中心とした。これが、日本の国分寺の起源となった。
 隋代には、浄影寺(じょうようじ)の慧遠、天台大師智顗、嘉祥大師吉蔵(きちぞう)が現れ、三大法師と呼ばれる。慧遠は、渡来人・菩提流支が開いた地論宗を発展させ、北周の武帝の廃仏に反対した。智顗は、天台宗の開祖で、教相判釈によって『法華経』を諸経典の最上位に置いた。吉蔵は、龍樹の系統を受けて三論宗を大成した。
 文帝の後を継いだ煬帝(ようだい)は、即位前から天台智顗を崇敬した。智顗から大乗戒を受け、仏教を実践した。その一方で、神仙説を信じ、道術に優れた道士を重んじもした。治政では、江南・華北を結ぶ大運河を建設した。だが、その政治は暴政として恐れられ、度重なる外征の失敗も多く、農民・豪族の反乱が起き、619年に隋は滅亡した。
 隋を滅ぼした李淵は、唐を建国して、高祖となった。都は長安に開いた。その子・李世民は2代太宗となり、628年にシナを統一した。
 李氏は、北魏で蒙古と接する北辺の防衛に当たっていた軍人の家柄である。隋の楊氏と姻戚関係にあり、鮮卑族と通婚していた。隋・唐とも純粋な漢民族の王朝ではなく、漢人・鮮卑混血の王朝である。
 唐代初期は、隋の煬帝の暴政をやめて、文帝の時代の治政に戻すことを方針とした。隋の均田制、租庸調制、府兵制に基礎を置いて、律令制度を完成させた。太宗の治政は、貞観の治と呼ばれ、民生に安定をもたらすとともに、西域に勢力を伸ばし、漢代以降で最大の版図を広げた。
 唐代は、宗教・文学・美術の各分野で古代シナの王朝文化の最盛期を現出した。道教で神格化された老子の姓(李)が唐の王室と同じであるところから、唐室の祖は老子であるとされ、道教が尊重された。しかし、仏教への禁圧はなく、仏教は唐代に大きく発展した。隋による統一以前から唐代にかけて、多くの宗派が生まれた。先に揚げた地論宗、天台宗、三論宗の他に、摂論宗、禅宗、華厳宗、浄土宗等が現れた。当時の諸宗派は、独自の制度を持つ教団というより、教学研究の学派に近いものだった。そのうちの天台宗と禅宗は、唐代に教団としての性格を持つようになった。
 仏教は、シナ文明において儒教と出会い、その教えを一部取り入れるようになった。隋代末期から唐代初期につくられた経典に、『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』がある。父母の恩が極めて重いことを説き、父母への報恩の実践を勧めるものである。これは、儒教の孝の徳目に基づくもので、シナで撰述された偽経である。こうした経典の登場は、仏教の儒教化を示す現象である。
 7世紀半ば、シナの仏教史において画期的なことが起こった。玄奘がインドから多くの聖典を持ち帰り、精力的に翻訳を進め、新しい仏教思想を伝えたことである。これによって、諸宗派における仏教の研究が進み、シナ仏教の最盛期が訪れた。玄奘の翻訳以後の時代を新訳時代という。
 当時、長安は、世界最大級の都市であり、東方を代表する国際都市だった。西方からゾロアスター教、マニ教、景教(キリスト教ネストリウス派)等が伝えられて、寺院が建設され、マニ教、景教の教典が漢訳された。これらの宗教より早くシナに伝来していた仏教は、既に土着した立場で、これらとあらためて出会った、
 3代高宗の死後、皇后の則天武后が実権を握った。690年に自ら皇帝に即位するし、国号を周に改めた。このシナ史に空前絶後の女帝は、多くの悪行で知られるが、熱心な仏教信者でもあった。唐王朝は老子を祖と仰ぐことから、宮中での席次は道先仏後すなわち道教を仏教より上位とすることを定めていた。だが、則天武后は、これを仏先道後に改めた。国分寺に類する大雲経寺を各地に建立し、自分の姿に似せた大仏を建造した。渡来僧らに『華厳経』を漢訳させ、禅僧の神秀を国師に迎えた。また、畜類の殺生や魚の捕獲を禁止するなどした。老齢に入った則天武后は、705年に中宗を復位させ、それにより、唐が復興した。
 その後、即位した6代玄宗は、在位の前半には開元の治と呼ばれる優れた治政を行い、後半も途中までは、唐の最盛期を生み出した。玄宗の時代に道教は勢力を伸張し、『大智度論』が編成された。玄宗は晩年、楊貴妃を溺愛し、宮廷は腐敗した。周辺諸民族の統治に失敗し、辺境防衛のために節度使を置いたが、755年に節度使の安禄山らが安史の乱を起こした。以後、各地で土地の私有が進み、均田制が行えなくなり、律令制度は崩壊していった。
 この間、7世紀後半から8世紀にかけて、インドから密教が伝来した。現世利益の求めに応じる密教は、王室や貴族の心をとらえただけでなく、民衆にも流行した。鎮護国家の役割も発揮し、8世紀後半から9世紀の初めにかけて、密教の恵果は三代にわたる皇帝の崇敬を受け、三朝の国師と仰がれた。
 仏教を信仰する皇帝が多く現れた背景には、仏教信者の多い宦官の影響が指摘される。ところが、9世紀後半に、仏教に法難が起こった。武宗が仏教への迫害を行ったのである。三武一宗の廃仏の第三回となるものである。
 武宗は、宮中で多数の道士に祭儀を行わせ、また宮中で道教の法を受けて道士皇帝となった。仏教を嫌い、約4600の寺院を破壊し、多くの聖典を焼却した。約26万5百人の僧尼を還俗させ、寺院に隷属していた約15万人を解放した。これを会昌の廃仏という。弾圧の背景には、道教の勢力回復を目指す道士が武宗に廃仏を教唆したこと、財政難の唐王朝が寺院の財産の没収や税収の増加を狙ったことなどが挙げられる。この大規模な廃仏によって、仏教は深刻な打撃を受けた。武宗は、仏教だけでなく、ゾロアスター教、景教、マニ教の三夷教にも弾圧を加えた。その結果、唐文化の国際性は失われた。
 武宗を継いだ宣宗の治政以降、仏教は徐々に復興した。廃仏以後、教学研究ではなく実践に専念する浄土宗と禅宗が主流になっていった。もっとも、既に唐は中央集権的な求心力を失っており、仏教が昔日の繁栄を再現することはなかった。
 衰退を続ける唐では、874年には黄巣の乱と呼ばれる農民反乱が起き、長安・洛陽が陥落した。唐はトルコ系の沙陀族の力を借りて乱を治めた。しかし、王朝の権威は失墜し、衰退の一途となった。そして遂に907年、唐は節度使の一人、朱全忠によって滅ぼされた。

 次回に続く。

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人種差別23~米国と中国が非難の応酬

2020-09-26 08:52:47 | 国際関係
●米国と中国が非難の応酬(続き)

 米国は、本年の7月4日の独立記念日を、コロンブス、ワシントン、ジェファーソンらの像や記念碑が破壊されたり、汚損されたりする中で迎えた。自由、民主、人権、法の支配を共通価値とする国々の中心である米国は、ごく少数の者たちの行動によって歴史の暗部を世界にさらされ、国家観・歴史観・価値観を根底から揺さぶられている。その背後には、米国の大衆の意識を自国に有利に誘導しようとする共産中国の巧妙な工作がある。米国社会を根底から揺り動かして混乱させ、米国民のトランプ政権への不満を強めることができれば、中国に強く対抗するトランプの再選は危うくなる。中国共産党はそれを狙って、抗議デモを教唆・煽動し、過激化するように仕向けている。中国共産党は米国の人種差別問題を自国の利益、世界的な覇権の拡大に利用しようとしている。
 その一方で、中国共産党は、自国における民主化運動を厳しく弾圧している。6月30日、共産党の全人代常務委員会は「香港国家安全維持法」(以下、国安法)を可決した。中国共産党は、自治と自由を50年間保障するという国際的な約束をかなぐり捨てて、「一国二制度」を実質的に否定し、香港の自治と自由を守ろうとする人々への本格的な弾圧を開始した。言論・表現・集会・結社等の自由を奪う強硬策の実行である。武漢ウイルス・パンデミックで世界が大きく動揺し、香港への国際社会の関心が薄れていた隙を狙ったものと見られる。国安法の施行を受けて、香港では、政治団体が相次いで解散を表明した。若き活動家である黄之鋒氏や周庭氏は政治団体「香港衆志(デモシスト)」からの脱退を表明した。彼ら幹部が抜けたところで、同会は団体としても解散を発表した。香港人の自由と権利は、大幅に制限された。香港人は、今や米国では黒人も持っている自由と権利を奪われている。
 中国共産党は、チベット族、ウイグル族、法輪功等への暴虐を告発されても、香港における約束違反を咎められても、決して自らの非を認めない。逆に、米国の側の問題点を論って非難し返している。米国には、黒人の生命の大切さを訴えながら、そうした中国共産党の姿勢を批判せずに、チベット族やウイグル族、法輪功等の生命の大切さを訴えない者がいる。また、黒人の自由と権利の拡大を要求しながら、香港人の自由と権利の回復を要求しない者がいる。それがBLMやアンティファ等である。彼らによる自由と権利の主張は、欺瞞に満ちている。
 トランプ大統領は、就任以来、共産中国に対して、強硬な姿勢の外交を行なっている。中国共産党が香港市民への弾圧を強めるのに対し、トランプ政権は中国に対する圧力を一層強めていく方針を打ち出した。第一段階は、香港への軍民両用技術の輸出制限を行なう。続いて、各種の対抗措置が実施される模様である。過去の民主党政権では、こうした厳しい対中政策は、決して行われなかった。
 中国共産党が香港で国家安全維持法を施行した暴挙に対し、日本、フランス、英国など27カ国は6月30日に国連人権理事会で、中国に対して懸念を示す共同声明を発表した。ところが、キューバなど53カ国は同理事会で、同法を称賛する共同声明を出した。国際社会への中国の影響力は、想像以上に大きくなっている。このことは、統制主義的権威主義をよしとする国家が世界には多数存在することを意味する。特に独裁政権・軍事政権の発展途上国である。そうした国家の特権的な指導層にとっては、共産中国と連携することで政治的・経済的・軍事的な利益を得られるのである。
 もし本年の選挙でトランプが再選されず、バイデンが勝利して民主党による融和的な対中外交に戻った場合、日本やアジア・太平洋地域の安全保障にも大きな影響が生じる。それゆえ、米国の人種差別問題への対応は、間接的に日本やアジア・太平洋地域の安全保障政策をも脅かしかねないものである。また、米国の政権が共産中国の覇権拡大を抑えようとせず、融和的な姿勢に転じれば、世界的にも中国共産党の影響力が増大するだろう。
 中国共産党が世界を支配するならば、自由、民主、人権、法の支配といった価値は踏みにじられ、唯物論によって宗教は弾圧される。世界のチベット化、ウイグル化が進む。共産中国が主導する統制主義的権威主義から、自由主義的民主主義を守るためには、国際的な連携の強化・拡大が強く求められる。

 次回に続く。

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仏教59~シナ仏教の旧訳時代、弾圧と復興

2020-09-25 10:16:40 | 心と宗教
●仏教の旧訳時代

 格義仏教によって、外来の仏教受容の土壌が作られた後、4世紀から仏典の新たな翻訳が行われた。それとともに、仏教の研究や布教が本格化した。この時代を旧訳(くやく)時代という。4世紀初め頃から7世紀半ばまでである旧訳時代は、シナ仏教が独自性を持って開花した時代である。当時の代表的な渡来人の仏教家が、仏図澄と鳩摩羅什である。また、シナ人にも優れた仏教家が現れた。

◆仏図澄
 旧訳時代は、シナ文明の歴史では、南北朝時代に当たる。シナ北部では、五胡十六国が興亡した時代である。この時期に活躍したのが、仏図澄である。彼は、310年に、中央アジアの亀茲国(クチャ、東トルキスタン)から、戦乱の続く洛陽へ来た。当時の年齢は78歳だったという。霊能者として神通力を発揮し、北方民族を統一した後趙の王・石勒、石虎を教化して、国師と尊敬された。その布教活動は約30年に渡り、各地に建立した寺院は893、弟子は1万人に上ったという。それまで許されなかったシナの出家が許されるように努力し、多くの有能な僧侶を育成した。彼は翻訳をせず、著作も残さなかったが、外来の宗教である仏教がシナ北部に定着する端緒を開き、シナ仏教の発展の基礎を作った。

◆道安・慧遠・法顕
 仏図澄の弟子の道安は、4世紀の後半にシナ人として初めて仏教教団を組織した。仏教伝来当初のシナでは、出家した者は受戒者の姓を受け継ぐのが慣例だった。 しかし、道安は仏弟子としての自覚により、釈迦の釈の字を姓とし、釈道安と名乗った。以後、出家者が釈の一字を姓とすることが一般化した。道安は、経典の目録を作り、経典の解釈を正して、格義仏教からの脱却を図った。
 4世紀から5世紀初め、道安の弟子である廬山(ろざん)の慧遠(えおん)は、阿弥陀信仰を行い、観想念仏を修し、白蓮社という念仏結社をつくった。また、僧侶は王権の下に隷属し、王者に従うべきとの主張に反論を著し、信仰の自立性を説いた。
 5世紀初めには、インドに留学するシナ人僧侶が現れた。法顕は長年月をかけてインドから、律蔵、阿含経典、『涅槃経』等を持ち帰った。旅行記の『仏国記』で知られる。

◆鳩摩羅什
 仏図澄に遅れること約90年、401年に、五胡十六国時代のシナ北部の長安に来たのが、鳩摩羅什(クマーラジーバ)である。仏図澄と同じ亀茲国(クチャ)の出身で、父はインド人の僧侶、母は亀茲国王の妹だった。インドに留学し、初めは小乗仏教、後に大乗仏教を学び、特に龍樹の中観派を修めた。シナへの渡来は、その評判を聴いた後秦の姚興(ようこう)が国師として招聘したことによる。
 鳩摩羅什は、実践中心だった仏図澄と異なり、仏典の翻訳と講義に力を傾けた。彼がシナで12年の間に訳出した経典は、35部294巻とも74部384巻ともいわれる。その業績は、唐代の玄奘の訳業と比較されるほど大きい。
 とりわけ翻訳で最も力を注いだのは、般若系の大乗経典と中観派の論書だった。それによって、シナに空の思想を初めて正確に伝え、シナ仏教の水準を理論的に引き上げた。
彼が翻訳した聖典のうち、龍樹の『中論』『百論』と提婆の『十二門論』は三論宗、同じく『法華経』は天台宗、インド僧・訶梨跋摩(かりばつま)の成実論は成実宗、『阿弥陀経』と龍樹の『十住毘婆沙論』は浄土宗、『坐禅三昧経』は大乗的な菩薩禅、というようにそれぞれの形成と発達をもたらした。
 鳩摩羅什の門弟は3000人といわれ、僧肇(そうじょう)、僧叡、道生、道融は、その四哲といわれた。彼らによって、シナ仏教の諸宗派が開かれる基礎が準備された。
 シナ仏教は、鳩摩羅什とその一門を通じて、受容・基礎作りの段階から、本格的な成長・発展の段階に進んだ。

◆真諦・菩提達磨
 6世紀には、仏教を奨励した南朝の梁の武帝によって、インドから真諦(しんだい、パラマールタ)や菩提達磨(ボーディダルマ)が招かれた。
 真諦は、2万巻の聖典をもってシナに渡来し、主に唯識説の論書を翻訳した。訳書に、馬鳴の『大乗起信論』、無著の『摂大乗論』、世親の『阿毘達磨倶舎論』等がある。摂論宗(しょうろんしゅう)の開祖とされる。鳩摩羅什・玄奘とともにシナ仏教史の三大翻訳家に数えられる。
 菩提達磨は、単に達磨ともいう。彼は、インドから直接、禅の行法を伝えた。当時シナでは複雑高度・煩瑣難解な教学研究に傾いていたが、達磨は、禅の実践を重んじ、壁が何ものも寄せ付けぬように、本来清浄な自性に目覚めて成仏せよ、と説いた。そこから、シナ独自の宗派・禅宗が生まれた。日本にも来て、聖徳太子と問答したとされる。ダルマさんとして知られる。

●仏教への弾圧と復興
 
 仏教は、シナに伝来してから、何度か国家権力による弾圧を受けた。特に4人の皇帝によって受けた迫害が激しかった。5世紀半ばの北魏の太武帝、6世紀後半の北周の武帝、9世紀後半の唐の武宗、10世紀半ばの後周の世宗によるものである。各皇帝の名前を取って、三武一宗の廃仏という。
 南北朝時代に、三武一宗の廃仏の第一の出来事が起こった。北魏の太武帝が仏教の経典・仏像を破壊焼却して僧侶を生埋めにしたのである。当時、道教は、仏教に対抗するため、シナ古来の様々な思想を取り入れて教義を整備し、支配層にも信仰されるようになっていた。また、儒教・仏教に対する「道教」という名称が成立した。北魏では、寇謙之が五斗米道を新天師道に発展させ、教団を組織した。太武帝は、道教を信奉する宰相・崔浩(さいこう)の勧めで、新天師道を国教とし、仏教弾圧を行なった。
 しかし、こうした迫害があっても仏教は復活し、平城郊外に雲岡の石窟寺院が開削された。後年、新たな都となった洛陽では、龍門に石窟が開かれ、城内に堂塔伽藍が建ち並んだ。
 南朝では仏教が盛んで、梁の武帝の時代に最盛期を迎え、都の建康に多数の寺院が建造された。その後、北朝では6世紀に東西分裂が起こり、南朝では同世紀半ばに梁が滅亡した。それによって仏教側は混乱に陥った。
 その時期に、三武一宗の廃仏の第二の出来事が起こった。儒教を採用した北周の武帝が仏教・道教の二教を廃止したのである。武帝は、儒教・仏教・道教それぞれの論客を集めて議論させたうえで、三教の順位を儒・道・仏とした。その後、道教の道士が仏教の僧侶が論破されると、武帝は仏教・道教をともに廃し、僧侶・道士を還俗 (げんぞく)させた。これによって、仏教は深刻な危機に直面した。だが、それでもなお仏教は復活した。叩かれても立ち上がることができるほど、仏教は既にシナの社会にしっかり根を張っていたわけである。
 そのことを示す現象の一つが、盂蘭盆会(うらぼんえ)の流行である。盂蘭盆会は、サンスクリット語ウランバナの音訳とされる。いわゆるお盆の法要・儀式である。インドにも死者の救済を願う儀礼があったようだが、シナでは盂蘭盆会がもともとの祖先崇拝の習俗に融合して、民衆に広がった。5世紀前後にシナか西域でつくられた偽経と見られる『盂蘭盆経』がもとになっている。梁の武帝の時代に法事が行われてから流行し、7月15日の盆供養は七世の父母を救い得ると信じられた。以後、シナの年中行事の一つとなった。こうした現象は、仏教には、道教では満たされない人々の欲求に応えるものがあったということだろう。
 道教は、こうした仏教への対抗を続けた。シナ土着のエスニックな宗教が、外来の異文明の宗教に反発したものである。その抗争は、以後の時代でも繰り返された。

 次回に続く。

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人種差別22~米国と中国の主導権争い

2020-09-24 10:19:14 | 国際関係
●米中が非難の応酬

 世界コロナ危機を通じて、自由主義的民主主義と統制主義的権威主義の対立が世界的な規模で強まっている。前者を代表するのが米国であり、後者を代表するのが共産中国である。
 米中の対立について、まず確認すべきことは、中国共産党は、1950年代からアメリカ帝国主義の打倒を目標としてきたことである。このように書くと、今日の中国共産党はそこまでの戦略目標を持っていない、せいぜい米国と世界を二分支配するところまでだというという反論が返ってくるだろう。だが、共産主義は、マルクスの唯物史観に基づき、資本主義から社会主義への移行を歴史的必然とし、人類が世界規模で共産主義社会を建設することを目指す思想・運動である。このことを我々は忘れてはならない。中国共産党は、こうした共産主義思想と伝統的な中華思想を融合させ、中華民族による世界の共産化を目標としている。習近平政権が「一帯一路」戦略で世界的な覇権の拡大を試みているのは、単なるナショナリズムによる膨張政策ではない。中華共産主義による世界の共産化の企てである。その企ては、米国を支配下に置くことなくして完遂し得ない。我々は、こういう認識を以って、現在行われている人種差別問題をめぐる米中関係を見るべきである。
米国も中国も国内に人種や民族の問題を抱えている。武漢ウイルス・パンデミックは、それらの問題を大きく露呈させることになった。
 米国は「自由の国」でありながら、黒人をはじめとする人種差別が存在する。これは、米国の宿痾である。人種差別問題は、自由の旗を掲げる米国民が克服すべき課題である。ミネアポリス白人警官黒人殺害事件後、人種差別に反対するデモが各地に広がった。すると、中国共産党は、抗議デモが暴動化するよう工作するとともに、国際社会に向けて、米国を非難する宣伝放送を行なっている。6月1日、中国国営中央テレビは、香港の抗議活動を擁護してきた米国の政治家が、白人警官による黒人殺害事件を受けた抗議デモを「暴徒」と断じているのは「米国式の二重基準」だと批判した。ここには、米国社会の対立・分裂を利用しようとする意図が明らかである。中国共産党は、自国の利益のため、また世界的な覇権の拡大のために、宣伝・工作を行なっていると見られる。
 これに対し、マイク・ポンペオ国務長官は同月6日、声明を発表し、「中国共産党体制が(黒人男性の)悲劇的な死を悪用し、人間の基本的尊厳を踏みにじる自らの権威主義的な行為を正当化しようとしている」と非難した。ポンペオは、「くだらないプロパガンダ(政治宣伝)であり、誰もだまされない」「中国では香港から天安門まで、平和的なデモ参加者が声を上げただけで武装した兵士ら棍棒で殴られる。これらを報じた記者らは長期にわたり投獄される」と批判した。これに比べ、「米国の法執行機関は不良警官を裁きにかける一方、平和的なデモを歓迎しつつ略奪や暴力は強制排除する。報道機関は全ての出来事を取材することができる」「中国と違い、米国は無法な暴動の最中でも法の支配と透明性、人権を尊重する」と述べ、基本的人権や自由を否定し続けてきた中国共産党と暴行死事件を受けた米国当局を同列に並べ、双方の対応を、さも同一であるかのように政治宣伝を展開するのは「詐欺行為だ」と断じた。
 我々は、米国と中国の非難の応酬を、両国の社会の実態を踏まえて評価しなければならない。中国では、政府を批判する言動は、すぐ弾圧される。一方、米国では、自由に政府の批判を行なうことができる。米国では、黒人は差別されていると言っても、黒人にも言論の自由、表現の自由、集会の自由等が保障されている。白人警官による黒人への暴行・殺害に対して、黒人たちは抗議活動をする権利を行使することができる。連邦政府や地方政府に対して政策を変えるように求めることもできる。さらに、黒人にも選挙権・被選挙権があり、連邦議会には何人もの黒人議員がおり、欧米諸国で初の黒人大統領が選挙で選ばれたという実績もある。
 これに比し、共産中国では建国以来、一般の国民による選挙が一度も行われていない。国共内戦に勝利した共産党が武力で権力を奪取した後、その政権の正統性を問う選挙は行われていない。中華人民共和国憲法にも、国民の自由と権利の保障が謳われてはいるが、実際は中国国民には、言論の自由、表現の自由、集会の自由等の自由はなく、権利は著しく制限されている。また、チベット自治区や新彊ウイグル自治区では、チベット族やウイグル族が虐待・虐殺され、宗教・文化・言語の使用等を弾圧され、民族の絶滅を目指す政策が強行されている。米国では、黒人やインディアンに対して、このような虐待・虐殺・民族浄化は行われていない。こうした極めて明白な違いを無視して、米中の論争をどっちもどっちなどと見るのは、大きな間違いである。

 次回に続く。

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仏教58~仏教のシナへの伝来とその後の歴史

2020-09-23 10:10:57 | 心と宗教
●仏教のシナへの伝来とその後の歴史
 
 シナに仏教が伝来したのは、紀元後67年、後漢の時代というのが通説である。その時、シナではすでに古代世界屈指の文明が繁栄し、独自の宗教・思想・文字・制度が発達していた。これまで書いたとおりである。その内容を踏まえて、以下にシナ文明における仏教史を書く。

●魏晋南北朝時代

 後漢の末期、漢王朝の権威は衰え、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権が争う三国時代となった。曹操は漢王朝の実権を握って、シナ北部(北支、華北)を統一した。彼の死後、その子の曹丕が、220年漢の献帝の禅譲によって皇帝となり、魏の初代世祖となった。文帝ともいう。その後、魏は蜀を滅ぼした。魏の有力な臣下だった司馬炎は帝位を譲り受けて、265年に晋を建国し、呉を滅ぼして、シナを統一した。
 晋は、五胡と呼ばれる遊牧諸民族によって滅ぼされた。五胡とは、匈奴、羯(けつ、匈奴の一種)、鮮卑 (後で記す)、氐(てい、チベット系)、羌 (チベット系)をいう。晋は、317年に江南で再興された。以後の晋を東晋という。またこれ以降、シナの北部は五胡の建てた十六国が興亡し、南部(南支、華南)には東晋があるという分裂時代となった。これを南北朝時代という。この時代は、人々が戦乱を憎み、宗教に頼る傾向が見られた。仏教はこの時までにシナでかなりに広がり、道教ともに代表的な宗教となっていた。外来の仏教と土着の道教は、時には激しく対立した。
 南朝すなわちシナの南部の諸国では、東晋が420年に滅び、宋、斉、梁、陳の順に移り変わった。梁の武帝は仏教の保護に努めた。一方、北朝では、鮮卑族が勢力を伸ばした。鮮卑の人種については、チュルク系、モンゴル系、モンゴルとツングースとの混血と見る諸説がある。鮮卑は、五胡の一つとして4世紀にシナ北部に侵入して、6つの国を作った。その中の部族集団の一つ、拓跋(たくばつ)氏が建てた北魏が、439年にシナ北部を統一し、漢化政策を行った。だが、その政策への反発から、北魏は東魏・西魏に分裂し、東魏は北斉、西魏は北周となった。北周が北斉を滅ぼした後、楊堅が北周を滅ぼして、国名を隋に変え、589年に、南朝の陳を平らげて、シナを統一した。
 後漢の滅亡から隋による統一までの時代をまとめて、魏晋南北朝時代ともいう。

●仏教の古訳時代

 話は少しさかのぼるが、紀元前後から紀元1世紀半ば過ぎにシナに伝来した仏教は、シナ文明の独自の宗教・思想である儒教・道教の影響を受けながら浸透し、発達を続けた。その過程は、仏教のシナ化であり、また儒教化・道教化ともなった。
 シナ文明は、漢字の文化圏である。為政者は、漢字を用いて統治を行い、文字による表現と記録を重んじた。そうした文化圏において、サンスクリット語の仏教聖典が漢語(シナ語)に翻訳された。この翻訳は、キリスト教において、旧約聖書がヘブル語・アラム語からギリシャ語に翻訳され、新約聖書がギリシャ語で編纂され、さらにラテン語訳へと翻訳されたことに匹敵する文明史的な出来事だった。
 キリスト教は、ユダヤ教から出たことによって、ヘブライズムの思想・文化を継承している。ギリシャに伝道することを通じて、新たに異文化のヘレニズムの思想・文化を吸収した。そのため、キリスト教には、ヘブライズムとヘレニズムという異質なもの融合が見られる。ユダヤ的な宗教の教義をギリシャ哲学を用いて整備することで、普遍的な性格を獲得していった。この過程は、非ユダヤ人がユダヤの思想をギリシャ・ローマの思想の概念や論理を以って理解することでもあった。それによって、本来のユダヤ思想とは異なる解釈が生じた。同様のことが、仏教においても起こった。シナ文明で、サンスクリット語から漢語へ翻訳されることによって、シナ文明の宗教・思想・文化等の影響を受けることになったのである。また、それを通じて、すでに発達させていた普遍的性格をさらに発達させた。
 仏典を最初に漢訳した時代を、古訳時代という。1世紀から3世紀末頃まで、前漢・後漢・魏・西晋を中心とした時代である。この時代の翻訳者は、パルティアから来た安世高、月氏国から来た支婁迦讖(しるかせん、支謙)と竺法護など、西域から来た渡来人がほとんどだった。
 彼らは上座部仏教や初期大乗仏教の経典を主に翻訳した。この時、インドでは歴史的に異なった時期に編纂されたものが、シナには同時に伝えられることになった。そのため、シナでの仏教理解には当初から混乱が生じた。
 後漢が滅亡してから隋によるシナの統一までの約400年間は、非漢民族の国家が乱立したことなどにより、儒教の権威は低下した。そうした中で、3世紀前半の何旻(かあん)や王弼らは、老荘思想の無為自然を説いた。晋の時代にはその思想や自由な生き方の影響を受けた思想家が現れた。彼らは、外来の仏典にも関心を示し、仏教の思想・用語をシナの伝統的な思想・用語をあてはめて理解しようとした。特に般若経の経典群、『維摩経』等の説く「空」を老荘の「無」に似たものとして解釈した。老荘思想をもとに理解した仏教を、格義仏教という。それによって、外来の仏教が広く受け入れられる土壌が作られた。
 格義仏教は、仏教のシナ化の始まりである。以後、シナの仏教は程度の差こそあれ、シナ化した仏教として発展した。そのうえ、シナでは、仏教の経典に似せて著述した撰述経典が多くつくられたため、インドから来た純正の経典とそれらが混同され、一層仏教のシナ化が進んだ。
 古訳時代から、シナ人の出家者が現れた。記録上最初の出家者とされるのは、朱士行である。

 次回に続く。

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人種差別21~アンティファ、反ファシズムと中華共産主義

2020-09-22 08:41:51 | 国際関係
●アンティファの反ファシズム運動

 ミネアポリス白人警官黒人殺害事件後の抗議デモの暴動化・過激化の背後にあるのは、BLMだけではない。反ファシズム運動を行なう「アンティファ」(ANTIFA)も注目すべき存在である。
 6月4日、ウィリアム・P・バー司法長官は、抗議デモが各地で暴動化している問題について、「アンティファや同様の過激派集団が暴力行為を扇動し、実行した証拠がある」と発表し、「外国勢力が暴力行為を増幅させる目的で(抗議デモと治安当局の)双方をあおり立てている」「特定の勢力が敵対勢力に成りすます偽情報工作も横行している」と指摘した。バー長官は外国勢力の国名に言及していないが、これが共産中国であることは明白である。中国共産党の工作は、BLMに対してだけでなく、アンティファに対しても行われると見られる。
 アンティファには実態がよく分からない点があるが、私の知り得るところ、概要は次のようである。
 アンティファ(ANTIFA)は、“anti-fascist”(反ファシスト)の略で、「ファシストに反対する者」を意味する。1930年代初頭にヒトラーが率いるナチス・ドイツの台頭に立ち向かおうとしたドイツの社会主義者らのグループに由来する。
 第2次世界大戦後、1960~70年代のドイツで、ネオ・ナチズム、ネオ・ファシズムへの反対運動として現在のアンティファが起こった。それが米国・イギリス等へ広がった。
 アンティファの基本思想は、ファシストが政府や社会に根を張って第2のナチス・ドイツを誕生させることを阻止することである。ネオ・ナチズム、ネオ・ファシズムに反対するとともに、白人優越主義、人種差別主義に反対する。
 アンティファには、中心的な組織や指導者が存在しない。リベラルの左派から極左翼までを含む、緩やかにつながりあった様々な自主的グループの総称とされる。
 米国初のアンティファのグループは、2007年にオレゴン州ポートランドで結成されたローズ・シティ・アンティファ(RCA:Rose City Antifa)である。RCAは全米各地に約200もの拠点があるが、支部として明確に認知できるのはポートランドの事務所だけだとされる。RCA以外にも、様々な団体が生まれた。
 米議会調査局によると、米国のアンティファは本部や全国的な組織を持たない「分散的な、独立した急進的志向を持つグループや個人の集まり」で、大半が非暴力的であるが「自分たちの信念を広めるためならば、一部のメンバーは罪を犯すこともいとわない」という。
 アンティファのイデオロギー面での代弁者は、米ラトガース大学の歴史学者マーク・ブレイとされる。ブレイは、現代ヨーロッパにおける人権、テロリズム、政治的急進主義を研究し、政治活動を行なっている。2011年の「ウォール街を占拠せよ」の活動にも参加した。2017年に著書『アンティファ:反ファシスト・ハンドブック』を出版し、反ファシズムとアンティファの歴史と主張を書いた。
 本稿のBLMに関する項目に「ザ・ウェザー・アンダーグランド」(WU)について書いたが、この極左爆弾テログループの主要メンバーだったビル・エアーズは、現在、アンティファの団体を率いている。このことが示すのは、アンティファの一部はWUの思想を継承していることである。
 ミネアポリス白人警官黒人殺害事件発生後、ニューヨーク・アンティファは「われわれはファシズム、人種差別、性差別、同性愛者・トランスジェンダー嫌悪、反ユダヤ主義、イスラーム嫌悪、そして偏見のない世界を信じ、闘う」とツイートした。この文言から、彼らの主張はWUやBPP、BLMに連なるものであることが分かる。
 アンティファは、戦前のドイツの社会主義者らのグループに由来すると書いたが、社会主義者には、歴史的にユダヤ人が多い。カール・マルクス、フェルディナント・ラッサール、カール・カウツキ―、エドゥアルト・ベルンシュタイン、ローザ・ルクセンブルグ、フランクフルト学派のマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、エーリッヒ・フロム、ヘルベルト・マルクーゼ等は、ユダヤ人である。ロシア革命でも、ユダヤ人が多数活動した。
 アンティファによる反ファシズムの活動は、ユダヤ人にとっては、反ユダヤ主義への牽制や対抗になる。それゆえ、ユダヤ人がアンティファの諸団体で活動したり、それら諸団体を支援することは、自らの利益になる。世界的に有名なユダヤ系の大投資家のジョージ・ソロスは、アンティファ諸団体や極左翼、BLM等に資金を提供していることで知られる。
 日本では、日本共産党系のしばき隊が、5年ほど前からアンティファを名乗るようになっていると指摘されている。彼らはアンティファのTシャツを着て、アンティファの旗を振ってデモ行進を行う。アイヌ系の団体もアンティファとつながっている。そのことを、元道議会議員の小野寺まさるが報告している。アイヌ系団体は、中国共産党と密接な関係を持っている。そのことからも、中国共産党が各国のアンティファ対しても工作をしていることが推測される。

●反ファシズムと中華共産主義

 ファシズムの最も狭い定義は、イタリアのファシスト党の思想・運動をいう。より広い定義は、ドイツのナチスを加えて、ファシスト党と共通する特徴を取り出して、政治学の概念としたものである。これに、昭和戦前期のわが国やスペイン等の国家体制を加える見方もある。ファシズムは、自由主義的資本主義の国家の危機において現れる思想・運動であり、全体主義の一形態である。フリードリッヒ・ブレゼンスキーは、全体主義には、次のような特徴があると指摘した。

①首尾一貫した完成したイデオロギー(世界征服を目指す千年王国論)
②独裁者の指導による単一大衆政党
③物理的・心理的テロルの体系
④マスコミの独占
⑤武器の独占
⑥経済の集中管理と指導

 これらの特徴は、共産主義国家にも当てはまる。共産主義は本来、国家・民族を超えて労働者階級が団結し、階級闘争を行なう思想・運動である。その点が、ファシズムが国家主義的・民族主義的であることとは異なる。だが、ソ連は、共産党の独裁体制のもとで全体主義の国家体制を築いた。そのうえ、スターリン時代に国家主義的・民族主義的傾向を強め、ナチス・ドイツとの共通点が多くなった。違いは、ソ連はマルクス・エンゲルス・レーニン等の思想を掲げるが、ナチスは彼らの思想を敵視するところにある。その点を除くと、政治体制・統治方法・行動形式は、よく似ていた。このソ連の全体主義的かつ国家主義的・民族主義的な共産主義を継承したのが、共産中国である。
 1930~40年代のヨーロッパにおける反ファシズム運動には、全体主義・統制主義・権威主義から自由と人権を守るという側面があった。自由主義的民主主義を信奉する人々は、ファシストと戦うために社会主義者とも連帯した。
 今日のアンティファには様々な思想や主張があるようだが、総じて言うと、ファシズム的な全体主義を批判する一方、共産主義的な全体主義は批判しない傾向がある。もし反ファシズムでかつ反共産主義であれば、自由民主主義かリバータリアニズム(徹底的自由主義)となる。アナキスト(無政府主義者)の中には、少数ながら戦闘的リバータリアンがいる。だが、アンティファの大部分は、共産主義には容認的で、共産中国には親和的とみられる。彼らは、中国共産党がチベット族やウイグル族を虐待・虐殺し、法輪功会員から臓器狩りをし、香港人の自由と民主主義を剥奪することを糾弾しない。
 また、アンティファの反ファシズム運動は、反国家主義・反民族主義ではない。総じて白人民族主義の批判はする一方、中国共産党の中華民族主義を批判しない傾向がある。また黒人など被抑圧少数民族や女性、性的少数者等の人権の拡大を追求するが、チベット族やウイグル族、法輪功等の人権を擁護するためには活動しない傾向がある。そのため、アンティファの活動は、反ファシズムという自由と人権を守る運動と思わせる旗印のもとで、共産中国の問題点から大衆の眼をそむかせるものとなっている。
 私の見るところ、アンティファの大部分が行っている反ファシズム運動は、偽物である。彼らの反ファシズムは、自由民主主義を擁護するものではなく、中国共産党の全体主義・統制主義・権威主義を側面から支援し、共産中国の世界的な覇権拡大に助力する運動となっている。中国共産党は、親中的なアンティファに工作を行い、資金や情報、人脈や武器・道具を提供することで、米国や日欧等の社会を内部から撹乱させることができる。

関連掲示
・拙稿「アイヌ施策推進法は改正すべし~その誤謬と大いなる危険性」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-05.htm
・拙稿「現代中国をどう見るか~ファシズム的共産主義の脅威」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion07.htm
 目次から10へ

 次回に続く。

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仏教57~道家から道教へ、仏教と道家・道教

2020-09-21 11:23:33 | 心と宗教
●道教の発生と発達

◆道教の定義
 道教とは、アニミズム・シャーマニズム的な原始的な信仰を基盤とし、道家の思想をはじめ、様々な思想や儀礼を取り入れて発達したシナ文明の土着的・伝統的な宗教である。

◆道家から道教へ
 道家は、前漢時代に黄老思想が発達して、宗教的な性格を帯びた。後漢時代には、道術・方術を含むようになり、一層宗教的な性格を強めた。
 道術とは本来、道の教えを実現するための方法であり、治世治民のための政治の術をいう。これを行う者を道士と呼ぶ。方術とは、仙人になるための神仙方術、医療を施す医方術、超自然的な存在や力に働きかける呪術等をいう。これを行う者を方士と呼ぶ。やがて道術と方術が混同され、両方を合わせたものを道術というようになった。これに伴い、道士は、道に則った政治の術を行なうだけでなく、同時に神仙方術、医方術、呪術等を行なう者を意味するようになった。
 また、道家という用語は、道の思想を説く学派から、いわゆる宗教としての道教の意味を持つようになった。老荘思想は、民俗信仰に哲学的な裏付けを与え、原初宗教が高度宗教へ発達するのを促したともいえる。

◆道教の発生と発達
 宗教としての道教の源流は、後漢中期に現れた太平道と、同末期に現れた五斗米道である。これらにおける「道」は、宗教的な集団ないし教団を意味する。
 太平道は、干吉 (かんきつ) が老子を神格化した太上老君から受けたという『太平清領書』に基づいて開始した。その後、河北の張角が信徒を増やして組織を拡大した。張角は、病人に罪の懺悔を求め、札を与え、霊力があるとされる符水を飲ませ、呪文を唱えて治病したという。信徒を軍隊組織に編成し、黄巾の乱を起こしたが敗死し、乱も鎮圧された。残党は、五斗米道と合体した。
 五斗米道は、四川の張陵が老子から教えを授かったとして開始した。張陵は天師と自称し、祈祷によって病気を治し、謝礼に米五斗を納めさせた。この五斗が教団の名称の由来である。張陵は、信徒に『老子道徳経』を暗唱させた。子の張衡、孫の張魯(ちょうろ)が教説・組織を確立し、シナ北部(北支、華北)を中心に一大宗教王国を築いた。215年魏の曹操に討伐されたが、天師道として復活した。
 その後、5世紀の北魏で新天師道、12世紀の金で全真教、13世紀の元で正一教が現れ、現代まで道教の信仰は、シナ人及びシナ系の社会で存続している。

◆宗教的性格
 道教は、多くの神々を祀る多神教である。老子を神格化し、開祖と仰ぐ。老子は道が人格化した存在とされ、太上老君として崇拝された。これに伴って、荘子も神格化された。道教では、老子・荘子等の人間神の他、シナ古来の天帝・星辰・山岳等の自然神も崇拝する。
 宇宙の最高神は天上皇帝・天皇大帝・太上老君等と呼ばれ、天上の神仙世界にある紫宸殿に住む。地上の皇帝と同じように天上にも官僚がおり、高級官僚が真人、下級官僚が仙人とされる。天上皇帝は、これらの官僚たちに命じて常に地上を監視させ、個々の人間の善を賞し、悪を罰していると信じられた。儒教の項目に北極星に対する崇敬について書いたが、北極星は天の中心として天上皇帝の座とみなされ、天帝信仰・星辰信仰が融合した北辰信仰となった。
 道教の教義は、アニミズム・シャーマニズム的な原始的な信仰を基盤とし、道家の思想を中心として、古代シナに現れた神仙思想、陰陽五行説、讖緯(しんい)説、儒教の倫理等を摂取したものである。仏教という高度な教義を持つ外来の宗教に対抗するため、道士たちは教義の総合・発展に努めた。その過程で仏教の影響を受け、因果応報、輪廻、解脱、衆生済度等の思想も取り込んだ。そのため、道教の教義は、複雑で、また矛盾に満ちており、体系的というより混在的である。唐代から経典の編纂が行われ、まとめられた根本経典を『道蔵』を呼ぶ。特に宋代の『雲笈七籤(うんきゅうしちせん)』が重要である。
信仰の目的は、不老長生をはじめ現世利益を中心とする。道と一体となることを究極の理想とする。寺院を道観、専修者を道士と呼ぶ。

●儒教と道教

 道教は、儒教とともにシナ文明固有の二大宗教となった。儒教は、政治的な性格が強く、国家・社会の安寧・秩序を統治者の立場で実現しようとするのに対し、道教は、宗教的な性格が強く、個人の治病や幸福・長寿等を民衆の間で実現しようとする。
 儒教は、家族的・政治的な倫理を説き、主に集団救済を目的とする。逆に、道教は、個人の救済を主たる目的としており、儒教では満たされない欲求に応えるものとして、民衆の信仰を集めた。

●仏教と道家・道教

 仏教は、輪廻転生を信じる多生説を取る。これに対し、道家・道教は、輪廻転生を明確には信じず、単生説に立つ。仏教は、一切皆苦を説き、現世否定的で、輪廻世界からの解脱を目指す。本来は出家して修行に打ち込む道である。道家・道教は、人生を楽しみ、現世肯定的で、俗世間を離れて、天地大自然と一体化した生き方に努め、不老長生を目指す。仏教は、活動の完全停止としての涅槃を目指すのに対し、道教は、現世における永遠の生命を求める。このように大きな違いがある。
 シナ人の多くは、輪廻転生を信じず、解脱の必要性を切実に感じない。そうしたシナ人が仏教に期待するものは、現世利益と心の平安、死後の安心の保証ということになっていった。

 次回に続く。

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