ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

荒川の日の丸シーンをカット!

2006-02-27 10:29:06 | 日本精神
 トリノでの冬季オリンピックで、荒川静香選手が、金メダルに輝いた。朝、テレビをつけたところ、ちょうど荒川の女子フィギュア・スケート、フリーの演技が始まるところだった。出勤の準備をしながら、その演技を見た。素晴らしかった。美しかった。リンクに漂う静けさと澄んだ雰囲気は、達人の境地を思わせた。抜群の高得点が出た。スルツカヤが転倒して、荒川のメダルが確定した。表彰台の中央に上がった荒川は、国歌「君が代」を歌っていた。小さな口がはっきり動いていた。その姿にも感動した。

 ところが、その後、とんでもないことを知った。私のブロクへのトラックバックによると、荒川選手は、ウイニングランをしたとき、「日の丸」を掲げてリンクを回った。ところが、NHKは、再放送のとき、徹底して「日の丸」のシーンをカットしたのだという。私は、このウイニングランの場面は、見ていない。トラックバックされたサイトの写真で知った。
http://blog.goo.ne.jp/super_x/e/71894ae17a95d7d603572daede33cbd0







 日本人の選手が優勝したのである。その選手が金メダルを手に、世界の人々に国旗「日の丸」を誇らしげに、そして美しく身にまとって、喜びと感謝を表しているのである。しかし、である。NHKは荒川選手の演技を幾度も流していながら、「日の丸」を掲げてウイニングランをするシーンは、一度も再放送していないらしい。
 私は再放送を何度も見たが、この「日の丸と金メダルをもった静香」のシーンを、一度も見ていない。他の皆さんはいかがだろうか。

 NHKの偏向は、国旗・国歌や近現代史・女性問題をめぐって、既に視聴者に広く知られている。私も何度か具体的な問題を取り上げて批判してきた。組合が強く、共産党員や在日が相当力を持っているらしい。韓国製の三流ドラマを多量に、かつ執拗に放送している。その傍ら、皇室典範をめぐる問題については、国民に問題のポイントや、事の重要性を知らせようとしない。
 そのうえで、である。オリンピックで自国の選手が金メダルを取り、その最高の場面で「日の丸」を持ってウイニングランをしているシーンを、国民に隠し、見せようとしない。偏向ここに極まれり、という感じである。

 受信料の不払い者は、これでまた増えるだろう。経営者をまともな精神を持った人間に変え、制作や編集にはびこる左翼崩れの中間管理職を一掃しなければ、NHKは日本国民のための放送局にはならないだろう。

<追記>
 上記を書いた後に知ったのだが、生中継を見ていた多数の人が、生中継の時にも、ウイニングランの放送は見ていないと言っている。
 そこで確認したところ、24日当日朝6時30ころから7時10分台まで、私はNHKテレビを見た。それは生中継だったことがわかった。出勤前の支度をしながらだったので、それが再放送だったのかと思っていたのだが、私自身も生中継を見ていたわけだ。
 私は7時10分過ぎまでしか見ていない。その後も生中継を見続けた人々が、ウイニングランのシーンは、生中継のときも流れていないと言っているのである。
 NHKは、この感動的なシーンを生でも再放送でも一切流していないのである。

 BLOGerのLet's Blow!(てっく)さんが、NHKの動画その他を探してくれたことを、福田逸さんのトラックバックで知った。
http://tech.sub.jp/2006/02/post_415.html
 それによると、メダル授与後、荒川選手がリンクを回り、壁際に寄つて日の丸を受け取つたと思われる瞬間から、ライブ放送にもかかわらず、映像はVTRに切り替わり、上位選手の演技や荒川選手の全演技、表彰の模様などを延々と流すばかりか、それでも保たずに静止画のようなリンクの壁や天井の映像を流していた。アナウンサーは間が持たなくなり、二度リンク上の荒川選手の動きを口にしたが、その時も映像は壁や天井を移しており、その間、およそ15分あった。
 非常に不自然な映像である。
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=hHrFdggS2olEKcM8_4XfDOR8jt7q4yj7p4Fo.D_ATHLWL_bOqEQGqpg7dI/zcfk/JpicYSMkmulicYtQlFQs

 本件は、インターネットのそこここで轟々たる話題になっている。巷でも話が広がっている。オリンピック放送の仕組みや、NHKの制作・編集の技術等について通じた放送ジャーナリストに、徹底的に追求してもらいたいと思う。
 これだけ視聴者から不満や疑問があがっているのだから、NHKは公共放送として、視聴者に放送を通じて説明を行う義務があると思う。もしそれが自主的になされないのなら、国会で国会議員が質問をして、国民に真相を明らかにしてほしいと思う。

<追記2>
 以下のBLOGが、一連の流れをまとめて掲載している。現時点(3月1日朝)では、最も詳細な追跡になっていると思われる。
http://arakawasizuka.seesaa.net/

<追記3>
 全般的な感想として、思うことを2点書く。(3月2日)
 一つは、国旗「日の丸」を大切に思う気持ちが、日本人、特に若い世代の人たちに、強くなってきているのではないかということである。昭和40年代から町で「日の丸」が段々揚がらなくなり、また「日の丸」に対して負のイメージを持つ人が増えた。世代交代や学校教育の影響が大きいと思う。しかし、近年のサッカーのワールドカップやオリンピックなどスポーツの大会では、若い人たちが自然に「日の丸」を振ったり、ペイントしたりするようになって、「日の丸」に対する意識が変わってきた。平成12年に国旗国歌法が制定され、学校行事で掲揚が行われてきたことも、よい影響をもたらしていると思う。
 今回の荒川選手の「日の丸」シーンについては、真相・詳細を確認できるまで、まだ時間がかかるのではないかと思うが、私を含め多くの人がこれは見逃せないと感じたのは、「日の丸」について、国旗としての明確な意識が持つ人が増えてきていることの表われだろうと思う。特に若い世代の人たちに、明らかな変化が現れていると思う。

 もう一つは、NHKに対する視聴者の評価が厳しくなってきていることである。平成の一ケタ台のころまでは、NHKが偏向しているなどと言う人は少数で、周囲の人にちょっと変わっているという印象を与えたのではないかと思う。私などほとんどの人に驚かれたものだ。
 しかし、ここ数年の間に、NHKの国旗・国歌の扱いや、近現代史、特に日中・日韓の歴史のとらえ方や、婦人向けの番組におけるジェンダーに関する表現等に関し、偏向を感じる人が増えてきているように思う。とりわけ「女性国際戦犯法廷」を特集した番組を巡るNHKと朝日新聞の醜悪なやりとりは、NHKの体質による問題を国民に露呈し、視聴者の目が厳しくなり、受信料不払い者が増えている。
 そういうことが土台にあって、今回の荒川選手のウイニングラン・シーンの問題について、驚くほど多くの人たちが感情と意思を表したのだと思う。

 以上、2点の感想をまとめるならば、日本人は、特にその若い層は、日本人また日本国民としての自覚を少しづつ取り戻しつつある、健全な国家意識・国民意識がよみがえりつつあるということではないかと思う。
 国旗や国歌を軽視する国民は、国民としての誇りを失い、「国家の品格」を失う。

 祝日には、家庭で国旗「日の丸」を掲げましょう。
 機会あるときは、国歌「君が代」を胸を張って歌いましょう。

嵌められた日本~張作霖爆殺事件2

2006-02-26 09:55:08 | 歴史
 『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)には、膨大な「注」と「参考文献」がついているが、日本語版ではこれらが省かれている。希望者は、インターネット・サイトからダウンロードできるという方式になっている。

 本書は、張作霖爆殺事件は、スターリンの命令にもとづいて、GRUのナウム・エイティンゴンが計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだと書いている(上巻 P301)。この記述に注目した中西輝政教授は、この件の注釈への注意を促す。資料をダウンロードしてみると、注釈には次のように書かれている。
 「Kolpakidi & Prokhorov 2000,vol.1, pp.182-3(from GRU sources); key role also played by Sorge’s predecessor, Salnin. indirect confirmation of this is a photograph of the Old Marshal’s bombed train in Vinarov’s book (opposite P.337)captioned: ‘photograph by the author’」
 よほど時間がなかったのか、和訳する意思がないのか、英文のままである。

 中西氏は、この張作霖事件の注釈の重要性を感得し、次のように書いている。
 「該当の注を見ると、その典拠として、アレクサンドル・コリパキディとドミトリー・プロコロフの『GRU帝国』(未邦訳)第1巻182-3頁、が挙げられており、同時にエイティゴンと共に張作霖の爆殺に『主要な役割を果たしたのは、ゾルゲの前任者であったサルーニンであった』と書かれている。つまり典拠は2000年に刊行されたロシア語の2次資料であるが、それはGRUの公文書に依拠して書かれた本だということである。
 そして従来ごく一部で噂されていたことだが、イワン・ヴィナロフのブルガリア語の本(『秘密戦の戦士』)に掲げられている張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真のキャプションに、『著者自らが撮影』とあるのが、爆殺の手を下したのは日本軍ではなくGRUだという、もう一つの間接的根拠だというチアンとハリディによる詳しい記述もある」と。(月刊『諸君!』平成18年3月号)

 中西氏の慧眼が見抜いたように、この注釈は非常に重要なことを述べている。張作霖爆殺の実行者は、日本陸軍ではなく、旧ソ連のGRUである。それが、なんとGRUの公文書に書かれているというのである。
 文中に出てくるゾルゲとは、言うまでもなくゾルゲ事件で有名なリヒャルト・ゾルゲである。ゾルゲは従来、単なるコミンテルンの工作員とみなされていた。しかし、近年の研究で、ゾルゲはGRUの極秘の諜報員となって、昭和4年(1929)に中国に行ったことが、明らかになっているという。
 張作霖爆殺事件は、ゾルゲが中国に赴く前年のこと。事件当時、中国にいた彼の前任者が、サルーニンだった。このGRUの大物スパイが、張作霖の爆殺に「主要な役割を果たした」というのである。そして、ヴィナロフという人物が自著に、張作霖爆殺直後の破壊された列車の写真を載せ、その絵解きに「著者自らが撮影」と書いているというのである。
 ヴィナロフとは1920年代、ゾルゲが上海で活動していた頃、彼と接触していたKGB(当時はNKVD)のエージェントの一人である。その後、1940年代にはブルガリアの諜報機関の長となった。ヴィナロフは、スターリンの指令によるエイティンゴンの計画の下、サルーニンの指示を受けて、張作霖の爆殺に関わったと考えられる。

 『マオ』を書いたチアンの夫ハリディはロシア語に堪能であり、本書の著述において、旧ソ連の公文書を調査し、それが本書に強力な論証力を与えていると思われる。

 もし『マオ』の記述通りであれば、張作霖を爆殺したのは日本軍でなかった。旧ソ連の赤軍参謀本部情報総局の謀略だった。そして、それを日本軍の仕業に見せかけたことになる。
 旧ソ連にとって、張作霖の爆殺を行い、それを日本軍の仕業にみせかけることは、どういう目的と利益があったのか。それは、結果として成功したと言えるものだったのか。
 また、従来、張作霖事件は、関東軍参謀の河本大佐が列車を爆破し、国民党便衣隊の陰謀に偽装したといわれてきた。『マオ』の伝える新発見と、このことはどのように関係するのか、『マオ』は何も触れていない。河本とコミンテルンまたGRUの間に、何か関係はないのか。日本陸軍は、河本の背後に、第3国の存在を感知してはいなかったのか。
 今後の研究によって詳細が明らかにされていくことに期待したい。

 東京裁判において、日本の計画的な世界侵略というストーリーが捏造される過程で、『田中上奏文』が利用されたと前回書いた。『田中上奏文』の捏造には、中国人が関わったことが明らかになっており、その背後で旧ソ連の共産党や国際的な共産主義組織が暗躍したという説も出ている。
 その『田中上奏文』が日本の侵略計画実行の第1弾とするのが、張作霖爆殺事件である。この事件が旧ソ連の諜報組織によるものだったとしたら、わが国は、謀略文書と謀略事件によって見事に嵌められ、東京裁判において、世界の悪者に仕立て上げられたことになる。
 東京裁判では、旧ソ連・中国・国際共産主義に不利になるようなことは、一切取り上げられていない。まだまだ、歴史の闇の中に隠されていることが、多数あるだろう。

 戦後の多くの日本人は、東京裁判が描いた歴史観を正しいものと思わされてきた。今も小泉首相をはじめ、多くの政治家・学者・有識者は、東京裁判史観の呪縛を抜け出ていない。そして、共産中国との外交において、相手の術中に嵌められて続けている。
 『マオ』は、そうした日本人に覚醒を促す本である。

嵌められた日本~張作霖爆殺事件1

2006-02-25 10:24:03 | 歴史
 ユン・チアンとジョン・ハリディの共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)は、衝撃的な本である。
 新しい膨大な資料や多数のインタビューをもとに、20世紀屈指の指導者・毛沢東の知られざる実像を描いている。共産党の支配下で、中国は7千万もの犠牲者が出ているといわれる。その惨禍は、毛沢東という冷酷非情の大量殺戮者、権力欲の権化、恐怖と恫喝の支配者、世界制覇をもくろむ誇大妄想狂によるものだった。本書は、毛の悪行は、スターリンやヒトラーを上回るものであることを、圧倒的な説得力で明らかにしている。

 毛沢東の死後、彼の目指した超大国化、軍事大国化の道を中国共産党は、歩み続けた。そして、21世紀の今日、共産中国は日本への脅威となり、アジアへの、また世界への脅威となっている。その憎悪と謀略の反日思想によって。また、核ミサイル、原子力潜水艦、自然破壊、食料不足、エネルギー争奪、エイズの蔓延等によって。
 こうした中国の由来と将来を認識する上で、『マオ』は必読の書と言っても過言ではないと思う。

 それと同時に、『マオ』には、別の価値もある。それは、本書が、20世紀の世界史の見方に転換を迫る本でもあるからである。
 本書には、わが国の指導者を一方的に断罪した東京裁判で作り上げられた歴史観、すなわち東京裁判史観を覆すような記述が随所に出てくる。京都大学教授の中西輝政氏は、3月号の『正論』と『諸君!』で本書を紹介し、「これまでの東アジア現代史や戦前の日中関係史に関して、文字通り根底を揺るがすような数多くの新発見が盛り込まれて」いる、「この本に書かれていることが事実であるならば、20世紀の国際関係史は根本的に再検討されなければならない」と述べている。

 その新発見の一つとして、昭和3年(1928)6月の張作霖爆殺事件がある。この事件は、従来、日本の関東軍の謀略だったと言われてきたが、『マオ』は旧ソ連のGRU(連赤軍参謀本部情報総局)の工作であった、としている。
 もしそれが事実であれば、非常に大きな意味を持つ。わが国は、戦後の東京裁判で、昭和3年以降の出来事について裁かれた。その出来事の起点とされたのが、張作霖爆殺事件なのである。
 東京裁判において、米国・旧ソ連・中国などの連合国は、日本を裁くうえで、『田中上奏文』を重要な根拠とした。冒頭陳述において、キーナン主席検事は、日本は昭和3年以来、「世界征服」の共同謀議による侵略戦争を行ったと述べた。東アジア、太平洋、インド洋、あるいはこれと国境を接している、あらゆる諸国の軍事的、政治的、経済的支配の獲得、そして最後には、世界支配獲得の目的をもって宣戦をし、侵略戦争を行い、そのための共同謀議を組織し、実行したというのである。

 なぜ昭和3年以来かというと、この年に、張作霖爆殺事件が起こったからである。そして、『田中上奏文』が日本による計画的な中国侵略の始まりをこの事件としているからである。だから、張作霖の爆殺が、本当に日本の関東軍によるものだったのかどうかは、東京裁判の判決全体にかかわるほどに、重要なポイントなのである。
 『田中上奏文』が偽書であることは、既に世界的に明らかになっている。東京裁判の当時でさえその疑いがあり、原告側は証拠資料として提出しなかった。それでいて、日本を一方的に悪者に仕立てるために、この文書の筋書きだけを利用したのである。

 では、張作霖爆殺事件の方はどうなのか。張作霖は、中国奉天派の軍閥である。東北三省の実権を握り、大元帥となって北京政府を操ったが、北伐軍に敗れ、奉天への退去の途中で、列車を爆発されて死亡した。それが満州の占領を企図する関東軍の謀略によるものではないか、という嫌疑がかかった。
 時の首相・田中義一は、昭和天皇に対して、責任者を厳しく処分すると奏上した。真相究明に1年もの時間がかかった後、白川陸軍大臣が、実は関東軍の仕業ではなかったようだとの内奏を行った。実行者と目されたのは関東軍参謀の河本大作大佐だった。しかし、陸軍は河本を軍法会議にかけることなく、行政処分にしたと報告がされた。従来、この処置は、陸軍が真相を隠し、事件の揉み消し工作をしたものと理解されてきた。

 ところが、『マオ』は、次のように記している。
 「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」と。
 一瞬、「トンでも本」「際物」の類かと思われる人が多いだろう。しかし、本書の凄いところは、徹底的な資料研究に基づいて記述している点にある。
 続きは次回書く。

参考資料
・ユン・チアン+ジョン・ハリディ共著『マオーー誰も知らなかった毛沢東』(講談社)
・中西輝政著『「形なき侵略戦」が見えないこの国に未来はあるか』(月刊『正論』平成18年3月号)
・中西輝政著『暴かれた現代史――『マオ』と『ミトローヒン文書』の衝撃』(月刊『諸君!』平成18年3月号)

皇室の伝統を守る1万人大会

2006-02-24 11:29:30 | 皇室
 秋篠宮妃紀子様のご懐妊のニュースに、皆様お喜びのことと思います。
 2月7日御懐妊のニュースは、ちょうど国会で皇室典範改正についての議論が始まったところに、全国に伝えられました。さしもの強硬な小泉首相も慎重な姿勢に変わり、今国会での皇室典範改正案の上程は見送りとなりました。

 ただし、皇室典範改正案の提出は見送りになったものの、皇室をめぐる問題は、根本的には解決していません。
 皇室に男子が誕生された場合は、そのお子様が将来の天皇となる可能性が高くなりますが、今のままでは他の宮家はすべて絶家となってしまいます。内親王様はご結婚されると皇族を離れるので、やがて皇室は衰退していきます。
 女子が誕生された場合は、女性天皇・女系継承をもとめる改正への動きが、また起こってくるでしょう。その時は、2千年以上続く皇位の男系継承の伝統が断ち切られるおそれがあります。その結果、国の根幹が揺らぐような事態になりかねません。

 こうしたなか来る3月7日に、「皇室の伝統を守る1万人大会」が開催されます。男系継承の伝統を守り、皇室典範改正には慎重を求める人々が全国から集結する予定です。

名 称: 皇室の伝統を守る1万人大会
日 時: 3月7日(祝、火)15:00~17:00(13:30開場)
会 場: 日本武道館
入場無料
主 催: 皇室の伝統を守る国民の会

提言者: 櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、中西輝政氏(京都大学教授)、金美麗氏(評論家)、ロマノ・ヴィルピッタ氏(京都産業大学教授)、関岡英之氏(フリージャーナリスト)、平沼赳夫氏(元経済産業大臣・日本会議国会議員懇談会会長)、三好達氏(元最高裁長官・日本会議会長)など

賛同者: 市田ひろみ(服飾評論家)、入江 隆則(明治大学教授)潮匡人(評論家)、遠藤浩一(評論家)、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)、平川祐弘(東京大学名誉教授)、三宅久之(政治評論家)、屋山太郎(政治評論家)など多数(2月20日現在)

主催者のメッセージ:
 今、皇室典範の改定で二千年の皇室の伝統が断絶しようとしています。先人たちが守り伝えた万世一系の皇室は世界の宝です。この誇り高い伝統を私たち国民の叡智と努力で守りぬきましょう!

※参加申し込み方法(先着1万人で締切)
 下記のホームページから受付中です。
http://www.nipponkaigi.org/n/budoukan/budou-moushikomi.html
※私も友人・知人と参加する予定です。

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄10

2006-02-23 09:40:15 | 皇室
11.老大家、迷妄を流布し晩節を汚す

 田中氏の迷妄は、まことに深い。氏は次のように書いている。
 「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」。これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」

 氏はこの試案に「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」と言うのだが、私は反対である。氏の試案には重大な問題があるからである。「日本国憲法(第2条)にもとづく」という一節である。
 田中氏は、日本国憲法をGHQによる占領憲法であり、「ヤルタ=ポツダム体制」の一環として論じていたはずである。その占領憲法を、皇室典範の案文に入れている。皇位の世襲は、日本国憲法が初めて定めたことではない。明治の皇室典範は、第一条に「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」と定めていた。世襲は、成文化した法令以前のものである。
 田中氏は「男系の男子」という限定をはずしたいわけだが、それならば、「皇位は世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」とすればよいのである。そこに敢えて日本国憲法を持ってくるのは、まことに奇異である。まさか日本国憲法が「革命憲法」であり、大日本帝国憲法及び明治皇室典範と断絶したものだという、左翼学者の見解へと転換したわけでもあるまいが。

 さて、田中氏は論文の最終節を「後醍醐天皇の御精神を仰ぐ」と題している。ここで田中氏は、後醍醐天皇の事績をあげ、南北朝対立の時代に触れる。そして、「北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。これに対して、後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」。」と述べて、「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」と結んでいる。
 不可解な結尾である。建武の中興で名高い後醍醐天皇であるが、後醍醐天皇は、「朕の新儀」として、女系継承を始めようとしたのだろうか。
 否、皇位継承については、男系継承を堅持されたのである。後醍醐天皇が行ったのは、古代の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇の時代)のような治世をめざす改革であって、皇位継承のあり方の変革ではない。守るべきものは、命をかけても守り、変えるべきものは断固として変えるという姿勢で、改革を試みたのである。田中氏は、後醍醐天皇の言葉を引いて、女系継承の容認に援用するやに見える。
 これは想像だが、「帝は女系でもよいのです。天照大神は女神ですから」などと申し上げたら、後醍醐天皇は目をむいて、「それでは、足利に朝廷を簒奪されるではないか!」と叱責されるのではなかろうか。

 本稿の最初に、田中氏は、今上天皇が女帝・女系容認という思い込みをしているのではないかと書いた。私は、後醍醐天皇を引く田中氏の論文の結尾に、再びこれを思う。
 田中氏は、後醍醐天皇と今上天皇を重ね合わせ、今上天皇は皇室の存続のために、女系継承容認という大改革をされようとしていると推測し、今上天皇が「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」と言わんとされていると想像しているのではあるまいか。
 もう一度言う。後醍醐天皇は、皇位については男系継承の伝統を堅持したのであって、女系継承の提起とは、何の関係もないのである。その何の関係もない後醍醐天皇の言葉を「心して拝聴するがよい」とは、今上天皇が決してお述べになるはずのないことを「ご意思」だと言って、風説を流している不敬の輩と、五十歩百歩であろう。

 「晩節を汚す」という言葉があるが、自分の名を地に落とすのは、自業自得である。しかし、国を憂える多くの善良な日本人を惑わせるのは、よろしくない。
 「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」などと発することの傲慢さに気付き、迷妄の説を取り下げてもらいたいものである。

※連載したものをまとめて、Webサイトに掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05c.htm

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄9

2006-02-22 12:30:23 | 皇室
 有識者会議の残りのメンバーについて述べる。

 佐々木毅氏は、東大の元総長・名誉教授で、政治学、西洋政治思想史が専攻。マキャベリに始まり、ジャン・ボダン、プラトン等の政治思想を研究。現代アメリカの政治思想やわが国の政治を論じる。なまなましい政治の研究家であって、政治を超越した皇室制度についての学識には疑問を覚える。
 岩男壽美子氏は、男女共同参画審議会の会長をしたフェミニストである。皇室問題に男女平等を主張した可能性が高いと思われる。吉川座長は、フェミニズムの本を出しているから、岩尾氏の意見と親和するだろう。
 緒方貞子氏は、国際協力機構理事長、婦人問題企画推進会議委員、国連人権委員会政府代表等を歴任した。わが国が世界に誇りうる人物と評価されているが、ファッショ的な悪法と反対の多い人権擁護法案の推進者である。
 佐藤幸治氏は、憲法学の権威だが、日本国憲法は「革命憲法」であるとし、「個人の尊厳」を重視する解釈を説く。また、「真に日本国憲法の原理に基づいた新しい国家社会をつくり、この国の形を変えないといけない」という意見を表している。園部氏の皇室法理論を、憲法学の立場から補強した可能性がある。
 奥田碩氏は、日本経済団体連合会会長である。実業界からもメンバーに入るのは良いことだが、奥田氏は、小泉首相に靖国神社への参拝を取りやめるよう進言している。中国とのビジネスにマイナスになるからである。日本人の誇りや国益よりも、経済的利益を優先する考え方を表している。
 最後の一人、久保正彰氏は、東大名誉教授で、古代ギリシア・ローマ文学の専門家である。古代ギリシア・ローマ文学は、わが国の皇室の問題を検討するのに、何の関係があるのだろうか。古代国文学の研究家ならわからぬでもないが。

 前回触れた吉川氏・笹山氏・園部氏・古川氏を含め、以上10名が有識者会議のメンバーである。
 田中氏は、この人選を「国民全体を代表する規準で、各分野の重鎮を選考した人事である」と言うのだが、そうは思えない。共産主義・社会主義・フェミニズムの思想を持つか、それに同調する人間が多くを占めていることは、驚きであろう。
 私は、現行の皇室典範に定める男系男子や男系継承の維持を主張する学者・専門家が含まれていないことに、異常を感じる。有識者会議の人選は、注意深く、女帝・女系容認の人間またはそれに反対しないようなタイプの人間を集めたとしか、私には思われない。

 ところが、田中氏は、次のように言う。「メンバーにレフトの思想家が交じっていると問題にするむきもあるが、仮にそうであるとしても、国民全体を代表する規準で、各分野の重鎮を選考した人事であるから、左右の立場を含めた「有識者会議」であっても当然であって、別に非難には値しない。むしろそれらの人々が自ら左右の立場をこえて、満場一致でまとめられている「報告書」にこそ、重要な意義があると言えよう」と。
 田中氏の迷妄は、ますます深い。「国民全体を代表」と言いうるのは、唯一国民規模で選挙を行った場合のみである。氏は近年、各種の審議会の人選が大きな弊害を生んでいることを知らないのではないか。メンバーが「自ら左右の立場をこえて、満場一致でまとめられている」と田中氏は賞賛するが、吉川氏、園部氏らは、左の立場をこえてではなく、左の立場を貫いて、「満場一致」を作り上げたと見るべきだろう。
 昨年秋、有識者会議の報告書が発表された後、皇室典範の拙速な改正に反対し、慎重な審議を求める声が高まった。インターネットの世界では、急速に問題点が知られた。反対意見・慎重意見は、すごい速度で国民の間に広がっている。国会議員で、拙速な改正に反対する署名をした議員が、183名(2月10日現在)にものぼっている。
 田中氏は、一部の官僚・政治家・学者が準備したシナリオに、安易に賛同しているとしか思えない。

 戦前は、軍部に迎合し、戦争遂行政策に積極的に協力した学者がいた。彼らは、国政の実態を知らぬまま国策に協力した。それがお国のためと思っていた。しかし、実際は、軍部は天皇のご意思を体してはいなかった。それどころか、天皇の御心に背き、天皇の権威を利用して専横を行っていた。
 当時と現在では、状況も内容も異なるが、上記のような戦前の学者と似たような精神構造を田中氏に感じるのは、私の思い過ごしであろうか。

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄8

2006-02-21 10:08:19 | 皇室
10. 有識者会議の人選を支持

 田中氏は、吉川座長を擁護するだけでなく、有識者会議を「素人呼ばわりするのは失礼ではないか」と言って、有識者会議の構成を支持する。小堀桂一郎氏、大原康男氏、八木秀次氏ら女系継承に強く反対する人たちは当初、有識者会議のメンバーを「素人集団」であり、皇室問題の専門家が誰もいないとして、その人選を批判していた。この批判が甘く、また不適当だったことは、既に多くの人が明らかにしている。

 田中氏は、有識者会議は素人ばかりではない証拠として、まず笹山晴生氏を挙げる。笹山氏は「東大国史学科の名誉教授であり、後に学習院大学で教授をして皇太子殿下にご進講された経歴をもち、皇室史にも通じた有名な学者」だと。
 確かに有名な学者である。同時に、私は笹山氏の名を歴史教科書の執筆者として知っている。歴史教科書の執筆30年というプロである。自虐的な内容で問題になった教育出版の中学校用歴史教科書の執筆者の一人である。高等学校用の山川出版社の『詳説日本史』の執筆者でもある。山川の最新版は、南京事件について犠牲者数に「40万人」という誇大な数字を挙げ、物議を醸(かも)した。近現代史の部分は、笹山氏の専門の古代史の部分とは関係ないと思うかもしれないが、一冊の教科書は、複数の著者による共著であり、共著者は内容全体に責任がある。
 田中氏は、かつて戦後の偏向した歴史教科書を批判して、独自に日本史の教科書を執筆した。扶桑社の教科書がつくられる遥か以前である。画期的な業績と私は評価していた。その田中氏が今は、自虐的な教科書の執筆者を褒め称えている。この変化はなぜか。有識者会議の報告を支持するためである。皇室を守るためには、女系継承容認しかない。女系継承をできるようにするには、共産も自虐も関係ない。田中氏はこのように考えたのであろうか。

 田中氏は、メンバーのうちもう一人 園部逸夫氏を上げる。素人ではないと。
 園部氏は、筑波大学教授・最高裁判事等を歴任した法律家である。平成14年4月に、園部氏は『皇室法概論』という大冊を出版した。確かに素人ではない。ないどころか、皇室に関するある分野の権威である。田中氏は、本書につき「今回初めて繙読し、その労作に敬服した」と書いている。
 問題は、園部氏の経歴や思想である。園部氏は、最高裁判事の時代、平成7年2月の最高裁判決で、外国人参政権付与につき、本論で違憲としながら、傍論に永住外国人に地方参政権を与える法律をつくることは「憲法上禁止されているものではない」と書いた人物として知られる。この傍論を根拠に、外国人参政権付与の運動が活発化した。
 園部氏は、共産党系のオンブズマン運動や住民訴訟を拡大合法化する法制度づくりで、原告適格性の拡大に努め、自衛隊・米軍基地反対闘争などに尽力したことがわかっている。また、偏向教科書を象徴する家永教科書裁判では、家永三郎氏に与する発言をしていたことも。
 園部氏は、日本国憲法の一定の解釈のもとに、自衛隊と米軍基地に反対し、外国人地方参政権付与は違憲ではないと主張するのである。このような人物が、自分の憲法解釈を皇室のあり方に当てはめれば、そこに出てくる方向は明らかであろう。専門家は、有識者会議の報告書の内容は、園部氏の『皇室法概論』そのままであると指摘している。

 有識者会議の本当の中心は、吉川座長ではなかった。古川貞ニ郎前官房副長官と、この園部逸夫氏だった。彼らは、平成9年に宮内庁で始まった皇室典範改正のための研究会のメンバーだった。そして、研究会で準備した案は、平成13年に内閣法制局によって、法案として立案され、公表された。有識者会議は、下準備が十分できたところで、“民主的な手続き”を踏むために、選考されたのである。そして、古川氏と園部氏は、この有識者会議のメンバーに入った。園部氏は有識者会議の座長代理を務めた。

 官僚の中では、古川氏が中核という見方がある。古川氏と羽毛田宮内庁長官は、厚生省時代の上司と部下であり、古川氏が羽毛田氏を宮内庁のトップにすえた。ここに「隠れ学会員」という怪文書の出た風岡次長が加わる。夫人が熱心な学会員だと伝えられる。古川氏がリードして、羽毛田氏・風岡氏らが、女帝・女系容認の皇室典範改正の青写真をつくった可能性がある。さらにその背後に司令塔があるのかも知れない。
 古川氏は、村山首相が戦後50年の年に出した「植民地支配と侵略によって」等の談話を、「日本政府の基調を明確にしたもので、高い歴史的価値がある」と評価しているという。また、新たな戦没者追悼施設の建設に賛成だという。皇位継承のあり方を検討するには、不適切な思想の持ち主であろう。
 この官僚たちに協力し、または官僚たちを理論的に指導したのが、園部逸夫氏であろう。

 次回、この続きを書く。

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄7

2006-02-20 10:05:13 | 皇室
 皇學館大学名誉教授・田中卓氏の女系容認論を批判している。4~5回のつもりではじめたが、全部で10回になる見込みである。

9.無礼で容共的な吉川座長を弁護

 田中氏は、戦後の歴史学界ではごく少数派の愛国的・尊皇的な学者である。共産主義や日教組を批判する活動もしてきた。その田中氏が、有識者会議の構成や姿勢を擁護している。これまた迷妄と言わざるを得ない。

 昨年秋、三笠宮寛仁親王殿下が、皇室典範の改正について慎重な検討を求めるご発言をした。これに対し、有識者会議座長の吉川弘之氏は、「どうということはない」と答えた。失礼、無礼と感じた人は多い。ところが、田中氏は、『諸君!』3月号の論文で、「吉川座長の真意を公正に理解せよ」と言う。そして、吉川氏が「小泉内閣メールマガジン」に特別寄稿した文章を引いて、「深甚な配慮と苦渋がにじみ出ており、反対論者の非難が、いかに皮相で軽率であるか、明らかであろう」と弁護する。

 確かに引用された吉川氏の言葉には、皇室制度に関わることは「恐れ多いことだという念にとらわれないわけにはいかなかった」「古来の歴史の変更であるという意味で、言葉には言い表せないほどの自問自答を繰り返した末の提案だった」「様々な歴史観や国家観を踏まえながらも、その中の特定の立場に基づく議論は差し控えるという態度をとった」「特定の思想を前提としない、その意味で中立的な立場で検討するという条件を自らに課していた」等という言葉が並んでいる。
 田中氏はこのような吉川氏の言葉を、言辞のままに読んで、そこに「真意」が表われていると理解している。しかし、人の言葉というものは、言辞のままに取ることが、「皮相で軽率」となる場合もある。
 孔子は「巧言令色に仁すくなし」と説いた。巧みな言葉や穏やかな顔色は、かえって真意を包み隠す場合があるものである。そして、真意というものは、推敲を重ねた文章よりも、とっさの場合の応答に露呈するものだ。寛仁殿下のご発言に「どうということはない」と答えた吉川氏の態度や姿勢に、傲岸不遜、失敬なものを、多くの人が感じたのは、なぜなのかを田中氏は考えるべきなのである。

 また、吉川氏は、「特定の思想を前提としない、その意味で中立的な立場で検討するという条件を自らに課していた」と書いているが、一方で「憲法が女性・女系天皇を認めている」「報告書は憲法に従った」のだと吉川氏は発言している。ここに有識者会議が依拠した「特定の思想」がある。それは、日本国憲法の思想であり、より正確に言えばその偏った解釈である。
 皇室問題に関し、憲法解釈のポイントは、主権在民と男女平等にある。日本国憲法においては、「天皇」の章と「国民の権利と義務」の章は区別されている。左翼的な学者はこの区別を排除し、皇族と国民の差異をなくそうとする。そして、日本国憲法を共和制の憲法に限りなく近く拡大解釈し、その解釈に合わせて、現実を変えようとする。それが、「主権在民」による皇位継承の伝統の変更であり、「男女平等」による女性・女系天皇の肯定なのである。その先にあるのは、天皇・皇族そのものの否定とジェンダーフリーの推進である。
 吉川座長は、こうした左翼的・フェミニズム的な憲法解釈に親和するような、ものの考え方を持ってはいないか。

 このロボット工学の権威は、昭和27年から31年の大学在学中には学生運動をやっていたという。その頃の学生運動は、共産党の青年組織(民主青年同盟)しかなかったことから、当時の吉川氏は共産主義または容共的な思想を抱いていたと見られる。スターリンを信奉していたという情報もある。
 若い時に共産主義の影響を受けたが、後にその誤りに気付いて、共産主義批判に転じた人間は多い。しかし、吉川氏は、そうではない。共産党の機関誌『赤旗』によく記事を寄せていたという。
 また、吉川氏は日本学術会議の会長だったときに、『男女共同参画社会~キーワードはジェンダー』という本を刊行した。執筆者には、上野千鶴子氏らの過激なフェミニストも名を連ねている。

 このような人物が「われわれが、新しい歴史をつくる」とか「新しい皇室制度の制度設計をする」と言うとき、その背後に「特定の思想」があると考えるのが、「真意の公正な理解」ではあるまいか。
 吉川氏が「小泉内閣メールマガジン」に書いた文章のみをもって、「反対論者の非難が、いかに皮相で軽率であるか、明らかであろう」と弁護する田中氏は、自分が「いかに皮相で軽率であるか」、気付いていないようである。

 次回、有識者会議のメンバーについて続ける。

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄6

2006-02-19 09:01:12 | 皇室
8.姓なき易姓革命を誘発する危険性

 田中氏の男系・女系の概念は、氏自身が混乱しているのではないかと書いた。具体的には、次のようである。
 「女帝(乙)の場合にはーー皇婿――この方が皇族(後述の旧皇族を含む)であっても――その間に生まれた御子は「女系の男子(A)」または「女系の女子」となる。‥‥‥「女系の男子(A)」であっても、後に即位せられて「天皇」となり、娶られた皇妃(皇族出身者以外を含む)との間に「男の御子(B)」が生まれて、そのお方(B)が皇位につかれると、この系統は母方にあたる女帝(乙)の血をうけておられるので、古来からの皇族の継承と見て、皇位は再び「男系」にかえると考えてもよい」

 ここにおける田中氏の理解は混乱していると思う。男系とは、一般に男子の系統、男の方の血筋をいう。女系とは、一般に女子の系統、女の方の血筋をいう。皇位継承者における男系とは、父方を通じて歴代天皇に連なる系統である。男系の男子・女子は、父→父→父とたどると必ず神武天皇にたどり着く。これに対し、女系とは、母方を通じて歴代天皇に連なる系統を意味する。皇室では過去に女系の天皇は例がない。

 過去の女帝は寡婦か独身であり、在位中に結婚した例はない。仮に新たな例として、女帝が皇婿を迎えた場合、その方が旧皇族の男系の男子であれば、その間に生まれた子は「男系の男子」である。傍系ではあっても、この子の父は、その父→そのまた父と、父から父へと男子の系統をさかのぼれば、歴代天皇につながる。だから、この子は「男系の男子」である。また、この子は、父が男系の男子、母も男系の女子という「男系の男子」なのである。
 ところが、仮に皇婿が一般の民間人である場合は、まったく系統が違う。その子は、母を通じて歴代天皇につながってはいても、父方は別の家系だからである。この子は「女系の男子」である。  
 田中氏は、この明確に違う二つの事例を区別していない。それゆえ、私は、田中氏は、男系・女系の理解が混乱しているのだと思うのである。

 また、氏は、主張の後半で、「女系の男子」が即位し、皇族以外から皇妃を娶られ、そこ生まれた男子が皇位につけば「母方にあたる女帝」の血をうけているから、皇統は「男系にかえる」という。この論は、その混乱の表れだと思う。
 たとえば、愛子様が独身で女性天皇となられ、民間人の佐藤氏とご結婚され、男子が誕生されたとする。この「女系の男子」が次の天皇となったならば、これは女系継承となる。しかし、田中氏は、その女系の男性天皇が、民間人女子とご結婚され、そこに生まれた男子が次の天皇になれば、それは「男系にかえる」ことなのだという。これは、おかしい。
 その男子は、父は天皇ではあるが、祖父は民間人であり、曽祖父・高祖父等とさかのぼっても、歴代天皇にはつながらない。これを「女系の天皇」というのである。そして、厳密に言えば、佐藤氏と愛子様の子である「女系の男子」が天皇となった時点で、従来の皇室とは異なる家系に、皇位が移ったと見なしうる。だから、皇室の伝統を尊重する日本人は、女系継承に反対するのである。
 田中氏が「男系にかえる」という時の「男系」とは、歴代天皇とは異なる新たな男系であり、実質的に佐藤家に王朝が交代したと考えられるのである。皇室にはもともと姓がない。佐藤氏は皇婿となった時点で、佐藤という姓を失う。しかし、姓はなくなっても、佐藤氏を父とする子が皇位を継いだならば、これは佐藤王朝に移行したのと、同じ意味を持つのである。

 田中氏は、女系継承に反対する者が、何をもって女系とし、何をもって女系継承としているかを把握していない。それは、この当代有数の歴史学者が、皇位継承の歴史そのものを正しく理解していないためではないか。それとも、わかったうえで、国民を欺くために、敢えて異説を流布しているのか。
 なぜわが国の皇室は、皇統の危機において、田中氏が容認するような女系継承をしてこなかったのか。直系の男子に適当な候補者がいなければ、直系の女子ではなく、傍系の男子に候補者を求め、8親等、10親等の遠縁であっても、由緒のしっかりしている男系の男子で、また適性のある方を天皇に迎えたのである。

 田中氏の理論を、藤原不比等や平清盛、足利尊氏らに教えたならば、そんな考えがあったのかと、彼らはやすやすと皇位を手に入れただろう。まず女帝を立て、自分の息子をその婿とし、生まれた孫を天皇にすれば、よいからである。その天皇にさらに一族の娘を嫁がせる。表面は姓のない皇室が続いている。しかし、実質は別の王朝に移行している。そして、皇室の権威をわがものとした権力者は、わが国の歴史上見られなかったほどの絶大なる権力を掌中にしたに違いない。
 田中氏の理論は、皇位簒奪を正当化する「姓なき易姓革命」の理論とさえなっているのである。

 田中氏は、女系継承の容認に心が傾くあまり、迷妄に陥っている。私はそう言わざるを得ない。

田中卓氏・女系継承容認論の迷妄5

2006-02-18 08:42:01 | 皇室
7.血統・男系・女系の概念に混乱

 世界で唯一、日本の皇室でのみ続けられてきた男系継承の伝統を堅持しようと考える人は、戦後、臣籍降下した旧宮家に、男系男子が多くいることに注目する。男系男子ということは、神武天皇の血を引く男子ということである。
 これに対し、田中氏は、「神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない」と言う。男系継承堅持派が旧皇族に限って話しているのに、国民全体に話しを広げて、傍系の男系男子の存在の価値を低めんとしているかのようだ。
 男系継承については、遺伝学の専門家から男から男にしか伝わらない「Y染色体の継承」という事実が指摘され、皇室の伝統を理解する補助となっている。しかし、田中氏は、Y染色体について、「極く最近の生物学の発見で、古来の日本の歴史や伝統とは何の関係もない」と否定する。

 田中氏も論文で引いているが、9世紀初めのわが国最古の系譜集「新撰姓氏録」は、皇別つまり天皇家から分かれた家を335氏と数えている。相当の数である。皇別には、源氏、平氏、橘氏などが含まれる。
 皇別の男子と皇族・旧皇族の男系男子は、理論的には神武天皇の血を引いていると考えられる。これらの男性は、言うところのY1染色体を受け継いでいる可能性がある。田中氏は「1億くらいではすまない」と言う。しかし、人口から見て、日本の男性は全部で6千万人ほどなのだから、田中氏の数字の挙げ方は、おかしい。数字を出すなら古代と現代における神武天皇の子孫が人口に占める比率を統計的に試算して出すべきだろう。そうでなければ、ただの目くらましである。

 歴史が示しているのは、実際に皇位継承者に選ばれるのは、その折々に歴代天皇に近い男系の男子であった。単に神武天皇の血を引いているということではない。はるか昔に皇族から分かれ、家臣・人民となった者は対象にならない。最低条件が男系の血統の継承だとすると、親族内の近さが次の条件となって選択されていたのである。そのうえで、天皇となるにふさわしい適性がこれに加わっていたと考えられる。

 過去の傍系の例は、最大限離れて10親等である。その例である継体天皇は、天皇となる前は「王」と呼ばれる身分だった。遠い傍系とはいえ、社会的な階層が皇室に近いところにいた方だったわけである。
 戦前まで多数の宮家を設けてそこから皇位継承候補者を出せるようにしてきたのも、親族の範囲を限り、その内の近さを重んじたからだろう。田中氏のように神武天皇の子孫なら誰でも対象となるというなら、わざわざ宮家や世襲親王家を設ける必要もないではないか。
 伏見宮系の旧宮家は40数親等離れてはいるが、戦前までは宮様として国民に親しまれ、また明治天皇の皇女や昭和天皇の皇女が嫁がれている。戦後も「菊栄親睦会」で皇室と親戚づきあいをされているという。一般の国民とは、社会的階層が異なるわけである。
 それゆえ、田中氏のように神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない、Y染色体の話も意味がないという論は、史実の一部しか見ず、また皇族及び旧宮家の現実を見ていないものだと思う。男系継承を堅持すべきという論を排斥するために、親族内の近さという重要な条件を隠し、旧皇族の存在を排除するための意見でしかないと思う。

 さらに田中氏は、不可解なことを言う。「外国人が皇室に対して敬意を表するのも、また日本人が皇室を誇りとするのも、神武天皇の建国以来の、皇族の籍を有せられる一系の天子が、千数百年にわたって、一貫した統治者であり、他系(皇族以外の諸氏)の権力者が帝位を簒奪したことがないという、世界にも類を見ない歴史の事実にあるのであって、皇統が“男系”とか“女系”という血統のせいではない」と。
 歴史の事実として、一系の天子が、一系であり続けてきたのは、男系継承だったから可能であった。そのことを、田中氏は理解しているのだろうか。私は首かしげている。上記の引用は「皇族の籍」としか言っていないからである。そのうえ「血統のせいではない」とまで言うのだから、理解に苦しむ。

 わが国では、一系の天子が一貫した統治者であり、帝位の簒奪がなかったという事実の結果、一系の血統が保持されてきた。また、簒奪が行われなかった歴史を見ると、一系の血統に伴う侵しがたい権威が、時の権力者の権力欲を抑えた。血統という要素は、皇統に不可欠の要素である。そして、その血統とは、男系で継承されてきた血統である。
 田中氏は、男系継承による一系の血統の権威や価値を引き下げて、相対化しようとしているかに見える。

 もっと重要なこととして、田中氏の男系・女系の概念は、何度読み返しても、私には理解しがたい。定義の違いだろうか。いや失礼ながら、氏自身が混乱しているのではないかと疑う。
 この点は次回に述べたい。