ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「安全保障関連法制の整備を急げ」をアップ

2015-06-30 09:48:52 | 時事
 6月8日から29日にかけてブログとMIXIに掲載した安保法制に関する拙稿を編集し、マイサイトに掲載しました。まとめてお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■安全保障関連法制の整備を急げ
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08p.htm

安保法制つぶしを中国が工作か?

2015-06-29 10:22:49 | 時事
 6月4日の衆院憲法審査会で、参考人3名がそろって集団的自衛権の行使は「憲法違反」とした。自民党が推薦したのが早大教授の長谷部恭男氏と知って、私はすぐ同党憲法改正推進本部長の船田元氏の甘さ、官僚による政治家の操縦を思った。また、背後で外国勢力が工作活動をしている可能性が思い浮かんだ。その上、政権を揺るがす年金情報の漏えいが、サイバー攻撃によってなさえていた。――ー独立総合研究所社長の青山繁晴氏によると、どうも私が思ったことは、単なる推測ではなさそうである。
 下記のサイトから、転載にて紹介する。

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http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/45146584.html


1: 雨宮◆3.yw7TdDMs:2015/06/12(金)12:53:39 ID:uOE

9:00から

青山繁晴「で、この話でもう一度申しますとね、自民党から、一回も話はないわけですよ」

飯田浩司(ニッポン放送アナウンサー)「ええ」

青山繁晴「で、僕は、まあもちろん記者出身なんでその経緯をもう一回調べたら、国会で証言したあとももう一度調べてみたらですよ、ありとあらゆる証人は、つまり、役所に全部丸投げされてて」

青山繁晴「ね。そして、今回で言うとですよ、今回も、何とその船田さん、責任者の船田さん、ね、
自民党でかつてホープと言われた船田さんも含めて、誰が国会に現れるかを知らないんですよ。役人に任せたまま」

飯田浩司「当日まで知らないと…(苦笑)」

青山繁晴「それで、その(長谷部教授を)推薦した、つまり役所の中に、中国の手が入ってるんですよ」

飯田浩司「ほう~」

青山繁晴「それを僕は火曜日(6月9日)に、これあの、インテリジェンスにも関わってる人だから、名前は拷問されても、あの、生涯言いませんけれど、火曜日に早朝会った時に、つまり人目を避けて早朝会った時に、これ、そもそも、役人推薦なのが間違いだけれども、この推薦した役所の中に中国の手が入ってると、僕は、証拠もあるって言ったら、この政権中枢は、当然否定すると思ったら、その通りですと言ったんですよ」

青山繁晴「ええ。だから、中国による、倒閣運動が始まってて」

青山繁晴「で、今回の、その、日本年金機構に対するハッキングも、これは、あの、実は日米の捜査当局は、中国人民解放軍系の、解放軍が直接やるとヤバイから解放軍が雇ったハッカーが、やった形跡があるとすでに見なしてて、一切公表されてないけど、今後も公表されないかもしれないけど本当はそういう、インテリジェンスが間違いなくあるわけですよ」
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安全保障関連法制の整備を急げ9

2015-06-26 09:23:31 | 時事
●安保法案に関する学識経験者の意見(続き)

 次に、防衛関係の専門家2名の見解を紹介する。国会議員のほとんどは軍事に関する専門的な知識や経験がない。わが国では、国民が民間防衛のための訓練を受ける機会がない。また大学では一般教養科目として軍事に関することが教えられていない。このような現状において安全保障関連法案の国会審議を行うには、元自衛官や防衛大学の教授などの学識経験者を公述人として呼び、参考意見を聴く必要がある。そうした機会が設けられるのかさだかでないが、審議に預かる政治家は、防衛関係の学識経験者の意見に耳を傾けるべきである。

 元防衛大学校長で平和安全保障研究所理事長の西原正氏は、今回の安保法案を次のように評価する。 
 「一国の安全保障はあり得るさまざまな事態を想定し、それに対応するための方策を幅広く用意しておくのが原則である。最悪の事態を想定してその対応策の選択肢を多く持っていれば、余裕を持って対応することが可能であり、パニックに陥ることも少ない。この度の法案のほとんどは最悪の場合に、日本はどうするのかを規定したものである。重要な影響を及ぼす事態において米軍や他国軍への後方支援を拡充する改正法案や、武力攻撃を受けて日本の存立が危機に瀕する事態において集団的自衛権を行使する改正法案などである。そういうことが必ず起きるというのではなく、事態を想定して準備をすることを決めておくのが重要だ」と。
 また、次のように述べている。「存立危機事態にあって自衛隊が集団的自衛権を行使するのは、同盟国や友好国とともに国際秩序を回復するための共同行動である。しかもそれはホルムズ海峡機雷封鎖の事態に対するように、国際的共同行動によって共通の国益を守ろうとするのであるから、防御的防衛行為ではあっても戦争行為とはいえない。野党はこうした事態に対して日本の国益は何なのかという現実的議論をすべきである。ホルムズ海峡が閉鎖されても、自衛隊は何もすべきでないというのならば、石油の輸送中断で日本経済がガタガタになっても、国民に堪えるように訴える責任と覚悟が必要である。多少の犠牲は払ってもホルムズ海峡の航行再開を早期に完遂することで、国民の生命と財産を守り、国際社会から感謝される現実的選択肢の方がはるかに日本に有益だと考える」
 次に、自衛隊の任務については、次のように主張している。「今後の自衛隊は有事に任務を遂行することがあるという点で、確かにこれまでより危険度は高くなる。しかし自衛官は、『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応えることを誓います』と服務の宣誓をしている。自衛官はこの任務を遂行することで厳しい訓練への報いと他国軍隊と同じ尊敬を得られることへの満足を抱く筈である。自衛官の防人としての誇りは彼らの精神的支柱となっている。『危険なところに送るな』というのは、自衛官を侮辱しているとさえ言える」と。
http://www.sankei.com/column/news/150520/clm1505200001-n1.html

 元陸将・北部方面総監で帝京大学教授の志方俊之氏は、安保法案を次のように評価する。
 「今回の『国際平和支援法案』と『平和安全法制整備法案』は、冷戦終結後の1990年頃に整備しておくべきものだった」。わが国はカンボジアでのPKO、ペルシャ湾掃海、イラク人道復興支援活動等に、「安全保障関連法が整備されていないにもかかわらず、国際社会が求める諸活動のために現地に自衛隊を送ってきた。そして現地の実情に対して十分ではない法律との難しい隙間を自衛隊が埋めてきた。その意味で、今回の法整備を高く評価するものである」。
 次に、自衛隊の海外活動の拡大については、次のように述べている。「海外における自衛隊の活動範囲が広くなり、武器使用の枠も拡大されるので、現地における自衛隊員のリスクは急激に高くなると心配する向きもある。しかし、必ずしもそうとはかぎらない。法整備がないまま現地の指揮官が武器使用を逡巡して対応が遅れることで、逆にリスクは高くなる。過剰に反応すると心配する論議もあるが、そこは現地指揮官を信頼してもらうしかない。部下を不必要な戦闘に巻き込まずに、任務を達成することが指揮官の務めである。今回の法案では『駆け付け警護』が含まれている。これで現地の指揮官は大きい悩みが一つ消える」
 「これまでの海外活動で、自衛隊に死傷者が出なかったのには『運』もあるだろうが、必ずしもそれだけではない。自衛隊は現地で遭遇する状況よりも厳しい訓練をしている。訓練で汗をかき、実任務で血を流さないようにと努めているのだ。その厳しい訓練ですでに1851柱の殉職者を出している。自衛官だけではない。海上保安官は日本の海を守るため何人も殉職している。PKOでは警察官も殉職した。イラクでは2人の外交官が殉職している。このような若者たちの命によって国民の安全と生活が守られているのだ。自衛官である以上、リスクは当然ある。だからこそ自衛官は『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託に応える』と入隊時に宣誓しているのである」と。
http://www.sankei.com/column/news/150602/clm1506020001-n1.html

 参考に加えると、元米海軍士官、元国防総省安全保障局日本部長で、ヴァンダービルト大学名誉教授のジェームス・E・アワー氏は、米国人の側から、1960年成立の日米安全保障条約は「日本を危うくする どころか、55年間の日本の安全を実現させた」と評価する。そして、次のように言う。
 「60年以降、時代は変わった。北朝鮮は危険な軍事力を持つ予測不可能な専制体制によって統治され、顕在的な核武装脅威国になろうとしている。中東は、非常に不安定だが戦略的に重要だ。中国の軍事費は、控えめに言っても気がかりな種々の理由で増加しており、中国の東シナ海と南シナ海での挑戦的な行動は、日本の安全保障と航行の自由を脅かし、日本やより広大な地域、世界の経済に深刻な結果をもたらしかねない。それゆえに、日米同盟が今も存在していることに関する論理的根拠はある意味、前にも増して重要になっている」と。
 今回の安保法案については、戦争抑止力を高めるものとして評価している。
 「もし日本が集団的自衛権に関する閣議決定とガイドラインの履行に向けた新たな安全保障法を成立させたならば、北朝鮮が日本海を警戒行動中の米軍艦船に向けてミサイルを発射したり、イランがホルムズ海峡に機雷を敷設したり、また、中国が太平洋の米ミサイル防衛システムにサイバー攻撃を仕掛けたりした場合、日本はこれらの状況のうち一つでも複数でも日本の安全保障をも危うくすると判断した場合は、米国とともに問題に対処できるようになる。新たな安保法で、日本は合法的かつ現実的な行動を取ることを検討できる権利を得る。北朝鮮、イランと中国は、もし日本が米国と連携できないと知れば勢いづく恐れがある。一番重要なのは、西太平洋の技術的に最も高度な防衛力を備えた両国が合法的に対抗措置をとることができ、日本の安全保障が脅かされた際は、日米両政府が共同行動を取る決意であると知れば、これらの国々は、先に挙げたような攻撃を実施しないだろうということだ」。
 そして、安倍首相が日米の連携は抑止力においては「1+1=2以上」だという考えを表したことを受けて、次のように主張している。
 「いつ、どこで日本の安全が脅かされたとしても、日本が法律に従って行動できることを可能にする新たな措置と、日米両国が共に行動し、『1+1=2以上』という潜在的相乗効果を生みだすという決意を相互に確認することが、1960年の安全保障条約を残りの21世紀においてはるかに(現実世界と)関連の深いものにすることになるのだ」と。
http://www.sankei.com/column/news/150519/clm1505190001-n1.html

 以上、憲法学者、国際政治学者及び防衛関係の学識経験者の意見を紹介した。安保法案の審議に預かる政治家は、ここに揚げたような日本人有識者の意見に耳を傾けるべきである。国民もまた自分の国は自分で守るという自覚を以て、安保法制の整備を真剣に考えなければならない。(了)

人権166+167~ホッブスの自然権

2015-06-25 10:03:30 | 人権
●人権の思想史を概観する

 人権の思想の発達を、主権・民権・人権の関係において見るため、第5章及び第6章において、西欧における市民革命から20世紀初めにかけての歴史を概観した。本章では、近代西欧に現れた主権・民権・人権に係る思想について、人権を中心に述べる。まず17世紀イギリスにおける思想的展開を書き、続いて18世紀の啓蒙思想、アメリカ・フランスにおける市民革命期の思想、ドイツにおけるカント及び彼以後のドイツ観念論から現れたマルクスとナショナリズム、19世紀イギリスにおける功利主義と修正自由主義、最後に日本における近代西洋思想の摂取と独創的な展開、最後に19世紀末から20世紀初頭までの人権思想の展開という順に記す。
 人権の思想は、西欧の近代化の過程の中で発達した。私は、西欧の近代化は、心の近代化に始まったという見方をしている。心の近代化とは、マックス・ウェーバーの「呪術の追放」つまりアニミズム的・シャーマニズム的な世界観の駆逐を皮切りに、宗教における合理的態度が形成され、合理主義が思考・行動・制度の全般を支配してきつつあることである。その進展に伴い、西欧では生活全般の合理化が進んだ。すなわち、文化的・社会的・政治的・経済的な近代化が全般的に進行した。心の近代化は、全般的合理化の開始点であり、またその過程の中心部分でもある。心の近代化の過程で、人権の思想は発達した。人権の思想の発達は、心の近代化の過程の一部である。心の近代化について詳しくは、拙稿「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆~ウェーバー・ユング・トランスパーソナルの先へ」をご参照願いたい。その論稿は、人類の文明に巨大な変化をもたらした近代化を、“心の近代化”という角度から検討し、世界的な危機の解決の道を見出そうとしたものである。本章は、その論稿を土台として、人権の思想について検討するものである。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09b.htm
 人権の思想の起源は、トマス・ホッブスの自然権とピューリタン革命期の水平派の生得権にあり、ジョン・ロックがこれを政治理論化した。ロックの思想はフリーメイソンと結びつき、アメリカ独立革命、フランス市民革命の推進力となった。人権の思想は独立宣言・人権宣言に盛り込まれ、イマヌエル・カントによって哲学的に掘り下げられた。世界人権宣言のもとには、こうして形成されたロック=カント的な人間観がある。その人間観は、キリスト教に基づくものであり、新たな人間観を創出し、真に地球的な人類文明を創造することが人類の課題である。本章はこのような認識と問題意識を以て書くものである。
 さて、人権の思想は、17世紀イギリスに発生した。17世紀は、科学革命の世紀としても知られる。西欧では、ルネッサンスの時代から実験と数式による科学が発達し、天動説から地動説へのコペルニクス的転回が起こった。トマス・クーンのいうパラダイム・チェンジである。それによって中世のキリスト教の教義による世界観は破綻を始めた。17世紀には、フランシス・ベイコンが帰納法による学問方法論を打ち立てるとともに、科学万能の思想を説いた。ルネ・デカルトは物心二元論・要素還元主義による認識方法を提示した。アイザック・ニュートンは機械論的自然観を完成した。機械論的自然観は、機械をモデルとする世界観であり、自然を外から与えられる力によって動く部分の集合ととらえるものである。また、化学・医学等様々な分野で自然の研究が進み、実験と観察にもとづく近代西欧科学的な世界観が形成された。こうした世界観の変化が、人権の思想の発生・展開の背景にある。ホッブスもロックも当時の科学に通じた思想家だった。

●人権概念の最初はホッブスの自然権

 人権と呼ばれるようになった権利を最初に提起したのは、ホッブスだった。ホッブスは、イギリスで歴史的に形成された「臣民の権利」とは異なる自然権(natural rights)を主張した。自然権は自然法(the law of nature)という思想に基づくものだった。人権の概念を理解するには、自然法の理解が欠かせない。まずその点を述べ、次に自然権とその理論の展開について述べる。
 自然法は、人間がつくった人定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法を意味する。自然法の概念は、古代ギリシャのポリスの枠組みを越えたコスモポリタン(世界市民)の思想に始まる。ギリシャの異邦人ゼノンを始祖とし、ローマではキケロらによって発展されたストア派は、人間の意志を超越した宇宙の法則を意味するものとし、宇宙と人間をともに貫く自然法に従って生きる哲学を説いた。キリスト教は、教義を体系化するために、プラトンやアリストテレス、ストア派の哲学を取り入れた。自然法は、それによって理論化されたものである。だが、キリスト教では、神は言葉によって天地を創造したとし、自然は神の被造物であり、神の支配下にあると考える。また人間は神の似姿として造られ、知恵を与えられているとする。中世西欧では、こうした教義のもとに、自然法は神の意思による宇宙と社会の秩序とされた。自然法は、神が定めた宇宙の法則であるとともに、神が人間に与えた道徳の原理を意味する。わが国では「法」と訳すので、後者の原理でもあることが、理解しにくい。法というより掟。法と道徳が分離する前の宗教的な掟と考えたほうがよいだろう。
 古代ギリシャ人は、人間が動物と区別されるのは、言葉を持つことによると考えた。言葉に当たるギリシャ語はロゴスlogosであり、ロゴスは理性・理法をも意味した。ギリシャ語には、理性を意味するヌースnousという別の言葉もある。そして、人間は理性の働きによって、自然法を理解することができるとされた。
 中世西欧では、教父アウグスティヌスが5世紀に『神の国』にて、「神の国には完全無欠な神の永遠法が支配するが、地の国には罪ある人間の不完全な人定法しかありえない。しかし愛の神は、人間に理性の能力を授け永遠法の一部を認識して人定法の模範とさせるようにした。これが自然法である」と書いた。またトマス・アクィナスは、13世紀に『神学大全』にて、聖書が啓示し教皇が命ずる法を神法とし、自然法の上に置いた。人間は神の叡智を理性として分有しており、自然法を理解できるが、人間には神の栄光に浴すには決定的な限界があり、これを超えられるのは信仰によってのみであるとした。トマスの思想はトミズムと呼ばれ、21世紀の今日でもキリスト教文化圏で影響力を持っている。
 中世西欧では、カトリック教会の権威によって、人定法、自然法の上にある神の永遠法や神法の解釈は教会に委ねられていた。しかし、地動説、宗教改革、宗教戦争等によって、教会の権威は大きく揺らいだ。そうしたなか、グロティウスは、1625年刊行の『戦争と平和の法』で、自然法を「正しい理性の命令」と定義した。自然法は神の意思に基づくものだが、たとえ神が存在しないと仮定しても妥当するし、その定めは神さえ変えることができない不変なものであると主張した。ルターやカルヴァンは、信仰のあり方について教会の権威に抗議したが、グロティウスは信仰より理性を重視する自然法論を説くことで、教会の権威を相対化したのである。
 グロティウスに続いて、ホッブスは、独自の自然法論を展開した。そして、人権の概念の最初のものとなる自然権の概念を提起した。

※以下は「人権167」にあたるもの

●自然法論におけるコペルニクス的転回

 ホッブスの思想は、自然法論におけるコペルニクス的転回といわれる。
 トマスの自然法論には、自然法則(lex naturalis)と自然的正(ius naturale)という二つの領域があった。前者は、神の根本法則である永遠法の人間理性における分有であり、人間の道徳の原理を含む概念である。後者は、事物の本性に基づく正しい状態・事柄である。前者のlexは英語にもある単語でlawと同義、後者のius(ユス)はjusと書かれることもあり、jusiticeの語源である。これらを区別せずに lexもiusも「法」と訳されるため、混同しやすい。「法」と「正しい状態、公正」は、通底する概念だが、区別した上で理解する必要がある。独語・仏語では「法=権利(Recht/droit)」であり、英語では「正当性・正義=権利(right)」である。そこから、「法=正しい状態=公正=正当性=正義=権利」という概念の連続性を読み取ることができる。
 トマスにおいて、自然法則は、人間の事物・生物・理性という三相に基づく本性の傾向、すなわち自己保存、種の保存、神の認識と共生の傾向から導かれ、モーゼの十戒に集約される。法的な正義は「共通善」(bonum commune)を基準とした。古代ギリシャでは、プラトン、アリストテレスが公共善を正義としたが、共通善はその公共善を継承したもので、神、教会、共同体への義務が強調された。
だが、自然科学が発達して機械論的世界観が登場し、宗教改革により個人の意識が発達すると、共通善に替わるものとして、個人の自由と権利が追求されるようになった。自然権は、この個人の自由と権利に係る概念である。その先鞭を切ったのが、ホッブスである。
 ホッブスは、著書『リヴァイアサン』(1651年)に、次のように書いている。
 「自然法則(a law of nature、lex naturalis)とは、理性によって発見された戒律または一般法則である」
 「著作者たちが、一般に自然的正(ius naturale)と呼ぶ自然権(the right of nature)とは、各人が、彼自身の自然すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の欲するままに彼自身の力を用いるという、各人の自由である。したがって、彼の判断と理性において、そのために最も適当な手段だと思われるあらゆることを行う自由である」。
 ここで「自然法則」「自然的正」と訳したlex naturalis とius naturaleは異なる概念である。重要なのは、ホッブスが「自然的正」を「自然権」だとし、「各人の自由」だと主張していることである。ここには飛躍がある。トマスの自然法論における「自然的正」は、「自然法則」に基づく事物の本性に基づく正しい状態・事柄だが、ホッブスは「自然的正」を人間の自由だとする。自由とは自由な状態への権利である。英語で書くとjusticeをrightに置き換えて、<正しい状態・事柄→正義→権利>と、言葉の中で意味をずらしていって、個人の自由と権利を提起したと考えらえる。
 ここに自然法の理解にコペルニクス的転回が起こった。ホッブスは、自然法に基づく自然権によって、人間が契約を結び、国家を設立したと説いた。社会契約論の始めである。その理論は人権論であり、主権論であり、国家論である。
 なお、ここで注意すべきは、「自然」という訳語を当てている原語のnatureは、東洋的な自ずと生成するものではなく、神が創造した被造物であることである。自然権は、神が被造物に与えた権利である限り、神の存在が前提となる。ホッブスも神による創造を積極的に否定してはいない。しかし、思考からは神を排除し、神の関与の有無にかかわらず、自然法は存在し、自然権は成立するという考え方で、社会契約論を説いているものである。次にその内容を見てみよう。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ8

2015-06-24 08:50:32 | 時事
●安保法案に関する学識経験者の意見(続き)

 次に憲法学者で麗澤大学教授の八木秀次氏の見解である。
 八木氏は、現行憲法が制定された後に、国際秩序が変化し、憲法が立脚する体制と実際の安全保障が立脚する体制が異なることになった、わが国はその矛盾を解消しなければならないと説く。
 戦後、連合国が中心になった国際秩序を「ポツダム体制」と呼ぶ。八木氏によると、ポツダム体制における日本の位置付けは、「連合国の旧敵国で、『米国及び世界の平和の脅威』(米国の初期対日方針)というものだった。そしてそれを固定するものが現行憲法であり、とりわけその9条2項だった」。しかし、「『ポツダム体制』は長くは続かなかった。連合国が内部分裂し、東西冷戦すなわち自由主義対共産主義の激しい対立が発生した」。これによって、ポツダム体制は崩壊した。
 わが国は、サンフランシスコ講和条約の発効により、昭和27年4月に主権を回復した。新たに日本が属することになった国際秩序を、「サンフランシスコ体制」と呼ぶ。八木氏によると、新たな体制において、日本は「自由主義陣営の一員として共産主義と闘う同志であり、共産主義への防波堤となることが期待された」。講和条約締結と同時に日米安保条約も結ばれ、日米は同盟関係になった。その結果、「日本国憲法は『ポツダム体制』における日本の立場を固定するために制定された。しかし、前提となる『ポツダム体制』は崩壊し、代わって誕生した新しい国際秩序『サンフランシスコ体制』に基づいて安全保障体制は築かれた」。そのため、『憲法の規定と実際の安全保障とがその立脚する体制・原理を異にする』ことになった、と八木氏は指摘する。そして、「その矛盾を解消しなければならない」と主張する。
 だが、憲法は一度の改正もなされず今日に至っている。ここで八木氏は、現在の厳しい国際環境を踏まえて、次のように説いている。
 「憲法の規定と実際の安全保障体制との間に齟齬(そご)・矛盾があることは誰にもわかる。しかし、憲法を楯にとって安保法制関連法案の非を論(あげつら)っている余裕が今のわが国にあるだろうか。中国は南シナ海の岩礁を次々に埋め立て、軍事目的で使用することを公言している。米国何するものぞという勢いであり、余波が東シナ海に及ぶ可能性は高い。
 安全保障のリアリズムの考えによれば、力と力がぶつかるときに均衡が生じ、平和は訪れる。わが国が主権を維持し、中国との戦闘を避けるためには日米関係の強化が不可欠だ。それが戦争を避ける抑止力になるからだ。そのための措置が安保法制関連法案だ。
 憲法との矛盾は誰にでも指摘できる。しかし、わが国は生き残らなければならない。「憲法残って国滅ぶ」では困るのだ。矛盾を矛盾と知りつつ、知恵を出すのが常識ある憲法学者の役割ではないのか」と。
http://www.sankei.com/column/news/150617/clm1506170001-n1.html

 続いて、国際政治学者の見解を紹介する。
 京都大学名誉教授の中西輝政氏は、法案が集団的自衛権の行使に極めて厳しい要件を付していることについて、次のように言う。
 「これは1959年の最高裁判所の出した『砂川判決』がつとに認めた、主権国家としての『固有の自衛権』(個別的自衛権ではない)に収まるものである。また60年3月に当時の岸信介首相が参議院予算委員会で答弁しているように『一切の集団的自衛権を(憲法上)持たないというのは言い過ぎ』で、集団的自衛権というのは『他国にまで出かけていって(その国を)守る、ということに尽きるものではない』として、現憲法の枠内での限定的な集団的自衛権の成立する余地を認めてきたのである」「また昨年5月15日に出された安保法制懇(第2次)の最終報告書が言う通り、一般に集団的自衛権の行使を禁じたとされる内閣法制局の見解に対しては、我が国の存立と国民の生命を守る上で不可欠な必要最小限の自衛権とは必ずしも個別的自衛権のみを意味するとはかぎらない、という論点にも再度注意を払う必要があろう」と。
 中西氏は、「現下の国際情勢とりわけ日本を取り巻く安全保障環境の激変というか、その急速な悪化にこそ目が向けられるべき」と説く。「今日の急迫する東シナ海や南シナ海をめぐる情勢と中国の軍事的脅威の増大、進行する米軍の抑止力の低下傾向を見たとき、この法案はまさに法治国家としての国是を踏まえ、ギリギリで折り合いをつけた日本存立のための『切り札』と言わなければならないのである。
 今や尖閣諸島の安全が日々、脅かされている状態が続いており、この4月27日には日米間でようやく新ガイドライン(防衛協力のための指針)が調印され、日米同盟による対中抑止力は格段に高まろうとしている。しかし、それにはこの安保法案の成立が大前提になっているのである。
 南シナ海の情勢は一層緊迫の度を増している。この法案にアジアと世界の平和がかかっているといっても決して大げさではない」と。
http://www.sankei.com/column/news/150610/clm1506100001-n1.html

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ7

2015-06-22 06:34:16 | 時事
●安保法案に関する学識経験者の意見

 補説として、学識経験者の意見を掲載する。
 最初に憲法学者3名の見解を紹介する。まず日本大学教授の百地章氏である。
 6月4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦の長谷部恭男早大教授ら3人の参考人全員が集団的自衛権の行使は憲法違反としたため、国会に混乱が生じた。混乱収拾のため6月9日に政府見解が発表された。この政府見解について、百地氏は、「もっぱら『従前の憲法解釈』と集団的自衛権の限定的行使を認めた『新見解』との整合性を説明したもので、それ自体に異論はない。しかし、国民に対してより説得力を持たせるためには、改めて国際法と憲法9条に照らして、集団的自衛権の行使は問題ないこと、つまり新見解は『憲法9条の枠内』での変更にとどまることを明らかにすべきであった」と言う。そして、次のように述べている。
 「集団的自衛権は国際法上の権利であって、国連憲章51条及びサンフランシスコ平和条約5条cは、わが国に対し無条件でこの権利を認めた。ということは国際法から見て『集団的自衛権は保持するが行使できない』などといった解釈の生ずる余地はない。他方、憲法9条1項2項は、どこを見ても集団的自衛権の『保持』はもちろん『行使』も禁止していない。とすれば、国際法上全ての主権国家に認められた『固有の権利』(国連憲章51条)である集団的自衛権を、わが国が保有し行使しうることは当然である」と。ただし、憲法9条2項が『戦力の不保持』と『交戦権の否認』を定めている以上、それに伴う制約がある、という異論があり得る。「そこで政府は集団的自衛権行使を『限定的に容認』することになったと思われる。この新見解が『憲法9条の枠内』にとどまることはいうまでもなかろう」と百地氏は、見解を明らかにしている。
 憲法9条については、砂川事件の最高裁判決がある。同判決は、自衛権について、憲法9条は「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」を「何ら否定」しておらず、「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」としている。百地氏は次のように言う。「同事件で問題とされたのは米駐留軍と旧安保条約の合憲性であった。同条約は『すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認し』たうえ、日本国が『これらの権利の行使として』米軍の国内駐留を『希望する』(前文)としている。つまり、旧安保条約締結当時(昭和26年)、わが国政府は『集団的自衛権の行使』を認め、国会も承認したわけである。だから同判決は集団的自衛権を射程に入れた判断であって、判決のいう『自衛権』の中には当然『個別的自衛権と集団的自衛権』が含まれる」と。
 結論として、百地氏は、次のように主張している。「国際法と憲法さらに最高裁判例に照らして疑義がない以上、政府与党は自信をもって安全保障関連法案を推進すべきである」と。
http://www.sankei.com/column/news/150616/clm1506160001-n1.html

 百地章氏は、6月19日、東京都内の日本記者クラブで、駒沢大名誉教授の西修氏とともに記者会見した。両氏はこの会見において、「憲法と安保法制」をテーマに講演した。百地氏の講演は、先に紹介した見解を踏まえたものだった。次に、西氏の講演の要旨を掲載する。
 「9条で自衛権の行使は認められている。集団的自衛権は個別的自衛権とともに主権国家の持つ固有の権利だ。安保関連法案は限定的な集団的自衛権の行使容認であり、明白に憲法の許容範囲だ。
 集団的自衛権の行使を認めないということは主権国家ではないということなのか。憲法上、許される必要最小限度の行使は有り得るのではないかという根本的な疑問に十分答えないまま何十年も過ごしてきたのが現状だ。
 国民の負託を受けている国会は自衛権行使の範囲、態様、歯止め(制約)、承認のありようなどについて審議を尽くすべきだ。
 厳しい国際情勢を冷静に分析することが肝要だ。安保関連法案は『戦争法案』だというレッテル貼りはやめよう。内容は『戦争抑止法案』だ。
 集団的自衛権の方が自国のみの防衛よりはるかに安全で安上がりだ。北大西洋条約機構(NATO)が欧州で戦争を抑止してきた冷厳な事実に目を向けるべきだ。
 スイスは集団的自衛権を否定しているが重武装で徴兵制を敷く。集団的自衛権禁止派はこのような国防体制を望んでいるのか。
 学説とは人数の多寡ではない。PKO協力法案が審議された際に学界は反対だった。私の学説は少数派だった。しかし現在、PKOに反対の方はどれほどいるか。メリット、デメリットを公正に報道していただきたい。細かな点よりも本質は何かをマスコミは考えていく必要がある。
 (混乱を回避するため)憲法9条を誰が読んでも自衛戦力さえ持てない非武装条項に改めるか、誰が読んでも自衛戦力(軍隊)を持てる条項に改めるか、二者択一の国民投票の実施を提案したい」
http://www.sankei.com/politics/news/150620/plt1506200004-n1.html

 次回に続く。

人権165~帝国主義時代の人権

2015-06-21 08:42:56 | 人権
●ホブソンとレーニンの帝国主義論
 
 イギリス自由党員で経済学者のジョン・アトキンソン・ホブソンは、1902年に『帝国主義論』(初版)を刊行した。ホブソンは本書で、当時のヨーロッパの状況を描き、帝国主義政策による植民地獲得や戦争の背後にいるのは、主として国際資本勢力だと主張した。次のように、ホブソンは書いている。
 「銀行、証券、手形割引、金融、企業育成などの大型ビジネスが、国際資本主義の中核を形成している。並ぶもののない強固な組織的絆で束ねられ、常に密接かつ迅速な連絡を互いに保ち合い、あらゆる国の商業の中心地に位置し、ヨーロッパに関して言えば過去何世紀にもわたって金融の経験を積んできた単一の、そして特異な民族によってコントロールされている。こうして国際金融資本は、国家の政策を支配できる特異な地位にある。彼らの同意なくしては、また彼らの代理人を通さずには、大規模な資本移動は不可能である。もしロスチャイルド家とその縁者が断固として反対したら、ヨーロッパのいかなる国も大戦争を起こしたり、あるいは大量の国債を公募したりできない。この事実を疑う者は一人としていないのである」と。
 上記引用において、「過去何世紀にもわたって金融の経験を積んできた単一の、そして特異な民族」とは、言うまでもなくユダヤ人のことである。そして、ホブソンは、その代表格としてロスチャイルド家を挙げているのである。
 ロスチャイルド家は、1904年までにヨーロッパ諸国に13億ポンドの債権を持つにいたった。ホブソンが、彼らなしに、戦争を起こすことも、国債を募集することもできない、と述べているのは、そのような状況を指す。
 ホブソンの理論は、ヴラディミール・イリッチ・レーニンの『帝国主義』(1917年)の理論的中核となった。レーニンは「ホブソンの著作を細部にいたるまで使わせてもらった」と記している。
 レーニンは、ホブソンによりつつ、資本主義は独占資本の段階に入った時にその最高形態としての帝国主義に転化すると規定した。レーニンは、資本主義は独占資本主義の段階に達すると、利潤率の低下と生産力の著しい上昇の結果、国内消費が不足するため海外投資と過剰製品の販売市場を求めて植民地獲得競争が激化せざるをえないとした。そして、帝国主義の五つの特徴として、(1)生産の集中・独占、(2)金融寡頭支配の確立、(3)資本輸出、(4)国際カルテルによる国際市場の分割支配、(5)世界分割の完成を挙げた。
 レーニンは、こうした帝国主義を資本主義の最高にして最後の発展段階とし、社会主義革命への準備段階と位置づけた。そして帝国主義の不均等発展は、戦争を不可避とすると主張した。その部分は予想が当たり、列強は世界大戦に突入していく。レーニンの指導するボルシェヴィキは「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」というスローガンを掲げた。そして、第1次世界大戦の戦争による混乱に乗じて、ロシアで革命を実現した。第1次大戦、ロシア革命及びそれ以後の展開については、後の章に書くが、革命はロシア以外の帝国主義国では起こらなかった。レーニンの予想とは異なり、帝国主義は資本主義の最高の段階でも最後の段階でもないことが、歴史によって示された。レーニンが挙げた帝国主義の特徴の多くは、独占資本主義の特徴であり、経済学的な分析によるものである。
 この時代の帝国主義は、独占資本主義段階に至った資本主義の国家が、商品や資本の輸出を保護するために後進的な国家や地域を支配しようとした政策である。だが、帝国主義は、基本的には対外政策であり、もともと経済外的な動機による。経済外的な政策によって、資本主義経済が国際的に管理・統制されれば、各国の対外政策は変わりうる。事実、資本主義は、20世紀半ばからの植民地の多くの独立を受けて、大きく変貌することになる。

●帝国主義の時代における人権の二重構造

 帝国主義は軍事的な膨張主義である。これに資本の利潤獲得という経済的理由が重なっているのが、資本主義的帝国主義の特徴である。この帝国主義政策を推進した主体は、西欧で形成され、非西欧へも普及した国民国家である。国民国家は、1870年代から20世紀はじめにかけての時期には、帝国主義政策を取ることによって、対外的な発展を遂げた。対外拡張型のナショナリズムが高揚した。帝国主義の時代に欧米諸国が世界の大部分を征服・分割することが出来た理由は、強力な新型兵器にあった。圧倒的な軍事力がアジア・アフリカの人々の抵抗を押さえつけ、近代西洋文明の受容を強いたのである。その軍事力を生み出すものは、近代資本主義による経済力であり、物質科学による工業技術だった。そして、経済力・技術力・軍事力で圧倒する欧米列強によって、アジア・アフリカの人々の多くは、自由と権利を奪われた。逆に欧米列強では、この構造的な支配・収奪の上に、欧米列強では、諸国民の権利が拡大されていった。
 近代世界システムの中核部の諸国は、周辺部からの富の収奪をもとにして繁栄し、経済的な豊かさの中で本国の国民の権利が拡大された。一方、植民地においては、本国政府の統治に協力する土着の支配層やエリート層を除いて、大多数の人民は自由と権利を奪われた。ここに帝国主義の時代における世界的な人権の二重構造がある。上層にして中核部では人権が発達し、下層にして周辺部では人権が抑圧された。前者では国民の権利が人権の理念のもとに拡大され、後者では伝統的な人民の権利が剥奪されたのである。この人権の発達/抑圧の二重構造が、さらに深刻化・先鋭化するのが、帝国主義の時代に続く世界大戦の時代である。
 本章では国民国家の時代から20世紀初めにかけての人権の歴史を書いた。人権は、「人間的な権利」として、歴史的・社会的・文化的に発達してきた。近代西欧における人権の発達の過程を把握するには、人権の思想をより深く理解することが必要である。そこで次章では、近代西欧発の人権思想史を概観する。
 なお、20世紀に入り、世界規模の戦争や革命、恐慌、環境破壊等が発生することで、「発達する人間的な権利」は、重大な課題に直面することになった。20世紀初め以降の人権の歴史と世界における人権の現状については、次章で人権の思想史を書いた後に、第3部で述べる。

 次回に続く。

安全保障関連法制の整備を急げ6

2015-06-19 08:50:39 | 時事
●憲法の早期改正をめざそう

 安保法制の整備は、有事、平時、その中間的事態のすべてを通じて、日本の平和と安全を守るために必要な法整備を目指すものである。現在の法制の欠陥を正し、切れ目をなくし、起こり得る事態に対処するための選択肢を広げるものである。そのうえで、実際にどう対処するかは、政治の判断である。
 日本の主権と独立、国民の生命と財産を守るため、国益を第一とした判断がされねばならない。また、集団的自衛権の行使も、自衛隊の海外活動も、国会の承認を必要とする。国会の承認ということは、最終的には国民の意思によるということである。
 ますます厳しくなっている国際環境において、日本人は、安全保障の問題を避けて通れない。ただ平和を祈っていれば、中国も北朝鮮も攻めて来ず、イスラム過激派も日本人にテロを起こさないのではない。国民が自ら国を守るという意思、そのために必要な取り組みをするという努力が必要である。その意思を欠き、取り組みもしない国民は、日本の富や技術を狙う勢力によって攻めこまれ、他国に支配・略奪され、滅びの道をたどるだろう。
 日本人は滅びの道へ進みたくなければ、自ら自国を守るという意思を持ち、国を守るための努力をしなければ、ならない。そのために、為すべき課題が憲法の改正である。
 安保法制の整備は、できるだけ急いだ方が良い。今のままでは、中国が尖閣諸島を攻めてきても、日本はまともな防衛ができない。厳しい国際環境において、日本の平和と繁栄を維持していくことができない。当面できることとして安保法制を整備して国防を強化し、戦争抑止力を高め、いざという時には適切な対処ができるようにしたうえで、憲法の改正を行わねばならない。今回の安保法制は、憲法を改正して、ちゃんとした体制を創るまでのつなぎである。できるだけ早く憲法を改正し、国家を再建して、日本の平和と繁栄を守る体制を確立しなければならない。
 現行憲法のもとでは、国防を米国に大きく依存しているので、米国に協力しないと、中国・北朝鮮が侵攻したときに助けない、と言われると協力せざるを得ないことになる可能性がある。米国追従ではなく、主体性が大切。またその主体性を発揮できるように、憲法を改正し、いざとなったら米国に頼らずに国を守ることのできる国になる必要がある。
 政府は、専守防衛という政策を取っている。専守防衛が憲法の規定であるかのような主張があるが、これは誤り。戦後、鳩山政権・岸政権の時代には、そんな考え方はなかった。昭和40年代から使い出され、昭和47年に国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定した。政治的な用語であり、防衛上の概念ではない。防衛用語の「戦略守勢」は、全般的にみれば守勢であるが、戦術的な攻撃を含んでいる。敵から攻撃を受けた場合は、敵基地へも反撃を行う。また、明らかに攻撃を受けることが予測される場合は、先制攻撃を行うことも含む。受動的な防御に徹し攻撃をしないのでは、国を守ることはできない。叩いても叩き返してもないとわかっていれば、相手はやりたい放題に攻めてくる。
 現行憲法は、司法制度にも欠陥がある。軍事に関することも日本では普通の裁判所が判断する。だが軍事のことは専門家でないと判断しにくい。普通の国では軍法会議にかけ、軍事裁判所で裁く。自衛隊は軍隊ではないので、こうした機関がない。憲法を改正し、自衛隊を軍隊とするとともに、軍事に関する裁判を行う軍事裁判所を新設する必要がある。この点は、新憲法ほそかわ私案に書いた。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08h.htm
 来年(平成28年)夏の参院選で改憲勢力が多数を占めれば、秋の国会に憲法改正案が提出される。各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国民に発議される。発議後、6か月以内に国民投票が行われる。平成29年の早期までに国民投票を実施することが、改憲派の目標となっている。これがいま最も順調に行った場合の最速のスケジュールである。
 当然、中国は日本が憲法を改正して、体制を整える前に、尖閣・沖縄、場合によっては佐渡を侵攻しようとするだろう。相手の防備が整う前に攻めるのは、戦争の定石である。東シナ海の前に、南シナ海で米中の激突が始まるかもしれない。即座にシーレーンの航行が危険にさらされるかもしれない。厳しい国際環境で、日本の平和と安全を守るには、政治家のレベルアップとともに、国民のレベルアップが必要である。その努力を怠ったならば、混迷と衰亡の方向に進んでしまう。
 日本人は自己本来の日本精神を取り戻し、一致団結して日本の平和と安全を守り抜かねばならない。

 次回に続く。

人権164~独米の勢力伸長

2015-06-18 08:47:41 | 人権
●ドイツとアメリカの勢力伸長

 イギリスは、帝国主義政策により、アジア・アフリカ・ラテンアメリカに及ぶ広大な植民地を持つ覇権国家として世界に君臨した。しかし、1870年代から、覇権への対抗国が勢力を大きく伸長した。それがアメリカ合衆国とドイツ帝国である。
 南北戦争の結果、工業国として歩むこととなった米国は、めざましい発展を遂げた。ヨーロッパからの移民によって人口も急増した。1869年には、最初の大陸横断鉄道が開通し、広大な国土に存在する豊富な資源の輸送、工業製品・農業製品の流通、労働者・消費者の移動等が可能になった。そして、1890年代には、米国はイギリスを抜き、世界最大の工業国となった。
米国では、20世紀初頭には「ビッグ・ビジネス」と呼ばれる大企業が急激に台頭した。ビッグ・ビジネスとは、1万人を超える筋肉労働者(ブルー・カラー)を雇用し、多数の事務労働者(ホワイト・カラー)による官僚的管理システムを持つ企業をいう。そうした大企業がグループをなす財閥も出現した。
 米国は、1898年の米西戦争でフィリピンやグアムなどを獲得し、さらにハワイを併合して太平洋地域への勢力拡大を本格化させた。カリブ海諸国に対しては、武力で内政に干渉する棍棒外交を展開した。
 近代世界システムの中核部に、イギリスに並ぶ有力国家が確立したのである。これにより、近代西洋文明は、アングロ=サクソン文化、及びそこに深く浸透したユダヤ文化を主要な文化要素とする文明として、世界各地に伝播していくことになった。
 一方、ヨーロッパでイギリスを脅かす存在として遅れて登場したのが、ドイツである。ドイツ帝国では、1870年代から80年代にかけて、宰相ビスマルクが辣腕を振るった。ビスマルクは、巧みな外交によって、列強各国の利害を把握し、各国間に軽い緊張状態を作りながら、どの国もうかつに戦争を起こせない状態を作り出そうとした。ビスマルクの外交戦略は成功し、ヨーロッパには第1次世界大戦まで小康状態が続いた。その間、ドイツは資本主義を発展させ、工業力を伸張していった。
 1888年、ヴィルヘルム1世が死去すると、孫のヴィルヘルム2世が後継した。この若き皇帝は、ビスマルク外交の手練手管が理解できず、単純で直線的な植民地拡大政策を欲した。ビスマルクと度々衝突した挙句、90年にはビスマルクを解任した。
 ヴィルヘルム2世は、単純に力で植民地を奪い取ろうとして、3B政策を推進した。3B政策とは、ベルリン、ビュザンティウム(イスタンブール)、バグダッドという三つの都市の名に由来する。目的は、これら3都市を結ぶ鉄道を建設し、バルカンから小アジアを経てペルシャ湾に至る地域を経済的・軍事的にドイツの勢力圏にすることにあった。この政策は、北アフリカのカイロと南アフリカのケープタウンを結ぶアフリカ縦断政策を進め、この線をさらにインドのカルカッタに伸ばし、アフリカの南北からインドまでを押さえようとするイギリスの3C政策と対立した。
 ドイツは、1882年にオーストリア、イタリアと三国同盟を締結した。ロシアとは、独露再保障条約の更新を拒否したことにより、対立した。一方、イギリスは、1891年の露仏同盟、1904年の英仏協商、07年の英露協商によって、英仏露の三国協商を結んだ。こうして、19世紀末から20世紀の初頭における西欧の国際関係は、イギリス対ドイツの対立を主軸として進んでいく。英独にロシアやフランス等が絡む形で植民地争奪戦が行われ、それが高じて世界大戦へといたるのである。

 次回に続く。