ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

国歌起立命令で最高裁合憲判断

2011-05-31 09:49:28 | 時事
 30日、最高裁は卒業式での国歌斉唱時の起立命令を合憲とする判断を示した。平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と判断したのに続いて、日本の司法の良識を表したものと思う。
 これまで入学式や卒業式の国旗掲揚や国歌斉唱を巡って、起立や斉唱、ピアノ伴奏を拒否するなどして職務命令に違反して処分された教職員が、多数いる。その多くが各地の教育委員会を相手取り、訴訟を起こしてきた。公立学校の教職員は、教育公務員である。公務員は、法律を遵守し、職務命令に従う義務がある。公務員である以上、それに従わなければ、懲戒処分を受ける場合がある。その点が、公務員は民間人とは違う。どうしてもいやなら、公務員を辞めればよい。また、公務員を養っている納税者であり、子弟を公立学校に通わせてきた者としては、そんな公務員は要らないのである。
 大阪府の橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」の府議団は、府施設での国旗の常時掲揚と、府内公立学校の教職員に学校行事での国歌斉唱時に起立を義務づける条例の成立を目指している。私はこの動きを支持するともに、他の都道府県でもこれに呼応した積極的な動きを期待する。
 関連する報道記事を掲載する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成23年5月30日

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110530/trl11053017440005-n1.htm
「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
2011.5.30 17:42

 卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、元教諭側の上告を棄却した。都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。
 最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。
 1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、東京都教育委員会から戒告処分を受けた。19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。
 同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。起立を命じた職務命令について「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と指摘した。
 その上で、「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」との判断を示した。
 判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。竹内行夫裁判官は「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とした。
 1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」として都に約210万円の賠償を命じた。2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。

●産経新聞 平成23年5月25日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110525/edc11052520180003-n1.htm
国旗国歌条例案を議長に提出 学校行事での国歌斉唱時の起立を義務付け
2011.5.25 20:14

 大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」(維新)の府議団は25日、府施設での国旗の常時掲揚と、府立学校や府内の市町村立学校の教職員に対し、学校行事での国歌斉唱時に起立を義務づける条例案をまとめ、議長に提出した。27日に開会中の5月府議会に提案する予定。維新は府議会で過半数を占めており、単独でも可決することができる。
 条例案は4条で構成。目的に「府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資するとともに、他国を尊重する態度を養うこと」と、府立学校と府内の市町村立学校での「服務規律の厳格化」を掲げた。国旗は執務時間中、施設利用者に見やすい場所に常時掲げるよう定め、国歌斉唱では「教職員は起立により斉唱を行うものとする」と義務づけた。
 条例案に罰則はないが、橋下知事は、職務命令に従わない教職員らの処分基準を定めた条例案を9月議会で提案する方針を表明。また、処分とは別に実名や所属学校名の公表も検討する考えを示している。

●産経新聞 平成23年5月31日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110531/lcl11053108210001-n1.htm
橋下知事「きちっとした判断だが条例も必要」 国歌起立で最高裁合憲判断
2011.5.31 08:19

 卒業式での国歌斉唱時の起立命令を合憲とした30日の最高裁判決。国歌斉唱時に、教員に起立を義務付ける条例案を大阪府議会に提出した地域政党「大阪維新の会」(維新)の代表を務める橋下徹知事は、記者団に「入学式や卒業式で起立を求めるのは憲法違反にあたらないというきちっとした判断を最高裁が出した」と評価した。

■思想の自由に影響せぬ仕組み、考える
 その一方で「判決が出たことで条例までは必要ないのではという有権者に対し、維新は条例の必要性を丁寧に説明しなければならない」と述べ、「先生は起立斉唱以外の命令に対しても組織として動くべきで、条例は必要だ」と持論を展開した。
 橋下知事は、職務命令に繰り返し応じない教員ら職員の処分ルールを定めた条例案を、9月議会で提出する方針だが、今回の判決が職務命令について「思想、良心の自由が間接的に制約される面はある」と指摘したことについて、「そこは重い。思想、良心の自由に影響を及ぼさないような仕組みをしっかり考えたい」とも述べた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 平成11年に施行された国旗国歌法は、国旗は「日の丸」、国歌は「君が代」とし、国旗は寸法と日章の位置、彩色、国歌は、歌詞と楽曲を定めている。これは最低限のことを定めたものにすぎない。これで十分な規定とはいえない。
 というのは、同法には、第一に、国旗・国歌についての尊重規定がない。「国旗・国歌は尊重されなければならない」等が定められていない。第二に学校教育、公的機関等で国旗掲揚・国歌斉唱の実施を義務とする義務規定がない。第三に、刑罰規定がない。刑法には外国国旗破損罪のみ定められており、自国の国を破損等した場合については、何も定められていない。諸外国には、国旗侮辱罪を定めている国もある。
 このように、現行の国旗国歌法は、中途半端な内容のものである。今後、国旗・国歌の重要性について、国民の意識を高め、尊重規定・義務規定・刑罰規定を定めていく必要がある。

関連掲示
・拙稿「君が代伴奏命令は合憲に」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20070302
・マイサイトの「君が代」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind04.htm

救国の経済学11~丹羽春喜氏

2011-05-30 10:23:19 | 経済
●ハイエクは「合理主義の思い上がり」を戒める

 ハイエクは、自由主義を説く。だが、ハイエクの自由主義は自由放任主義とは違う。自由放任主義は、フランスに生まれた「レッセ・フェール」の思想であり、イギリスではその影響を受けたスペンサーが典型的である。スペンサーは、自由競争による淘汰を説く社会ダーヴィニズムの祖である。アダム・スミスは、自由放任主義ではなく、政府の役割を限定しつつも、その重要性を認めている。ハイエクは、スミス以来のイギリス古典的自由主義の系統であり、政府は競争が有効に行われるための関与や最小限の社会保障等をなすべきという考えである。ハイエクを単純な自由放任主義者のように書いている論者は、まともにハイエクを読んでいるとは思えない。
 丹羽氏は、ハイエクは『隷従への道』ではケインズ的な政策を無視し、福祉国家政策の弊害を防止する努力に黙殺的な態度で終始したが、「かといって、自由放任の市場経済であればよいと言うでもなく」、後半生に書かれたいくつかの論文では、「自由放任の市場経済も、インフレとデフレとに振り回される不安定なシステムでしかないと示唆しているのである」と指摘している。(『政府貨幣特権を発動せよ。』)
 自由への規制を批判しながら、自由放任の市場経済も不安定というなら、ではどうすればよいのか。ハイエク自身はどういう政策を提案したのか。
 ハイエクは「どのような経済システムが望ましいとして、その実現のための政策デザインや提言をしているのかといえば、若い頃の若干の未成熟な小品的著作を除けば、ほとんど何もしていないのである」と丹羽氏は批判する。ハイエクは、ソ連やナチス・ドイツの「全体主義的な社会主義命令経済体制」も「福祉国家主義」も「ケインズ革命によって確立されたマクロ経済学や社会会計学的な国民所得勘定による推計・分析といったことそれ自体をも」、どれも「合理主義の思い上がり」とする。そして、その「淵源はデカルトやサン・シモンの思想にあると分析して、ついに合理的な経済政策を策定・実施するといった『おこがましい』ことなどは、考えるべきでないと結論するに至ったのである(「科学の反革命」1952年)」と丹羽氏は述べている。(『政府貨幣特権を発動せよ。』)
 ハイエクは、頭の中で考えた理論で社会制度を設計し、それをもって社会を改造しようとする思想を、設計主義と呼ぶ。デカルトに始まり、サン・シモンらによって進められた思想である。ハイエクは、彼らの設計主義を「合理主義の思い上がり」であり、人間の驕りだとして厳しく批判した。人間は完全な知識を持ち得ないのであり、社会の慣習や伝統を大切にしてこそ、個人の自由が守られる、とハイエクは説いた。
 私見で補足すると、デカルトは確かに近代西欧合理主義の開祖だが、その思想は複雑で多面性を持つ。その思想を単純化し一面化したところに、思想史に言う合理主義が成立した。合理主義の表れのひとつが、社会思想としての設計主義である。ハイエクのいう設計主義者は、機械を設計するように社会制度を設計し、その設計図をもとに社会改造を進めようとした。その一人であるサン・シモンは、エンゲルスによって空想的社会主義者とされたフランスの初期社会主義者である。サン・シモンは「世俗的権力は今日では産業者の手に移し、精神的権威は科学者の手に移すべきだ」と説き、能力の階層制や、科学技術の専門家が指導する社会体制を目指した。その思想は「空想的」というより「科学的」であり、産業主義やテクノクラシーと呼ぶべきものである。
 話をハイエクに戻すと、ハイエクは、ケインズ死後、20年も経ってから、1966年に「回想のケインズと『ケインズ革命』」で、ケインズの理論に即したケインズ批判を行った。ハイエクは、一貫して個々の経済主体の行動から経済現象を分析するミクロ的な分析方法を取る。ハイエクの場合、その根底にあるのは、人間は完全な知識を持ち得ないという考え方である。その考え方に立って、ケインズが用いたマクロ的な集計量によるアプローチを批判した。この批判は、「合理主義の思い上がり」を戒めるのと同じ姿勢である。ハイエクの考え方は、ケインズ主義批判のもとになり、ケインズ主義の中にもミクロ的方法を取る動きが生まれた。私は、ミクロ的な方法は必要だが、マクロ的な方法には、それ独自の意義があると考える。丹羽氏も同様である。

●ハイエクはフリードマンの実証主義を批判

 では、同時代の新古典派経済学に対して、ハイエクはどういう姿勢を示したか。新古典派経済学は、完全な知識を持ち、合理的に行動する個人を想定した理論を立てている。ハイエクの考え方は、これとは正反対である。ハイエクは、フリードマンらの先駆者と誤解されがちだが、この点が全く違う。実際ハイエクは、1982年のあるインタビューで、フリードマンを批判している。
 「私がいま後悔しているのは、私の同志で友人でもあったミルトン・フリードマンが実証主義の経済学を説いたとき、彼を批判しなかったことである。フリードマンの実証主義経済学とは、実は、関連する事実のすべてについて、我々に完全な知識があるという前提に基いて、適切な政策を決定できるとする思想と同じものなのである」と。
 つまり、ハイエクはフリードマンの経済学は、「関連する事実のすべてについて、我々に完全な知識があるという前提に基いて、適切な政策を決定できるとする思想と同じもの」と批判しているのである。
 実証主義とは、ポジティヴィズム(positivism)の訳語である。ポジティブの原意は人工的ということであり、人間が意識的に産みだしたものを表す。神や絶対者、形而上学的な観念を前提とせずに、人間の経験でとらえた事実に限って思考を行う立場が、ポジティヴィズムである。よい訳語がないので、通例に従って実証主義というが、ハイエクはフリードマンの実証主義を批判したのである。実証主義は、合理主義から神学的・形而上学的要素を除去したところに成立する。19世紀前半に実証主義の哲学を体系化したコントは、設計主義者であるサン・シモンの弟子だった。近代西欧の合理主義・設計主義・実証主義は、一つの思想の系統なのである。そして、ハイエクは、デカルトやサン・シモンと同様にフリードマンを批判したのである。
 さて、ハイエクは、マクロ的な集計量に対して極めて批判的であり、個々の経済主体の行動から分析するミクロ的分析アプローチを取る。こうした立場から、フリードマンの説く一定のルールに則った安定的貨幣供給政策に疑念を表した。フリードマンのマネタリズムは、一元的な通貨を前提としている。これに対し、ハイエクは、政府や中央銀行だけでなく、一般の民間銀行にも通貨発行権を与える競争的複数通貨制度を提唱した。貨幣発行自由化論である。この点でも、ハイエクはフリードマンと全く違う。フリードマンの中心思想はマネタリズムだから、マネタリズムを認めないハイエクとフリードマンを一緒にはできない。

 次回に続く。

救国の経済学10~丹羽春喜氏

2011-05-29 06:22:24 | 経済
●新自由主義「最大のカリスマ的指導者」ハイエク

 丹羽氏は、新自由主義・新古典派経済学の反ケインズ主義を厳しく批判している。これから、丹羽氏による理論的な批判を見ていきたいと思う。まず新自由主義の提唱者とされるフリードリッヒ・ハイエクに関する丹羽氏の見解を確認する。併せて、この機会に私のハイエクに関する見解を述べたい。
 ハイエクはケインズと並び称される20世紀最大級の経済学者である。また一部のエコノミストによって、ハイエクはケインズの最大の批判者とも見られている。丹羽氏は、ハイエクについて『政府貨幣特権を発動せよ。』で次のように書いている。
 ハイエクは「新自由主義学派の最大のカリスマ的指導者」である、と丹羽氏はいう。ハイエクは、新古典派経済学の一派をなすオーストリア学派に属するミーゼスの弟子だった。ハイエクは「ミーゼスとともに、早くも1920年代後半の時期から、市場メカニズムを十分活用しえない社会主義の命令経済体制では、合理的な経済計算が不可能になることによって経済の効率や作動が決定的に損なわれるにちがいないとして、早晩、そのような体制は崩壊するにいたるであろうと、鋭い批判的な予測を行った。(論文集『集産主義計画経済の理論』、原書公刊は1935年)」「これに触発されて、未曾有の大論争『社会主義経済論争』が戦後まで繰り広げられたのであるが、結局、学会の通説としてもハイエクやミーゼスの分析が正しいとされ、そして、まさに、そのような所論のとおりに、ソ連・東欧共産圏の社会主義的な命令経済体制は、その不効率と機能不全を露呈し、滅びてしまったのである」。
 社会主義経済論争については、私は拙稿「極度の合理主義としての共産主義の崩壊」において、その概要を紹介している。
 ケインズは、大恐慌後の1930~40年代に、不況と失業を解決するために理論を発展させ、政策を提案し、その実現のために活動した。ケインズは、イギリス伝統の個人を尊重する個人主義的自由主義を説き、自由を守るために中央管理により、一定の規制を行うことを提唱した。それが有効需要の理論に基く総需要管理政策である。この政策がイギリスの国策に取り入れられ、またアメリカのニューディール政策に理論的根拠を与えた。英米はケインズ的な政策によって経済的危機を脱し、共産主義革命の波及を防ぎ、またナチス・ドイツとの戦争に勝利することができた。いわば左右の全体主義から自由を守ることに、ケインズは重大な貢献をした。私はこのように評価する。だが、ハイエクはそうではない。

●『隷従への道』でのケインズへの態度

 ハイエクは、1938年から書いた論文をまとめ、第2次大戦最中の1944年に刊行した。それが、名著『隷従への道』(東京創元社)である。当時戦時経済を行なっていたイギリスで、ハイエクは戦後を見越して警告した。経済の計画化と社会主義は同義であり、計画化はソ連やナチスのような全体主義に帰結する、と。本書でハイエクは社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムは同根の集産主義であると批判した。集産主義とは、collectivismの訳語で、すべての企業や農場等を政府が所有する政治体制をいう。この表れが全体主義である。ハイエクは集産主義に反対し、自由を擁護した。そして、「真の個人主義」つまり個人主義的な自由主義を唱導した。
 『隷従への道』は、巻頭に「あらゆる党派の社会主義者たちに」と書かれており、主に社会主義を批判する本である。ここでいう社会主義は、わが国の常識における社会主義の概念よりずっと広く、個人の自由より社会の利益を重視する立場である。『隷従への道』は、こういう広義の社会主義を批判する本である。それと同時に、本書はケインズ主義を間接的に批判している本である。ただし、私の見る限り、本書にはケインズの名前が出てこない。直接ケインズの引用もない。ハイエクは、1920年代にケインズと利子論をめぐって激しく論争したが、ケインズが『一般理論』を刊行した時、同書を「攻撃する仕事」をしなかった。『隷従への道』は、自由を守る点ではケインズの取り組みと重なる点があるのに、ケインズの名を挙げて評価したり批判したりはしていないのである。
 丹羽氏はこの点について、次のように書いている。本書で「社会主義の欠陥を鋭く突いたハイエクは、いわば『返す刀』で、西側自由世界陣営の『福祉国家』システムをも痛烈に批判した」。『隷従への道』は「福祉国家批判論の皮切り」とも言うべき書だった。「この本は、その一つの特徴が、ケインズ的なマクロ的有効需要政策をまったく無視してしまっているということであるが、そればかりでなく、福祉国家政策の弊害を防止するための諸種の政策的努力についても、あたかも、その可能性がありえないと決め付けているかのごとき黙殺的な態度で終始している」(『政府貨幣特権を発動せよ。』)
 「黙殺的な態度」、これこそハイエクが『隷従への道』において、ケインズに対して取った態度である。その一方、ケインズは、ハイエクの『隷従への道』を読んで、ハイエクの主張に賛同し、公刊に感謝の手紙を書いている。もちろん経済理論においては両者には相容れないものがある。ケインズの手紙も、自由を擁護するハイエクの思想について、賛意を表したものである。
 丹羽氏もまたハイエクの自由の思想に共感し、それを支持している。丹羽氏が強く反論するのは、新古典派経済学のフリードマン、マンデル、ルーカス等であり、ハイエクを彼らと一緒くたには見ていない。新自由主義・市場原理主義を批判する論者には、ハイエクをフリードマンと同様の主張をした学者として批判している人がいるが、ハイエクをどの程度読んで考察しているか疑わしい。またそういう論者の場合、ルーカスの名前すら出てこない。丹羽氏は、この点、学者としての水準が違う。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「極度の合理主義としての共産主義の崩壊」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07.htm
 目次から06へ

トッドの移民論と日本57

2011-05-28 08:56:31 | 国際関係
●日本とドイツでの家族型と差異主義の違い

 日本とドイツは、直系家族を主とする社会である。ともに、権威と不平等を価値とする差異主義の価値観を持つ。ただし、日独の間には違いがある。それが移民への対応の違いともなっている。
 ドイツの差異主義は、英米の自由主義的と異なり、権威主義的差異主義である。ドイツのそれは差異の知覚(差異を感じたい)と単一性への希求(一つでありたい)という両面を持つ。差異主義と統一主義が働くと、移民を差異によって隔離するだけでなく、自己の統一のために排除しようとする。それが高じると、ユダヤ人を「絶滅」しようとする。これがナチズムの本質だとトッドは言う。ナチズムは直系家族型社会の権威主義的差異主義が極端に至ったものとする。
 日本は、ドイツのように異民族を強く隔離・排除はしない。日本人にはドイツにおけるユダヤ人の虐待や、トルコ人の隔離のような例はない。同じ直系家族といっても、日本は受容的・融和的である。この違いを生んでいる要素には、通婚制と親族制度の違いがあると思う。
 通婚制度は、日本は族内婚、ドイツは族外婚である。内婚型直系家族は閉鎖的だが、温和な差異主義を示し、外婚型直系家族は外部に対して開放的だが、冷厳な差異主義を示す。もう一つ、差異主義の性格を左右すると私が考えているのが、親族制度である。トッドは直系家族システムの大多数は「父系への屈折を伴う双系システム」と定義している。私は、日本は父系を主とし、母系を従とする双系制であると理解している。ドイツはより父系的であり、父親は非常に厳格で、強い権威を持つ。この違いもまた日本の差異主義を温和なものに、ドイツの差異主義を冷厳なものにしていると思う。さらに、ここでは繰り返しになるので、触れないが、日本とヨーロッパの地理的・風土的な違いが日本とドイツの間にはある。家族型による要素は対内関係の側面だが、地理・風土による要素は対外関係や自然環境の側面となるものである。

●ユダヤ人への対応の違い

 日本とドイツの移民への対応の具体例として、まずユダヤ人の事例を挙げねばならない。ドイツ人とユダヤ人の間には、キリスト教とユダヤ教という特殊な宗教問題がある。ユダヤ=キリスト教におけるユダヤ人問題は、極めて特殊な宗教的な要因があり、直系家族の価値観に還元できない要素がある。
 ヨーロッパのキリスト教は、1478年から異端尋問所が設けられ、改宗後の隠れユダヤ教徒を激しく弾圧した。疑われた者は、自白を迫られ、ムチ打ち、財産没収、投獄、死刑(火あぶり)等の刑罰を科せられた。イタリア最初のゲットーは1516年にベニスに作られた。1517年に宗教改革を始めたルターは、ユダヤ人を「不愉快な害虫」と呼び、キリスト教徒にユダヤ教徒に対する憎しみを植え付けるとともにドイツ各地からユダヤ人を排除することを支持した。ユダヤ人は、イエスを迫害し殺害した民族として、問責された。こういう伝統の上にナチスがある。私は家族型の違いに還元できないこうした宗教的な理由を軽視してはならないと思う。宗教的理由は人類学的理由より遥かに深刻であり、かつ激烈である。
 トッドは、戦前の日本とドイツは1900年から1945年まで、ヒステリー的な明示的差異主義を示したという。帝国主義と世界戦争の時代にあって後進資本主義国として生存・発展するために、日本もドイツも列強に対抗した。それが強い民族主義となって表れた。1930年代の日本は、ドイツの影響を受け、指導層は政策を模倣した。しかし、日本人はドイツ人と違い、ユダヤ人の虐殺を行っていない。日本人は、ナチスがドイツを支配し、ユダヤ人を虐待していた時代に、ナチスに同調することなく、ユダヤ人に対して寛容だった。日本がドイツと三国軍事同盟を結んだ後も、ユダヤ人への支援を行った。外交官・杉原千畝がドイツから亡命するユダヤ人にビザを発行して、命を救ったことは、世界中のユダヤ人によく知られている。
 ユダヤ人に限らず、日本人は、他民族の組織的・計画的な大虐殺を行っていない。南京事件は、「南京大虐殺」などといわれ、ユダヤ人大虐殺に当たるものと誤解されているが、大虐殺を示す合理的な根拠はない。アメリカ人は日本人を原爆で無差別殺戮したが、それを正当化するために、東京裁判で南京「大虐殺」が捏造された。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「西欧発の文明と人類の歴史」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion09e.htm
・拙稿「南京での『大虐殺』はあり得ない」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion06b.htm

菅首相「自然エネルギー20%」と表明

2011-05-27 09:59:46 | 時事
 菅首相は25日、経済協力開発機構(OECD)の設立50周年記念フォーラムで演説し、東京電力福島第1原発事故について「各国に多大な心配をおかけしたことをおわびしなければならない」と述べた。また、太陽光や風力などの自然エネルギーの発電に占める割合を現在の9%から、「2020年代のできるだけ早い時期」までに20%とする目標を提示した。昨年6月改定の「エネルギー基本計画」で30年までに自然エネルギーを20%にする目標を掲げたが、これを前倒ししたものである。首相は「家屋への太陽光パネル設置1000万戸」という具体的な目標を掲げたが、実現の時期は明示しなかったという。
 2020年代のできるだけ早い時期までに、自然エネルギーの発電に占める割合を9%から20%とするという目標は、方向性としてはよい。だが、それを実現するには、根拠を示し、数字を積み上げなければならない。家屋1000万戸への太陽光パネルの設置も、実現には技術・資金・法制等の課題がある。こういう点が見えない状態で、突然、首相が国際会議で目標を発表したことに、私は疑問を感じる。思いつきによる受け狙いの域を出ないのではないか。OECDフォーラムの参加各国の反応は、冷ややかなようである。国民には事前に知らされていない。理念的にはよいことでも、進め方が悪いと、国民的な取り組みを組織できない。

 鳩山元首相は、平成21年(2009)9月、首相就任後間もなく、国連総会の一環として行われた気候変動首脳会合で、CO2を中心とした温室効果ガス排出量を2020(平成32)年までに1990(同2)年比で25%削減するという目標を表明した。技術開発でCO2等の排出量が既に少なくなっているわが国が、さらに大幅に排出量を削減するのは、困難な課題である。国民生活や経済活動への深刻な影響が懸念された。その後、鳩山氏は辞任し、菅氏が後継した。首相が代わると、25%削減目標は、あまり話題に出なくなったが、民主党政権は鳩山声明に基く地球温暖化対策基本法を成立させようとしている。22年秋の臨時国会では廃案となり、会期中の今通常国会でも成立の可能性は低いが、根本的な見直しが必要である。
 今回の菅首相の声明に、私は鳩山氏の声明と同じような危うさを感じる。一国の首相が国際社会に対して、数字を出して目標を掲げるには、国を挙げて実行する、また実行できる目標を述べるのでなければ、日本に対する信用を落とすだけだろう。何より、国民がその目標を共有し、協力して成し遂げようという気運が生まれるような進め方をしないと、かえって意識を曇らせるだけだろう。

 関連記事と共に再生可能な自然エネルギー活用の現状と課題を報じた記事を掲載しておく。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●産経新聞 平成23年5月26日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110526/plc11052602060004-n2.htm
「自然エネルギー20%」菅首相、OECDで演説
2011.5.26 02:01

 【パリ=酒井充】菅直人首相は24日夜(日本時間25日午前)、主要国(G8)首脳会議出席のため、パリに到着した。首相は25日夕(同26日未明)、経済協力開発機構(OECD)の設立50周年記念フォーラムで演説、エネルギー政策を見直し、太陽光や風力などの自然エネルギーの発電に占める割合を現在の9%から、「2020年代のできるだけ早い時期」までに20%とする目標を提示した。昨年6月に改定された「エネルギー基本計画」では、30年までに自然エネルギーを20%にする目標を掲げたが、これを前倒しした。
 首相は今後のエネルギー政策について、化石燃料と原子力という従来の「2つの柱」に、自然エネルギーと省エネルギーという「新たな2つの柱」を加え「4つの挑戦」を表明した。
 具体的には、(1)事故調査・検証委員会などを通じた「最高度の原子力安全」への挑戦(2)二酸化炭素排出削減を図る化石エネルギーの環境性への挑戦(3)自然エネルギーを基幹エネルギーに高めるなど実用性への挑戦(4)省エネルギーの可能性への挑戦-を挙げた。
2020(平成32)年に太陽電池の発電コストを現在の3分の1、30(平成42)年までに6分の1まで引き下げることを目指す。
 首相は東日本大震災や東京電力福島第1原発事故での各国の支援に謝意を示した。特に原発については「多大な心配をおかけした」と陳謝したうえで「事態は着実に安定してきている」と指摘。「一日も早く事態を収束させるべく国の総力を挙げて取り組んでいる」と強調した。
 事故の分析・検証を通じ、原子力の安全性について「新たな多くの教訓」を学び、各国や未来の世代に伝えることを日本の「歴史的責務」とした。
 また、大震災の被災地も「急速な回復に向けて動き出している」とし、被災地の生産拠点が夏までにほぼ復旧するとの見通しを示した。さらに「日本経済の再生はすでに力強く始まっている」とし、「国際社会に開かれた復興を目指す」と表明した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110526/plc11052608250008-n1.htm
太陽光パネル1千万戸設置を表明 菅首相のOECD演説 原発事故を「おわび」と明言
2011.5.26 08:23

 【パリ=酒井充】菅直人首相は25日午後(日本時間26日未明)に経済開発協力機構(OECD)で行った演説で、「家屋への太陽光パネル設置1000万戸」という具体的な目標を掲げた。
 首相は演説で、従来の化石燃料と原子力中心だったエネルギー政策を、自然エネルギーと省エネルギーを加えた「4本柱」とする構想を示した。太陽光パネル設置はその一環だが、実現の時期は明示しなかった。(略)

●産経新聞 平成23年5月1日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110501/fnc11050107370000-n1.htm
【日曜経済講座】
経済本部長・谷口正晃 再生可能エネルギー
2011.5.1 07:35

■原発の代替は可能か
 福島第1原子力発電所の壊滅的な状況を目の当たりにして、原発の安全神話は完全に崩れ去った。政府は平成22年のエネルギー基本計画で原発を軸に据えたエネルギー政策を打ち出したが、路線転換は必至だ。発電電力量の3割を担う原発をすぐに全廃するのは現実的ではないが、太陽光、風力などの再生可能エネルギーの潜在能力はどの程度のものなのだろうか。

◆原発の新規は不可能
 エネルギーは「安定供給性」「環境適合性」「経済効率性」を柱とする総合力が求められる。全てを満たす基幹エネルギーは存在せず、原子力、火力、水力を組み合わせて対応している。
 一方で、福島の事故は「安全」「制御」という原発の要を突き崩した。産経新聞が震災後1カ月の時点で企業にアンケートを取ったところ、「(原発を)減らす」と「新規凍結」が34%を占め、31%が「分からない」と回答した。節電で打撃を受ける企業ですら、原発への信頼が揺らいでいる。
 基本計画が示した「2030年までに14基を新設」というロードマップは頓挫するだろうし、定期点検で停止した原発の運転再開も不透明だ。
 原発が停止した場合、どの程度の出力を持つ電源が必要なのだろうか。
 日本の原発54基の総出力は4885万キロワット時だが、震災発生時に19基(1670万キロワット時)が定期点検や復旧作業で停止しており、35基(3214万キロワット)分が目安となる。また、設備稼働率が60%程度であるから、発電量だけなら、計算上は2千万キロワット時あれば、原発をゼロにすることが可能だ。

◆太陽光、風力は時間
 再生可能エネルギーのうち、太陽光発電の導入量はまだ277万キロワットだ。環境省は中長期的に3700万~5千万キロワットに増やすロードマップを描いている。
 太陽光は、エネルギー源に困らず環境にやさしく、産業の裾野が広いという長所がある。一方で発電原価が圧倒的に高い。発電単価が最も安いのは原発の5~6円/キロワット時。これに対して太陽光は49円/キロワット時だ。システム価格を3~5年で半額程度にすることを目指しているが、それでも経済効率性に課題は残る。
 また、エネルギー源に困らないとはいえ、夜間は発電できず、天候にも左右され、出力が不安定だ。稼働率は低く導入量の十数%程度にとどまる。さらに、本格導入には電力の流れを供給側と需要側の両方から制御、最適化する次世代送電網(スマートグリッド)が不可欠だ。リチウムイオン電池やナトリウム硫黄(NAS)電池など蓄電池のコスト削減も急務だ。
 2005年から導入を進めているドイツでも導入量は980万キロワット、それに次ぐスペインで350万キロワット弱。原発代替となるには時間が必要だ。
 風力も太陽光と同様の長所、短所を持つが、発電原価では10~14円/キロワット時と割安だ。導入が比較的手軽なことから世界中で増設が進む。日本は平成22年で218万キロワット強だが、中国は4473万キロワット、米国も4018万キロワット、ドイツも2710万キロワット、スペインが2070万キロワット。稼働率の問題は残るが、規模は大きく、原発代替の可能性も出てくる。ただ出力が不安定で蓄電池やスマートグリッドの必要性は太陽光と変わりない。

◆潜在力持つ地熱
 これに対し出力が安定し、世界屈指の潜在力を持つのが地熱だ。地中の蒸気でタービンを回し発電をする仕組みで、石油危機の1970年代に注目されたが、原子力推進政策の陰に隠れ開発は下火だ。
 国内の地熱発電所は東北、九州など18カ所にある。出力1万キロワット以上の開発は最近でも15年前で、出力は54万キロワットのままだ。
 課題の一つは開発コストだ。蒸気が得られるかどうかは費用負担の大きい試掘頼みで、開発地域ごとにコストの差は大きい。発電原価は8~22円/キロワット時と、原発並みになることもあれば、4倍近くになることもある。
 また、開発有望地の多くが国立公園や温泉リゾートにあることも開発の制約要因だ。
 しかし日本の地熱資源量は2054万キロワットで、原発補完のポテンシャルを持つ。
 いずれの電源も課題はあり、明日から原発を代替するというわけにはいかない。しかし、採算ベースに乗れば電力会社の対抗軸にもなる。地域独占の市場に競争原理を持ち込む可能性もある。10年、20年という期間で原発代替を目標に技術開発を進めたい。

●産経新聞 平成23年5月14日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110514/trd11051421220031-n1.htm
【再生可能エネルギー(1)】
高い潜在力、新たな成長産業への可能性
2011.5.14 21:16

 東京電力福島第1原子力発電所の事故を受け、政府がエネルギー政策を見直そうとしている。原発推進が難しくなる中、資源が無限で温暖化対策にもつながる風力や地熱、太陽光発電などの再生可能エネルギーが脚光を浴びるが、エネルギーの主役になれるのか。その可能性を探った。(小雲規生、上原すみ子)
 全国屈指の温泉地、大分県の湯布院から車で約30分ほどの山間に白い蒸気が立ち上る。九州電力が出光興産グループと共同で運営する滝上発電所(同県九重町)。全国18カ所の地熱発電所のうちの1つだ。
 施設内外には蒸気が流れるパイプが縦横に走る。発電所周辺には6カ所の井戸が点在。最も深い井戸で地下2700メートルに達する。ここから噴き出す200~250度の蒸気と熱水をパイプで発電所に送り、タービンを回して発電する。
 「熱水や蒸気は再び地中に戻すので資源が枯渇することはない。天候や時間にも左右されず、安定的に電力を供給できるんです」と出光大分地熱の森山清治社長が誇らしげに語った。
 滝上の発電出力は2万7500キロワット。1基で100万キロワットを超える原発と比べ、ごくわずかだ。しかし、火山国・日本で地熱発電の潜在力は大きく、環境省の試算では、日本国内の年間発電電力量の8・5%をカバーできるという。
 もちろんこれは開発コストを度外視したものだ。実際には、熱源を探し当てる調査・試掘などにも手間がかかる。発電原価も1キロワット時当たり8~22円で、原発の5~6円よりも高い。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110514/trd11051421330033-n1.htm
【再生可能エネルギー(2)】
地熱発電、日本企業が世界シェアの7割 課題は環境規制との両立
2011.5.14 21:30

 国のエネルギー政策の一翼を担う役割が期待されている再生可能エネルギー。海外では導入が相次いでいるが、国内で本格的に普及させるためには、コストや技術、規制など乗り越えるべき課題も多い。個々の現状と展望についてまとめた。(小雲規生、滝川麻衣子、田端素央)
 地中のマグマを熱源とする地熱発電は、太陽光や風力発電と違い、安定的な発電ができるため、設備稼働率は70%以上と高い。米国では、原発3基分に相当する309万キロワットの地熱発電を導入。フィリピンやインドネシアなどの火山国も積極的だ。アイスランドでは年間発電電力量の25%を地熱発電でカバーしている。
 日本の強みは技術力の高さだ。昨年、ニュージーランドで世界最大の地熱発電所を完成させた富士電機の世界シェアは約4割。「これに三菱重工業、東芝を加えた3社で世界シェアの7割を占める」(関係者)
 成長戦略の柱だった原発インフラの輸出が厳しい状況となる中、政府は国際協力機構(JICA)を通じてインドネシアの地熱発電所建設や試掘に円借款を供与。プラント建設から運営まで手がける卸発電事業への参画とシステム輸出を支援する方針だ。
 ただ、肝心の国内での開発は停滞。この10年間、商業用の発電所は新設されていない。その背景にあるのが環境規制だ。産業技術総合研究所によると、国内の地熱資源のうち国立公園などの保護地域以外にあるのは2割弱にすぎない。トンネルを斜めに掘ることで地上の環境を損なわない工法もあるが、「掘削距離が長くなるため、今度はコスト増という問題が出る」(坂口圭一・産総研地熱資源研究グループ長)という。
 政府内には国立公園などの開発を規制する自然公園法の改正を求める動きもあるが、実現していない。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110514/trd11051421310032-n1.htm
【再生可能エネルギー(3)】
風力発電、中国急増、洋上風力にも期待
2011.5.14 21:30

 風力発電は風さえあれば夜間でも発電できるため、太陽光発電より稼働率を高くできる。世界的にも普及が進み、世界風力会議によると、2010年末の風力発電能力は中国が初のトップに立った。経済成長で電力需要が急増する中国は広大な国土を生かして風力を推進。今後10年間で発電容量を5倍にする計画だ。
 日本では北海道や東北を中心に導入が進んだが、電力需要の高まる夏は風が弱いなど気候の制限もある。産業技術総合研究所は「夏場は太陽光を活用し、夜は風力を生かすなど組み合わせがカギになる」とみる。
 島国の日本では、海に設置する洋上風力への期待も大きい。台風などへの懸念もあるが、海底に建設せず海上に浮かせる浮体式や、風向きによって風車の向きを変えて負荷を受け流す技術の開発も進みつつある。
 日本企業の海外での取り組みも加速。洋上風力で5千キロワット級の超大型風車開発を進める三菱重工業は、20年までに3200万キロワットの大規模洋上風力発電を造る英政府主導の計画の受注を目指している。伊藤忠商事と住友商事は4月、米国での世界最大級の風力発電事業に出資した。
 ただ、風力発電には風車の騒音問題もあり、建設地は居住地から一定以上、離れた場所に限定。巨大風車が林立し、景観が破壊されるとの指摘もある。さらに「大量受注があるわけではない現状では費用対効果の問題もある。2~3年で本格普及とはいかない」(三菱重工)といわれる。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110514/trd11051421380034-n1.htm
【再生可能エネルギー(4)】
太陽光発電、コストの高さが課題
2011.5.14 21:36

 太陽光発電は、家庭や工場などの屋根にパネルを設置すれば、大規模なインフラ投資を行わなくても普及を進めることができる。夜間に発電できない欠点はあるが、太陽が存在する限りは発電できる「エネルギーの優等生」だ。政府は2020年に発電能力で2800万キロワットの導入を目指している。全国の電力需要の3%を供給できる水準だ。
 09年度からは、太陽電池を使って作られた電力の余剰分を10年間にわたって一定価格で電力会社が買い取る「余剰電力買い取り制度」も開始。同制度は太陽光発電で先行するドイツやスペインでも導入しており、普及を後押しした。
 問題は費用の高さだ。経済産業省の試算では、原子力発電の発電コストは1キロワット時で5~6円だが、太陽光発電は49円と格段に高い。光エネルギーを電気に変える太陽電池の製造コストが高いためだが、風力や地熱発電よりも割高だ。
 同省は「普及に伴って技術開発や大量生産が進めば価格は下がる」(幹部)とみており、買い取り価格を上げたり、パネル設置にも補助金も出すことで普及を進める考えだ。
 もっとも、買い取り価格を高く設定したスペインでは、政府の目標を上回る水準で発電設備が導入されたため、買い取り義務を負った配電会社が巨額の赤字を計上した。ドイツでは、太陽電池市場を安価な中国製が席巻し「中国企業に税金を投入するのか」と反発も呼んだ。こうした事例も踏まえた対応が必要となる。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110514/trd11051421430035-n1.htm
【再生可能エネルギー(5)】
蓄電池とスマートグリッド、不安定な電力供給を効率的に利用
2011.5.14 21:41

 太陽光や風力発電は天候などで発電量にばらつきが出る。この問題を解消するのが、発電量が多いときに余った電力を貯蔵する蓄電池技術だ。大本命は、携帯電話から自動車まで幅広く使われるリチウムイオン電池。鉛蓄電池やナトリウム硫黄(NAS)電池よりエネルギー効率が高く、常温で機能する利便性がある。
 自動車用はハイブリッド車などの普及で1キロワット時当たり3万~7万円まで価格が下がってきた。家庭用システムは同数十万円と高価だが、「今後、低価格化が加速する」(電力会社関係者)とみられている。
 一方、電力の効率的な利用には、電力が不足している地域に流すことも必要となる。そのための技術が、電力の流れを双方向で調節する次世代送電網「スマートグリッド」だ。これにより、昼間は家庭の太陽光パネルから周辺地域に電気を送り、夜には同じ送電線で電力会社から電気を受け取ることなども可能となる。
 電力中央研究所の田頭直人上席研究員は「再生可能エネルギーの推進には、スマートグリッドを使って火力や原子力など安定的な電力供給源と組み合わせることが必要だ」と強調。その際、天然ガスを利用して電力と熱を生む「コージェネレーション」設備などを家庭や事業所に普及させれば、さらに効果が上がる。
 スマートグリッドは、昨年4月に国からモデル地区に指定された横浜市や京都府けいはんな学研都市、北九州市などで実験的な取り組みが始まっている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――ー

救国の経済学9~丹羽春喜氏

2011-05-26 08:57:12 | 経済
●新古典派的反ケインズ主義の世界的流行

 丹羽氏は、「冷戦時代に、自由世界の基礎である私有制に基づく市場経済体制を守りぬくうえでの最強の戦力は、ケインズ主義のパラダイムであった。冷戦とは、経済思想の闘いの局面では、マルクス対ケインズの対決であったのである」と言う。(「日銀マンよ、高橋是清の偉業を貶めるな!」)
 戦後の自由主義陣営の主要諸国においては、ケインズ的政策の実施がほぼ定着し、1930年代に生じたような激烈広範な大不況が襲来する怖れは、ほとんどなくなった。資本主義的市場経済体制は、ケインズ的政策の定着によって、「恐慌の激化による体制崩壊というマルクスの呪詛にみちた予言」から、縁を切ることができるようになった。丹羽氏はこのことが、「きわめて大きな文明史的意義を持っていた」とする。
 ところが、「1970年代から1980年代にかけて、一種の政策論的ニヒリズムとでも言うべき反ケインズ主義が全世界的に流行し、1980年代なると、一時、ほぼすべての主要国で、ケインズ的な財政・金融政策は、ほとんどまったくその姿を消してしまった」と丹羽氏は言う。(「ケインズは生きている」)
 丹羽氏によると「米国の思想界から発信されてきた新古典派経済学のイデオロギーを信奉する勢力」は、「この世よりケインズ主義的なマクロ経済学とそれによる政策論のすべてを根絶しようとしているかのごとき、強烈きわまりない反ケインズ主義の政治的思想攻勢を、グローバルに展開してきた」(「日銀マンよ、高橋是清の偉業を貶めるな!」)。そして、
 「過去20年あまり、全世界の主要国の経済政策を導いてきたのは、米国の思想界から発信されて今や強固・激烈な戦闘的イデオロギーと化している新古典派経済学流の反ケインズ主義政策論であった」というのである。(「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし」)
 平成21年(2009)に刊行した『政府貨幣特権を発動せよ。』では、次のように言う。
 「多くのエコノミストたちが、現在でも、いぜんとしていわば隠れケインジアンであって、心の奥底では、前記(註 丹羽の理論)と同様な考え方をしているはずです。しかし、このようなケインズ主義的な政策論は、現在の全世界の経済思想界を牛耳っている新古典派経済学的なパラダイム(というよりはイデオロギー)とは相容れないものですから、それらの隠れケインジアンの大部分は、『長いものに巻かれろ!』というわけで、ひたすら、沈黙に徹しているような状況です。あるいは、発言しようとしても、学界やマスコミから、干されてしまっているので、どうにもならないといった実情です」と。

●小泉=竹中政権には新古典派反ケインズ主義の影響が顕著

 丹羽氏によると、過去20年あまり、全世界の主要国の経済政策を導いてきたのは、新古典派経済学流のパラダイムと「反ケインズ主義」イデオロギーだった。わが国においても、1990年代の半ば以降の歴代内閣の経済政策は、その支配的な影響を受けたものであった。
 「とりわけ小泉=竹中政権時代の経済政策は、ほとんど全て、このような新古典派経済学流のパラダイムと反ケインズ主義イデオロギーによって導かれてきたのであった。」(「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし」)
 丹羽氏は、平成19年(2007)に書いた「日銀マンよ、高橋是清の偉業を貶めるな!」では次のように言う。
 「われわれ日本国民として、困惑せざるをえないことは、わが政府の経済政策スタンスが、そのような新古典派の反ケインズ主義イデオロギーの支配下にあるようでは、わが国の、破綻の危機にひんしている政府財政を再建し、経済を低迷状態より脱却させて力強い興隆軌道に乗せ、自然環境の改善や社会保障の充実を推進するとともに、なによりも、防衛力の整備・拡充を断行して、他国からの侵略やあなどりを受けることのないようにするといった重要国策の遂行が、ほとんど不可能になるということである。なぜならば、このような重要国策の効果的な遂行のためには、何にもまして、経済政策当局によるマクロ経済理論の確固とした再確認と、それに基づいた大規模かつダイナミックなケインズ的政策の立案・実施ということが、必須であるからである」と。

●中谷巌氏の「懺悔」は不十分

 さて、中谷巌氏は、わが国に新自由主義・市場原理主義を導入したエコにミストの一人である。中谷氏は、小泉=竹中政権のブレーンとして、構造改革政策を推進した。しかし、2008年の世界経済危機の後、中谷氏は、「懺悔の書」と銘打って、『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社)を公刊した。私も本書を読んで感慨を覚えた一人だが、新自由主義・市場原理主義の政策が生んだ結果については反省を述べているが、それらの元になっている理論についての検討がされていない。丹羽氏は、この点を深くとらえて、中谷氏を批判している。平成22年刊行の「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし-いまこそ新古典派経済学のニヒリズムを打ち砕け-」にて、次のように書いている。
 「私は、この中谷氏の著書を読了したとき、(略)、重大な『疑念』を持つにもいたった。すなわち、わが国の経済学界ならびに経済論壇を代表する大家の一人であると目されて、過去20年間にわたってわが政府の新自由主義的・新古典派経済学流の経済政策の策定・実施についても少なからず指導的な役割を果たしてきたのが中谷氏なのであるから、現在の深刻きわまる全世界的な金融の混乱と経済大不況、そして、それに直撃されたわが国の危機的状況に同氏が想いをいたしての『懺悔の書』であるのならば、何をおいても、まず、経済学的な視点からの反省、とくに新古典派経済学プロパーの理論や政策論についての反省的吟味を、隠すところ無く論述すべきであったはずではなかったのか、という疑問である。ところが、奇妙なことに、この中谷氏の著書では、かんじんの、『経済学的な反省・吟味』の論述は、ほとんど全く行なわれてはいないのである」「本来ならば、中谷氏の『懺悔の書』は、新自由主義・新古典派経済学流の『反ケインズ主義』の理論とイデオロギーを超克するとともに、『ケインズ主義の復権』こそを、真剣に提言してやまないような内容であるべきはずである。しかしながら、同氏のこの『懺悔の書』では、そのような内容を読み取ることは、ほとんどできないのである」と。
 全くその通りで、中谷氏は本書で、フリードマン、ルーカスらを理論的に批判したり、ケインズの再評価をしたりしていない。自分のかかわった構造改革政策の結果を反省し、政策の修正・転換を説くのであれば、構造改革政策のもとになった経済理論を検討し、その理論を批判・修正する意見を述べるべきである。中谷氏はこれを行っていない。氏の「懺悔」は不十分であり、氏の転向は不徹底である。

 次回に続く。

孫氏の太陽光発電所計画が始動

2011-05-25 11:03:05 | 時事
 ソフトバンクの孫正義社長は4月20日、太陽電池など自然エネルギーの普及を促進するため、10億円を投じ、「自然エネルギー財団」を設置すると発表した。世界中の科学者ら約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行うという。
 5月21日、財団構想に続いて、孫氏は全国10カ所に大規模太陽光発電所「メガソーラー」を建設する検討に入ったと報じられた。それを伝えたものの一つが、下記の記事である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●毎日新聞 平成23年5月21日

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110522k0000m040077000c.html
<孫社長>埼玉などと連携、全国10カ所に太陽光発電所計画

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生以降、原発依存からの脱却を訴えているソフトバンクの孫正義社長が、全国10カ所に大規模太陽光発電所「メガソーラー」を建設する検討に入ったことが21日分かった。
 関係者によると、「脱原発」構想を掲げる橋下徹大阪府知事が孫氏に共鳴。これをテコに孫氏は7府県でつくる関西広域連合などと連携。総額約800億円を投じて、1施設当たり1万~5万キロワットのメガソーラーを建設したい考え。事業費については、各自治体にも一部負担してもらうよう要請する方向だ。
 埼玉県の上田清司知事は21日、県内で記者団の取材に応じ、孫氏側が79億円、県など地元自治体が1億円をそれぞれ負担して、80億円の事業費でメガソーラーを建設する計画を進めていることを明らかにした。発電能力は約2万キロワット以上という。【堀文彦、高山祐、西田真季子】
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 孫氏が計画する大規模太陽光発電所の建設は、これまでの太陽光発電のスケールを打ち破るものである。従来の小規模な太陽光発電は、家庭や工場などの屋根にパネルを設置すれば、大規模なインフラ投資をせずに普及を進められる。しかし、それだけでは、本格的に太陽光発電を拡大できない。孫氏の発想は、太陽光発電の促進となる画期的なものだと思う。
 記事から理解すると、「メガソーラー」の建設費用は、1施設当たりの80億円。うち孫氏側が79億円、地元自治体が1億円ということのようである。これが全国10箇所で、計800億円。石油やウランを燃やす化石燃料の発電所と違って、太陽光発電所は運転し始めれば、燃料のコストがかからないから、維持経費は低費用でいける。軌道に乗れば、全国各地に建設されるのではないか。
 太陽光発電の長所は、太陽が存在する限りは発電できること。石油・石炭・ウランと違い、エネルギー源は無尽蔵である。また環境にやさしく、産業の裾野が広い。一方では、夜間は発電できず、天候に左右され、出力が不安定という短所がある。最大の短所は、現在のところ、発電原価が高いことである。経済産業省の試算では、単価が最も安い原子力発電の発電コストは、1キロワット時で5~6円。これに比べ、太陽光発電では49円と、8~10倍となる。理由は、光エネルギーを電気に変える太陽電池の製造コストが高いためである。現状では風力や地熱発電よりも割高である。ただし、この点は、今後、普及に伴って技術開発や大量生産が進めば、価格は下がる。電力の流れを供給側と需要側の両方から制御、最適化する次世代送電網「スマートグリッド」が普及し、リチウムイオン電池やナトリウム硫黄(NAS)電池など蓄電池のコストが下がれば、太陽光発電の発電単価は、大きく下がるに違いない。
 現在のところ、わが国では、太陽光発電の導入量は、再生可能な自然エネルギーのうち、まだ277万キロワットである。最先端を行くドイツでも導入量は980万キロワット。第2位のスペインで350万キロワット弱。太陽光で脱原発と言っても、短期間に達成できる課題ではない。
 わが国の政府は、太陽光発電の普及のため、平成21年度から、太陽光発電で生産された電力の余剰分を10年間にわたって一定価格で電力会社が買い取る「余剰電力買い取り制度」を開始した。この制度は、ドイツやスペインでも導入され、太陽光発電の普及を後押ししている。
 政府は、2020年に発電能力で2800万キロワットの導入を目指している。全国の電力需要の3%を供給できる水準である。環境省は中長期的に3700万~5千万キロワットに増やす計画である。孫氏の大規模太陽光発電所の建設が、こうした政府の計画を促進し、実現を加速することを期待したい。

関連掲示
・拙稿「孫正義氏が自然エネルギー財団設立を発表」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/034776d5945949b36511b497f6b17bca
・拙稿「『太陽の時代』のギガトレンド~21世紀の産業革命を促進しよう」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13g.htm

救国の経済学8~丹羽春喜氏

2011-05-24 08:56:22 | 経済
●日本におけるケインズ主義の復権を阻むもの

 丹羽氏は、わが国の国内において、政府当局による「悪質な欺瞞情報オペレーション」や「不条理かつグロテスクな思想統制」が行われてきただけでなく、1970年代からわが国の発展を阻もうとする勢力があることを指摘する。
 丹羽氏は、『政府貨幣特権を発動せよ。』に次のように書く。
「わが国は、かつての、あれほどまでに輝かしかった高度経済成長の繁栄・興隆の道を見失うように仕向けられて、停滞・衰退の状態に陥り、しかも、今や、金融恐慌と世界大不況の狂爛怒涛によって厖大な惨害を被ることも避けがたいといった情勢に直面しつつある」。「ケインズ革命の偉大な文明史的意義を意図的に亡失させ、わが国を『決定論的宿命論のくびき』に縛りつけて無力化し、衰退と困窮への一路をたどらせ続けようと画策してやまないような、『得体の知れない、巨大な黒い思想勢力』の存在を感じ取らざるを得ないようにさえ、思われるのである。ひょっとすると、太平洋戦争(大東亜戦争)で日本を武力的に打倒して潰滅させたあと、思想的にも脆弱化させただけではなく、日本の経済的再興をも厳しく抑止しておこうとするような内外の反日分子による工作も、『反ケインズ主義』キャンペーンというカムフラージュに隠れて行われてきたのかもしれない」と。
 遡ると、丹羽氏は、平成15年(2003)に刊行した『謀略の思想「反ケインズ主義」』の「はしがき」に、次のように書いていた。
 「いま、わが国の巷では、わが国の経済の苦境が、『ユダヤ国際金融資本』や『フリー・メーソン、イルミナティー、三百人委員会』あるいは『米国CIA』等々の陰謀だとする説がさかんに語られており、街の書店では、そのような陰謀説を主張する書物が、おびただしく売られている。にもかかわらず、そのような数多くの通俗的な謀略説では、どれ一つとして、本書で明らかにされたような『反ケインズ主義』思想統制の弊害と、それによってわが国の経済が深刻な長期的不況・停滞へ陥らされてしまったという否定しようもない厳然たる客観的事実を、指摘し、分析したものは無いのである。すなわち、たとえ、そのような通俗的な書物などで言い立てられてきたような悪質な陰謀がどのように巧妙に仕組まれていたとしても、もしも、思想統制的な社会的マインド・コントロールによって封じ込められたりせずに、ケインズ的政策が、十分な規模での財政政策によるマクロ的な総需要管理政策として発動され続けてきたとすれば、わが国の経済は、現在のような不況・停滞・衰亡の状況に引きずりこまれることはなく、『右肩上がり』のたくましい成長と繁栄を続けてくることができたはずなのである」と。
 これは見逃せない指摘である。いわゆる陰謀論には、経済学の理論がないこと、具体的な経済政策がないことは、私も同感である。ただし、丹羽氏がケインズ的政策をやってさえいれば日本は成長・繁栄できると説くのは、甘い。日本経済はアメリカ政府の外交圧力や巨大国際金融資本の仕掛けによって、成長を挫かれ、富を吸い上げられる構造に組み込まれている。これは、経済政策だけの問題ではない。外交や安全保障を含む総合的な国家のあり方の問題である。
 丹羽氏は、日本の経済の再興を抑止しようとする「反日分子」の工作が反ケインズ主義キャンペーンのカムフラージュの下になされてきたのではないか、という。ここにいう「反日分子」とは何か。丹羽氏は具体的に述べていない。反日的なアメリカ人、あるいは反日的な欧米人のことか。私は、新自由主義・新古典派経済学を、米欧の巨大国際金融資本、ロスチャイルド家やロックフェラー家をはじめとする資本家、ユダヤ的価値観の保有者たちが、市場支配の道具として使っていると考えている。
 丹羽氏は、先に書いたようにマルクス主義を「歴史主義的決定論ニヒリズム」だという。また新自由主義・新古典派経済学をも「決定論的ニヒリズム」だという。すなわち、「人類文明の現行の経済体制を破壊し、衰亡させてしまおうとするきわめてニヒリスティックな情念」「人類文明の現行の経済体制にあえて甚大なダメージを与えようと意図しているとしか思われないような破壊主義ニヒリズム」「きわめてニヒリスティックかつ無政府主義的な、まさに文明破壊的とも言うべき危険思想」等の表現を丹羽氏は使う。しかし、私の見るところ、新自由主義・新古典派経済学の背後にある思想は、ニヒリズムというよりグローバリズムである。ニヒリズムと見えるものは、グローバリズムの破壊的な作用である。この点は、次に新自由主義・新古典派経済学について検討したうえで、再度より詳しく述べたいと思う。

 次回に続く。

「日本復興の提言」を掲載

2011-05-23 08:52:30 | 時事
 4月から5月にかけて連載した「日本復興の提言」シリーズを編集し、私の提言を加えて、マイサイトに掲載しました。読みになりたい方は、次のページへどうぞ。

■東日本大震災からの日本復興構想
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13l.htm

 目次は次の通りです。

<目次>
 はじめに~日本復興のための提言
 第1章 菊池英博氏の提言
 (1)3年間100兆円の「平成ニューディール政策」
 (2)参議院予算委員会での質疑応答
 第2章 藤井聡氏の提言
 (1)「日本復興計画~『東日本復活5年計画』と『列島強靱化10年計画』」
 (2)参議院予算委員会での公述
 第3章 藤井厳喜氏の提言
 (1)「日本経済大復興計画: 禍転じて福となそう!」
 (2)提言の要点と考察
 第4章 丹羽春喜氏の提言
 (1)「政府貨幣発行特権の発動で防災列島の構築を」
 (2)大胆な政策を裏づける経済学的な理論
 第5章 日本の復興は精神の復興から

●ほそかわの日本復興構想

 第5章に私の日本復興構想を書きました。その主要部分を以下に掲載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 私は、日本の一国民として、次のような構想を抱いている。期間は、10年。主な課題は下記の5つである。

最重要課題:
 日本の精神的復興~日本の復興は日本精神の復興から

緊急課題:
①東北の地域復興~東北を建て直し、東北から日本をよみがえらせる
②デフレ脱却で経済成長~日本の富を生かし、積極財政を断行
③高度防災国家の実現~迫り来る巨大地震に耐え、繁栄し得る日本を創る
④エネルギーの転換~太陽光中心に自然エネルギー活用で21世紀の産業革命を

 次に、その主旨を書く。

【最重要課題】
 日本の精神的復興~日本の復興は日本精神の復興から

 東日本大震災は、死者1万5千人以上、行方不明者約9千人(平成23年5月22日現在)という多大な犠牲者をもたらした。また、政府は道路・建物等の直接的被害を16~25兆円と概算する。日本経済への影響は甚大であり、損失は100兆円とも見られる。まさに戦後最大の惨事であり、また国難である。
 大震災の中で、被災地の人々は助け合いや思いやりを示し、その高い道徳性には、世界各国から賞賛の声が上がった。福島第一原発の事故現場で懸命に対応する自衛隊・消防・警察・電力会社関係者の献身的な行動は、海外の多くの人々を感動させた。天皇陛下は、国民に対しビデオでメッセージを語られ、また天皇・皇后両陛下は被災地の人々を慰問され、国境を越えて尊敬を集めた。
 国家的な危機において自ずと現れるこうした日本の特質を、日本人が自覚し、自己に内在する日本精神を復興することこそ、大震災からの復興の最重要課題である。日本人が精神的に復興すれば、日本は立ち直る。逆に精神的に低迷すれば、天災人災の中で日本は自壊・衰亡する。日本はそのぎりぎりの地点にある。いまこそ日本人は、日本精神を取り戻そう。日本の復興は、日本精神の復興から始まる。

関連掲示
・基調
http://khosokawa.sakura.ne.jp/keynote.htm

【緊急課題】

①東北の地域復興~全国民が協力し、東北から日本をよみがえらせる

 マグニチュード9.0の大地震と1000年に1度という巨大津波によって、東北地方太平洋地域は莫大な被害を受けた。壊滅的な状態になった自治体もある。約16万人の人々が避難生活を送っている。復旧・復興は困難で長い道のりとなる。被災地の人々の生活の再建が急がれる。住居・学校の整備、雇用の創出、社会的インフラの再建、地震・津波への防災の強化、農業・漁業・製造業等の復活、自然エネルギー利用による段階的な脱原発等が進められねばならない。
 関東大震災は、首都を襲った大災害だった。死者・行方不明者は10万人を超えた。日本が潰れかねないほどの打撃だった。しかし、日本人はそこから立ち直った。昭和10年代には、アメリカを凌駕するほどの工業技術力を発揮した。大東亜戦争では、首都を含め全国主要都市を空襲で焼かれ、さらに広島・長崎には原爆を投下された。その人的・物的被害の大きさは、関東大震災・東日本大震災をはるかに上回る。それでも日本人は立ち上がった。敗戦後の復興と高度経済成長は、世界史の奇跡とさえいわれる。
日本人には、こうした不屈の生命力、強固な団結力がある。全国民が協力し、東北から日本をよみがえらせよう。

②デフレ脱却で経済成長~日本の富を生かし、積極財政を断行
 
 ①の課題を実行するには、財源が要る。政府を始め与党・野党ともに、復興政策の財源を増税に求める意見がある。だが、日本は平成10年(1998)からデフレが続いている。こうした状態で増税をすれば、景気は冷え込み、ますます不況が深刻化することは、歴史的な事例を見れば明らかである。ここでなすべきは、デフレからの脱却である。日本は世界最大の債権国であり、日本人の富を活用すれば、デフレを脱却し大震災からの復興を実現することは可能である。
 財源調達は、緊急的には国家埋蔵金の供出、建設国債(内需創出国債)、及び無利子国債の発行という方法がある。政府と日銀が一体となって財政金融政策を行うならば、日本経済を復活させることは出来る。さらに、国家指導層、及び国民の理解を形成できれば、政府貨幣発行特権の発動という「救国の秘策」がある。これは、潜在的な生産力の60~70%しか発揮していないわが国の実態を把握し、潜在的なGDPと現実のGDPの間にある巨大なデフレギャップを生かす起死回生の政策である。
 東日本大震災をきっかけに、これまでのわが国政府の経済政策の誤りを正し、真に国家国民の利益になる経済政策を断行するならば、日本はよみがえり、世界人類に調和ある繁栄をもたらすことが可能である。

③高度防災国家の実現~迫り来る巨大地震に耐え、繁栄し得る日本を創る

 どんなに経済的に繁栄しても、大規模な天災人災が起これば、一瞬にして都市は損壊し、廃墟と化す。文明が進めば進むほど、被害は大きく、復旧は難しい。そのことを、東日本大震災は、日本人に示した。これを痛切な教訓としなければならない。
 東日本大震災は、天変地異の時代の序章に過ぎない。首都直下型地震は30年以内で発生確率が70%、東海・南海・東南海地震は30年内で発生確率が50%~87%と言われる。これらの巨大地震に耐え、日本が存続し、繁栄を維持していくためには、防災を強化し、災害に強い日本を創ることが急務である。
 現行憲法には非常事態規定がない。このことは、第9条が国防を規制していることと同根である。憲法を改正し、国防と防災を一体のものとして、日本を再建する。
 政府の危機管理体制を高める。防災に重点を置いた国家構築、都市建設、地域開発を行う。東京への一極集中を止め、首都機能を分散する。非常時に備えたインフラを強化する。防災教育・避難救援訓練を推進する。国民の健康を増進し、医療依存の生活を改める。食糧・エネルギーの自給率を高める。

④エネルギーの転換~太陽光中心に自然エネルギー活用で21世紀の産業革命を

 私は、大震災を機に、太陽光を中心とした再生可能な自然エネルギーの活用を推進し、「21世紀の産業革命」を実現すべきと考える。原発に電力の約3割を依存している現在、原発を一気に全廃することはできない。今こそ自然エネルギーの活用を推進し、原発への依存を段階的に減らしていかねばならない。また常温核融合の実用化を急ぎ、もっと安全に原子力を利用することも、進めていくべきである。
 人類は、生存と発展のために、自然との調和、また世界の平和を目指し、化石燃料をエネルギー源とする産業から脱却しなければならないときに来ている。とりわけ石油依存を脱却し、太陽光・風力・水素等のエネルギーを活用する産業への移行を、世界的な規模で加速・推進すべき段階に入っている。
 新しい流れは、「太陽の時代」へ、である。太陽光を中心としたクリーン・エネルギーを活用する方向へと、世界もまた日本も大きく動いている。「太陽の時代」が始まっている。 「日の丸」を国旗とする日本から、新しい人類の文明が生まれようとしている。わが国は東日本大震災を機に、政府・国民を挙げて、「太陽の時代」のギガトレンドを押し進めていくべきである。

 以上、四つの緊急課題を書いた。これらの課題は、私が以前から掲げている憲法の改正、国防の充実、家族の復権、道徳の回復、文明の転換等の基本課題と密接不可分のものである。基本課題については、マイサイトの「オピニオン」に骨子を掲載している。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinionaa.htm
 基本課題は、大震災からの復興のための緊急課題を集中的に実行する中で、並行して推進し得る。特に最大の課題は、日本の精神的復興である。日本人が日本精神を取り戻すならば、他の課題は同時的かつ相関的に実現できると私は考える。日本を信じ、日本復興のために、立ち上がろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

救国の経済学7~丹羽春喜氏

2011-05-22 08:40:08 | 経済
●日本からケインズ革命を完成させる
 
 丹羽氏は、平成21年(2009)刊行の『政府貨幣特権を発動せよ。』を、「ケインズ革命を真に完成・成就させる秘伝」を述べ示す書であると自負する。
 先に掲載したケインズ革命による政策体系を稼動させるための必要条件は、三つあった。①の「デフレ・ギャップ、インフレ・ギャップの計測と確認」については、丹羽氏によるグラフ(先に別掲)とその説明文によって示されている。②の「『有効需要の原理』(乗数効果)の作動状況の把握」については、わが国の経済において、有効需要の原理が確実に、ゆるぎなく作動していることが実証されている。最後の③「『国(政府)の貨幣発行特権』の確立と、その財政財源への活用」こそ最も重要な必要条件だが、丹羽氏はこれまで多くのノーベル賞受賞経済学者が提案してきた「政府の貨幣発行特権」を発動するための「スマートで具体的な手法」を考案したとして、これを発表している。それゆえ、三つの必要条件は、この日本において充足されると丹羽氏は主張する。
 ケインズ革命に基づく経済政策を実行する体制の構築は、「為政者の決断次第で、容易になしうる」と丹羽氏は言う。わが国では、「真正のケインズ革命」が達成できる。「本格的なケインズ的政策の大規模な発動」が可能であり、「経済と国威の力強い飛躍的興隆」をもたらしうる。「世界的な金融の大混乱や諸外国の景気後退が、どんなに激甚であろうとも、理論上、そのことは十分に可能なことであり続けるはずである。主要諸外国も、これにならい始めるものとするならば、それは全人類文明の輝かしい繁栄を約束する重要な契機となるにちがいない」と丹羽氏は主張するのである。

●現状を打破する決起に期待する

 では、わが国の現状はどうか。丹羽氏は、同書で次のように言う。
 「過去20年あまりというものは、わが政府当局(とくに旧経済企画庁ならびに現内閣府)は、この3つの必要条件にぴったりと狙いを定めて、この①②③を、あるいは否認し、あるいは秘匿し、さらには、まぎらわしいミス・リーディングな数値を弄して隠蔽・糊塗をはかるなど、悪質な欺瞞情報オペレーションを徹底して駆使することによって、わが国において『ケインズ革命』が成就されて『ケインズ主義の復権』がなされることを、頑強に阻み続けてきているのである。
 このような頑迷固陋な経済官僚たちによる欺瞞情報オペレーションは、現在では、まさに、わが国の社会全般におよぶところの『反ケインズ主義』イデオロギーそのものによる強固きわまる思想統制システムとなりおおせてしまっている。これこそが、わが国の経済における異常に長引く不況・停滞と、国威の衰退・低落の主要原因をなしているのである」と。
 そして。次のように訴えている。
 「わが国の論壇人・言論人は、この危機的な真実の事態に目をふさぎ、それを直視しようとはせずにすごしてきた怯堕・小心な従来のスタンスを、今こそ、真摯に反省し、懺悔すべきである。そして、この不条理かつグロテスクな思想統制の鉄鎖を、なんとしてでも打ち砕かねばならぬと、断固として決意すべきである。しかも、そのことを為しうるのは、他でもない、結局のところ、知識人たち自身である。憂国の言論人たちが、志を同じくする編集者やメディア経営者たちと一丸となって、論壇の総力をあげて闘い続けるほかはないのである。知識人たち、言論人たちの決起に期待すること、真に切なるものがあると言わざるをえない」と。(「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし」)

 次回に続く。