ほそかわ・かずひこの BLOG

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この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

慰安婦資料は「ホロコーストをねじ曲げ」と、カナダ・ユダヤ人友好協会がユネスコに意見書

2016-11-30 09:52:39 | 慰安婦
 ユネスコの世界記憶遺産に登録申請された慰安婦に関する文書について、カナダ・イスラエル友好協会が「申請者はホロコーストの意味をねじ曲げている」と批判する意見書をユネスコに送付したとのこと。意見書は、ユネスコが一部加盟国の「政治的道具になった」とした上で、「性奴隷」「慰安婦20万人」等の主張は裏付けを欠くと指摘していると伝えられる。

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●産経新聞 平成28年11月24日

http://www.sankei.com/politics/news/161124/plt1611240010-n1.html
2016.11.24 07:24更新
【歴史戦】
慰安婦資料は「ホロコーストをねじ曲げ」 記憶遺産申請で カナダ・ユダヤ人友好協会がユネスコに意見書

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)に登録申請された慰安婦に関する文書について、カナダのトロントにある「カナダ・イスラエル友好協会」が「申請者はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の意味をねじ曲げている」と批判する意見書をユネスコに送付していたことが23日、分かった。意見書は、ユネスコが一部加盟国の「政治的道具になった」とした上で、「性奴隷」「慰安婦20万人」の主張は裏付けを欠くと指摘している。
 ユネスコへの登録申請は、日本や中国、韓国など8カ国・地域の14市民団体で構成される国際連帯委員会が中心となって行った。登録申請書は慰安婦制度について、「ホロコーストやカンボジアの(旧ポル・ポト政権による)大虐殺に匹敵する戦時中の惨劇だ」と主張している。
 これに対し、友好協会幹部のユダヤ人、イラナ・シュナイダーさんら3人が署名した意見書は「ホロコーストに匹敵するものはなかった」とする元駐日イスラエル大使のエリ・コーエン氏の指摘を引用して反論。
その上で、「中国によるチベット侵略の方がホロコーストの概念により近い」とし「もっとひどいのは文化大革命だ」と強調した。
 また、慰安婦問題が東京裁判でも問題にならなかったことや、米当局の調査でも慰安所で働いていた女性のほとんどに給与が支払われていたなどとして「性奴隷説」が証明できていないと指摘した。
 1991年まで慰安婦の存在が世界に知られなかったのを、アジアで「女性の性」がタブー視されていると説明した登録申請書は「説得力がない」と一蹴。慰安婦問題は経済力を持つようになった中韓が反日感情をあおるための「道具の一つだった」と解説した。
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 カナダ・イスラエル友好協会(Canada Israel Friendship Association)は、公益社団法人日本イスラエル親善協会(Japan Israel Friendship Association)と、英語名が同じく構造。世界各国にあるイスラエル友好協会の一つと見られる。
http://www.canada-israel.org/
 慰安婦問題については、カナダだけでなく、日本のイスラエル友好団体からこそ、その虚偽について、積極的に発言してほしいものである。

関連掲示
・拙稿「慰安婦問題は、虚偽と誤解に満ちている」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12f.htm
・拙稿「戦後韓国の慰安婦制度こそ、真の国際人権問題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion12s.htm
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人権381~経済的権利の歴史的な拡大

2016-11-28 08:55:00 | 人権
●経済的権利の歴史的な拡大

 経済的権利を思想史的に見ると、まずロックが17世紀に資本主義的な所有権を基礎づけた。ロックは身体を自由な個人の所有物とし、身体的労働による生産物を所有する権利を自然権として正当化した。これによって、近代西欧社会では、所有権を基礎とした財産の自由、契約の自由、営業の自由等の経済的権利が確立された。生まれながらに平等な権利を持つ自由で独立した個人という人間観は、ロックに多くを負っており、近代資本主義社会における市場・所有・契約に関する経済的な権利を持つ個人である。普遍的・生得的な人権を唱えたロックが、同時に近代資本主義社会における経済的権利を理論づけたところに、人権という概念の特殊近代西欧的な性格が表れている。
 ロックの思想を受けてアダム・スミスが、資本主義の経済理論となる古典派経済学の礎をすえた。彼の政治経済学的な主著『国富論』は1776年、アメリカ独立宣言発布の年に刊行された。スミス以後の経済学は、自由競争による市場の論理を正当化した。それによって、欧米において資本主義は大きく発達した。だが、欧米諸国における国民の経済的繁栄と個人の権利の拡大は、非西洋文明の諸社会を植民地としたことで可能になった。有色人種の権利を剥奪し、帝国の中核部が周辺部を支配・収奪する構造の上に実現したものだった。
 イギリスでは『国富論』の出た1770年代から、産業革命が始まった。1830年代にかけて、動力・エネルギー・交通の革命が連動的に起こった。それによって資本主義は飛躍的に発達した。機械制大工業は、労働者を劣悪な労働条件下に置き、社会における経済的な格差が広がった。これに対し、マルクスは生産手段の私有が階級分化を生んだとして私有制を否定する共産主義を説いた。共産主義は、人権はブルジョワ的な観念だとして否定し、階級闘争を説いた。今日、左翼の政党や市民団体は、普遍的な人権を説くが、これは元祖マルクスの理論に反している。
 20世紀初頭以降、市場の機構が理論通りに作動しなかったり、作動の仕方や結果が著しく公正を欠いたりする事態が生じた。そのため、近代法は修正を迫られることになった。それによって、現代法の基本的な考え方が発達した。現代法では、政府は市場に一定の介入を行うべきものとし、国民が政府に給付を請求する権利を認める。
 この変化には、ロシア革命の影響がある。ロシアで史上初めて共産主義革命が成功し、ソ連共産党は革命を輸出する活動を展開した。自由主義諸国は共産化を防止するため、さまざまな政策を講じた。イギリスでは、ケインズが1920年代から深刻化した失業の問題に取り組み、有効需要の創出による完全雇用をめざし、国民経済の発展によって自由と道徳を確保する理論を展開した。そこから福祉国家観が登場した。それまで、西欧では政府の役割は、国防と治安の維持だけでよい、経済については自由放任で、市場の機能に任せたほうがよいという夜警国家観が主だった。だが、福祉国家観のもとで、政府は国民の生活の安定と福祉の確保を主要な目標とし、積極的に社会経済政策を行うものに変わった。労働者の権利が保護され、労働条件の改善や勤労権、争議権、政府への給付請求権等の経済的権利が社会権として発達した。
 共産主義の旧ソ連・東欧では、労働者は共産党官僚に支配され、自由と権利を制限された。1980年代から民主化を求める運動が起こり、ソ連・東欧の共産党政権は崩壊した。20世紀の世界を揺るがした共産主義は、近代西欧的な自由と権利に関して言えば、それらの後退でしかなかった。
 自由主義諸国で発達した経済的権利は、その国の「国民の権利」であって、人間が生まれながらに持つ権利ではない。すなわち、普遍的・生得的な人権ではない。だが、それらの権利は「人間らしさ」を維持する権利として追及されており、「人間的な権利」という意味では人権と呼ぶことができる。「人間らしい」とか「人間的な」という観念は、集団的及び個人的な人格的成長・発展の程度や社会の持つ価値観、経済・社会・文化・文明の発達度合によって異なる。「人間らしい」「人間的な」の基準は、その国家における国民の常識による。それゆえ、「人間的な権利」は「国民の権利」として追及され、実現されてきたものである。そして、権利を実現した国民は、他国民に対して、その実現を奨励し、支援・助力すべきものである。ただし、本当にすべての人間が生まれながらに平等であり、また現実において平等でなければならないと考えるならば、豊かな国の国民は貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えなければならない。だが、そのような実践をしている国は、一つもない。また、国際連合は人権の理念を高々と掲げ、大多数の国々が国際人権条約を締結しているが、豊かな国の国民が貧しい国の国民に対して、互いが同じ水準になるまで、富を分かち与えねばならない、とはしていない。それゆえ、経済的権利は「人間の権利」としてではなく「国民の権利」として発達してきたものであり、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」としてではなく、その社会が「人間的な」と考える権利として発達してきたのである。

 次回に続く。
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天皇陛下のお気持ち表明にどのようにお応えするか

2016-11-27 10:01:52 | 皇室
 8月8日NHKテレビで「天皇陛下のお気持ち表明」という番組が放送された。今上陛下は、数年のうちに譲位をされたいというご希望と強く感じられるお言葉だった。ご高齢の天皇に譲位を認めるのか、それとも摂政を置くという伝統的なあり方を踏襲するのか。お気持ち表明に対して、どのようにお応えするかは、我が国の根幹に関わる重大課題である。
 政府は10月7日の閣議で、天皇陛下の譲位を可能にする法整備について、皇室典範の改正によらず、特例法制定でも可能とする答弁書を決定した。憲法は、皇位継承について第2条で「皇室典範の定めるところによる」と規定している。同条における「皇室典範」には「現行の皇室典範のみならず、その特例や特則を定める別法も含み得る」と指摘した。皇室典範の付則に「特別の場合」に限定して特例法で対応できる旨を追加することが考えられる。
 10月から安倍晋三首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が行われている。16人の専門家から意見を聴き、答申をまとめる。内閣官房の皇室典範改正準備室を中心に、それら専門家などから幅広い意見を聴取し、特例案の内容を詰める。提出は年明け以降になる見通しという。

 特例とはいえ、それが前例になる。譲位を可能にすることは、皇室制度の根幹に関わる。わが国の歴史・伝統・国柄を踏まえた一大研究が必要である。明治維新の時以来の大きな重みをもった取り組みになる。
 最大の課題は、譲位による争いを避ける工夫である。そんなことはありえないと考える有識者がいるが、彼らは日本の歴史とそれを踏まえた明治の元勲・伊藤博文らの努力をよく理解していないのではないか。特例と言っても、後顧に憂いのないように熟慮検討すべきである。
 譲位がされれば、元号が変わることになる。現行の皇室典範には、譲位した後の天皇の称号を定めていない。歴史的には太上天皇いわゆる上皇が用いられたが、これをどうするか。譲位後の先帝の権能、お住まい、公費(内廷費か皇族費)の支給額等をどうするか。また、皇太子が天皇に即位した場合、男子のお子様がいないので新たな皇太子を置くことができない。皇太子は「皇嗣たる皇子」と皇室典範に定めているからである。皇位継承順位第1位となる秋篠宮殿下は、皇太子ではなく別の呼称が必要になる。歴史的には皇太弟というが、これも皇室典範に新たに定めねばならない。その他にもいろいろ検討点がある。
 現行の皇室典範の規定に基づいて、摂政を置くのであれば、検討点は限られる。しかし、譲位を可能にしこれを特例法で対応するとすれば、遥かに多くの検討点をしっかり網羅したものにしなければならない。特に重要なのは、譲位による争いを避け、皇位継承が安定的に行われるようにすることである。

 11月24日有識者会議の議事録が公開された。首相官邸のサイトに掲載されている。11月7日と14日の2回にわたる意見聴取の議事録は、下記にて公開されている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai3/gijiroku.pdf
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai4/gijiroku.pdf
 意見聴取の議事録によると、意見陳述者のうちには、政府が方針としている譲位を可能にするための特例法に反対する意見の人たちがいる。摂政か臨時代行を置くという対案が出されている。
 例えば、東京大学名誉教授の平川祐弘氏は、「退位せずとも高齢化の問題への対処は摂政でできるはずで、もしご高齢を天皇の責務免除の条件として認めるのであれば、それで問題はすむことかと存じます。皇室典範の摂政設置要件「天皇が精神、身体の重患、重大な事故により」の中に「高齢により国事行為ができない場合」を加えるか、あるいは解釈を拡大、緩和して摂政を置かれるのがよくはないか」と摂政を置くことが望ましいと発言した。陛下が制度としての摂政に反対されたことには「甚だ理解に苦しむ」と述べ、陛下の「個人的なお気持ちを現行の法律より優先して良いことか」と指摘し、天皇高齢の退位について「強く否定的な見方」を示した。
 帝京大特任教授の今谷明氏は、「憲法4条2項に基づく国事行為委任。これは御老齢の陛下の代行としてはふさわしい。この規定をあるいは拡大して、公的行為にとりましてもこの規定を拡大して御老齢の代行措置として対応したらいいのではないか。したがいまして、摂政設置には及ばないのではないか」という意見を述べた。続いて譲位の可否に関し「与野党の見解が分かれており、すでに政治問題化しかかっている。天皇の問題について与野党が一致していない場合、近代憲政史上では極めて遺憾な処理が行われている」と指摘した。具体例として昭和初期の統帥権干犯問題を挙げ「与野党が分かれた上に野党の見解に軍部が便乗して、取り返しもつかない無謀な戦争へ転げ落ちていく動きにつながった。与野党一致するまで見送りが相当ではないか」と問題提起した。
 上智大名誉教授の渡部昇一氏は、譲位への否定的見解を示した上で「今、天皇陛下は皇室典範の違反を犯そうとしていらっしゃる。皇室典範を変えてはいけないし、臨時措置法(特別措置法)などというインチキなものを作ってはいけない」と述べた。「問題は、今の天皇陛下が摂政は好ましくないとおっしゃったことです。これは公におっしゃる前に、そばにおつきの方が「そんなことをおっしゃってはいけませんよ」とおっしゃる方がいればよかったわけです」。と指摘した。そして、「おっしゃる方がいないから、今、天皇陛下は皇室典範の違反を犯そうとしていらっしゃいます。だから、それはそうさせてはいけません。皇室典範を変えてはいけないし、臨時措置法などというインチキなものを作ってはいけません。どうしてもこれはしかるべき人が説得すべきです」と持論を述べた。

 ところで、政府の特例法案は、内閣官房の皇室典範改正準備室が中心となって立案するという。内閣官房の皇室典範改正準備室の室長は、田中宗子氏という。近畿大学卒で、ハーバード大学法学PhD、東京大学法学博士号を持つ国家公務員である。
 田中氏は、「皇室典範改正準備室、室長 田中宗子です!」と題したブログを開設していた。
http://ameblo.jp/koshitsutenpan/
 相当量の掲示がされていたが、本日(11月27日)朝9時前の時点で「このブログにはまだ投稿がありません。」という一文が掲載され、それまでの掲示文がすべて削除されていた。9時25分の時点ではブログそのものが閉鎖された。
 原因はわからないが、私は田中室長の掲示内容に注目し、大きな問題を感じていたので、その点について書いておくことにする。

 まずこのブログは、題名の下に「内閣官房公認のブログ」と明記され、「Thanks to MI6, CIA,SVC、総務省」と書かれていた。総務省はいいとして、内閣官房の皇室典範改正準備室長の公式ブログに、英国秘密情報部、米国中央情報局、ロシア対外情報庁への謝辞を掲載する必要があったのだろうか。
 数日前までこのブログに掲載されていた本年9月7日付の田中室長の「現行日本国憲法の『象徴』天皇における諸問題 」という文章は、次のように始まるものだった。「天皇陛下の生前退位の問題をきっかけに、天皇制そのものについても連日様々な議論がなされています。今日の天皇制を考える前に、まずは簡単ではありますが歴史を振り返ります。」――「生前退位」という誤った用語を使い、また「天皇制」という不適切な用語を使っている。長年皇室制度に関するしっかりした研究をしてきた人物とは思えない。
 8月31日付の「天皇の不自由」という文章には、次の一節があった。「生前退位については皇室典範のみ改正すればよいという論者もいますが、ご存知の通り、天皇は国民の総意に基づく『象徴』です。そしてそのことが憲法に定められている以上、皇室典範改正と同時に憲法改正も必要になります。また生前退位は皇室内だけの問題にとどまらず、元号の変更など国民の生活にも影響が及ぶ点からしても、憲法改正は必要です。では生前退位をどう法定していくか。現行憲法にある『これはやってよし』の条文(3条、6条、7条)にあるように、生前退位には内閣の助言と承認が必要という内容の条文を憲法に新設する必要があります。さらに皇室典範において、生前退位ができる場合の要件も事細かに列挙しておかねばなりません。」―――田中氏は、このような自説を公表していた。譲位を可能にするには、皇室典範だけでなく、憲法の改正が必要と主張しているのである。
 氏の主張は、憲法を改正せず皇室典範も改正せずに特例法で対応しようという政府の意向とは、根本的に対立する。氏の主張に基づくならば、特例法は憲法違反となる。政府は、憲法違反の疑いのある特例法を作るのか。それとも、田中氏は自説は誤りだったと取り下げるのか。―――私は動向に注目していた。
 田中氏の主張が問題になったからかどうかは不明だが、本日上記の文章を含む一切の掲示文が削除され、ブログ自体が閉鎖された。もし今も田中氏が内閣官房皇室典範改正準備室長の職にあるとするならば、上記の問題点について現在の所論を発表すべきだろう。もし政府が室長職を更迭したのであれば、妥当な措置と思う。内閣官房皇室典範改正準備室長職には、自分の学説を強く押し出すような人物ではなく、日本の伝統・文化・国柄や憲法・法制度に深く通じた有識者を始め国民の英知を集めて、最善の対処を取りまとめていけるような公平無私の人物がふさわしい。

関連掲示
・拙稿「日本の国柄と天皇の役割~今上陛下の譲位のご希望について」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion05.htm
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人権380~経済的な権利の発達

2016-11-26 09:42:51 | 人権
●経済的な権利の発達

 次に、人権と呼ばれる権利の種類と内容への補足の第二として、経済的権利について述べる。経済的権利は、財産の自由や契約の自由、営業の自由等の自由権から、生存や勤労等に係る社会権に及ぶ。また政治的権利とも相互に関係する。補説として別に述べるのはそのためである。
 近代西欧では、個人の権利意識が発達し、国民の権利の拡大がされた。それとともに、「人間の権利」という観念が誕生した。こうした権利をめぐる展開は、経済活動と深く結びついている。西欧では、近代化の過程で、家父長制家族としての家族共同体、血縁を基礎とする氏族共同体、封建領主による村落共同体等の解体が進んだ。生産と消費の主体が分裂し、消費生活の場所としての核家族と、生産の場所としての経営組織とに分離した。両者をつなぐものとして市場が形成された。市場の発達に伴い、西欧の各地に近代都市が形成された。都市には近代的な組織が生まれ、機能集団である企業や組合等が成立した。こうした社会的変化が、市民革命や資本主義の発達の社会的基礎となった。
 共同体の解体によって、ゲマインシャフト(協同社会)からゲゼルフシャフト(利益社会)への変化が起こった。つまり、人々の結合が、それまでの互いに感情的に融合し、全人格をもってする結合から、各自の利害関心に基づく人格の一部のみでの結合に変わった。伝統的な社会が崩壊して、近代的な個人が出現した。個人と個人は、互助原理で助け合う関係ではなく、競争原理で競い合う関係となった。資本主義の発達によって、近代西欧的な階級が生まれ、階級間の格差が広がった。都市の中小商工業者が資本家と労働者に分化し、資本家が代表的な階級に成長した。この過程で発達した近代西欧的な権利の多くは、経済活動に係る権利という側面を持っている。
 独語・仏語・伊語等の主要な西欧言語では権利を表す言葉が、法をも意味する。経済活動に係る権利は、法との間に次のような関係をもって発達した。
 近代西欧法は、近代国家の成立を背景とし、近代資本主義の経済構造を維持するため、市場の枠組みを整備・保障するという機能を担っている。この点が近代西欧以前、及び近代西欧以外の社会の固有法との大きな違いである。
 近代西欧の国家は、政府が一定の領域内で実力を独占し、実力の行使を合法化し、他の政治団体の実力行使を非合法化した。これに対し、物理的実力を行使する組織や装置が恣意的に発動されるのを防ぐため、国家権力の行使が法によって規制される。それによって、政府と国民の権利関係が制度化される。その一方、国民の経済活動は、自由で独立した個人が展開する取引・交渉によって形成・維持される。そこに個人と個人の権利関係が制度化される。こうした近代西欧的な政府と国民、及び個人と個人の権利関係を制度として定めていることが、近代西欧法の特徴である。
 近代西欧法における権利と義務の体系は、公法と私法という二元的な法体系に規定された。そのうち、近代西欧法の中枢を占めたのは、個人間の関係を規律する私法の体系だった。一方、政府と国民の関係については、政府は市場に介入せず、社会秩序を損なう事態に対処すれば十分とされた。18~19世紀には夜警国家観のもとで、国家と国民の関係を規律する法体系は、自由権に関する規定を中心とし、私法体系と区別して観念された。
 近代西欧法には、市場における物の売買と取引に関する公正な規則を用意するため、三つの基本原理がある。第1は、市場に参加する主体相互の「人格の対等性」である。第2は、「所有権の絶対性」である。第3は、「契約の自由」である。これら三つの基本原理により、身分制から解放された個人は、法の下で平等とされ、所有物を自由に売買・処分でき、国家の介入なく自由に契約を結ぶ権利を持つ。
 経済活動に係る権利は、こうした三つの基本原理のもとに発達した。生まれながらに平等な権利を持つ自由で独立した個人という近代西欧的な人間観は、これら三原理を体現する人間を想定したものである。その人間とは、近代資本主義社会における市場・所有・契約に関する経済的な権利を持つ個人である。近代西欧的な個人の観念は、歴史的・社会的・文化的に形成されたものであり、普遍的な人間類型ではない。

 次回に続く。
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韓国・朴大統領退陣で親北左派政権誕生の恐れ

2016-11-25 13:09:44 | 国際関係
 わが国は、東からのトランプショックで揺れているが、西からはパクショックが迫りつつある。
 韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は求心力が急低下し、支持率が5%という記録的な数字にまで下がっている。親友で女性実業家の崔順実氏に機密資料を提供して国政に介入させていたこと、また、大統領府が設立に関わった「ミル財団」と「Kスポーツ財団」に資金提供するよう財界に強要していた疑いが持たれている。共犯というより、主犯という見方が強くなっている。
 一連の疑惑には、朴氏と崔氏の父親で宗教家との親密すぎる関係、崔氏の娘の大学入学での優遇、304人の死者・行方不明者を出したセウォル号事件での「空白の7時間」などが絡み、韓国民の不満が増大した。韓国民の怒りは高まり、大規模デモが繰り返されている。韓国メディアは朴大統領を「国民の恥」「下野こそが国民の命令」などと激しい非難を続けている。
 朴大統領は韓国政治史上はじめて、在任中に検察の捜査に協力し、特別検察官の事情聴取を受ける公算が大きくなっている。しかし、憲法上、不逮捕特権があるため逮捕はされない。
 韓国国会は弾劾審議に進もうとしている。国会議員の2分の1以上で発議、3分の2以上で決議、その後、憲法裁判所で裁判官9人のうち6人以上が賛成すれば、大統領の解任となる。弾劾の決議後、裁判の判決が出るまで、職務停止となる。だが、この過程には時間がかかるので、朴大統領は平成30年明けの任期まで大統領の座に居続ける考えかも知れないと観測されている。その場合、支持率が一桁という状態で、まともに政治ができるのか、首相が大統領の職務を代行するととしても混乱が続くことが予想される。

 さて、ここでわが国のマスメディアの報道では伝えられていない重要な事実があることを、東京基督教大学教授・西岡力氏が、11月23日の産経新聞「正論」に書いている。要所を抜粋する。
 「韓国の自由民主主義体制が揺れている。親北左派政権が誕生し、韓米同盟が解消されて米軍が撤退し、半島全体が中国共産党と北朝鮮世襲独裁政権の影響下に入る可能性もゼロではない」
 「大規模なデモを主催している勢力が過激な親北反体制派であることがほとんど伝えられていない」「2015年11月に、過激な反体制運動を行ってきた労組である全国民主労働組合総連盟や、農民団体など50以上が集まって民衆総決起闘争本部が結成された。国家保安法に基づき利敵団体と規定された北朝鮮とつながる3つの極左団体(略)が含まれている」
 「闘争本部が今年のデモを計画していたところ、崔順実スキャンダルが発覚したため急遽、鉄パイプなどを使わないソフト路線に切り替えて、10月29日から毎週土曜日に集会とデモを行っている」。闘争本部は「運動方針が北朝鮮の煽動とほぼ一致している」
 「11月12日と19日の集会とデモは朴槿恵政権退陣非常国民運動が主催したが、(略)特記すべきは、野党はそこに入っていないということだ」。
 「19日のデモは12日に比べて動員が落ちた。数万人のデモ隊が大統領官邸を囲む中で大統領が辞任を強制されるという革命的状況はほぼなくなった。今後は憲法秩序の下で、特別検事の捜査と国会での弾劾審議が進むだろう。
 その間に保守陣営が、朴槿恵大統領の崔順実被告との非正常な関係は批判するが、政権の保守的政策は維持発展させるという立場を整理できるかが勝負だ。それができれば、落ち着きを取り戻した国民に親北左派か自由民主主義派かという選択を示して次期大統領選挙で勝てる可能性も十分ある。焦点は親北左派が政権を握ることを韓国の保守が阻止できるかだ」
http://www.sankei.com/col…/news/161123/clm1611230007-n1.html

 わが国のマスメディアの報道だけ見ていると、デモが拡大し朴大統領が退陣することが自由民主主義の国家のあるべき姿という感じがしてくるだろうが、問題は朴大統領が退いた場合、その後に親北左派政権が誕生する恐れがあることである。
 北朝鮮の金正恩は核開発・ミサイル実験を繰り返し、これに断固とした姿勢を示す朴大統領を激しく敵視している。親北左派が政権を握ることは、こういう状況で朝鮮半島全体が北朝鮮が主導する方向に進むことになる。わが国にとっても、アジア太平洋地域にとっても、深刻な脅威となる。
 今後、韓国がどうなっていくか。注視したい。対岸の火事ではない。日本人は、国民が精神的に団結し、トランプショックとともにパクショックに応じ、これらを乗り越えよう。
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人権379~政治的自治権

2016-11-24 09:31:58 | 人権
政治的自治権

 次に、政治的自治権について述べる。集団は、対外的に集団として持つ権利を確保・獲得・行使するために、実力を組織し、一定の領域を統治するようになることがある。氏族・部族・組合・団体・社団等の集団のうち、物理的実力を組織し、一定の領域を統治するものを、政治的な集団という。政治的な集団の持つ社会的権力は、同時に政治的権力となる。政治的な権力が国家に係るものとなったものが、国家的権力である。
 氏族・部族・組合・団体・社団等の集団が、自らが所属する上位集団の統治機構に対して自己決定権を主張し、物理的実力を保有し、一定の領域を統治することが承認されたとき、政治的な自治権となる。自治の能力がないと、自治の権利は承認されない。実力を伴う自治の権利を主張するには、自治の能力を政府に対して示して承認を得るか、または闘争によって勝ち取らねばならない。
 世界に広く存在する氏族的・部族的共同体、西欧の封建制社会における領邦国家、日本の封建制社会における領国や藩、自治都市、自治性を持つ村落等においても、近代国家の成立以前から、集団の政治的自治権が存在し、機能していた。
 近代国家は、国家形成の過程で、領域内の自治団体を国家の統治の範囲に取り込み、自治権を剥奪するか、または政府が一定の自治権を与え直すかした。国民国家において、この国家形成を推進した思想・運動が、ナショナリズムである。
 第6章に人権とナショナリズムについて書いたが、私は、ナショナリズムを「国家主義」「国民主義」、ネイションを政治社会としての「国家」または政治的集団としての「国民」、エスニック・グループを「民族」、エスニシズムを「民族主義」と区別する。ナショナリズムとは、エスニック・グループをはじめとする集団が、一定の領域における主権を獲得して、またその主権を行使するネイションとその国家を発展させようとする思想・運動である。ナショナリズムに対し、エスニック・グループが独自に示す現象をエスニシズムという。エスニシズムは、ある集団がエスニック(民族的)な特徴を積極的に維持・発揚しようとする思想・運動であり、前近代及び非西欧にも広く見られるものである。ナショナリズムは、エスニシズムとの関係では、エスニシズムの特殊な形態であり、近代西欧的な主権国家の形成・発展にかかるエスニシズムである。
 集団が政治的自治権を求める運動と、これを認めない国家権力のぶつかり合いは、時に分離独立運動へと発展する。歴史的には、18世紀アメリカの場合、植民地の住民が参政権を得て本国の英国議会に代表を送ることができたならば、イギリスから独立しなかったかもしれない。またイギリスの統治下にあっても、課税等に自治権を与えられれば、独立しなかったかもしれない。ジョージ3世の暴政・圧制が反発を招き、権利の請願運動が昂進し、独立運動に発展した。20世紀には、15世紀から長く白人種に支配されてきた有色人種が民族独立運動を起こし、次々に独立を勝ち取った。その過程で民族自決権が認められ、各地域で実現してきた。20世紀は一面においてナショナリズムの時代であり、政治的自治権の拡大・普及の時代だった。
 1990年代から21世紀にかけて、世界的にアメリカの主導でグローバリゼイションが進められてきた。その一方で、ローカリゼイションも進みつつある。今日、多くの国家で、歴史・文化・宗教・言語等の独自性を持つ地域集団やエスニック・グループが自治権を要求し、政治問題となっている。独立闘争に発展する場合もある。
 一国の統治権の枠内で、権限の拡大を求める地方分権論と、自ら主権を持とうとする地域主権権は異なる。分離・独立を求める集団は、要求が政府の承認を得られない場合、闘争を開始する。政府には領域・人民の統治権があるから、分離・独立しようとする動きを封じ、統一を保とうとする。政府と集団の意思と意思のぶつかり合いは、最終的に実力によって決着をつけることになる。
 わが国では、現行憲法に言論・表現・集会・結社等の自由を保障し、また地方自治の章を設けて地方公共団体について定めている。地方公共団体による地方自治は日本国民である住人の政治的な自治権の行使である。地域主権を唱える政治家・学者がいるが、もし中央政府と地方政府が対等となり、地域主権が現実になると、国家としての統一が緩み、国家の解体に向かう。国民の権利を保障している国家が解体した時、自治団体が独自の防衛・治安等の機能を持たないと、他国から侵攻・支配される危険性が高まる。また在日外国人については、日本政府が許可する範囲で自己決定権が承認されている。わが国では、外国人に日本国の参政権を与えていない。日本国籍を持たない非国民に参政権を付与しないことは、日本国民の意思であり、統治権の行使である。わが国には人権の観念を振り回して、外国人にも地方参政権を与えようとする動きがあるが、これは自国民の「国民の権利」を侵害し、他国民の権利を拡大して、自国の利益より周辺諸国の利益の追求に加担する動きになり得るものである。

 次回に続く。
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朝日新聞が深刻な経営危機に

2016-11-23 09:29:48 | 時事
 朝日新聞は「南京大虐殺」や「慰安婦強制連行」等の虚偽を記事に書いて、日本人の誇りと名誉を傷つけてきた。その悪行が広く明らかになるにつれ、購読者が急激に減少している。

 朝日新聞の社外秘資料をスクープした週刊ポスト2016年10月28日号の記事を、ZAKZAKが掲載した。
http://www.zakzak.co.jp/…/…/20161015/dms1610151530009-n1.htm
 この文書は、「今夏、朝日新聞の各部署や支局で管理職から社員に配布された〈経営説明会の要点(全社員に知っていただきたいこと)〉と題された1枚のペーパー」。
それによると、朝日新聞社は、いまや次のような危機的状態にある。

 「2013年度に3135億円あった売上高が2015年度には2748億円へと387億円(12%)落ち込んだ」  「3000億円を割り込むのは1985年度以来30年ぶり」
 「今期は売上高の落ち込み幅が広がり、〈13年度→16年度では、▼500億円超のおそれ〉がある」。その落ち込み幅は、「年間の給与・賞与総額に相当」し、社員1人あたり▼1200万円程度に相当」する。
 「2012年度には762万部あった朝刊の発行部数が、いまや670万部(2015年度)と3年間であっという間に92万部も減ってしまった」
 「〈17年度から給与改革・定年延長ができないと、⇒⇒恒常的赤字に落ち込む」。
今後は「繰延税金資産の取り崩し」と「新聞業の減損」で「赤字数百億~1千億円規模」になる。「業績見通しの悪化で会計上の費用も積み増しを迫られることになり、赤字額が大きく膨らむ」
 「これにより、〈信用失い、取引条件悪化〉〈キャッシュ不足で運転資金が回らなくなる〉」

 朝日新聞の臨終は、近いようである。日本国を貶め、国民をたぶらかしてきた朝日が消える時、日本復興の旭日は昇る。
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人権378~政治的な権利

2016-11-21 09:21:52 | 人権
政治的な権利

 権利の三つ類型である自由権・参政権・社会権及び「発展の権利」について書いた。ここでこれら全体に係るものとして政治的な権利と経済的な権利について補足したい。
 まず政治的な権利については、自由権と参政権の両方にまたがる権利であり、また「発展の権利」の基礎となる権利でもあるものとして、自治権がある。その点を補説する。
 自由権の項目で述べたように、自由権の一種に自己決定権がある。自己決定権は「発展の権利」の重要な要素である。自己決定権とは、自ら物事を決定する能力であり、それを実現することのできる資格である。自己決定権は、集団においてその成員に認められる権利である。成員には、その集団の決まりごとに反しない限りで、自己決定権が認められる。この権利は伝統・慣習・規約等によって社会的に行使を承認された能力であり、資格である。成員は、その社会の規範に沿って、自己決定権を行使することを求められる。
 集団における個人に自己決定権があるように、集団自体にも自己決定権がある。集団として自集団に関する物事を決定し、それを実現する権利である。集団は他の集団に対して、この権利を主張する。個人及び集団の自律または自活は、人間の生命と知恵と自由による基本的な能力であり、相互の承認を受けて権利となる。こうした集団の自己決定権の一つが、自治権である。自治権は、一定の地域と一定の成員を持つ集団が、自らの意思で自らを統治する権利である。集団が持つ自己統治権である。
 自治権は、成員が集団の自己決定に参加する権利を伴う。この集団的意思決定への参加権は、参政権の元になる権利である。参政権の項目に書いたように、意思決定参加権は国家が成立する前から社会に存在していた。この権利は、社会契約説が想定する抽象的・アトム的な個人の権利ではない。集団においてその成員に認められる権利である。また特定の集団の成員のみが所有する権利であり、他集団に対しては自立的かつ排他的である。またその集団内では成員の身分・立場によって権利の有無・程度が変わる。それゆえ、どの集団の個人にも共通する一般的な個人の権利としての参政権は存在しなかった。国家も一個の集団であるから、他の集団におけるのと同様、国民には成員の権利として、一定の範囲で意思決定への参加権が認められる。近代西欧においては、一定の領域内における諸集団の自己決定権を国家が保障したとき、その集団が属する国家における「国民の権利」となった。近代西欧において、最初は貴族や聖職者の身分に限定された特権だった。後に年齢・性別・財産等に基づいて、範囲が拡大されていった。現在も年齢等によって資格を制限する特殊的な権利である。

●自治権の諸形態

 自治権には、家族的自治権、社会的自治権、政治的自治権がある。この分類は私独自のものである。家族的・社会的・政治的に分けるのは、第3章の権力に関する章で、権力の諸形態について、家族的権力、社会的権力、国家的権力に分けたことに対応する。権利と権力は相関するので、同様の分類が必要となる。
 集団の最小規模である家族は自己決定権を所有し、家族が自らを治める権利がある。これは、家族の持つ集団として持つ基本的な権利である。この権利を一般には自治権といわないが、広い意味で自治権と呼ぶべきと私は考える。
 家族的な自治権は、他の集団における自治権のもとになるものである。家族的自治権は、他の家族に対して、自集団を自らの意思で治める権利である。家族的自治権は、その権利の行使において、家族的権力の行使となる。その自治権の行使は、家族が所属するより大きな集団の中で承認を得て、またその上位集団の利益と両立するものでなければならない。ただし、特定の家族が集団の中で権力を拡大し、集団全体の自治権を主導しようとしたり、これに他の家族が対抗するという闘争的な権力関係が生じることがある。
 次に社会的自治権について、氏族・部族における自治権は、家族と同様に集団として持つ基本的な権利である。より大きな集団との関係は、家族の場合と同様である。組合・団体・社団等の契約集団については、自治権は集団の一員にとって、自分の自己決定権の集団を通じて行使することになる。それゆえ、契約集団も自己決定権としての自治権を所有する。社会的自治権は、その権利の行使において、社会的権力の行使となる。ただし、その自治権の行使は、上位集団の利益と両立するものでなければならない。上位の集団の自己決定に、下位の集団は服従する。上位が認める範囲内で、下位の自己決定権は承認される。ただし、特定の契約集団が社会の自治権に関する主導権を獲得しようとして、闘争的な権力関係が生じることがある。
 集団と集団の関係において、最も上位の集団が国家である。国家の内部における諸集団の自治権は、国家・国民の利益を損なわず、またその利益に貢献する限りで認められる権利である。その利益に反する行動をする下位集団には、制裁が加えられ、自治権の制限や剥奪が行われることがある。社会的自治権をめぐる権力関係は、次の項目で述べる政治的自治権の問題に連なっている。
 
 次回に続く。
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ヒラリー・クリントンのEメールから浮かび上がった重大事実

2016-11-20 09:39:39 | イスラーム
 米国大統領選挙でドナルド・トランプに敗れたヒラリー・クリントンは、選挙期間中、国務長官時代の私的メールアカウントの使用、クリントン財団への献金を見返りとした口利き、夫ビルの女性問題での相手女性への脅し等の問題が噴出した。とりわけ、意図的に国家の重要機密を外国に流していたのではないかという疑惑は、最も深刻である。11月4日米国の国土安全保障省長官のマイケル・マッコールが、FOX news に「ヒラリー・クリントンは国家反逆罪を犯した。国土安全保障省は反逆罪のヒラリー・クリントンを公式に起訴する」と述べた。
 ヒラリーが今後起訴されるとすれば、理由の核心にベンガジ事件が挙げられるだろう。ベンガジ事件とは、ヒラリーがリビアのカダフィー大佐の殺害を指示し、それを実行したクリス・スティーブンス米リビア大使が報復を受けて惨殺された事件である。
 2011年(平成23年)1月、チュニジアの民衆運動をきっかけに「アラブの春」と呼ばれる民衆の反政府運動が起った。リビアでは同年2月、最高指導者で国家元首であるカダフィー大佐の退陣を求める反政府デモが発生した。カダフィーは武力によって民衆の運動を弾圧しようとしたが、軍の一部が反乱を起こし、10月20日カダフィーは射殺され、42年間続いたカダフィー政権は崩壊した。
 ヒラリー・クリントンは、カダフィーを暗殺指示し、リビアの国家財産200億ドルを奪い、その資金を用いて、いわゆる「イスラーム国」(ISIL)に武器・資金を提供したという疑いが起っている。だが、これら一連の行為は、彼女個人の判断とは思えない。背後関係があるはずである。ヒラリーは、欧米の所有者集団に仕える経営者の一人であり、彼らの意思を実現するための政治・外交をやっていたと思われる。
 起訴によってその背後関係が明らかになる可能性があるので、起訴が取りやめになったり、あるいは起訴理由をごく限定したものにして、責任追及が背後に及ばないようにしたりする可能性があると思う。
 私は、所有者集団はヒラリーを大統領にするシナリオで選挙戦を進めていたが、ヒラリーの重要機密に関わるメールが大問題になり、かばいきれなくなったので、トランプに乗り換え、彼の抱き込みを図ったのではないかと推測している。
   
 ベンガジ事件は、アラブの春、アラブ・アフリカ金本位制度、ドルの防衛等に係る巨大な事件の一端である。戦略リスク・コンサルタントで作家のウイリアム・エングダールが、「ヒラリー電子メール、ディナール金貨と、アラブの春」という記事をオンライン誌“New Eastern Outlook”に寄稿し、その巨大な事件について書いている。和訳がネット上に掲示されている。長文なので、要所を抜粋する。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/…/post-cc58.html

 「今にして思えば、アラブの春のタイミングは、膨大なアラブ中東の石油の流れだけではないものを支配しようとする、アメリカ政府とウオール街の取り組みと緊密に繋がっていたことが益々見えてくる。新たな主権国家資産ファンドに集積された、彼らの何兆ドルものお金を支配することも、同じ位重要な狙いだったのだ。
 ところが、最新の2011年4月2日のクリントン-ブルーメンソール電子メールで、今や確認された通り、ウオール街とシティー・オブ・ロンドンの“お金の神様”に対し、アフリカとアラブ産油国世界から、質的に新たな脅威が出現しつつあったのだ。リビアのカダフィ、チュニジアのベン・アリと、エジプトのムバラクは、アメリカ・ドルから独立した金に裏付けられたイスラム通貨を立ち上げようとしていた。」

 「2009年、当時、アフリカ連合議長だったカダフィは、経済的に窮乏したアフリカ大陸に“ディナール金貨”を採用するよう提案した。(略)ウオール街とシティ・オブ・ロンドンが、2007年-2008年金融危機で、ひどく厄介な状態にあった時に、もしもそういうことが起きていれば、ドルの準備通貨としての役割に対する影響は、深刻というだけでは済まされなかったはずだ。アメリカ金融覇権とドル体制にとって、弔いの鐘となっていたはずだ。」

 「カダフィを破壊するためのヒラリー・クリントンの戦争の最も奇妙な特徴の一つは、石油豊富なリビア東部のベンガジでアメリカが支援した“反政府派”、戦闘のさなか、彼らがカダフィ政権を打倒できるどうかはっきりするずっと前に、“亡命中の”欧米式中央銀行を設立したと宣言した事実だ。(略)
 戦闘の結果が明らかになる前に、金に裏付けされたディナールを発行していたカダフィの主権ある国立銀行におきかわる欧米風中央銀行創設という奇妙な決定について発言して、ロバート・ウェンツェルは、経済政策ジャーナル誌で“民衆蜂起から、わずか数週間で作られた中央銀行など聞いたことがない。これは単なる寄せ集めの反政府派連中が走り回っているだけでなく、かなり高度な影響力が働いていることを示唆している”と言っている。
 今やクリントン-ブルーメンソール電子メールのおかげで、こうした“かなり高度な影響力”は、ウオール街と、シティー・オブ・ロンドンとつながっていたことが明らかになった。」

 「もしカダフィが、エジプトやチュニジアや他のアラブのOPECと、アフリカ連合加盟諸国とともに- ドルではなく、金による石油販売の導入を推進することが許されていれば、世界準備通貨としてのアメリカ・ドルの未来にとってのリスクは、明らかに金融上の津波に匹敵していただろう。
 ドルから自立したアラブ・アフリカ金本位制度というカダフィの夢は、不幸にして彼の死と共に消えた。ヒラリー・クリントンの身勝手な“保護する責任”論によるリビア破壊の後、現在あるのは、部族戦争、経済的混乱、アルカイダやダーイシュやISISテロリストによって引き裂かれた修羅場だ。カダフィの100%国有の国家通貨庁が持っていた通貨主権と、それによるディナール金貨発行はなくなり、ドルに結びつけられた“自立した”中央銀行に置き換えられた。」

 今後の真相解明を待ちたい。

関連掲示
・拙稿「現代世界の支配構造とアメリカの衰退」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09k.htm
・拙稿「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm
 第2部第3章「現在(2011年以降)」
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人権377~「発展の権利」等の新たな権利

2016-11-19 10:03:41 | 人権
「発展の権利」等の新たな権利

 第9章の人権発達史の新たな段階の項目に書いたことだが、人権発達の歴史は、第1段階では自由権を中心とし、第2段階では、これに社会権が加わった。1966年制定の国際人権規約は、自由権(市民的及び政治的権利)・社会権(経済的、社会的及び文化的権利)だけでなく、新たな権利をも定めた。それによって、人権の発達史は第3段階に入った。第3段階の人権は、自由権・社会権に対し、「連帯の権利」と称される。その代表的なものが、「経済的、社会的及び文化的発展」を自由に追求する権利としての「発展の権利」である。
 「発展の権利」は、1960年の植民地独立付与宣言において初めて打ち出された。同宣言は、個人の自由権及び社会権の前提として、諸個人の所属する集団の自己決定権を認めた。また、自決権だけではなく、自決権を根本として、「発展の権利」を宣言した。1960年代には個人の権利の成立条件として人民の自決権が強調された。自決権は政治的側面だけでなく経済的、文化的側面にも拡大された。そのうえで、国際人権規約に、人民の自決権とともに、それに基づく「発展の権利」が規定された。
 国際人権規約は、共通第1条の1項に「すべての人民は、自決の権利を有する」と述べて、人民(peoples)の自決権を定めた。権利の主体が個人ではなく、集団となっていることが重要である。規約は、その集団の自決権に基づいて、人民が「政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」とした。これは、個人の人権だけを規定した世界人権宣言と著しい対照を示している。これは、人権の発達史において、重大な変化だった。
 自決の権利とは、自由に物事を決定する権利として、自由権に含まれるものである。人民の自決権は、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれ、人民の独立がなければ個人の人権なし、という原則が打ち立てられたのである。個人の権利は集団の権利が確保されていて初めて保障される。近代西欧では諸国の独立と主権が確立されていたから、そのもとで個人の権利が発達し得た。集団の自決権の確立のもとに、個人の自由と権利が拡大されてきたのである。
 「発展の権利」は、集団が発展する自由への権利である。その点では、自由権の一種と言える。発展途上国の自由権である。1986年に国連総会で採択された「発展の権利に関する宣言」において、一個の権利として強調された。この宣言は、「発展の権利」について、「奪うことのできない人権」とし、権利の主体を個人だけでなく人民を含み、発展は単に経済的発展だけでなく社会的、文化的および政治的発展とした。また発展の権利というだけでなく発展に参加・貢献・享受する権利を宣言した。
 「発展の権利」は、自由権及び社会権に対して、権利の主体は個人と集団の双方であり、義務の主体は国家・先進工業国・国際機関・国際共同体であり、実現には、個人・国家・団体等の参加が必要である等の特徴がある。
 1993年に「ウィーン宣言及び行動計画」は、人権の普遍性、不可分性、相互依存性、相互関連性を打ち出し、自由権と社会権の一体性を示した。欧米では、自由権のみが普遍的・生得的な「人間の権利」であり、社会権を人権とは認めないという考え方が、今も有力である。自由を最高の理念とし、平等への配慮は個人の自由を侵害しない範囲で最小限にとどめるべきという考え方に立てば、社会権の拡大は人権の侵害となる。だが、「ウィーン宣言及び行動計画」は、自由権と社会権の一体性を打ち出すことにより、事実上こうした考え方の誤りを表明した。
 自由権と社会権が一体のものであるとすれば、これらは根源的な権利から分化したものと考えられる。根源的な権利からまず自由権が、次に社会権が展開した。さらにその後に、人権発達史の第3段階として、「発展の権利」を含む「連帯の権利」が展開したということになる。そうした根源的な権利は、権利を個人的なものではなく集団的なものと考えるときにのみ、理論的に成立する。
 他の集団に対して優位にある集団において、集団の権利から個人の権利が分化し、その後に個人間の権利の調整が行われるようになった。次に、その集団に対し劣位にあった集団が、集団の権利の回復を求めるようになった。それが「発展の権利」である。もとの優位集団はその「発展の権利」を行使し得ていたから、個人の権利の保障・拡大をなし得たのである。
 「ウィーン宣言及び行動計画」は、国家の義務を定めた点でも画期的だった。国家の不介入ではなく、積極的な取り組み、しかも義務としての履行を求めているからである。実は政府のこの役割は、もともと欧米諸国の政府が担ってきたものである。政府が国防や治安維持、司法等を担って集団の権利が確保されているから、その社会で個人の自由と権利の確保・拡大が可能になったのである。
 世界人権宣言から国際人権規約が作られ、次の段階として「発展の権利宣言」、さらに「ウィーン宣言及び行動計画」が出されるという展開は、人権の発達史の第3段階の進行だった。この進行そのものが、近代西欧で発達した人権の思想は、根本的に見直されるべきものであることを示している。
 いわゆる人権は「発達する人間的な権利」である。しかし、国際社会は、依然として、人権の発達史の第1段階で歴史的・社会的・文化的に形成された「人間が生まれながらに平等に持っている権利」「国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利」という理解をそのままにしている。その状態で、第2段階の権利、第3段階の権利を拡張している。人権の概念について根本的な再検討を行っていないのである。そのために、今日人権については、普遍的と特殊的、非歴史的と歴史的、個人的と集団的、権利と義務といった基本的な概念の関係が、乱雑な状態になっており、これらの基本的な概念の再検討がなされねばならない。本稿は、その検討を進めてきたところである。

 次回に続く。
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