ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

皇位継承の問題を考える

2005-11-30 21:57:48 | 皇室
 小泉首相の私的諮問機関である「皇室問題に関する有識者会議」は、11月24日、首相に報告書を提出した。その内容に危機をもった人々が、30日「皇室典範を考える集い」に参集した。私も国民の一人として参加した。
 以下、この集会の大略をお伝えする。

■「皇室典範を考える集い~「有識者会議」の見識を問う~」

平成17年11月30日 日本消防会館
主催 皇室典範を考える会 代表 上智大学名誉教授 渡部昇一

●会場で配られた資料より抜粋

<有識者会議の答申に接して>

 なぜ、これほど急いで決めようとするのか。皇位継承問題について、私たち国民が聞かされたのは、今年になってからではないか。しかも年頭以来、国民とメディアの関心は、郵政民営化論議に注がれ、その上、大旋風を巻き起こした衆議院選挙もあった。国民的関心も論議も全く別のところにあったのであり、事実上、国民はなにも知らされていない中での答申提出である。その答申に見られるのは、単に目先の事象に振り回される姿でしかない。有識者というなら、曇りなき伝統を守るためにこそ知恵を出すべきではないか。政府は拙速を避け慎重に対処することを、強く求める。
 平成17年11月24日
 皇室典範を考える会 代表 渡部昇一

●登壇者

 平沼赳夫衆議院議員・日本会議国会議員懇談会会長
 下村博文・日本会議国会議員懇談会事務局長
 桜井よし子(ジャーナリスト)
 工藤美代子(作家)
 田久保忠衛(杏林大学客員教授)
 荻野貞樹(国語学者)
 小田村四郎(皇室問題研究会顧問)
 屋山太郎(政治評論家)

●参加者により採択された声明(政府に提出される)

 11月24日、「皇室典範に関する有識者会議」は1年に満たない審議を終えて、「女系天皇容認・長子優先」を柱とする報告書を小泉首相に提出した。これを受けて政府は皇室典範改定案を来年の通常国会に上程する方針である。
 報告書の内容を一見し審議の経緯を振り返る時、我々は、有識者会議及びその背後で同会議を方向付けてきた政府の、軽率かつ傲慢な姿勢に強い異議と憤りを禁じ得ない。
 報告書は、皇位継承資格を女性・女系皇族にも拡大するために、125代にわたり男系で一貫してきた皇位継承原則の根本的な改変を主張する。改変の最大の理由として皇位継承の安定化をはかることをあげているが、しかし、男系継承の伝統を大転換することは、皇位の正統性への不信の念を生み出し、むしろ皇位継承制度に巨大な不安定要因を持ち込むことになろう。報告書は、改変の根拠としてさらに、近年の少子化傾向や、家族や男女の役割分担についてのい国民意識の変化などをあげているが、これらは皇位継承制度と次元を異にする事象である。我々は、このような報告書に、皇室の歴史や伝統への畏敬、敬慕の情を感じることができない。
 また、報告書は、元皇族の皇籍復帰など男系継承の伝統を護持するための方法については、「国民の支持と理解を得ることは難しい」と頭から決めてかかり、これを疎略にしりぞけているが、無謀かつ無責任と言うほかない。
 有識者会議の設置にあたっては、政府の皇室典範改正原案なるものの存在が報道されるなど、「はじめに結論ありき」の審議が予想されたが、同時に、案件の重大性に鑑み、それなりに真摯な議論がなされるものとの期待もあった。
 しかし、その甘い期待は見事に裏切られた。審議の経過を振り返りつつ報告書の内容を見る時、有識者会議は政府のお膳立ての上での、中身の無い形式的な存在であったことが、明らかである。政府が本気で報告書に基づく皇室典範改正案を来年の通常国会に提出し、その成立を企図しているとするなら、それは皇室の歴史と国民の良識を無視し愚弄するものである。
 国民は未だ、皇室典範改定に関する政府の明確な趣旨を聞かされていない。そして、国民の多くが女性天皇と女系天皇の違いを理解していない。その結果として、「女性天皇容認」の世論調査の数値が「女系天皇容認」の根拠として報告書に利用されている。これほどの重要問題に関して説明責任を果たさず、また国民の多様な声に耳を傾けない政府の姿勢、まして皇族方の御意向を一切無視する政府の姿勢は言語道断である。形式的な議論のみでいとも簡単に男系継承の根本原則を改変しようとする政府の方針は、断じて許されない。
 以上の通り、皇室典範の改定を急ぐ理由は見当たらないし、決して急いではならない。我々は、政府及び関係機関が、事柄の重大性を十分認識し、取り返しのつかない事態が現出することのないよう慎重の上にも慎重に対処すべきことを強く求めるものである。
 平成17年11月30日
 「皇室典範を考える集い」参加者一同

●参考

「皇位の正統な継承の堅持を求める会」のホームページ
http://hw001.gate01.com/abc123xyz/
私の皇位継承問題に関する小論
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05b.htm

憲法改正~住居と拷問

2005-11-30 11:29:28 | 憲法
 住居等の不可侵について、昭和憲法の規定は、文言がよく整理されていない。

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●昭和憲法

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利を有する。この権利は、第五十四条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行う。
――――――――――――――――――――――――――――――

 自民党案は、これを以下のように整理している。

――――――――――――――――――――――――――――――
●自民党案

(住居等の不可侵)
第三十五条 何人も、正当な理由に基づいて発せられ、かつ、捜索する場所及び押収する物を明示する令状によらなければ、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索又は押収を受けない。ただし、前条第一項の規定により逮捕される場合は、この限りでない。
2 前項本文の規定による捜索又は押収は、裁判官が発する各別の令状によって行う。
――――――――――――――――――――――――――――――

 私はさらに、意味をより明確にできると思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(住居等の不可侵)
第五十七条 何人も、あらかじめ正当な理由に基づいて発し、かつ、捜索する場所及び押収する物を明示する令状によらなければ、その住居、身体または書類その他の所持品について、刑事手続のための侵入、捜索又は押収を受けない。ただし、前条第1項の規定により逮捕される場合は、この限りでない。
2 前項本文の規定による捜索又は押収は、裁判官が発する各別の令状によって行う。
――――――――――――――――――――――――――――――

 次の拷問等について、昭和憲法は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対に禁止する。」と定めている。私はこのままでよいと思う。ただし、「残虐な刑罰」とは、火あぶり、釜ゆで、磔等の方法を禁止したものであって、現在の絞首刑はそれに当たらないと思う。内乱罪、外患罪、放火罪、殺人罪、強盗強姦致死罪等については、極刑をもって処すべきである。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(拷問等の禁止)
第五十八条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対に禁止する。
――――――――――――――――――――――――――――――

憲法改正~裁判の権利と保障

2005-11-29 09:28:25 | 憲法
 裁判権に関する条項について、項目別に見ていく。

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●昭和憲法 

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 この条項には、「その他の刑罰」に続けて、「またはその他のいかなる不利益も受けることはない。」と補うとよいと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(適正手続の保障)
第五十三条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、もしくはその他の刑罰を科せられ、またはその他のいかなる不利益も受けることはない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 次に私は、昭和憲法では、第三十九条に置かれていた遡及処罰等の禁止についての条項を、この位置に置くのが良いと思う。司法の原則に関わることだからである。条文の内容は、昭和憲法と同じでよい。位置だけの移動である。

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●ほそかわ案

(遡及処罰等の禁止)
第五十四条 何人も、実行の時に適法であった行為または既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪については、重ねて刑事上の責任を問われない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 次の裁判を受ける権利は、昭和憲法の規定どおりでよいと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(裁判を受ける権利)
第五十五条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。
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 人身の自由の条項については、昭和憲法では以下のようになっていた。

――――――――――――――――――――――――――――――
●昭和憲法

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 まず「権限を有する司法官憲」とは「裁判官」のことだろう。また、「且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、」は、現実的には無理がある。上記の二条は重複が多く、自民党案は、この二条を一条にまとめている。そのまとめ方がよいと思う。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(人身の自由)
第五十六条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、裁判官が発し、かつ、理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
2 何人も、正当な理由なく、かつ、その理由を直ちに告げられることなく、抑留され、または拘禁されない。
3 抑留され、または拘禁された者は、直ちに弁護人に依頼する権利並びに拘禁の理由を直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示すことを求める権利を有する。
――――――――――――――――――――――――――――――

憲法改正~財産権と納税

2005-11-28 10:46:02 | 憲法
 財産権について、自民党案では、次のようになっている。

――――――――――――――――――――――――――――――
●自民党案

(財産権)
第二十九条 財産権は、侵してはならない。
2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。
――――――――――――――――――――――――――――――

 昭和憲法との違いは、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えただけである。財産をめぐっては、個人の権利と公共の利益との間に、利害の対立を生じる。これは、重要な問題である。憲法には、個人と全体、個人と政府の間の権利と義務を定める役目があるのだから、財産権に関する条項は、もう少し踏み込んだ内容にすべきだと思う。
 憲法の条項には、相当数が国民の財産権にかかわる。そもそも統治権という最も基本的な権利は、国土の占有・利用に関わるものである。また、国家の安全保障や非常事態においては、国民個人の財産権に制限が課される場合が想定される。環境の保守においても、持続可能な開発の実現に努め、良好な自然環境を守り、かつ将来の世代にそれを引き継いでいくためには、国土とその自然の開発・利用に、一定の制限が課されよう。
 この点に関して、日本会議は「新憲法の大綱」改訂版で、以下のような提案をしている。

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●日本会議案

 財産権については、国土の公共性を明らかにするとともに、国民の財産権と、国土の利用及び自然環境の保護との調和をはかることを明記する。
――――――――――――――――――――――――――――――

 私は、この提案を重要なものと考える。以下に私案を示す。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(財産権)
第五十一条 財産権は、これを保障する。
2 財産権の内容は、公共の利益に適合するように、法律で定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。
4 わが国の国土は、自然の恵みとして享受する公共の財産である。国民は、第四十五条1項の定めにより、個人の財産としての土地利用と、国民全体の財産としての土地利用との調和に配慮しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 国家の安全保障や非常事態に関する場合は、第3項に含まれると考え、あえてここでは明記していない。

 次に、財産権と関連する納税については、納税の目的を明記したいと思う。税は、国に金銭を取られるのではなく、国民が共同で公共の利益を実現するための出資である。また、だからこそ、税金が有効に使われるよう、国民は協議や監視をしなければならないのである。以下のように定めることを提案したい。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(納税の義務)
第五十ニ条 国民は、公共の利益の実現のため、法律の定めるところにより、納税の義務を負う。
2 国民は、税金が有効に利用されるように求める権利を有する。国は、国民の付託に応え、税金を有効かつ適正に使うよう努めねばならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

憲法改正~勤労と社会貢献

2005-11-27 10:31:07 | 憲法
 勤労に関する権利及び勤労者の権利については、昭和憲法の規定のままでよいと思う。ただし、勤労の義務については、もっと明確にすべきだと思う。
 わが国では勤労しない者が、罰せられるわけではない。何かの事情により勤労していない者も、社会保障の対象となる。このような規定では、勤労の意欲の低下が起こった場合、歯止めにならない。私は、何のために国民は勤労をする義務を負うのか、その目的を示すべきだと思う。
 
 現実に、成年に達した健康な男女であって、勤労の義務を果たしていない者は多い。特にNEETと呼ばれる、仕事に就こうとせず、教育を受けるでもなく、職業訓練を受けるのでもない状態の若者が年々増加している。彼らはフリーターや失業者とは違う。自ら働いて社会参加する意欲がなく、孤立している。こうした若者の増加に対し、昭和憲法の規定のままでは対応できない。
 また、子育てや介護などの家事労働は、家庭と社会において、欠かすことのできない労働である。その意義を評価したうえで、新憲法にはきちんと定めるべきだと思う。家事労働に専念する者は、家庭外に出て賃金労働をする必要はないし、また、それが可能とできるような制度に変えていく必要がある。税金の減額や育児手当の支給など、具体策はいろいろ考えられる。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(勤労に関する権利)
第四十六条 すべて国民は、勤労の権利を有する。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律で定める。
3 児童は、酷使してはならない。

(勤労に関する義務)
第四十七条 成年に達した健康な国民は、社会、経済及び文化の発展に協力するため、自己の能力を発揮して勤労する義務を負う。
2 子育て、介護その他の家事労働は、家庭の保護及び社会の安寧のために、尊重されなければならない。

(勤労者の権利)
第四十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。
――――――――――――――――――――――――――――――

 次に、社会貢献と文化の尊重に関する条項を、新たに設けたいと思う。これは、JCの提案である。

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●JC案

(社会貢献の責務)
第二十九条 国民は、受けた教育の成果を活かして社会貢献に努めなければならない。

(日本文化の尊重)
第三十条 国民は、わが国の歴史、伝統および文化を尊重しなければならない。
② 国は、歴史的、文化的および芸術的な財産の保護および育成を奨励しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 教育においては、教育を受けた者が、社会に貢献するという考え方が重要だと思う。国家が国民の子供に対して教育を行う義務があるとすれば、その教育を受けた者がお返しとして、社会貢献に努める義務もあるとせねば、バランスが取れない。
 また、わが国固有の文化の尊重については、前文に理念として書くだけでなく、条文に定め、それが教育において実践されるようにしなければならないと思う。JC案に若干の文言を修正して、以下に私案を記す。

――――――――――――――――――――――――――――――
●ほそかわ案

(社会貢献の責務)
第四十九条 国民は、第四十一条に定める教育に応え、社会貢献に努めなければならない。

(日本文化の尊重)
第五十条 国民は、わが国の伝統、文化および国柄を尊重しなければならない。
2 国は、歴史的、文化的および芸術的な財産の保護および育成を奨励しなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

憲法改正~環境の権利・義務

2005-11-26 12:10:41 | 憲法
 現代世界の人類の抱える二大課題は、世界平和の実現と地球環境の保守である。私は、新しい憲法には、環境に関する条項を新設すべきであると思う。

 自民党の改正案は、前文の結語に「日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球環境を守るため、力を尽くす。」と書いている。ところが、そこまで書いていながら、本文には、自然との共生や地球環境の保守のための条文がない。重大な欠陥である。これに比し、愛知和男氏、日本会議、JCはそれぞれ次のような提案をしている。

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●愛知案

(環境に関する権利及び責務)
①何人も、良好な環境を享受する権利を有するとともに、良好な環境を保持し、かつわれわれに続く世代にそれを引き継いでいく責務を負う。
②国は、良好な環境の維持及び改善に努めるものとする。

●日本会議案

 環境に関する権利と義務を新たに規定すること。
1、国民は、健康で文化的な生活を維持するため、公共の福祉に反しない限度において良好な自然環境を享受する権利を有する。
2、国民は自然環境を保護し、将来の国民にこれを伝えるよう努めなければならない。

●JC案

(環境権および環境保全の責務)
第三十四条 国民は、良好な環境を享受する権利を有し、その保全に努める責務を負う。
② 国は、良好な環境を保全する施策を行わなければならない。
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 三つの案は、国民の権利と責務については、ほぼ一致している。愛知案とJC案は、政府の役割についても規定している。私は、政府とともに企業に関しても、責務を課すべきと考える。
 なお、環境については、保全・保護の用語が使われるが、あえて私は「保守」という語を用いたい。日本の伝統・文化・国柄を守る態度・思想を「保守」というが、その守るべきものの中に、日本の自然と、さらにその元にある地球の自然が含まれているのでなければ、真の保守とは言えないだろうという含みがある。

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●ほそかわ案

(環境に関する権利及び責務)
第四十五条 国民は、良好な自然環境を享受する権利を有するとともに、良好な自然環境を守り、かつ将来の世代にそれを引き継いでいく責務を負う。
2 政府及び企業は、かえがえのない地球及び国土の自然環境を保守しつつ、持続可能な開発の実現に努めねばばならない。

憲法改正~生命と健康

2005-11-25 14:38:54 | 憲法
 昭和憲法は、第二十五条に生存権を規定している。

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●昭和憲法

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
――――――――――――――――――――――――――――――

 私は、ここにいう「健康」とは、どういう状態を意味するかを明らかにすべきと思う。この点は、後に述べたい。
 次に、「文化的」とは、文化の発達段階によって変わってくる。それによって、「最低限度の生活」の生活水準も変わってくる。それゆえ、生存権は、天賦生得的な人権とはいえない。その国の国民文化・国民経済の水準によって変わってくるものを求めるのだがら、その権利は、歴史的・社会的に相対的なものである。いわゆる人権には入らない。日本国の国民の権利としては、重要な基本的な権利である。

 第2項については、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むという、その主体について考えるべきだと思う。ここでも、人格という概念を補う必要があるというのが、私の考えである。
 人間は人格を持ち、人格の形成・成長・発展のために、「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されねばならない。単に生物として生存するのではなく、また物質的・経済的な条件が保障されるのでもなく、生物的・物質的・経済的な条件を基礎として、人格を持つ者として、精神的・心理的な充足感や向上・発展が得られるものでなければならない。

 愛知和男氏は、生存権の条項に、「心身に障害を持つ者、高齢者、妊産婦、母子家庭に対しては、国政の上で、特段の配慮を与えるものとする。」という一項目を加えることを提案している。よい提案だと思う。
 以下に私案を記す。

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●ほそかわ案

(生存権)
第四十三条 すべて国民は、人格を有する者として、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 政府は、各人の人格の尊重の上に立って、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
3 前2項に関連して、心身に障害を持つ者、高齢者、妊産婦、3歳までの子どもを持つ家庭、母子家庭に対しては、国政の上で、特段の配慮を与えるものとする。
――――――――――――――――――――――――――――――

 まず第3項から述べると、愛知氏の案に「3歳までの子どもを持つ家庭」を加えた。ことわざに「三つ子の魂百まで」というが、医学・心理学・脳科学等の学問や、保育・児童医療等の現場報告は、胎内期から乳幼児期における母子のかかわりが、いかに子どもの人格の形成に重要かを示している。少子化・劣子化の危機に対応できる憲法を考えるにあたり、私はその重要なポイントの一つとして、上記の案を提示したい。これは先に書いた家族条項と関連するものである。
 次に、第1項の健康についてのことだが、国民は、自らの健康の維持・増進に努めなけばならない。そのことを、憲法に規定すべきだと思う。
 なぜこんな当たり前のことをあえて言うのか。世界保健機構(WHO)は、「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」(1951年)と定義している。「健康」とは身体的にも精神的にも社会的にも調和のとれた状態にあることである。
 わが国は、健康保険制度が発達しているが、その弊害として、国民が安易に医療に頼る傾向に陥り、医療費の支出が国家財政を圧迫している。これは、個人としても、国家としても、健康な状態ではない。個人としても、国家としても健康な状態を追求しなければ、病人だらけの財政破綻国家になってしまう。

 憲法の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を真に意義あるものにするために、私は新たに健康条項を設けることを提案したい。

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●ほそかわ案

(健康を求める権利と責務)
第四十四条 国民は、自ら及び相互に、健康の維持・増進に努めなけばならない。
2 政府は、国民が精神的、身体的、社会的に健康な生活が出来るよう支援するものとする。
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憲法改正~教育の権利・義務

2005-11-24 09:43:12 | 憲法
 教育基本法には、法律には珍しく前文がついている。その前文に、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」とある。そして、教育の目的について、第一条に、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と定められている。
 すなわち、昭和憲法のもとにおける教育は、昭和憲法の精神に則って国民を育成することにあった。その憲法に欠陥があれば、教育の全体に欠陥を生じる。
 自民党の改正案は、昭和憲法の条文と同じ内容である。修正は、言葉遣いを現代風に直しただけである。

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●自民党案

(教育に関する権利及び義務)
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、無償とする。
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 果たして、昭和憲法の教育条項と同じままで、わが国の教育を立て直せるだろうか。
 昭和憲法は、占領下にGHQが秘密裏につくった草案が押し付けられたものだった。教育基本法もまた占領下に作られた。そのため、国民を育成するとしていながら、愛国心の涵養や伝統の尊重、家庭の尊重、公徳心の醸成等が、教育基本法には盛られていない。
 昭和憲法を踏襲する自民党案には、学級崩壊・学力低下・NEET増加等をもたらしている教育の危機に対し、真剣に取り組もうという気概が感じられない。
 私は、新しい憲法においては、日本の伝統・文化・国柄を表現し、愛国心の涵養や伝統の尊重、家庭の尊重、公徳心の醸成等を盛り込んで、そうした新憲法の精神に則った教育を行うことを明記したいと思う。まず教育の目標を憲法において明確にすることが必要だと思う。
 この点、中曽根康弘氏の案は、積極的である。

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●中曽根案

(教育の目標)
第二十九条 教育は、真理と正義を愛し、世界平和のための国際協力の理念並びにわが国の歴史と伝統を正しく尊重し、かつ、自主的で責任感をもつ創造的な国民を育成することを目標とする。
2 国は、学校教育が常に政治的中立を保つように努めなければならない。
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 1項は優れた内容だと思うし、2項もまた重要な提案だと思う。次に日本会議は、以下のような案を提示している。

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●日本会議案

 教育は、この憲法の前文に掲げられた理念を基本として行われるべきことともに、学校教育に関する国家の責任を明記する。
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 この指針の前半は、憲法にそのように明記すれば、教育基本法に前文がいらなくなると思う。また後半は、教育の目的と関係することであり、なぜ国家(政府)には国民に教育を行う責務があるのかを明記すべきと思う。これに続いて、教育に関する国民の権利と義務を定めるとよいと思う。
 私案を以下に記す。

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●ほそかわ案

(教育の目標)
第四十一条 教育は、この憲法の理念に則り、わが国の伝統と歴史を尊重し、真理と正義を愛し、世界の平和と地球環境の保守を志し、自主的で責任感をもつ創造的な国民を育成することを目標とする。
2 前項の目標に向けて、政府は、学校教育を行い、国民の子どもの人格を形成し、将来、国家及び社会を担う人材を育成する責務を負う。
3 政府は、学校教育が常に政治的中立を保つように努めなければならない。
4 政府は、家庭教育、学校教育及び社会教育が連携して、前1項の目標を実現できるように努めなければならない。

(教育に関する権利及び義務)
第四十二条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子に教育を受けさせる義務を負う。公的機関による義務教育は、法律の定めるところにより、これを無償とする。
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 2項について、昭和憲法では「普通教育」と「義務教育」が用いられていたが、どちらかに統一すべきと思う。そこで、一般に定着している「義務教育」を採った。

憲法改正~家族の2

2005-11-23 09:57:08 | 憲法
 憲法に規定すべきは、婚姻に関する条項よりも、家族に関する条項である。自民党の案には、家族条項がない。これは大きな欠陥である。この点、日本会議、中曽根康弘氏、愛知和男氏は、家族に関する規定を提案している、その内容は以下の通りである。

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●日本会議案
 婚姻における個人の尊重及び両性の平等とともに、国は国家・社会の存立の基盤である家族を尊重、保護、育成すべきことを明記する。

●中曽根案

(家族生活の保護)
第二十六条 国は、家族生活が社会の倫理的発展の健全な基礎となるように、これを保護する義務を負う。

●愛知案

第三十一条【家庭の運営・婚姻における責任、国の家庭尊重保護の責務】
①家庭は、社会を構成する最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。
②婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利と責任を有することを基本として、相互の協力により維持するものとする。
③国は、家庭を尊重し、及びこれを保護するものとする。
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 これらの案は、それぞれ立派なものと思う。私は、より積極的に、家庭の保護、子孫の育成を規定すべきと思う。憲法は、国の基本法であり、国民共同体の維持・繁栄のためのものである。国民共同体の自然的な基礎は、家庭である。家庭が健全に維持・繁栄していてこそ、国民共同体が維持・繁栄される。 少子化、劣子化、非婚化、離婚の増大、孤独な老人の増加、ジェンダーフリー思想、過激な性教育等は、家族と国民共同体の維持に、深刻な危機をもたらしている。家族の保護は、対外的な安全保障に匹敵するほど、重要な国家的課題である。これに対する真剣な取り組みなくして、わが国の将来はない。

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●ほそかわ案

(家庭の運営と保護)
第三十九条 家庭は、社会を構成する自然かつ最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。
2 親は、子に対する扶養および教育の義務を負う。子は親に対する孝養に努めるものとする。
3 政府は、家庭を尊重し、家族・母性・子供を保護するものとする。

(婚姻に関する基本原則)
第四十条 男女は互いの長所を認め合い、互いの短所を補い合って、社会の維持及び発展を担う。健常な成年国民は、家族を形成し、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努めるものとする。
2 政府は、次代を担う国民の育成のために、男女の結婚を奨励し、夫婦の子育てを支援する責務を負う。
3 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の信頼と協力により、維持されなければならない。
4 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、人格の尊厳、両性の権利の平等、家庭の保護に立脚して、制定されなければならない。
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憲法改正~家族の1

2005-11-22 10:17:53 | 憲法
 私は、新憲法の制定において、家族の問題は、第9条の問題に匹敵するくらい重大な課題だと考えている。対外的な安全保障と、対内的な家族の保護は、どちらを欠いてもならない。

 昭和憲法には、第二十四条に婚姻に関する規定がある。第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」、第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。

 自民党の改正案は、昭和憲法第二十四条を一字一句、変えようとしない。わが国の現状は、家族が安定し、幸福な家庭に満ちているのだろうか。否。その反対である。家族の崩壊が進み、それが少子化と高齢化と重なり合って、重大な社会問題を生み出している。これに対し、有効な手立てを講じるには、憲法に家族条項を設け、日本の家族を立て直すことが必須であると私は考える。

 そもそも昭和憲法のように、憲法に婚姻に関する規定が設けられていることは、世界的に見て異例であった。男女が性的に結びつくことには、法律はいらない。その限りでは、結婚は私的な事柄であり、国家(政府)が介入すべきことではない。
 結婚が法律上定められるとすれば、それは結婚が単なる男女の結びつきではなく、家族という一つの社会を形成する公共的な行為だからである。そのために婚姻の安定性を求める法律も定められるのである。恋愛・性交をするのは両性の自由だが、婚姻は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的である。それゆえ、憲法に必要なのは、婚姻よりも家族に関する規定なのである。

 先進国の中ではイタリア憲法やドイツ基本法などには家族に関する規定がある。それらの国法の規定は、婚姻ではなく、家族を中心とした規定となっている。そして、家族の権利、子供の教育の義務と権利、国家による家族・母性・子供の保護などが規定された例が見られる。そこには、家族は特別な社会であるから、特に保護されなければならないという考えが示されている。

 家族は、生命・種族の維持・繁栄のための基本単位となる社会であるとともに、文化の継承と創造の基礎となる社会である。単なる生物的経済的共同体ではなく、文化の継承の主体、文化の創造の主体として、家族を考えなければならない。それゆえ、家族は生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのである。また、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育し文化を継承発展させていく義務を担う。
 しかし、日本国憲法の規定には家族という概念はなく、婚姻が両性の努力で維持されるべきことしか規定されていない。私は、両性の権利の平等を強調しながら、家族の大切さを規定していない第条には、大きな欠陥があると思う。その条文は、利己的個人主義的な結婚観を、日本人に植え付け、愛と調和の家族倫理を失わせ、社会の基礎を破壊するものとなってきたと思う。
 特に、今日、家庭道徳の低下と離婚率の上昇など、日本の家族は崩壊の危機にあるので、女性・子供・高齢者を守るためにも、憲法において家族の概念を明確化することが必要だと思う。日本人は、アメリカやスエーデンなどの極度の個人主義が招いた家庭崩壊の愚を後追いすべきではない。

 また、昭和憲法の条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である親子への言及がない。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視しているものである。婚姻が、その夫婦、その世代限りのものと考えるならば、先祖から子孫への縦のつながりは断ち切られ、民族の歴史が断ち切られる。

 親が子どもを生み、その子に知恵や財産を継承するのは、私的な行為である。しかし、それは単に私的な行為ではなく、同時に、大人が次の世代を生み育て、生命と文化を継承するという社会性をもった行為でもある。それゆえ、家族は国民の生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのである。

 新しい憲法には、各世代には世代としての責任があり、健常な大人の男女は、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努める義務があると明記すべきであろう。
 子供の教育に関しても、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育する義務を負う。それは、自分の子供を通じて、次世代に文化を継承発展させていくという公的な義務なのである。家族というものを通じて、国民は、生命と文化の継承という公的義務を負うのである。
 また、国民は、自分の親の養護に努力すべきことも、憲法に定めるべきだろう。自分の子どもには、親として教育を与える義務があるということは、他の大人に託すのではないということである。これと同様に、自分の親に対しても、子として擁護に努力すべきだろう。それは、他の大人にたくすのではないということである。子どもの教育においても、親の養護においても、まず自助努力を促し、それで足りないところを学校や、福祉施設が補う。これが、人格的な人間関係を根本においた社会の基本的なあり方である。

 特に、今日、家庭道徳の低下と離婚率の上昇など、日本の家族は崩壊の危機にあるので、女性・子供・高齢者を守るためにも、憲法において家族の概念を明確化することが必要であると私は考える。条文の内容は、次回検討したい。