●フロイトは唯物論に基づいて無意識を研究
マルクスに次いで、19世紀末から20世紀にかけて欧米を中心に大きな影響を与えたユダヤ人に、ジークムント・フロイトがいる。
フロイトは精神分析学者・精神科医であり、1856年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に生まれた。家系は白人系ユダヤ教徒のアシュケナジムだった。
フロイトは、精神病者の治療を行う中で、人間の心には、意識だけでなく、容易に意識化し得ない無意識の領域があることを発見した。そして、人間の諸行動を規定する真の動機は無意識である場合が多いと考えた。無意識の存在は、ただ推論されるか、本人自らの抵抗を克服してはじめて意識化されるものであり、日常では失錯行為と夢とにその片鱗をのぞかせるにすぎない。フロイトは、ヒステリーや神経症の治療において、性欲の抑圧が病気の重要な原因となっていると考えた。そして、人間の心理的行動を、自己保存本能と性本能をもとに説明し、独自の理論を展開し、人間の意識と無意識の解明を試みた。
フロイトは、1939年にロンドンで亡くなった。後半生におけるフロイトの考察は、精神分析の分野を超え、社会・文化・宗教等にまで及んだ。その理論と洞察は、19世紀末から20世紀初頭の欧米の人々に強い衝撃を与えた。近代西洋文明を根底的に問う点において、フロイトはしばしばマルクス、ニーチェと並べ評される。
フロイトの人間観は、唯物論的だった。フロイトは、精神分析において、ニュートン物理学をモデルとした。フロイトは唯物論者であると自称し、人体を物体として扱う外科医のように、患者に接することを理想とした。19世紀の機械論的唯物論に基づき、エネルギー保存の法則を生物学の分野にもあてはめ、精神現象にも当てはめた。そして、性本能の基底となるエネルギーをリビドーと名づけた。
フロイトは精神障害の根幹にリビドーの流れの異常があることを発見した。彼は、リビドーは対象と自我との間を往来すると考え、そのエネルギーの移動と増減によって、すべての精神現象を説明しようとした。リビドーの発達を妨げる障害物は、さまざまな葛藤を生む。その障害物を取り除いて、性エネルギーを解放すれば、病気は治ると考えた。
フロイトは、乳幼児にも性欲があるという汎性欲論を唱えた。彼は乳幼児期の性欲活動のことを幼児性欲と呼んだ。幼児性欲は、生物学的な源泉に発する性欲動、つまりリビドーに由来し、口唇愛、肛門愛、男根愛の段階に分かれる。幼児性欲はしだいに発達して、自分以外の対象をも性欲の対象とするようになる。主な対象は、前エディプス期では、男女いずれにとっても母親であり、エディプス期に入ると、異性の親が対象となり、エディプス・コンプレックスが起こると考えた。
エディプス・コンプレックスは、フロイトの精神分析論の核心である。社会・文化・宗教・芸術等がすべてこれを巡って論じられる。幼児は、男根愛の段階(男根期)に入ると性の区別に目覚め、異性の親に性的な関心を抱くようになる。とくに男の子は、母に対して性欲の兆しを感じ、父を恋敵とみなして父を嫉妬し、父の不在や死を願うようになる。反面、彼は父を愛してもいるために、自分の抱いている敵意を苦痛に感じ、またその敵意のせいで父によって処罰されるのではないかという去勢不安を抱くに至る。このような異性の親に対する愛着、同性の親への敵意、罰せられる不安の三点を中心として発展する観念複合体を、フロイトはエディプス・コンプレックスと名づけた。エディプスは、知らずに父を殺し、母と結婚していたというギリシャ悲劇の主人公の名である。
1910年代にフロイトは、無意識の心理学の体系をほぼ完成した。この段階では、人間の心を「意識」「前意識」「無意識」という三層に区分した。前意識とは、容易に思い出して意識化できる内容である。無意識は、通常に意識化できない内容である。この場合、無意識内容の意識化を妨げているのが、抑圧の作用である。
フロイトは、無意識を生物学的・衝動的なものととらえ、意識によって洞察され、打ち克たれるべきものと考えた。意識としての自我とは理性であり、フロイトは、理性的な自我を中心とし、意識が無意識を支配すべきものとした。この点で、フロイトの思想は、近代西欧の理性的自我に基づく、啓蒙主義的合理主義の立場に立っている。
フロイトは、1923年に『自我とエス』を著し、それまでの意識、前意識、無意識の局所論に加えて、人間の心が「エス(イド)」「自我」「超自我」という三つの心的な組織から成るという構造論を提示した。それまでは、「抑圧するもの=意識=自我」、「抑圧されるもの=無意識=欲動的なもの」と考えていたが、自我の働きの多くはそれ自体、無意識であるという認識に変わったためである。
フロイトの心の構造論において、エスは、生まれたばかりの新生児のような、未組織の心の状態である。その時、その時の衝動で動く本能のるつぼである。このエスが外界と接触する部分は、特別な発達を示し、エスと外界とを媒介する部分となる。これが自我と名づけられる。自我は、母体であるエスとは正反対の性質を備えるにいたる。すなわち、合理的・組織的で、時空間を認識し、現実を踏まえた動きをする。
この自我の一部として形成されるのが、超自我である。子どもはエディプス期に入ると、父親の存在に対しての葛藤を経験する。この時期を通じて、両親像が心の中に摂取されて内在化して、超自我が形成される。超自我は、両親を通じて内面化された社会的な道徳や規範の意識に相当する。エスは本能、自我は理性、超自我は良心にあたると言えよう。この心の三層構造においては、快楽原則に支配されているのが、無意識的なエスであり、現実原則に従うのが、意識的な自我である。フロイトは、現実原則に従う理性的な自我意識が、快楽原則に支配される本能的・衝動的な無意識を制御すべきものとした。そしてフロイトは、人間の発達上、現実原則の支配を重要視し、現実原理の確立こそ成人の健康人の条件であるとした。
フロイトは、この理論を、人類の文化にあてはめ、自然人としての人間の社会化・文明化の過程を、快楽原則の支配から現実原則の支配への移行としてとらえた。フロイトは、理性的な自我を中心として、意識が無意識を支配すべきものとする。合理化を担う心の機能は自我であり、合理的な自我意識が非合理的な無意識を支配していくのが、合理化の過程といえよう。それゆえ、フロイトの考えは、近代西欧の合理主義の枠内にある考え方である。フロイトは性本能を理性や道徳で自制し、昇華つまり社会的に価値ある行動に変化させることによって、文化が発展すると説いた。
次回に続く。
マルクスに次いで、19世紀末から20世紀にかけて欧米を中心に大きな影響を与えたユダヤ人に、ジークムント・フロイトがいる。
フロイトは精神分析学者・精神科医であり、1856年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に生まれた。家系は白人系ユダヤ教徒のアシュケナジムだった。
フロイトは、精神病者の治療を行う中で、人間の心には、意識だけでなく、容易に意識化し得ない無意識の領域があることを発見した。そして、人間の諸行動を規定する真の動機は無意識である場合が多いと考えた。無意識の存在は、ただ推論されるか、本人自らの抵抗を克服してはじめて意識化されるものであり、日常では失錯行為と夢とにその片鱗をのぞかせるにすぎない。フロイトは、ヒステリーや神経症の治療において、性欲の抑圧が病気の重要な原因となっていると考えた。そして、人間の心理的行動を、自己保存本能と性本能をもとに説明し、独自の理論を展開し、人間の意識と無意識の解明を試みた。
フロイトは、1939年にロンドンで亡くなった。後半生におけるフロイトの考察は、精神分析の分野を超え、社会・文化・宗教等にまで及んだ。その理論と洞察は、19世紀末から20世紀初頭の欧米の人々に強い衝撃を与えた。近代西洋文明を根底的に問う点において、フロイトはしばしばマルクス、ニーチェと並べ評される。
フロイトの人間観は、唯物論的だった。フロイトは、精神分析において、ニュートン物理学をモデルとした。フロイトは唯物論者であると自称し、人体を物体として扱う外科医のように、患者に接することを理想とした。19世紀の機械論的唯物論に基づき、エネルギー保存の法則を生物学の分野にもあてはめ、精神現象にも当てはめた。そして、性本能の基底となるエネルギーをリビドーと名づけた。
フロイトは精神障害の根幹にリビドーの流れの異常があることを発見した。彼は、リビドーは対象と自我との間を往来すると考え、そのエネルギーの移動と増減によって、すべての精神現象を説明しようとした。リビドーの発達を妨げる障害物は、さまざまな葛藤を生む。その障害物を取り除いて、性エネルギーを解放すれば、病気は治ると考えた。
フロイトは、乳幼児にも性欲があるという汎性欲論を唱えた。彼は乳幼児期の性欲活動のことを幼児性欲と呼んだ。幼児性欲は、生物学的な源泉に発する性欲動、つまりリビドーに由来し、口唇愛、肛門愛、男根愛の段階に分かれる。幼児性欲はしだいに発達して、自分以外の対象をも性欲の対象とするようになる。主な対象は、前エディプス期では、男女いずれにとっても母親であり、エディプス期に入ると、異性の親が対象となり、エディプス・コンプレックスが起こると考えた。
エディプス・コンプレックスは、フロイトの精神分析論の核心である。社会・文化・宗教・芸術等がすべてこれを巡って論じられる。幼児は、男根愛の段階(男根期)に入ると性の区別に目覚め、異性の親に性的な関心を抱くようになる。とくに男の子は、母に対して性欲の兆しを感じ、父を恋敵とみなして父を嫉妬し、父の不在や死を願うようになる。反面、彼は父を愛してもいるために、自分の抱いている敵意を苦痛に感じ、またその敵意のせいで父によって処罰されるのではないかという去勢不安を抱くに至る。このような異性の親に対する愛着、同性の親への敵意、罰せられる不安の三点を中心として発展する観念複合体を、フロイトはエディプス・コンプレックスと名づけた。エディプスは、知らずに父を殺し、母と結婚していたというギリシャ悲劇の主人公の名である。
1910年代にフロイトは、無意識の心理学の体系をほぼ完成した。この段階では、人間の心を「意識」「前意識」「無意識」という三層に区分した。前意識とは、容易に思い出して意識化できる内容である。無意識は、通常に意識化できない内容である。この場合、無意識内容の意識化を妨げているのが、抑圧の作用である。
フロイトは、無意識を生物学的・衝動的なものととらえ、意識によって洞察され、打ち克たれるべきものと考えた。意識としての自我とは理性であり、フロイトは、理性的な自我を中心とし、意識が無意識を支配すべきものとした。この点で、フロイトの思想は、近代西欧の理性的自我に基づく、啓蒙主義的合理主義の立場に立っている。
フロイトは、1923年に『自我とエス』を著し、それまでの意識、前意識、無意識の局所論に加えて、人間の心が「エス(イド)」「自我」「超自我」という三つの心的な組織から成るという構造論を提示した。それまでは、「抑圧するもの=意識=自我」、「抑圧されるもの=無意識=欲動的なもの」と考えていたが、自我の働きの多くはそれ自体、無意識であるという認識に変わったためである。
フロイトの心の構造論において、エスは、生まれたばかりの新生児のような、未組織の心の状態である。その時、その時の衝動で動く本能のるつぼである。このエスが外界と接触する部分は、特別な発達を示し、エスと外界とを媒介する部分となる。これが自我と名づけられる。自我は、母体であるエスとは正反対の性質を備えるにいたる。すなわち、合理的・組織的で、時空間を認識し、現実を踏まえた動きをする。
この自我の一部として形成されるのが、超自我である。子どもはエディプス期に入ると、父親の存在に対しての葛藤を経験する。この時期を通じて、両親像が心の中に摂取されて内在化して、超自我が形成される。超自我は、両親を通じて内面化された社会的な道徳や規範の意識に相当する。エスは本能、自我は理性、超自我は良心にあたると言えよう。この心の三層構造においては、快楽原則に支配されているのが、無意識的なエスであり、現実原則に従うのが、意識的な自我である。フロイトは、現実原則に従う理性的な自我意識が、快楽原則に支配される本能的・衝動的な無意識を制御すべきものとした。そしてフロイトは、人間の発達上、現実原則の支配を重要視し、現実原理の確立こそ成人の健康人の条件であるとした。
フロイトは、この理論を、人類の文化にあてはめ、自然人としての人間の社会化・文明化の過程を、快楽原則の支配から現実原則の支配への移行としてとらえた。フロイトは、理性的な自我を中心として、意識が無意識を支配すべきものとする。合理化を担う心の機能は自我であり、合理的な自我意識が非合理的な無意識を支配していくのが、合理化の過程といえよう。それゆえ、フロイトの考えは、近代西欧の合理主義の枠内にある考え方である。フロイトは性本能を理性や道徳で自制し、昇華つまり社会的に価値ある行動に変化させることによって、文化が発展すると説いた。
次回に続く。