ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

「ドキュメント 2020年武漢ウイルス・パンデミック」をアップ

2020-05-29 15:11:16 | 時事
 武漢ウイルス問題について、私がSNSに書いてきたものをまとめ、「ドキュメント 2020年武漢ウイルス・パンデミック」と題して、マイサイトに掲載しました。既にドキュメント1・2を掲示していましたが、このたび「ドキュメント3 2020.4.14~2020.5.25 死亡者が少ない『日本の奇跡』」を加えて一本化しました。
 ドキュメント3のみ読む方は、目次からジャンプして下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-6.htm

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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仏教8~縁起、四法印、ダルマ編集

2020-05-29 10:08:58 | 心と宗教
●縁起

 釈迦は、すべての事物は五蘊が仮に集まって出来上がっているにすぎないと説くが、これは事物のあり方に関する教えである。これに対し、事物の生じ方に関する教えが、縁起説である。
 縁起とは、サンスクリット語のプラティートゥヤ・サムウトパーダを意訳した漢語で、因縁生起(いんねんしょうき)の略である。英語では、しばしばinterdependence(相互依存性)と訳される。
 縁起説とは、すべてのものは、何らかの原因と条件によって生じるという縁起の理法を説き明かすものである。縁起説では、直接的原因を「因」、間接的条件を「縁」という。間接的条件は幅広く、環境を含む。これらの因と縁を合わせて、因縁と呼ぶ。因縁生起説を略して縁起説という。
 古代インドでは、ヴェーダの宗教が世界は「一なるもの」から発生したとする説や神が世界を造ったという説を教えていた。釈迦の縁起説は、これらを否定する理論である。ヴェーダの宗教では、ある行為に相応の結果が生じるのは神の意志によると説いたが、これを否定し、行為の結果は因縁果の法則によるとするものである。
 仏教は、人間の苦しみの原因を突き止め、その原因や条件を消滅することによって、解脱に至ることができると説く。苦しみからの解放のために、苦の原因・条件すなわち因縁をさかのぼって根本原因を明らかにする理論が、十二縁起説である。十二因縁説ともいう。
 十二の項目は、無明(むみょう)、行、識、名色(みょうしき)、六処、触(そく)、受、愛、取、有、生(しょう)、老死である。これらのうち、名色は名称と形態、六処は眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の感覚器官、愛は渇愛、取は執着、有は生存を意味する。ここで苦の根本原因とされるのが、無明である。無明は、真理に暗いことであり、無知である。これこそ、一切の煩悩の根源とされる。
 縁起説における因果関係は、基本的に「AがあればBがある」「Aが生ずるからBが生ずる」「AがなければBはない」「Aが滅するからBが滅する」という形式になる。また、因果関係には、二つの相反する方向がある。迷いの生ずる方向の因果と、悟りに至る方向の因果である。十二縁起説は、このような因果関係を、苦の原因があるから苦が生じるという分析によって具体的に説く。また、結果から原因を推量するのではなく、原因から結果へと展開する説き方になっている。
 仏教の歴史では、様々な縁起説が説かれた。我の否定の項目に書いた釈迦の無我説をどのようにとらえるかによって、因縁生起についての思考も変わってくる。そのため、業感縁起・頼耶縁起・如来蔵縁起・法界縁起等の諸説が現れることになった。詳しくは、歴史の項目に書く。

●四法印

 五蘊の理論と縁起説を合わせてとらえると、すべてのものは何らかの原因・条件によって生じており、そのもとになっている原因・条件が尽きた時に滅びるという仏教の考え方が明確になる。
 あらゆるものは相関的であり、変化して止まず、恒常不変の本質を持たない。他に拠ることなくそれ自体で存在するもの、無条件に成立しているもの、永遠に存続するものは、存在しない。釈迦は、これを真理とし、その真理を悟って煩悩を絶つことによって、涅槃に入ることができると説いた。
 こうした教えは、やがて三法印として整理された。法印の「印」は、「しるし」「標識」を意味し、法印は、仏教の根本的な教義を特徴づける教えをいう。
 三法印は、次の通りである。

 諸行無常: あらゆるものは変化し、恒常的なものは存在しない。
 諸法無我: あらゆるものは因縁によって生じ、不変の実体である我は存在しない。
 涅槃寂静: 迷いを払拭した悟りは、静かな安寧をもたらす。

 これらの三法印に、すべてのものは思い通りにならないことを意味する「一切皆苦」を加えて、四法印ともいう。
 四法印と四諦を比較すると、諸行無常と諸法無我は四諦にはなかったものである。これらは、四諦になかった考察を加えたものと言えよう。一切皆苦は苦諦に当たり、涅槃寂静は四諦の真理を学んで目指すべき目標である。
 ヴェーダの宗教は、有神教的・一元論的・実体論的だが、四法印は、仏教がそれとは根本的に異なる教えであることを明確に示している。

●ダルマ(法)

 四法印の「法」は、ダルマの漢訳である。ダルマは、インド文明の思想における中心的な言葉であり、また極めて多義的である。仏教では、ダルマすなわち法の語は、主に釈迦の教え、また、その教えの内容である真理を意味する。
 ダルマには一般に、ものの本質・特性という意味もあることから、部派仏教では、森羅万象を形成する事物の構成要素の意味でも使われる。また、四法印の一つ、諸法無我における法は、事物あるいは存在者を意味する。
 ここで注意したいのは、五蘊の理論と十二縁起説は、ともに人間の認識能力や心理作用に関するものであり、認識論的であり、また心理学的であるのに対し、四法印は人間だけでなく自然を含むすべての事物に関する教義となっていることである。すなわち、存在論的側面や自然学的側面を含む総合的な真理として定式化されている。

●対機説法

 釈迦は、相手に応じて、法すなわち教えの説き方を変えた。その説法の仕方を、対機説法という。機とは機根すなわち能力・素質を意味する。その説法の仕方を、病に応じて薬を与えることにたとえて、応病与薬ともいう。
 後代の仏教では、「人(にん)を見て法を説け」という。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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コロナ禍で日本の死亡率が低いのはなぜか3

2020-05-28 10:38:30 | 時事
●スペイン風邪と季節性インフルエンザとの比較

 武漢ウイルス問題の「100分の1の謎」について、スペイン風邪や季節性インフルエンザとの比較を行いたい。以下、ドの付く素人の考察である。
 スペイン風邪は、わが国では風邪という名称がついているが、実態は風邪ではなく、インフルエンザである。スペイン風邪は、歴史上でも最も致命的な伝染病だった。その流行当時、世界人口は18億人から20億人と推定されている。世界全体の推定感染者数は、WHOによると世界人口の25~30%。世界人口の3分の1、または約5億人ともされる。
 国立感染症研究所のサイトは、「世界人口の 3分の1の約5億人が感染して、死亡者数は全世界で4,000万人から5,000万人」と記している。この推計によれば、致死率は8~10%。近年のアメリカの研究では、死亡者は1億人という説もある。この場合、感染者数を同じ5億人とすれば、致死率は20%となる。主に若い世代が亡くなった。私の先祖にも、幼児期にスペイン風邪で亡くなったと伝え聞く人たちがいる。
 スペイン風邪が流行した1918年は、第1次世界大戦の末期だった。スペイン風邪によって戦闘不能者が続出したことが戦争終結を早めた要因の一つだったとされている。この大戦の戦死者がおよそ900万人だったのに比べ、スペイン風邪の死亡者はその4.4倍~5.5倍。1億人死亡説なら、戦死者の10倍以上にもなる。
 このすさまじいパンデミックの中で、日本は「致死率がとても低い国」に含まれている。日本では1918年から21年にかけて大流行し、当時の人口約5500万人のうち、2380万4673人が感染。38万8727人が死亡したとされる(内務省衛生局編『流行性感冒』)。世界人口の約3分の1が感染したのに比べ、日本では人口の約43%が感染したというのだから、感染率は世界平均より10ポイントくらい高かったわけである。だが、致死率はわずか1.63%。世界全体では8~20%だから、日本の致死率は非常に低かった。この理由は何か。
 新型コロナウイルスについては、BCG仮説が出されているが、日本でBCGの接種が始まったのは昭和19年(1944年)。スペイン風邪の時代にはまだ行われていないから、これは無関係である。
 感染率は世界平均より高かったのに、致死率は非常に低かったということは、重症化しないケースが多かったと考えられる。当時のことゆえ、特効薬があるわけではない。風邪に罹った者に与える食物も限られており、日本特有の食物が回復を助けたとも考えにくい。当時の日本人は、免疫能力が高かったのだろう。医療は今ほど発達しておらず、食事は粗末で栄養摂取はよくない。だが、昔の日本人は丈夫だった。生命力が強かった。ここに、現代人が目を向けるべき点があるのではないか。
 衛生意識については、当時も今も日本人は衛生意識が高い。穢れを忌み嫌い、清潔を心がける。だが、スペイン風邪の場合、国民の4割以上が感染したのだから、衛生意識の高さや衛生的な生活習慣で、感染を防ぐことはできていない。
 現在の日本人は、季節性インフルエンザの致死率を見ると、世界平均と大差ない。WHOの統計データでは、季節性インフルエンザの世界全体における致死率は、約0.06%。厚生労働省の統計データによると、日本国内における季節性インフルエンザの致死率は、インフルエンザを直接の死因とする死亡者数では約0.02%、インフルエンザの流行によって生じたと考えられる超過死亡の死亡者を加えて推計すると、0.05%程度と推計される。この数字は、世界平均とほとんど変わらない。
 日本人は衛生意識が高いが、それによって季節性インフルエンザによる死亡者を少なく抑えられているとは言えない。このことは、このたびの中国武漢発の新型コロナウイルスについても同様に言えるだろう。
 先に、私は、BCGの効果の方が衛生意識の高さよりも「100分の1の謎」の理由の候補として有力だと思うと書いた。スペイン風邪と季節性インフルエンザとの比較考察を加えても、同様に思う。
 さて、5月23日の報道によると、新型コロナウイルスによる日本の死者が欧米より低く抑えられている背景を、遺伝子レベルで解明する試みが国内で始まった。慶応大、東京医科歯科大、大阪大、北里大、京都大を中心に8つの研究機関と医療機関約40施設が共同で研究プロジェクトを発足したとのことである。感染症や遺伝、免疫などの専門家が参画している。日本人患者の遺伝子解析から重症化要因を突き止めることを目指し、治療やワクチン開発への応用も視野に入れるものである。
 研究統括を務める慶応大医学部の金井隆典教授(消化器学)は「重症化には、HLA(ヒト白血球抗原)やサイトカイン(情報伝達物質)関連の遺伝子が関わっている可能性がある。その疾患感受性遺伝子が分かれば、発症時すぐに患者が重症化しやすいか、軽症ですみそうかを判断できるだろう」と指摘する。遺伝子レベルの要因解析は欧米でも行われており、国際的な共同研究も見据えている。金井教授は「最終的に診断時に患者の予後の予測に役立ち、第2、第3の流行の波が来たとき、医療崩壊を防ぐことにもつなげられるかもしれない」と期待を語っている。
 ぜひ専門家に、武漢ウイルス問題における「100分の1の謎」を解き、それを今後の対応に生かしていただきたいものである。(了)

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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コロナ禍で日本の死亡率が低いのはなぜか2

2020-05-26 10:17:29 | 時事
●BCGが低い死亡率に関係か

 BCGは結核の予防接種で、わが国では、昭和19年(1944年)からツベルクリン反応で陰性の人が接種の対象となり、24年(1949年)にBCGによる結核予防接種が法制化された。私も小学生の時、BCGの接種を受け、腕にその痕が残っている。
 雑誌「AERA」は、2020年5月18日号に「BCG有無でコロナ死亡率『1800倍差』の衝撃 日本や台湾で死者少ない『非常に強い相関』」という記事を載せている。
 その記事によると、米ニューヨーク工科大学の研究者らが本年3月末、「BCGワクチンが新型コロナに対する防御を与えているのかもしれない」と結論づけた論文を発表した。各国の新型コロナの感染者数や死者数の人口比と、BCGワクチンの接種状況を調べたところ、感染率や死亡率は、接種していないイタリアやベルギー、米国などで接種している国々よりも統計学的に有意に高かったと報告した。
この論文について、大阪大学免疫学フロンティア研究センター招聘教授の宮坂昌之氏は、「現段階ではあくまで相関関係が見られるとしか言えませんが、だとしても非常に強い相関があるということになります」との見解を示している。宮坂氏は、新型コロナの感染率や致死率とBCGワクチン接種の関連を継続的にフォローしており、「人口100万人あたりの死者数でみれば、よりクリアに相関が浮かびます」と説明している。
 宮坂氏によると、人口100万人あたりの死者数は、集団接種を行ったことがない米国が227人、イタリアが490人。過去に広く接種していたものの現在はしていないフランスは396人、スペインは553人。一方、BCGを広く接種している中国は3.2人、韓国が5.0人、日本は4.4人。台湾に至っては0.3人にとどまる(いずれも5月7日現在)。この傾向は検査数が増えるにつれ、より明らかになってきたとのことである。記事は、「台湾とスペインでは1800倍超の差がある計算だ」と強調している。ちなみに日本とスペインでは126倍、同じくイタリアでは111倍、フランスでは90倍の差があることになる。
 ただし、集団接種を行っている国の中でも、100万人あたりの感染者数や死者数には開きがあり、その背景として宮坂氏はBCGワクチンの「株」の種類に注目している。
 BCGは、1921年に仏パスツール研究所で開発された後、生きた菌が各国に「株分け」された。最も初期に分けられたのが日本株とソ連株で、日本株は台湾やイラクなど、ソ連株は中国などに分配され、その10年後くらいにデンマーク株が欧州各国などに分配された。宮坂氏は、株の違いによって死亡率の違いが生じていると指摘している。日本株とソ連株は、生きたままワクチンに含まれる生菌数が他の株より多く、それが死亡率の違いの一つの可能性とのことである。もう一つは、突然変異による可能性である。細菌も人間の遺伝子と同じく、培養期間が増えれば増えるほど突然変異が起きやすくなり、宮坂氏によると、遺伝子変異によってそれぞれの株に含まれる細胞膜の成分に差異が生じているとのことである。
 まとめとして、BCGには、新型コロナに対する防御を与えている可能性がある、特に日本株のBCGは生菌数が多く、突然変異による細胞膜の成分の変化も加わって、防御効果が高いと考えられる、それが「100分の1の謎」の理由かもしれないーーということになるだろう。
https://dot.asahi.com/aera/2020051300016.html?page=1

 「100分の1の謎」の他の理由として、日本人の衛生意識の高さも挙げられる。しかし、BCGを広く接種しており、人口100万人あたりの死者数が一けた台の国々の中には、中国・韓国のように日本より衛生意識の低い国があります。また、台湾の0.3人と日本の4.4人の差が衛生意識の違いによるとは考えられない。それゆえ、私は、BCGの効果の方が衛生意識の高さよりも「100分の1の謎」の理由の候補として有力だと思う。

 次回に続く。

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緊急事態宣言が全面解除

2020-05-26 10:11:45 | 時事
 4月7日に発令されたわが国の緊急事態宣言は、5月25日を以って全都道府県で解除されました。皆様、外出自粛、業務縮小、営業休止等、お疲れさまでした。先の見えない中での、国民を挙げての取り組みでしたが、7週間ほどで宣言解除に至ることが出来たのは、お互いの協力の賜物と思います。また日本人として世界に誇ることの出来ることだと思います。有難うございました。とりわけ「新型コロナウイルスの脅威が一日も早く終息しますように」と祈念されてきた方々には、厚く御礼申し上げます。
 これから各地域で段階的に様々な社会経済活動の回復が進められていきますが、決して油断はできません。変異を通じて強毒化する新型コロナウイルスによって、感染の第2波が生じたり、第1波以上の健康被害が起こらないとは限りません。引き続き、互いに健康と衛生に留意し、感染の予防に努めてまいりましょう。
 海外に住む同胞の方々の多くは、居住国の施策のもとで困難な生活が続いていると思いますが、感染の世界的な収束を願って、共に頑張ってまいりましょう。

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仏教7~無記、我の否定、五蘊

2020-05-25 13:05:29 | 心と宗教
●無記

 釈迦は、ある修行者から、世界が永遠か否か、世界は無限か有限か、修行を完成した者は死後存在するのかしないか等の問いを向けられると、それに答えなかった。この態度を無記という。釈迦は、その修行者を「毒矢のたとえ」を以って諭したという。
 釈迦は大意次のように述べたとされる。毒矢で射抜かれた者がいるとして、その者が、射た者は誰か、どういう人間か、弓はどういう弓か、弦は何で出来ているか、矢羽は何の鳥の羽か等と考えていたら、その者はその答えを得る前に死んでしまう。それらがどうであろうと、生、老、死、悲しみ、嘆き、苦しみ、憂い、悩みはあるのだから、毒矢の手当てをすることを自分は教えるのだ。先の問いは、修行の目的にかなわない。修行のための基礎にもならず役に立たないから、自分は説かない。逆に四諦は、目的にかない、修行のための基礎になり、役に立つから、自分は説くのだ、と。
 こうした釈迦の教えは、修行の目的に沿わない形而上学的な議論を戒めるものと理解される。ただ、解脱を目指し、それに役立たないことは考えないという実践的な姿勢に徹している。

●我の否定

 ヴェーダの宗教において、ウパニシャッドは、ものの固有の本質や永遠不変の実在を探究する思考を行った。これに対し、仏教は、すべてのものは他との関係において存在するとし、また事物を変化し続けるものととらえた。実体ではなく関係、恒常ではなく変化において、事物をとらえるところに、仏教の教義の特徴がある。この見方が自己に対して向けられる時には、アートマン(我)の否定となる。
 ウパニシャッドは、アートマンを個人の本体であり、自己の精神原理とする。また、これをブラフマンと同一とするが、釈迦は、そのようなアートマンの存在を否定した。この主張は、しばしば無我説と呼ばれる。
 私見によれば、この主張は我というものは無いと、その存在を全く否定するという単純な意味ではない。全面的な否定であれば、迷いの主体も、悟りを得る主体も、存在しない。死後、輪廻転生する魂も存在しないことになるし、輪廻転生の世界からの解脱を目指す意味もなくなる。釈迦は、輪廻転生を前提とし、その輪からの離脱を説いているのだから、彼の無我説は、自己を現象としては認めるが、それが常住不変のものではないとして、それへの執着を絶たせるための教えと私は理解する。
 ヴェーダの宗教は、ブラフマン(梵)とアートマン(我)の同一性を説き、梵我一如を目標とする。この場合、梵と一体になった我は、宇宙とともに活動を続ける。それに対し、仏教は梵という神格化された原理を認めず、我の完全な活動停止である涅槃を目標とする。解脱を成し遂げ、涅槃寂静の境地に至れば、輪廻転生する魂としての我も消滅すると考えられる。だが、その過程で、仏法を理解し、修行に打ち込み、悟りを目指す主体を否定するならば、仏教そのものの意味がなくなる。
 釈迦の無我説をどう理解するか、釈迦入滅後の仏教は、複雑で多様な思想を展開した。空、阿頼耶識、如来蔵、仏性等である。それらの思想については、歴史の項目に記す。

●五蘊

 無我説は、五蘊の理論に基づく。釈迦は、心と身体及び世界を観察し、五つの要素に分解した。この五つの要素を五蘊という。蘊はスカンダの漢訳で、「集まり」「集合体」を意味する。
 五蘊とは、色(しき)・受・想・行(ぎょう)・識をいう。色は身体を含む物一般である。受は感情・感覚などの感受作用、想は表象・観念を生み出す表象作用、行は能動的・積極的な意志作用、識は対象を区別・判断する認識作用と考えられる。
 近代西欧哲学は、デカルトによる主観と客観、精神と物質という二元的な分け方を基本とする。この分け方によれば、色は客観的なもの、物質的なものに関わり、受・想・行・識は主観的なもの、精神的なものに関わる。ただし、単純にこれらを客観と主観、物質と精神とには、分けられない。色は対象となり得るものであり、外界や環境だけでなく身体をも含むことに注意しなければならない。受・想・行・識は心の作用であり、対象となり得ないものをいう。
 近代西欧哲学の二元的な分け方は、主に自然の観察に基づく。これに対し、仏教は主に心の観察に基づいて五蘊の理論を説く。前者が自然学的であるのに対し、後者は心理学的である。
 五蘊は、人間が物事に執着する根拠になっているものであり、「五取蘊」とも呼ばれる。「取」は執着を意味する。釈迦は、すべての事物は、何らかの条件によって五蘊が仮に集まって出来上がっているにすぎないと説く。これを五蘊仮和合(ごうんけわごう)と呼ぶ。そして、五蘊以外にそれらから独立した「我」はないと説く。五蘊は、仮の集まりにすぎず、常住不変のものではない。それゆえ、五蘊に基づく「我」は、常住不変のものではない。また、それ自体で存在する実体ではない。釈迦は、このように説くことで、我への執着を捨てることを促す。
 私見を述べると、先に述べたように、輪廻転生する魂としての我を全く否定するならば、解脱を目指す意味はなくなる。単なる五蘊の集合体であれば、その集合が分散すれば、後には何も残らない。何も残らないのだから、輪廻転生はしないし、死後の存在すらあり得ないことになる。もしそうであるならば、輪廻転生の観念は否定されるべきものであり、その観念からの解放を以って、悟りとすることになるだろう。だが、それだけでは、苦しみは消滅しないのであり、仏教の教えに立つ限り、輪廻転生する魂としての我を全面的に否定することは、自己撞着に陥ると私は考える。

 次回に続く。

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コロナ禍で日本の死亡率が低いのはなぜか1

2020-05-24 10:22:17 | 時事
●死亡者が少ないのは「日本の奇跡」

 武漢ウイルスへの感染者は、5月23日現在、世界全体で約521万人、死亡者は約33万8千人に上っている。このパンデミックで、日本は目立って死亡者が少なく、死亡率が低い国に入る。
 日本は米国、イギリス、イタリア、スペイン、フランスに比べて、死者数が二桁少ない。具体的には日本は死者数が799人。最も被害が大きい米国は、9万5490人、次いでイギリス3万6393人、イタリア3万2616人、スペイン2万8628人、フランス2万8289人となっている。
 WHOシニアアドヴァイザーの進藤奈那子医師は「圧倒的に死亡が少ない日本は、ほぼ奇跡。世界からジャパニーズ・ミラクルと考えられている」と述べている。世界の医療の専門家たちが「日本の奇跡」と呼んでいるのである。また、米外交誌「フォーリン・ポリシー」は、日本は、中国からの観光客が多く、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)の確保が中途半端、ウイルス検査率も国際社会と比べて低いが、「死者数が奇跡的に少ない」と評価し、「結果は敬服すべきものだ」が「単に幸運だったのか、政策が良かったのかは分からない」と書いた。
https://foreignpolicy.com/…/japan-coronavirus-pandemic-loc…/
 私もそう思う。「日本の奇跡」と呼ばれるに値する。「日本の奇跡」を生んだ文化的要因として衛生観念の強さ(マスクの着用、清潔好き)と社会道徳・公徳心の高さ(法的強制なくとも自粛)、医療的要因として医療従事者の優秀さと献身性(他国もそうでは?)と高齢者社会での高度な介護技術、制度的要因として国民皆保険制度(低負担で医療を利用可能)などが挙げられよう。だが、私が「日本の奇跡」と呼ばれるに値すると考える最大の理由は、政府が、台湾のように即座に中国人の入国を拒否せず、逆に1~2月に計約100万人の中国人を入国させるという大失策をし、また憲法に緊急事態条項がなく、すみやかに法的強制力のある緊急事態宣言を出すこともできなかったにもかかわらず、感染による死者数が少なく、死亡率が低いからである。
 最も注目すべきは、人口当たりの死者の数を示す死亡率である。日本の死亡率はヨーロッパの100分の1に留まっている。このことを、「100分の1の謎」と呼ぶことにしたい。5月7日現在の数字だが、人口100万人あたりの死者数は、スペインが553人、イタリアが490人、フランスが396人であるのに対し、日本は4.4人である。スペイン・イタリア・フランスの死者数の平均が480人であるのに対し、日本の4.4人は109分の1である。
 政府の専門家会議の副座長・尾身茂氏は、5月14日に日本の感染者数と死亡者数が米欧と差があることについて、次のように語った。
 「今のところBCGが有効とのエビデンスはない。日本の感染者数と死亡者数が米欧と差があるのは、①医療制度が充実し多くの重傷者の適切ケアされ・医療崩壊も防げている、②初期のクラスター対策が有効だった、③国民の健康意識が高いの3つが大きいと思う」と説明している。しかし、仮に①②③が相乗効果を生んだとしても、それが決定的な要因となっているとは考えにくい。
 本件について、経済学者でアゴラ研究所所長の池田信夫氏が「アゴラ」で、次のように考察している。
 「BCG接種がコロナに有効だという臨床試験の結果がないのは事実だが、これを『エビデンスがない』というなら、彼(註 尾身氏)のいう要因のエビデンスはあるのだろうか。

①医療制度が充実して医療崩壊が防げた:これは日本の重症患者が少ない原因ではなく、結果である。たとえば日本より医療が充実しているドイツでは、日本の50倍以上の重症患者が出たので医療は対応できなかった。
②初期のクラスター対策が有効だった:これも因果関係が逆だ。人海戦術で患者に聞き取り調査するクラスター追跡が有効なのは、日本の患者が少なかったからだ。たとえばイタリアのように毎日6000人以上の新規感染者が出たら、そんな調査はできない。
③国民の健康意識が高い:これは何もデータがない。

 ここには専門家会議が主導してきた自粛の効果があげられていない。日本のゆるゆるの自粛が有効だとすれば、それよりはるかに厳格なロックダウンをやったヨーロッパで日本の100倍死んだことが説明できないからだ。要するに彼のあげた要因は、BCG仮説ほどの根拠もないのだ」(註 丸文字の数字は、ほそかわが加筆)
http://agora-web.jp/archives/2046069.html?fbclid=IwAR25pF17xkwUoi-l4HPzJqS5jxYar4sR8Lyga_P0dOrl7i3BHYEetcdYcvk

 池田氏は、BCG接種と死亡率の相関について、Facebookグループに投稿された論文の中では「今のところ圧倒的多数の論文が肯定的だ」として、記事の中で肯定的な統計分析の例を挙げている。そして「BCGの効果は感染率にきくのか致死率にきくのかは未解決の問題だが、これだと感染率にきく結果、死亡率が低いことになる」と述べている。ここで致死率とは、感染者のうちの死亡者の比率である。人口当たりの死亡者の数である死亡率とは異なる。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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仏教6~中道、四諦、八正道

2020-05-23 10:15:02 | 心と宗教
●教説から教義への発展

 仏教の教義は、釈迦が語ったことをまとめた教説を、弟子たちが数百年、さらに一千年以上という歴史の中で発展させたものである。釈迦自身が説いた教えがどういうものであったかを求めるには、最初期に編纂された経典をもとにする必要がある。
 その一つである『スッタニパータ』は、南伝仏教のパーリ語経典に収録されたものである。スッタは「経」、ニパータは「集」を意味する。本書で、釈迦は、次のように語ったと記されている。
 「この世に還り来る条件となる煩悩から生ずるものが存在しない修行僧は、今世も来世もともに捨て去る。──蛇が古い皮を脱ぎ捨てるように」「無明によって、世間は覆われている。強い欲と、怠惰の心ゆえに、世間は輝かない。渇望によって生ける者はけがれる。苦しみが世間の大きな恐怖である」「命ある者における煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。それが煩悩の流れの防護である」「修行僧は、欲望に耽けってはならない。心が濁ってはならない。あらゆる事柄に熟達して、よく気をつけて旅を続けなさい」(中村元訳、『ブッダのことば』)
 輪廻転生を前提とし、煩悩、無明、欲望といった仏教の教義のキーワードが並んでいる。煩悩とは、心身を煩わせ悩ませる一切の妄念をいう。煩悩の根源は、無明である。無明とは、真理に暗いことをいう。
 『ダンマパダ』もパーリ語経典の一つである。ダンマは「法」を意味し、「法句経」と訳す。本書で、釈迦は、次のように語ったと記されている。
 「心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす」「心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることがない」「正しい知識によって解脱して、やすらいに帰した人――そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行ないも静かである」「何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善行をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、――かれこそ実に最上の人である」(中村元訳、カッコ内も中村による。『ブッダの真理のことば 感興のことば』)
 心のありよう、解脱というやはりキーワードが現れている。
 上記の二書のうち、『ダンマパダ』は釈迦の教えを初めて学ぶ入門書である。一方、『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでおり、より修得が進んだ者向けと見られる。
 これら最古の経典における釈迦の言葉は平易で、たとえも日常的なものが多い。釈迦が折々に語った言葉を記憶と伝承に基づいて集成したものと見られる。修行と悟りの経験に基づき、また実際的である。そこに記されている教えが、教説である。
 後代になると、何十世代にも及ぶ弟子たちの営為によって、教義が体系化された。その過程で、釈迦自身が説いた教えだけでなく、弟子たちが生み出した思想が加わったものまでが、釈迦の教えとされた。
 どこまでが釈迦自身の教えで、どこからが弟子たちの思想かを明確に区別することは難しい。何が釈迦の真説であるかを厳密に規定することができないからである。それゆえ、仏教の教義を概説するには、仏教の教義がある程度、体系化された段階のものを、教義として扱わざるを得ない。

●中道

 釈迦は、自らの教えを中道と呼んだという。中道とは、当時の社会に蔓延していた快楽主義と修行者が競っていた苦行主義の両極端を避ける中間の道である。
 釈迦は、中道の内容として、四諦(したい)、八正道を説き、ただこの教えのみが人を解脱に導くと説いたと伝えられる。

●四諦と八正道

 四諦とは、四つの真理のことである。それらは、次の通りである。

 苦諦(くたい): 人生は苦しみであるという真理。ここで苦しみとは、思うようにならないことをいう。
 集諦(じったい): 苦しみの原因は愛着・渇愛にあるという真理。ここで愛は、欲望にとらわれて執着することをいう。
 滅諦(めったい): 苦しみの原因は滅せられるべきであるという真理。その原因を滅することができれば、解脱して涅槃に至ることができるとする。
 道諦(どうたい): 苦しみの原因を滅する道についての真理。涅槃寂静の境地に至るための方法として八正道を説くもの。

 道諦の内容が八正道である。八つの正しい方法とは、正見(正しい見識)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行為)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい瞑想)である。言い換えれば、見識、思惟、言葉、行為、生活、努力、思念、瞑想を正しく行うことが、苦しみの原因を滅する道である。

 ヴェーダの宗教において、ウパニシャッドは、解脱を目指す者にヴェーダの学習、禁欲、祭祀、布施、苦行、断念、五感の抑制等を奨励した。そして、欲望を捨てることこそ、解脱への最善の道とした。また、無知、貪欲、放逸、虚偽、竊盗、飲酒、姦淫等は、なすべからずと戒めた。
 釈迦の教えである四諦・八正道は、こうしたウパニシャッドの思想と全く異なるものではない。欲望を捨てることや、虚偽・竊盗・飲酒・姦淫を戒めることなど、一部は重なり合っている。最も異なるのは、ウパニシャッドは、ヴェーダを聖典とし、祭祀と苦行を重んじるのに対し、釈迦はこれらを重んじないこと、また智恵による認識と道徳的な実践を勧めることである。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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感染症は社会を変えて来た~加藤茂孝氏

2020-05-21 12:49:29 | 時事
 『人類と感染症の歴史』の著者・加藤茂孝氏は、国立感染症研究所のOBで、米CDC(疾病予防管理センター)勤務の経験もあるウイルス学の専門家です。加藤氏は、中世ヨーロッパにおけるペストが社会に及ぼした影響を踏まえて、武漢ウイルスが現代の世界に与える影響を予想しています。メディアのインタヴューに応えて、次のように語っています。

●朝日新聞 令和2年5月1日付(抜粋)

――ペストがきっかけで、社会も大きく変わったようですね。
 ペストは何度も流行しますが、一番ひどかったのが14世紀半ばからの1、2世紀です。このときに、数百年をかけて欧州社会が変わり始め、中世から近世への変化が起きました。
 例えば、当時はキリスト教のローマ教皇の全盛期でした。教会がすべての権威を持っていました。ところが、そのローマ教皇が祈ってもペストは治まらない。医学を担当していた神父たちも全然治せないわけです。人々が不満を持ち始め、その後の宗教改革へとつながっていきます。
 また、産業構造もがらりと変わりました。当時は荘園制といい、地主(領主)が農奴に土地を貸し付け、農作物を納めさせていました。農奴はいわば奴隷的な身分でした。しかし、ペストにより農奴が一気に減り、荘園制が次第に維持できなくなります。農奴は待遇改善を要求し始め、後に賃金を得て労働する賃金労働制へと移行していきます。
 そのほかにも、ペストがきっかけで検疫が始まりましたし、医療も近代化していきました。ユダヤ人迫害もこの時代に顕在化しました。
 このように100年、200年かけて、中世ヨーロッパ社会がペストの大流行により大きく変わっていったのです。

――中世と比較して今の時代はどうですか?
 ペストの時代は人口も少ないし、移動手段も限られ、情報もそれほどなかった。なので社会の変化が起きるのに数百年かかっているのですが、今は人や物、情報がほとんど1日のうちに世界を駆け回るようになった。中世に起きた1世紀の変化が、おそらく1年で起きるのではないかと思います。すごい勢いです。
 すでに働き方は変わってきていますよね。今はリモートワークが急速に広がっている。会議も学校も診療も就職活動も全部オンライン。リモートワークができない製造業だって、自動ロボット化がますます進むと思います。産業構造ががらりと変わるでしょう。
 政治的な側面で見れば、自国優先主義が加速すると思います。戦後、国連を中心に国際協調の流れができましたが、この数年で米国でトランプ大統領が誕生したり、英国がEUから離脱したりしました。感染症は国際問題ですから、国際協調しないと解決しないはずなのに、今は自国利益が優先されがちです。米国は、WHOは政治的に偏っていると言って拠出金を出さない。大変な時代だと思います。
https://digital.asahi.com/articles/ASN4Z3DN2N4XUHBI032.html?_requesturl=articles/ASN4Z3DN2N4XUHBI032.html

●ニュースソクラ 令和2年5月14日付(抜粋)

ニュースソクラ編集長インタビュー:『人類と感染症の歴史』の著者・加藤茂孝前CDC客員研究員に聞く(下)

ーー感染症の大流行は世界史を変えてきているのですか。
 14世紀のペストの大流行に当時、医療も担っていたカトリック教会は無力でした。教会の権威失墜が宗教改革につながっていきます。ペストにより欧州人口が3分の1から半分減り、農奴制が崩れ、賃金小作農に代わることで社会構造も変化していきました。中世が終わったのはペスト流行がきっかけになっています。南米文明の消失など感染症が世界史に与えた影響は数知れません。

ーー今回の新型コロナウイルスの流行も人類史を変えると思いますか。
 外出自粛や都市封鎖でテレワークが広がった。オンライン会議がまたたくまに広がり、オンラインでの診療、面接、授業も広がるでしょう。工場はさらに自動化が進み、押印も電子署名に変わっていくでしょう。
 一方で、国境閉鎖、物資の国内優先使用などにみられる自国優先主義が広がりかねません。本来は、世界的なパンデミックは世界が協力して英知や技術を結集しなければならないのですが、反対の方向に向かってしまいかねない懸念があります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200514-00010000-socra-soci

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仏教5~経・律・論

2020-05-20 14:27:18 | 移民
●聖典(続き)

・経・律・論
 仏教の聖典には、経典以外のものがある。経典は、主に釈迦の教説を弟子たちが集成し、文献にまとめたものをいう。これを経蔵(スートラ・ピタカ)と呼ぶ。また、釈迦が定め、弟子たちが整備した戒律を文献にまとめたものを律蔵(ヴィナヤ・ピタカ)という。
 釈迦の入滅後、教説や戒律を確定するための会議が行われた。最初のものを第一結集(けつじゅう)という。この会議において、経蔵と律蔵が比丘たちによって決定された。それによって、基本的な教義が形成された。
部派仏教の時代には、それまでに成立していた経蔵・律蔵に加えて、論蔵(アビダルマ・ピタカ)が作られた。これは釈迦の教えについて、各部派が研究し、解釈したものをまとめた文献である。分類や定義づけを目的とするもので、学者たちによる詳細な教義論である。これらの経蔵・律蔵・論蔵を、経・律・論と略し、また三蔵ともいう。
 三蔵及びそれらの注釈書を網羅した叢書を、大蔵経という。大蔵経は、特定の経典ではなく、仏教聖典の総称である。もとの言語で書かれたものが翻訳されて、各言語のものが作られた。パーリ語、チベット語、モンゴル語、漢語、満州語のものが現存する。一切経ともいう。

・教相判釈
 シナ及びシナ経由で仏教を導入した国々では、様々な時期に、様々な書き手にとって作られた経典が、成立年代や成立事情に関わらず、伝えられた。それらの多様性に富んだ文献をどのように解釈し、評価するかが、重大な課題となった。そこで経典の優劣と位置づけを行ったことを、教相判釈という。最高経典を『法華経』、浄土三部経、『華厳経』『大日経』『金剛頂経』等とする多くの立場があり、それが宗派の違いともなっている。
 仏教には、ローマ・カトリック教会のような中心的な宗派は存在しないので、いわば正統(オーソドックシー)のない状態において、多くの宗派(セクト)が互いの信条を主張しているものである。

・共通する根本的な経典がない
 仏教では、大乗仏教・上座部仏教・チベット仏教等で、これら全体に共通する根本的な経典が決められていない。キリスト教の場合は、ローマ帝国に広がった後、皇帝テオドシウス1世の保護を受け、380年には国教となった。392年にはキリスト教以外の宗教の信仰が禁止された。キリスト教がそのような地位を得た状態で、397年にカルタゴ公会議が行われ、旧約聖書39巻、新約聖書27巻、計66巻の聖書が確定された。旧約については教派によって若干の外典を含むが、聖書の主要部分は、政治的な皇帝の権力と宗教的な教会の権威が結びついて、権力と権威を以って確定されている。
 これに対し、仏教では、インドにおいて政治的な権力と宗教的な権威が結びついて中心となる根本経典が確定されることがなかった。インドから各地に広がった後も、各宗派の間で、互いにこの経典が最高だという主張がされ、収拾がついていない。これには、近代西欧的な科学的研究が進んだ今日でも、経典のうち、釈迦の真説であると学問的に証明されたものは何一つないという事情もある。そのため、今後も収拾がつく可能性はほとんどない。

●聖地

 仏教には、インド・ネパールに4大聖地がある。

(1)ルンビニー:  釈迦が生誕した地。ネパールのタライ地方バイラワ西方にある。
(2)ブッダガヤ: 釈迦が悟りを開いた地。インド北東部のビハール州ガヤー県にある。
(3)サールナート:釈迦が初めて説法をした地。鹿野苑(ろくやおん)と漢訳する。インド北部のウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナシー(ベナレス)近郊にある。
(4)クシナガラ:釈迦が入滅した地。ウッタル・プラデーシュ州のカシア付近にある。

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