ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

新疆ウイグルで「中国化」が進められている

2018-10-23 09:40:22 | 国際関係
 8月13日スイス・ジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会で、米人権活動家らが「新疆ウイグル自治区で、少数民族のウイグル族が100万人以上、中国政府によって収容施設に不当に拘束されているという情報がある」と指摘して中国側に説明を求めました。これに対し中国の代表は「自治区では過激派の取締りと再教育に取り組んでいるが、指摘されたような収容施設は存在しない。中国の分裂を狙った根拠のない中傷だ」と述べて強く反発したと報じられます。
しかし、産経新聞中国総局長の藤本欣也氏は、自治区の治安当局者はこのほど、強制的な再教育施設が存在すると明かしたと伝えています。
 この強制的な再教育施設では、どういう教育がされているのか。藤本氏は、現地取材をもとに、次のように書いています。
 「関係者の話を総合すると、再教育施設では少数民族の言葉の使用を禁じ、(1)中国語(2)中国の法律・規則(3)党や習国家主席を賛美する歌-を学習させている。つまり、イスラム教徒の“中国化”を急ぎ、当局がテロリスト、分離独立派、過激派とみなして警戒する「3大勢力」の台頭を抑えこむ狙いがあるようだ」と。

 以下は、藤本氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年9月18日

2018.9.18 08:37更新
【緯度経度】
新疆ウイグル 進む「中国化」 中国総局長・藤本欣也
https://www.sankei.com/world/news/180918/wor1809180009-n1.html

 中国の西端、新疆(しんきょう)ウイグル自治区カシュガルでのこと。古くからシルクロードの要衝として栄えた町だ。
 ホテルのフロントでパスポートを渡すと、女性従業員がチェックインの手続きを始めた。そこへ1本の電話。受話器を置いた彼女はすっかりおびえていた。
 「申し訳ありません。外国人は泊まれません…」
 外国人も宿泊できることは予約の際に確認済みである。しかしホテル側に抗議しても仕方のないことだ。
 この日、タクシーに乗ってもナンバープレートのない不審な車に追い回され、街中を歩いていても2~5人の男に尾行されていた。
 「早く町から出ていけ」。記者に対する治安当局の無言の圧力なのだろう。
 結局この夜、ホテル4軒に宿泊を断られ、ようやく横になることができたのはカラオケボックスだった。
 当局がピリピリしているのは、国連の人種差別撤廃委員会で8月、「新疆ウイグル自治区でウイグル族などイスラム教徒100万人以上が再教育施設に収容されている」と報告された問題と無縁ではあるまい。
 中国政府は否定するが、自治区の治安当局者はこのほど、強制的な再教育施設が存在すると明かした。一体、何を教育しているのだろうか。
 当局はすでに、自治区でイスラム教徒の暴動が頻発し治安維持が必要だと説明して、住民監視を徹底して行っている。モスク(イスラム教礼拝所)やバザール(市場)周辺には無数の監視カメラを設置し、最新の顔認証技術も導入、通行人を常時チェックしている。
 カシュガルに中国最大のモスクがある。監視カメラが設置された入り口には、「愛党愛国」と記された赤い幕が掲げられていた。
 モスク前の広場周辺でも「習近平同志を核心とする党中央の心のこもった配慮に感謝します」との横断幕がみられた。中国共産党がイスラム教徒に何を教育したいのかは明白だ。
 関係者の話を総合すると、再教育施設では少数民族の言葉の使用を禁じ、(1)中国語(2)中国の法律・規則(3)党や習国家主席を賛美する歌-を学習させている。
 つまり、イスラム教徒の“中国化”を急ぎ、当局がテロリスト、分離独立派、過激派とみなして警戒する「3大勢力」の台頭を抑えこむ狙いがあるようだ。
 党機関紙、人民日報系の環球時報は社説で、国際社会からの人権侵害批判に対し、「(自治区の)平和・安定を守ることこそ最大の人権だ」と強弁している。
 これが“中国モデル”である。「治安のためには人権侵害もやむなし」とする統治スタイルは、基本的人権や報道の自由、表現の自由などを尊重する私たちの価値観とは相いれない。
 自治区でインフラなどの経済基盤を整備する一方、言語・文化を強要し住民の同化も推し進める。まるで第二次世界大戦前にタイムスリップしたような統治スタイルではないか。
 さらに問題なのは、外国で中国型の住民監視システムを採用する動きがあることだ。中国の巨大経済圏構想「一帯一路」の一環として、ジンバブエやエチオピア、ブラジルなどが中国企業から顔認証技術の導入を進めていると伝えられる。
 反体制派に苦しむ途上国の政権にとって、これもまた一帯一路の“果実”。社会不安に悩む民主主義国家には“禁断の果実”である。(中国総局長)
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キリスト教109~功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

2018-10-22 09:38:33 | 心と宗教
●功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

 西方キリスト教は宗教改革を行い、それが文化的近代化の推進力となり、近代資本主義の発達にも寄与した。しかし、近代化の進行に対し、キリスト教は対応することができなくなっていった。そして、キリスト教に基づきつつ、キリスト教に替わって、近代社会における価値観や規範を提供する思想が現れた。それが先に述べた啓蒙思想や合理主義であり、19世紀にはそれらを発展させた新しい思想が現れた。功利主義、社会主義、共産主義である。
 まず功利主義(utilitarianism)は、19世紀にイギリスでジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル等によって唱えられた思想である。功利(utility)とは、物事の効用や有用性を意味する言葉である。その功利を倫理的な価値とする思想が、功利主義である。
 ベンサムはいう。人間は、快楽の総計を増大させ、苦痛の総計を減少させようとする。その結果、得られるものが、個人の幸福である。個人の幸福は、社会全体が幸福である時に最大になる。そこで、「最大多数の最大幸福」が目標となる。ベンサムはこれを「功利の原理」とした。ベンサムにおいては、効用の最大化が正義とされた。
 ベンサムに特徴的なのは、快楽を量的に表現し、計算することができるとした点である。ベンサムは、この計算を快楽計算とよんだ。計算の基準には、強さ、持続性、確実性または不確実性、遠近性、多産性、純粋性、範囲または影響を受ける人数を挙げた。この定量化は、ニュートンが万有引力の法則を発見し、自然を統一的にとらえる力学を完成させたのを受けて、精神科学を自然科学と同じような精密科学としようとする試みである。
 ベンサムは、「功利の原理」を、後に「最大幸福の原理(the greatest happiness principle)」と言い換えた。それゆえ、功利主義は、最大幸福主義と呼ぶことができる。
 ベンサムの功利主義(最大幸福主義)には、重大な欠点があった。どんな人間でも快楽を求め、苦痛を避けるものだとするのは、事実を単純化し過ぎていること。快楽の追求、苦痛の回避が善なら、すべての行為が正しいことになること。自分の幸福と他人の幸福とは衝突することがあること。快楽計算の実例が挙げられていないこと。快楽計算は、実際には非常に困難であること。最大多数の最大幸福のためには少数者の犠牲はやむを得ないとすると、個人の自由と権利が侵害される場合があること、等々である。
 これらの欠点を踏まえて、ベンサムの理論の修正を行ったのが、J・S・ミルである。ミルは、ベンサムが快楽を量的にとらえたのに対し、質の相違を認めた。ミルの「満足した豚であるよりも、不満足な人間である方がよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスである方がよい」という言葉は、食欲の満足のような質の低い快楽と、真理の探究のような質の高い快楽を区別したものである。
 ミルは功利主義者であるとともに、修正的自由主義者でもある。修正自由主義とは、17~18世紀のイギリスで発達した自由のみを価値とする古典的な自由主義に対して、自由とともに平等の価値を尊重する思想である。ミルは、功利すなわち社会全体の最大幸福を主要な原理とし、自由と平等の調和を補助的な原理としている。ミルは最大幸福を目的として、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。さらにサン・シモン、フーリエらの社会主義に共感を示した。ただし、社会主義に対しては、理念には賛成するが、個々の理論には反対するという立場だった。
 ミルは、最大幸福という目標の下で自由と平等の調和を図ったが、その思想は19世紀後半のイギリスで広く影響を与えた。私見を述べると、イギリスの社会主義が、マルクス=エンゲルスの共産主義と一線を画し得たのは、ミルの思想の影響によるところが少なくない。イギリスの社会主義は、イギリスの伝統的な個人主義や相互扶助的な要素を保持した。議会主義に基づく漸進的な社会改良を目指すウエッブ夫妻、バーナード・ショーらのフェビアン協会が社会主義の主流となった。
 ミルの修正自由主義的な功利主義(最大幸福主義)は、キリスト教の道徳思想とも親和的だった。ミルの思想は、利己的個人主義や利害打算的な考え方とは、大きく違う。そのことを最もよく明かすのは、ミルが次のように書いていることである。「ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義倫理の完全な精神を読み取る。おのれの欲するところを人に施し、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極致である」と。ミルはまた人類の社会的感情の根底には、「同胞と一体化したいという欲求」があるとし、社会全体における人格の向上が最大幸福の実現となることを説いている。ここにおけるキリスト教の理解は、キリスト教を啓蒙主義的に道徳的宗教ととらえる見方である。
 政治思想では、ミルはイギリス伝統の個人主義の立場に立ち、「権力からの自由」を強調しつつ、この政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。ミルはまた婦人問題に強い関心を示し、産業革命後のイギリスで悲惨な婦人が増大したのに対し、婦人の権利の拡大を追求した。さらに、ミルはイギリスの植民地支配に反対し、イギリスは植民地を独立へと導くよう主張した。ここにも道徳宗教化されたキリスト教の思想を見てとることができる。

 次回に続く。
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キリスト教108~イギリスで現れたプロテスタント諸派

2018-10-20 12:56:48 | 心と宗教
●イギリスで現れたプロテスタント諸派

 次に、イギリスにおけるキリスト教の独自の動きについて述べる。
 イギリスでは、16世紀前半から17世紀にかけて、新しい教派が多く現れ、今日も活発に活動している。概要の教派の項目に書いたことと一部重複するが、イギリスにおけるプロテスタント諸派の出現と各教派の特徴を書く。
 まず英国国教会(聖公会)は、1534年、イングランド国王ヘンリー8世が離婚を認めないローマ・カトリック教会から離脱し、自らを首長とする国教会を創ったもの。ローマ教皇のような単一の支配者を認めない。現在も国王(女王)を首長とする。聖母マリアや聖人を崇敬しない。聖書のほかに伝統と理性を重んじる。そのため特定の教義を定めず、教派的な信仰告白を掲げていない。プロテスタント諸派の中で、最もローマ・カトリック教会に近い。二派を橋渡しするブリッジ・チャーチとも呼ばれる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 英国国教会には、3つの教派がある。高教会(ハイ・チャーチ)、低教会(ロー・チャーチ)、広教会(ブロード・チャーチ)である。高教会派は、教会の権威、歴史的主教制、サクラメントを重視し、それらに高い位置を与える立場である。低教会派は、逆にそれらに低い位置しか認めず、「聖書のみ」「恩寵のみ」「信仰のみ」の立場に立ち、典礼よりも個人の改心と聖化を強調する福音主義の立場である。広教会派は、高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し、双方の立場を退ける国教会の中の自由主義の立場である。
 19世紀半ばに、広教会派から、F・D・モーリス、C・キングスレー、J・M・ラドローらのキリスト教社会主義運動が現れた。彼らは、産業革命以後の工場労働者の悲惨な状況を見て、キリスト者の社会的責任を強調し、愛と奉仕の精神による協同を目指し、労働組合を結成したり、労働者学校を開いたりして、社会改良に努めた。彼らの社会主義は宗教的社会主義であり、マルクスらによる唯物論的な思想・運動とは全く異なる。
 この国教会広教会派のキリスト教社会主義が、ドイツ、アメリカ等に輸出され、それらの国々でも発展した。19世紀末には、小崎弘道、安倍磯雄、片山潜らによって日本にも移入された。彼らキリスト教徒によって、日本の労働運動、社会主義運動が始まった。
 英国国教会(聖公会)より、プロテスタントとしての性格が明瞭な教派の一つが、改革派・長老派(プレスビテリアン)である。改革派の名称は、16世紀半ばにカルヴァンがルターの改革は不十分だったとして、改革を徹底しようとしたことに由来する。この系統に立つ長老派は、スコットランドでジョン・ノックスが創始した。ノックスはカトリック教会の聖職だったが、教会に批判的となり、亡命先のジュネーブでカルヴァンの親交を得て、帰国後、長老派教会を樹立した。その名は長老を代表とする教会政治に基づく。長老派は、1567年にスコットランドの国教となり、その後に自由教会(フリー・チャーチ)が分離した。聖書のみを人間の思想と行動の唯一絶対の指針とし、呪術的要素を徹底的に排除した。神はアダム・エバの堕罪以前に、予めすべての人間を、ある者は救いに、ある者は滅びに予定したという二重予定説(堕罪前予定説)を説く。天国に行くか地獄に行くかは、人間の意思や行動には無関係で、すべて神が決定するとする。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみ。ルター派等と異なり、幼児洗礼を認めない。
 会衆派・組合派は、16世紀後半にイングランド国教会からの分離を主張した司祭ロバート・ブラウンに始まり、ピューリタン革命時に長老派から分離・独立した。会衆派の名称は、会衆全体の合意に基づく教会政治に由来する。日本では、組合派ともいう。1620年にメイフラワー号に乗って北米のプリマスに入植したのは、この派の信徒である。ピューリタン革命の推進力となり、クロムウェルのもとで共和制を樹立した。カルヴァン主義を基本とするが、特定の信仰箇条を持たず、自由・寛容の傾向を示す。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 バプテストは、1609年にイングランド国教会から離脱したジョン・スマイスに始まる。洗礼(バプテスマ)は、全身を水で浸す浸礼が聖書にある方式であると主張する。自覚的な信仰告白に基づく者のみを信者とし、幼児洗礼を認めない。国家と教会の公的な結びつきに否定的で、信教と良心の自由を重んじる。一部の信徒は、天地創造、ノアの方舟、イエスの処女降誕と復活を文字通り信じる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 メソディストは、18世紀半ば、イギリス国教会司祭ジョン・ウェスリーに始まる。「聖書に言われている方法(メソッド)に従って生きる人」を意味する。1795年に正式に国教会から分離して一個の教派となった。カルヴァンの予定説とは対照的に、すべての人間の自由意志による救済を説く。16世紀後半のオランダの改革派神学者アルミニウスが、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いたのに基づく。人間の主体的な決断や回心体験、聖霊の働きを重んじ、信仰義認の後の聖化を強調する。道徳的で清廉な生活を心がける。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。イギリス産業革命で生じた社会的弱者の救済に尽力した。メソディストから1865年に救世軍が分れた。
 クェーカーは、キリスト友会(Religious Society of Friends)の一般的な呼称である。1650年にイングランドでジョージ・フォックスが創設した。名称は「神を畏れ震える者」に由来する。真理は、各自の魂に呼びかける神の声の中に見出されるとする。その神の声を「内なる光」と呼び、すべての人に内在すると考える。またその考えによって性別・人種などの差別を否定する。カルヴァンの予定説とは対照的に、万人が救済され得ると説く。形式・象徴・権威を否定する。すべての人は霊的に平等だとし、教職制度がない。霊性と感性を重んじ、虚栄を嫌う。宣誓や兵役を拒否する。非戦主義・非暴力主義で知られる。他の教派と違い、洗礼や聖餐はない。
 ユニテリアンは、17世紀イギリスに始まる。三位一体を認めない。イエスの神性を否定し神の単一性(Unity)を唱えた初期教会時代のアリウスの説を継承する。同じころ、アルミニウス主義に立って予定説に反対し、すべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストも現れた。これら二派は北米で1961年に合同することになった。自由と理性と寛容を重んじ、原罪やイエスの贖罪、処女降誕、復活等の奇跡を認めず、科学上の諸発見を尊重する。人間はみな神の子であり、イエスは神ではなく最も神に近い存在であるとし、究極の師と仰ぐ。他宗教にも救いはあると認め、他宗教との交流にも積極的である。サクラメントはない。
 このようにイギリスでは、プロテスタンティズムの多様な教派が現れた。それらが国王(女王)を首長とする国教会と併存しているところに、激しい教派対立を経て、リベラル・デモクラシーと宗教的寛容による国民国家を建設したイギリスの特徴がある。
 イギリスは、近代主権国家、資本主義、自由主義、デモクラシー等の発祥の地だが、ナショナリズムもまたイギリスに発する。イギリスは、イングランド国教会を創ってカトリック教会から離脱し、ナショナルな宗教を創った。このことがイギリスのナショナリズムの形成において重要な働きをした。ところが、国教会に反発するプロテスタント諸派が現れて、ピューリタン革命が起こるほどになった、しかし、イギリスの政府・支配集団は、そうした教派をナショナリズムで統合した。その中心には、国家元首であるとともに国教会の首長でもある国王(女王)がおり、国王を中心とするイギリスは、先進資本主義国として発展し、近代世界システムの覇権国家として繁栄を極めた。ここには宗教的ナショナリズムを超えた政治的ナショナリズムの強力な働きがある。

 次回に続く。
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米中新冷戦が開始された

2018-10-19 10:00:07 | 国際関係
 米国のマイク・ペンス副大統領は、10月4日、ワシントンでハドソン研究所の主催による講演を行いました。ジャーナリストの長谷川幸洋氏は、50分に及ぶペンス演説の要旨を示しつつ、次のように述べています。

 「米国のペンス副大統領が10月4日、ワシントンで講演し、貿易など経済に限らず安全保障分野でも、中国に「断固として立ち向かう」と述べた。かつての米ソ冷戦の始まりを告げた「鉄のカーテン」演説に匹敵する歴史的出来事である」
 「ピルズベリー氏やナバロ氏が主導した中国脅威論は、2015年ごろから米国で本格的に議論され始めた。それが3年経って今回、ペンス演説によって正式にトランプ政権の政策に採用された形だ。今回の演説は、その証拠である」
 「米中新冷戦は、内実を見れば「トランプ氏という一風変わった大統領によって始められた」と理解するのは正確ではない。それはピルズベリー氏やナバロ氏のような専門家によって、米国の中国に対する認識が根本的に改められた結果なのだ。そうであるとすれば、新しい冷戦は簡単に終わらない。米国が勝利するまで続くだろう」
 「歴史家は「米中新冷戦はペンス演説から始まった」と書くだろう。もはや後戻りはできない。緊張と対立の新しい時代が始まった。米ソ冷戦が良かれ悪しかれ、戦後世界の骨格を形作る土台になったように、米中新冷戦は今後、数十年にわたって国際関係の基軸構造になる」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57929?page=2

 ペンス副大統領の上記の講演は、チャーチルの「鉄のカーテン」演説に匹敵する歴史的な演説となるかもしれないものです。その全文が邦訳されました。米国の対中政策の本気度が伝わってきます。
https://www.newshonyaku.com/usa/20181009

 米中新冷戦の行方について、米国の中国研究の第一人者とされるミンシン・ペイ教授は、旧ソ連と中国を比較し、「中国はすでに敗北の軌道に乗っている」と断定しています。

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■中国は、ソ連と同じ冷戦敗北の軌道に入っているのか
2018.10.16 14:42
【湯浅博の世界読解】

 米ソ冷戦の到来は、時間をかけてジワジワと始まった。そして、時代に鋭敏なチャーチル元英首相が1946年、欧州を分断する「鉄のカーテン」がソ連により降ろされたと、その到来を告げた。あのソ連崩壊から四半世紀が過ぎて、今度は対中「新冷戦」の到来が語られている。
 本欄でも米中冷戦の気配を紹介はしたが、ペンス米副大統領の4日の発言によって熱を帯びてきた。ここでは中国研究の第一人者、米クレアモント・マッケナ大学のミンシン・ペイ教授の見解から、米ソ冷戦と比較しながら新冷戦の行方を展望しよう。
 米ソ冷戦初期のころ、ソ連がやがて米国を追い越すことになると考えられていた。共産主義が欧州に浸透し、ソ連経済は今の中国のように年6%近い成長だった。ブレジネフ時代には550万人の通常兵力を持ち、核戦力で米国を追い抜き、ソ連から東欧向けの援助が3倍に増えた。
 だが、おごるソ連システムに腐食が進む。一党独裁体制の秘密主義と権力闘争、経済統計の水増しなどどこかの国とよく似た体質である。やがてソ連崩壊への道に転げ落ちていった。
ソ連共産党が91年に崩壊したとき、もっとも衝撃を受けたのが中国共産党だった。彼らはただちにソ連崩壊の理由を調べ、原因の多くをゴルバチョフ大統領の責任とみた。しかし、ペイ教授によれば、党指導部はそれだけでは不安が払拭できず、3つの重要な教訓を導き出した。
 中国はまず、ソ連が失敗した経済の弱点を洗い出し、経済力の強化を目標とした。中国共産党は過去の経済成長策によって、一人当たりの名目国内総生産(GDP)を91年の333ドルから2017年には7329ドルに急上昇させ「経済の奇跡」を成し遂げた。
 他方で中国は、国有企業に手をつけず、債務水準が重圧となり、急速な高齢化が進んで先行きの不安が大きくなる。これにトランプ政権との貿易戦争が重なって、成長の鈍化は避けられない。しかも、米国との軍拡競争に耐えるだけの持続可能な成長モデルに欠く、とペイ教授はいう。
 第2に、ソ連は高コストの紛争に巻き込まれ、軍事費の重圧に苦しんだ。中国もまた、先軍主義の常として軍事費の伸びが成長率を上回る。25年に米国の国防費を抜き、30年代にはGDPで米国を抜くとの予測まである。だが、軍備は増強されても、経済の体力が続かない。新冷戦に突入すると、ソ連と同じ壊滅的な経済破綻に陥る可能性が否定できないのだ。
第3に、ソ連は外国政権に資金と資源を過度に投入して経済運営に失敗している。中国も弱小国を取り込むために、多額の資金をばらまいている。ソ連が東欧諸国の債務を抱え込んだように、習近平政権は巨大経済圏構想「一帯一路」拡大のために不良債権をため込む。
 確かに、スリランカのハンバントタ港のように、戦略的な要衝を借金のカタとして分捕るが、同時に焦げ付き債務も背負うことになる。これが増えれば、不良債権に苦しんだソ連と同じ道に踏み込みかねない。
 かくて、ペイ教授は「米中冷戦がはじまったばかりだが、中国はすでに敗北の軌道に乗っている」と断定している。日本が首相訪中の手土産として、一帯一路に乗ることがないよう祈るばかりだ。(東京特派員)
https://www.sankei.com/wo…/news/181016/wor1810160019-n1.html
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 日本は、米国と中国のはざまにあって、どのように国家の存立を図るか。私は米国との戦略的な提携を第一とし、アジアの自由主義諸国と協力しつつ、わが国の政治・経済・外交・軍事・諜報・教育等の総力を挙げて中国を封じ込め、中国の民主化を進めることが、日本の平和と繁栄の道と考えます。
 逆に、日本が米国から離れ、中国と結ぶ時は、中国共産党と人民解放軍によって支配され、中国に併合されることになるでしょう。それは、服従と滅亡の道です。
 早ければ10年、遅くとも30年の間に、日本の運命は決します。国家と民族の存亡を賭けて、日本の戦略を練り上げ、国民が団結・実行する必要があります。
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キリスト教107~産業革命による文明間の変化

2018-10-17 09:43:27 | 心と宗教
●産業革命による文明間の変化

 次に、産業革命による文明間の変化について述べる、
 先に書いたように産業革命によって、初めてイギリスはインド文明に対して生産力で優位に立った。かつてインドからイギリスに流れた木綿が、今度はイギリスからインドへと逆流した。それまでヨーロッパへの輸出に依存していたインド綿業は壊滅的な打撃を受けた。「この窮乏は商業史上に例を見ない。木綿職工の骨は、インドの野を真っ白にそめあげている」と描かれるような事態となった。これがムガル帝国の経済的基盤を掘り崩した。
 インド木綿がイギリス木綿にとってかわられたことは、イギリスにおける近代西洋文明の確立と、インドにおけるイスラーム的インド文明の凋落とを象徴する事件だった。インドは、やがてイギリスの植民地とされることになる。
 産業革命の結果、イギリスはアジアに木綿を輸出し、東方から銀を手に入れられるようになった。それによって、近代西洋文明は19世紀を通じて、ユーラシア大陸の他の諸文明を、次々に中核―半周辺―周辺構造に組み込みながら、発展していく。近代前期のユーラシアの五つの世界帝国と、西欧の世界経済の並立という状況は、産業革命によって大きく変貌する。近代世界システムの中に大英帝国という世界帝国が出現し、この近代化された世界帝国が、他の世界帝国を従えていった。
 産業革命は、大きく世界を変えた。産業革命は、機械による安価な大量生産を可能にした。紡織機の動力は水力から蒸気力に替わり、化石燃料である石炭が利用されるようになった。これにより、動力革命・エネルギー革命が起こった。
 動力革命・エネルギー革命は、交通革命をも引き起こした。陸では蒸気機関車の発明により、原料や製品が大量に運搬できるようになった。海では19世紀半ばに改良が進んだ蒸気船が高速で安定した輸出を実現した。陸海の交通革命の結果、都市が生活用品の大部分を生産する重要な生産の場に変わった。
 とりわけ鉄道建設は、1840年代から50年代にかけてラッシュとなった。50年代初頭には早くも鉄道網がイギリスを覆い、首都ロンドンを中心とする全国的な鉄道網が出来上がる。鉄道は都市の生活を農村に普及させ、都市と地方の生活の平準化を進めた。鉄道が作り上げた均一性を有する空間が、国民国家・国民経済という新システムの土台になっていく。鉄道建設の波はヨーロッパ大陸へと急速に広がり、国内市場の統一、国民国家の形成に大きな役割を果した。
 近代世界システムの中核部で、都市に人口が集中すると、高速輸送ネットワークを通じて、大量の食料や工業原料が、都市に供給されるようになった。それによって、さらに人口が集中し、都市と都市が結びついた広域的な人口稠密地帯が広がった。これが、都市爆発の時代の始まりとなった。
 産業革命とそれに伴う都市爆発によって、大規模な自然開発が進められた。エネルギー資源、工業原料、食糧等の生産は、森林の伐採、大気・河川・土壌の汚染、CO2の排出等、環境問題も生み出していく。
 ここにおいて、自然を征服・支配するというユダヤ=キリスト教の思想が、科学技術の力と結びつくことによって、地球の自然の破壊をもたらすことになった。

 次回に続く。
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プーチンに領土問題解決の意思はない~袴田茂樹氏

2018-10-16 10:52:52 | 心と宗教
 9月12日ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウラジオストクで行われた「東方経済フォーラム」で、安倍晋三首相をはじめとする各国首脳が出席する中、日本側に「年末までに前提条件なしで平和条約を締結しよう」と提案しました。この提案に対し、日本の政治家や官僚の中には、プーチンがこれまでの姿勢を変えた、北方領土問題の解決が早期に可能になると期待を抱いている人たちがいるようです。
 だが、私は、逆にプーチンはこれまで以上に強気になり、日本側に北方領土を諦めさせようとしているのではないかと思います。プーチンは、平成17年(2005年)9月国営テレビで「第2次世界大戦の結果南クリール(北方四島)は露領となった」と初めて発言し、その主張を繰り返しています。ロシアは近年、択捉、国後での軍事基地建設、新型地対艦ミサイル(「バスチオン」や「バル」)の配備などを次々に進め、北方領土の実効支配を一層強化しています。これだけやれば、日本は北方領土を諦めて、ロシアと平和条約を結ぶようになるだろうと見下しているのではないでしょうか。
 ロシア問題の専門家のうち、新潟県立大学教授の袴田茂樹氏は、産経新聞平成30年9月17日付の記事に大略次のように書いています。
 「ロシアのフォーラムでプーチン大統領から、一切の条件なしで年内に平和条約を締結し、領土問題などはその後討議との提案があった」。この提案は「「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結」という、プーチン氏自身がかつて認め、日本が今も忠実に守ろうとしている日露両国の合意を真っ向から否定するものだ。この合意は、彼が署名した2001年の「イルクーツク声明」、03年の「日露行動計画」に明記された東京宣言の基本命題だ」。「今回のプーチン氏の提案は、四島の帰属問題解決という平和条約締結の前提条件を、ひいては過去の条約交渉を全否定するもので、現実には領土問題解決の意思はない、と言ったに等しい」。「これまで日露が平和条約というときは、北方領土問題を意味していた」。「しかし今回はあえて「一切の条件なしで」と述べて、平和条約の意味を全く変えた。結局、領土問題解決の意思はない、という意味ではプーチン氏の態度は一貫している」「彼の本音をしっかり理解し、幻想を捨ててほしい」と。
 私は、この袴田氏の見方が妥当だと思います。
 以下は、袴田氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年9月17日

https://www.sankei.com/column/news/180917/clm1809170006-n1.html
2018.9.17 11:00更新
【正論】
ロシアに領土問題解決の意思はない 新潟県立大学教授・袴田茂樹

 ロシアのフォーラムでプーチン大統領から、一切の条件なしで年内に平和条約を締結し、領土問題などはその後討議との提案があった。日本政府は大いに困惑し、国民も驚いた。ただ私自身はついにプーチン氏は本音を述べたな、と思っただけだ。この提案の意味、背景、日本はどう対応すべきか-3点について述べたい。

≪プーチン氏の姿勢は明確だ≫
 まずこの発言では、領土問題解決といった条件を付けずに平和条約を締結し、その後全ての問題を解決しようと述べている。「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結」という、プーチン氏自身がかつて認め、日本が今も忠実に守ろうとしている日露両国の合意を真っ向から否定するものだ。
 この合意は、彼が署名した2001年の「イルクーツク声明」、03年の「日露行動計画」に明記された東京宣言の基本命題だ。国会による批准の承認なしでも有効な宣言ということも、彼は十分承知して署名した。
 平和条約が本来「領土問題など基本的な戦後処理の終了」を意味する以上、平和条約締結後の領土交渉はあり得ないし、日本側の期待を繋(つな)ぐための言葉の綾(あや)だ。わが国が1956年に平和条約を結ばなかった唯一の理由は領土問題の未解決である。今回のプーチン氏の提案は、四島の帰属問題解決という(これは強硬論ではなく中立的表現だからこそ彼も認めた)平和条約締結の前提条件を、ひいては過去の条約交渉を全否定するもので、現実には領土問題解決の意思はない、と言ったに等しい。

≪本音を理解し幻想を捨てよ≫
 発言の背景であるが、彼自身「シンゾウがアプローチを変えると言ったから」と述べた。2016年5月に安倍晋三首相はソチで、従来の領土交渉の発想に捕らわれない「新アプローチ」を提案した。露側の首脳は例外なくこれを「領土問題を棚上げして経済協力を中心に」と理解しているが、日本側は是正してこなかった。
 また今回のフォーラムでプーチン氏の発言直前に安倍首相は、経済協力などに多く触れながら平和条約にも4度言及した。しかしその際に「四島の帰属問題を解決して」という基本的条件を付していない。さらに、首相は平和条約に関して「今やらないで、いつやるのか、われわれがやらないで、他の誰がやるのか」と述べた。プーチン氏の発言は、これらに対する反応とも言える。
 プーチン氏は前々日の日露首脳会談の際、数十年続いた平和条約交渉が短期間に決着すると考えるのは稚拙だと述べた。また昨年11月のベトナムでの記者会見では、平和条約締結のとき「誰が両国の首脳か、安倍とプーチンか、その他の者かは関係ないし重要でもない」と断言した。これは、自分の任期中に平和条約を締結するつもりはない、と言ったに等しい。これらの発言は、「年末までに平和条約締結を」という提案と全く逆に見えるが、そうだろうか。
 実はこれまで日露が平和条約というときは、北方領土問題を意味していた。だから「任期中に結ぶ意思はない」「長期的問題」という意味の発言となったのだ。しかし今回はあえて「一切の条件なしで」と述べて、平和条約の意味を全く変えた。結局、領土問題解決の意思はない、という意味ではプーチン氏の態度は一貫している。
 だからこそ05年9月の国営テレビで「第二次世界大戦の結果南クリール(北方四島)は露領となった」と初めて発言して以降、その主張を繰り返し、日本側を歴史の「修正主義者」としているのである。プーチン氏の対日姿勢は柔軟で露外務省が強硬派というのは神話で、単なる「分業」だと私は述べてきたが、彼の本音をしっかり理解し、幻想を捨ててほしい。

≪日本の考えを世界に発信せよ≫
 では、わが国としてどう対応すべきか。今回のようなフォーラムや日露共同記者会見の時、プーチン氏は露側の論理や日本批判の言葉を、間違っていても平然と述べる。今回彼は、日ソ共同宣言の領土条項は、1960年にソ連側が日米安保条約改定を口実に破棄したのに「日本側が実行しなかった」と虚偽を述べた。2016年12月の日露共同記者会見では、北方領土問題の歴史について露側の歪曲(わいきょく)された論理を縷々(るる)述べた。
 このような時、日本側は冷静に「露側の考えは興味深く伺った。この機会に、われわれが確信している考えを述べたい」と理路整然と日本の見解を述べ、それを政府サイトから日本語と主要言語で世界に発信すべきだ。「大統領発言にいちいち反応しない」との日本首脳の言は客観的には卑屈で、露側の論理の容認と拡散を招く。
 露上院議長が来日したときも、勝手放題に日本側見解を否定する論を述べた。伊達忠一参議院議長が7月に訪露した際、上院での講演で露側の誤解を正す発言は一切していない。露人はすり寄ってくる相手は喜んで利用するが見下す。逆に緊張感を与える相手は、時に不快に思っても一目置く。露人は敬意を抱かない相手とは絶対に本気で交渉はしない。(はかまだ しげき)
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キリスト教106~イギリスの奴隷貿易と奴隷解放

2018-10-15 12:46:14 | 心と宗教
●イギリスの奴隷貿易と奴隷解放

 イギリスは産業革命を実現して繁栄の道を歩んだ。その繁栄は、奴隷貿易による収奪の結果、もたらされたものだった。その点をここで述べたい。
 話は、イギリスに先駆けたスペインのことから始めねばならない。スペイン人は、地理上の発見によって大西洋に乗り出すと、最初は黄金を求めてカリブ海域から、アメリカ大陸の南北に進出した。中米に侵攻したコルテスは、1521年にメキシコでアステカ文明を滅ぼした。南米に侵攻したピサロは、1533年にペルーでインカ文明を滅ぼした。西方キリスト教文明が有色人種の非キリスト教諸文明を滅亡させたのである。こうしてスペインの領土は、北米南西部からブラジルを除く南米全体に及んだ。
 スペイン支配のラテン・アメリカでは、エンコミエンダ制の下で、先住民が大農場や鉱山で酷使された。エンコミエンダ制は、インディオのキリスト教化と保護を条件に、国王が植民者に征服地の土地・住民の統治を委託する制度である。国内法では奴隷を否定していたスペインは、この制度を使ってインディオを実質的に奴隷化し、土地・資源・労働力を支配下に組み入れた。エンコミエンダ制の根底には、キリスト教徒以外は人間と見なさないという偏狭で傲慢な発想があった。有色人種への虐待・虐殺は、教皇の権威と聖書の文言によって正当化された。宣教師は、異文明への侵攻、異教徒の支配の先鋒となった。
 苛酷な労働と、外来の天然痘等の伝染病によって、先住民の人口は激減した。ヨーロッパ文明と出会う前、中米の人口は7千万人から9千万人あったと推定されているが、15世紀末にスペイン人が侵入してから、わずか1世紀の間に、350万人に激減したと見積もられる。インディオ人口が激減する中で、1720年にエンコミエンダ制が廃止されると、土地の所有権をもつ大地主が多くの債務を負わせたインディオを債務奴隷として支配するアシェンダ制に変わった。この一方、労働力不足を補うために、アフリカ大陸から黒人奴隷が輸入された。
 この黒人奴隷の奴隷貿易がイギリスに莫大な富をもたらし、さらに産業革命による飛躍的発展を可能にした。
 ヨーロッパの奴隷貿易は1530年頃、始まった。キリスト教徒は黒人を奴隷として家畜のように使うことに何ら良心の痛みを感じなかった。最初は小規模だったが、ラテン・アメリカで砂糖のプランテーションが行われるようになった16世紀後半から、急激に拡大した。砂糖の栽培・収穫・製糖には、多くの労働力が必要だったからである。
 17世紀に入ると、西欧で茶やコーヒーが流行し、砂糖の需要が増加した。イギリス人は砂糖の製法をオランダ人から学び、バルバドス、次いでジャマイカ島へと砂糖プランテーションを拡大した。18世紀には、紅茶やコーヒーの飲用が普及して、砂糖の需要がますます増大した。イギリス支配下のジャマイカ島は、ブラジルを抜き、世界有数の砂糖の産出地になった。
 イギリスは、1714年、スペイン継承戦争の結果結ばれたユトレヒト条約で、スペイン植民地での奴隷貿易独占権を獲得した。これによって、イギリスは奴隷貿易の主導権を握った。イギリス商人は、奴隷の大量輸送方式を実現し、オランダなど他国の奴隷貿易を遥かに凌ぐに至った。僅か2~3ポンドで購入した奴隷を25~30ポンドの10倍の値段で売却し、大きな利益を上げた。
 18世紀前半には、イギリス商人は、リバプールから武器や雑貨を西アフリカに輸出し、黒人奴隷と交換した。黒人奴隷は、西インド諸島やアメリカ大陸に運ばれた。そこでの人身売買の代金で砂糖等が購入され、イギリスに搬送された。イギリスからアメリカ大陸には毛織物等が輸出され、ヨーロッパーアフリカーアメリカ大陸を結ぶ三角貿易が成立していた。綿工業が盛んになると、ここに新たな商品としてアメリカの綿花が加わった。
 イギリス人は、アメリカからリバプールに戻る奴隷貿易船で綿花を運び、ランカシャー地方で綿布生産を本格化した。綿布需要は急速に伸び、1750年代以降になると生産が追いつかない状態になった。そこに産業革命が起った。
 リバプールの奴隷貿易は、1795年にはヨーロッパ全体の奴隷貿易の7分の3に上るまでになった。そして、1820年代以降、イギリスの綿花輸入の70%以上が、アメリカ合衆国の綿花で占められるようになった。アメリカ大陸の原料、イギリスの紡績技術、環大西洋圏の市場が結びついた。そして、アメリカ綿花のイギリスへの輸出、イギリス木綿のアフリカへの輸出、アフリカ人奴隷のアメリカへの輸出というイギリスを中心とした三角貿易が活発に展開された。
 イギリス綿工業が黒人奴隷の奴隷労働の上に発展したことは、重要な歴史的事実である。奴隷貿易大国イギリスだからこそ、黒人奴隷の酷使によって作られた原料の綿花を確保できたのである。そして、産業革命によって飛躍的に生産力が向上した工場で綿製品を量産し、莫大な富を獲得したのである。
 奴隷貿易は最盛期には、イギリスだけで毎年30万人以上の黒人奴隷が大西洋を越えて運ばれた。19世紀初頭までの間に、推計1,000万人から2,800万人の黒人奴隷が大西洋を渡ったとされる。人類の歴史上最大の権利侵害である。ヨーロッパ人によってアフリカから拉致された黒人は、3千万人から6千万人に及び、その3分の2が航海途上で死亡して、大西洋に捨てられたといわれる。有色人種の犠牲者数は、20世紀の近代兵器による世界大戦の死亡者数をも上回る。
 この間、18世紀末ころからヨーロッパに、黒人も人間であるという見方が現れた。キリスト教徒の中にも良心の呵責が生まれたのである。まずイギリス人の中に奴隷制の非人道性に気づいた者が現れ、1787年に奴隷貿易・奴隷制に反対する運動が始まった。
 奴隷貿易廃止のための議会請願運動が行われ、奴隷労働によって生産された砂糖をボイコットする運動も行われた。これを受け、議会では活発な議論が繰り広げられた。その結果、1807年に欧米諸国としては初めて、イギリスで奴隷貿易が廃止された。続いて、1820年代には、奴隷制廃止のための活動が開始された。この時も議会請願運動が起こり、150万人以上の人々の署名が集まった。こうした大衆運動を背景として、1833年には奴隷制そのものが、欧米諸国で初めてイギリスで廃止された。
 こうした奴隷貿易・奴隷制の廃止は、1804年にハイチで黒人奴隷が反乱を起こし、フランスから独立を勝ち取ったことや、重商主義から自由主義への経済政策の転換に伴う奴隷の必要性の減少のためだと考えられてきた。しかし、近年は、奴隷制の非人道性に目覚めたイギリス人が、解放奴隷たちと連携して行った世界初の人権運動の成果と理解されている。合衆国における奴隷制の廃止は、南北戦争後まで待たねばならない。

 次回に続く。
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宗教消滅論批判をアップ

2018-10-13 08:53:24 | 心と宗教
 9月24日から10月11日にかけてブログに連載した島田裕巳氏の宗教消滅論への批判を編集して、ブログに掲載しました。まとめてお読みになりたい方は、下記へどうぞ。

■宗教は消滅せず、新たな発展へ向かう~島田裕巳氏の宗教消滅論批判
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11h.htm
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教育勅語には現代に生かすべきものがある

2018-10-12 08:55:40 | 教育
 第4次安倍内閣の文科相となった柴山昌彦氏は、10月2日就任後の記者会見で教育勅語に関し、次のように述べました。
 「アレンジした形で、今の例えば道徳などに使える分野が十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分がある」
 「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」
 これに対し、野党から「戦前回帰につながる」という批判が上がりました。柴山文科相は5日の閣議後会見で、記者からの質問に答え、教育勅語について「(2日の発言は)いまなお部分的に現代的なアレンジをする形で、利用できる理念というものがあるということを申し上げたまでで、決して教育勅語を復活させるということを話したわけではない」「政府として教育勅語の活用を(学校現場などに)促す考えはない」と述べました。
 政府は昨年3月、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」とする答弁書を閣議決定しています。野党の一部のように、教育勅語を全否定する姿勢は間違っています。教育勅語とはどういうものか、下記の拙稿に書いていますので、ご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion02c.htm
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宗教消滅13~宗教は存続し、新たな発展へ向かう

2018-10-11 09:36:58 | 心と宗教
 最終回

●第4の動向として、中国における宗教弾圧がある

 宗教の世界的状況を見る時、島田氏の上げる三つの動向以外に、第4の動向として、中国における宗教への弾圧を加える必要がある、と私は考える。中国における宗教弾圧は、旧ソ連におけるキリスト教(ロシア正教)への弾圧に続き、さらに大規模で苛烈な共産主義による宗教弾圧である。チベットでのチベット仏教への迫害、新疆ウイグルでのイスラム教徒への迫害、また法輪功等の新宗教への取り締まりは、深刻な人権問題となっている。今後、中国がアジアから世界へと覇権を拡大していくと、中国の支配下にある諸国では、こうした宗教弾圧が行われることが予想される。
 習近平総書記兼国家主席は、平成29年10月の中国共産党第19回全国代表大会で、習思想を党規約に明記し、独裁体制の確立を進めた。中国共産党は「宗教を僕(しもべ)にしてしまおう」としており、その一方、中国の仏教協会・道教協会には宗教の信念を曲げて政権党に媚びる動きがある。そうした中国の動向について、平成29年10月ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、次のように書いた。
 「『中国の特色ある社会主義』の下、各民族は『ザクロの実のように寄り集まり』、宗教は『中国化』され『社会主義社会への適応』を求められる。文化も社会主義イデオロギーに導かれ、社会主義の『核心的価値観』が人々の心にぴったりはまり(アイデンティティーとなり)、行動・習慣に自然に反映されるよう、家庭、子供に至るまで教育を徹底させる。かくして『愛国主義、集団主義、社会主義』の教育が一層強化されるというのだ」
 「習氏は『偉大なる中華民族の復興』を謳い、『中華民族は世界の諸民族のなかにそびえ立つだろう』とし、『人類運命共同体』の構築を提唱した。これからの中国を読み解く上での重要な言葉となるであろう人類運命共同体構想は『世界制覇宣言』と同義語かと思う。人類は皆、中国の下で中国主導の運命共同体の一員として生きることを要求されるのか」と。
 櫻井氏が指摘した宗教の「社会主義社会への適応」は、すでに中国では強力に進められつつある。やがて中国共産党が支配する領域を広げていくにしたがって、中国以外の国でも、宗教の「中国化」が強要されることになるおそれがある。
 人類社会における宗教の衰退は、中国の世界的な覇権拡大によってこそ、最も深刻な形で進行する可能性がある。島田氏は、この点も全く視野に入っていない。もし島田氏が予測するように、世俗化が世界的に進行し、宗教が消滅して社会が無宗教化するならば、そのような地球社会は、中国共産党が支配する「社会主義社会」となるだろう。島田氏は、資本主義の終焉の先に、そのような「社会主義社会」が到来することをよしとするのだろうか。私は、世界が唯物論による全体主義に支配されないようにするために、人類は宗教の価値を再発見すべきであると考える。また同時に、世界の諸宗教は旧来の教義や慣習にとらわれずに、真に人類の幸福と発展に寄与する道を真剣に求めるべきだと呼びかけたい。

●宗教は存続し、新たな発展へ向かう

 島田氏は、宗教の必要性を資本主義経済の成長による経済格差の拡大における弱者への社会的救済としてしか見ていない。島田氏の見方は、戦後日本で新宗教に入信するものの動機として挙げられた貧・病・争のうちの貧を中心とした見方である。貧しさであれば、経済成長で物質的に豊かになり、社会保障が発達すれば、改善される。それによって宗教に対する関心は低下するだろう。だが、宗教の必要性は、貧しさの改善だけではない。宗教は、人間の中にある自己実現・自己超越の欲求に根差したものであり、貧富に関わらず、人々は自己実現・自己超越を求める。宗教は、人々に自己実現・自己超越の方法を示す。また宗教は、人間の実存的な悩みや死の問題について取り組む智恵を与える。これはいかに科学や文化が発達しても、人間にとって逃れられない課題である。そして、宗教の価値の多くは、自己実現・自己超越の欲求の実現や実存的な悩みや死の問題について、独自の役割を担うところにある。島田氏はこうした宗教の価値についての理解が浅く、それを評価できていない。
 自己実現・自己超越の要求については、拙稿「宗教の諸相と発展可能性」の「7.宗教と自己実現」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11g.htm
 また、死の問題とその解決については、拙稿「宗教、そして神とは何か」の「7.生と死の問題」「8.大安楽往生と魂の救い」に書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11d.htm
 人間に自己実現・自己超越の欲求があり、また人間が死すべきものである限り、宗教の必要性はなくならない。私は、世俗化によって宗教の個人化ないし私生活化が進むなかで、宗教は社会における役割を変化させながら、これまでとは違う形で宗教独自の価値を発揮していくだろうと考える。
 ただし、近代化・合理化の進展のなかで、既成宗教は科学の知見との矛盾を広げ、時代遅れになっている。そのため、これらの課題についても、現代人の要求に応えられなくなっている。先進国を中心に、人々は、自分が生まれた社会の伝統や慣習であるような形式的・制度的宗教から離れて、自分にとって本当に価値あるもの、本物を探し求め出している。そして、この科学が発達し、人々の知識が増大した時代において、現代人の要求に応えられるような新しい宗教、宗教を超えた宗教の出現が待望されている。
 従来の宗教は、天動説の時代に現われた宗教である。今では、地球が太陽の周りを回っていることを、小学生でも知っている。パソコンやスマートフォンや宇宙ステーション等がないどころか、電気や電燈すらなかった時代の宗教では、到底、現代人の心を導けない。
 伝統的宗教の衰退は、宗教そのものの消滅を意味しない。むしろ既成観念の束縛から解放された人々は、古代的な宗教から抜け出て、精神的に成長し、さらに高い水準へと向上しようとしている。また、より高い精神性・霊性を目指す人々が徐々に増えている。先進国における既成宗教からの人々の離脱は、こうした方向への変化の過程における一つの現象とみることができる。
 いまや科学が高度に発達した時代にふさわしい、科学的な裏付けのある宗教の出現が待ち望まれている。また、宗教には、人類が核戦争と地球環境破壊の危機を乗り超えるように、人類を精神的に導く力が期待されている。宗教はこれまでの古い殻から脱け出て、より高度なものへと向上・進化すべき時を迎えている。21世紀に現れるべき新しい宗教は、従来の宗教を超えた宗教、すなわち超宗教となるだろう。そうした宗教に求められる特長は、次のようなものとなるだろう。

◆実証性 実証を以て人々の苦悩を救う救済力を有すること
◆合理性 現代科学の知見と矛盾しない合理性を有すること
◆総合性 政治・経済・医学・教育等のすべてに通じる総合性を有すること
◆調和性 人と人、人と自然が調和する物心調和・共存共栄の原理に基づくこと
◆創造性 人類普遍的な新しい精神文化を生み出す創造力を有すること

 こうした特長を持った超宗教が出現・普及することによって、新しい精神文化が興隆し、現代文明の矛盾・限界を解決する道が開かれることが期待される。そして、従来の宗教を超えた超宗教が出現し、世界に普及することによって、発展的解消に向かうだろうと私は予想する。この点については、拙稿「宗教の諸相と発展可能性」の「8.科学と宗教の融合」、及び「ユダヤ的価値観の超克~新文明創造のために」の「第4章 人間観の転換を」に書いたので、そちらをご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion11g.htm
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm
(了)
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