ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

インド22~カースト制の由来・身分

2019-11-15 09:34:22 | 移民
◆由来

 アーリヤ人は、インドに侵入して先住民族を征服する過程で、先住民族をダーサ(悪魔)、ダスユ(魔族)と呼んで敵視し、また蔑視した。征服によって支配―被支配関係が固定すると、ダーサという語は「隷属する者」を意味するようになった。アーリヤ人は肌が白く、先住民族は肌が黒い。アーリヤ人は、肌の色の異なる被支配民族を隷属させ、彼らの身分制度に組み込んだ。そのため、支配者と被支配者の違いは、そのまま肌の色の違いともなった。支配民族の中では、バラモン(祭官)とクシャトリヤ(王族、戦士)が上層を成し、ヴァイシャ(庶民)が下層を成す。これら三つの身分は、肌が白い。これに対し、彼らに隷属する被支配民族は、シュードラ(隷民)と呼ばれ、肌が黒い。上位三つの身分と下位の身分とは、肌の色によって峻別される。そして、ヴァルナすなわち「色」「肌の色」を意味する語が、身分を表す語となった。こうしてできた身分制度が、ヴァルナ制である。これが、カースト制の原型となった。
 『リグ・ヴェーダ』には、ヴァルナ制に関わる神話がある。原人プルシャを犠牲とする祭儀が行われたとき、プルシャの口からバラモン、腕からクシャトリヤ、腿からヴァイシャ、足からシュードラが生まれたとするものである。身分の上下関係と身体の部位・機能とが関連付けられている。
 ヴァルナ制の成立は、後期ヴェーダ時代の半ば、前8世紀頃とされる。もともとアーリヤ人と非アーリヤ人を肌の色で区別するための用語だったヴァルナは、民族間の混淆が進むと、本来の語義が薄れ、種姓を表す語になった。ヴァルナ制は、輪廻の思想、カルマンとその法則、穢れの観念と結びついて、インド人の社会と生活を規定するものとなった。
 四つのヴァルナは、やがて様々な身分的・職能的な集団に細分化されていった。前6世紀頃から、貨幣経済が発達し始め、社会や経済のしくみが複雑になっていった。ヴァルナの枠組みの中で、職業の分業化が進み、世襲的な専業集団が発達した。この集団が、ジャーティである。  
 ジャーティの原義である「生まれ」「出生」によって、どの身分・職業に就くかが先天的に決められることになった。ジャーティは、生まれによる血縁的な集団であり、かつ職業・婚姻・食卓を共にし得る身分的かつ職能的な集団である。これが、カースト制の基礎となる共同体の単位となっている。ジャーティは、今日3~4,000程あるといわれる。それらのジャーティの中には、民族や部族、宗教が規定的な集団も存在する。
 このように、カースト制は、肌の色が異なる民族間の征服によって形成されたというインド社会の多民族性に起因する。この人種的・民族的要因に、社会の発展とともに経済的・社会的要因が加わって、複雑な制度となったものである。人種的・民族的側面を表すのがヴァルナであり、経済的・社会的側面を表すのがジャーティである。それゆえ、カースト制は、ヴァルナだけでもなく、またジャーティだけでもなく、ヴァルナとジャーティによって構成される制度である。

◆身分

・バラモン
 バラモン(祭官)は、聖典の言葉に内在する不思議な霊力、神秘力を意味するブラフマンを備えているとされる身分である。ヴェーダの宗教では、バラモンは宗教的指導者の集団として、祭儀・教学を独占した。ヴェーダに精通する学識あるバラモンは、神々を動かし、自然界を支配する能力を持つとされ、「人間である神」として尊崇された。
 世界各地の古代社会では、族長や国王が政治的権力と宗教的権威を併せ持ち、社会の中心となっていた。僧侶や神官が専門的な職業となっても、それらは王に服従する者たちだった。だが、インドでは非常に古い時代からバラモンが王より上位に立ち、政治的な権力が宗教的な権威に従属する体制となった。
 これが伝統として継承され、ヒンドゥー教においても、バラモンは社会の最上層を占めている。ヒンドゥー教徒の生活はすべて宗教儀礼と結びついている。その儀礼を司るバラモンは特別な存在とされているのである。

・クシャトリヤ
 クシャトリヤは、軍事力や政治力を持つ身分である。「王族」「戦士」などと訳される。釈迦族の王子で仏教の開祖となったゴータマ・シッダールタ、『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナから教えを受ける戦士アルジュナは、クシャトリヤである。

・ヴァイシャ
 ヴァイシャは、生産活動に従事する身分である。「庶民」と訳す。もともと農業、牧畜業、商業に就く者のことだったが、分業の発達と産業の多様化によって、手工業や製造業等へと職業の範囲が広がった。さらに、後には主として商業を行う者を指すようになった。

・シュードラ
 シュードラは、被征服民族が一つの身分になったものである。「隷民」「従僕」「労働者」などと訳す。古代には、人々が忌避する職業にしか就けなかった。だが、中世以降、ヴァイシャに替わって、農牧業・手工業等の肉体労働に従事する者を指すようになった。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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香港で「香港人、抵抗せよ!」という反共スローガン

2019-11-14 10:06:08 | 国際関係
 香港情勢について、産経新聞11月9日付けの「香港、強まる反共スローガン デモからレジスタンスへ」と題された記事で、藤本欣也副編集長は、次のように書いた。

 「今や、香港市民たちの抗議活動はデモのレベルを超えた。中国当局からみれば「反乱」であり、香港側からみれば、共産党支配に対する「レジスタンス」(抵抗運動)である。市民たちのかけ声も「香港人、頑張れ!」から、「香港人、抵抗せよ!」に変わった。
 これまでの拘束者は3千人超。3分の1が学生だ。市民たちは運動が押さえ込まれれば、中国当局による容赦のない報復が待っていることを、1989年の天安門事件で知っている。若者たちの「もはや引き返せない」との思いが行動をより先鋭化させる。
 香港への圧力を強める共産党に対し、自由の擁護と民主化を求めてやまない香港市民たち。日本政府は旗幟鮮明にすべきときだ」

 最後の日本政府は旗幟鮮明にすべきということは、私がここ数か月繰り返し、主張していることである。
 安倍首相は先ごろ「来春の習主席の国賓訪日を、日中新時代にふさわしい有意義なものとするため、協力を進めていきたいと思います」と述べたが、中国共産党のトップ、習近平を国賓として招待することは、現在の情勢において、まことにふさわしくない。
 我が国政府は、香港、ウイグル、チベットにおける中国共産党の虐待・虐殺を強く非難すべきであり、また我が国との尖閣諸島をめぐる緊張関係についても、断固たる姿勢を示すべきである。
 以下は、最近の香港関係のニュースから。

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●産経新聞 令和元年11月8日

https://www.sankei.com/world/news/191108/wor1911080012-n1.html
香港抗議現場付近で学生転落死 若者ら反発強める 
2019.11.8 19:42|国際|中国・台湾

 【香港=藤本欣也】香港警察への抗議活動が行われていた新界地区で建物から転落した香港科技大の男子学生(22)が8日、死亡した。反政府デモを続ける若者らは「警察の暴力による死者が初めて確認された」と反発を強めており、抗議活動がさらに激化する可能性がある。
 同日夜には香港各地で学生の追悼会が催された。
 学生は4日未明、新界地区の住宅街にある立体駐車場の3階から2階に転落。頭を強く打ち、8日、搬送先の病院で死亡した。
 学生がどのような状況で転落したかは不明。ただ、警官隊は当時、市民らを排除するため立体駐車場に向けて催涙弾を撃っており、「学生は催涙弾から逃れようとして転落したのでは」との見方が浮上した。
 警察は「催涙弾を撃った場所は現場から120メートル離れている」と釈明したが、警察が救急活動を妨げたとの証言もあり、「学生は警察の暴力によって死亡した」と信じる若者が多い。
 背景には、警察の過剰な制圧行為への反発があるほか、最近、若者たちの不審死が社会問題化している事情がある。
 9月下旬、新界地区の海で水死体で発見された女子専門学校生(15)のケースもその1つ。
 香港メディアによると、女性は全裸だったが、警察当局は「遺体に外傷はなく事件性はない」と判断、自殺と見てすぐに火葬された。しかし友人らは「彼女は泳ぐのが得意だった」として自殺を疑問視した。
 政府寄りのテレビ局を通じて、母親が自殺を認めた映像が流れたが、友人らは「別人だ」と指摘。女子学生は反政府デモに参加していたことから、「警官に暴行されて死亡し、警察はそれを隠蔽している」とみる若者が多く、今でも抗議活動が続いている。
 7日、抗議活動に参加した女性(20)は「全裸で見つかったのに事件性がないとは…。警察は信用できない」と話していた。
 香港のネットメディアによると、デモが本格化した6月以降、入水自殺や飛び降り自殺として処理される若者の遺体が増えているという。真偽は不明だが、それを信じる市民は多い。

●産経新聞 令和元年11月9日

https://www.sankei.com/world/news/191109/wor1911090012-n1.html
香港、立法会7議員を逮捕 民主派「区議会選中止狙い」と反発
2019.11.9 20:26|国際|中国・台湾

 【香港=藤本欣也】香港警察は民主派の立法会(議会)議員7人を立法会の条例違反で逮捕することを決め、9日までに着手した。その内の1人の林卓廷議員は香港紙に、「警察は社会の対立をあおり、(24日投票の)区議会(地方議会)選を中止する口実を作ろうとしている」と非難した。
 香港警察によると、民主派の議員らは今年5月、反政府デモのきっかけとなった「逃亡犯条例」改正案を審議する立法会の委員会で、委員長の選出などを妨害した疑いがある。
 立法会議員は区議会議員も兼ねることが可能で、7人のうち4人が区議会選に立候補している。一定以上の有罪判決が出なければ資格は取り消されないが、選挙戦への影響は小さくない。今回の区議会選は民主派が有利とみられている。
 また9日夜には、警察の取り締まり中に建物から転落し死亡した男子大学生(22)の追悼集会が香港島中心部で行われた。警察への反発を強める若者らは「香港人よ、報復せよ!」などのスローガンを叫んでいた。
 香港では大規模デモが起きてから9日で丸5カ月を迎えたが、混乱収束のめどは全く立っていない。

●日本経済新聞 令和元年11月11日

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52044310R11C19A1EA1000/?fbclid=IwAR3nihP_pxZRdARnIQJaVWxE0RFKRCMw7R1aKX5ajN692T0-OERDct1Rms8
香港警察、デモ隊に強硬姿勢 中国4中全会決定受け
2019/11/11 21:00日本経済新聞 電子版

【香港=木原雄士、北京=高橋哲史】香港情勢が再び緊迫してきた。11日に各地で民主化を求めるデモ参加者と警察が衝突し、警察が発砲した実弾で男子学生が負傷した。中国共産党の重要会議である第19期中央委員会第4回全体会議(4中全会)の議論を受け、香港政府は過激なデモへの強硬姿勢を強めている。(略)
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インド21~宗教と生活の一体性

2019-11-12 09:31:30 | 心と宗教
●宗教と生活の一体性

 インドでは、聖と俗が分離しておらず、宗教と生活が一体となっている。ヒンドゥー教徒の人生は、受胎、誕生、成人、結婚等から死に至るまで、すべて宗教儀礼と結びついており、ヒンドゥー教の定めによって規定されている。言い換えれば、ヒンドゥー教徒の生活は、その生き方全体がヒンドゥー教と呼ばれるべきものなのである。
 ヒンドゥー教徒の人生には四大目的がある。物質的・経済的利益としての実利 (アルタ)、本能的な愛欲としての性愛 (カーマ)、理法・規範としての法(ダルマ)、そして解脱(モークシャ、ムクティ)である。解脱を実践の目標とするヒンドゥー教は、現世否定が基本的態度なのだが、実際には家族の存続・繁栄や社会的な義務の遂行を重んじ、それらを最終目的としての解脱への道の階梯と位置付けている。
 ヒンドゥー教には、ダルマすなわち宗教的・道徳的・慣習的・法律的等の規範をまとめた法典群がある。そのうち最も重要なのが、『マヌ法典』である。『マヌ法典』の中心的課題は、種姓法と生活期法である。種姓法とは、生まれついた身分的な集団に関する規範であり、生活期法とは、人生の各段階に関わる規範である。前者はカースト制、後者は四住期に関わるものである。ヒンドゥー教徒は、これらの規範を実行しなければならない。また、各自に課せられた義務を、事の成否や利害を考えずに、実践することが求められている。そのうえで、人生の最後には解脱を目指すように教えている。
 それゆえ、ヒンドゥー教徒は、個人の魂の輪廻転生を固く信じながら、同時に家庭では祖先崇拝の祭儀を行い、宇宙的な真理を探究しながら、同時に現実的な御利益を求める信仰を熱心に行う。こうした相反する行為の片方を否定せず、矛盾を矛盾と感じずに行うのが、ヒンドゥー教的な生き方となっているのである。

●カースト制~ヴァルナとジャーティ

◆概要
 ヒンドゥー教は、いわゆるカーストという制度と深く結びついており、カーストがヒンドゥー教徒の生活を全般にわたって規定している。
 カーストは、インドの言葉ではない。16世紀初頭にインドに進出したポルトガル人が、インド社会特有の複雑な身分的・職業的な集団に出会い、これをポルトガル語で血統・家柄を意味する「カスター」という語で呼んだ。それがカーストという語の由来である。
 カースト制は、世襲による身分的かつ職業的な集団を基礎とする。各個人は出生とともにいずれかのカースト的な集団に所属する。その諸集団は、厳密に区別され、職業、結婚、食事等に関する規則を順守する。集団の内部では、人々は緊密な結び付きを持ち、信仰を共にし、共同で祭宴を行う。また各集団は自治的な機能を持っている。
 歴史的には、まずヴァルナと呼ばれる4つの身分的な集団が成立し、その後、ヴァルナ制の下に、職業を世襲するジャーティと呼ばれる集団が形成された。わが国では、もともと肌の色を意味したヴァルナを、しばしば「種姓」と訳す。ジャーティは「生まれ」「出生」を意味する。わが国にはカーストのことを種姓と訳し、カーストとはヴァルナのことだと説く学者もある。だが、ヴァルナの他にジャーティがあり、それがカースト制を構成する単位集団である。そのため、カーストとはジャーティのことだと説明する学者もいる。私は、カースト制は、ヴァルナとジャーティによるもので、ヴァルナ=ジャーティ制と呼ぶのがよいと考える。以下において、ヴァルナ=ジャーティ制のことを便宜的にカースト制と呼ぶ。

 次回に続く。

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量子コンピュータで「黄金時代」へ

2019-11-11 13:04:59 | 文明
 拙著「人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍」の「結びに」に、つぎのように書いた。

 「「ムーアの法則」によると、二〇四五年に一個のノートパソコンが全人類の脳の能力を超えると予測される。人工知能が人間の知能を完全に上回るということである。そのような時代を未来学者レイ・カーツワイルは「シンギュラリティ(特異点)」と呼んでいる。人間とコンピュータが一体化し、ここで「人類は生物的限界をも超える」―――カーツワイルは、その時、人類の「黄金時代」がはじまるという。」

 このように書いた際、私の念頭にあったものの一つが、量子コンピュータの実現である。まさかこれほど早く、それが誕生するとは、思わなかった。
 スーパーコンピュータの15億倍を超える計算速度を持つ量子コンピュータが実用化される時、人類の歴史はシンギュラリティに到達するだろう。想像を絶する新時代は、確実に開かれようとしている。

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●産経新聞 令和元年11月3日

量子コンピューター、スパコンより15億倍の超速計算 革命技術誕生へ大きな一歩 

 世界最速のスーパーコンピューターより約15億倍も速く計算ができる量子コンピューターが誕生した。米グーグルは先月発表した論文で、産業や社会を一変させる量子コンピューターが実現可能なことを明確に示し、世界に衝撃を与えた。本格的な実用化はまだ遠い先だが、異次元の情報技術への扉が開かれたことで、開発競争は一段と激化しそうだ。(松田麻希)

 量子コンピューターは、極微の世界の物理法則である量子力学の特性を利用した次世代の計算機。スパコンをしのぐ計算速度を発揮すると期待されてきたが、実証したのは初めてだ。
 グーグルが英科学誌ネイチャーに発表した実験結果によると、同社の量子コンピューターの試作機は、計算速度の世界ランキングで首位に立つ米IBM製のスパコン「サミット」でも1万年かかる計算をわずか3分20秒で完了。計算速度は実に15億7680万倍で、量子コンピューターの性能が従来のコンピューターを上回ることを示す「量子超越」を達成した。
 「米国は量子超越を成し遂げた!」。トランプ米大統領の長女、イバンカさんはツイッターで、「偉業」をたたえた。仮想通貨の暗号が量子コンピューターで解読されるのではないかとの懸念から、ビットコインの価格は急落した。
 論文を査読した大阪大の藤井啓祐教授は「人類の科学史上、大きな一歩だ。量子コ
ンピューターを実現する意味が明確になった」と意義を話す。実現すれば人工知能(AI)や新薬などの開発が飛躍的に加速するほか、スパコンでは扱えなかった極微の世界の自然現象を解明できる可能性がある。電力消費を抑えながらコンピューターの能力を向上できる利点もあり、エネルギー問題にも貢献しそうだ。

実用化には課題

 将来の情報技術の「本命」とにらみ、米中の研究機関や巨大IT企業が開発にしのぎを削る。グーグルは、その先頭を走る意思を世界に示した格好だ。同社が主張するほどスパコンと性能差はないと、競合するIBMが即座に反論したことからも、競争の激しさがうかがえる。
 ただ、今回の実験は量子コンピューターに有利な特定の計算問題を使っており、あらゆる計算ができる実用的な量子コンピューターの完成にはほど遠い。専門家の間では、本当の意味で量子超越が実証されたのか疑問を呈する声もある。
 東京大の古沢明教授は「量子コンピューターは期待値と現実がこれまでも乖離していたが、さらに広がった。一過性のブームで(研究費が減る)冬の時代が来てしまうのでは」と、過剰反応に懸念を示す。
 だが20~30年後に本格的な量子コンピューターが実用化したとき、「量子計算時代」の幕開けを飾った一場面として、今回の成果が思い出されるのは間違いないだろう。
 「ライト兄弟による初の有人飛行に匹敵する」。論文を査読した米マサチューセッツ工科大のウィリアム・オリバー教授はネイチャー誌への寄稿でこう書いた。兄弟の初飛行はわずか12秒だったとされ、実用に堪えるものではなかったが、人類に飛ぶという選択肢を与えた。これと同じように、グーグルは量子計算という新しい科学の手段を人類にもたらしたといえる。
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「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」の感想

2019-11-10 10:20:21 | 皇室
 11月9日、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」が開催されました。私は幸い招待券を頂くことができたので、皇居前広場にて、奉祝まつりを見た後、祝賀式典に参加しました。



 私が特に印象に残ったのは、次の点です。

1.天候: 皇居前広場・皇居周辺は午後1時台から祝賀式典が終了した午後7時過ぎまで、好天でした。宵闇が濃くなるにつれ、東京駅丸の内の近代ビルが立ち並ぶ上空に、鮮やかに月が照り映えました。即位礼正殿の儀の日の絶妙な天候と神秘的な現象と合わせて、日本国への神の加護を感じました。
2.天皇陛下のお言葉: 「先月の台風19号をはじめ、最近の大雨などによる大きな被害に、深く心を痛めています」「今日は寒い中にもかかわらず、このように大勢のみなさんが集まり、即位をお祝い頂くことに、深く感謝いたします」とのお言葉に、天皇陛下が昭和天皇、上皇陛下の御心をしっかり受け継がれていることを感じました。
3.皇后陛下の涙: 奉祝曲「Ray of Water」の音楽が盛り上がるなか、皇后陛下が感涙を拭われるお姿に感銘を受けました。心からのお祝いの歌に、はらはらと流れる涙。本当に心の通じ合った時間だったと思います。
4.万歳三唱: 式典の最後に、3万人超の参加者全員で、御聖寿の万々歳を何度も何度も唱和しましたが、日の丸の小旗の波と提灯の灯が広場いっぱいに広がり、天皇と国民の心の絆の温かさをともにしました。
https://www.sankei.com/life/news/191109/lif1911090026-n1.html
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インド20~ヒンドゥー教の家庭での五大供儀

2019-11-10 09:35:42 | 心と宗教
●家庭での五大供儀

 ヒンドゥー教徒は毎日、家庭で祭儀を行う。家庭での祭儀は『マヌ法典』に定められている。この法典は、家長に対して五大供儀(パンチャ・マハーヤジニャ)と呼ばれる供儀の執行を義務付けている。
 供儀の第一は、ヴェーダを読誦して神々を喜ばせること。第二は、日々祖霊に水を供え、適時に祖先の供養祭を行うこと。第三は、祭火に供物を投じる儀式(ホーマ)を行い、神々を礼拝すること。第四は、地面や水中に穀物を撒いて、生類や鬼神を供養すること。第五は、客人を心から饗応することである。

◆祖先崇拝
 五大供儀の一つに祖先に対する供養祭(ピトリ・ヤジニャ)がある。これは、明らかに祖先崇拝の祭りである。
 インドでは、父母や祖先の霊は、死後もあの世から自分たちを見守っていると考える。これに対し、子孫は、父祖の霊が飢えや渇きを感じないように尽くすことを義務とする。それゆえ、ヒンドゥー教徒の家庭では、毎朝、祖先の霊に水を供え、また時節に応じて祖先供養祭(シュラーッダ)を行う。供養祭では、米や豆の粉で作った団子を供えて霊を慰める。古来インドの家族形態を成す大家族の成員は、この祭儀に参加することで相互に結ばれている。
 森本達雄は、著書『ヒンドゥー教――インドの聖と俗』に、大意次のように書いている。ヒンドゥー教徒の家庭では、「家長が亡くなり、祖先供養を継承する男子がいなくなること」は、「非常に不吉なこととして恐れ、嫌がられる」。ヒンドゥー教徒の新婚夫婦の最大の願いは、「一日も早く、また一人でも多く男子をもうけ、なき祖先や、親兄弟を安心させることである」と。この点の考え方は、シナの儒教と共通する。日本でも同じ傾向がある。
 総じてインドの先祖供養の慣習は、神道・儒教の慣習とよく似ている。このことは、それが日本・シナにも共通する宗教文化の非常に古い層に根差すものであることを示している。その層の文化とは、インドで輪廻転生の思想が支配的になる前、他の社会と同様に行われていた原始的なアニミズムの文化である。

●水浴

 インドの都市や霊場の至るところには、タンクと呼ばれる四角形または長方形の貯水池がある。ヒンドゥー教徒は、タンクで身を清めてから神殿の中に参詣する。河川崇拝の中心になっているガンガーの川岸では、向こう岸に日の出を拝みながら沐浴できる場所が聖地となっている。人々は、ガート(沐浴場)に設けられた石の階段を下りて、川の水に浸る。それによって罪が清められると信じられている。
 こうした水浴は、神道における禊に通じるものである。古事記において、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、黄泉の国から戻ると、体についた穢れを祓うために、筑紫日向(つくしのひむか)の橘の小門之阿波岐原(おどのあわぎはら)で禊を行った。その禊によって伊弉諾尊の身体から、天照大神、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、月読命の三神が生まれたとする。
 ユダヤ教にも、穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めの思想と儀礼がある。死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。
 これらの宗教に共通するのは、物質的な汚れを洗い流す働きを持つ水には、抽象的な罪や穢れをも浄化する力があると考える信仰である。

●穢れ

 ヴェーダの宗教では、過失が悪とされていた。だが、ヒンドゥー教では、不浄が悪と考えられるようになった。ヒンドゥー教徒は、肉体を含む物質をすべて不浄とみなす傾向がある。なかでも忌み嫌うのは、死と血である。
 死を穢れとする観念は諸民族に広く見られるが、ヒンドゥー教ではその傾向が極めて強い。人が死んだ部屋は穢れた場所とされ、それが浄化されて元通りになるには何日、ときには何カ月も必要とされる。そのうえ、その部屋にある土器や食物はすべて捨てられる。
 血を穢れとする観念もまた多くの民族に見られるが、ヒンドゥー教では月経期の女性はひどく穢れているとされる。今日でもバラモンの保守的な家庭では、生理期間中の女性は家族と寝所を別にしたり、庭の片隅の小屋に筵を敷いて寝るといわれる。
 穢れの観念は、カースト制の根本にあるものである。この点については、生活の項目のカースト制のところに書く。

●大罪

 ヒンドゥー教において、大罪とされるのは、バラモンを殺すことと聖牛を殺すことである。バラモンは、祭官として祭儀を司る神聖な階級ゆえ、その殺害の罪は重い。ヴェーダには、牛を神聖視してその屠殺を禁じる思想は認められない。牛は、祭儀の際に犠牲にする動物の一種だった。だが、聖牛崇拝が形成されるようになると、その屠殺は大罪となった。

 次回に続く。

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インド19~ヒンドゥー教の儀式・マントラ・祭り

2019-11-08 13:49:24 | 心と宗教
●儀式

◆ヤジュニャ
 ヒンドゥー教では、ヴェーダの宗教の伝統にのっとったヤジュニャという祭儀を執り行う。これは、バラモンが火壇を設けて、神々に犠牲を贈る供儀を中心とする祭儀である。
 ヤジュニャの中で最も重要な行為は、祭火に供物を投入することであり、これをホーマという。この儀式が仏教の真言密教に取り入れられて、護摩と音写し、「護摩を焚く」という。
 神聖な行事を行う時には、一定の場所を限ってしめ縄を張り巡らす。また、マンダラと称する円形の場所を設ける場合もある。マンダラは、深層心理学者のユングが患者の描く絵や西洋の神秘主義者の幻視等に現れることに注目した幾何学的な図を指す場合もある。しめ縄やマンダラの内部は神聖な場所とされ、周囲と区別される。

◆神像礼拝
 ヤジュニャと対照的なものが、神像礼拝の祭儀である。プージャーと呼ばれ、供物を神像に直接捧げて礼拝する儀式を中心とする。家庭では、水・食物・花等を神像に捧げる。神殿や祭場では、詳細な祭式規定にのっとって祭官が奉献する。共通するのは、大切な客を丁重にもてなすように、供養することである。
 神像礼拝は、イスラーム教徒やキリスト教宣教師から偶像崇拝として非難された。だが、ヒンドゥー教徒は神像そのものを呪物として崇拝しているのではなく、神像が象徴する神々を礼拝している。神像は「聖なるもの」の示現を象徴的に表す記号と理解される。
 ヒンドゥー教の神殿では、神々への供物を取り下げたもの(プラサード)には、神々の恩恵があるとされる。これは神道・仏教等と共通する考え方である。

●マントラ

 儀礼では、マントラが唱えられる。マントラは、ヴェーダの宗教では祭儀の際に祭官が唱える讃歌・歌詞・祭詞・呪文を意味した。ヴェーダには、病気治癒・除災・長寿等を祈願するマントラが多く含まれている。

●祭具・象徴等

 儀礼では、ヤントラという象徴的な幾何学図形が用いられる。特にタントラ教で瞑想で意識を集中するために使われる。シナでは護符と訳した。
 吉祥を現すものとして種々の花が用いられる。蓮華はその代表である。
 念珠を用いる習慣は、仏教に採り入れられて、数珠となっている。
 卍(まんじ、スヴァスティカー)が、瑞兆の印として用いられている。ヴィシュヌなどの胸部に、この形の旋毛が描かれる。インドでは、逆まんじも、古くから使われている。

●祭り

 ヒンドゥー教には、多くの祭りがある。神に祈りを捧げる祭りや収穫祭など、多種多様な祭りが年中開催されている。そのうちで三大祭とされるのが、ホーリー、ダシャラー、ディワーリーである。
 ホーリーは、春の祭りで3月頃に行われる。豊作祈願や悪魔祓い等が融合し、ヒンドゥー教最大の祭りとなった。階級・身分の差に関係なく、分け隔てなく祝うことが目的であり、この日だけは相手に関係なく色水や色のついた粉をかけ合い、歌や踊りで盛り上がる無礼講となる。始源への回帰と世界の再生を象徴する祭りと見られる。
 ダシャラーは、毎年9月か10月に行われる。三大祭の中で最も長く10日ほどに渡る。北インドでは、ラーマヤーナの舞台が演じられ、最終日にラーマ王子と戦った魔王ラーヴァナの人形が焼かれる。東インドでは、ドゥルガー・プージャともいわれ、女神ドゥルガーが悪魔を倒したことを祝い、最終日にドゥルガー像を川に流す。
 ディワーリーは、新年を祝う祭りで、毎年10月~11月に行われる。「光の祭り」とも呼ばれ、光が暗闇に勝利したことが起源とされる。富と幸運の女神ラクシュミーを祭り、家業の繁栄を願い、家の戸口に灯明を飾って祝う。町は電飾で飾られ、爆竹や花火が行われる。これも始源への回帰と世界の再生を象徴する祭りと見られる。
 三大祭の日程は、インド暦という太陽太陰暦に従うので、太陽暦では移動祝祭日となる。全国的に休日となる。

 次回に続く。

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中国「建国70年」に兆す暗い未来~石平氏

2019-11-07 09:37:12 | 移民
 10月1日、共産中国は、建国70年を祝う国慶節の式典と軍事パレードを盛大に執り行った。同じ日、香港特別区では大規模な抗議デモが起き、香港警察が高校生に至近距離から胸を狙って実弾を撃ち、重傷を負わせる事件が起きた。
 香港市民の怒りが高まり、抗議のデモが行われる中、香港の行政長官は、10月4日、52年ぶりに「緊急状況規則条例」(緊急条例)を発動した。立法会(議会)の審議を経ず、行政長官の裁量で「公共の利益にかなったいかなる規則」も定めることが可能な条例である。香港政庁は早速、覆面を禁止する法律を施行して、香港市民の抗議活動を抑え込もうとした。自由と民主化を求める香港市民は同法に反発し、各地で抗議活動が展開されている。現在は覆面の禁止だけだが、次は夜間外出禁止令が出され、さらに通信や集会の自由を奪う規則が出される可能性があり、市民は警戒を強めている。
 香港市民の抗議活動は、統一された司令塔のない活動である。その活動が今後、組織化され得るのか。組織化される場合、どういう指導者や集団が中核となるのか。香港政庁は緊急法のもとに戒厳令を敷くのか。中国共産党政府が武力による制圧を強行するのか。その際に行使される武力の程度はどうなるか。予断を許さない状況である。 シナ系日本人評論家の石平氏は、建国70年のために執り行った一連の記念行事に、中国の国の暗い未来を兆すような現象が見られたと、産経新聞10月10日付で指摘している。
 それは、ここ数年、習政権が「毛沢東回帰」を進めていることと関連する現象であり、文革の暗黒時代を彷彿させる事件だという。
 10月2日、四川省南充市の「網警(ネット警察)」に、24歳の青年が拘束された。罪名は、国慶節の軍事パレードを「侮辱」したこと。政権が行う閲兵式を軽く揶揄(やゆ)しただけで警察に、7日間拘留されたという。
 石氏は、「全国民が監視下に置かれ、共産党や政府に対して軽い文句や批判のひとつでも吐いたら直ちに刑務所入りという恐怖政治は、まさに毛沢東暗黒政治の最たる特徴であった」という。そして、「毛沢東流の暗黒恐怖政治が、習政権統治下の中国で完全に復活してきているのだ。そして今後、恐怖政治はより一層の猛威を振るっていくであろう」と予想する。石氏は、上記のことを通じて、中国の「暗くて危うい未来」を見ている。
 以下は、石氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和元年10月10日

https://www.sankei.com/column/news/191010/clm1910100006-n1.html
【石平のChina Watch】「建国70年」が兆す暗い未来
2019/10/10 11:36

 今月1日、中国の習近平政権は北京の天安門広場で建国70年を祝う国慶節の式典と軍事パレードを盛大に執り行った。
 しかし、北京での式典やパレードの華やかさや厳かさとは裏腹に、香港特別区では民衆が大規模な抗議デモを巻き起こし、香港警察が抗議者の高校生に実弾を撃って重傷を負わせるという衝撃的な事件も起きた。
 中国は結局、反乱と流血が起きている最中に自国の「70歳の誕生日」をお祝いする羽目になった。それは建国以来、前代未聞の異常事態、中国の厳しい未来を暗示するような不吉な兆候でもあった。
 実は、中国政府が建国70年のために執り行った一連の記念行事においても、この国の暗い未来を兆すような現象が見られたのである。
 9月30日、つまり国慶節の前日、習近平国家主席は共産党最高指導部の面々を率いて天安門広場の「毛沢東記念堂」を参拝した。
 トウ小平時代以来、共産党最高指導部の人々が毛沢東の遺体を安置している記念堂を参拝するのは通常、生誕100周年などの節目の記念日に限ったことで、国慶節に合わせて参拝した前例はない。習近平指導部による上述の前例破りの参拝は当然、何らかの特別な政治的な意味が込められているはずだ。
 つまり、習主席はこの異例の行動をとることによって、自分こそが毛沢東の真の継承者であること、自分の政権が毛沢東流政治路線への回帰を目指していること、を内外へ向かって宣言したかったのではないか。
 実際、ここ数年における習政権の「毛沢東回帰」は明確な政治路線となっている。
 国有企業の規模・シェアの拡大と民間企業の縮小・後退を意味する「国進民退」の積極的な推進にしても、1980年代以来最も厳しい思想統制・言論弾圧・人権弾圧の断行にしても、AI技術による完璧な国民監視システムの構築にしても、それらの政策すべてから、「毛沢東の亡霊」がよみがえってきていることを見取ることができよう。
 そして、前述の建国70年で、文革の暗黒時代を彷彿(ほうふつ)させる事件があった。
 2日、四川省南充市の「網警(ネット警察)」は、24歳の青年を拘束したことを発表した。その罪名は何と、国慶節の軍事パレードを「侮辱」した、というのである。
 青年は先月29日、中国で広く使われているSNSの「微信」で、来るべき国慶節の軍事パレードについて「そんなのを見る価値はどこにあるのか」と言い放ち、パレードに参加する人々に提供される食事のことを「豚の餌」だと嘲笑した。
 それだけのことで、青年は警察に捕まり、7日間の行政拘留の処分を受けた。
 政権が行う閲兵式を軽く揶揄(やゆ)しただけで警察の厄介になるとは、民主主義国家に住む人々からすれば荒唐無稽なおとぎ話に聞こえるが、かつての毛沢東時代を体験した私たちには覚えがある。
 全国民が監視下に置かれ、共産党や政府に対して軽い文句や批判のひとつでも吐いたら直ちに刑務所入りという恐怖政治は、まさに毛沢東暗黒政治の最たる特徴であった。
 トウ小平の改革・開放から40年、こうした毛沢東流の暗黒恐怖政治が、習政権統治下の中国で完全に復活してきているのだ。そして今後、恐怖政治はより一層の猛威を振るっていくであろう。
 結局、中国建国70年の華やかな記念式典の背後から、かつての毛沢東時代の経験者である私が見たのは、この国の暗くて危うい未来である。
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インド18~ヴェーダ等における死後の世界

2019-11-05 09:47:15 | 心と宗教
●死後の世界

◆『リグ・ヴェーダ』におけるヤマの天界楽土
 インドでは、古代から霊魂は不滅と信じられた。『リグ・ヴェーダ』では、死者の霊は永遠の楽土であるヤマの支配する王国に行くと信じられた。ヤマは、古代イランのゾロアスター教の聖典アヴェスタのイマに相当する。最初の人間にして最初に死んだ者であり、死者の国の王になった。死者の霊は、先祖の霊が通ったのと同じ道を通ってこの楽土に行き、そこで血縁の者と再会したり、ヤマや神々と交わる。ヤマの王国は最高天にあり、無上の快楽に満たされた理想郷であるとされた。
 天界にある楽土に到達するためには、祭儀を実行しなければならない。布施や苦行も奨励された。そうして功徳を積んだ者は、ヤマの王国で永遠に幸福に暮らすと信じられた。欲望を捨てることを説くのではなく、願望を叶えるために祭儀を行っていた。
 この説において、ヤマは人間の起源であり、最初の先祖であるから、一種の祖先神である。また、この死後世界の信仰は祖先崇拝であって、輪廻転生の思想はまだ存在しない。
『リグ・ヴェーダ』は、現世および来世における生を肯定し、快楽を享受することを願った。厭世的な世界観はなく、明確な地獄の観念は、まだ現れていない。

◆『アタルヴァ・ヴェーダ』における地獄の登場
 地獄の思想が登場するのは、紀元前8世紀ころ成立した『アタルヴァ・ヴェーダ』においてである。それまでは死後世界は永遠の楽土だけだったが、地獄が想定されるようになり、生前の行為によって楽土か地獄かに選別されるようになった。
 いかなる社会にも規範があり、善悪の区別がある。『リグ・ヴェーダ』の時代には、善を積めば楽土に行けるということだけだったが、『アタルヴァ・ヴェーダ』の時代には、悪を積めば地獄に行くという観念が確立し、現世における行為の善悪が来世の境遇を支配すると考えらえることになった。
 いつしかヤマの王国は、存在する場所が天界から地下に移った。最初の祖先であり、楽土の王だったヤマは、死者の裁判官に変じた。シナの仏教では、ヤマを「閻魔(えんま)」と訳した。今日でもヒンドゥー教徒は、ヤマを死の神と信じている。

◆ブラーフマナ文献における再死へのおそれ
 『アタルヴァ・ヴェーダ』に続いて、ブラーフマナ文献では、それまでよりも地獄の記述が詳しくなった。そのうえ、善行を積んだ者はヤマの王国に行くことができはするが、天界での幸福は永続するものではなく、天界において再び死ぬこともあるという思想が現れた。人々はこの天界での再死を恐れ、それを逃れるために祭儀を執行し、また善行に努めた。ここには、輪廻転生の観念の萌芽がある。

◆『ウパニシャッド』は解脱・再生・地獄落ちを説く
 輪廻転生の思想の完全な形は、紀元前700年頃成立の『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』に現れた。本書は、五火二道説を記している。人が死後、火葬にされると、(1)空に昇って月に行く、次に(2)雨となる、(3)地に下って食物となる、(4)精子となる、(5)母胎に入って再生する。この五段階を供儀の祭火に託して説くのが、五火である。また、二道とは、神道(デーヴァ・ヤーナ)と祖道(ピトリ・ヤーナ)をいう。神道を進む者はブラフマンに至り、再生しない。祖道を進む者は再び地上に戻って、再生する。神道か祖道のどちらへ行くかは、生前の行為により決まる。こうした五火と二道を合わせたものが、五火二道説である。
 この五火二道説によって、輪廻転生の思想が確立したといわれる。この説において、神道を進む者は、解脱を達成する。祖道を進む者は、輪廻転生を繰り返す。だが、悪人はこれらの二道へ進むことができず、第三の場所すなわち地獄に落ちると説く。ここに、来世観の中に地獄の観念が組み込まれた。

 次回に続く。

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インド17~ヨーガ

2019-11-04 13:21:39 | 移民
●儀礼

◆ヨーガ
 ヒンドゥー教の儀礼で最もよく知られるものが、ヨーガである。ヨーガは、ヒンドゥー教に限らず、インドの宗教の多くで実践されている。この場合のヨーガは、具体的な修行の方法を意味する。
 ヨーガの語は、「結びつけること」の原義から、「牛馬に軛をかけること」をも意味する。ヨーガの教典である『ヨーガ・スートラ』は、その冒頭に、ヨーガとは、牛馬に軛をかけて奔放な動きを統御するように、自らの感覚器官を制御し、瞑想によって精神を集中して心の作用を止滅することであると説明している。
 ヨーガは、呼吸の制御からはじめて、心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神を統一して解脱を目指す修行法である。偉大なインド学者ヤン・ゴンダは、著書『インド思想史』に、次のように書いている。「ヨーガ行者は本性と感情に基づく生活を規制し、日常の意識を取り除き、意識下の状態を登場させて、個人存在の観念を消失させ、正常を超えた宇宙的、あるいは神的意識、個人を超えた存在への意識へと移行する。同時に、筆舌を越え、分析できず、ただ比喩だけで表される忘我の状態に到達する」

・由来
 ヨーガの歴史は極めて古く、アーリヤ人の侵入以前のインダス文明時代から行われていたようである。瞑想する時に結跏趺坐する姿が、インダス文明の印章に刻まれている。
 インドには、神道や儒教におけるような霊魂を現世に呼び戻す招魂の儀礼はない。だが、祭儀を執り行うバラモンは、神々と交信できるような高度な心霊能力を身に付ける必要があった。そのため彼らは、ヨーガの実践をしたり、一種の幻覚剤であるソーマ酒を飲むなどして、神通力を獲得しようと励んだ。こうしたバラモンのあり方は、シャーマニズムが高度に発達したものと見ることができる。
 インダス文明の時代から発達したヨーガの思想と実践方法は、紀元5世紀の前半に簡潔な表現で体系化された。それが『ヨーガ・スートラ』である。この経典を根本教典とするヨーガ学派をはじめ、六派哲学の各学派では、それぞれの教義を学ぶとともに、ヨーガの修行を行ってきた。

・サマーディ
 ヨーガの瞑想はサマーディを目指す。サマーディの原義は「結合させること」であり、そこから「心を一点に集中させること」を意味するようになり、ヨーガでは精神集中が深まりきった究極の境地を指す。深い瞑想の中で自他の差別が解消され、融合・結合が達成された状態とされる。ヨーガ学派では、8種類の実修法の最上位に置かれる。シナの仏教では三昧と訳された。

・万物一体・自他一如
 『バガヴァッド・ギーター』に、次の一節がある。「ヨーガに専心し、一切を平等に見る人は、自己を万物に存すると認め、また万物を自己のうちに見る」(6・29、上村訳)この境地は、サマーディに到達した者の悟りの内容を示唆するものだろう。
 ヒンドゥー教では、ヨーガによって、万物と自己との一体を悟ることを理想とする。万物と自己の一体という観念は、自他が根本において同一であること、すなわち自他一如の観念に通じる。自他一如の観念を持つ宗教では、他者に対して、もし自分が同じことをされたら、自分はどう感じるだろうかと、自己を他者の立場に置いて考えることが習慣となる。それによって他者への寛容や思いやりが発達すると考えられる。

・ハタ・ヨーガ
 ヨーガには、二つの系統がある。ここまで述べてきた心理的・内観的な瞑想によって解脱に到達しようとするヨーガは、古典的なラージャ・ヨーガの系統である。これが坐禅のような静的なヨーガであるのに対し、健康体操のような動的なヨーガもある。これは、肉体的・生理的な鍛錬によって忘我の域に到達しようとするハタ・ヨーガの系統である。ハタ・ヨーガは13世紀に作られた。
 ハタ・ヨーガは、独特の世界観と人間観を持っている。それによると、人間にはクンダリニーと呼ばれる根源的な生命エネルギーが内在している。クンダリニーは「螺旋を有するもの」を意味し、宇宙に遍満する根源的エネルギーであるプラーナの人体における名称である。また、人体には7つのチャクラがあるとする。チャクラは、根源的な生命エネルギーの活動に関係する特殊な器官である。チャクラという言葉は「円」「輪」を意味し、蓮華の形をした円座としてイメージされる。
 脊柱の最下底、恥骨の上には、ムーラーダーラというチャクラがある。このチャクラの中に、クンダリニーは蛇のように三まわり半とぐろを巻いて眠っているとされる。ハタ・ヨーガは、修行によってクンダリニーを目覚めさせて、脈管に沿って他の六つのチャクラを経由して体内を上昇させる。そして、クンダリニーを頭頂部にあるサハスラーラというチャクラに座す神シヴァと合体させるとき、最高の歓喜と至福の境地である解脱に至ることができるとする。
 この目的のためにハタ・ヨーガの修行者は、まず小宇宙である身体を鍛錬・統御しなければならない。それを通じて、大宇宙と合体し、大宇宙をも支配できると考えられる。
 クンダリニーはシャクティとも呼ばれる。シャクティは、「能力」や「創造力」を意味する。そこから世界を維持する最高神の活動力を意味し、それが神格化され、シヴァの妃である女神の名前となっている。ハタ・ヨーガは、シャクティ女神をクンダリニーというエネルギーととらえて、人体の特定部位に内蔵した。シヴァは通常リンガ(男根)によって象徴されるが、ここでは頭頂部のチャクラに座すものとされている。男神シヴァと女神シャクティは、人体において上下に離れ離れとなっている。ハヨーガの修行者は、眠れる女神シャクティが目覚めて体内を上昇し、男神シヴァと合体することを目指す。ここには、男性的なものと女性的なものの合体、陽と陰の一体化を、自己の身体において実現するというイメージがある。

・現代のヨーガ
 伝統的な修行法であるヨーガは、近代以降、様々な指導者によって改良されてきている。その結果、本来解脱を目指す修行法だったヨーガが、健康体操や心の安定のための瞑想法、自己開発の技法のように変わり、ヒンドゥー教徒以外にも取り入れられて、世界各地で多くの人々が実践するようになっている。

 次回に続く。

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