ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権181~スミスは道徳と経済を一体的に思考

2015-07-31 10:29:08 | 人権
●道徳と経済を一体的に思考

 スミスは、『道徳感情論』で、個人の利己的な行動は、「公平な観察者」の共感が得られなければ、社会的に正当であるとは判断されない、個人は「公平な観察者」の共感が得られる程度まで自己の行動や感情を抑制せざるを得ない、との旨を説いた。「公平な観察者」は正邪善悪を厳しく判断する。スミスは「胸中の法廷」「神の代理人」という言い方もしている。
 『国富論』にも、この『道徳感情論』における見解は、貫かれている。スミスが「見えざる手」に導かれて市場の秩序が維持されると説いたのは、人々が互いに共感を呼ぶ行動を行うことを想定してのものである。もし人々が利己的一辺倒の行動を取るならば、市場は混乱を免れない、とスミスは予測した。スミスにおいて、道徳哲学と政治経済学は一体のものなのである。
 『国富論』で、スミスは次のように書いた。「われわれが食事ができると思うのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心に期待するからではなく、彼ら自身の利益に対する彼らの関心に期待するからである。われわれが呼びかけるのは、彼らの人間愛に対してではなく、自愛心に対してであり、われわれが彼らに語りかけるのは、われわれ自身の必要についてではなく、彼らの利益についてである」と。だが、スミスは、利己心の無制約な解放を説いたのではない。スミスは、労働が国民の富の源泉であり、分業と資本蓄積が社会の繁栄を促進するとした。分業が進むためには、市場がなければならない。市場は、「独占の精神」ではなく「フェア・プレイ」を受け入れる正義感、他人とものの交換をしようとする「交換性向」、交換のために人と言葉を交わし理解を得ようとする「説得性向」によって支えられている。正義感、交換性向及び説得性向は、共感の能力に基づいている。それゆえ、市場社会を支える根本は、自愛心とともに共感である、とスミスは考えた。
 スミスが「見えざる手」という表現を使ったのは、『国富論』でただ一か所、資本を所有する個人ができるだけ資本を国内に投資しようとすることについての箇所である。ここでスミスは、個人は「見えざる手」に導かれて、「自分の意図の中には全くなかった目的を推進する」「自分自身の利益を追求することによって、個人はしばしば社会の利益を、実際にそれを促進しようと意図する場合よりも効果的に推進する」と書いている。ここで「見えざる手」は、直接的には市場の機能を意味する。私的な利益の追求が、市場の価格調整機能を通じて、公共の利益を促進するというわけだが、ここにおける個人は、共感の能力を持ち、心の中の「公平な観察者」によって、行為の適合性を判断する人間である。利己心のみで行動し、利益拡大のために競争する人間ではない。
 スミスは、自国の経済システム及び国際社会の経済システムの理想を、「自然的自由の体系(system of natural liberty)」という。この体系においては、個人が共感と正義感をもって行動し、その制約の中で利己心に基づいた経済行動を行う。政府は防衛、司法、若干の公共活動のみを行い、個人の経済活動には介入しない。自然的とは、物事の自発的・自動的な成り行きである。ただし、スミスは政府の機能の重要性を認めており、自由放任主義ではない。自由放任(レッセ・フェール)は、後年フランスに現れた思想である。スミスを権威づけのため歪曲して利用したのである。
 スミスは『道徳感情論』と『国富論』を刊行後、それぞれ死の直前まで繰り返し改訂した。これらは、社会の秩序と繁栄に関するスミスの思想を表した一連の書物である。これらを通じて、スミスは相互の共感に基く市民社会を構想した。市民社会においてデモクラシーが発達すれば、国民国家(ネイション・ステイト)の発展となる。ここで自由主義とナショナリズムが結びつく。私は、スミスは自由主義者であり、かつナショナリストだったと理解する。ヒュームもまた同様である。
 スミス以後の古典派経済学・新古典派経済学の主流には、ネイションの概念がなくなってしまう。しかし、本来、経済的な自由を追求することと、ネイションの発展によって国力を増大させることは、矛盾することではない。ヒュームやアダム・スミスは、自由主義者であり、かつナショナリストだった。その主にナショナリズム的な側面を各国において応用・発展させたのが、ハミルトンやリストである。
 人権論において、自由主義とナショナリズムの結合は重要である。本稿は、人権を主権・民権との関係でとらえる見方を提示しているが、個人の権利は集団の権利あってのものであり、国家の主権、国民の権利が発達してこそ、個人の権利は拡大・保障される。先進国イギリスでは、自由主義とナショナリズムが結合し、国民経済を成長させ、国民全体の生活が向上する中で、政治的・経済的・社会的・文化的自由が発達した。人権は「発達する人間的な権利」であり、近代世界システム中核部の先進国イギリスにおいては、自由主義的ナショナリズムが、国民の「人間的な権利」を発達させる思想となったのである。
 だが、スミスの死後、実際の社会は自由放任の資本主義によって、弱肉強食の競争社会となった。利己的な個人、私益追求的な資本が跋扈し、市民社会的・国民国家的な道徳は衰退していった。ヒュームとスミスは、理性中心の考え方に対して情念を重視し、人間には利己心だけでなく共感の能力があることを主張した。だが、こうした考え方は、思想の領域では細々とした傍流となった。スミス以後の経済学は、合理的に行動するアトム的な個人を仮定した理論を構築するに至った。こうした人間像を「経済人(エコノミック・マン)」という。経済人は「なんらの倫理的な影響を受けず、金銭上の利益を細心かつ精力的に、だが非情かつ利己的に追求しようとする人間」(アルフレッド・マーシャル)である。資本主義の発達により、そうした人間が経済学の理論上のモデルにとどまらず、現実の社会で増加していったことにより、「共感」の能力が低下し、利己的な活動が蔓延していった。そのことが、社会に経済的な格差をもたらし、貧富の差を増大させた。自由という価値に対して、平等という価値が求められるようになっていく。そのことについては、後に功利主義と修正自由主義について書く際に述べることにする。
 これでイギリスについてはひとまず記述を終え、次に西欧の啓蒙思想について書く。

 次回に続く。

人権180~アダム・スミスによる共感の道徳哲学

2015-07-29 10:31:11 | 人権
●アダム・スミスは共感による道徳哲学を説く

 17~18世紀のイギリスにおける人権の思想を見てきた。人権と呼ばれる自由と権利を担う主体は、人間である。人間について当時のイギリスでは、理性を中心にとらえる見方と感情を重視する見方があった。また人間を利己的なものととらえる見方と共助的なものととらえる見方があった。先に書いたヒュームは、理性を疑い、情念を重視した。人間には利己心のあることを認めつつ、共感によるつながりのあることを強調した。アダム・スミスは、ヒュームと基本的な考え方を共にし、道徳哲学を説くとともに、それに基づく政治経済学の理論を構築し、さらに法学・政治学を構想していた。
 スミスは、『国富論』(1776年)の著者であり、古典派経済学の創始者として知られる。人権を主題とする本稿でスミスを取り上げることに、奇異な感じのする人がいるだろう。確かにスミスは、ロックが基礎づけた資本主義の理論を発展させ、国民の労働が富の源泉であると説いた。分業による交換の発生から交換価値の尺度を労働に求めた。文明社会では価値は労働に利潤と地代が加わったものであるとし、資本の分析を行った。彼の理論が出発点となって、マルサス、リカード、J・S・ミルによる古典派経済学が展開された。だが、スミスの政治経済学の根本には、道徳哲学がある。彼の政治経済学は、道徳哲学に基づく政治経済学だった。
 人間には個人性と社会性がある。権利には協同的行使と闘争的行使がある。権力も、協同的と闘争的の両面がある。スミスは、そうした権利・権力の主体である人間を、共感の能力を根本に置いてとらえて、社会の秩序と繁栄の理論を提示した。それゆえに、スミスは人権の思想史で欠かすことのできない思想家である。
 スミスは『国富論』で「独占の精神」に反対し、「自由競争」を主張した。しかし、彼の説く自由競争は、自分の利益のためなら何をしてもよいというような、利己本位のものではなかった。スミスは『国富論』を書く前に、グラスゴー大学の教授として道徳哲学や法学、政治学等を講じていた。そうした講義のうち道徳哲学に関するものをまとめて出版したのが、『道徳感情論』(1759年)である。「道徳感情」は、moral sentiments の訳である。
 『道徳感情論』は、共感論から始まる。スミスは、出だしに次のように書く。「人間がどんなに利己的なものと想定し得るにしても、明らかに人間の本性の中には何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心を持ち、他人の幸福をーーそれを見る喜びの他には何も引き出さないにもかかわらずーー自分にとって必要なものだと感じるのである。この種類に属するのは、哀れみまたは共感であり、それはわれわれが他の人々の悲惨な様子を見たり、生々しく心に描いたりしたときに感じる情動である」と。
 人間には、他人の感情を心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする能力がある。それが、スミスのいう共感の能力である。人間は、その能力によって、自他の双方の利益に中立な「公平な観察者(impartial inspector)」を心の中に作り上げる。この第三者の立場に立って、行為が適切かどうか、適合性(propriety)を判断する。スミスは、そこに道徳の根本を見出した。この考え方は、キリスト教の神の教えを絶対的な規範とするものではない。また理性を道徳的能力の根源とするものでもない。相手の身になって考え、相手の感情を思いやるという、どのような文化・社会でも見られる心の働きから、道徳を考えるものである。
 家族や友だちの身になって考える能力を養うことは、子育てにおける大切なポイントの一つである。高尚な道徳を教える以前の基礎的な人格形成における要である。シナの孟子は、「惻隠の情」を説いた。赤ん坊が井戸に落ちようとしている時、普通の人間ならそれを放っておけない。助けようと思う。そうした同情心を「惻隠の情」という。孟子は「惻隠の心なき者は、人にあらざる也」とし、「惻隠の心は仁の端なり」と説いた。仁は、孔子が説いた儒教の中心的な道徳観念であり、自己抑制と他者への思いやり、忠と恕の両面を持つ。ヒュームやスミスの説く共感は、孟子の「惻隠の情」に通じるものである。共感は、キリスト教と儒教という文化の違いを超えて、人間に共通する基本的な能力である。動物行動学者のフランス・ドゥ・ヴァールは、共感は、人間だけではなく、チンパンジーやイルカ等の哺乳類に共通して認められる特性であることを明らかにしている。文明や文化の違いを超えて、「発達する人間的な権利」を基礎づけようとする時、種としての人類に共通する共感の能力は、注目すべきものである。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権~その起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm

在日特権集団の特権を廃止しよう9

2015-07-27 08:42:30 | 時事
 最終回。

●マスメディアの改革を

 在日韓国・朝鮮人及びコリア系の帰化人に関する報道では、マスメディア側の問題がある。次の文章は10年前のものだが、メディアからの内部告発として貴重な記事なので、本稿でも紹介する。

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【TBS窓際放送局社員の独り言】
“ウチの局がこんなになってしまった経緯” をお話しましょう。

(1)1960年代~
 テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。
 抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。
 総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。
 在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に 「お願い」をしてさらに弱みを握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。

(2)1970年代~
 政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。
 在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が社内で在日を積極登用。「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」などと理想論を述べたのは良かったが、結果を見れば昇進差別をしなかったのは馬鹿正直な日本人幹部だけで、課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。
 異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。

(3)1980年代~90年代
 昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、 決定的なポストを占める。
 某サヨク週刊誌の在日編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えた ニュース23の番組が学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により 高い視聴率を得る。
 1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を「消費税反対キャンペーン」で徹底的に援護。宇野総理のスキャンダルを連日報道し社会党党首を徹底して 「おたかさん」と呼ぶなど、あからさまな社会党支持。社会党が地すべり的な勝利。「山が動いた」と感動の報道。

(4)1990年代~2000年代
 偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。
 ウチと同様に「左翼的」と呼ばれる朝日新聞、系列のテレビ朝日が、 どちらかといえば「北京の意」を汲んだ報道が多く、その手法が良くも悪くも緻密で計算高いのに対して、ウチの場合、この時期に発生した数多くのトラブルは、ほとんどすべてが 朝鮮半島絡み。
 不祥事の内容も、テロを実行した朝鮮カルトの手伝いをしたオウム事件、日韓併合に関する石原都知事の発言を捏造した事件等、粗雑で行き当たりばったり。
 バブル崩壊以降の景気低迷で、広告収入を 「サラ金」と「パチンコ」に大きく依存するようになる。
 まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が 運営しているのがウチの放送局。2005年以降は、もっと露骨なカタチで在日のスターを「作り上げる」ような番組制作が為されると思う。
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 この記事はTBS社員を自称する人物によるものだが、マスメディアにおいて最も深刻なのは、NHKの問題である。TBSは広告を主な収入源とする民間放送だが、NHKは公共放送だからである。NHKは、世界で唯一、外国籍の正社員を多数採用している公共放送であり、多くの外国籍の正社員がおり、そのうちの相当部分が在日韓国・朝鮮人と見られる。またこれとは別にコリア系の帰化人も相当数いると見られる。
 本件について、平成25年(2013)12月3日、当時日本維新の会に所属する衆議院議員だった三宅博氏(現・次世代の党)が、衆院総務委員会で質問をした。次のような質疑である。

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三宅議員: 次にNHKに勤務している外国人職員数の国別人数をお聞きしたい。NHKの中には相当数外国籍の職員さんがいらっしゃると思いますけど、その国別、あるいは人数をですね、ちょっとお答え頂きたいと思います。

日本放送協会専務理事・吉国浩二: ご質問ですけど、あのー、NHKではですね採用に際しましてはですね。あくまでその、公共放送を支える人材という意味でですね。人物本位の採用を行っておりまして、国籍を問題にしてるという事はございません。外国籍の職員につきましては、採用時に在留資格の確認などのために国籍を個別に確認しておりますけれども、その後帰化するとかそういう事情もありますのでですね、国別に正確に把握しておりません。
申し訳ないんですけども、今ちょっと今お答えできないということであります。

三宅議員: 把握してない事ないでしょう。どこの企業でも団体でもそのぐらい把握してるし、答えられるはずですよ。この委員会、なんと心得ているんですか。
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 NHKの「定期採用情報」には、「応募資格において国籍は問いません。ただし、すべての選考試験を日本語で受験していただくことになります」と明記されている。
 欧米諸国の公共放送は、自国の国籍を有していることが、正社員の採用の条件となっている。イギリスのBBCでも民放のアメリカ3大ネットワークでも、外国籍の人間は正社員に採用しない。公共放送は、国家的に重要な情報を収集・管理し、また国内外に発信するメディアであるから、国家安全保障上、外国籍の人間を正社員に雇うことは、大きなリスクを負う。外国籍の人間は、居住国ではなく所属国の政府に従う。その国の義務を負う。そのため、諜報活動等によって、本国の国益のために行動する恐れがある。
 NHKの場合、外国籍の正社員を多数採用しており、その相当部分が在日韓国・朝鮮人と見られる。彼らがニュースの原稿を書き、ドラマの演出をし、ドキュメンタリーを制作し、教養番組を企画し、各種の番組を編成している。NHKの在日韓国・朝鮮人たちはグループを形成して社内人事にも口を出し、在日韓国・朝鮮人を次々に新規採用していると伝えられる。
 NHKは放送法に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人であり、総務省が所管する。政府が直接運営する国営放送とは違うが、事業予算・経営委員任命には国会の承認が必要であるなど、経営・番組編集方針には国会の意向が間接的に反映される形となっている。総務大臣はNHKに対して国際放送の実施、放送に関する研究を命じることができ、その費用は国が負担することになっている。
 私は、NHKに関する法律を改正して、外国籍の人間を正社員に採用することを禁止すべきである。このことは、在日特権集団への対応策の一つとしても、為すべき課題である。
 帰化した外国人の行動に関しては、先にも書いたが、憲法を改正して国家忠誠の義務や国防の義務を定めること、刑法第85条、86条を復活し、通牒利敵行為の罰則を強化すること、スパイ防止法を制定することが必要である。

●結びに

 本年7月9日から外国人に関する新しい在留管理制度が全面的に施行され、来年1月からマイナンバー制度が導入するのを機に、在日韓国・朝鮮人が享受してきた在日特権を廃止していくべきである。韓国では、在外外国人の住民登録を進め、また兵役義務を強化しているところであり、日本再建のためのきっかけとすべき時である。
 生活保護にしても、外国人学校保護者補助金にしても、またその他の特権の数々にしても、在日韓国・朝鮮人への異常な特権の付与は、日本人への逆差別である。この逆差別の構造を改めないと、日本の国家・社会は正常化されない。
 そして、日本の国家・社会の正常化は、日本人が自己本来の日本精神を取り戻し、自らの意思を発動することによってのみ、為し得る。戦後70年の反省に立って、日本人は日本精神を取り戻し、日本の再建を進めよう。(了)

関連掲示
・拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion09i.htm
・拙稿「人権――その起源と目標」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm
・刑法の通牒利敵条項の復活については、下記の拙稿をご参照ください。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08.htm
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人権179~ヒュームは共感による社会を提起

2015-07-26 08:49:56 | 人権
●共感による社会、権威と自由のバランスを提起

 ホッブスは、人間は利己的であり、自然状態においては「万人の万人に対する闘争」が繰り広げられ、生命の危険にさらされていた。そこで人間は自己保存のために平和を求めよという自然法つまり理性の声に従って、自然権を放棄して相互に契約を結び、各人の代表者である主権者を選んで国家を設立したと説いた。
 ヒュームは、そうした契約説の虚構を暴いたが、人間観においては、一部ホッブスと共通する見方をした。ヒュームもまた人間本性の中心が利己心にあるととらえ、次のように述べている。「人間は生まれつき利己的であるか、あるいは単に限られた寛大さを付与されているに過ぎない」。だが、その一方、ヒュームは、ロックと同じように、人間は本来社会的であり、人間は他者との関わりの中に存在しているととらえた。ロックが理性による道徳を説くのに対して、ヒュームは情念の働きを肯定的にとらえ、人間には利己心を抑制する「共感(sympathy)」の能力があることを強調した。ヒュームのいう共感とは、弦と弦が共振するように、互いの心を感じ合う働きである。人間は、共感によるつながりの中で生活しているとヒュームはとらえた。
 そして、ヒュームは、社会の構成原理として、契約ではなく、共感の働きによる黙約を挙げた。黙約とは、暗黙のうちに了解し合った約束であり、「共通利益の一般的な感覚」だとヒュームはいう。ヒュームは、黙約によって利己心を抑制して公共の利益を実現し、諸個人の利己心の充足をもたらす制度を作ることが可能であると説いた。
 ヒュームの共感の概念は、年下の親友アダム・スミスに強い影響を与えた。『国富論』と並ぶスミスの主著『道徳感情論』は、共感論から始まる。スミスは、ロックが基礎づけた資本主義の理論を発展させたが、スミスの政治経済学は、道徳哲学に裏付けられ、共感を原理としている。ヒュームは、共感によって結ばれた社会を経済成長させるためのナショナリズム的な経済思想を説いた。この点でも、ヒュームはスミスに影響を与えた。
 経済官僚・評論家である中野剛志は、ヒュームを「経済ナショナリズム」の創始者とする。「経済ナショナリズム」は、ネイション(国家・国民・共同体)の発展が国力の増大になるとし、国民の生産力を中心とした国力を増大させようとする思想である。ヒュームの影響を受けたアレグサンダー・ハミルトンがアメリカ、フリードリッヒ・リストがドイツで実践し、ヘーゲルが哲学的に深め、マーシャルがこれらを継承し、ケインズが完成させたとする。
 ヒュームは、単に経済の思想を説いたのではなく、むしろ政治の方面に関して、より大きな影響を与えた。論文「王位継承について」で、ヒュームは、名誉革命以来の政体を混合政体ととらえ、君主制と共和制の要素、権威と自由の混合として分析している。二つの要素の相互抑制がそれぞれの長所を引き出し、それによってイギリスの平和と繁栄がもたらされたと見る。論文「政治支配の起源について」では、次のように述べる。「あらゆる政治支配の中に、権威と自由の間に、公然または隠然たる普段の内部闘争が存在する。しかもこの抗争において、権威と自由のいずれも絶対的な勝利を得ることは不可能である」「自由はまさに政治社会の完成であると言われなければならない。しかし、それにも拘わらず、権威が政治社会の存続そのものにとって不可欠であることが承認されなければならない」と。権威なき自由は無秩序となり、自由なき権威は専制となる。ヒュームは、権威と自由のバランスが必要であると説いたのである。
 ヒュームは、名誉革命によって実現した制限君主制を承認し、法の支配のもとに政治の仕組みを改善することで、イギリスに平和と繁栄が得られるように努めた。優れた歴史家でもあったヒュームの著書『イングランド史』(1754~61年)は、長くイギリス国民に愛読された。ヒュームは、歴史研究をもとに社会契約論を否定した。その後も今日までの人類学的研究では、どんな未開な単一社会でも、契約によって成立した国家は一つも発見されていない。だが、18世紀の欧米では、社会契約論が既存の制度への変革力を発揮した。アメリカでは、トマス・ペインが社会契約論でアメリカの独立運動を宣揚し、フランスでは、ジャン・ジャック・ルソーが社会契約論を独自に発展させて、革命運動を駆動した。ヒュームは、フランス革命での革命の到来を予見し、頭の中で考えた観念的な理論は破壊・混乱をもたらすことを警告した。人間は現実的な経験を重んじ、歴史的に培われてきた英知を大切にすべきことを説いた。ヒュームによる歴史の援用は、バークに引き継がれ、歴史・伝統・慣習を重んじる保守主義が形成された。また今日のイギリスの政治と社会のあり方に、ヒュームは大きな影響を与えている。
 なお、ヒュームについて、後に述べる功利主義の先駆者という見方があるが、その見方には無理がある。功利主義における功利は、物事の効用や有用性を意味する言葉である。ヒュームは『人性論』で、功利(utility)の語を、自己や他者に対する有用性の意味で用いてはいる。しかし、功利主義者は快楽を善、苦痛を悪として、最大多数の最大幸福を目標とし、その実現に貢献する行為を義務とするのに対し、ヒュームは快楽と善を同一視していない。また目的への手段としての行為に価値を認めていない。功利主義は、ベンサムが創始した思想と見るのが適当である。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権~その起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm

在日特権集団の特権を廃止しよう8

2015-07-25 10:39:46 | 時事
●通名報道の是正、さらに通名使用の禁止へ

 近年、わが国では凶悪犯罪が増えている。その凶悪犯罪の相当数の首謀者や犯人が、在日韓国・朝鮮人やコリア系の帰化人だという事実がある。この件については、10年ほど前、平成17年(2005)7月に拙稿「凶悪犯罪増加における在日及び帰化人の犯行」を書いた。当時とほとんど状況が変わっていない。そこで敢えて再掲することとしたい。

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■凶悪犯罪増加における在日及び帰化人の犯行
2005.7.16

 近年、わが国では凶悪犯罪が増えている。私は、とりわけ戦後50年を迎えた平成7年以降、そうした事件が顕著に増加していると思う。
 平成7年3月、オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。乗客や駅員ら12人が死亡、5510人が重軽傷を負った。大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えた。事件に関与した者に医師がいた。また幹部が刺殺される事件が起こるなど、不可解なことが続いた。
 その約2年後、平成9年6月、神戸市で小学生連続殺傷事件が起きた。中学校の校門前に小学生男児の生首が置かれていたというニュースは、全国に戦慄を走らせた。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人は、14歳の中学生男子だった。それ以後、連鎖反応のように、10代による凶悪犯罪が頻発している。
 翌年の夏、平成10年7月に、和歌山で毒入りカレー事件が起こった。地域の夏祭りで食べるカレーに、猛毒の砒素が混入されていた。4人が死亡し、63人が急性ヒ素中毒となった。容疑者の林真須美のふてぶてしい態度に視聴者は驚き、地域社会の人を信用できないという風潮が生まれた。
 平成13年2月、神奈川県でイギリス女性強姦殺人事件が起こった。犯人の織原城二は、イギリス女性ルーシー・ブラックマンさんを薬物入りの飲み物を飲ませて暴行し、薬物中毒で死亡させ、その後遺体を切断、死体を遺棄した。事件以外に200人もの女性にも性的暴行を加えた疑いがある。
 同じ年の6月、大阪の池田市にある大阪教育大付属池田小学校に男が乱入し、児童8人が殺害され、15人が重軽傷を負った。犯人の宅間守には、いたいけな子供の命を奪いながら、まったく反省・改悛が見られない。極端に独善的で自分の非を認めず、他者を攻撃する破綻した人格が、明らかになった。

 多くの人は、連続する凶悪事件に衝撃を受け、わが国の道徳の低下、社会の荒廃を憂い、家族や教育や地域の建て直しを願っていることだろう。確かに、日本人の家庭や社会は、精神的に悪化している。上記の事件は、こうした傾向の象徴とも思える。
 ところが、ここに一つ見逃せない事実がある。上記の事件の首謀者や犯人には、共有点があることである。それは、在日韓国人・朝鮮人やコリア系の帰化人だということである。

 オウム真理教の教祖・麻原彰晃は、父親が朝鮮籍で、在日2世の帰化人といわれる。異常なほど日本を嫌い、日本の転覆までたくらんだのは、こうした出自と無縁ではあるまい。医師の林泰男も朝鮮人の父親を持つ在日2世だった。麻原自身が何度も北朝鮮に行っており、サリンの入手や武器の製造準備、プルトニウムの密輸等、オウム事件には、北朝鮮が関与していたことを思わせる事実がいくつも確認されている。韓国の宗教団体である統一教会や、創価学会の影もちらついている。
 重要事実を知っていた科学技術省のトップ、村井秀夫は刺殺された。実行犯の徐裕行は、在日韓国人で、北朝鮮の主体思想を学んでいた。オウムには、北朝鮮の工作員が入会・関与してしていたとも伝えられたが、足跡は闇に消えている。 
 オウムの目的は、単なる無差別大量殺人ではなかった。国会の開会日に天皇陛下がご臨席される際、ヘリコプターで国会周辺にサリンをまき、天皇及び日本の国家指導者を一挙に殺戮することを計画していたようだ。計画が実行されれば、中枢を失った日本に、第3国が新潟・北陸海岸から侵攻していたかもしれない。
 一連のオウム裁判では、こうした疑惑は、一切明らかにされていない。

 神戸市小学生連続殺傷事件の犯人は、東慎一郎(現姓・西田)という情報が流れているが、帰化した元在日朝鮮人といわれる。犯人の書いた「透明な存在」という言葉が関心を集めた。時代を象徴する言葉のように意味が一般化されて、日本の少年または現代日本人のアイデンティティの問題として、しばしば論じられた。しかし、犯人は自分には帰属する国がないことを暗示しており、コリア系帰化人に特有の心理状況と理解することも可能である。
 毒入りカレー事件の林真須美容疑者も、元在日の帰化人といわれる。保険金目当て等がいわれるが、近所の人を多数毒殺することには結びつかない。彼女の出自を考えると、地域共同体に自然な帰属感が持てず、拒否・反発の意識が、無差別毒殺へとエスカレートしたとも考えられる。
 イギリス女性強姦殺人事件の犯人・織原城二については、週刊誌が、大阪生まれの在日韓国人で、大学在学中に日本に帰化したこと、家族は本人以外全員朝鮮籍であることを明らかにした。英文週刊誌「タイム」のアジア版もこのことを報じた。
 大阪池田小学校児童殺傷事件の犯人・宅間守は、両親が密入国した朝鮮人で朝鮮人出身であり、創価学会員だといわれる。前科は11犯とも13犯ともいわれ、婦女暴行や暴力事件を重ね、何度も結婚・離婚を繰り返した。織原や宅間の人格形成について、家庭環境が指摘されるが、彼らの民族的社会的な環境も併せ考えるべきだろう。

 時代を象徴するような事件だけをあげたが、ここの10年ほどの間に、他にも埼玉愛犬家連続殺人事件、月ヶ瀬村殺人事件、世田谷一家惨殺事件、大阪等での強姦魔事件、「聖神中央教会牧師」少女暴行事件等、在日韓国人・朝鮮人、その帰化人によるとされる悪質な事件は、多数にのぼる。
 もちろん日本人にも善良な人間もいれば、悪辣な人間もいる。どの民族でも国民でもそうだろう。上記の事件についても、オウム真理教事件を除くと、日本人による類似の事件は存在する。いまやわが国では、親子・夫婦・兄弟の間の殺人や、10代の少年による凶悪犯罪等が続出している。事態の深刻さは、年々増している。
 大多数の国民は、それが日本人による犯罪だと思っている。しかし、その中に、在日韓国・朝鮮人とその帰化人が関わったとされる事件が少なくない。在日韓国・朝鮮人とその帰化人による犯罪である場合、報道は通名で行なわれることが多く、一部の週刊誌を除けば、大新聞やテレビでは一種のタブーとされている。特に影響力の大きいテレビの場合、ニュースのレポーターも解説をする評論家や弁護士も、犯人が在日や帰化人であることにほとんど触れない。そのことが、わが国の社会の実態を見えにくくしている。
 私は通名のみの報道を改め、本名を併記すべきと考える。またその犯罪が在日または帰化人としての出自がその人間の人格形成とかかわっていると見られる場合は、その点も報道すべきと思う。麻原彰晃、林泰男、東慎一郎(現姓・西田)、林真須美、織原城二、宅間守等の犯罪がその民族的な出自とまったく無関係とは思えない。

 在日コリアン及びコリア系帰化人が、パチンコ、サラ金、風俗、AV業界、暴力団等に相当数従事していることも、知られている。サラ金業者やパチンコ業者が長者番付の上位に名を連ねている。北朝鮮製の麻薬が、暴力団を通じて日本に密輸されているといわれる。いまでは田舎の中学生が学校で販売する事件まで起こっているほど、北からの麻薬は、深くわが国に蔓延している。また、麻薬の製造・密輸は、日本を弱体化して支配しようという対日工作の一環でもある。
 日本人は、性や遊興や金銭など人間の欲望の内奥にまで入り込まれて、精神を蝕まれ、また資金源にもされているという現実にきづかないと、日本の再生は出来ない。
なお、私は在日や帰化人の友人・知人がいるが、彼らの多くは日本国民としての自覚を持ち、公共の利益のために、行動する善良な人間である。在日や帰化人だというだけで、反日的・反社会的と見るのは偏見である。そこは、しっかり分けて考えるべきだと思う。
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 10年ほど前の拙稿を再掲したが、日本の現状がほとんど変わっていないことがわかるだろう。私は現状を改善するための方法の一つとして、通名のみの報道を改め、本名を主とし、通名を併記すべきと考える。警察が外国人の容疑者・犯罪者の発表を本名のみで行えば、自ずと本名による報道になるが、当人が通名で生活している場合、通名も報道しないと、一般市民は本人と同定できない。また、その犯罪が在日または帰化人としての出自がその人間の人格形成とかかわっていると見られる場合は、その点も報道すべきと思う。

 暴力団やいわゆる街宣右翼についても、通名の報道では、実態がわからない。平成25年(2013)12月19日、米国政府は麻薬の密輸などの国際的な組織犯罪に関与しているとして、指定暴力団・山口組の幹部4人について、アメリカ国内にある資産を凍結する制裁の対象に加えたと発表した。アメリカ財務省は、声明で、国際的な麻薬の密輸やマネーロンダリングなどを食い止め、アメリカの金融システムが暴力団に悪用されないよう制裁を強化するとした。この報道において、日本のマスメディアの多くは、山口組幹部の4人を日本名で報道した。だが、米国政府は、彼らの本名も併記した。4人のうち入江禎を除く3人は、コリア系だった。橋本弘文(カン・ホンムン)、正木年男(パク・ニョンナム)、石田章六(パク・テジュン)である。
 暴力団員には在日韓国・朝鮮人が多い。山口組だけではない。五代目稲川会会長は通名・清田次郎で本名・辛炳圭。四代目会津小鉄会会長は通名・高山登久太郎で本名・姜外秀、五代目極東会会長は通名・松山眞一で本名・曹圭化等である。元公安調査官の菅沼光弘氏は、外国特派員協会での記者会見で「暴力団構成員の3割は在日韓国・朝鮮人だ」と述べている。
 菅沼氏はまた「在日韓国・朝鮮人や被差別出身者が暴力団員の9割を占め、右翼活動によって収益を上げている」と述べている。街宣右翼の団体員にも、在日韓国・朝鮮人が多いと見られる。多くの暴力団が右翼団体を傘下にもっているので、相当数存在するだろう。 
 かつてイギリスのBBC放送が日本の右翼団体を取材し、次のように報道した。「右翼の主張は“天皇制”復活、日本民族の国粋主観等だが、実際の構成員が国粋主義者とは相容れないはずの韓国・朝鮮人、また“天皇制”という身分階級の下では最下層に位置され最も身分制度の被害者であったはずの被差別出身者で90%を占めている。はっきり言ってこの取材で、彼らの真の目的を知ることは出来なかった。」と。
 在日韓国・朝鮮人及びコリア系の帰化人が、サラ金、パチンコ、風俗、AV業界、暴力団等に多数従事していることも知られている。サラ金業者やパチンコ業者が長者番付の上位に名を連ね、サラ金やパチンコのテレビCMが氾濫している。北朝鮮製の麻薬が、暴力団を通じて日本に密輸されている。北からの麻薬は、深くわが国に蔓延している。また、麻薬の製造・密輸は、日本を弱体化して支配しようという対日工作の一環でもある。日本人は、性や遊興や金銭など人間の欲望の内奥にまで入り込まれて、精神を蝕まれ、また資金源にもされているという現実にきづかないと、日本の再生は出来ない。
 私は、マスメディアの通名報道を改めるだけでなく、在日外国人の通名使用を原則的に禁止すべきだと考える。犯罪を防止し、社会の安全と安寧を保つためには、それが有効と思う。
 このことは、政治にも関係する。外国人が日本風の通名で献金をした場合、外国人と知らずに受領することが起こり得る。政治家への外国人献金を防ごうとするには、通名使用を禁止をする以外ない。
 また、国政選挙の立候補者は本名、帰化履歴、三代前までの国籍をプロフィールに公開することを義務づけるべきと考える。日本国民としての自覚を持ち、日本の国益や公共の利益のために、行動してもらわないとならない立場だからである。国民は政治を負託するにあたり、情報公開を求める権利がある。米国は、三世代にわたり家系や血縁関係・宗教を公表している。人権侵害でもなんでもない。逆に国民の「知る権利」を強化すべきである。

 次回に続く。

人権178~ヒュームは社会契約説を否定

2015-07-24 08:51:43 | 人権
●ヒュームは歴史に基づいて社会契約説を否定

 17世紀の市民革命の時代に権利と権力に関する理論を説いたホッブスとロックは、その後、西欧の多くの思想家に影響を与えた。ホッブスの思想はルソーに影響を与え、そのルソーの理論がフランスを革命に向かわせた。ロックの思想はアメリカ人民を本国からの独立に向かわせ、その思想はアメリカ独立宣言に盛り込まれた。だが、18世紀半ばのイギリスで、ホッブス、ロックの社会契約論を根本的に批判した思想家がいた。デイビッド・ヒュームである。懐疑の果てに理性の驕りを戒め、歴史・伝統を尊重するその思想は、バークを通じて、西欧における保守主義の形成に寄与した。
 哲学者としてのヒュームは、イギリス経験論を完成させた哲学者として知られる。経験論の展開から述べると、元祖のロックは、すべての観念、すべての知識は経験、すなわち感覚と内省に由来するとし、客観的な物体は不可知体であると説いた。次にバークリーは、知覚を離れて存在する対象は存在しないとし、真に実在するのは自我とその意識内容のみであるという独我論を説いた。彼らを受けたヒュームは、『人性論』(1739~40年)で、感覚的な印象によってものの観念ができ、観念の連想によって、高級な観念や知識ができるとした。そこから、自然科学が基礎に置く因果律も、連想の繰り返しという経験に基づくものである。習慣に過ぎないものが、不動の法則と信じられているだけである。それゆえ、自然科学は理論的な学として成り立つか疑わしい。ましてや感覚的に経験することができない神や神の創造を問題にする形而上学は、学として成り立つことはできない、とヒュームは考えた。ここに経験論は頂点に達した。ヒュームは、自然科学と合理論的な形而上学を疑っていなかったカントに衝撃を与え、カントの「独断論のまどろみ」を破った。
 次に、ヒュームの政治的・社会的な思想について述べる。イギリスでは、ピューリタン革命後、王政復古がされた時期の1670年ごろ、近代的な政党であるトーリー党とウイッグ党が出現した。トーリー党は政府の起源を神に求め、王権神授説に基づいて、政府への絶対服従を主張した。ウイッグ党は、政府の基礎は人民の同意にあるとし、原始契約を想定して、人民は抵抗権を持つと主張した。
 ヒュームは、18世紀半ばにあって、両党の党派的対立を憂慮し、両党の基礎となっている理論を批判した。トーリー党が依って立つ王権神授説に対しては、政府という制度は神が奇跡的な介入によって作ったのではなく、人間の目には見えない普遍的な力によって作り出したのであり、君主が神の代理者と呼ばれることに特別の意味はないと論駁した。ウイッグ党が依って立つ契約説に対しては、歴史上の事実に反することを主張した。原始契約は、世界のいかなる時代や国においても、歴史や経験によって正当化されないとして、ヒュームは、論文「原始契約について」で次のように述べる。「現に存在している、あるいは歴史のうちに何らかの記録をとどめている政府は、そのほとんど全部が、権力の奪取かそれとも征服に、あるいはその両方に起源をもっており、人民の公正な同意とか自発的な服従とかを口実にしたものはない」と。
 ヒュームは、理性・歴史・経験の教えるところでは、国家的事件において、人民の同意が最も尊重されなかった時期は、新しい政府が樹立されたときだろう、革命・征服・社会的動乱の荒れ狂う時期には、議論を決するのは普通軍事力か政治的策謀だという。同意によって成し遂げられたとされる名誉革命でさえ、契約説に合致するものではない。「その時、変革されたのは、王位継承だけであり、従って政体といっても王位に関する部分だけに過ぎなかった。しかも、1千万に近い人民に対して、このような変革を決定したのは、多数といってもたった700人に過ぎなかった」と指摘している。こうしてヒュームは、ホッブスとロックの社会契約論を完膚なきまで批判し、これを否定した。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権~その起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-2.htm


在日特権集団の特権を廃止しよう7

2015-07-23 08:55:33 | 時事
●生活保護制度の是正を

 次に、わが国では在日外国人にも生活保護が支給されているが、これが非常にいびつなものとなっている。この制度を是正すべきである。在日外国人への生活保護支給がいびつになっているのは、在日韓国・朝鮮人への支給による。
 平成20年の時点で在日韓国・朝鮮人約64万人中46万人が無職と見られる状態だった。その根拠は、在日本大韓民国民団(以下、民団)が1999年に発表した幻のデータである。それによると、63万6548人のうち、46万2661人が無職である。実に72.67%、7割以上を占める。
 この数字がネットで問題になると、民団の公式サイトから削除された。どうして、7割以上ものが無職でいながら、日本で生活できているのか。このなぞを解くための一つの鍵は、生活保護の受給である。
 厚労省が本年(27年)1月に発表したものによると、26年(2014)10月時点で、生活保護を受給している世帯は161万5240世帯と過去最多となった。22年(2010)の調査によると、日本国籍の者は総世帯数5085万7365世帯で、うち被保護世帯数は132万1120世帯、支給率は2.6%だった。外国籍の者は総世帯数109万3139世帯で、うち被保護世帯数は4万0029世帯、支給率は3.6%だった。外国籍のうち、韓国・朝鮮の者は、総世帯数19万0246世帯で、うち被保護世帯数は2万7035世帯、支給率14.2%だった。
 日本人の支給率が2.6%であるのに対し、外国籍の者は3.6%と高く、とりわけ韓国・朝鮮籍の者は14.2%と、日本人の支給率より、5.62倍も高い。外国籍の者の平均よりも4.06倍高い。
 日本国籍と外国籍を合わせた被保護世帯の総数は、136万1149世帯。うち外国籍の世帯が4万0029世帯で、2.9%を占める。外国籍の被保護世帯のうち、韓国・朝鮮人が2万7035世帯。67.5%を占める。
 そもそも日本国憲法は、外国人が日本の福利を享受することを認めていない。昭和25年(1950)に制定された生活保護法は、対象を「生活に困窮する国民」と定めている。国民とは日本国籍を有するものを言う。ところが、現在、約4万の外国籍世帯が生活保護を受給している。
 この理由は、昭和29年(1954)5月に各都道府県知事に宛てた「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」という通知による。「正当な理由で日本国内に住む外国籍の者に対しても生活保護法を準用する」と通知された。この通知によって行政措置として生活保護費が外国人にも給付されてきた。26年(1951)のサンフランシスコ講和条約によって、日本国籍を失った韓国・朝鮮籍で生活に苦しい人々を、人道的かつ治安上の観点から当分の間保護するものだったといわれるが、次のような背景がある。
 昭和25年(1950)に生活保護法が施行されたが、同年11月27日、在日化韓国・朝鮮人が生活保護を要求して神戸市長田区役所を襲撃した。その後も、韓国・朝鮮人は、26年の兵庫県加西郡の下里村役場集団恐喝事件、27年の山口県宇部市の万来町事件など、生活保護費受給を求める騒乱事件を相次いで起こした。外国人への支給が、昭和29年5月に予算措置で、厚生省社会局長通知によって始まった背景には、こうした暴力事件がある。日本の政府は、在日韓国・朝鮮人の暴力や脅迫に屈して、憲法と生活保護法に違反する生活保護の支給を開始したのである。
 だが、昭和40年(1965)に日韓基本条約が締結され、両国間の請求権問題は完全かつ最終的に解決された。当時、韓国籍の生活保護は韓国政府が支払うのが当然との考え方もあったが、同時に締結された日韓法的地位協定で、「日本に永住する韓国人には教育、生活保護、国民健康保険について考慮しなければならない」とされ、協定議事録で生活保護は「当分の間、従前通り」とされた。その「当分」の措置が50年間も続いているのだから、異常である。
 平成26年の予算では、生活保護費は総額約3兆8431億円であり、そのうち在日外国人に対してはその2.9%の約1114億円が支給された。在日韓国・朝鮮人はその内の約3分の2を占めるので、年間約765億円が支払われたと推計される。
 在日韓国・朝鮮人は、日本国民が容易にもらえない生活保護を、ほとんど無審査に近い状態で受給されている。自治体によっては、毎月約17万円も支給されている。仕事を持っていても給付対象から外されることはない。ちなみに東京都のパートタイマーの最低時給が現在830円。これで1日8時間、月22日必死に働いて14万6080円の勤労所得である。まったく働こうとしない在日韓国・朝鮮人に払っている支給額が、いかに高いかわかるだろう。原資はすべて国民が納める税金である。最低時給のパートタイマーも納めている税金から、在日特権集団に生活保護が支給されているのである。
 在日外国人の生活保護受給者は、近年増加傾向にある。平成16年の受給世帯は2万7075世帯だったのが、26年には4万0029世帯へと32%増加している。最高裁第二小法廷は昨26年7月、「外国人は生活保護法に基づく生活保護の受給権を有しない」と判断した。最高裁は、昭和53年(1978)に「外国人に対する基本的人権の保障は限定的」と判断していた。今回は、福岡高裁判決が出した永住外国人に対する生活保護法適用を「認めない」としたものである。ところが、最高裁の判決が出た後も、生活保護の支給を行政が行っている。これはおかしい。従来の外国人への生活保護は、原則的に廃止すべきである。そのうえで、人道的な観点から保護が必要であれば、別途外国人対象の新たな制度を作るべきである。
 これに関連して国民年金についてだが、在日韓国・朝鮮人の生活保護受給者が本人申請すれば、自動的に国民年金保険料を全額免除される。日本国民の場合、老齢基礎年金を受けるためには、最低25年以上掛け金を支払っていなくてはならない。期間を満たさないと、支給されない。20歳から60歳までの最大限40年間こつこつと掛け金を払って、月6万数千円である。日本人の老齢者でわずかな国民年金のみで生活している人は少なくない。経済的困窮から自殺する老齢者が後を絶たない。こうした中で、在日韓国・朝鮮人に対して国民年金の掛け金を支払わずに、年金が支払われるのは、異常である。東京23区に住む68歳の日本人男性の場合、国民年金が月額6万4875円であるのに対し、在日韓国・朝鮮人はその倍以上の13万5610円。しかも医療費は無料である。これは、日本人への逆差別である。
 なお、平成20年の時点で在日韓国・朝鮮人約64万人中46万人が無職という民団のデータを揚げたが、当時生活保護受給者は6万人程度と推計された。46万と6万人の差である40万人のすべてが老齢者ではない。彼が何を以て生計を立てているのか。この点は、依然としてなぞである。一つ考えられるのは、無職と称していながら、実際は働いており、その所得を隠して申告していない場合である。通名口座を使えば、それをしやすいだろう。収入は、勤労所得に限らない。また詐欺や恐喝等の犯罪で生計を立てている者が多いとも考えられる。実態の解明が必要である。

●外国人学校保護者補助金制度の廃止を

 全国の多くの自治体で、外国人学校の保護者に補助金が支払われている。原則的にこの補助金は廃止すべきである。
 東京都を例に取ると、支給額や支給対象は、区によって異なる。
 支給額については、最高額を支給している江戸川区では、一人月額、朝鮮学校の場合は1万6千円、韓国学校及び中華学校は1万5千円が支給されている。朝鮮学校の場合、子供一人に月1万6千円とは、1年で19万2千円となる。子供が二人だったら、年に約40万円、三人だったら約60万円にもなる。
 支給対象については、板橋区は一人月額8千5百円、年額10万2千円を全ての外国人学校を対象に支給している。中央区は月額8千円、年額9万6千円を朝鮮学校・韓国学校・中華学校のみを対象として支給し、保護者の所得制限は無しとしている。
 東京23区だけで年額259億2千万円が税金から外国人学校の保護者に補助金として支払われている。朝鮮学校・韓国学校・中華学校等の児童・生徒は、日本国の次世代を担う子供たちではない。彼らを教育するのは、彼らの保護者の義務であり、彼らが所属する国の政府の義務である。日本人が多額の税金を充てて補助する必要はない。

 次回に続く。

人権177~ロックの世界史的評価

2015-07-22 08:48:12 | 人権
●フリーメイソンとの関係と信教の自由の確保

 ロックの思想とその欧米諸国への影響を考える時、フリーメイソンとの関係は見逃せない。イギリスは、近代フリーメイソンの発祥地だった。フリーメイソンの起源には諸説あるが、学術的に有力なのは中世の石工つまり建設業者の職人組合に起源を求める説である。石工組合が近代的な結社に変わったとするものである。 「近代フリーメイソンの父」と呼ばれるジャン・デザキュリエは、イギリス王太子の礼拝堂付牧師で実験物理学者であり、権威ある王立協会の会員だった。デザキュリエはニュートンの友人であり、ニュートンはロックの友人だった。ロックは名誉革命の前、オランダに亡命していたが、1680年代のオランダでは既にメイソンが活動していた。ロックがメイソンだった確証はないが、その周囲にはメイソンが多くいた。ロックがメイソンと交わり、メイソンの思想をよく知っていた可能性は高い。
 「自由・平等・友愛」というと、誰もがフランスの三色旗を思い浮かべるだろうが、これらはフリーメイソンの標語だった。ただし、この標語はメイソンが発案したものではない。もとはロックの『統治二論』である。ロックは、本書で、自然状態において完全に自由かつ平等である人間が、自然法による理性に従って行動し、正義と友愛という原理に導かれると説いている。それゆえ、フリーメイソンがロックの思想を摂取したと考えるべきだろう。
 フリーメイソンは、イギリスからフランス・アメリカ・ドイツ等に組織を広げた。それによって、ロック思想を大陸の貴族や上層市民階層に伝える役割をした。そして、ロック思想とフリーメイソンは分かちがたく結びつきつつ、アメリカ独立思想やフランス革命思想の源泉となった。
 カトリック教会は1738年にフリーメイソンを破門に処した。フリーメイソンの象徴や知識には、古代エジプトや古代ギリシャからの継承を思わせるものがある。その一方、当時の先端思想である自然科学や理神論的な道徳思想を取り入れていた。古代的神秘的象徴的なものと、近代的合理的科学的なものとが共存していた。彼らの活動の広がりは教権の秩序を揺るがすものだった。ロックがメイソンの活動の便宜を図ったかどうかは分からないが、ロックの功績の一つに、信教の自由の確保への貢献がある。
 ロックは宗教的寛容を主張した。ロックが名誉革命期に亡命していたオランダは、16~17世紀にかけて、ヨーロッパで最も宗教に関する自由が保障されている国だった。16世紀にエラスムスが、「信仰に自由を」と主張し、当時はアルミニウス等の自由主義派も信教の自由を主張していた。ロックはこれらの影響を受けた。オランダは、早くからユダヤ人にも寛容だった。名誉革命は、オランダのユダヤ人の資金提供がなければ、成功し得なかった。オレンジ公ウィレムは、英国侵攻の際、彼らの支援を受け、英国王となったが、この時、多くのユダヤ人がイギリスに移住し、イギリスの銀行業や金融市場を創設した。
 ロックは、『寛容についての書簡』で、キリスト教の中で正統と異端の区別をなくすだけでなく、ユダヤ教やイスラムなどの異教徒も、キリスト教徒と同じく信教の自由を保障されるべきだと主張した。ただし、社会秩序に反するもの、他の人々の信仰の自由を認めないもの、外国への服従を主張するもの、無神論者には制限を設けるとした。『寛容についての書簡』は1689年にオランダ、イギリスで出版され、同年イギリスではロックの主張に沿って宗教寛容法が制定された。これは非国教徒に対する差別を残し、カトリックやユダヤ教徒、無神論者、三位一体説を否定する者等には、信教の自由を認めないという限定的なものだったが、信教の自由の保障が一部実現した。ロックが直接意図したかどうかはわからないが、ユダヤ人の自由と権利の拡大に寄与したことは間違いない。
 ロックは先の書簡で秘密結社に触れ、秘密結社は陰謀や反乱の温床とされ、実際しばしばそうした集団であるが、もし寛容の法が定められ、良心のための不満や対立の諸原因が取り除かれれば、これらの集団も含めて平和を乱し、国の治安を妨げるものはなくなるだろうと主張した。この主張が直接フリーメイソンを擁護したものかどうかも分からないが、宗教的寛容の実現によって、イギリスではフリーメイソンの活動も一定の自由が得られるようになっていったのである。
 ロックは、キリスト教に関しては『キリスト教の合理性』(1695年)を著し、多大な影響を与えた。この点については、啓蒙主義の項目に書く。

●ロックの世界史的評価

 ロックの項目の最後に、ロックの世界史的評価について記す。近代西洋思想の骨格を成すリベラリズム・デモクラシー・個人主義・資本主義の思想は、どれも元をたどるとロックにたどり着く。本稿が主題とする人権も、ロックに最大の源がある。ロックの思想は17世紀以降、この21世紀まで、世界に甚大な影響を与えている。その重要性は、マルクスやニーチェやフロイトの比ではない。わがGHQ製の日本国憲法も、根本思想はロックにある。ロックの思想は世界に広まり、そのうえに18世紀の啓蒙思想を大成したカントの哲学が浸透している。ロック=カント的な人間観が今日の世界に普及した人間観のもとにある。ロック=カント的な人間観とは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに理性的かつ人格を持つ、という人間観である。世界人権宣言や国際人権規約の人間観のもとになっているのは、ロック=カント的な人間観であり、それが現代の国際社会の人間観の基本的な枠組みになっている。
 人権の考察において、ロックをどのように評価し、また批判するかは、一つの重要なポイントになる。批判の焦点は、社会契約論にある。次に話を市民革命の時代に戻して、18世紀イギリスで社会契約論を批判したヒュームの説を検討したい。

 次回に続く。

■追記

本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第2部は、下記に掲示しています。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i-2.htm

在日特権集団の特権を廃止しよう6

2015-07-20 10:29:27 | 時事
●今後の課題~在日特権の廃止を進める

 今回の新しい在留管理制度の全面施行及びマイナンバー制度の導入を契機に、私は、在日韓国・朝鮮人が享受してきた在日特権を廃止していくべきだと考える。韓国では、在外外国人の住民登録を進め、また兵役義務を強化しているところであり、よいきっかけになると思う。
 在日韓国・朝鮮人は、日本国籍を有さない者でありながら、従来世界的にも類のない特権を享受してきた。これまで問題になってきたものの概要を挙げてみよう。

・特別永住権
・公文書への通名使用可 (会社登記、免許証、健康保険証等)
・凶悪犯罪者の3分の1を占めるのに実名で報道されない
・犯罪防止指紋捺印の廃止
・税制の優遇(固定資産税の減免、特別区の民税・都民税の非課税、特別区の軽自動車税の減免等)
・生活保護の優遇
・掛け金無しで国民年金受給可能(憲法25条違反)
・心身障害者扶養年金掛金の減免
・朝鮮学校、韓国学校の保護者への補助金支給
・公立高等学校・高等専門学校の授業料の免除
・民族学校卒業者の大検免除
・大学センター試験へ韓国語の導入
・外国籍のまま公務員に就職(憲法第15条違反)
・公務員就職の一般職制限の撤廃(憲法第15条違反)
・朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
・保険診療内の医療費は全額無料、通院費も全額支給
・保健所使用料・手数料の滅免
・公営住宅への優先入居権
・公営住宅の共益費の免除、入居保証金の減免または徴収猶予
・水道基本料金の免除
・下水道基本料金の免除
・水洗便所設備助成金の交付
・放送受信料の全額免除
・公営交通無料乗車券の交付
・JR通勤定期券の割引
・ごみ容器の無料貸与
・廃棄物処理手数料の免除

等である。
 こうした在日特権は廃止すべきである。以下に特に重要なものとして、特別永住制度、生活保護の支給、外国人学校保護者補助金、通名報道及び通名使用について書く。

●特別永住制度の廃止を

 在留資格には、一般在留資格と、特別在留資格の二つがある。特別永住権と普通の永住権との違いは、特別永住権所持者の子供は、無条件で特別永住権を与えられること、政府機関等により、永住権を剥奪できないこと、実質的に日本政府の保護下にあること、日本への帰化が簡単なこと等がある。
 在日韓国・朝鮮人の特別永住制度は、現行の日本国憲法上、重大な憲法違反の疑いがある。法の下の平等を定めた日本国憲法の基本的な精神に反するからである。在日外国人のうち、在日韓国・朝鮮人にのみ、特別永住権を与えるのはおかしい。他の外国人と同じ扱いにすべきである。
 特別永住権は、サンフランシスコ講和条約の発効で日本国籍を失った者、主に韓国人・朝鮮人・台湾人と、その子孫に与えられたものである。だが、特別永住者のほとんどは、難民、密入国者及びその子孫である。彼らにのみ、特別永住権が与えられているのは、在日韓国・朝鮮人が暴力行為や脅迫等を繰り返し、それにわが国の行政が屈してきたからである。その証拠に、戦前、日本の信託統治下にあったパラオ、グアム、サイパン等の人々には、特別永住権は認められていない。
 私は、特別永住者については、一定の期間を決めて、日本に帰化するか否かを選択してもらう。その後、入管特例法を改正して「特別永住者」の制度を廃止する。帰化によって日本国籍を取得した元特別永住者は、基本的に日本国民と同じ権利に限定する。参政権は与えるが、各種の特権、いわゆる在日特権は廃止する。引き続き外国籍のままで日本に在留したい人は、一般永住者の地位で居住を許可する。当然、参政権は与えない。このようにするのがよいと思う。私は、以前からこのように実施すべきだと主張してきたが、そうした制度変更がされない状態で、今回、わが国は新在留制度を施行し韓国政府は在外韓国人の住民登録等を進めるという事態になっている。そこで制度変更の実施時期については、日韓両国政府の対応具合を見たうえで、判断するのがよいと思う。
 なお、在日外国人の帰化に関しては、憲法を改正して国家忠誠の義務や国防の義務を定めたり、刑法第85条、86条を復活し、通牒利敵行為の罰則を強化したり、スパイ防止法を制定したりすることが必要である。これらの課題については、別に書いてきたので、本稿では割愛する。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「在日特権集団の特権を廃止しよう」の全文は、マイサイトの下記のページに掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12Y.htm