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ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

宗教2~シャーマニズム、多神教、一神教

2018-02-22 11:30:18 | 心と宗教
●シャーマニズム

 宗教の原初形態において、祈りや祭儀を行うために、特殊な能力を持つ人間が必要とされる場合がある。そのような例の一つとして、シャーマニズムを挙げることができる。
 シャーマニズムは、シャーマンと呼ばれる特殊な霊的能力を持つ宗教的職能者を中心とした宗教である。シャーマンは、トランス(trance)状態と呼ばれる特殊な心的状態において、神・精霊・死者等の霊的存在と直接に交渉し、その力を借りて託宣・予言・治病・祭儀などを行う。
 シャーマンの語源は、ツングース系諸族の言語に求められる。もともと宗教学者は、シャーマニズムをシベリアの原始宗教に限定していたが、類似した現象は中央アジア・北米・東南アジア・オセアニアなど世界各地に見られる。日本やシナ・朝鮮では巫術・巫俗といい、呪術とも訳し得る。それゆえ、地域的な概念であるシャーマニズムを普遍的な概念として拡大使用することが可能であると私は考える。
 シャーマニズムは、アニミズムすなわち精霊信仰の表れの一つであり、アニミズムが人間の霊を対象とするとき、祖先崇拝となる。子孫は、祖先の霊に呼びかけ、祖先の霊を慰め、祖先の霊に加護を祈念する。氏族・部族・民族の共同体において、その祖先の霊に対する儀式を執り行う者が、シャーマンである。シャーマンは、祖先の霊を呼び寄せ、それと接触・交流し、その意思を共同体の成員に伝える。そのような能力を持つ者、または役割を持つ者を通じて、子孫と祖先が霊的につながり、また共通の祖先をもつ者の集団としての共同体意識が形成・維持されてきた。

●多神教と一神教

 アニミズムの様々な形態のうちの一つが、多神教である。多神教は、精霊信仰が発達したもので、多数の神々を祀る宗教である。多神教は、自然の事象、人間・動物・植物等を広く対象とする。これに対し、一神教は、多神教における複数の神格を信仰の対象から排除することによって現れたものである。
 一神教には、単一神教、拝一神教、唯一神教がある。単一神教は、自己の集団において多くの神々を認め、その中に主神と従属神があるとし、他の集団の神格も認めるものである。拝一神教は、自己の集団において唯一の神のみを認めるが、他の集団における神格をも認めるものである。これらの2種は、自己の集団または他の集団における複数の神格を認めている点で、多神教的な性格を持つ。それに対し、唯一神教は、唯一の神のみを神とし、自己の集団においても他の集団においても、一切他の神格を認めない。これが、純粋な一神教である。
 多神教という概念は、この唯一神教を基準にした概念である。ユダヤ=キリスト教を優位に置き、多数の神格を持つ宗教を劣位に置く発想が根底にある。私は、逆にアニマティズムの特殊な形態がアニミズムであり、そのまた特殊な形態が多神教であり、さらに非常に特殊な形態が、一神教であると考える。この特殊な形態の宗教をキリスト教文化圏の学者が最も進歩した宗教とし、それを基準に他の宗教を評価したところに、宗教に対する大きな誤解が生じたのである。
 私の考えでは、多神教は、アニミズムの特殊形態としては多元的だが、根底にアニマティズムが存在しており、その基底面では一元的である。それゆえ、多神教には、アニマティズムに近い一元的多神教と、アニマティズムから離れた多元的多神教があり得る。実際、多神教の中には、神々や霊的存在が単に多元的・並列的ではなく、本質において「一」であるものが、現象において「多」であるという「一即多、多即一」の構造を示すものがある。私は、日本の神道をその例として見ている。
 宗教学では、こうした哲学的な考察がされずに、現象的な「一」の側面を見て一神教、「多」の側面を見て多神教と分けている。だが、宗教の研究を深めていくと、一神教と多神教は全く別のものではなく、根本に「一即多、多即一」という立体的な構造があって、そこから様々な宗教が差異化したと考えられる。そして、私はこうした「一即多、多即一」の構造の中に、一神教と多神教を包摂し、融合・進化させ得る可能性を見出す者である。

●ユダヤ教と仏教の特異性

 古代から続く宗教と文明の歴史の中で、特異な形態の宗教として出現したのが、ユダヤ教と仏教である。
 ユダヤ教は、ユダヤ民族の神話的信仰をもとに、多神教を否定する一神教として発生した。発生の時期の特定はできないが、紀元前6世紀には、第2イザヤらの預言者によって、神ヤーウェが世界を創造した神であり、唯一神であると位置づけられ、唯一神教が確立されていたと考えられる。唯一神教では、神が宇宙の外にあって、無から宇宙を創造したと考える。多神教を否定することでアニミズムを否定し、同時にその根底にあるアニマティズムも否定し、超越的な人格神が宇宙と人間を創造したという発想によっている。唯一神教としてのユダヤ教の発生は、人類の宗教の歴史において画期的な出来事だった。純粋な一神教が誕生したからである。
 ユダヤ教からは、さらに二つの宗教が形成された。まず紀元1世紀にキリスト教が派生し、地中海地域に広がり、古代ローマ帝国の国教となった。ローマ帝国の末期から、アルプス以北のヨーロッパにも広がった。また、ユダヤ教、キリスト教の影響を受けて、7世紀のアラビア半島にイスラーム教が発生し、中東、西アジア、北アフリカ等を席巻することになった。
 一方、仏教は、インド固有の多神教であるバラモン教を背景として、紀元前6~5世紀に釈迦が開創した。仏教は、バラモン教と同じく輪廻転生を教義とする。輪廻転生は、古代のエジプト、ギリシャ等にも見られる思想である。仏教は輪廻転生の世界から抜け出るための知恵と方法を説いた。即ち、解脱、悟りを目指すために、法(ダルマ、真理、法則)を明らかにし、それに基づく実践を説く。その教えによって、民族的・国家的な共同体の宗教ではなく、個人の魂の解放を目指す宗教が誕生した。また、仏教がバラモン教と異なる別の点は、「神を立てない宗教」であることである。釈迦の教えを守り伝えた原始仏教、根本仏教は、その原型を保っている。無神教としての仏教の発生もまた人類の宗教の歴史において画期的な出来事だった。
 仏教は、インドから東北方面はシナ、朝鮮、日本等へ、東南方面は東南アジアへと広がった。インドでは一時、隆盛を誇ったが、やがて衰退した。また、ヒンドゥー教や伝播した地域の多神教の影響を受けた。その結果である大乗仏教や密教は、法を人格化したり、仏陀や如来・菩薩等を神格化しており、有神教の一種と見ることができる。
 人類の多数が信仰してきた多神教から現れた一神教、すなわちユダヤ教から出たキリスト教、イスラーム教は、広域的な宗教に発展し、世界宗教となった。また多神教から現れた無神教、すなわち仏教も、民族宗教の枠を超え出て、世界宗教となった。

 次回に続く。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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神はサイコロ遊びをする (ああいえばこういう熱力学)
2024-03-25 02:05:41
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。なつかしい日本らしさというか多様性を秘めた多神教的魂の世界の力によって。
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