西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

草創期のThe Sons Of The Pioneers (1)

2015年12月07日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
  
The Sons Of The Pioneers  の草創期 (1) 
米国盤 Varese Records 81212 Roy Rogers & The Sons Of The Pioneers / The Republic Years 
(1)My Saddle Pals And I (2)Silver Stars, Purple Sage, Eyes Of Blue (3)The Everlasting Hills Of Oklahoma (4)Rainbow Over Texas(5)My Adobe Hacienda (6)Cowboy Country (7)I'm An Old Cowhand (8)Medley・・・Springtime In The Rockies~Tumbling Tumbleweeds~Highways Are Happy Ways (9)Mexicali Rose (10)Git Along Little Dogies (11)Don't Fence Me In (12)Utah Trail (13)The Cowboy Jubilee (14)Ride 'Em Cowboy (15)Lights Of Old Santa Fe (16)It's An Old Custom (17)Ride Ranger Ride (18)The Lonesome Cowboy Blues (19)Red River Valley (20)On The Old Spanish Trail  
 
年の瀬も押し迫ってきて今年の最後を何で飾ろうかな・・・と考えていました。1年すぎるのて早いなあ、あれも載せたいこれも載せたいと希望は限りなくあっても仕事の忙しさに時間ばかりが流れ去っていく感覚が強いです。年の瀬は ” 懐かしの~ ”ではハンク・ウィリアムスかなぁ・・・・・と思ったけれど秋から冬にかけてのカウボーイ・ソング(特に秋)は自分的には合っているように思っているので大好きなサンズ・オブ・ザ・パイオニアズにしました。 遠い昔の話です・・・・・ 
往年のアメリカのカウボーイ コーラス グループ 「 ザ・サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ 」 については今はドイツの Bear Family Records 社から大部の CD-Box 集が数巻出されているのでその詳しい解説書をみると歴史がわかります。今回のレコードにはちょっとした小伝が載っていますので今年の締めとして省略せずに3回に分けて訳して載せることにしました。 私が思い入れの深い大好きな The Sons Of The Pioneers についてですのでいろいろ自分なりの補足や写真を入れました、これからの若い世代の人たちに The Sons Of The Pioneers のことを少しでも興味を持ってもらえればなあと思っています・・・・・・以下解説訳 
 
1934(昭和9) 年に 南カリフォルニアでは有名な The Pioneer Trio という名前のバンドがロサンゼルスにあるKFWBラジオ放送局の番組に出演準備をしてひかえていました。The Pioneer Trio はこれまでも時々KFWB局で演奏したり、局のスタジオミュージシャンをつとめたりしていたのでしたが、今回のショウは彼等にとって特別な出来事となったのでした。トリオの素晴らしいボーカルとヨーデルのハーモニーに補う形で素晴らしいフィドル(カントリースタイルのバイオリン)伴奏をつけてくれるフィドラー(= Fugh Farr )が加わることで 自分たちの努力を発展させたいという長年の希望がとうとう実を結んできたのでした。The Pioneer Trio はこれまでにも確固とした人気を得てきておりましたので、KFWB局のアナウンサー Harry Hall が自分達のことを The Pioneer Trio ではなくて The Sons Of The Pioneers と紹介したのを聴いた時には驚きを( 原文では shock と表現 )隠せませんでした。 The Pioneer Trio の4人( ボブ・ノーラン、ティム・スペンサー、レナード・スライそれに新加入のヒュー・ファー )の怪訝そうな表情が想像できますね、ショウが終わってから Harry Hall へ激しく抗議したのです。なぜ The Pioneer Trio ではなくて The Sons Of The Pioneers と紹介したのかについて Harry Hall の失言ではないか-と問い正して説明を求めたのでした。すると Harry Hall は、君達トリオは厳密には開拓者ではなくてその次の世代 つまり ” 開拓者の息子達(the sons of the pioneers)” だから The Pioneer Trio は明らかにふさわしくない名前だと感じたからそう紹介した-と説明したのでした。  Hall の説明をじっくり聴いてみると なるほどもっともなことでそちらの名前の方がふさわしいと感じて、The Pioneer Trio から The Sons Of The Pioneers という名前にすることに決めたのでした。

グループは主に Leonard Slye ( またの名を有名な Roy Rogers という)の独創性にありました。ロイ・ロジャースは1930年代初期にオハイオ州からやってきて以来 急成長する南カリフォルニア カントリーミュージック界の一分子であり続けました。彼はロサンゼルスを本拠とする The Rockiy Mountaineers というバンドのギタリストとしてキャリアをスタートさせています。ロイは競争の激しい地方のカントリー&ウェスタン界で張り合っていくためには一流ボーカリストのトリオを結成することだ-と心に決めていました。 当時は、ほとんどのカントリー( 時としてヒルビリーとも呼ばれた )のバンドが実際は楽器演奏(=instrumental)だけのものでしたし、The Rocky Mountaineers もそうしたバンドでした。ロジャースは説得に説得をかさねた末に自分以外のバンドメンバーを言い含めたり説得したりしてひとりの歌手のオーディションにこぎつけることが出来たのです、その人こそ類いまれな歌手ボブ・ノーランだったのです。こうして 後年成長してくる The Sons Of The Pioneers への萌芽の種が撒かれました。 
 
The Rocky Mountaineers 内の意見の食い違いからすぐにボブ・ノーランはバンドを去ることになり、ボーカルトリオをそのままの形で維持したかったロイ・ロジャースはノーランの後釜にティム・スペンサーを雇い入れました。ロイ・ロジャースとティム・スペンサーそれにロイ・ニコルス(=この人は Bob Nolan の友人で、トリオのオリジナルメンバーの一人です。ただ後年の The Sons Of The Pioneers のメンバーにはなっていません )もまた The Rocky Mountaineers を辞めてしまって それほど有名ではない Bennie Nawahi's International Cowboys に入団して演奏活動を続けたのですが、この試みは短期間しか続かず、Roy Rogers、Tim Spencer 、Roy Nichols の3人は新たな活動のために The O-Bar -O Cowboys というバンドを結成しました。そのバンドが行なったテキサスでの演奏ツアーは全て失敗に終わり、バンドとしての創造性・経済性の両面で破綻してしまい、ロサンゼルスに帰ってくるなり3人は分裂してしまってそれぞれの道を歩んでいくことになったのでした。 
 

The O-Bar-O Cowboys の分裂から1ヶ月もしないうちにロイ・ロジャースは新たな singing cowboy trio 結成を試みます。控えめな振る舞いの割りに事業家としてやり手のロイ・ロジャースはさっそく Tim Spencer を探し出してきて 二人で Bob Nolan を上手く説得してもう一度ボーカルトリオに挑戦していったのでした・・・・・・・(H27.12/26記載)
次回に続く

<私のひとこと>・・・

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