西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

草創期のThe Sons Of The Pioneers (2)

2015年12月08日 | サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ
 
The Sons Of The Pioneers の草創期(2) 
米国盤 MCA Records MCA-1563 Empty Saddles / The Sons Of The Pioneers
(1)I'm An Old Cowhand ( From The Rio Grande ) (2)Tumbling Tumbleweeds (3)A Melody From The Sky (4)One More Ride (5)Over The Santa Fe Trail (6)Westward Ho (7)Cajon Stomp (8)Empty Saddles (9)When I Leave This World Behind (10)Blue Prairie (11)Roving Cowboy (12)Blue Bonnet Girl (13)Kilocycle Stomp (14)Echoes From The Hills  

前回の続き・・・・・ 
カントリーミュージックがアメリカ中へ広がってゆく役割を果たしたのはラジオ放送局でした。地方ラジオ局がひしめき合って競合している地域をたくさん抱えているロサンゼルスも例外ではありませんでした。南カリフォルニアのミュージシャンの数はすごいといえるほどではなく、その技量・質も一部例外を除けばそれほどではありませんでした。ただ、十分な意欲と洗練さをもったバンドであれば確実に成功を収めることが出来たし、実際 Roy Rogers、Tim Spencer、Bob Nolan のトリオも確実に成果を収めつつあるのでした。 
 
Bob Nolan の卓越した Song writing によってトリオはほとんど他の競争相手を凌駕しつつありましたし、最終的にはロサンゼルス地区での成功を達成したのでした。The Trio はハードワークと一生懸命さだけが成功への鍵であることを悟って、1週間に7日、1日に8~12時間も活動することにしたのでした。トリオが自分達のトレードマークである Harmony yodeling を形作ったのもこの時期でした・・・・・それ自体は素晴らしいヨーデルを歌うロイ・ロジャースの創意テーマに基づいているものだったのです。 
 
1933(昭和8)年12月初めにグループは活動を始める決断をし、ロイのロサンゼルス地区でのコネを利用して 当時 KFWB 放送局と契約を結んでいた The Texas Outlaws と称する有名バンドの一翼を担うことになったのでした・・・・・。しかしながら、3人はすぐにそのバンドの中では自分達の独創的なカラーを発揮できないことに失望感を感じはじめたのですが、幸いなことにトリオの優れたアレンジメントを気に入ってくれる人達がいて その危機的状況をとりなしてくれて KFWB局の経営者側に注意を促してくれた結果 グループは自分達のショウを持つことができるようになったのでした。 
 
1934(昭和9)年3月にロイ・ロジャース、テイム・スペンサー、ボブ・ノーランそれに新しく加入したフィドラーのヒュー・ファーからなるラインナップが揃ったのです。ヒュー・ファーの華麗なフィドル演奏テクニックがトリオの素晴らしいボーカルに添えられてグループは今や目標近くまでに達していました。1935(昭和10)年の中頃には音楽的にさらなる熟練度をめざしてヒューの弟 Karl Farr を加入させます。カール・ファーはヒルビリー、ジャズ、クラッシク等(幅広く)に基礎をもつスタイルの優れたギター奏者でした。 
 
Singing Cowboy の時代に The Sons Of The Pioneers が映画界に進出するのは驚くにあたらない当然の成り行きのことでした。正確にはグループは1935(昭和10)年10月に Liberty 映画社の ”The Old Homestead ” という映画に初めて出演しています。その後すぐにコロンビア映画のチャールス・スターレット主演の2本の映画 ”Gallant Defender ”と ” Mysterious Avenger ”に出演。ノーランとスペンサー作曲の曲が色々な B-Western 映画に散見されるようになり、グループのあまたの映画出演に抱き合わされる形で The Sons Of The Pioneers はアメリカ国内に名声を轟かしていったのでした。 

ジーン・オートリーのリパブリック映画社との軋轢(あつれき)問題があって、その後にロイ・ロジャースが同社に雇われたことはよく知られており周知のことです。ロイ・ロジャースがパイオニアズを去ると Bob Nolan、Farr 兄弟、Lloyd Perryman、Pat Brady というラインアップになりました。ロイド・ペリマンは Tim Spencer が1937(昭和12)年に長い休止期があった時にその代役として加入した人で、Pat Brady はロイ・ロジャースの代わりに入団した人です。 Pat Brady の声がトリオのボーカルに合わなかったことで Tim Spencer に復帰するよう求められて Tim が再加入したのでした。ロイ・ロジャースのリパブリック映画社時代の多くの作品で歌ったのは基本的にこのメンバーでありました。

The Sons Of The Pioneers の成功は大部分はロイ・ロジャースの夢と Bob Nolan と Tim Spencer の卓越した作曲能力とアレンジメントに依っています。Bob Nolan はしばしばバンドを牽引する立役者として Tim Spencer のことを立てていました。しかし、Bob Nolan と Tim Spencer が共作者として揚げられる曲がごくわずかしかないーというのは驚くべきことです。実際は多くの曲を共作しているのに 二人は作品の大半を担ったと感じる方に全ての権利を譲っていたからということなのです・・・・・・(H27.12/30記載)次回へ続く 

<私のひとこと> 今日のレコードジャケットのメンバーは前から順にTim Spencer、Bob Nolan、Roy Rogers、 Hugh Farr で、極く初期の The Sons Of The Pioneers です。下に掲げた写真はもっと後年のメンバーになりますが前方の白いハットが Ken Curtis、その上から時計回りに Karl Farr、Hugh Farr、黒いシャツの Tommy Doss、Lloyd Perryman、右側に座っているのが Shug Fisher です。日本にも彼らの名前がスイスイと出てくるくらいに好きな人が出てくるといいなあ

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