風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

バンカラ写真集

2007-05-17 | 風屋日記
野球シーズンでもあるし、
今日は「これぞ岩手のバンカラ」を紹介。


一高中

この写真は平舘さんのHPから拝借。(勝手に拝借すんません ^^;)
昭和53年夏に盛岡一高が甲子園出場を果たした時の、
確か週刊プレイボーイ誌の記事。
ここに写っている3年生たちは私と同い歳だ。
別のページだったか、あるいは他の週刊誌だったかには
当時応援委員として蛮声を張り上げていた
盛岡一高硬式野球部のM前監督の写真もあったはず。
甲子園出場メンバー中、サードで5番バッターが
「野球がしたくて」同時に合格していたあの開成高を振って一高に入った
当時まだ1年生の八重樫選手(のちの東大野球部主将、六大学ベスト9)。
彼の存在と、全国の度胆を抜いたバンカラ応援が話題となり
週刊誌各誌をはじめ色んなマスコミが一高を取り上げたものだ。
(週刊朝日は八重樫選手の特集で4ページを割いたはず)
バンカラ応援では普段鳴りものは和太鼓しか使わないのだが、
甲子園では和太鼓が禁止(なんで?)のため声だけの応援。
NHKによる試合中継時もその地鳴りのような声の応援で
アナウンサーの声がかき消されるほどだった。
放送席から試合内容より応援の話題の方が多かった試合なんて
後にも先にもこの時だけだっただろうねぇ(^^;
いずれにせよ、当時の私も周囲の友人達のスタイルもこんな感じだった。


応援06

これは2年前、長男最後の夏の大会出場時の花巻北高応援団席。
この年、応援団幹部たちや有志約30人は、
花巻から雫石球場まで、約60kmを徹夜で歩いてやってきてくれた。


野球応援

これは学校のHPから拝借。
恐らく数年前の夏の野球応援時の写真だろう。
バンカラ応援はこんな感じ。


幹部

この写真は更にもっと数年遡ったものらしい。
高総体ハンドボール競技の応援に駆け付けた応援団幹部とのこと。
彼らのスタイルは応援の時は応援着と袴だが、
普段は代々受け継がれてきたボロボロの学生服を着、
腰手拭いを下げ、下駄を穿いている。


アナクロと笑うなかれ。
これが我々のスピリッツなのだから。
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14 コメント

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アワワ。。。 (平舘)
2007-05-17 20:47:55
いづもみなれでる画像なのに、ひどのどごろで見るど感激するもんです。。。いろんなごどが、あだまをめぐって、正直 ウルッ ど来ましだ~♪ ありがとうございます。

【追伸】
イワテハイスクールベースボール掲示板にも、懐かしいむがしの名前で出始めました(やっぱり野球バガです)。
>平舘さん (風屋)
2007-05-17 22:47:52
私自身もこの記事には思い入れがあるのです。
当時やっぱりこの週刊誌持ってました。
そしてかなり嬉しく読みました。
この後、いくつかの週刊誌が岩手のバンカラ特集組みましたよね。
平凡パンチにはわが校も出ましたよ。

東京の大学へ入ったり、その後帰ってきたりしているうちに
このプレイボーイ誌もどこかへ行ってしまいましたが
もしかしたら実家をひっくり返してみればどこかにあるかも。
・・・というより、いつでも私の頭の中にありますけど。
本文の記事もほとんど覚えています。
今回は本文も読めるように、あえて大きく載せてみました。

掲示板で「ルール論」を書き込んだのは私ですが
「私立」なんて字をどこにも書いていないのに
卑屈に考える人達がいるようですね。
公立だって処分受けているのにね。
あの画像は (平舘②)
2007-05-17 23:13:05
花北1年ボウズの親父(高・大同級生)提供です。

掲示板は、なんやかやと言いながら、自分が被害者になった風を演じて同情を集めて、周りを叩く場になってしまっています(まるで、どこかの国・・)。でも、まんず、ボチボチ普通の野球話題も出始めましたので・・・おいらも当分昔の名前で行きます。昔の名前→妙に気が楽なのが自分で可笑しいデス。
おッ… (おばらあつひろ)
2007-05-17 23:56:49
まさに血沸き肉踊る画像が。

盛岡一高の応援風景の写真は、平成5年(1993年)の週刊朝日にもカラーで出ておりました。ちょうど夏の大会が75年目のときで、特集組んでいたようです。というのも、亡きアタシの親父が、「そんなに応援団やりでば、ほれっ」と雑誌を切り抜いてくれたので…。とにかく生徒たちの気合が凄い。

そういえば、『平凡パンチ』はウチも出ていたらしい、という話を母校卒業生の方に聞きましたが…。
応援スタイル様々 (Dancho)
2007-05-18 00:52:20
風屋さん、こんばんは。

涙ものです。実際に「応援団」やっていて『応援団バカ』の小生には、本当に「お宝」です。
この風屋さんの記事…一生とっておきたいです。

『保存記事』フォルダーに入れておきます。

やはり、応援スタイルは、それがオリジナリティーが高ければ、やっぱり、バンカラだろうが何だろうが、素晴らしいものです。
尊重&絶賛するに値します。

小生自身も、風屋さんが「激しく興味あり」とおっしゃってくださったシリーズ化記事『応援団に捧げた青春』をエントリーし続けていますが、大分先にはなりますが、小生自身の「映像」も残っておりますので、どんなスタイルで応援団活動をしていたのか…紹介してみたいと思っています(笑)。

あと、ウィキペディアの『埼玉県六校応援団連盟』という記事は、実はHNを変えた小生が最初に起こした記事です。
(この時使ったHNは『S.M.Opera O』です。)

一度、検索エンジンでウィキを調べ、履歴も含めて覗いてみてください。
(Googleなら、一発で引っかかると思います。)

埼玉でバンカラ色が強いのは、やっぱり熊谷高校(旧制埼玉二中)ではないかと思いますね(笑)。
バンカラ (風屋)
2007-05-18 07:59:03
母校のバンカラもさることながら
旧制高校に憧れる私でした。

>平舘さん
提供者は・・・そうでしたか。
私の友人たちも結構この雑誌を買ったものですが、
誰か今でも持っていないかなぁ。

>おばらあつひろさん
そう、平凡パンチに載ったのは
宮城では築舘、古川、岩手では関高、水高、黒北、花北、一高でした。
写真がわが校の応援団幹部の登校スタイルだったため
ヤツはしばらく「パンチボーイ」と呼ばれていました(笑)

>Danchoさん
わが校の応援団幹部は生徒会執行部とともに選挙で選ばれます。
それぞれが自分の部活動終了後に幹部としての練習をします。
生徒会役員以上に厳しい目で選ばれることになりますので
私が在籍当時は成績もよく、尊敬されているヤツらでした。
だからこそ今でもこのスタイルが崩れることなく続いているのだと
今になって思っています。

実はこのエントリーは、Danchoさんの「東大応援団」のエントリーで
安全ピンでズボンの破れを留めている写真に触発されました(笑)
あれぞバンカラ。
ということでしたら… (Dancho)
2007-05-18 12:24:10
風屋さん、こんにちは。

現在昼食休憩中です。ちょっとウォッチングしていました。

『実はこのエントリーは、Danchoさんの「東大応援団」のエントリーで、安全ピンでズボンの破れを留めている写真に触発されました(笑)あれぞバンカラ。』

そうだったのですね…。

というわけで、風屋さんのブログのファンの方にも、この『バンカラ』と、「感動」をお伝えすべく、TBさせていただきますね。

風屋さんのブログファンの方にも、この感動が伝わると良いのですが…。

(この企画は、今、東大が38連敗中と苦しんでいることや、風屋さんもお邪魔しているhaluさんのブログの記事に触発されて、温めていたものです。)
今は見れない帽子姿 (rinrin)
2007-05-18 15:19:44
息子とこの画面を見て、
「へぇー学帽かぶってんだ」
なるほど
今の高校生帽子かぶりませんものね。
でも、まだ長男が生まれない頃、
随分濃い『?』高校生が沢山いたんですね
帽子 (kt)
2007-05-18 15:57:13
先日、「ごめんなさい」を何度も言いながら
新品の学帽にハサミを入れました。
この悲しさも伝統なんですね。

大反響(^-^) (風屋)
2007-05-18 18:23:54
>Danchoさん
TB了解しました。
何せ東大といえば、旧制一高ですもんね。

>rinrinさん
バンカラに学帽は必須です。
今の風潮がちょっと違うだけだと思ってます。
一応入学すると全員学帽を買うわけですが、
やっぱちゃんと被って歩かないと(笑)

>ktさん
ということで学帽の話ですね?
ハサミを入れる前にご相談下さればよかったのに。

今さらこんなこと言うのもなんですが、
正直言って、新しい学帽にハサミを入れるのは邪道です。
そんなことしてもバンカラじゃありません。
バンカラはコスプレではないのです。
中学校の頃の学帽も、真新しいまま残ってませんか?
それを使えばよかったのに。
そして「切る」のではなく「使い古す」なのです。

ここから先はあまり大っぴらにしたくないのですが(笑)
学帽の裏地をまず取り、
表地をコンクリートか何かにゴシゴシ擦り付けます。
フェルトのケバ立ちが擦り取られた感じで0Kです。
あとはかぶり易いように後ろの縫い目を少しほつれる感じにすれば
ハイ、りっぱなバンカラ学帽の出来上がり。
残念ながら最近の学帽のツバはビニールでできているので
ペラペラにすると何とも情けなくなりますが
かつては皮だったので、これまたヤスリで磨いたものです。

あちこち穴を空けたいなら、ハサミやカッターではなく
一番いいのは剣山をザクザク刺すこと。
いい感じにほぐれてくれますよ。

幹部連中の帽子は代々伝わったものなのでしょうが
一般生徒の帽子を幹部のようにするテクニックは上記の通りです。
高度なテクとして「石で叩く」というものもありましたよ。

あー(^^; タネ明かしちゃうと
「なーんだ、バンカラなんてそんなもんか」ですよね(笑)
そうですね (kt)
2007-05-19 00:50:01
確かに相談すれば良かったですね。
中学の時は学帽を買わなかった、というか無かったです。
だから学帽を購入するのは初めてでした。
で、「明日までにボロボロにしてくるように」と言われた~と
夕食も食べずに寝ていた息子から聞かされたのが午前2時(^_^;)
風屋さんの仰るとおり、「こんなのコスプレじゃんか~」と言いつつ
つばの糸をほどき中の芯を外し~云々・・・(T_T)
新しくてバラバラな「妙なモノ」が出来ました。
剣山どこにしまったっけな~

>ktさん (風屋)
2007-05-19 21:58:17
今からでも間に合う対処方法は・・・

1.ハサミやカッターで切ったところを全部縫い付ける。
 縫い付け方は荒ければ荒いほどOK

2.その上でモルタルやアスファルトなどのざらざらしたところでこする。

3.ケバ立ちが取れてきたら大きな石に被せて別の石で上から叩く。

4.最後にかなり出がらしのティーバッグで白線をくすませれば完成

・・・(笑)
懐かしいですね (甲斐祥弘)
2007-05-23 03:01:38
ネットサーフィンしていてたどり着きました。週刊プレーボーイの写真、懐かしいですね。私の母校は福高なので、あの年、9回目の甲子園出場を一高に先を越されたのが非常に悔しかった思いがあります。そして、一高の試合の後、あの週刊プレーボーイの記事、またまた悔しい思いをしました。その前2年続けて県大会決勝で涙をのみ、翌年、一高が甲子園出場。今では懐かしい(私は昭和50年代卒です)。
また、学生帽の話題になっているようですが、皆、似たような経験をされて破帽を作り上げていたんですね。私もそうでした(笑)。私の場合、作り上げた帽子の後ろが3年の時、ほころびて(我が母校には野球応援の時に「ボッチ投げ」があってよく空高く投げ上げていたもので・・・)縫おうとしたら黒い糸がなく、たまたま赤い糸で縫って着用していました。黒い帽子に赤い糸はたいした目立つようで、友人からよく「なんだ赤い糸で縫って」などと云われました。
平舘さんとか小原さんとか野球やバンカラの掲示板などでは良くお目にかかる方々が投稿されているようですね。
また機会がありましたらいずれかのサイトや掲示板でお会いしましょう。夕べ遅くまでの勤務だったのでこんな時間に失礼しました。
>甲斐祥弘さん (風屋)
2007-05-23 08:24:02
初めまして & いらっしゃいませ。
ミュージシャンの方からのコメントかと思いました(笑)

>その前2年続けて県大会決勝で涙をのみ
その最初の年、昭和51年の準決勝はわが校とでしたよね。
2-4で迎えた7回だったかな?
わが校が二死満塁から三遊間にタイムリーが出て
「よしっ!!同点!!」と思った瞬間に
打球がランナーの足にあたったというアピールがあってチェンジ。
結局そのままのスコアでわが校は涙を飲んだのでした。
あの時はBEST4に進んだことで、皆真剣に甲子園を考えてました。

決勝は当時の花北商とですよね。
分離独立してからまだ数年の花北商は応援歌がわが校と同じ。
申し訳ありませんでしたが姉妹校を応援してました(^^;
私が高校1年の時の話です。

こんな拙いブログですが、またおいで下さいませ。

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