風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

2016-07-27 | 世界・平和
例えば校庭のような広い場所に
30cmぐらいの幅の1本の道を描いたとする。
そこをはみ出さずに歩くことはとても簡単なことだろう。
その道が周囲より3〜40cm高くなっていたとしても
多少は気をつけながら歩くことにはなるだろうが
それでも道をたどることはそう難しいことではない。
それではその道の両側が数十m谷底になっていたら・・・

かつて若者の進路は校庭だった。
仮に道だけ数十cm高くなっていたとしても
その道を歩くことは容易だったし
もし道を外れたとしてもすぐ戻ったり、
あるいは別の道に乗ることができた。
現代はどうだろうか。
道の両側は谷底になっていないか?

それでも意を決して道を歩んでいくだけの
勇気と力と自分を信じる気持ちがあれば良いが、
初めから臆して道を外れたり、
あるいはなんらかの原因で道から転げ落ちたりすると
もうあとは谷底を歩いていくしかない。
それがワーキングプアなどの貧困を作り出し
どんどん格差を広げていく。
1度の失敗が人生そのものを決めてしまう恐ろしさ。
皆それを恐れ、他と違うことを避けようとする。
「みんなと同じ道を歩いていれば安心」とばかり
他と違う存在を忌み嫌ったり、攻撃することによって
自分は「みんなと同じ」を演出しようとする。

以前あった秋葉原の事件や
佐世保、名古屋の殺人事件のニュースを見ていて
そういうことを感じていた。
そして昨日の障がい者施設での大量殺人事件。
詳しいことはわからないし
青年心理の専門家でもないからロジカルなことは言えないが
なんとなく感じることとして
「ふつう」の枠がだんだん狭まってきていて
狭歪な中で息苦しく感じる人々が爆発するとか
心ならずも道を転げ落ちた人が自暴自棄になるとか
そんなことはないのだろうか。

子どもの声がうるさいから保育園設置に反対したり、
同じくうるさいので夏休みのラジオ体操がなくなったり、
気持ち悪いからとノートの昆虫の写真がなくなったり、
あれはダメ、これは止めろと
とにかく社会の許容度が極端に狭まり、閉塞し、
しかも過激化していることをとても感じる。
敏感な若者は特にそうだろう。
そこから逃げ出す方法の一つがISだったりしてないか?

「この道しかない」はとても危険な思想だと思う。
その道を歩めない者は置き去りにされるだけだから。
しかもその道はどんどん狭くなっている。
たくさんの広い道を用意し
なおかつ谷底を埋める施策を考えるのが政治だと思うのだが。
一流大学を出て、一流企業に勤めることだけが道じゃない。
大工になったって、八百屋になったって、農業を継いだって、
笑顔で生きていける社会が健全な社会だと思うのだ。

一流企業だって
「普通」の人間ばかり集まったら伸びていけないと思うんだけどな。
その結果が現代の日本における産業の空洞化じゃないの?
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