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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

長崎の鐘

2020-08-09 | 世界・平和
朝ドラ「エール」主人公のモデルとなった
古関裕而さんの代表曲はあまたあるけれども
「栄冠は君に輝く」と並んで、昔から私の胸に響くのは
藤山一郎さんが歌った「長崎の鐘」。
自ら重傷を負いながら原爆被災者の治療に当たった
長崎大学医学部の永井隆博士が書いた随筆が元になっている。
作詞はサトウハチロー。
本人の手による歌詞ではないけれど深い悲しみを感じる。

昨日は花巻市文化会館で今日まで開催されている
↓コレに行ってきた。



今日は75年目の長崎忌。
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8月6日

2020-08-06 | 世界・平和

この本は1970年に出版されたものの復刻版。
75年前の昭和20年8月6日、
県立広島二中の1年生たちが、勤労奉仕の最中
爆心地付近で原爆に被曝し全滅した記録だ。
亡くなった生徒ひとりひとりの最期を丹念に追ったルポ。
発刊された1970年当時、私は小学校4年生。
担任の先生から勧められるままに読み、衝撃を受けた。
旧制中学は小学校卒業後に入る学校だから
亡くなった1年生たちは当時12歳〜13歳のまだ子どもで
当時の私より3歳多いだけだ。
その子たちが、即死したり、爆風で飛ばされたまま行方不明になったり、
瀕死の全身大火傷を負いながら何kmも歩いて家に帰ったり、
動けずに道端で助けを求めたりしながら死んでいった。
幸運にも建物の影で無傷だった子も
数日のうちに放射能被曝で苦しみながら死ぬ。
ひとりひとりの当時の写真が痛ましくて涙がこぼれたものだ。

あれから50年。
本書は今も私の心の中にあり続ける。
けれども世界はちっとも変わってはいない。
広島の平和公園にある原爆死没者慰霊碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
と刻まれているのに。

今日は75回目の広島原爆忌。
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懸念

2020-07-29 | 世界・平和

これは先日の朝日新聞「天声人語」。
アメリカと中国の関係悪化が新段階に入った。
日本にとっては他人事じゃない。

過去、アメリカが直接戦争当事者になった例はあまりない。
太平洋戦争ですら連合国としての参戦だった。
朝鮮戦争は韓国が、ベトナム戦争は南ベトナムが
アメリカの代理戦争に巻き込まれた。
湾岸戦争もイラク戦争も多国籍軍としての参戦だった。
中国との間にもしものことがあれば
おそらく前面に立たされるのは日本(特に沖縄)だろう。
好むと好まざるとに関わらず。
日本としては
座して今の状況を静観していていいのかという問題。

こんな状況の中、
導入断念したイージス・アショアの代わりに
敵基地攻撃できる防衛装備の検討を始めた与党。
わざわざ火中の栗を拾うのか?
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オリンピックの存在意義

2020-07-27 | 世界・平和
池江璃花子さんの病との戦いを応援していたし
NHK特集での退院〜練習復帰には心を動かされた。
大学の後輩という意味もあって、注目もしている。
私たちの想像を超える苦しさと辛さと葛藤があったことだろうし
今もそういうものとの戦いが続いているのだろう。
結果ではなく、悔いのない競技人生を・・・と願ってやまない。

しかし、7/23にテレビなどで報道された
国立競技場での挨拶には正直言って違和感があった。
オリンピック開催を願うすべてのアスリートの言葉を代弁
・・・というのともちょっと違う気がする。
1年後の開催にすら疑問を持つ世界的な論調を鑑みて
世論の流れを変えようとする、陰の力の存在を感じたのだ。
一体誰があの日新国立競技場を借り、会場設営をし、
マスコミ各社に連絡し、あのコメントを考えたのだろう。
もちろん池江さんではない。
彼女は単に利用されただけという印象を持った。

↓ こんな報道がある。


オリンピックは何のために行うのだろうか。
国境や人種を超えた人類共和、平和共存の祭典じゃなかった?
世界をひとつにするスポーツの力を確認する場じゃなかった?
そういう意味では1964年の東京オリンピックはその趣旨に合っていたし
第二次大戦で傷ついたアジアで初開催という感動もあった。
空襲で焼け野原となった日本の象徴が東京だったから
その東京で開催する意義もあった。
ほんの19年前まで殺しあった国同士の交流も美しかった。
それは決して国威発揚でも、政治活動でも、経済のためでもなかった。

しかし今回は違う。
震災からの復興五輪を謳うなら、その象徴は東京じゃない。
なによりも、国内開催地争いは震災前からあって
「震災復興五輪」なんてのは後からとってつけたエクスキューズだ。
その国内開催地争いでも、
当時の都知事は他の開催候補地に対して文句をつけ、
他の地を応援する識者のことを口汚く罵った。
手段を選ばないその姿はみっともなくてとても正視できなかった。
そんなやり方で選ばれたトウキョウオリンピックについて
件の都知事は「国威発揚」と言い放った。
そして(みんな気づいていることだけど)政治利用、経済利用だ。
本当のオリンピックの目的なんて
(日本だけじゃなく、IOCすら)どこかへ行ってしまった。

それでも・・・やる?
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七夕

2020-07-07 | 世界・平和
陽の数字である奇数が重なる日は節句。
牽牛と織女の逸話がそれに重なって七夕となった。
肉眼で天の川が見えなくなった現代、
身近に感じることが少なくなったように思うが、
こういう有職故実は大切にしたいと思う。

残念ながら、九州をはじめとした西日本、中部地方など
梅雨末期の豪雨被害が相次いでいて
星を眺めるどころか、七夕に思いを馳せる余裕もないが
願いを込め、祈ることはできる。
非科学的と言われようが、前時代的と言われようが
祈りはちゃんと誰かに通じると信じている。
これ以上被害が広がりませんように。
これ以上嘆き悲しむ人が出ませんように。
そして、拉致被害者や分断された社会の中で、
会いたくても会えないでいる人たちが会えますように。
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machi R&Eからのお知らせ

2020-07-06 | 世界・平和
コロナ禍に苦しむ花巻市内の事業者支援のため、
4月下旬から販売してきた「花巻みらいチケット」ですが、
7月3日をもって販売を終了いたしました。
これまでたくさんの方々に
チケットをお買い上げいただきましたこと、
心から御礼申し上げます。
お買い上げいただいた数日内には
当該事業者に販売代金をお支払いしてきました。

この事業で
どれだけ事業者の方々への支援に繋がったかわかりませんが、
少なくともお買い上げいただいた皆様の
応援とご好意は各事業者の皆様にも伝わったと思います。
コロナ禍はまだまだ予断を許しませんが、
これからも花巻のまちをみんなで守っていければと思います。
ありがとうございました。

また、必要なところへ寄付するために、
皆様から集めていた国から支給のマスクも、
今週末で締め切りたいと思います。
第1陣の寄付を行ったルンビニー苑さまからも
感謝のお言葉をいただいています。
こちらもありがとうございました。
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さまざまなあなた

2020-07-05 | 世界・平和
わたしとあなたは歳が違う。
わたしとあなたは親が違う。
わたしとあなたは住む家が違う。
わたしとあなたは体格が違う。
わたしとあなたは顔が違う。
わたしとあなたは好きな食べ物が違う。
わたしとあなたはイデオロギーが違う。
わたしとあなたは肌の色が違う。
わたしとあなたは宗教が違う。
わたしとあなたは民族が違う。
わたしとあなたは価値観や生活習慣が違う。
わたしとあなたは性的指向が違う。
わたしとあなたは性自認が違う。
わたしとあなたは体の形が違う。
わたしとあなたはできることが違う。

わたしとあなたは違う。
違うから面白い。
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ゲストハウスmeinn

2020-07-02 | 世界・平和

ちょうど2年前に花巻市に初めてオープンした同店は
これまでに県内外からたくさんのプレーヤーや観光客を集め
同店のバーカウンターやイベントなどで
さまざまな人と人とのつながりを生んできた。
私自身も夕方や夜、ぶらりとコーヒーや酒を飲みに行き、
ここで出会った人は数え切れないほどだ。
そしてそこからまた新しい企みが生まれたりもしてきた。
「ゲストハウス」という単なる業態、ビジネスを超え
花巻のまちと市街の人々とのハブとなっている。

オーナーの福田くん自身
花巻市の地域おこし協力隊員として移住してきた人。
任期終了と同時に、セルフリノベーションにより作った場所で
たくさんの仲間達がリノベーションワークショップで携わってきていて
その人々の想いも込められた場所となっている。
13もの温泉を抱える観光都市花巻だが、
駅とメインストリートの間にあり、
直接的に「まち」にアプローチする場所として
(「meinn」という名前自体が「machi」の「entrance」の「inn」の意)
「まち」になくてはならない存在となっているのではなかろうか。

そんなmeinnが
新型コロナウイルス感染防止のための人の動き停滞により
今や存続の危機に陥っている。
温泉などの観光施設は公的な支援が受けられるが、
ゲストハウスはそんな支援の対象外。
施設産業なので設備などの固定費や家賃負担も大きく、
国の持続化給付金も焼け石に水。
人件費対策を取っても、利用者が増えないとどうしようもない。
花巻の夜のまちもぼちぼち日常を取り戻しつつあり
花巻で飲もうという県内からの客は少しずつ戻る期待もあるが
それまで多数いた県外からの宿泊客がまだまだ見えない。
例年7月に行われていた花巻宵宮や花巻まつり、
イーハトーブ音楽祭や花火などイベントの軒並み中止も痛い。
そもそもそれほど大きなものでなくとも
毎週のように開催されていた小規模イベントも無くなった状態では
観光客を呼び込むフックそのものがなくなっている。

この状況をなんとかしたいと
今いろいろと私でできることを模索中。
私自身も計画していた仕事がすべて棚上げになっているので
(それなりに忙しいのは、昨秋から手がけている仕事と、
  来年以降にしか売上にならない仕事があるため)
苦しい状態なのはmeinnと変わらないのだが、
meinnがあるからこそ新たに生まれてくる仕事もある。
「まち」のための仕事は拠点があるからこそ。
「mien aid」として来ていただける宿泊客を期待したい。
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公共交通機関の提案

2020-05-26 | 世界・平和
花巻市は空港があり、新幹線の駅があり、
高速道路のインターチェンジに至っては4ヶ所もある。
全国的にも交通機関に恵まれた、行き来しやすいまちだと思う。
しかし花巻に到着した観光客にとって
市内の移動の足となるべき二次交通機関は貧弱だ。
市内を循環する100円バスはあるけれど観光地までは行かない。
温泉や他市町村行きの路線バスは本数が少ないし
なにより市内の観光地が郊外に散らばっているので
レンタカーでもないとなかなか回りきれない。

かつては東北最古の路面電車である花巻電鉄が走っていた。
これが残っていたら大人気の観光資源になっただろうが
残念ながら昭和40年代にすべて廃止されてしまった。



今から鉄道敷設は難しいだろうな。
花巻温泉線の跡はサイクリングロードになっているから
できなくはないけど、路面電車だった鉛線は無理。
第一初期投資をなかなか回収できないだろう。
線路さえ敷設できれば、電線を張ることなく
ソーラーも使ったハイブリッド車両が使えそうだけど。

ところで、関係各所の許可さえ得られれば
すぐにでもできそうな案がある。


地図の赤丸地点、
東北本線と釜石線のこの場所に「本舘駅」を作るのだ。
松園〜本舘地区は今じゃ花巻指折りの住宅街。
盛岡への通勤も、新幹線駅へのアクセスもとても便利になる。
何よりも、花巻北高生が大勢利用するに違いない。
間違いなく乗降客を見込める。
なんなら鍛冶町駅は無理でも、諏訪駅が東北線にできると
さらに利便性が高まると思う。
通学しやすくて花巻北高を志望する生徒も増えるよ(笑)

盛岡でも、IGRいわて銀河鉄道は
青山と巣子の2駅を新設して利便性が高まった。
加えて、田沢湖線に前潟駅、山田線に上田か山岸駅を作れば
普通に通勤などでも利用者が増えると思うんだ。
なんなら山田線〜田沢湖線直通電車を走らせるとか。
(電化している、していないの違いや軌道の幅の問題はあれど)

とにかくなんとか既存の交通機関を使って
市内の交通利便性をあげたい。
循環バスも、一律300円で、もっと大きく回る路線があってもいい。
車社会のままでは市街地活性化にもなかなか繋がらない。
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「未来の世界」

2020-05-22 | 世界・平和


私が子どもの頃、昭和40年代前半の少年雑誌に載っていた
「21世紀 未来の世界」というイラスト付きの特集を時々読んだ。
時は高度経済成長時代、未来がバラ色だった頃だ。
カラーテレビが普及してきて、マイカーを持つ家も増えていた。
我が家の電話ははじめ隣家との共同電話で
受話器を耳に当てると時々隣家の会話が聞こえたものだ。
そんな時代から見ると、未来は夢の国に思えた。

自家用飛行機やチューブの中を通る高速道路、タイヤのない車は
(もちろん持っている人もいるかも知れないが)
2020年時点では一般化していない。
タイヤのない列車、リニアモーターカーもまだ工事中だ。
体にぴったりした宇宙人のような服も普及していない。
(ヒートテックのことなのかも知れないけど 笑)
・・・という意味では、あのイラストもまだまだSFの世界の話。

しかし、携帯電話(スマホ)はもう日本の人口以上の台数が使われ
(イラストでは肩から下げた箱に受話器がついていた)
「壁掛けテレビ」と表現されていた薄い液晶テレビも当たり前になり
「家の中に映画館」というのもホームシアターがある。
各家庭のコンピューターが電化製品をコントロールするのも
(今じゃコンピューターじゃなくスマホだが)
自動掃除機なんてのも現代では普通に使われている。
この辺のことは、おそらく当時から技術開発が進みつつあって
近い将来の実用化が見込まれていたから取り上げられていたのだろう。
そう考えると、テクノロジーというのはすごいものだ。

ところで、この中に「PC使ったオンラインでの授業」もあった。
確か会社での「オンライン会議」もあったはず。
以前から実用化はされていたけれど
この「予測」が一般化したのはコロナ禍のおかげかも知れない。
考えてみれば、
携帯電話はバブル時代に知られる存在となった。
液晶テレビ普及は地上波デジタル放送への切り替えがきっかけ。
ICTもスマートホン登場から一気に広がった。
そう考えると、今回のコロナ禍は一時の災禍ではなく
ある種のパラダイムシフトを促す歴史上の転換期なのではないか?
「今だけの応急措置」ではなく、今後を方向性づけるできごとなのかも。

写真は私が自分のために初めて買った新品のカラーテレビ。
大学時代に7千円の白黒テレビや
1万2千円の中古カラーテレビは大学近くの中古屋で買ったが、
このテレビは就職祝いに親からもらった3万円で買ったもの。
1982年製で、結婚後も2002年まで現役で使った。
息子たちはこのテレビでヒーローに憧れ、幼児番組を見て踊った。
22歳から42歳までの私を知っているアナログテレビ。
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machi R&E よりお知らせ

2020-05-20 | 世界・平和
有限責任事業組合 machi R&Eが
新たな取り組みを始めました(取り組みってほどじゃないけど)



国から全世帯へ支給されるマスクが届き始めていると思いますが、
すでに市販マスクも店頭に並び始めていたり、
手作りマスク、布マスクで対応している方も多いと思います。
一方で、介護施設や福祉施設などでは
まだマスクが不足しているという話も聞きます。
そこで、国から届いても不要と思う方から
未使用のままのマスクを回収し、
不足している施設へ届ける取り組みを始めます。
マルカンビル1階に未使用の不要マスク回収箱を設置しますので、
不要の場合は捨てたりせずに、そちらへご寄付ください。

(注意)あくまで「未開封」「未使用」のものだけです。
   1度でも使用したものは感染予防のため
   箱への投入はご遠慮ください。
   開封されたものは使用したかどうかわからないため
   あくまで「未開封のもの」に限らせていただきます。

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病への差別についての思い出

2020-05-17 | 世界・平和
私の亡父は大正12年生まれで、男ばかり5人兄弟の末っ子。
4番目の兄とすら8歳違い、長兄とは20歳の差があった。
その長兄が結核により亡くなったのは親父が2歳の時。
2歳の親父は兄の病床の周りをうろちょろしていたらしい。

昔、結核は死の病だった。
正岡子規はその病のために晩年は起き上がることができなかった。
石川啄木は一家全員が数年のうちに結核で亡くなった。
堀辰雄は結核療養中の婚約者との思い出を小説「風立ちぬ」として書き
そのご自身も結核によって生涯を閉じた。
他にも中原中也や国木田独歩、梶井基次郎、長塚節など
文学者たちがこの病で命を落としているので
(「風立ちぬ」のイメージも相まって)文化人の病気のような印象があるが
実は名もなきたくさんの人々がこの病に倒れている。

22歳で亡くなった長兄に続き、
親父の三兄も30代前半にやはり結核でなくなっている。
同じ頃、応召された親父も結核罹病により即日帰郷となったらしい。
まぁ入隊予定だった弘前連隊の部隊は
その後南方で玉砕したらしいから、病のおかげで助かったとも言える。
その病がなければ私は今この世にいない。

結核の特効薬抗生剤ストレプトマイシンは
1944年にアメリカで開発された。
戦後その薬で助かった人たちも多かったろう。
親父の場合は重篤さで薬だけでは治癒することができなかったらしく、
戦後応用が始まった肺切除手術によって生死の境を乗り越えた。
まだ始まったばかりのその手術の体への負担は大きく、
私が小さかった頃も少し体を動かすと息切れを起こしていた。
結核は治癒してはいたが、
2歳の頃に長兄から感染したと信じていた親父は
子ども達をはじめとした家族への感染を恐れたのだろう。
我が家の洗面所にはいつもクレゾール希釈液が用意されていて
親父はいつもそれで手を洗っていた。
実はこの頃、両親から
「洗面所にクレゾールがあることを外の人たちに話してはダメ」
と言われていた。
この病に対する戦前の偏見や差別が身に沁みていたせいだろう。
学校で受ける私のツベルクリン(結核抗体検査)の結果も
かなり気にしていた思い出がある。

最終的に親父は1992年、69歳の時に肺炎でこの世を去った。
(肺切除していた親父に肺炎はとどめのようなものだった)
親父はさまざま詩やエッセイや油絵を遺していたので
一周忌に間に合わせて書籍にすべく、編集作業を進めたのだが
年譜を作る際に母から
「結核という病名や、喀血といった言葉はできるだけ使わないように」
との釘が刺された。
その頃もまだまだ病気への偏見や差別を気にしていたのだな。
かほど昔は差別が酷かったのだなと思う。

新型コロナウイルス感染者に対する偏見や差別がひどいらしい。
周囲の目を気にしていた当時の両親に、私は哀しさを感じていたのだが
かつての結核やハンセン病差別の頃から変わっていないんだなぁと
そういうニュースを見るたびにやはり哀しくなる。
病気は誰でも罹患する可能性があるし、その人のせいではない。
それでも差別し非難する人間の浅ましさを哀しく思うのだ。

なお、結核は決して過去の病気ではない。
ストマイが効かなくなった耐性菌による新たな結核が
最近は密かに増えていると聞いた。
コロナも怖いが、深刻な病はそれだけじゃない。
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大都市圏のベンチャー企業のみなさま

2020-05-13 | 世界・平和
この3ヶ月ほどで社会がすっかり変わってしまいました。
私も最後に東京出張した1月下旬が遠い昔のよう。
できるだけ人との接触を避けるという
これまでの社会の基本を根底から覆すようなことが
今最大限求められています。

考えてみれば、満員の通勤電車はもちろんのこと、
ランチも夜の盛り場も、そして食料や生活用品の買い物も
人口密度が高い都会は三密の場ばかりです。
それを避けようとテレワークやオンラインミーティングも
この2ヶ月ほどで当たり前になりました。
また、普段は便利に見える都会での生活は
阪神淡路や東日本大震災の時も実感したと思いますが、
なにかコトが起きた時のリスクは大きい。
仕事や生活はもちろんのこと、帰宅すらままならなくなります。

人との接触をできるだけ避けるという新しい社会のルールは
おそらくコロナ禍が収まっても完全に解消されることはないでしょう。
となると、考え方によっては(あるいは仕事によっては)
「都会にいること=リスク」とも言えます。
このコロナ禍をきっかけに、考え方を変えて
会社そのもの、あるいは一部機能を地方に移す企業も増えると思います。
そこで・・・御社を花巻に移してみてはどうでしょう?

岩手県花巻市は新幹線駅、空港、高速道路が整備されていて
東京までは2時間半、大阪や福岡、札幌にも2時間かからずに行けます。
情報や生活インフラに関してはもちろん都会と変わりなく
生活の質に至っては、新鮮で美味しい穀物、肉、野菜、果物をはじめ、
山の幸や三陸が近いので海の幸も豊富です。
花巻市内には10以上も温泉があるので、
いつでも気軽に日帰りでも温泉を楽しむことができます。
またスキルを持った若手プレーヤーもいま花巻周辺に集まってきており
新しいコミュニティを作ることもできます。
震災やコロナ禍により地元就職を希望する学生が増えているので
人材確保や優秀な学生採用は都会にいるよりも有利かもしれません。
また、廃校となった学校や使われなくなった施設、
空きビル、空き家もいろいろ選べ、家賃は都会から見ればかなり格安です。
花巻市のファミリー向け、子育て世代向けの充実した施策も魅力。
その手厚いサポートを求めて他市からも移住者がいるほどです。

美しい風景の中で、ゆっくりと仕事に取り組み、
四季折々を感じながら人生を楽しむ生活を
私たちと共に送ってみませんか?
コロナ禍が収まった後、お待ちしています。





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違う、そうじゃない

2020-05-04 | 世界・平和

政権がなすべきことは
休業要請とその分の補償をセットにして提示すること。
どんなにきつく休業させて人出を減らそうとしても
商売でメシを食っている人たちは休業で食っていけない。
補償が無ければ商売畳むか、首を括るしかない。
必死で(感染の危険を承知の上で)店を開ける人たちを
私たちは止めることはできない。
「休業分の補償をするから店閉めてくれ」
という要請があって初めて安心して感染対策ができる。
それもせずに「営業してるところがあるから感染者が減らない」
というのは全くの責任転嫁。
ましてや憲法の問題では全然ない。
今↑こんな話が出てくること自体
何もわかってないか、確信犯なのか、
いずれロクな内閣じゃないことの証左。

この内閣はとにかく以前から責任を取らない。
それが露呈し、国民ひとりひとりに影響を及ぼしたのが今回。
「みんなでなんとか乗り越えよう」というのは
乗り換えるだけの対応があって初めてできること。
勝手な物言いも大概にして欲しい。
この責任は与党に投票して現内閣を存続させた
有権者にもある。
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学校教育の改革私案

2020-05-01 | 世界・平和
先日「Afterコロナ」の社会を予想してみた。
その中で、学校教育はこう変わるだろうという予想もした。
ひとつの学校という枠組みを超えて繋がること、
そして画一的に集団で知識を埋め込まれる今のやり方が
変わっていくだろうとの話。
ひとりひとりが考える力をつけていく教育に
コロナがあろうとなかろうと変わっていくべきだし、
そのために今回のコロナクライシスがある意味いいチャンスかも知れない。
それがないと、今も問題となっているように
ピントがずれていても「言われた通り」がまかり通ってしまう。
表面的な情報に右往左往してしまうことになる。
(ちなみにオンライン授業による教育はまだ無理。
  その前に全国くまなくネット環境を整える必要がある。
  全国の過疎地にはまだまだところがたくさんある)

さて、休校が続く地域や、とりあえず授業再開している地域がある。
国からの「地域ごとに考えて」が混乱の原因だ。
当然のことながら「学びの平等」が崩れてきていて
都知事や一部の専門家からは
「これを機会に9月始業に切り替えてはどうか」という提言も出された。
このことについては、以前から考えていたことがある。

幼稚園〜高校までは
これまで通りの4月始業が良いだろうというのが私の考え。
積み重ねてきたカリキュラムの考え方を覆すには時間がなさすぎる。
それでなくとも学校現場は、恒常的な激務に加えて
コロナ問題で大混乱に陥っている。
これに加えて制度そのものを変えるというのは不可能に近い。
大切な学校行事も4月始業に合わせてあるから
これを変えるとなると大混乱が生じるだろう。
一方で、大学、短大、専門学校は9月始業にした方が良い。
高校までとは違い、それほど混乱は起きないだろう。

大学、短大、専門学校を9月始業にした方が良いというのは
実はかなり以前から考えていたこと。
高校の部活を最後まで全うしたい生徒にとっては
引退してからでも受験準備を始めることができるというのがひとつ。
半年間のモラトリアムができると、
例えば経済的に進学が難しい生徒たちにとっては
アルバイトで貯金を作ることができる。
稼がなくても良い生徒は短期留学やボランティアを行うことにより
社会経験を積み重ねることができるだろう。

就職の際、入社が4月のままなら
卒業した後また半年間のモラトリアムがある。
就職活動が学業に影響を及ぼすことも少なくなるに違いない。
それは体育会系の学生にもありがたいはず。
確かに大学、短大、専門学校前後1年間余分にかかり
親世代の負担が増すことにつながるかも知れないが
逆にいうと、その分アルバイトでお金を稼ぐチャンスができるということ。
あるいは卒業旅行のような物見遊山な旅行ではなく
キャリアとして生きるような短期留学もできる。

そしてなにより他国では9月始業が多いので、
留学生にとっては入学しやすくなる。
多様な人たちと共に学ぶのはダイバーシティ社会では重要なこと。
それが促進できるのならばこの理由だけでも実施意義はある。
修業年度途中に夏休みのような長期休暇も無くなるから
シラバスも組み立てやすくなるのでは?
学年替わりの夏休みには、アルバイトでもいいけれど
フィールドワークなどもする時間ができる。

幼稚園〜高校までと違って学校行事やカリキュラムに関して
大学、短大、専門学校はそれほど面倒だったり忙しかったりはないから
社会に出るタイミングが1年遅れることぐらいしか
あまりデメリットは感じない。
この考え方、どうだろう。
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