風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

違う視点

2023-07-02 | 世界・平和
「論破!」とか「弁駁」とか「言い負かし」とか
どうも日本人はディベートに慣れていないせいなのか
あるいは弱点を知られることを極端に恐れるからなのか、
とかく言葉でマウントを取ろうとする輩が多い。
専制政治の国では為政者が力を用いて異論を封じ込める。
戦前の日本もそうだった(もしかしたら今も?)。
企業経営においても、そういう例はよくある。

しかし、イノベーションは違う意見をシャッフルしたり
様々な視点を取り入れたりすることによってなされることが多い。
自分の経験から言っても、新しいことを始めるには
ブレストがあり、そこから意見集約し、
その複数意見のネガティブチェックによってより具体化する。
それが手っ取り早いし、より懐の深いアイデアになる。
ブレストでは「そんな視点があるのか」とか「なるほど」と感じる
考えてもいなかった他の人からの考えや意見が出てきて面白い。
私自身は個人に寄り添いたいリベラルな考えを持っているが
今年初めに亡くなった右翼論壇の鈴木邦男さんの意見には
ところどころ肯ける話があった。

違う視点の例を挙げる。
元大日本帝国陸軍憲兵大尉だった甘粕正彦の評伝と
関東大震災時に彼によって虐殺された
大杉栄と伊藤野枝夫妻を主人公とした小説。
どちらかだけ読めば、もう片方だけ「敵」に見えるが
両方読むことで、当時の世相や社会の裏側まで垣間見ることができる。
そしてそれぞれやその周辺に人たちが立体的に見えてきて
その息遣いまでリアルに感じられてくる。

読み比べ、お勧めします。
両論を知るべきなのはこの両者に限らずだけど。

 
 
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6月23日

2023-06-23 | 世界・平和
今日は親父の31年目の命日。
大正に生まれ、戦時中には空襲で家を焼かれ
戦後は病気で一時は死を覚悟しながら生き永らえ、
20年足らずの期間、家族を持って仕事に傾注し、
病気再発で15年近く入退院を繰り返して亡くなった人生。
あと6年ほどで親父が死んだ歳になる。
その時にはまた別な感慨を感じるんだろうな。

そして今日は沖縄戦終結から78年。
当時をリアルで知る人も少なくなってきた現代。
戦中の記憶を持つ親に育てられた我々世代が
次世代に語り継がなきゃいけないという使命感とともに
何もできていない焦りも感じる。
とにかく忘れないこと、そして考え続けること。
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3月10日

2023-03-10 | 世界・平和


東京大空襲からもう78年。
経験した人たちはもうかなり少なくなってしまっている。
だからこそ、経験した世代を親に持つ私たち世代が
途切れることなく語り継いでいかなければと思うのだ。

写真上は東京・両国の横網公園にある東京都慰霊堂。
関東大震災と東京大空襲の犠牲者を追悼する施設となっている。
写真下は東京・向島の言問橋。
橋桁の黒い部分は空襲の際の焦げ目と焼かれた人々の体の脂という。
浅草側と向島側から逃げてきた人々でこの橋が埋まり
そこに焼夷弾の火が回って大勢の人がここで犠牲になった。
そんな橋桁が今もこうやって残っている。
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St. Valentine's Day

2023-02-14 | 世界・平和

wikipediaによると
日本における女性から男性へというバレンタインの風習は
1970年代後半から全国に広がったとのことだが
私が中学生だった1970年台前半にはもう定着してたよ。
チョコレートかどうかはともかくとして
女の子から男の子への告白を意味するプレゼントはあった。
(ホワイトデーはフラワーデーという名前で
 花そのものや、花模様のハンカチなんてのもあった)
もちろん中学〜高校時代を通して私には縁のないイベント。
朝からソワソワして、1日中ひとりでいるようにしたんだけど、
結局何事もなくひとりで帰宅する日だった😅

今はそんな重大な日ではなく
仲の良い友達同士で日頃の感謝を込めてのやりとりが中心らしい。
そっちの方が変な期待しなくていいのでありがたい🤣
自分用というのも当たり前みたいだけど
私は正直言って積極的にチョコレートを食べる方ではないので
自分のために買うことはないかな。
あ、いただく分にはありがたく頂戴します😁

でもさ、年に1度、この日ぐらいは
自分の好きな人や周囲にいる仲の良い友達だけじゃなく
世界中の人たちの笑顔を願ってみてもいいと思うな。
どんな人たちにも愛を。
LOVE & PEACE❗️
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素人目からの疑問

2023-01-26 | 世界・平和
先に決まったのは敵基地攻撃能力。
次に決まったのは防衛費のGDP2%への大幅増額。
次に話が出たのは防衛費増額のための増税。
そしてアメリカからのトマホーク購入。

なーんか順番おかしくないか?
何のために防衛費を倍増させるのか。
まずは防衛費増額ありきでそのための増税?
そして旧態依然としたトマホーク購入?
今時の防衛ってそれでいいの?

普通なら

こういうことをしなければいけない
    ↓
そのためにはこれが必要
    ↓
それを買うためにはこれぐらいお金が必要
    ↓
そのお金はこうやって調達したい

という流れになるんじゃないのかな?
「何をしたいか」よりも「増額ありき」「増税ありき」みたいに見える。

増税には反対だ。
金を出したくないとかいうこと以前に、意味がわからないから。
防衛費を増額するなら「何に」「どれぐらい」かかるか
それは「何のため」かをはっきりさせるべきだろう。
第一、昔ながらのトマホークで敵基地攻撃できるのか?
そんなアナログなやり方なんざ、簡単に迎撃されるんじゃない?
そんなのはロシア-ウクライナ戦争を見ればわかる。
金を使うなら兵站やロジスティック、そして人件費が先じゃない?
その次にサイバー攻撃対応や衛星対応。
最前線で使う武器なら新型ドローンの開発が必要だろう。
トマホークって😅素人でも役に立たないとわかるけどね。

でもさ、実際に紛争が起きてしまったら
火器のやり合いの前に株価暴落など、経済や
生活(食料やエネルギー、インフラ)が破綻する。
ウクライナのように原発から狙われたら一発で終わってしまう。
本当の防衛は食料の自給化や原発廃止によるエネルギー政策転換、
そして内需拡大などの経済的な防衛じゃないかと思うんだ。
そっちに力を入れて防衛対応するってのなら
多少の増税は仕方ないと思うよ。

でもまぁその前にやることあるでしょ。
アベさんが約束した議員削減も、選挙制度改革も
まったく手付かずのまま棚上げ状態だし
社会保障制度改革も少子化対策も後回しにされてるし。
異次元のトンチンカンにしか見えない。
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兵戈無用

2023-01-15 | 世界・平和

昨日は仕事で取材が2件。
午前は小学生向けの発明クラブにお邪魔して
子どもたちのものづくりへの興味を頼もしく見た。
そして午後からは真宗大谷派の妙圓寺さんへ。

写真は同寺に掲げられている扁額で「ひょうがむよう」と読む。
お話を聞いた前住職によると、これはお経の一節で
「兵隊も武器も要らない(世の中)」という意味とのこと。
同寺は世界平和を願うべく、平和記念館と称していて
第二次大戦の記録や記憶を後世に伝えつつ
ユニセフなどの世界的支援活動なども積極的に続けている。

「兵戈無用」は初めて知った言葉。
シンプルだけどいい言葉だなぁ。
今このタイミングだからこそ、より大事にしたい言葉。
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クリスマスイブ

2022-12-24 | 世界・平和

♪雪が降る 雪が降る 家の窓辺に
 Silent night Holly night
 君にMerry Christmas ♪
 (詞・曲;風屋「2人のクリスマス」より)

世界中のひとびとすべてが
笑顔で過ごせる日でありますよう
心から願う。
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今は戦前

2022-12-17 | 世界・平和
アメリカの要求通りに
何をどうすると決める前に
しかも財源すら確保できないままに
防衛費だけが増額となり
後付けで増税方針が示される。

これまでの日本の防衛方針が
閣議決定で簡単に180度変更され、
敵基地攻撃用のミサイルをアメリカから買うとか。
防衛費増額→敵基地攻撃能力取得→ミサイル購入→増税
なんか順番おかしくないか?
水面下での本当の順番は知らんけど。

「聞く力」を持つ首相と聞いた。
宏池会出身の穏健派とも聞いた気がする。
所得増額もアピールしてなかったっけ?
でもやってるのは武器購入に支出することと増税。
おまけに敵基地攻撃能力も持つことに。

ロシア・ウクライナ紛争で何を学んだのか。
もしも紛争が起きた時、資源のない日本はどうなるのか。
真っ先に食べ物がなくなり、急激なインフレ。
そして敵からの攻撃は原発へ。
それで日本はあっという間に終焉を迎える。
本気で防衛を考えるなら
まずは食料自給率100%、そして原発廃炉。
敵基地攻撃能力を持つのはそれからなんじゃないの?

まぁ、今回の防衛戦略の転換は
アメリカからミサイル買って感心を買うためだろうけど、
それで逆に隣国を刺激して逆効果になることを危惧。
「国民の命や生活、財産を守る」どころか
それらを危険に晒すような浅虜のため
増税される理不尽さに開いた口が塞がらない。
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12月8日

2022-12-08 | 世界・平和

今日はJohnの42回目の命日。
彼が「Imagine」で歌った哲学は
今でも私たちの心にある。
レジェンドとして彼は今も私たちとともにある。

奇しくも今日は日米開戦の日。
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「戦争の足跡を追って〜北上・和賀の15年戦争」

2022-09-29 | 世界・平和

北上に住む若い映画人兄弟のことは
以前から新聞やテレビで知っていたのだが
今回その兄弟が作った映画が花巻市文化会館で上映させると知り
日曜日の午前中行ってみた。

内容は自分たちの祖父の体験談から始まり
北上、和賀地方の戦争の記憶を追ったドキュメンタリー。
軍事郵便の逸話も、最後の千三忌の話も
新聞などで読んで知っていたが、関係者の生の声は初めて。
戦争体験者がどんどんいなくなってしまう時代だから
今この時点でこういう記録を残すのは大事なことだと思う。
そういう意味では、あちこちに話を広げず
ひとつひとつの話をもっと掘り下げて欲しかった。
特に最北の特攻基地から出撃した人たちのことなどは
彼らの宿舎だった花巻でも哀しい逸話が残っているから。

気になったのは、満席だった来場者がほとんど高齢者だったこと。
もしかしたら私が最年少か?と思われるほど。
実際に戦争を体験した方も多かっただろう。
その人たちにとっては、新たに知る事実というよりも
追体験という意味合いの方が強かったのではなかろうか。
作った本人たちはまだ若い。
「この地にも、実は戦争が影を落としていたんだよ」
と、自分たち目線でこの作品を作っている。
そのテーマは、実際に戦争を知る人たちにはミスマッチだろう。
20代から40代、制作者と同年代で、
特に子を持った親たちに見てもらうべきだろう。
それでこそこの作品の意味が生きてくる。

戦争を招くのは軍人でも、政治家でもない。
一般市民たちの世論が招く。
日中戦争から太平洋戦争に至るまでの長い戦争も
当時の日本人たちによるアジア人蔑視やマッチョな世論が後押しし
例えば軍縮会議における「腰抜け外交」世論や
国際連盟脱退時の喝采などが最終的に戦争への道を拓いた。
だからこそ、
市井のひとりひとりに反戦思想を持ってもらう必要がある。


世界恐慌をきっかけに、
自国優先主義の強権指導者があちこちの国に生まれ、
「防衛」の名の下に、日本やドイツで武力による隣国侵攻が始まり
それが世界規模の戦争につながっていったあの時代。
コロナ禍で大きな不安が世界中に拡がり
アメリカやイギリス、イタリアでポピュリストが台頭。
ロシアがウクライナに侵攻している現代はあの時代にそっくりだ。
今が正念場。
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終戦の日

2022-08-15 | 世界・平和
もし自分が明日出撃を控えた特攻隊員だと想像してみた。
まだ人生これからという20代前半ながら、明日命の灯が消える。
どんなことを思うだろうか。
まず、自分の体が明日無くなってしまうことを思う気がする。
目も、鼻も、手も、腕も、足も・・・すべてが愛おしい。
生まれてからずーっと自分と共にあった体。
好きな部分も、コンプレックスになっている部分も
すべてが愛おしくて撫でさする気がする。

そして家族や仲の良い友人たち、恩師を想うだろう。
物より人を想うと思う。
それぞれの人たちの笑顔や優しい顔を思い浮かべる。
自分がいなくなった後のみんなの幸せを願う。
いつまでも笑顔をいて欲しいと想う。

最後に、なぜこんなことになってしまったのか考える。
自分が望んで自死を選んだわけじゃない。
自分が望んで殺し合いをしているわけじゃない。
誰が自分の死を望んだのだろうか。
誰が始めた戦争なのか。
そのために死にゆく人たちは誰のために死んでゆくのか。

戦争を始めるのは為政者や軍のトップだ。
理由は大抵「国を守るため」。
そう言いつつ、そのために名も無き一般人たちが死んでゆく。
国というのはあくまで概念だ。
国民がいなければ国なんていう概念は成り立たない。
国民に死を求めるなんてのは本末転倒。
国を守る=国民を守る・・・であるはずだ。

明治維新から昭和20年の終戦まで77年。
その終戦の日から今日で77年になる。
日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と
戦争の時代だった前半とは違い
国として一度も戦火を体験しなかった後半。
それは戦後制定された日本国憲法のおかげだろう。
よく考えてみよう。
これからも戦争を体験することなく過ごすために
何が一番大事なことなのか。

77年前を思いながら、合掌。
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8月10日

2022-08-10 | 世界・平和

今年もこの日がやってきた。
昭和20年8月10日、花巻空襲の日。

当時私の父一家は大工町(現双葉町)に住んでいた。
上に4人いた父の兄たちは
みんな亡くなったり、応召していたり、東京に住んでいたり、
花巻の家に住んでいたのは父と祖父母だった。
宮沢賢治さんの家とは庭続き。
賢治さんの御母堂イチさんは私の祖母サキと仲が良かったようで
父が小さかった頃よくお茶を飲みにやってきては
「うちの賢治にも困ったもんだ。家業は継がねし、嫁ももらわね」
とこぼしていたことを覚えていると父が言っていた。

空襲があった当時、宮澤家には高村光太郎が疎開してきていて
旧制高校を目指しての東京での浪人生活を
戦局悪化のために諦めて帰郷し
現桜台小学校のところにあった旧制花巻中学敷地内の
中島飛行機(現スバル)の軍需工場に動員されていたという父も
光太郎さんに恐らくお目にかかっていた。

正午過ぎに始まった空襲は
爆弾と機銃掃射によって市街地と駅前を攻撃。
(他に似内駅停車中の釜石線車両にも攻撃を加えた由)
火を使う昼時だったことで市街地に火災が広がり
花巻のメイン通りだった上町、豊沢町、大工町は焼け野原になった。
たまたま家にいたという父は
賢治さんの弟清六さんを手伝って賢治さんの原稿などを
防空壕から蔵に移す手伝いなどしたと言っていたが
祖父がもらっていたという賢治さん自筆の短冊などは
父の家とともに焼けてしまったという。

花巻駅前では爆弾と機銃掃射。
花巻電鉄職員や駅前のそば屋さん(現いとう屋)でも被害者が出た。
冒頭の写真は花巻駅前に設置されている「やすらぎの像」。
花巻空襲によって犠牲になった人たちの慰霊のために
花巻駅前に立っているのだが
今その前で見上げる人も少なくなった。
それでも知ってる人達が語り継ぐべき日だ。
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ナガサキ忌

2022-08-09 | 世界・平和
核兵器の何が残酷か。
直接的な被害はもちろんこれ以上ないほど悲惨だが
その後救助や支援に行った者まで放射能被曝する。
助けを求めることすらできない兵器は
恐らく核兵器だけだろう。

日本国民としてのみならず人類として
決して記憶から消してはいけない日。
毎年忘れずあの日を思う。
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軍隊手帳

2022-08-04 | 世界・平和



知人が自宅の蔵(?)から発見したという
日中戦争時の軍隊手帳を借りた。
存在は知識として知ってはいたが、初めて本物を見る。
持ち主は当時はいくつぐらいだったのだろうか。
履歴としてここに記載された当時、
その後の自分の運命は全くわからないわけだ。
(戦後無事に帰還されたとのこと)
その時にはどんな気持ちだったのだろうか。
明日にでも死が自分の身に降りかかるかもしれない中で
他人によって自分の運命が決められてしまう不条理。
戦争のことは自分が生まれる前の歴史の話と思われがちだが、
実際に実物を前にすると、
その時のその人の気持ちがリアルに心に迫ってくる。

銃弾や砲弾が飛び交う中で、
胸ポケットにはこれが入っていた。
最前線で何度も開いた。
そんな光景が目に浮かんでくる。
手に持つだけでその場にいるような気持ちになる。
リアルに見、触れることは
本で知識を得たり、話を聞いて学んだりすることの
何倍も大事なことじゃないだろうかと実感した。
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視点

2022-06-01 | 世界・平和

岩手に住んでいると、北陸や山陰はとても遠く感じる。
おそらく東京中心の公共交通網により行きにくいからだろう。
東京からだと北陸はそうでもないと思うが
山陰はやはり遠く感じるのではないだろうか。
ところが江戸時代までの首都である京都から見ると
北陸はすぐそばだ。
山陰もそれほど遠いところではない。
なにせ江戸時代までの海上交通の中心は日本海だったから
秋田や山形、新潟なども要衝だった。
地図を見るとよくわかるが、太平洋側は遠回りだよね。
公共交通機関の状況にもよるけれど
首都が東京に変わったことも
印象が変わった大きなファクターだろう。

日本を中心に地図を見ると、朝鮮半島も大陸も
後ろから迫られているように感じる。
でもね、朝鮮半島や中国の側から見ると
太平洋の前に、まるで遮るように日本列島が鎮座している。
おそらく閉塞感を感じる地形ではなかろうか。
それらの国が尖閣諸島や台湾を重要と考えているのは
そんな意識もあるのだろう。
(特に中国史にて見れば、台湾を味方につけるかどうかは
 太平洋へのアプローチを考えるととても重要なことだ)
日本として良いか悪いかはともかく
視点を変えることでそういうことがわかってくる。

ロシアがウクライナの東部や南部を攻めている。
黒海を制することができるかどうかがロシアにとっては重要。
フィンランドやスエーデンがNATOに加盟すれば
バルト海はロシアにとって鬼門となるから
ますます黒海が重要になってくる。
でないとロシア西側では海を使うことができなくなる。
これまた良し悪しはともかく、ウクライナ侵攻に力が入るわけだ。
そういうことも視点を変えるだけでわかってくる。

地政学的なことばかりではない。
どんなことでも視点を変えることでわかってくることがある。
それにより、対処方法が見えてくることもある。
自分の視点ばかりで、自分のことばかり主張しても
そこはお互い様、解決は遠くなるばかりだ。
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