吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

閾値(いきち)を探求するこころ

2012年08月25日 | Weblog
香りをシゴトにして5年ほどになる。対象は”バラの香り”に限る。香り以外の感覚や便益についての関心もあるが、絞っている。ラベンダーやジャスミンなどバラ以外の香りにも関心はあるが、バラの香りに絞っている。匂いと言う方もいるが、わたしは”香り”をシゴトにしている。

香りは、五感のひとつ臭覚を対象にしている。受けての感覚を対象にしているから、否が応でも”お客様や消費者”の感覚や満足点がモノサシになる。マーケティングや企業言葉は、役に立たない。送り手の言葉は役に立たない。性能や品質、強さや大きさ、世界一やナンバーワンなどという企業言葉やつくり手言葉は役に立たない。

大きいことを基準にしていた送り手は、大型のジャンボジェット機や大型客船を競い、世界一速い新幹線やコンピューターの記憶容量などを競った。しばらくすると、ビットやナノという言葉が聞かれる時代になった。聴覚では、フォンやヘルツやデシベルが、臭覚では ppm や mg/ L などが使われ、多くの台所器具や電気器具などはワットやルックスなどが、その大きさやチカラを訴求した。

五感をシゴトにすると、これらの単位という送り手言葉は役に立たない。商品やモノの良しあしや便益を”感覚”で判断することが多いからだ。臭覚、聴覚、視覚、触覚、味覚を五感というが、これに”勘”や平衡感覚などを加えると(第)六感になる。すべてに”閾値”(いきち/しきい値ともいう)がある。五感それぞれを感じる最少量や識別値だ。

香りや匂いは、強すぎると臭いや悪臭になる。音楽や声や音でもそうだ。強すぎたり大きすぎると騒音や雑音になる。塩気や甘さでも強すぎると、しょっぱくなったり、まずくなる。この限りなく”その感覚”の限界というか最少を求める作業は、ヒトや消費者の希求を探求することに役立つ。

人それぞれで違ったり、生き物それぞれで違う五感の閾値を探す作業をつづける理由だ。同じニオイでも、人の閾値の1億分の1(濃度)ぐらいの閾値を持つのがイヌだというから、本当はイヌや小さなアリさんあたりにニオイや香りの閾値を教わりたいと思う。
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