日本画と洋画の識別も知らない私。いたく日本画が好きだ。友人や知人に日本画を描く人が多いからか。自分の郷里が、天心や大観の愛した五浦海岸近くだったからか知らない。作品絵の多くが、海・山・森の自然や景色が多いからなのか。やさしいタッチ筆の写実描写画が多いからなのか知らない。
(画像「奥村土牛作品集/山種美術館/2010年」より/以下同じ)
いわゆる近代日本画の大家の名前(雅号)は、景色的なそれが多い。(横山)大観、(下村)観山、(菱田)春草、(小林)古径などだが、私は少し景色に拘っていない名前の画伯の絵が好きだ。東山魁夷や奥村土牛(敬称略)の日本画だ。
”青”(その濃淡)を基調にした絵が特長の東山魁夷は、明治も終わり頃(1908年)の生まれだから、”昭和”を代表する日本画家とも言える。主に 海・山・湖や森の静寂や生気を青の濃淡で描いた画家。もちろん、秋の景色や夕日や巷の人々などもそれぞれの色で写生し絵画しているが、対象の生気や心を表現する心は ”青”と同じだ。
もう一人 忘れられない日本画の大家が、奥村土牛。「芸術に完成はない」「どこまで、大きく未完成で終わるかだ」として、5-7-5と言葉足らずで読み手に余白を預ける俳句のごとく、見る人の関与を残す未完の作品を出す土牛は、名前を「土牛、石田を耕す」(唐代寒山詩/父より)からとったという。ちなみに、土牛は丑年生れ。
近代日本画と同じように花鳥画を描いた土牛ではあるが、単に花鳥や対象を形態描写することより、対象そのものの気持ち(心)というか生命(感)を描くことに努めた。土牛は、名前どおり大器晩成の画家。昭和の戦後60歳代から80歳代にかけての秀作(初夏の花や北山杉など)が多い。