吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

学者バカと学者ゴミの社会学

2006年05月12日 | Weblog
 ただ「ご苦労さん」とばかり言えない社会学者たちの社会調査というゴミやお役所やマスコミのそれが多い。1955年以来10年ごとに続けられているというSSM調査(社会階層と移動についての調査)なども、その最たるものだ。
 社会学者が「社会学者」として存在したり、自己満足するためなのか解りませんが、何故このような「調査」に汗しなければならないのだろうか。この調査をタテからヨコから分析し、スコア化したり、所見を加えて書かれた文庫本が、佐藤俊樹さんの「不平等社会日本」(中公新書)だ。また、内閣府の「国民生活に関する世論調査」などを元に、分析、考察して書かれた文庫本が三浦展さんの「下流社会」(光文社新書)だ。ともに、ベストセラーだ。
 たとえば、SSM調査では「問31(1)どのような人が高い地位や経済的豊かさを得るのがよいか、という点について次のような意見があります。この中で、あなたの意見に一番近いと思われるものを1つ選んでください。」「1、実績をあげた人ほど多く得るのが望ましい、2、努力した人ほど多く得るのが望ましい、3、必要としている人が必要なだけ得るのが望ましい、4、誰でも同じくらいに得るのが望ましい」といった設問と回答肢に対して得た結果を、「資源配分原理」などとまとめ、論じているのだ。このような設問や回答肢がイヤというほど、セットされたアンケート調査(インタビュー調査?)を半世紀もやり続け、その結果を学者たちがこぞって分析、考察し続け、これを大変な労作や偉業や社会(理解)貢献と考えているのが、日本の超エリート大学の社会学者なのだから、あきれる。
 ご丁寧にこれに、標本調査理論およびサンプリング誤差や信頼区間や(母集団)名簿などについて触れて説明しているのだ。そして、あげくのはてが、情報リテラシーやリサーチリテラシーである。前述の質問ひとつとっても「これを、ふつうに読み、理解し、答えられるふつうのひとが、果たしてどのくらいいるか」ということや、一般の人々のふだんの生活や思考など、みじんも考えていないのだ。
 このような屍標本の陳列や分類みたいなことをやり「社会学や情報リテラシーを語って欲しくない」と願うのは、わたしだけだろうか。三浦展さんの利用している内閣府の「国民生活世論調査」の階層意識言及なども五十歩百歩だが、多くの役所やマスコミなどの社会や生活についてのアンケート調査も大半この類で、突き詰めると「社会のゴミ」(谷川一郎「社会調査のウソ」文春新書)以上の何者でもないといえる。
 泥んこで田植えをしたり、疲れて台所に立ったりしている人々や飛んでいる蝶や若葉萌える木々や草花を、アンケート化したりせず、”そのまま観る”ことの集積こそ、社会調査や科学者に求められていると思います。
コメント
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