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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『夜よ、こんにちは』

2006-05-07 | 映画

*マルコ・ベロッキオ監督・脚本
 78年にローマで起きたモロ元首相の誘拐殺害事件を描いたもの。極左組織「赤い旅団」による犯行で、彼らは仲間の釈放を要求したが政府はそれを拒否、モロは55日後に射殺体で発見された。いまだに謎が多く、この国の人々にとって深い悲しみと傷跡を残すものであるらしい。

 4人の誘拐犯の中で唯一の女性キアラ(マヤ・サンサ)の視点で、元首相監禁の日々を描いていく。キアラは世間を欺くために昼間は勤めに出ながら、同士や人質の身の回りの世話もし、張りつめた生活を送る。親族の法事に出席して、かつてパルチザンとしてファシストと闘った叔父たちの姿に心を動かされたり、極左思想を批判する職場の同僚に対して複雑な思いを抱いたりする。やがてモロが監禁された部屋を出て、アパートの中を自然に歩く姿がキアラの夢にでてくるようになる。キアラの夢の中で、アパートの書棚から本を読んでいたり、ソファにゆったりと座って静かに彼女をみつめているモロのたたずまいが心に残る。実際、モロとキアラは一度も視線を交えることはなかったのだ。
 
 史実に基づいた映画の場合、事件を様々な角度から検証し、多くの人に取材したり文献を調べたりして、出来る限り史実を忠実に描こうとするものがあり、また一方で大胆な仮説を立てて、その事件の違う面を表現したものもあるが、今回の『夜よ、こんにちは』はそのどちらともはっきり規定できない印象をもった。
「今の政治には思想がない。思想があるところには人間性と愛がない。でも私は、思想と愛は両立すると信じている」
朝日新聞掲載のベロッキオ監督のコメントである。

強烈な批判精神や声高な問題意識ではなく、ひとつの視点を感じさせる作品であった。その視点は静かで微かに温かい。思想と愛は両立すると信じるベロッキオ監督のまなざしのように。

 

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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はじめまして。トラックバックさせていただきまし... (存在の耐えられない軽さ)
2006-05-09 19:56:13
はじめまして。トラックバックさせていただきました。史劇は時に作者の解釈に傲慢さを感じる場合もありますが、『夜よ、こんにちは』は、遠慮がちに二つのラストが提示されている点に好感が持てました。一つだけのラストを提示することは、ひょっとしたら一つの思想しか許容しないテロリストの姿勢とそれほど変わらないのかもしれませんね。
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TB&コメントをありがとうございました。映画をみ... (因幡屋)
2006-05-12 00:39:32
TB&コメントをありがとうございました。映画をみる前に新聞の紹介記事を読んでいたので、特に違和感なくみることができましたが、もしまったく予備知識なしでみたとしたら、どんな印象をもつでしょうか?たとえばロッセリーニの映画の挿入はやや唐突で、ぎこちなさも感じましたが、キアラの夢と現実が自然に描かれているところはよかったと思います。今でもときどき「楽興の時」のメロディが蘇ります。いい作品でしたね。
追伸:そちらにもTB&コメントさせていただこうとしたのですが、当方使用のブラウザの関連等でうまくいきませんでした。すみません。舞台中心のブログですが、映画もできるだけ記録に残したいと思っております。またお立ち寄りくださいませ。
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