因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

shelf『紙風船/葉櫻』

2010-06-12 | 舞台

*岸田國士原作 矢野靖人演出 SENTIVAL!2010 公式サイトはこちら アトリエセンティオ 14日まで  (1,2,3)。
 正式にはVoice,narrative and dialogue 04として、岸田國士の『紙風船』と『葉櫻』を上演するということ。シリーズのこれまで については、主宰の矢野靖人のブログに詳細が記載されている。自分は2008年12月にはじめて足を運び、とても豊かな時間を過ごせた(4)。さらに意識したわけではないのだが、今年に入って岸田國士作品をみるのが今日のshelfで3回めになるのである(1,2)。

 舞台の作りはいたってシンプルだ。劇場の白い壁と床はそのままで、正面に丸い障子の出窓のようなものがある。場内にはいると『紙風船』の若夫婦は既に板付きになっている。『紙風船』が終わると休憩なしで『葉櫻』が始まる。2本で1時間と少し、小さな舞台空間は濃密だが、べたついたところがなく淡々として、終演後にさまざまなことを観客に考える「余白」を感じさせる舞台であった。

 2本めの『葉櫻』について。父親を亡くし、母親と娘と息子でつましく暮らしている家庭があり、先日娘が見合いをした。この縁談をどうするか。相手の男性がいまひとつはっきりした意思表示をしないために決め手がなく、これまでほんの数回した会ったことのない相手の言動を、母と娘があれこれ思いだしては思案に暮れている。あのときあの人はこんなことをした、こんなふうに言った。娘にしてみれば自分をないがしろにされたようであるが、母親の視点では「男とはそういうもの」となり、その逆もある。母親を演じる川渕優子が、ときおりギリシャ悲劇に登場する情念の濃い女性を感じさせる箇所もあり、それを受ける娘はどのような造形が適切かと考えると、これは実に難しい芝居なのだと思う。

 どうやら娘は相手のことを少し好きになっているらしく、母は縁談を進める決意をする。娘は一度泣いたあとせっかく化粧を直したのに、最後に再び激しく泣き出す。この涙の意味は何だろう。同じ岸田國士の作品に、新婚旅行での夫のあまりな振る舞いに幻滅して、そうそうに姉宅へ駈け込んでくる妹と、困惑する姉夫婦を描いた『驟雨』があるが、『葉櫻』はその前段の話のようにも思われてくるのである。

 今回の上演について公演チラシ、当日リーフレット、公演案内のDMに同封されていた案内文などに掲載されている矢野靖人の文章をいま一度読み返す。それぞれ違う文章で、岸田作品への取り組みが語られていることがすごい。「公演のご案内」後半の、「台詞ではなく科白と書くときの科(しぐさ)のことを考えている。セリフ(テキスト)に予め折り込まれて在るしぐさ。言葉の豊かさと共に、しぐさや何気ない身体の放つ情報の豊かさを舞台上に丁寧に載せることが出来れば」が心に残った。その試みは実現していると思う。しかしそれでも尚、「余白」がある岸田國士の戯曲を、自分はもっと知りたい、何度でも見たいと思うのだった。

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