因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ネットで観劇☆第1回MSPラボ公演『ロメオ、エンド、ジュリエット』

2020-10-15 | 舞台番外編
*原作/川島敬蔵「春情浮世之夢」、小山内薫「ロミオ、エンド、ジュリエット」総監修・構成/井上優(明治大学准教授)演技アドバイザー/西村俊彦 10月3日(土)配信(アーカイヴあり)公式ブログはこちら

 MSP(明治大学シェイクスピアプロジェクト)インディーズ(1,2,3,4)の名称で活動していた「MSP歌舞伎シリーズ」(昨年5月上演『何櫻彼櫻銭世中』)が、MSP本体の別プロジェクトとして新たに始動。無観客の配信にて上演を行った。
 
 本作が初めて日本に入ってきた明治19年の川島敬蔵「春情浮世之夢」と題する読み物と、その後明治37年、小山内薫脚色で「ロミオ、エンド、ジュリエット」として日本橋真砂座で上演された台本のふたつの「ロミジュリ」を融合するかたちがこの度のラボ公演『ロメオ、エンド、ジュリエット』である。川島版から語りを、小山内版から台詞を採り、いわば二段階シェイクスピアの一元化である。和洋折衷、翻案とも違う刺激的な試みだ。

 俳優は台本を持って横並びに置かれた椅子に掛け、出番になると立って前へ出る。衣裳も若者の普段着で鬘やメイクもしていない。出演俳優は男女合わせて8名、ほとんどが数役を兼ねる。

 「げにや浮世は夢の夢、有為転変の世の習い。花の都のヴェローナに…」と文語体の語りに戸惑うのもほんの一瞬、意外なほど耳によくなじみ、意味も良くわかる。シェイクスピアの台詞だけのリーディングであると、おそらく途中で集中できなくなると思われ、歯切れの良い語りは舞台にメリハリを生み、観客を自然に物語へ引き込む。

 女性が男性を演じる配役が少なくない。しかし声色を使ったりせず、台詞の持つ色やリズムに心身を委ねていると見受けられた。俳優は皆現役の大学生であり、つまり同世代なのだが、モンタギュー、カプレットともに、両親を演じる俳優たちがいつの間にか、ちゃんとロメオとジュリエットの親に見えてくるから不思議である。達者に演じている、様になっているということなのだろうが嫌味がなく、とても気持ちの良い演技である。

 さてロメオとジュリエットの恋を成就させようとロレンス神父が一計を案じるが、疫病という想定外の障害に見舞われる。「疫病」の台詞ひと言が2020年秋の今、やりきれないほどの現実味を以てこちらに迫ってくる。コロナ禍との符合は、400年前にかの国で書かれた悲恋物語に対して、ほんの1年前では想像もしなかった感覚を呼び覚ました。名作、古典と呼ばれる作品が年月も国境も超えて人口に膾炙し、今まで愛され続けている理由は、このようなところにもあるのである。

 最後の場面で心をよぎったのは、ここ数か月「続けざま」といってよいほど報道されている芸能人の自死のことである。そのいずれも一般人が目にする媒体では理由がわからないとされている。共に暮らす家族でも長く友情を育んだ友人であっても、自ら命を絶つ理由は、本人にしかわからないものであり、安易な憶測は慎むべきだが、それでもなお「なぜだ?」という問いは消えない。

 ロメオとジュリエットの自死の理由はわかりすぎるほど明確である。愛する人が死んだ。もはや自分ひとりがこの世に生きる意味はない。あの世で結ばれたい。この強い意志と迷いのない行動に、立ちすくむような衝撃を覚えるのである。互いにほんの少しだけ冷静になり、誰かがあとひと息早く場に着いて事情を話していれば、ロメオもジュリエットも死ぬことはなかったかもしれない。しかしふたりがあっという間に自死する終幕は、こうした仮定の想像を破壊する。納得せざるを得ない。だから余計に、直接の知り合いでもなく、別の世界の人のごとき芸能人であるにしても、理由もわからずこの世から消えてしまったことを、諾うことは困難なのである。…と、思考が大きく横道に逸れてしまうのも、名作、古典が持つ力のためかもしれない。第1回ラボ公演が無事終演した。MSPこと明治大学シェイクスピアプロジェクト1,2,3,4)はいよいよ来月、『じゃじゃ馬ならし』の本番を迎える。コロナ禍の舞台は、観客を思いも寄らない方向へ導く可能性を秘めている。それを楽しみにしつつ、多少覚悟して上演を待ちたい。
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