因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝公演 『モデレート・ソプラノ』 

2022-12-01 | 舞台
*デイヴィッド・ヘア作 丹野郁弓訳・演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 10日終了
 デイヴィッド・ヘア作品の観劇歴を振り返ると(記載はいずれも「デヴィッド・ヘア」)『スタッフ・ハプンズ』(2006年 燐光群 坂手洋二演出)、ドラマリーディング『パーマネント・ウェイ』(2008年 同 渡辺美佐子が主演した2005年の観劇のblog記事無し。因幡屋通信22号に劇評記載)、映画『スカイライト』(2015年 ナショナルシアターライヴ)、『ブルールーム』(2016年 PLAY/GROUND vol.0 井上裕朗演出 ver.A)、ドキュメンタリー要素の濃厚な鋭い筆致、複雑なドラマ性など幅が広く、奥の深い作風である。今回の『モデレート・ソプラノ』はナチスドイツが台頭する1930年代に始まり、戦後の50年代、60年代を経て再び30年代に戻るなど、時が交錯すること、登場人物がそれぞれ客席に向かって語り掛けたり、演劇的趣向に富んだ作品だ。実在した人物、史実に基づいているが、劇作家が想像力を働かせ、存分に腕を振るった戯曲である。本邦初演の初日を観劇した。

 資産家のジョン・クリスティ大尉(西川明)はソプラノ歌手の妻オードリー(樫山文枝)とともにワーグナーの大ファンで、イギリスはサセックスの広大な邸宅にオペラハウスを作ろうとしている。ドイツを追われた指揮者のフリッツ・ブッシュ(小杉勇二)、演出家のカール・エーベルト(佐々木梅治)、マネージメントのルドルフ・ビング(齊藤藤尊史)を呼び寄せ、妻を主役にしたオペラ上演を企画する。

 「モデレート」と聞くと、すぐに音楽用語の「moderato」(モデラート)、「中くらいの速さで。適度に」を思い浮かべたが、本作のタイトルにおいては「穏やかな、控えめな」の意とのこと(「民藝の仲間」より)。血気盛んで、思い立ったらまっしぐらの夫ジョンを「穏やかで控えめに」支えながら、「どうせお金を使うならもっとちゃんと使いましょう」と毅然と意見を述べるのがオードリーである。ジョンが愛してやまない歌手であり、かけがえのない伴侶であるオードリーの存在と、戦争の時代にオペラに心血を注いだ人々の反骨を描いた物語だ。

 それぞれが実績のあるプロの音楽家である3人は個性も主張も強烈で、ジョンとはたびたび衝突する。イタリア、ドイツ、フランスといった国々に比べてクラシック音楽の後進国であるイギリスでのオペラハウス、音楽祭の捉え方も一枚岩にはならない。皆が総力を結集して初日を迎える「ショー・マスト・ゴーオン」のバックステージものというより、上演を阻むのは戦争や権力といった外部の圧力もさることながら、彼ら自身に内在するものでもあることを容赦なく晒してゆく。

 クリスティ夫妻にしても、オードリーが病を得る戦後の場面は痛々しく、決して終始相思相愛のおしどり夫婦ではなかったことが伝わる。オードリーを看取ったあとのジョンは目を患う。舞台中央で車椅子に座ったジョンが過去を思い出す終幕は胸に迫る。紗幕が降り、その向こうでオペラハウスの初日、モーツァルトの『フィガロの結婚』がまさに始まろうとしている。フリッツが指揮台に立ち、序曲を振り始めた。軽やかなメロディが期待を高めてゆく。下手にはマネージメントのルドルフがぬか控え、しかしその背中は喜びに満ちている。さらに下手には演出家のカールが絶対の安心感を抱かせる佇まいで舞台を見守っている。上手には、オーナーの妻だからではなく、オーディションで堂々とスザンナ役を得たオードリーが緊張を隠しきれない様子だ。奥にはメイドのジェイン・スミス(日高里美)が微笑みながらオードリーの化粧前を整えている。ほとんど仏頂面だった人が、こんな笑顔を見せるのか。

 ジョンは「誰か教えてくれたらなあ。あれが最高の時だったと」とつぶやく。胸を突かれながら、チェーホフの『三人姉妹』の終幕よろしく、「それがわかったら、それがわかったらね」と心の中で応答してしまった。達成感と成功の美酒に酔うだけでない、困難な時代に音楽に魅入られたことで味わった苦さもまた人生だと思わせるのである。
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