*デヴィッド・ヘア作 常田景子訳 坂手洋二演出 ザ・スズナリ
燐光群の舞台をみると、毎回どうしても睡魔に襲われてしまうのだが、今回はそれがなかった。休憩なしの二時間半のあいだ、まったく気の緩むことなく、身を乗り出すように見入ってしまったのである。そのことに自分がいちばん驚いている。奇跡だ。わたしもやればできるじゃないか。
もっとも大きな理由は俳優陣の奮闘が魅力的だったことである。
坂手洋二の作・演出の舞台では、俳優個人の強烈な個性が前面に出ることはない。最古参メンバーでも新人でも舞台においては同じ。主役不在の舞台だな、という印象をもつ。たとえば『だるまさんがころんだ』で黒服の女を演じた宮島千栄はとても美しく、ぞくぞくするほどであったが、彼女があの作品の主役であるとは思わない。他の多くの俳優たちも含めて全員があの作品をしょって立つような気合いが感じられるからだ。俳優個人の演技の巧さ、熟練の度合いを見せる舞台ではないのである。
だからいわゆる「あてがき」という方法における、劇作家と俳優の親密な空気は感じられない。
劇作家が俳優に近づくのではなく、俳優がその役の中に自分をあてはめていく、とでも言おうか。すんなりといかない場合もあるだろう、特にドキュメンタリー・ドラマの場合、劇の台詞と言っても、それはほんとうに存在した人が実際に話した言葉であるという重みも加わるからだ。もう何年も続けて燐光群の公演に足を運んでいるのに、俳優の名前と顔がなかなか一致しないのは、俳優さんたちが地味だからではなく、このカンパニーの舞台作りの姿勢がそうさせているのかもしれない。
今回の『スタッフ・ハプンズ』はイラク状況をめぐる各国の謀議と計略を、実在の政治家たちの発言をそのまま使用したものだけでなく、綿密な調査に基づき、さらに劇作家の想像力を駆使して構成された作品である。
ブッシュやライスやラムズフェルドやブレアは勿論のこと、なぜかヨーヨー・マも顔を出す。
舞台は小さな物置小屋のような作りで、そこが大統領官邸にもなるし、重要なパーティの会場にもなる。
三人の「俳優」が狂言回しのように解説をし、自分たちもさまざまな役を演じながら劇を進めていく。
今回、俳優陣はまことに生き生きとしていた。
特にブッシュ大統領(猪熊恒和)とブレア首相(杉山英之)の電話による会話の場面は爆笑もので、燐光群の公演でこんなに笑ったのは初めてではないか。
舞台をみる二日前、本作のアフタートークを聞きに行った(1月19日の記事をご参照ください。ゲストは東京工業大学助教授・谷岡健彦氏)。順番が逆である。観劇前の予習の気合いというより、熱気と興奮の残る客席と作品を見ずに同じ場所に身を置いている自分との温度差、そのわりに違和感のない居心地の良さを感じつつ、トークを楽しんだ。本編をみるのが楽しみでたまらなくなった。
そして東京を大雪が覆った夜、期待に違わず燐光群の舞台を堪能することができたのである。
アフタートークならぬ「ビフォアトーク」の効果もあわせて、次の論考につなげていきたい。
燐光群の舞台をみると、毎回どうしても睡魔に襲われてしまうのだが、今回はそれがなかった。休憩なしの二時間半のあいだ、まったく気の緩むことなく、身を乗り出すように見入ってしまったのである。そのことに自分がいちばん驚いている。奇跡だ。わたしもやればできるじゃないか。
もっとも大きな理由は俳優陣の奮闘が魅力的だったことである。
坂手洋二の作・演出の舞台では、俳優個人の強烈な個性が前面に出ることはない。最古参メンバーでも新人でも舞台においては同じ。主役不在の舞台だな、という印象をもつ。たとえば『だるまさんがころんだ』で黒服の女を演じた宮島千栄はとても美しく、ぞくぞくするほどであったが、彼女があの作品の主役であるとは思わない。他の多くの俳優たちも含めて全員があの作品をしょって立つような気合いが感じられるからだ。俳優個人の演技の巧さ、熟練の度合いを見せる舞台ではないのである。
だからいわゆる「あてがき」という方法における、劇作家と俳優の親密な空気は感じられない。
劇作家が俳優に近づくのではなく、俳優がその役の中に自分をあてはめていく、とでも言おうか。すんなりといかない場合もあるだろう、特にドキュメンタリー・ドラマの場合、劇の台詞と言っても、それはほんとうに存在した人が実際に話した言葉であるという重みも加わるからだ。もう何年も続けて燐光群の公演に足を運んでいるのに、俳優の名前と顔がなかなか一致しないのは、俳優さんたちが地味だからではなく、このカンパニーの舞台作りの姿勢がそうさせているのかもしれない。
今回の『スタッフ・ハプンズ』はイラク状況をめぐる各国の謀議と計略を、実在の政治家たちの発言をそのまま使用したものだけでなく、綿密な調査に基づき、さらに劇作家の想像力を駆使して構成された作品である。
ブッシュやライスやラムズフェルドやブレアは勿論のこと、なぜかヨーヨー・マも顔を出す。
舞台は小さな物置小屋のような作りで、そこが大統領官邸にもなるし、重要なパーティの会場にもなる。
三人の「俳優」が狂言回しのように解説をし、自分たちもさまざまな役を演じながら劇を進めていく。
今回、俳優陣はまことに生き生きとしていた。
特にブッシュ大統領(猪熊恒和)とブレア首相(杉山英之)の電話による会話の場面は爆笑もので、燐光群の公演でこんなに笑ったのは初めてではないか。
舞台をみる二日前、本作のアフタートークを聞きに行った(1月19日の記事をご参照ください。ゲストは東京工業大学助教授・谷岡健彦氏)。順番が逆である。観劇前の予習の気合いというより、熱気と興奮の残る客席と作品を見ずに同じ場所に身を置いている自分との温度差、そのわりに違和感のない居心地の良さを感じつつ、トークを楽しんだ。本編をみるのが楽しみでたまらなくなった。
そして東京を大雪が覆った夜、期待に違わず燐光群の舞台を堪能することができたのである。
アフタートークならぬ「ビフォアトーク」の効果もあわせて、次の論考につなげていきたい。
私も、燐光群の役者さんは名前と顔が一致しません(^^:)。
燐光群の公演は人物を描くというより、現象や事象を描き出そうとしているからなのかな?と思ったりもします。
今回の公演で、世界の要人がとても個性的なのだということを思い知りました。