因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『女の一生』

2018-10-23 | 舞台

*森本薫作 戌井市郎補訂・演出による 鵜山仁演出補 公式サイトはこちら 
 今年1月の愛知県公演を皮切りに、2月半ばまで三重県、富山県、石川県を巡演し、この10月23日から28日まで紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA。その後12月後半まで兵庫から中国地方へと続く。大ツアーである。寄る辺なき孤児・布引けいの波乱の生涯を、堤家の庭に面した座敷のセットひとつで描く。
振り返ってみると、初めて本作を観劇したのは89年の杉村春子、96年、99年の平淑恵、2010年の荘田由紀、2015年に三たび平淑恵。その間、2007年に朗読劇があり、劇団新派の公演(1,2)も経て、2018年10月の今宵、山本郁子が4人めの布引けいを引き継いだ上演をみることができた。文学座の大いなる財産演目であり、多くの俳優そして観客の夢を掻き立ててやまない作品だ。今回は関連のイベント・講座も充実しており、観客もまた「継承」の責任と義務を負う者であると思う。

 思い出すまま気づきなど…。

 第一幕の二。堤家の家族が奥へ行き、座敷は無人になる。さあ、もうすぐだ。もうすぐここに布引けいがやってくる。客席ぜんたいが息を殺して待つ、その緊張感。ここから物語が大きく展開することへの期待はもちろんだが、一人の少女の運命を左右する瞬間であり、幸せよりも悲しみや悩みの多い人生が始まることを思うと、もうここで胸が迫るのである。無人の舞台に満ちる空気が、観劇を重ねるごとにより濃厚に感じられる。

『女の一生』は、描かれない、見せないところが非常に多い作品だ。数年ごとに場面が進んでゆき、その間のことは台詞で語られるからである。第二幕、堤家の女中として生き生きと立ち働くけいの様子は、何度見ても清々しく気持ちがよい。それが次の幕では別人のように堂々たる女主人に変容している。そこに至る数年間のけいの気持ち、周囲の様子はどうだったのか。

 以前は、こういった描かれないところが不満だった。しかしいつのまにか、そこを想像することに楽しみが生まれてきたのである。けいは次男の栄二と好き合っていながら、恩人である女主人に乞われて長男の伸太郎と結婚する。女中が跡取りの妻、商売の実質的な後継者となり、義理の姉妹の縁談すら仕切るようになる。これまで「けい」「お前」と呼んでいたのが、「おけいさん」「姉さん」になるのである。「栄二が無断で家を出て行ったあの日」とはどの日なのか。幾通りにもシミュレーションができる。栄二は兄夫婦の一人娘が3歳くらいのとき、一度帰ってきた。姪をたいそう可愛がったという。栄二は子ども好きのようであるし、姪も初めて会った叔父になついたのであろう。何やらまるで舞台を見たかのようにありありと目に浮かぶのである。一方で、その様子を伸太郎とけいはどんな思いで見つめたのだろうか。

 仕事で遅くなった母は、縁側で自分を待ちわびている娘に気付かない。「おかえりなさい」と言われてはじめて、「はい、ただいま」とひと言、すぐに叔父と商売の話に戻る。その母を必死で見つめる幼い娘の横顔から目が離せなかった。

 不思議なことに、けいを演じた歴代の女優たちのイメージが妨げになることなく、実に自然に目の前の「布引けい」に集中し、懐かしさと新鮮さを同時に味わいながら、まったく気が緩むことなく舞台に惹きつけられた。これは他の人物も同様である。しかも過去の俳優が消えてしまうわけでもなく、杉村春子の口調、平淑恵の表情、荘田由紀には忘れられない場面があり、それらがすべて連なって、今夜の山本郁子に結実し、さらにその先へ続く予感すら覚えるのである。

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