*森本薫 作 戌井市郎 補綴 大場正昭 演出 公式サイトはこちら27日まで
一昨年に新派初演が好評を博して再演の運びとなった。
平成23年度文化庁芸術祭参加作品でもあり、9月から10月はじめまで全国を巡演し、三越劇場を経て京都・南座で千秋楽を迎える大プロジェクトだ。劇団新派の歴史については公式サイトに詳しく、再来年で創立125周年を迎える由。旧派(歌舞伎)に対して明治時代に生まれた「新演劇」がその成り立ちであり、自分のなかでは「歌舞伎と新劇のあいだに生まれて、どちらの要素も兼ね備えたもの」という認識であった。
新派公演では『ふりだした雪』の前に、井上ひさし作、木村光一演出の『頭痛肩こり樋口一葉』をみたことがあるのを思い出した。波乃久里子の演じる一葉に、こまつ座公演で見慣れた舞台とは違う、新鮮な印象をもったのを覚えている。NHK大河ドラマ『葵~徳川三代』で、波乃が演じていた浅井三姉妹のお初を演じており、淀君の小川真由美や江の岩下志麻にはさまれた難しい位置にあって、決して大仰にならず、自然で日常的な演技が好ましかったのが舞台へ足を運ぶきっかけ、ということを因幡屋通信7号(2000年9月発行)で書いておりましたね・・・。順々に思い出しました。
先週の若手によるアトリエ公演がいまひとつしっくりこなかったため、エイヤ!と決心して本公演に足を運んだ。
結論から言うと、アトリエ公演で抱いたもやもやをすっきりさせるには、本公演もまた自分にとっては明確な印象を残すものではなかった。自分が文学座の舞台のリズムや雰囲気へのなじみが非常に強く、俳優の台詞の言い方ひとつ、そこから生まれる客席の反応のすべてを、どうしても比較してしまうことが主な要因であろう。主要キャストのひとりが台詞を言い淀む場面が何度かあり、感興が削がれてしまったこともある。まったく冷や汗ものでありました。
演者が変われば演技も変わり、それを受ける客席の反応も変わる。頭ではわかっているのだが、そのひとつひとつを、「そうか、あの台詞をこんな感じで言うこともできるのだな」と新鮮に受けとめることができなかったのだ。
新派には長い歴史があり、かつ常に新しいものを取り入れようとする気概がある。それをもっと確かな手ごたえとして感じ取り、楽しめるようになりたい。この実感を新派版『女の一生』の収穫としよう。
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