因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

グループる・ばるVol.24さよなら身終い公演『蜜柑とユウウツ-茨木のり子異聞-』

2018-09-20 | 舞台

*長田育恵作 マキノノゾミ演出 公式サイトはこちら 東京芸術劇場シアターイースト 東京公演は23日まで その後12月なかばまで首都圏、北海道、東北ツアーあり
 一回きりのつもりで始めたユニットが、気がつくと32年。2015年の初演が第19回鶴屋南北戯曲賞を受賞した長田育恵の本作で幕を下ろすとのこと。因幡屋のる・ばる初観劇は、2004年冬の『片づけたい女たち』(永井愛作・演出)であったが、当時まだブログを開設しておらず、その後は2010年初夏の『高橋さんの作り方』と、今回の『蜜柑と~』の初演のみである。

 ブログを読み返すと、それなりに観てはいる。しかしわずか3年前だというのに記憶が曖昧で、その分今夜はからだが前のめりになるほど集中して見た。詩人の茨木のり子(松金よね子)の人生を時系列に描くのではなく、亡くなって4カ月後からさかのぼってゆく。そこに同じ「ノリコ」の名を持ち、同時刻に亡くなった紀子(キーちゃん/岡本麗)と典子(テンコ/田岡美也子)が登場し、たもっちゃんと呼ばれる謎の管理人(小林隆)とともに、のり子がこの世に残した「気がかり」を思い出すべく、彼女の最後の一日を繰り返す。

 キーちゃんは生きるためにからだを売った過去があり、テンコは子どもを亡くした。今度はもっといい人生を送れる者に生まれ変わりたいと願いながら、死してなお悲しみ続け、ふさがらない心の傷を持つ。のり子の人生のさまざまな場面を3人の「ノリコ」が演じ継ぎ、舞台に生き生きとしたリズムを生み出す。

 3人のノリコが茨木のり子の詩『わたしが一番きれいだったとき』を輪読する場面は、前半の圧巻である。この詩の「わたし」は茨木自身だけでなく、キーちゃんでありテンコであり、名もなき女性たちであろう。自分は輪廻転生を信じるものではないが、人は自分の人生に、いつのまにか他人の人生をも背負っているのではないかという気がしてくる。キーちゃんとテンコは懸命に生き、この世に思いを残して死んでいった大勢の女性たちの象徴でもある。ふと長田育恵の師匠である井上ひさしの『イーハトーボの劇列車』を思い出した。

 背後に大きな蜜柑の樹木を置いた舞台美術、繊細な照明や音響などすべてが美しく、日常生活の匂いと、この世とあの世、今と過去が交錯する部分のあわいを描いて、とても気持ちの良い舞台である。

 他団体の舞台への客演はじめ、映像分野でも活躍する3人にとって、る・ばるは疲れたとき、傷ついたときにいつでも安心して戻ることができる場所だったと想像する。しかしそこはただ優しいだけのぬるま湯ではなく、激しく闘い、苦しみながら新しい舞台を生み出す労苦の場所でもあったはずだ。俳優という仕事の厳しさを嫌と言うほど味わい、だからこそ喜びが大きく深いことを知る3人の戻ってこられるところは、同時に旅立つところでもある。この夜の舞台を心に覚え、新しい一歩を楽しみに待ちたい。

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