因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

TRASHMASTERS vol.25『殺人者J』

2016-07-23 | 舞台

*中津留章仁作・演出 公式サイトはこちら  24日まで 下北沢/駅前劇場(1,2,3,4,5
 作・演出の中津留章仁は、秋に劇団民藝への書き下ろし上演(演出も担当!)『箆棒』を控えている。その助走として今回の観劇を決めた。前回と同じく、チケットの予約に出遅れてまたも最前列の座席に。中津留の芝居は休憩がなく、2時間越えはあたりまえだ。だいぶ慣れたとはいえ、今回も2時間20分休憩なしとのこと。背筋を伸ばして観劇に臨んだ。

 観劇の体感からいうと、途中わずかに眠気を催したものの、あまり長尺とは感じることもなく、集中することができたと思う。終演後も疲労せず、すっきりとした気分であった。しかしそれならば本作を楽しんだのか、理解できたのか、受けとめられたのかと考えると、正直なところよくわからないのである。

 舞台は参議院選挙が済んだあとらしき、リアルな現代日本の警備会社である。やり手の社長が一代でつくり上げ、跡継ぎの息子が常務を務めているが、あとは社長と長年懇意にしてきた部長、病身の母の治療のために賞与の前借りをしている秘書(男性)ほか、女性社員ふくめて登場するのは9名、あとは営業に来る他社の社員がひとり。舞台上手が会議室、下手に社員たちのデスクがある。社長は海外で頻発するテロ事件から、現地にある日本企業やその家族たちを守る需要を見込んで、傭兵部門を設立しようとしており、冒頭、会議室で行われるのは、武器の製造をしている企業の営業マンとの面談である。
 国会で安保法案が可決され、自衛隊志願者が減る一方で、海外の危険地域への派兵を避けようと退職者が増えている。今こそ民間企業が国を守るべきではないかという意見と、他国の人を殺す可能性がある傭兵に反対する意見が真っ向から対立する。まさにいまの日本で起こっている問題を舞台で鋭く提起する作品だ。

 明日まで上演があるため、詳細を書かないほうがよいのだが。

 だが、この会社が厄介なのは、社内の人間関係がめちゃくちゃなことである。ふたりいる女性社員のうち、ひとりは長いあいだ社長の愛人であった。が、その関係が社長夫人に知られてしまい、別れることを余儀なくされた。そうすると社長からのお手当がなくなり、生活に困窮、やむなく風俗を副業にしているという。さらに彼女へのお手当のために、社長は会社の金を不正に流用しており、前述の秘書の男性が社長のパソコンにアクセスしてその事実を突き止めた。

 舞台終盤は、国と国民を守るために武器を取るべきか否かという議論が繰り広げられるのだが、前述のような痴情のもつれが絡み、不倫をするような人間に発言の資格はないと糾弾する者あり、女性は誰でも不倫の恋をする可能性はあると一歩も引かず、ビジネスについての議論が、互いに大声で相手を罵倒する愁嘆場と化す。

 中津留章仁作品の特徴として、上演時間中緩みがまったくないことが挙げられる。本作も同様で、登場人物たちは非常に激しやすく、感情をむき出しに猛り狂う。相当入念に稽古を積んだことが窺われる熱演で、2時間を越える作品を緩みなく一気に見せるのであるから、作品、演出、それに応える俳優陣の力量には圧倒される。

 しかしながら、何を演劇として舞台にしたいのか、観客に示したいのかという根本がどうもよくわからないのである。彼らは日常会話とは言いがたい、むろん日常においても激昂や号泣、罵詈雑言の場面はありうる。しかしながら、舞台上の彼らのことばは、そう、まるで芝居のような台詞であり、議論が紛糾したあげく女性社員の号泣の声の出し方や、冷静で温厚と見えた常務が鬼畜のように暴力的な振る舞いに及ぶさまなど、「劇的」といえばそうなのかもしれないが、どうにも受けとめようがないのである。

 中津留章仁の創作へのエネルギーは凄まじいものがある。ほかの劇作家が真似しようとして簡単にできるものではないだろう。だがそのエネルギーを注ぐ方向、エネルギーの描写について、自分は非常に困惑してしまうのだ。
 

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