因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

トム・プロジェクトプロデュース『欺瞞と戯言』

2012-11-09 | 舞台

*中津留章仁作・演出(1,2,3) 公式サイトはこちら 本多劇場 11日まで
 9月末から全国各地を巡演している舞台で、それも大変過密なスケジュール、今月の本多劇場公演で大千秋楽ということか。
 昨年、震災と原発事故に即座に対応した作品の上演が高い評価を受けた。社会派の劇作家として注目度がいよいよ強まる中津留の新作は、戦後に解体された華族一家の存亡を描いたものである。登場人物は5人、立派な家具調度の応接室で繰り広げられる2時間15分ノンストップの物語である。

 まず劇中の時間軸、人物の出と入りのタイミング、細かいところにしっくりしない印象をもった。
 本作は瀧川家の応接室のみが舞台であり、時間の流れが前後することもない。その点では目の前の舞台の時空間をそのままリアルに捉えてよいということであろう。
 夫と諍いの末、予定日は先なのに嫁が産気づく。女主人は嫁を支えて別室に寝かせてから、すぐ応接間にもどってきて(自分の印象ではそうだった)、「落ち着きました」と告げる。早すぎないか。また「お産婆さんを呼んで」と言われた息子は、名簿やメモもみずにダイヤルを回して産婆を呼び出す。番号を覚えているのだろうか。それともそこは旧華族の瀧川家、用事を言いつける番号があって、それひとつで何でも済むのかしら。
 後半、労働者の投石が続くなか、息子は「ガラスを片づけてきます」と言って二階に引っ込み、ずいぶん長い時間出てこない。その間は女主人と元恋人の熱いやりとりが延々続いているから彼の存在は意識から遠のいているとはいえ、不自然ではないか。
 興奮する労働者の群衆に怒った息子が猟銃を発砲し、労働者のひとりに重傷を負わせる。母親は「撃ったのは自分だ」と言いだして、息子をかばおうとする。気持ちはわかる。しかしなぁ、息子は窓から身を乗り出すようにして発砲した。労働者からもその様子ははっきり見えたのではないか。それに猟銃についた指紋やら、衣服についた発砲後の火薬を調べれば、すぐに嘘だとわかってしまうだろう。息子可愛さのあまり、愚かな決断をしてしまう母親、その愛情を示すには、流れが粗すぎる。
 瀧川家存続の危機にある夜に嫁が産気づき、ラストで無事生まれるという流れはいわばお約束、じゅうぶんに想像できる範囲のことであり、あざといと言えばそうだが、それよりも陣痛がきて数十分で生まれるとは、初産にしてはレアなケースではないか。いやお産には個人差があるからなどとよそごとが頭をよぎる。崩壊寸前の瀧川家に新しい命が誕生した。それを微かな希望とみるか、運命の日にこの世に生を受けた痛ましい存在とみるか、見方はさまざまだ。そこを考える以前に、やはり自分は「まるで劇の進行に合わせたかのように順調すぎる出産」につまづく。
・・・というぐあいに、劇世界を大きく綻びさせるほどではないにしても、不自然や無理がところどころにあって、自分は何度もつまづいた。書かれている台詞の文体や俳優の演技が大メロドラマ風なだけに、こうした細かいところでひっかかって「そうは言ってもなぁ」と引いてしまうのである。

 中津留章仁の筆には強靭な力がある。スピート感、瞬発力、まさに大鉈を振るう剛腕といってよい。しかし舞台をより説得力をもって確実に客席へ届けるために、細部を丁寧に積み上げていくことも大切ではなかろうか。自分はもしかすると非常に興ざめでとんちんかんな揚げ足取りをしているのかもしれないが、ぶっとばすように大議論をする瀧川家の人々に「待った」をかけたくなるのである。

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