*久保田万太郎作 大場正昭演出 六行会ホール 23日まで (1,2,3)
毎年3月みつわ会の公演の日は、品川駅からホールの往復を歩くのが恒例となった。今日はあいにく肌寒い雨模様だが思ったほど寒くない。やはり歩きましょう。品川宿場通りにはファストフードやコンビニやチェーン系の飲食店がほとんどないのが特徴か。人ひとりやっと通れるくらいの路地にも風情があって魅力的だ。通りの空気を吸って久保田万太郎の芝居をみて、夕暮れのあかりが灯りはじめた町をふたたび歩く。劇場への行きかえりふくめて、春の至福である。
☆『弥太五郎源七』
河竹黙阿弥の世話物『髪結新三』に登場する大親分のその後を描いたもの。
☆『一周忌』
文学座有志による自主公演でみたことがある(1,2)。題名のとおり、あるじの一周忌のこもごもが描かれた短い作品だ。
☆『弥太五郎源七』
後半の展開があまりにドラマチックで、いわゆる久保田万太郎の雰囲気とはいささか・・・の印象だ。事件が大きく展開するところではなく、その前後の源七と銀次との会話、居酒屋の亭主と源七、亭主とその女房の会話がしみじみと聴かせるとことである。
☆『一周忌』
何度見ても思うのは、どうということはない内容だなと(失礼)。開幕して保険勧誘員の男が長々と身の上話をしているが、芝居の発端として重要なのかと身構えるとただただよくしゃべるばかりで、一方的に聞かされるおきく同様、すぐに食傷する。演じる俳優にしてもとにかく立て板に水の勢いでしゃべらねばならないのに相手も客席もうんざりしている。やりにくいのではなかろうか。うっかりすると自分の話に酔いしれている人物当人そのままに、いかに達者な話しぶりかを誇示する嫌みな役者、との印象を与えかねない。気の毒である。
今回保険勧誘員を演じたのは仲恭司である。「よくしゃべる人」が似合う芸風があって(いい意味です)、『イーハトーボの劇列車』の福地第一郎などはまさに当たり役であろう。さぞかし今度もと身構えたのだが、これが意外にさらさらしていて、そのなかに亡くなった兄への思いを語ってしんみりさせるところもあり、さすがと思わされた。
今日の2本をみて改めて感じたのは、久保田万太郎作品は、台詞をしゃべることもむずかしいが、それを受けるほうも非常にむずかしということである。黙って聞いていれば済むことではなく、聞いている(聞かされている)ときの表情、からだつきなど、その人物ぜんたいが持つ風情というものが要求される。台詞がないだけになおさらだ。
その点において、『一周忌』でおきくを演じた女優さんは、顔つきや台詞の言い方など、お人形さんのような印象を受けた。顔も声も美しく整っているのだが風情がないのである。これはやはり文学座自主公演で同役を演じた山本郁子に一日の長があるというべきか。
ブログにお越しくださいまして、ならびにコメントをありがとうございます。
お返事がすっかり遅くなりましたこと、またお二人宛てに返信いたしますことをお許しください。
みつわ会の公演で知らず知らず後方の席を選んでしまうのは、久保田万太郎作品はいっけん静かでさらさらしているようで、舞台から発せられる熱があんがいに強く、少し「引き」の位置に身を置きたくなるためでしょう。
なので前のほうの席で表情の細やかな変化やひとつひとつのしぐさなど、細かいところまでじっくりご覧になった方とはちがう印象をもってしまったのかもしれませんね。
どうかまたブログにお越しくださいませ。
このたびはありがとうございました。
もと芸者トップの貫禄、今の素人の違いが見えて流石だと思ったが…
兎に角姉を演じた女優が酷すぎて… ぶち壊していた!