因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

鳳凰祭三月大歌舞伎

2014-03-19 | 舞台

 公式サイトはこちら。東銀座・歌舞伎座 26日まで。
 夜の部は、吉右衛門の弁慶、菊五郎の富樫、藤十郎の義経による「勧進帳」が圧巻だ。吉右衛門の弁慶はあのとき以来だろうか。いちばん最近にみた「勧進帳」は昨年のこと、新春浅草歌舞伎の海老蔵である。ふたりの弁慶像はだいぶ違うのだが、終幕の飛び六法がはじまるとき、ほかの演目とは異なる空気が劇場を満たす。

 安宅の関で義経一行はつぎつぎに難問にぶつかる。そのたびに弁慶の機転や勇気、真実を悟りながら敢えて見逃した関守富樫の情に助けられ、ついに関所を通過する。あるじ義経と四天王たちを先に行かせ、富樫が見送るなか、弁慶は喜び勇んで皆のあとを追いかける。舞台に定式幕が下り、花道七三のところで立ち止った弁慶は、まさに万感の思い込め、富樫がいる方向に、そして天を仰いで頭を下げる。向き直ってさあいよいよクライマックスの飛び六法が始まる。

 

 大向こうはつぎつぎに「播磨屋」、「たっぷり」、「二代目日本一」と声援を送る。客席の熱気もすごい。万雷の拍手とはこのことだろう。これは難関を切り抜け、さらに陸奥へ向かおうとする弁慶へのエールであり、同時に演じる歌舞伎役者・中村吉右衛門に対する称賛であろう。
 「勧進帳」の飛び六法の場は、物語の人物と役者が重なりあい、そこに客席の思いが加わって交錯する歌舞伎ならではの至福のときなのだ。

 弁慶へのエールとはいえ、義経一行は陸奥で終焉を迎える。喜び勇んで駆けてゆく弁慶だが、いわば死出の旅であり、待っているのは滅びである。
 観客もそれを知っている。だから弁慶に贈る拍手は「やったぜ弁慶、よかったな」ではない。「もう弁慶には二度と会えないのだ」という惜別の思いがあふれるように湧いてくる。みるたびにその思いが強くなった。
 何度でも会える人である。窮地に陥っても必ず乗り切り、あるじを守り抜く。
 しかし最後はいつも「二度と会えない人」になる。がんばれとさよならを贈りながら、こちらも万感の思い込め、花道をみつめるのである。

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