草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

土着大衆を蔑視しなかった憂国の論客葦津珍彦

2011年01月23日 | 思想家

 思想家不毛の時代にあって、私が身近に置いている本は、葦津珍彦の著書である。在野にあって葦津は「洋風教育の尊重と、土着大衆の蔑視」(「神国の民の心」)という風潮に異を唱えた。白人的な思考や心情を絶対視することは、日本人の幸福には結ぶつかないのであり、あくまでも語学をひけらかすインテリの自己満足なのである。葦津も指摘しているように、彼岸やお盆の墓参り、初詣に出かける人々は、土着的な思考や心情に根ざしている。そうしたインテリに指導されているわけではない。ネット上で起きていることも、まったく同じではなかろか。インテリの妄想や観念論に対して、名も無き土着民が言論戦を挑んでいるからだ。それは、偉大な言論人であった葦津の志を継ぐことである。遺言ともなった長男泰國にあてた手紙には、その志が何であっかたが書き記されている。「私の83年の生涯、西郷先生に従いて、特に戦後47年、自らの名を上げるのをさけ、私の利を下げるのを嫌はず、死地に立つのを畏れなかった」(「葦津珍彦臨終日誌」)と述懐しながら、「この間、皇威を保つため、GHQ、政府、世論と交渉し、文筆もとった。いずれも世俗的通常的に見れば、さびしく不利だったが、心中は、いつも歩一歩の前進に感激し、勇気を以て生きてきた」(同)。「さびしく不利だった」としても、信念を曲げなかった葦津こそが、真の意味での憂国の志士なのである。

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今頃反小沢を口にする日和見主義者菅直人を嗤う

2011年01月22日 | 政局

 小沢一郎をめぐって民主党内が揺れているが、今頃になって反小沢派が手のひらを返しても遅すぎである。昨年の小沢の新年会には、菅直人首相も真っ先に駆けつけていたではないか。今さら政権維持のために、小沢を排除しようとしても、大人気ない。だったらば、同じ党にいるのではなく、さっさと袂を分つべきだったろう。同じ穴の狢にもかかわらず、利用するだけ利用しておいて、利用価値がなくなると切り捨てるのは、あまりにもえげつなさ過ぎる。自民党から政権を奪い取るために、嫌々ながら、悪の小沢と組んだと思っているのだろうか。そして、小沢が問題にされて、鳩山由紀夫が無罪放免だというのは、あまりにも片手落ちではないだろうか。両方同じように追及すべきなのである。鳩山は首相であったから、罪に問えなかっただけだ。国民は誰も納得していない。「平成の脱税王」が政治活動を続けられるのは、今も民主党がかばっているからなのである。菅直人首相は風向きばかりを気にした、それこそ日和見主義の典型である。リベラル派のドグマが崩壊しても、保守派に転向することなく、進歩派ぶっているから、恥をかくことになるのだ。小沢と真っ向から勝負できるのは、守るべき国柄を理解している保守派だ。 小沢と妥協を重ねてきた菅が、今さら小沢を批判できるわけがないのである。

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年金の支給年齢引き上げ目論む民主党政権

2011年01月22日 | 政局

 成長戦略がまったくなくて、国民から搾り取ることしか考えていないのでは、民主党政権を誰も支持するわけがない。与謝野馨経済財政相が、今度は年金の支給年齢の引き上げに言及した。子ども手当などを実施したおかげで、国民はとんでもないツケを払わされるのである。とくに、今回の発言は、年金を目当てに頑張っている国民に、冷水を浴びせたのだった。民主党が政権をとれたのは、消えた年金の問題があったからではなかろうか。それよりも、深刻な影響があるのが支給年齢の引き上げである。財源を無理矢理に捻出しようとすると、それ以外に手がないのだろうが、あまりにも国民目線とは無縁な議論である。そうでなくても、国民の生活はジリ貧になっており、与謝野大臣が現実的なことを語れば語るほど、民主党は国民から見放されることになるだろう。それと同時に、「国を開く」とかのキャッチフレーズで、国際化をどんどん容認すれば、工場は日本から逃げ出し、今以上に雇用の場が失われることになる。年金と雇用のダブルパンチをくらえば、いくらおとなしい日本国民であっても、怒りを爆発させることになるだろう。菅直人首相がなりふりかまわず奇策を弄しても、民主党政権は、もはや風前の灯なのである。

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現実保守派の勃興と浪漫派右翼の衰退

2011年01月21日 | 思想家

 マスコミは今でもサヨクがまともだという幻想を持っている。だからこそ、保守派について、茶化した言い方をしたがるのだ。そもそも、日本には極端な右翼など存在しない。日の丸の旗を掲げている人たちのどこが右翼過激派だというのだろう。角材で暴れているわけでもなく、法にのっとって正々堂々とデモしているだけである。リアル右翼とネット右翼との違いというのも、あまりにも粗雑な議論でしかない。それよりも、差異を確認するとすれば、アジアを憧れの対象とするか、それとも異質な世界と突き放すかの、二つに一つなのである。浪漫派右翼か現実保守派かの違いなのである。中共に対しては、最近の日本人は懐疑的になっている。「馬賊の歌」を高らかに歌い、大陸へ雄飛するというのは、あくまでも過去への郷愁であり、アナクロでしかない。それよりは、多くの日本人が中共の脅威を身近に感じているのである。その意味では、ネットで言論戦を行っている保守派の人たちは、観念論ではなく、厳しい現実と向き合っている。アエラの言葉を借りるならば、「ネット右翼こそがリアル右翼」ということになる。そして、今の段階で断言できることは、浪漫派右翼の衰退と、現実保守派の勃興ということだ。浪漫派右翼は夢ばかり語るが、現実はそれを許さないのである。危機が身近に迫っているわけだから。

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忘れられた日本の原風景が息づく会津

2011年01月21日 | エッセイ

 仕事の関係で昨日上京し、帰りが南新宿午後11時発の夜行バスになったので、ブログの更新が今になってしまった。朝から飛び回っていたからだ。しかし、南新宿のバスターミナルから出るバスを待っていて、しみじみと今の世相を観察してしまった。新幹線よりは安上がりですむというので、利用者も多かった。高齢者が目だったのには、ビックリした。倹約志向がそうさせるのだろう。ワンカップをあおる労務者風の人がいなかったのは、もはや大都会ですら、働く場所がないのだろうか。寒々とした場所にかかわらず、誰もが行儀よくて、騒ぐ人もいなかった。どこで時間をつぶすのかと見ていると、近くのファストフードの店であった。列を作って並んでいた。バス自体はJRのせいか、乗り心地というか、寝心地が良かった。どうせホテルに泊まっても、熟睡はできないのだから、ウトウトはできるから、それだけで十分なのである。学生時代にもどったようで、内心ウキウキであったが、会津に帰ってからが大変であった。雪に埋まってなかなか車が動いてくれないし、ようやく走り始めたと思ったらば、路面が凍結していてハンドルが取られ、一瞬目をつぶってしまった。冬の会津は、危険がいっぱいなのである。でも、朝焼けの磐梯山は、清々しかった。あくせくしている日本人が忘れている原風景が、まだまだ会津には息づいているのである。シルエットのように浮かび上がる磐梯山の稜線は、長く長く尾をひいていた。

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人民の権利を固守すべしの玄洋社精神が保守派の原点

2011年01月19日 | 思想家

 日本の保守派の原点にあるのは、天皇絶対であると同時に、国権、民権の思想である。葦津珍彦が『大アジア主義と頭山満』のなかで、頭山満に板垣退助が民権の大切さを説いた、というエピソードを紹介している。大久保利通が暗殺されたのは、明治11年5月14日のことであったが、福岡でその報に接した頭山は、すぐに土佐に板垣を訪ねた。そのときに板垣は、まだ無名の青年であった頭山に向かって、懇々と語って聞かせたのだった。会津藩の落城が近いと思われていた時期に、一門の者を集めて、懸命に食糧を城中に運び入れている百姓がいた。それを目のあたりにした板垣は、その百姓の義心に感激した。そして、「すべての国民が、百姓でも町人でもたれでも、会津の百姓某のような心がけにならねばならない」との考えを抱くようになったというのだ。板垣は会津戦争の体験談を披露したわけだが、民衆の側に立った立憲政治を行えば、民衆もまたそれに応えてくれるのである。日本の右翼の源流である玄洋社のリーダーも、その根本にあったのは、民権思想なのである。だからこそ、玄洋社憲則は「一条皇室を敬戴すべし、第二条本国を愛重すべし、第三条人民の権利を固守すべし」からなっていたように、日本の国柄は、天皇絶対、国権、民権の思想が 三本の柱なのである。 

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「論語」の精神に反する露骨な侵略主義の中共

2011年01月19日 | 思想家

 高橋和己の評論「順逆不二の論理―北一輝」は新鮮であったが、彼もまた戦後民主主義の落とし子であった。社会主義的な考え方から出発した北一輝が、どうしてアジアへ向かったかというアポリアから、一歩も先に進めなかった。しかし、北一輝の信念は一貫していた。日本を変革するにはまず中国革命だと信じて、一旦はその渦中に身を投じたが、その夢がかなわず、失意のうちに帰国したのである。そして、昭和11年の2・26事件に関与したとして、処刑されてしまったのだ。その意味でも、中国へのコミットは、侵略を肯定することではなかった。だからこそ、かつての中国の革命家譚人鳳の孫を、実の子として面倒を見たのである。ところがどうだろう、現在の中共こそ、「寡なきを患えずして、均しからざるを患う」という論語の精神に反しているのではないか。高橋和己が解説しているように、「国家の人的、物的な資源のとぼしさを他国の征服による領土拡張によっておぎなおうとするのは誤っている。国内の富の分配が均等でないからこそ、人々は貧しく、国家は危機的様相を示すのである」という意味だとすれば、それに一番該当するのは、中共ではなかろうか。日本の固有の領土である尖閣列島を領有しようとしているばかりか、沖縄にまで食指を動かしており、論語とは全く無縁な侵略国家であるからだ。

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マニフェスト詐欺を官僚のせいにする江田法相を嗤う

2011年01月18日 | 政局

 菅直人首相は現実路線に転換したのではなく、生き残りをはかろうとしているだけだ。真に国のことを考えるならば、政権の座から身を引くべきなのである。経済運営を財政再建論者の与謝野馨に明け渡した段階で、もはや勝負はあったのだ。権力を維持するために、国民の歓心を買おうとする魂胆が、あまりにも見え見えだ。そして、衆議院議長から法務大臣になった江田五月にいたっては、産経新聞によると「マニフェストは、われわれが政権にいないときに、霞が関(の官僚)が民主党には十分な情報を提供していただいていない中で、『心眼で見るとこうじゃないか』ということで作った部分がある」と弁解したという。これにはあいた口がふさがらなかった。官僚政治を打破すると大見得を切っていたのに、今度は官僚のせいである。そんなわが子の発言を聞いたならば、天国の江田三郎もガッカリするはずだ。ようやく政権を手にしたにもかかわらず、泣き言ばかりでは、国民は支持しようがない。できもしないマニフェストで選挙を戦っておきながら、最悪の自己弁護ではなかろうか。それでは民主党の政治主導というのも、絵に描いた餅と同じである。

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今年もまた会津の地から保守派の言論を発信

2011年01月18日 | プライベート

 還暦までほぼ一年となり、健康に気遣う年になってしまったが、この国のことを考えると、やむにやまれぬ思いがこみ上げてならない。とくに、地方は経済的に深刻の度を増しており、すぐにでも景気対策を講じなければ、それこそ焼け野原である。さらに、三島由紀夫ではないが、この国の経済界は、金儲けしか頭になく、国柄を次々と壊すことに手を貸している。中共の膨張主義に対しても、危機感を抱くのではなく、歓迎している節すらある。政治の面では、メルトダウンが進み、サヨク政権の誕生が、そこに拍車をかけている。本来であれば、救国戦線を結成し、サヨクを排除し、国家としての体面を取り戻し、歴史と伝統を踏まえるべきであるのに、その道筋は果てしなく遠い。しかし、ネットを通じて、声なき声の国民が、それこそ素手で戦っている姿に、感銘を覚えてならない。そうした一人ひとりの力が結集されて、この国は守られているのである。今年もまた、草深い会津の地にあっても、臆することなく、保守派としての言論戦を挑みたいと思っている。戦いはこれからが正念場なのである。  

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豪雪の会津にて 5首

2011年01月17日 | 短歌

地吹雪の身につまされし会津野に深情けとは越後女よ  

かくまでに悲しみだけの歳月を惜しむだけなり雪の深さに  

身をけずりブログ続けし人ありて才なきわれも襟を正さん  

雪原にわれ仰向けに倒れたり月はゆっくり傾いてゆく  

しばれたる冬好みたる光太郎かの山荘は花巻の在  

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