草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

福島県民を死の灰の街に戻そうとする人でなし政権

2011年09月30日 | 災害

 民主党政権は今日夕方、緊急時避難準備区域を解除することにしているが、安全でもない場所に人々を戻そうとするのを、私たちは黙っていていいのだろうか。これまで民主党政権は、マスコミを通じて除染に国が責任を持つと大見得を切っていた。急に方針を転換して、年間5ミリシーベルト以上の所に限るというのは、騙し撃ちそのものではないか。飯舘村にしても、除染の目標は年間1ミリシーベルトである。それを考慮せずに高目の数値を設定しているのは、断じて許されることではない。そうした線引きをされてしまうと、年間5ミリシーベルト以下の場所は、国が手を出さないたわけだから、各市町村が自前で行うしかなくなる。本来責任があるはずの国や東京電力が、まるっきり逃げ腰では、除染自体が中途半端になってしまうのは目に見えている。セシウム137は半減期が30年といわれる。死の街に帰って、昔のように生活しろというのは、血も涙もない人間がいうことではないか。本当に福島県の子供たちのことを考えているのだろうか。マスコミは奥歯に物が挟まったようないいかたをしているが、それでも難問山積なのを認めざるを得なくなっている。それだけに、国家権力が人でなしな仕打ちをした日として、9月30日は日本人の記憶から消えることはないだろう。

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原発事故発生時に逃げ出した池田副大臣を追及せぬマスコミ

2011年09月30日 | マスコミ評

 日本のマスコミは救いがたいほど堕落している。去る28日の参議院の予算委員会で自民党の森まさこ議員が、原発事故の発生時点での民主党政権のデタラメな対応を批判していたが、それについて一言も言及してこなかったからだ。とくに今回の質疑で明らかになったことは、当時の池田元久経済産業副大臣が真っ先に逃げだしたという、とんでもない事実である。多くの子供たちを放置したままで、ヨウ素財も配布せずに、自分の命だけを守ろうとしたのである。森まさこ議員は、逃げ出した後の政府対策本部の事務所にも足を踏み入れたという。そして、写真も全部撮ってきたのだった。このことはマスコミも知っていたはずなのに、どこも報道することなく、民主党政権の隠蔽に片棒を担いできたのである。スピーディを公表しなかったことに続いて、池田副大臣が逃亡したというのは、民主党政権の国民に対する裏切り行為である。マスコミは一体誰の味方なのだろう。ようやくここにきて、少しは政権批判を行うようになってはきたが、ネットと比べるとまだまだであり、及び腰なのは明らかである。国会中継を見ていると、野田内閣の閣僚は陳謝ばかりである。それでも、ニュースとして流されると、政府がまともな答弁をしているように見えるのは、放送前に編集が施されているからだろう。山本夏彦が喝破したように、いつの世もマスコミが国を誤まらせるのである。

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増税一本やりで除染対策費も中途半端な無能無策政権

2011年09月29日 | 政局

 民主党政権のお粗末さは目にあまる。自民党政権時代の大臣答弁よりも、格段に悪くなっている。野田佳彦首相を始めとする大臣の無能ぶりには、ほとほと呆れてしまう。「緊張感を持って」「きちんと」「しっかり」というような形容詞のオンパレードである。役人が書いたペーパーを読むだけで、まともに議論ができる大臣が一人もいないのだから、顔を洗って出直すべきだろう。さらに、劣勢になるのを見越して、参議院予算委員長に石井一を据えたのには嗤った。みんなの党の小野次郎あたりから、暴力団の取締りが国レベルでは生ぬるいのではないか、という質問が出たりすると、すぐに石井の顔を覗きこみたくなるのは、私だけではないだろう。そして、ここ3日間の衆参の予算委員会の質疑で分かったのは、野田内閣は増税をやりたがっているということだ。それが一番の最優先事項で、それ以外はどうでもいいようだ。福島県内の放射性物質の除染にしても、、年間5ミリシーベルトを超える地域だけに限定したのは、予算を回したくないからだろう。県民の健康などは、どうなってもかまわないのである。そんなわけだから、民主党議員の拍手もまばらであった。財務省の言いなりになっているだけの政権なのに、一体どこが政治主導なのだろう。ちゃんちゃらおかしくて聞いていられない。

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未曾有の困難と危機と恐怖のただなかにある日本

2011年09月29日 | 思想家

 今この国をおおっている終末感は、命の際にある者の悲しみと一緒ではなかろうか。そこでは自らの命と対面させられることになるが、未来への希望が奏でられるわけではない。もはや死へと向かうしかないような絶望感に、多くの日本人は打ちひしがれてしまっている。そうした終末感というものは、大東亜戦争開戦前の雰囲気とどこか類似してはいないだろうか。戦後生まれの私は、この世に生まれてはいなかったが、父母や祖父母の話から、あの時代もまた、やるせない思いが支配していたことを聞かされたことがある。そういえば、日本浪漫派の中心であった保田與重郎も、昭和16年3月に執筆した「日本歴史学の建設」のなかで、「我々が切迫した生活の中で、我々の終末的な意識を支へて、いのちの思ひをたしかならしむるものを考へることは、もはやこの1、2年に於ては、我々の現実となったのである」「今日我々の経験してゐるものは、未曾有の困難と危機と恐怖である」などと書いている。滅亡への足音が迫ってくるのに対して、保田は言い知れぬ不安感を覚えると同時に、日本再生へのきっかけにしようとしたのだった。今の日本は無謀な戦争に突入するわけではないが、世紀末でもないのに、それ以上に深刻なことが起こりそうな予感がするのはなぜだろう。

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国民作家山岡荘八の名を汚す山岡消費者担当相の居直り答弁

2011年09月28日 | 思想家

 今日の参議院予算委員会では、山岡賢次消費者担当大臣の居直りがテレビ中継され、民主党の酷さをまたまた国民に印象付けた。消費者保護が役目であるはずなのに、マルチ商法に加担していたというのだから、ほとほと手がつけられない。嗤ってしまうのは、作家の山岡荘八にあやかろとして、苗字まで山岡にしたというのだから、驚き桃の木山椒の木である。山岡は、確か山岡荘八の娘と結婚したのではないかと思う。山岡荘八というのは、あくまでもペンネームであり、本名は藤野庄蔵。つまり、藤野家に婿入りしたのであれば、藤野賢次が普通である。それでは選挙に勝てないというので、わざわざ山岡姓を名乗ったのだといわれる。しかし、国民作家と呼ばれた山岡壮八とは、思想的には天と地ほどの隔たりがある。『徳川家康』の総延べ冊数で1000万部を売った作家は、天皇陛下への敬愛の念が人一倍であった。偉大な国民作家は、敗戦から17年後に「神雷従軍記」という一文を発表し、鹿屋基地から特攻出撃した西田高光中尉が口にした「われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう民族の誇りに」という言葉を書き記している。養父のようになれとは言わないが、山岡消費者担当相はもっと謙虚に答弁すべきではなかろうか。今のままでは山岡荘八の名前を汚すだけである。

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避難させず被曝を強いるだけの野田内閣の暴虐政治

2011年09月28日 | 災害

 緊急避難準備区域に住民を戻そうというのだから、福島県民のことなどこれっぽっちも考えていないのが民主党政権なのである。年間10ミリシーベルトを越える地域に、人を住ませるというのが、そもそも犯罪ではなかろうか。臆面もなくそれをやらかす神経には、憤りすら覚える。学校も病院も閉じたままなのに、一体どうしてコミュニティを再生できるのだろう。危険が分かっている場所に、のこのこ戻ってくる人たちが、どれだけいるというのだろう。逆に、福島市の渡利地区の何ヶ所かは緊急避難勧奨地点に指定すべきであるのに、国と県の方針が定まっていないこともあり、決定がずれこんでいる。そこが住めないと認定されれば、福島市全体に波及することを恐れているのだろうが、決断を先送りする無政府状態が現在も続いているのである。人口流出を避けたい福島市は、これから2年間かけて除染をすることにしているが、国の指針が明確でないために、人出が足りなければ、全国からボランティアを募るというのだから、いい加減さにもほどがある。さらに、各家庭に除染をしてもらおうという虫のいい話で、机上のプランの域を出ていない。危険極まりない作業に、ボランティアや一般市民を動員するという発想が出てきたのは、民主党政権が予算化する気がないからであり、もっともっと福島県民を被曝させて、実験材料にでもしたいのだろう。

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頭に血が上って大声でわめいた平岡法相は天才バカボン確定

2011年09月27日 | 政局

 上島竜平そっくりの野田佳彦首相、天才バカボンの平岡秀夫法相、イヤミそっくりの安住淳財相、猪八戒の枝野幸男経産相といった豪華キャストであったので、ついつい見てはいけないNHK見てしまった。そんな私の期待に応えてくれたのは、天才バカボンが息巻いたことである。サヨクを売りにしていた男が大臣になったのだから、批判されるのは当然なのに、それで頭にきて興奮してしまい、答弁の最中に突然わめき散らしたのである。これには周囲もビックリしてしまい、中井洽予算委員長からたしなめられて、ようやく正気に戻ったのだった。これまでも平岡法相は、犯罪者を弁護したりして、何をしでかすか見当がつかないといわれていた。それだけに、予想通りのデビューであった。しかし、天才バカボンだけに、見かけとは違って、平岡法相は経歴がまたすごい。東大法学部から大蔵省に入ったエリート中のエリートで、まさしく「天才なのだ」けれども、どっかずっこけているのである。これから何度も答弁の機会があるだろうが、バカボン節を披露してくれるのではなかろうか。平岡法相を始めとして、首を傾げたくなる大臣ばかりで、野田内閣の今後が思いやられる。支持率急降下は間違いないところだろう。それにしても、これほど酷い内閣がこれまであっただろうか。

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逃げに徹して論戦に応じない野田不完全内閣を嗤う

2011年09月27日 | 政局

 国民はどうして民主党内閣に怒らないのだろう。埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎の件一つとりあげてみても、明らかに国民への背信行為である。事業仕分けのときは、建設しないことに決めたのに、一転して強行する。あくまでもパフォーマンスでしかなかったのである。マニフェストでは、公務員の給料を2割カットするとかいっていたくせに、結局はこのざまである。昨日の衆議院の予算委員会について、マスコミは慎重な答弁に終始していると解説して、野田首相らをヨイショしているが、その実は逃げに徹しているだけだ。それを攻め切れない自民党がだらしないのである。石原や塩崎あたりでは、お坊ちゃんで話にならない。公務員の政党である民主党の実像をあぶり出し、改革などできないことを国民の前に暴露すべきだろうに、もう一つパンチに欠ける。総事業費105億円もかけて、高給取りの国家公務員に、モダンな宿舎を提供するなどということは、言語道断ではなかろうか。仮設住宅で厳しい冬を迎えようとしている人たちがいることなど、野田首相にはどうでもよいのだろう。国民を騙して政権をとった民主党は、次々と国民を裏切ってきた。仏の顔も三度という言葉があるが、何をしても許されると高を括っていると、後でとんでもないしっぺ返しを受けることになるはずだ。最初から逃げに徹している内閣を長持ちさせようというのが、そもそも間違いなのである。

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内陸部の会津でも放射能汚染と群発地震のダブルパンチ

2011年09月26日 | 災害

 つい先ほど会津地方で震度4の地震があった。体に感じるものとしては今日二回目。とくに、私が住む喜多方市では、下から突き上げる揺れで、地鳴りのような音がした。福島第一原発から100キロ以上離れていても、会津地方は原発事故の影響をもろに受けているのに、そこにまた内陸型の地震では、踏んだり蹴ったりである。3月11日以来、日本列島はゆがみが生じてしまったのではなかろうか。震源地は北塩原村の高曽根山(1443)あたりだといわれている。福島県と山形県の境に位置する山で、火山として爆発した記録もないはずなのに、一体何が起きているのだろう。私が心配するのは、その影響で磐梯山の火山活動が活発になることだ。磐梯山は明治21年7月15日の水蒸気爆発によって、11集落が埋没し、477人の犠牲者が出ている。井上靖の「小磐梯」という小説では「プン抜ゲンダラ、プン抜ゲロ」と子供たちが大声を張り上げる場面があるが、それに促されたかのように、磐梯山が大音響とともに「ブン抜ゲダ」のである。連日続いている群発地震は、高曽根山が磐梯山を挑発して、「プン抜ゲンダラ、プン抜ゲロ」と喧嘩を売っているようで、気が気でない。放射能だけでも手に負えないのに、磐梯山が「ブン抜ゲダ」ならば、会津にとっては最悪である。

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国家再建にあたって学ぶべきは漱石や鴎外の明治人の気骨だ!

2011年09月26日 | 思想家

 危機の時代であるからこそ、サヨクとは違って国家の再建を願うのは当然のことである。そこで思い出されるのは明治という時代である。江藤淳の『決定版夏目漱石』に収録されている「明治の知識人」は、今の私たち日本人に、多くの示唆を与えてくれる。江藤に言わせると、明治の作家たちは「反逆者すら国家に奉仕する作家としての、社会的責任を放棄しようとはしなかった」が、大正期の白樺派や昭和10年代後半の超国家主義にしても、明治の作家たちの系譜を受け継ぎはしなかった。「日本の作家たちは、大正期以後、ナショナリストであった明治作家に背を向けて、少なくとも主観的にはコスモポリタンである自己を誇りはじめた」からである。その流れが平和と民主主義という戦後日本の思想的枠組みとなり、現在もそれを引きずっている。江藤は国家を第一とすることと、個人の倫理観とをからめて論じている。自己を肯定しようとすれば、他人の利益と衝突することになり、独立した他者の存在が問題になってくる。だからこそ、それを克服するために、自己の欲望を超えた価値に従属すべきと考えたのが、漱石や鴎外であったというのだ。しかも、その価値が漠然としたコスモポリタニズムではなく、日本人としての文化的自覚に求めたことを、江藤は高く評価したのだった。

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