今の日本に現存する思想家で、左右を問わず読むに値するのは長谷川三千子位しかいないのではないだろうか。長谷川の祖父は元法政大学総長の野上豊一郎、祖母は小説家の野上八重子である。どちらかといえばリベラルな環境に育ったはずなのに、あえて保守の論客となったのは。冷徹なリアリストであるからだろう▼長谷川の『民主主義とは何なのか』というのは、世に持て囃されている「民主主義」の欺瞞と危険性を暴いている。フランス革命に代表されるように、それは共同体の伝統的生活を破壊しただけであり、人々に多くの犠牲を強いることになった。それがプラスに評価されるようになったのは、第一次世界大戦や第二次世界大戦で、勝った国々が、自分たちを民主主義国家と位置付けたからだ▼ギリシャの民主制についても、長谷川は独自の解釈をし、ソロンが目指した「天の力や地の力の支えを祈り願わざるをえない」との謙虚な政治を重視する。そこにこそ「民主制」を実現するための理性の源泉があるからだ▼それが日本という国家の再評価にも結び付くのである。「民主主義の錯乱した『理論』は、国家と国民との関係に、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。その錯乱がとり除かれてみれば、国家と、それを保ってきた文化、伝統、歴史というものを、ほかならぬわれわれ自身の財産として素直に受け取ることが可能となる」。「民主主義」は機能させるにあたっては、独断を慎み、他者を尊重する日本の国柄が根本になくてはならないのである。長谷川の論理に説得力があるのは、国を愛する心が根本にあるからだろう。
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