草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

読売の民主党政権擁護のヨイショ記事をまたまた嗤う!

2012年01月31日 | マスコミ評

 読売新聞というのは、民主党政権にどれだけ借りがあるのだろうか。見ていて涙ぐましいほどだ。福島第一原発事故に関係する政府機関が議事録を作っていないことが問題になったらば、それ以前のことを調べ上げて、「政府が1995年の阪神大震災以降の大規模災害の際に設置した 緊急対策本部や非常災害対策本部の会議で、いずれも議事概要や議事録が 作成されていないことが31日、分かった」との提灯記事を書いて、必死にかばっている。つまりは、民主党政権の犯罪を免除しようとして、世論誘導をしているわけだから、もっとも悪質である。公文書に関する法律は平成21年に成立しているのであって、その知識も持ち合わせずに、民主党政権関係者からの情報を、そのまま真に受けたのだろう。御用新聞もいいところだ。民主党のやることは何一つもまともでない。マニフェストに始まって、原発事故、TPP、消費税増税の全てで、国民に真実を知らせる気がないのである。まさしくいかさま師であり、詐欺師の類である。そして、そこのお先棒を担いでいるのが大マスコミなのである。読売新聞は恥ずかしくないのだろうか。そんなことをして、一体何が得なのだろう。そうでなくても、国民にとっては、新聞もテレビもどうでもいい存在になっている。自分たちが墓穴を掘っているのだから、どうしようもないが。

 
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武家の女性の矜持貫いた会津烈女新島八重

2012年01月31日 | 歴史

 来年のNHKの大河ドラマに新島八重が取り上げられる。それに先立って、週刊紙などでも八重関係の連載が始まったり、八重を扱った本も出始めているが、どことなく食い足りない気がする。いつ生まれて、何をしたかを並べ立てただけで、その人間の姿が目の前に現れてこないからだ。実際にどんな人間であったかを知りたければ、会津藩が一身に背負わざるを得なかった悲劇を、正面に据えるべきだろう。それは年号がどうだかという客観的なことではなく、一つの厳粛なる事実である。会津藩は急ごしらえであったがゆえに、かえって武士道の何たるかを追求した。武士道について葦津珍彦は「かれらは、その行動において、勇敢であったばかりでなく、その心の内においても、卑劣卑賤の状の生ずるのをきびしく抑圧した。それはかれらがつねに彼岸の先人の前に立っていると信じたからであり、あの世の故人には、心の内までもが見透かされると信じたからであった」(『武士道「戦闘車の精神」』)と書いている。八重はまた、そうした精神風土の中で育ったのである。いくらプロテスタントの会衆派に属するようになっても、そこから抜け出すのは難しかったはずだ。八重のことが話題になるのは大歓迎であり、少しでも会津のPRに役立つことになれば、と願って已まない。ただ、その場合でも、武家の女性の矜持を守るために、懐剣を手放さなかった時期があったことを、正しく伝えてもらわなくては。

 
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西田議員の動画サイトに加えられた言論テロを許すな!

2012年01月30日 | 政局

 反民主党的なブログを書いたり、動画サイトを上げたりすると、いつかを嫌がらせをされると思っていたが、自民党の西田昌司参議院議員の動画サイトを利用できないように、ポルノ動画を転載したというのだから、とんでもないことだ。産経あたりは「動画サイト乗っ取り」という見出しを付けておちょくっている。言論テロであることを、どうして強調しないのだろう。ネットの意見を見下げているのだろう。ヤジ将軍とか言われても、正論を吐く西田議員は、日本という国家を第一に考える者にとっては、かけがえのない政治家である。反対派は、何が何でも彼の口を封じてしまいたいのだ。今国民がすべきは、西田議員と同じく、拳を振り上げて怒ることではないか。日本全体の生死を決する可能性があった福島第一原発事故について、それに関係する政府内の組織で、議事録を作成していなかった、と民主党政権はほざいているのである。それをどうして許すことだできよう。そのプロセスを明らかにしないことで、彼らは責任を逃れたいのである。ネットによって民主党政権がどんどん追い詰められていくと、西田議員への言論テロに続いて、今後も様々な攻撃が予想される。だからこそ、私たちは、今こそ声を大にして叫ぶべきだ。「西田議員に対する言論テロを断じて許さないぞ」。そして、政権交代が実現するまで、追及の手を緩めてはならないのである。

 
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語られざる刃としての土俗的情念を代弁した現代の眼

2012年01月30日 | エッセイ

 会津は今日も雪である。まだ若干風邪気味だが、ペースは戻りつつある。2、3日前の熱っぽいときには、熱っぽいことを考えてしまうもので、10代後半の愛読書が「現代の眼」と「論争ジャーナル」あたりであったのを思い出して、あのときの雑誌が手元にあれば、一瞬でも、その時代に戻れるのではないか、という気がしてならなかった。幸福な日々であったわけではなく、心もとない生活ではあったが、ある種の希望はあった。いやそれはうがった見方で、それを創りだそうとしていたのかも知れない。「現代の眼」の元編集者をしている人と、私は懇意にさせてもらっているが、彼と話していると、ついつい竹中労、松本健一、桶谷秀昭らの当時の執筆者の名前が出てきて、盛り上がってしまう。私のような保守民族派がどうして手にとったかというと、新右翼のイデオローグも、そこで書いていたからだが、それ以上に、当時の新左翼には、ナショナリズム的情念が感じられたからである。それは文章に直接吐露されていなくても、語られざる刃として、その刃先はまぶしかった。今の民主党政権を担っている中に、団塊の世代の全共闘グループが含まれているというが、彼らに共感を感じないのは、その情念を一欠けらも継承していないからだ。「現代の眼」はすでに廃刊して久しいが、変革の時代には、それ相応の月刊誌があるべきだと思うのは、私の無い物ねだりだろうか。

 
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大増税でしか月額7万円の最低保障年金の実現は無理!

2012年01月29日 | 政局

 千万人といえども吾往かんーとの志を抱いた政治家は、民主党には一人もいないのだろうか。国民の最大関心事である年金の問題について、どうして堂々と訴えないのだろう。それによって政権を失おうとも、正論だと思うならば、国民に語りかけるべきではなかろうか。民主党という政党は、もともとは労働組合をバックにしているために、大きな政府を目指すのだろう。税金を高くして社会保障を厚くしたいのではないか。大部分がサヨクであることを隠す必要はないはずだ。衆議院のマニフェストに明記した月額7万円の最低保障年金を実現するためには、消費税の10パーセントアップでは間に合わず、さらに、7パーセントの引き上げが求められるという。それを昨年の3月に党内でまとめておきながら、なぜ公にしないのだろう。民主党政権のやることは、万事が万事その通りである。試算公表を先送りして、またまた国民を騙そうというのだろうか。できもしないことを並べ立てて、何一つ実現できず、政権の延命にだけ汲々としているのは、政治家として失格ではなかろうか。行政改革を断行するとか、埋蔵金があるとか触れて回って、挙句の果てがこのざまなのである。不甲斐ないにもほどがある。そこまで言われたくないというプライドがあれば、正面から国民と向き合うべきである。今のままではあまりにも姑息で、人間の器が小さ過ぎる。

 
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健さんの歌を口ずさみ無能な政治家を徹底追及しよう!

2012年01月29日 | 社会風刺

 今の政治を論じようとすると、無性に腹が立ってくる。国民の多くが同じ思いをしているにではないだろうか。役にも立たない政治家を叩き潰すための戦いの歌として、平岡正明は健さんの「男の裏町」「網走番外地」「唐獅子牡丹」などを挙げていた。健さんのきつい目で、にらまれたら、政治家は震え上がるだろうし、そこでドスのきいた声で、「国民を舐めるんじゃねえぞ」と啖呵を切ってもらえば、溜飲も少しは下がるのではなかろうか。平岡は「彼の歌はどれも暗い。ことごとく低唱である。しかし、絶対に意気軒昂とは歌われないご詠歌みたいな歌が、日本の男の戦闘の歌であり、一匹の男が獣のような目を燃やししているものだと気づいた」(『歌入り水滸伝』)のである。保守民族派である私は、ご他聞にもれず、ほとんどの軍歌を知っているが、それ以外にも戦いの歌があるというのだ。男一匹戦うときは「義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界幼なじみの観音様にゃ俺の心はお見通し背中で吠えてる唐獅子牡丹」と歌うのである。上手下手はどうでもよいのであり、しんみりと情感を込めればいいのである。こんな日本であれば、昔のような軍隊があったならば、ためらうことなくクーデターを敢行しただろう。しかし、それを自衛隊に期待する方が無理だ。銀幕の健さんがすごんだように、国民一人ひとりが政治家を追及するしかないのである。

 
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口先だけでごまかそうとして仁の心が欠けている政治を憂う!

2012年01月28日 | 政局

 どうして民主党の閣僚はピントはずれなのだろうか。福島第一原発の事故の対応にあたっ原子力対策本部などが議事録も議事概要も作成していなかった問題で、岡田克也副総理が「忙しくて人手もなくて、記録が残されなかったのが現実ではないかと想像している」述べたのには怒りを覚えた。いくら何でも政府機関なのであり、どのような決定が行われたかについては、民主党が嫌いな官僚が克明にメモをとっていたはずだ。自分たちの「犯罪」を隠蔽したいがために、そんなわけのわからないことを口走ったのだろう。嗤ってしまうのは「忙しくて人手もなくて」という弁解自体が、思いつきの域を出ないことである。だからこそ、わざわざ「想像している」という言葉を補足する必要があったのだ。原子力対策本部などに関係した官僚は、民主党政権による情報操作に加担するのではなく、国民のことを考えて、真実を明らかにすべきではなかろうか。嘘吐きの代名詞になっている民主党政権を倒すには、それがもっとも効果的であると思うからだ。また、野田佳彦首相も、施政方針演説で「がんばっぺ福島」を口にしたが、福島県を知らない者が、上から目線で福島県民を小馬鹿にしたような言い方であった。誰が教えたのか知らないが、会津は「がんばんべ」、中通りは「がんばっぺ」、浜通りは「がんばっぱい」なのである。そんなことで揚げ足をつるつもりはないが、巧言(こうげん)令色鮮(すくな)し仁で、政治ができると思っているのだから、救いがたい連中である。


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会津の冬は地面から冷気が突き上げるモノトーンの世界

2012年01月27日 | エッセイ

 会津は毎日が雪の連続で、地面から冷気が突き上げてくる感じで、突き刺すようにピリピリとする。先月までは京都や東京へと大忙しだったが、少し気が抜けたと思ったらば、風邪をひいてしまった。一日頼まれている仕事を放り出して体を休めたので、少しは体力が戻ってきた。今の会津の寒さといったらば、言葉にできない位だ。若い頃と違って、側に風邪の人がいても、すぐにうつらないが、一度罹ると治りにくいのではなかろうか。寝転がって松原泰道著の『きょうの杖言葉』を読んでいると、良寛の「死ぬ時節には死ぬがよく候」という手紙の一節が紹介されていた。どことなく突き放された言葉のように思うが、良寛は手抜きをせずに、残された命をまっとうしろというのだ。松原も「自分のことですから、観念や概念といった、抽象的な受け止め方ではなく、具体的に、自分の死を学ぶべきです」とコメントしているが、百歳の人に言われると、説得力がある。還暦を前にすると、私も自分の寿命をいうことを、ついつい考えてしまう。だからこそ、物事が全て億劫になってしまうのだろう。これを書いている今でも、戸外では雪が音もなくしんしんと積もっている。その世界はあくまでもモノトーンの世界であり、ときたま雲間から月の光がこぼれてきたりすると、あまりにも静寂過ぎて、死後の世界が広がっているような気がしてならないから不思議だ。

 
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弱者を敵に回し強者に加担するのが言論人の習性だ!

2012年01月27日 | マスコミ評

 日本のマスコミが政権与党に媚びる姿というのは、ジャーナリズムとしては失格ではあるが、そこまでするには、それなりの理由があるのだろう。エリック・ホッファーが『大衆運動・高根正昭訳』で指摘しているように、虐げられた者たちへの同情というのも、「自分が獲得したかもしれない権力への憎悪から生まれるので」あり、「言論人はふつう、権力の座にある人々によって、彼にふさわしい優越した地位につくことを認められると、弱者を敵に回して強者に加担するためのあらゆる種類の高尚な理由を発見する」のである。朝日新聞から読売新聞までの大増税の合唱は、民主党政権によって、多大の恩恵を受けているからだろう。東日本の復興が進んでいないことなどどこ吹く風で、大増税を支持するのだから、自民党政権時代の対応とはまるっきり違っている。エリック・ホッファーは「ナチスドイツと、ボリシェビッキ・ロシアの甘やかされチヤホヤされた言論人は、残酷な指導者とその秘密警察に反抗してまでも、迫害され恐怖政治で支配された人々の味方をしようという衝動は感じないのである」と痛烈に批判したが、それはそっくり、今の日本のマスコミにもあてはまるのである。大新聞やテレビ局が民主党政権を擁護するあまり、原発事故をめぐっても、まともな報道をせず、多くの国民を被曝させるのに、手を貸したのである。そのマスコミの言うことなど、どうして私たち国民が信用できるだろう。

  
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小林秀雄流にいうなら野田首相の声の調子は真実味ゼロ!

2012年01月26日 | 思想家

 野田佳彦首相はどれだけ信用できないかは、声のトーンを聞いていればよくわかる。小林秀雄のエッセイに「年齢」という短編がある。小林はそこで「自分は長年の間、思索の上で苦労してきたが、それと同時に感覚の修練にも努めてきた」の述べながら、60になってようやく、「両者が応和するのを覚えた」と自信を持って語ったのだった。観念を振り回すだけのインテリをコテンパにやっつけてきただけあって、「自分のように耳の鍛錬を重ねてきた者には、人間は、その音声によって判断できる、またそれがいちばん確かだ、誰もが同じ意味の言葉をしゃべるが、しゃべる声の調子の差異は如何ともし難く、そこだけがその人の人格に関係して、本当の意味を現す」と断言するのである。そして、「この調子が自在に捕らえられるようになると、人間的な思想とはすなわちそれをいう調子である事を悟る」のだとか。だからこそ、小林は「論語」にある「耳順」という言葉にこだわったのである。大新聞の社説は、こぞって民主党政権の増税路線を支持している。野田の演説がすばらしい、とも絶賛していた。しかし、東大を出たインテリでない一般の国民の方が、小林が問題視するところの、「しゃべる声の調子」に敏感なのである。だからこそ、ネットを通じて、民主党政権打倒の気運が高まっているのだ。足が地に着いている小林の意見は、まだまだ色褪せないのである。

 
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