草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

賀状が届かぬ友を偲びて 5首

2011年01月05日 | 短歌

うらぶれて世に隠れたる我なりし君の便りでほのぼのとせし

櫛の歯が欠けるように姿消ゆ賀状届かぬ友を偲べり  

キュンとする思い出ありし飯田橋「ひろごり」なりし喫茶店も  

椎名町山手通りの路地裏は向田邦子の舞台になりしか

いざ去らば夜行列車にも揉まれきし頭に巻きし包帯の白

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民主党の最古参恒三代議士は郷党のために何をしたのか!

2011年01月05日 | 思想家

 地方がここまで深刻になってくると、政治家に対する風当たりが強くなるのは、至極当然なことだ。東亜連盟を組織した石原莞爾の側近に会津人和田勁がいた。明治28年の生まれで、会津藩家老であった西郷頼母とも親戚であり、文武両道に秀でていた。石原の満州経営に協力し、日、韓、漢、満、蒙の五族協和をスローガンにした、靖安遊撃隊の司令として、治安の任にもあたった。満州を王道の地にするという夢は結果的には敗れたが、反骨の気風は一貫していた。満州時代の和田が、福島県人会が主催した外交官林権助の歓迎会の席上、「林閣下、あなたは我が郷党の為に何をなさいましたか、これからは我が郷党の為にも御尽力を戴きたい」と大声で注文をつけたことがあった。同郷の会津人である林に向かって、郷党の者たちへの支援を訴えたのだ。一瞬林も驚いたようで、「無礼者」と大声を張り上げたが、相手が会津藩の名門和田一族の者だと知ると、「さもありなん」と機嫌を直したのだという。破滅に瀕している会津の現況を見るにつけ、一度も落選せず、14回もの当選を重ねている渡部恒三代議士に、同じ言葉を浴びせたい衝動に駆られてならない。会津だけが、地方だけが良くなればいいと考えているわけではない。郷党の者たちが日々の暮らしに困っているのに、東京人になりさがっている根性が、腹に据えかねるのである。

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