草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

新自由主義と公共事業悪玉論に安倍首相は怯むなかれ!

2013年01月31日 | 思想家

 安倍晋三首相は政治家であるから、気配りが大事なのだろう。しかし、あまりにも新自由主義にいい顔をし過ぎると、取り返しがつかないことになる。ここは踏ん張ってもらうしかない。西部邁がうまいことを言っている。「競争・競合がアクロバットにも似た危ない作業であり続けるなら、そんな作業を強いる場が強大な社会制度として持続するはずがない。比喩的にいえば、市場の競争・競合は『一本の丸太を渡る』ほどの安全でなければならず、そのように安全度を具体的な場面で高めてくれるのが組織なのである」(『エコノミストの罪』)。アベノミクスが喧伝されたために、来年の新規大卒者の内定者が2%増加しているという。株価も上がっている。不景気な時であれば、公共事業が大きな役割を果たすのである。西部も指摘しているように、「ツケを子孫に残す」というのは「語るに落ちた」議論だ。公的な組織の国による公共事業とは、子孫に有益な公共資産を形成することが目的であって、それ自体が悪であるわけがない。今こそ私たちは西部の主張に耳を傾けるべきだろう。「私はいいたい、破壊的(非創造的)改革に舞い上がるのはむろんのこととして、それに追随するのを惰性とするような生き方は、過去世代の他者(つまり我らの祖先)への冒涜である、と同時に未来世代の他者(つまり我らの子孫)に危害を加えるのだと。そんな自由を現在世代に許してならないのである」(『同』)。政治は妥協であっても、根本的な考え方はぶれてはならないのである。負けるな安倍首相。


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スポーツの世界にもあてはまる山本五十六の言葉!

2013年01月31日 | 世相

 日本中のいたるところで、しごきという名の暴力が横行している。とくに、柔道の女子選手15人が、監督から暴力を受けていたという件が発覚し、大変な騒ぎになっている。格闘技の世界であっても、許されるべきではないだろう。以前であれば、「愛の鞭」という言葉で呼ばれてきたのではなかったか。甲子園に出場する高校などでは、バットで尻を叩かれるのは、日常茶飯事だとも聞いたことがある。歯を食いしばって、そのしごきに耐えることで、不屈の闘志がわいてくる。監督や選手もそう思いこんできたし、周囲の関係者も、目くじらを立てなかった。問題視されるなってきたのは、最近になって陰湿な面が出てきたからではないだろうか。特定の人間を、見せしめの対象にして、徹底的に苛める。それがエスカレートしてきているのではないか。かつて日本の軍隊で行われてきたことであり、度が過ぎると、自殺とかの悲劇を引き起こすのである。ここはやはり、山本五十六の言葉を思い起こすべきだろう。「やってみせて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」なのである。選手や部下を指導するにあたっても、やみくもに殴ったり、罵倒したりでは、かえって信頼関係を失ってしまうのだ。まずは自分が手本を見せ、それを説明してやり、それからさせてみて、いい点をほめてやるのだ。立派な指導者とは、それを実践している人をいうのだろう。


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安岡章太郎が悄然とした会津若松市七日町の涙橋周辺!

2013年01月30日 | 思想家

 安岡章太郎が歩いているのを、私は目撃したことがある。それも会津若松市役所の目の前であった。そこにタバコ屋があったので、洋もくを購入していた。『流離譚』の取材のために、会津を訪れていたのだろう。どうしてタバコなのだろう。私は腑に落ちなかった。その安岡が去る26日に亡くなっていたことが、今日のニュースで伝えられた。『流離譚』をもう一度読み返してみたが、やっぱり気になったのは、慶応4年8月25日、父方である安岡覚之助が戦死した、会津若松市七日町涙橋周辺の情景描写だ。土佐勤王党の覚之助は天誅組に加わったために、長い間獄中にあったが、その後に板垣退助が率いる土佐軍の一員として、会津戊辰戦争に従軍した。「私は教えられた道を市街の西の七日町という方へ歩いて行った。と突然、街はずれたあたりで、荒涼とした景色が周囲にひろがっているのが見えた。もとは田んぼであったのだろうか。しかし、いま眼の前に見えるのは、ただ掃溜めのように汚れて疲れ切った湿地だった。覚之助は本当にこんなところで死んだのだろうか。私は文字通り絶句したまま、胸の中でむなしくそんな言葉をつぶやきかえした」。安岡ならずとも、あの場所に立てば、同じ感慨にひたるはずである。安岡は小説家らしく、自分の感性で確認したかったのではないか。だからこそ、タバコ屋に立ち寄ったのであり、涙橋周辺があまりにも殺風景なのに、悄然としてしまったのだろう。


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アベノミクスの財政出動はケインズ理論そのものだ!

2013年01月30日 | 思想家

 経済学の世界で何が今起きているのか。それを知る上で、間宮陽介の『市場社会の思想史』は大いに参考になった。間宮によると、ケインズ脚光を浴びたのは「市場経済を補完する形で政府が財政・金融政策を採り、それによって景気を安定させる必要性を説いた」からであった。ケインズ理論が1960年代までは、世界各国の経済政策の基礎になった。1970年代になると、二度のオイルショックなどで、経済成長が鈍化し、財政赤字が深刻になった。ケインズ理論の総需要管理政策が批判にさらされ、マネタリズムや合理的期待派が台頭し、「人間の合理性に全幅の信頼を置き、政府の諸規制を緩和して経済主体の自由度を最大限に高めようとする経済学」が主流となった。しかし、1990年代の終わり頃から様相が一転した。レーガノミックスやサッチャリズムがもたらした社会的不公平が、是正されなくてはならない局面を迎えたからだ。安倍晋三首相の経済政策であるアベノミクスも、目玉は金融の緩和、財政政策であり、まさしくケインズ理論そのものである。財政政策による「公共支出の増加は国民所得の数倍の増大をもたらす」という乗数効果を念頭に置いており、そこにプラス成長戦略なのである。「ケインズに帰れ」という単純なものではないだろうが、ケインズ理論が再認識されていることだけは、アベノミクスからも理解できる。過去の亡霊が復活することはないとしても、時代によって、ケインズ理論の評価も、大きく様変わりするのである。


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サヨク政党の四分五裂は太宰が予想した通りだ!

2013年01月29日 | 思想家

 なぜ日本のサヨクは駄目なのだろうか。黒ヘル全共闘の末端にいた私は、中核と革マルとの内ゲバを何度も目撃した。党派のイデオロギーを自分自身が信じていないために、それがかつての同志に投影され、「裏切り者」と鉄パイプを振り下ろすことになったのではないか。情け容赦なく「殲滅する」というのは、正気の沙汰ではないからだ。サヨクが巣食った民主党の分裂劇も、身近な存在に向けられた近親憎悪であり、これまでの縮小再生産でしかない。罵倒し合うのはそのせいだろう。太宰治に「徒党について」という一文がある。吉本隆明が『擬制の終焉』で引用していたので、そこで私は初めて知った。「『徒党』というものは、はたから見ると、所謂『友情』によってつながり、一把からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調だか口調だかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その『徒党』の中に居る人間である。かえって、内心、頼りにしている人間は、自分の『徒党』の敵手の中に居るものである」と喝破したのだった。あえて他者との差異を強調することで、イデオロギーとして純化路線に徹するのは、本当は自分に自信がないからだろう。サヨクというのは、日本の歴史や伝統から自由であろうとして、自らの拠り所を見失ってしまった人間たちである。そんな人間同士が争うわけだから、人殺しを正当化したとしても、当然の成り行きなのである。


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母が子に残した「未来への手紙」に込められた世界!

2013年01月29日 | 政局

 意識するかしないかは別にして、日本人は死者とともにあるのではないだろうか。昨日の所信表明演説のなかで、安倍晋三首相は、東日本大震災で、ひいおばあさんと母親を亡くした少女のことを取り上げていた。被災から2ヶ月後に、少女のもとに一通の手紙が届いた。少女が小学校に入学したのを記念して、母親が内緒に書いていた「未来への手紙」であった。「げんきに学校にいってくれるだけで、とても安心していました」と親心が綴られていた。もうこの世には存在しない母親ではあるが、我が子のために、自分の思いを伝えることになったのだ。死者たちは黙して語らなくても、彼らが口にするはずの言葉に、真摯に耳を傾けてきたのが日本人であった。安倍首相は、所信表明演説の冒頭で「国家国民のために再び身を捧げんとする私の決意の源は、深き憂国の念にあります」と述べた。「憂国」とは何か。それは生者におもねることではない。国を憂うというのは、過去から受け継がれ、未来に引き渡すべき、日本の国柄を保守することだ。遅々として進んでいない東日本大震災の復興、50兆円にも上る国民の所得と産業競争力が失われたデフレと円高、我が国固有の領土に対する挑発が続く外交と安全保障の危機、それらに対処するにあたって、安倍首相の根本にあるのは、先人たちが築いた祖国を、死守せんとする強い信念だ。愛情深い母親が娘に書き残したように、日本の先人たちが書き残した「未来への手紙」を、常に心にかけているのが安倍首相なのである。


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茨城にて5首

2013年01月28日 | 短歌

黒髪がなびいてさみし大洗見知らぬ人の眼差しゆれて

手に付きし黒土かなし会津なる雪国われはかなわぬ世界

アクセントなき人われは訪ねたり東国人の暗喩なりせば

水戸会津尊皇なりしもののふが粗末にせしは命なりしか

西見れば雪雲なりし今もなお帰る世界は常世の闇に

 
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国家の生命は永遠であると考えたのが柳田国男だ!

2013年01月28日 | 思想家

 ようやく今の日本人は、日本の大本に目を向けつつあるのではないか。過去から現在、そして未来をつなぐベースがあって、それを守るのが日本人なのである。左右を問わず、柳田国男に関心が高いのは、それをテーマにしているからだろう。60年安保闘争に敗北したブンドの一部が、日本の土俗性に立脚することで、舶来ではないオリジナルな革命思想を手にしようとしたのは、あまりにも有名なエピソードだ。『時代ト農政』のなかで、柳田は生きている者だけでなく、未来の日本人や、すでにこの世を去った日本人をも念頭に置いた。時代や階級を超えて、それが日本人の根拠となるからだ。「仮に万人が万人ながら同一希望をもちましても、国家の生命は永遠でありますからは、予め未だ生まれて来ぬ数千億の利益をも考へねなばなりませぬ。況や我々は既に土に帰したる数千億万の同胞を持って居りまして、其精霊も亦国運発展の事業の上に無限の利害の感を抱いているのであります」(『時代ト農政』)。それは同時に「仮令一時代の国民が全数を挙げて希望する事柄なりとも、必ずしも之を以て真に国の政策となすべからず」との主張にも結びつく。なぜならば、柳田に言わせれば「国家が其存立に因りて代表し、且つ利益を防衛すべき人民は、現時に生存するもののみには非ず」であるからだ。日本という国家は、生者だけで維持されているのではないのである。柳田民俗学が高く評価されるのは、生者の奢りをたしなめているからだろう。

 
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どん底から立ち上がる日本の姿を予言していた石原莞爾!

2013年01月27日 | 思想家

 東亜連盟の生き残りで、福島県議会議員でもあった植田英一氏が「石原莞爾を考える」という冊子を出している。いつ発刊された定かではないが、平成22年1月13日の日経新聞の記事が掲載されており、それほど昔のことではなさそうだ。「はじめに」のなかで植田氏は「私は、石原莞爾先生に傾倒し、先生に直接お会いして話を聞き、著書を読み、先生の示した道標を検証しながら生きてきました」と書いている。敗戦直後に週刊朝日や週刊読売のインタビューに答えた『石原莞爾先生談話集新日本の道標』を再録し、そこに植田氏自身が文章を付け加えたのだった。とくに、私が感銘を覚えたのは、石原が敗戦後の日本の将来を予言した言葉である。「日本は今後物心両面に亘る恐るべき疾風怒涛時代を迎えるのである。アメリカは自己の善とする生活文化、洋式、思想を瀧のごとく如く注いで日本をアメリカ化せんとすることは明らかである」と述べながら、さらに、そこに英国的、ソ連式思想が加わってくるというのだ。そして、石原は「落ちて落ちてどん底に突き当たりどうにもならぬ時に至ってはじめて民族の魂が究極の拠り所を呼び求めるのである」と断じた。植田氏も「日本の姿がなくなった」と悔やんでいる一人である。「神の摂理というべき世界文化の過程を達観する」ことを前提にしながらも、日本人としての使命を再確認する。そこに石原の真骨頂があるのではないだろうか。


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アベノミクスの立役者藤井京大教授が内閣官房参与に就任!

2013年01月27日 | 経済

 アベノミクスの骨格を世に示したのは、藤井聡京都大学大学院教授だ。それをネットが支持することで、自民党が政権公約に取り上げざるを得なかったのである。そこにプラス成長戦略を盛り込むことで、新自由主義の竹中平蔵慶応大学教授らを取り込むことになったのだ。竹中教授を経済生性本部の産業競争力会議のメンバーにしたことに対しては、私は違和感を拭えない。しかし、政治には気配りも必要で、今の段階では静観するするしかない。それでも、藤井教授が内閣官房参与に就任したことは、一歩前進であったと思う。そして、去る25日には内閣官房に「国土強靭化推進室」が設置され、その室長には、杉田和博副官房長官が就任した。官邸主導で国土強靭化に取り組むことになったのである。内閣官房参与は安倍晋三首相や、担当大臣に直接意見を具申できる立場であり、10年で200兆円を動かすとなれば、藤井教授のようなスペシャリストが求められるのだろう。藤井教授の主張は明確だ。日本で住めるようにするために、どのような備えをすべきかを最優先に考えるのだ。川上からいえば、日本銀行の金融政策。次に財務省が検討する財政政策。何を使うかが各省の問題。さらに、自治体や財界も関係する。それを一体化して行うのが国土強靭化なのである。藤井教授はフェイスブックを通じて、自らの情報を発信しており、直接、私たちが意見を交換できるのも嬉しい限りだ。


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