草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

死んでも同じ国土を離れない日本人の魂

2023年08月14日 | 日本主義の哲学
 お盆の季節である。お墓参りをする人たちを見かける。日本人の土俗的信仰心は、未だに健在である。無意識なものであっても、日本人においては、生者と死者とが一体なのである。
 柳田国男の「死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである」(「魂の行方」)の言葉は今も息づいているのだ。
 東北地方南部を中心にして、日本中どこでもハヤマがある。葉山、端山、羽山、麓山と書かれることが多く、子孫の集落を見下ろせる里近くの山をそう呼ぶのである。
 柳田はそうした信仰を語るにあたって、それを「考へ出した」私たち日本人の先祖に対して、畏敬の念を抱いた。あの世に去ることもなく、身近にとどまっている死者の声を聞く、それこそが、日本の国柄を保守する者の立場でなくてはならないのである。
 葬式は仏教で、お祓いは神道で、さらにはクリスマスまでも祝う日本人であっても、根底にある土俗的信仰は、失われずに引き継がれているのだ。「先祖の顔に泥を塗りたくない」という素朴な感情がある限り、日本はまだまだ捨てたものではないのである。
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日本のよさを外国人に知ってもらうように努力すべきだ!

2018年07月23日 | 日本主義の哲学

東京のどこにいっても外国人が多い。肌の色も国籍も違う人たちがうごめいている。私たちの先人が欧米による民族人種差別に異義を唱えたことが、大東亜戦争の原因となったのである。日本が全面的に悪いとの東京裁判史観が間違っていることは、ようやく最近になって話題になっているが、敗者であっても、日本にも大義があったことを、堂々と主張すべきだろう▼日本を訪れる外国人の多くは、最先端の文明を享受しながら、その一方で、古いものを大切にする国柄に惹かれるのだという。それが何であるかを、私たち日本人は示さなくてはならない。それは日本民族の優秀さを披瀝することではない。和を尊び争いを好まないことを知ってもらうのである▼過去の日本の歴史を全否定するのではなく、世界に誇るべき美徳をPRするのである。これまでのような自虐史観を振り撒けば、日本と日本人を貶めるだけである。多くの外国人は、日本のよさを学ぼうとしている。私たちは日本人として、それを語る責任があるのではないだろうか。そのことが日本人にとっての戦後レジームからの脱却なのである。

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西部邁の先制攻撃をしない核武装論は傾聴に値する!

2017年09月10日 | 日本主義の哲学

もう一つ東京新聞に関係した文章を取りあげてみたい。西部邁が8月5日付に「米国追従でいいのか」との一文を寄稿しているからだ。西部も、恩師の清水幾太郎のように、核武装による日本の主権の回復を主張しているのである。西部が一時期転向したかのように思われていたが、それを読むとブンド全学連時代から変わらぬ精神が息づいているのを感じた▼アメリカに屈服することで平和を維持してきたのは、西部にとって屈辱なのである。とくに、核の傘に対する信頼が失われた今となっては、核武装しかないと結論付けるのである。しかも、近隣の諸国と同質性がなく、アメリカから自立できない浅ましい現状を考えれば、それしか選択肢はないというのだ。西部の主張は左右のラディカリストの立場と重なり合うのではないだろうか。代々木の官僚のような偽善的二枚舌ではなく、正直に本心を語っている▼ラディカリズムに立脚する者たちは、アメリカと距離を取るためにも、核武装に賛成するしかないのである。そして、核兵器による先制攻撃をしないと憲法に明記することで、人間としての良心を守り抜くのだという。国際政治の現実からして日本一国では守り抜くことは困難だとは思うが、能天気な平和ボケよりは説得力がある。西部の口から核武装という言葉が出てくるほどに、日本は危機なのである。国家の交戦権を奪われた国家は国家ではない。日本を国家たらしめる覚悟が今の日本人にあるかどうかなのである。


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欲望に背を向けた日本浪漫派保田與重郎の近代終焉の思想!

2017年05月09日 | 日本主義の哲学

明治になってからの本格的な開国によって、不幸にも日本の平安は破られたのである。文明開化が日本にとって良かったどうかは、判断の分かれるところではないだろうか。保田與重郎の『日本浪漫派の時代』は、過ぎし日の日本人は、権力の抗争を好まず、敗れた者に同情の念を禁じえなかったという。日本浪漫派の中心人物であった保田は「わが国では、日本武尊、御鳥羽院、西洋でいへばナポレオン・ボナパルト。あるいは木曾義仲や大伴矢家持などいふ、私が熱情を注いだ英雄と詩人は、みな偉大な敗北によつ、かへつて永遠な存在である」と書いた▼保田は「時代通念としての政治といふ立場に嫌悪感をもつに到つた」のである。保田の立場は明快である。「アメリカとソヴェートとは、その目的とする繁栄の欲望の点では何らの本質上のちがひもないのである。たゞ権力所在の方法としてとつてる政治制度だけがちがつてゐて、多少アメリカの制度が、くらしやすく自由で陽気で、ソヴェートの方が貧困で自由がなく陰気だといふがひがあつたが、ソヴェートの言ひ分では、これは過度的だといひ、歴史の必然性は云々と、きまりきった理屈がそてにつくのが、もはや無意味を越してゐた」▼国際情勢は平成の御代になっても変わっていないのである。目先の危機に対応するのはやむをえないが、根本においては、保田が主張した「アメリカもソヴェートも一挙に砕破するやうな態度」を求め続けるべきだろう。それこそが、保田が述べている日本人に課せられた使命のように思えてならないからだ。


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今の日本民族派は大陸と一線を画す日本ファーストだ!

2017年05月08日 | 日本主義の哲学

かつての日本の民族派は反共で一致していた。憲法改正が共通のスローガンであった。米ソの二大大国による冷戦構造が崩壊してから、様相が一変した。日本国内にある韓国の組織である民団が、朝鮮総連のように反日になってきた▼本国で北朝鮮に媚びる政権ができたことで、日本を敵視するようになった。それが日本の民族派の運動にも影響を及ぼしているのである▼日韓が険悪になってきているので、在日や韓国に関係のある者たちは、民族派と名乗らなくなっている。一時期脚光を浴びた、鈴木邦男氏ら一水会の新新右翼と呼ばれた人の声が小さくなり、影が薄くなっている▼同じ民族派であっても、行動する保守運動の若い人たちは、まったく違ったスタイルで支持を集めている。大アジア主義という観点から重要視していた韓国を、最初から相手にしないのである。かえって反日国家と位置付けている▼下手な妥協を排して、言うべきことを主張するのである。ある意味ではタブーへの挑戦であった。在日が経営者の大半であるパチンコ批判も、その一つである。明治維新以降、いくら韓国の独立を助け、支那の革命に協力しても、結果的に日本は憎まれただけであった。そこで日本人は過去の歴史から学習したのである。大アジア主義を掲げて恨まれ罵られるよりも、まずは日本ファーストでなければならないと。


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「おのずから成り行く勢い」として日本回帰が大きな流れに!

2017年03月22日 | 日本主義の哲学

日本の戦後民主主義は虚妄でしかなかった。それを是正しようとする動きが出てくるのは当然の成り行きであり、遅きに逸した感すらある。丸山眞男が『歴史意識の「古層」』で論じていた「おのずから成り行く勢い」としての「持続低音」が顕在化しつつあるのではないか。今こそ日本に回帰すべきであり、守るべき日本の国柄を再確認するときなのである▼進歩派であった丸山が、あえて日本の「古層」にこだわったのは、欧米の学問を根付かせようとして果たせなかった、インテリの宿命を痛感したからではないだろうか。あらゆる思想が受容されても、日本ではそれが土着することがなく、あくまでもフアッションに過ぎないのである▼そして思想とはもっと別な力が働くのである。それが「持続低音」なのである。戦後の民主主義のお花畑が通用しなくなっているのを、多くの日本人が認識するようになってきた。中共や北朝鮮が信義を重んじる平和国家でないことは、周知の事実となったからである▼もはや無防備でいることは、座して死を待つことであるのを、多くの国民が理解するようになってきた。核ミサイルなどによる攻撃の前に、敵地攻撃を容認しようとする意見が主流になりつつあるのは、一つの大きな流れなのである。使い古された意味もない理念は捨て去るべきだろう。失われた日本を取り戻すことなくしては、危機に対処することはできないからである。

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日本の国柄を簡潔な315文字で示したのが「教育勅語」だ!

2017年03月12日 | 日本主義の哲学

日本の国柄を示したのが「教育勅語」である。簡潔な315文字であっても、全てそこに表現されている。明治神宮崇敬会の小冊子「たいせつなこと」を参考にすると、「親に感謝」「兄弟仲良く」「夫婦協力」「友達を大切に」「常に反省」「博愛精神」「知識を求め徳を磨く」「公を大事に」「法に従う」「祖国愛」「伝統を受け継ぐ」「率先して手本を示す」の12なのである▼「教育勅語」は明治23年10月30日に出された。明治維新を成し遂げた日本は、世界の中の日本として、自らのアイデンティティを再確認する必要があった。そこで英知を結集してまとめられたのだった。占領軍の口頭命令によって、昭和23年に衆参両院で排除・失効の決議がなされたのである。そのときから日本国民は大事なバックボーンを見失ってしまったのだ▼軍国主義が説かれているとの批判はあたらない。まずは全文を読んでみるべきだろう。とくに「朕(ちん)惟(おも)フニ我ガ皇祖皇宗、国ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ」の冒頭の部分について、杉浦重剛は「朕」は万世一系の天皇を、「我ガ皇祖皇宗」とは「天照大神は、皇室の御先祖なると同時に、われら日本臣民の祖先なり」と解説している。皇室と日本国民は一体であるからこそ、「無私」としての天皇陛下を押し戴き、道徳を重んじる民族なのである。

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共産主義やアメリカニズムではなく今こそ日本主義への回帰を!

2017年01月31日 | 日本主義の哲学

トランプが新大統領になったことで、アメリカ流の民主主義の脆弱さが露呈したのではないか。それよりももっと切実な何かを人々は求めているのだろう。普遍的な価値の実現よりも、現状を変えて欲しいだけなのである。民主主義は民衆の支配ということであり、常に暴走する危険性を孕んでいる。それに待ったをかけるのがノモスとしての国柄なのである▼アメリカ流の民主主義にはそれが欠けているのではないか。アメリカもまたソビエトのように、この地上で楽園が実現すると思っていた者たちの、壮大な実験の場であったことは否定できない。聖書にもとづく国家を建設しようと、アメリカ大陸に渡ったメイフラワー号の末裔たちの信仰心は今も息づいているのである。宗教国家としてのアメリカは、文明の衝突のなかで、基盤が揺らいできている。彼らが理想とした自由とか民主主義よりも、自分たちのエゴか露骨になってきている▼ソビエト型共産主義に続いて、アメリカニズムもかつてのような栄光はない。文明史的観点からも、世界は大きな岐路にさしかかっている。今こそ日本は日本に回帰して、世界に大義を示すべきなのである。世界のどこを見渡しても、学ぶべき目標はない。日本人であることを拠り所にすべきなのである。混乱を最小限にし、秩序を維持していくためにも、日本は日本でなければならないのである。

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