トボトボ歩く
乙なもの
やるせない
浮世を生きて
その果ては
散った桜が
泥に濡れ
さもしい姿
悲しけり
涙こぼさず
見ています
物憂げなる風景は
滅びゆく日本の姿を
僕の前に現出する
荒くれた日本は
一体どこにいったのか
僕の父と母が生まれし時代の
金融恐慌と世界恐慌によって
ずたずたにされた日本は
血塗られたかなしみを
歴史にとどめたが
もはやこみあげる怒りは
どこにも見当たらない
ゾルレンとしての天皇陛下を
もはや拝み見ることはできないのか
僕らは一切を喪失せしか
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今も祖霊のおわす
みちのく会津に
ひしめいている亡霊の
ぼくは小さな影
辺境にありて国を憂う
予科練に志願し
プロペラで翔けた亡父の
誉れ受けつぐ
ひとひらの花びら
そとつ国に蹂躙され
悲しみは地をおおっている
ぼくは小さな影
悲しみが慟哭となる
深い闇をたたえているだけ
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これまでも多くの若者が祖国日本のために殉じたのであり、その精神は今後も語り継がれるべきだろう。橋川文三の「失われた怒りー神風連のことなど」を読んでいて、なおさらその思いを新たにした。私が丸山真男門下の橋川の見解を肯定するわけはないが、戦没者学生の『きけわだつみのこえ』に収録された田辺利宏の詩「夜の春雷」について触れている箇所は、通り一遍のサヨクの文章ではなかった。田辺は日大を出て福山市の女学校で3ヶ月間教師をし、それから応召され、昭和16年八月、支那大陸で戦死した。散華した戦友への鎮魂の調べは、どこまでも美しく悲しい。「彼らはみなよく戦い抜き/天皇陛下万歳を叫んで息絶えた/つめたい黄塵の吹きすさぶ中に/彼らを運ぶ俺たちも疲れはてていた/新しく掘り返された土の上に/俺たちの捧げる最後の敬礼は悲しかった」という詩の、どこにも祖国への憎しみや呪いの言葉はない。それと同時に橋川は「明るい三月の曙のまだ来ぬ中に/夜の春雷よ、遠くへかへれ/友を拉して遠くへかへれ」という結びの部分に、はぐらかされた気すらしたのだった。それはサヨクであることを己に課した橋川自身に問題があったからではないか。避けようがない虚無を目の前にして、一編の詩に己の生を昇華させるにあたって、最終的に脳裏をよぎるのは、命を捧げるにたる存在としての祖国日本なのである。
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おらたちがつくった米を
おらたちが食わんにくなる
そんなごとでいいわけねえべえ
百姓でねえ家では
九州から北海道から米を買うどか
おらたちはそれはでぎねえ
おらたちがたんせいこめでつくっただがら
どうして捨てられんべ
そんなごとでは罰あたんべ
あたり一面黄色くなったつうのに
気はふさぐばっかだ
おらたちはおまんまで育っただべ
一粒一粒ありがだいがら
神様に捧げもんしただべ
おらたちは米を食うだ
異形の者としてさばかっちも
おらたちはくたまにしねい
怨霊となってこの世にもどり
死の灰を降らした者を
ひっつかまえてやるだ
なじょしてでも
ひっつかまえてやるだ