草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

僕らの祖国は一切を喪失せしか!

2013年11月03日 | 

物憂げなる風景は
滅びゆく日本の姿を
僕の前に現出する
荒くれた日本は
一体どこにいったのか
僕の父と母が生まれし時代の
金融恐慌と世界恐慌によって
ずたずたにされた日本は
血塗られたかなしみを
歴史にとどめたが
もはやこみあげる怒りは
どこにも見当たらない
ゾルレンとしての天皇陛下を
もはや拝み見ることはできないのか
僕らは一切を喪失せしか

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辺境会津にありて国を憂う

2011年12月09日 | 

  今も祖霊のおわす

  みちのく会津に

  ひしめいている亡霊の

  ぼくは小さな影

  辺境にありて国を憂う

  予科練に志願し

  プロペラで翔けた亡父の

  誉れ受けつぐ

  ひとひらの花びら

  そとつ国に蹂躙され

  悲しみは地をおおっている

  ぼくは小さな影

  悲しみが慟哭となる

  深い闇をたたえているだけ

  

     

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田辺利宏の「夜の春雷」と散華した者たちへの鎮魂の調べ

2011年11月03日 | 

 これまでも多くの若者が祖国日本のために殉じたのであり、その精神は今後も語り継がれるべきだろう。橋川文三の「失われた怒りー神風連のことなど」を読んでいて、なおさらその思いを新たにした。私が丸山真男門下の橋川の見解を肯定するわけはないが、戦没者学生の『きけわだつみのこえ』に収録された田辺利宏の詩「夜の春雷」について触れている箇所は、通り一遍のサヨクの文章ではなかった。田辺は日大を出て福山市の女学校で3ヶ月間教師をし、それから応召され、昭和16年八月、支那大陸で戦死した。散華した戦友への鎮魂の調べは、どこまでも美しく悲しい。「彼らはみなよく戦い抜き/天皇陛下万歳を叫んで息絶えた/つめたい黄塵の吹きすさぶ中に/彼らを運ぶ俺たちも疲れはてていた/新しく掘り返された土の上に/俺たちの捧げる最後の敬礼は悲しかった」という詩の、どこにも祖国への憎しみや呪いの言葉はない。それと同時に橋川は「明るい三月の曙のまだ来ぬ中に/夜の春雷よ、遠くへかへれ/友を拉して遠くへかへれ」という結びの部分に、はぐらかされた気すらしたのだった。それはサヨクであることを己に課した橋川自身に問題があったからではないか。避けようがない虚無を目の前にして、一編の詩に己の生を昇華させるにあたって、最終的に脳裏をよぎるのは、命を捧げるにたる存在としての祖国日本なのである。

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まんまを食わんにくした国と東電を許さねぞ

2011年08月05日 | 

 おらたちがつくった米を 
 おらたちが食わんにくなる 
 そんなごとでいいわけねえべえ 
 百姓でねえ家では 
 九州から北海道から米を買うどか 
 おらたちはそれはでぎねえ 
 おらたちがたんせいこめでつくっただがら 
 どうして捨てられんべ 
 そんなごとでは罰あたんべ 
 あたり一面黄色くなったつうのに 
 気はふさぐばっかだ 
 おらたちはおまんまで育っただべ 
 一粒一粒ありがだいがら 
 神様に捧げもんしただべ 
 おらたちは米を食うだ 
 異形の者としてさばかっちも 
 おらたちはくたまにしねい 
 怨霊となってこの世にもどり 
 死の灰を降らした者を
 ひっつかまえてやるだ 
 なじょしてでも 
 ひっつかまえてやるだ  

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日の丸を身にまとい走れやまとなでしこよ!

2011年07月17日 | 

  真骨頂はチームプレイ   

  軽やかなドリブルとパス   

  肉体がぶつかり汗が飛ぶ   

  魂の美しい日本の乙女らよ   

  アメリカに負けるな   

  日の丸を身にまとって走れ   

  勝利をものにして   

  悲しみを吹き飛ばせ   

  死の灰にさらされ   

  人々はうちひしがれ   

  青空を欲している   

  魂の美しい日本の乙女らよ   

  遠つ祖が立ちつくし   

  目に涙たたえている

    悲しみを吹き飛ばせ  

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原発汚染を最悪にした奴らを許すな

2011年05月22日 | 

 国民目線と大口を叩いた奴らは 
 原発事故で右往左往し 
 ただただ逃げ回っている 
 浜から福島市に続く幹線道路は 
 死の灰を浴びて沈黙し 
 高濃度汚染地帯が広がった 
 放牧された牛が平和にくつろいでいた 
 子供が小川のせせらぎに手を浸していた 
 古里フクシマを返せ 
 田んぼに這いつくばれなくなった 
 古里フクシマを返せ 
 爆発前に風向きも教えず 
 大丈夫を連発した奴ら 
 原発への海水注入を止めた奴ら
 情報を隠しのうのうと官邸につめていた 
  奴らの犯罪をどうして許せようか

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民主党内の争いではなく今こそ国民が決起すべきときだ!

2011年04月27日 | 

 一度手にした権力を手放したくないために、民主党内でまたもやゴタゴタが始まった。選挙互助団体なわけだから、菅直人首相を失脚させようというのは、当然の成り行きである。しかし、もう一つパッとしない。これまでも本気で喧嘩する気がなくて、単なるガス抜きで終わっているように、見せかけの可能性が強いからだ。最終的には野合するしかないので、一度や二度は大声を張り上げても、すぐにしぼんでしまうのである。嗤ってしまうのは、福島県選出の民主党国会議員である。福島市や郡山市が大変なことになっているのに、政府に文句一つ言えない。福島第一原発のトラブルによって、そこに住めなくなるかもしれないのに、よくぞ悠長に構えていられるものだ。そのなかでも老醜をさらしているのは、平成の黄門様を自称している渡部恒三代議士である。国民を騙した張本人である菅首相をかばって、居直っている始末だ。同じ会津人として恥ずかしい限りだ。このままでは、国民が実力行使をすることになるだろう。今のような無政府状態は看過できないからだ。薩長の野望を打ち砕こうとした雲井龍雄は「題客舎壁」という漢詩をつくってから、京都を離れ、戦乱の世に身を投じた。今こそその志を継ぐときではなかろうか。  

 斯の志を成さんと欲して あに 躬(み)を思わんや 

 骨を埋む 青山 碧海の中 

 酔うて宝刀を撫し また冷笑し 

 決然 馬を躍らして 関東に向う               『雲井龍雄』田宮友亀著より  

 

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民衆を冒涜するエセサヨクを断じて許すまじ

2011年04月25日 | 

 サヨクを自称し、民衆の味方面をしていた連中が、名も無き民衆や子供たちを、死に追いやろうとしている。「福島第一原発の放射能は、健康に影響がありません」「私たちには責任がありませんから、東京電力を厳しく指導します」。エセサヨクとは、そういうものなのである。最終的には他人事でしかない。それだけに、平時にはきれいごとを並べ立てる。「保守政権のように隠しごとはいたしません」「憲法を守って、暴力装置の自衛隊は解体します」。しかし、今回のような破局的な出来事に局面すると、その場しのぎの嘘に終始するのである。それと比べると、八木重吉の詩は、民衆への深い愛に満ちている。「なぜわたしは/民衆をうたわないか/わたしのおやぢは百姓である/わたしは百姓のせがれである/白い手をしてかるがるしく/民衆をうたうことの冒涜を強くかんずる」(「なぜわたしは」)。クリスチャンであった純粋な魂には、誠実さがあった。それの一かけらもないのが民主党政権なのである。放射能漏れが続いていることで、福島県民は死と背中合わせの生活を強いられている。その人たち大半は、名も無き民衆なのである。当初は国の言うことを信じて、必死に耐えてきたが、それは非情にも裏切られてしまった。民衆の怒りがエセサヨクに向けられるのは、当然のことではないか。  

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