草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中核派の意見広告を掲載した朝日新聞はリベラルに非ず!

2019年03月31日 | マスコミ評

昨日の朝日新聞が中核派の意見広告を1頁全面で掲載した。このことは二つの意味で興味深い。一つは朝日新聞の対応である。内ゲバで散々人殺しをしてきた極左の主張を、広告とはいえ載せてしまう神経である▼昭和46年11月14日の「渋谷暴動」では機動隊員1人が殺された。その犯人として逮捕された受刑者の解放を中核派は求めているのである。それに加担したわけだから、もはやリベラルを名乗るべきではない▼もう一つは、中核派の変節である。ブルジョア新聞として攻撃していたくせに、そこに広告料を出すというのは理解に苦しむ。武闘路線は捨てて、第二の日本共産党を目指すのだろうか。過去の総括を一切せずに、いい気なものである。とっくの昔に彼らは、日本革命の展望を捨ててしまい、人権とか反原発とかで、大衆運動を組織化だけの党派になりさがったのである▼リベラルの旗を掲げてきた朝日新聞と極左中核派の野合は、時代の主役が代わりつつあることを語っている。その点で今もっとも注目されるのは、右派政党の存在である。かつてのように右派政党が反体制化し、安倍首相を公然と批判している。今後どうなるかはまったくの未知数だが、反体制のエネルギーがそこで爆発すれば、戦後レジームは木っ端みじんに粉砕されるだろう。もはやリベラルや極左の時代ではないのである。

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日本第一党に対する悪質な選挙妨害を警察は黙認するな!

2019年03月30日 | 選挙

選挙運動を妨害することは、いかなる理由があろうと許されない。未だかってそれが行われたことは日本ではなかった。暴力革命を目指す極左の政党が名乗りを上げても、極右の政党が街頭に出て選挙演説をしても、それを邪魔する勢力は現れなかった。しかし、そのタブーは破られたのである。今回の統一地方選挙での日本第一党の候補者に対する妨害は、あまりにも目に余る▼喚き散らして大騒ぎすることは、ワイマール体制下のドイツで、共産党がやったことと同じである。ナチスは待ってましたとばかリ、自前の防衛隊を組織して、その混乱に付け込んだのである▼中指を立て、「ヘイト」「ヘイト」と騒ぐ姿は、あまりにも幼稚である。ネットでその模様がアップされ、次々と再生されている。妨害者はネットでさらされているのだ。日本第一党に文句があるのならば、言論を通じて反撃すべきなのである。逆に日本第一党への同情が集まっているのは、「イイネ」の数からも判断できる▼警察が本気になって警備にあたらないのも理解できない。やられている側がやり返したしても、もはや止めに入ることはできない。警備の費用を捻出したい思惑でもあるのだろうか。選挙における言論の自由を守り抜くためにも、警察はもっとしっかりすべきだ。議会制民主主義の根本は、選挙が円滑に行われるかどうかなのだから。

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圧制や集団の暴力に立ち向かう者達の心情は純粋無垢だ!

2019年03月30日 | 思想家

政治というものは暴力を離れては考えられない。葦津珍彦は『土民の言葉』に収録された「神苑の決意」で、政治とテロとの宿縁について論じている▼昭和35年10月12日の東京日比谷の公会堂で惨劇は起きた。当時の社会党委員長であった、浅沼稲次郎氏が刺殺されたのである。それを決行した17歳の山口乙矢少年は、練馬の少年鑑別所に移された11月2日、自ら命を絶った。テロを決断するにあたっては、明治神宮にお参りしてそこで何日も考え抜いたという。神社の関係者として葦津は、山口少年の供述に心を動かされたのだった▼若い頃にアナーキストであった葦津は、革命的進歩派のテロの思想についても触れ、ロシア帝国に恐怖を与えた「人民の意志党」の純粋な心情を評価した。死刑になる直前に「われらの勝利の暁に、征服されたる敵に対し、残忍または酷薄な行為を加えることによって、革命の光栄を汚してくれるな」と遺書を残していたからである。あくまでも自由を求めてのことであり、ボルシェヴィキの革命的独裁には反対したのである▼左右に関係なく「人民の意志党」は処刑されることを甘受し、山口少年は法的裁きを待つのではなく、道徳的観点から自らを裁いたのである。いかに浅沼委員長が共産主義国家に媚びを売る政治家であったとしても、道徳上は許されないからである。テロを断じて容認することはできないが、圧制や集団の暴力に対抗するために身を捨てた者達のテロが、純粋無垢な心情に裏打ちされていたことは認めるべきだろう。

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行動的右派政党の強味は政治的経験に縛られないことだ!

2019年03月29日 | 選挙

行動する保守運動の政党こそが、捨て身で戦っているのではないだろうか。日韓断行を真っ先に言い出したのは、彼らであった。多くの日本人が「言い過ぎだ」と眉を顰めたが、今では自民党の有力な代議士までもが、それを口にするようになっている。「北朝鮮以上に韓国が危険である」とも主張していた。現実に自衛隊機が韓国の軍艦から、火器管制レーダーの照射を受けたのである▼行動する保守運動が危惧していたことが、次々と起きているのである。現在は少数政党であっても、徐々に勢力を拡大するのではないだろうか。口先だけのリベラルや左翼と違って、行動力は目を見張るものがあり、それが支持者の拡大につながるからだ▼エリック・ホッファーが述べているように、「自分たちの強大な事業にともなう困難について、まったく無知である」(『大衆運動』高根正昭訳)としても、それがかえって大きな力になるのだ。「フランス革命を始めた人びとは、まったく政治的経験をもっていなかった。ボルシェヴィキや、ナチス党や、アジアの革命家についても同じことがいえる」(『同』)からである▼自民党の政治には多くの国民が愛想をつかしているが、現在の野党には期待できない。そこで新たな政治運動が脚光を浴びるのだ。変化を求める欲望を爆発させることできるのは、左翼やリベラルではなく、行動する保守運動などの、右派政党なのである。

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「226」で野中大尉を演じた萩原健一さんの死を悼む!

2019年03月29日 | 歴史

萩原健一さんが去る26日に都内の病院で亡くなった。萩原さんはザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー。「傷だらけの天使」などで個性的な演技をした役者であったが、もっとも衝撃的であったのは、1989年発売の映画「2・26」で、野中四郎を演じたことだ▼野中は昭和11年の2・26事件の首謀者であり、現役の陸軍歩兵大尉であった。急進的な青年将校として知られていたわけではなく、最年長であったために、蹶起趣意書に唯一名前を書いた。2月28日にピストルで自決したのは、責任を痛感したからだろう。妻宛てに遺書を残しているが、そこでは自らの行動を「万死ニ値ス」と書くとともに、「貴女ハ過分無上ノ妻デシタ 然ルニ此ノ仕末御怒リ御尤モデス 何トモ申シ訳アリマセン」と詫びたのだった▼野中は自分よりも若い者たちが立ち上がったのを、見捨てることができなかったのである。野中は歩兵第3連隊第7中隊長であったために、約400名の蹶起部隊を率いて警視庁に陣取った。皇居を占拠する計画があったともいわれるが、最終的には野中は思いとどまったのである。首謀者として死を選択するしかなかった野中の葛藤を、萩原さんは見事に演じ切ったのである。彼がこの世を去ったことで、色々なコメントが出ているが、野中四郎に扮した俳優萩原健一の名演技も忘れるべきではないだろう。

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右派政党誕生の背景にあるのは民衆の怒りのマグマだ!

2019年03月28日 | 思想家

保守が混迷を深めている。自民党の院外団のようであった頑張れ日本行動委員会が、自民党と袂を分かって「国民保守党」の結成を宣言した。行動する保守運動の日本第一党も、統一地方選挙の候補者を擁立し、地域の末端に浸透しつつある。グローバリズムに対抗する右派政党の動きが我が国でも、顕在化しつつあるのだ▼それはフランスやドイツでも起きていることであり、世界的な潮流であることを、私たちは認識する必要がある。右派政党が次々誕生しているのは、日本が危機に瀕しているからではないだろうか。已むに已まれぬ思いがあって、名も無き民衆が政治の前面に躍り出てきたのである▼勝田吉太郎は「国民たろうとする確たる意志」が希薄になっていることを問題視した。「われわれは過去の死せる世代への感謝と慰霊の心情についても冷笑的になっている。そして同時に未来の生まれてくる世代に対する責任感も欠如しつつあるのではないか」(『思想の旅路』)▼行動する保守運動などは、ラディカルな言動のせいもあって、既成政党の全てから批判されている。しかし、明治維新を実現した者たちも、当初はそうであった。理屈を無視して「攘夷」を叫んだ者たちが世の中を変えたのである。知識を鼻にかけたインテリなどは、出る幕がなかったのだ。民衆のマグマが爆発すれば、政治的にとんでもない力を発揮するのである。

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選挙の言論に権力が介入することを要望した公明党を嗤う!

2019年03月27日 | 選挙

「ヘイトスピーチ」の定義をするのが先だろう。統一地方選挙で韓国批判が高まるのを恐れた公明党の遠山幹事長代理らが昨日、首相官邸に菅官房長官を訪ね、「選挙運動に名を借りたヘイトスピーチを公然と行う手法には、深い懸念を抱かざるを得ない」との要望書を手渡した▼警察の力を動員して、徹底して取り締まることを要求しているのだ。まさしく言論の自由への挑戦である。これに対して菅官房長官は「『ヘイトスピーチは許さない』という立場で対処し、関係省庁に周知していく」と応じたのだという。NHKが大々的に報じたもので、明らかに特定の政党をターゲットにしている▼韓国の反日的な動きを傍観しているだけの安倍内閣を批判することも、「ヘイトスピーチ」という言葉で、断罪されることになりかねない。外国人の生活保護の支給は憲法違反であることが最高裁の判断で示されているにもかかわらず、それを問題にすることも「ヘイトスピーチ」になってしまう危険性すらある▼自民党は選挙で勝つために、公明党の言いなりである。グローバリズムに危機意識を抱く政党をどう判断するかは、あくまでも国民が決めることである。暴力革命を主張する政党が選挙に候補者を立てても、大手を振ってまかり通っている。その一方で、反日国家を槍玉に挙げることを許さないという言論空間は異常である。まずは何が「ヘイトスピーチ」であるかを定義すべきだ。国家権力に頼るというのは、全体主義国家のやることであり、断じて容認するわけにはいかない。

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成文憲法を絶対視せず「不文の知恵」を再確認すべきだ!

2019年03月26日 | 憲法

日本においては憲法が不磨の大典となっている。大日本帝国憲法ですら、一度も改正されたことがないのである。一度明文化されると、絶対視してしまうのが日本人なのである。日本国憲法の第一条が象徴天皇であるにもかかわらず、天皇制廃止を主張する者たちが、憲法擁護を叫んでいるのだから、どうかしている▼我田引水で憲法を解釈して、それで満足してきたわけだから、まともな議論などできるわけがないのである。お目出たい進歩派の学者は、現憲法になって、ようやく国民主権になったとの立場を取っているが、それも間違いである。大日本帝国憲法でも、第四条において、天皇の統治権について「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書かれているからだ。大日本帝国憲法の起草にあたった伊藤博文は、産業革命以後のヨーロッパを視察し、それを参考にしたのである。国民が主役の時代が到来したことを理解しなかったわけではない。あくまでも日本の国体に合致させようとしただけなのである▼西部邁が「不文の知恵に支えられて成文憲法がどうにかこうにか成立する」(「国体主義の重厚と硬直 伊藤博文」)と述べているように、大日本帝国憲法には悪戦苦闘した痕跡があったが、それが現憲法にないのが問題なのである。押し付けられた憲法を改正するには、「不文の知恵」を再確認するとともに、憲法を絶対視する信仰から脱却することが前提なのである。

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「ヘイト」を口実にして言論の自由を奪ってはならない!

2019年03月25日 | 世相

極端な排外主義的な言葉は問題があるとしても、それをきっかけにして、人権の名のもとに日本人の言論が委縮してしまってよいのだろうか。議会政治による民主主義は、あくまでも相対的なものでしかなく、絶えず討論を通じて、意見の集約が図られなければならない。そのための前提条件が言論の自由なのである▼日本年金機構世田谷年金事務所長のツィートが酷いというので、本人は左遷されたというのが話題になっている。「ヘイトスピーチ」といわれているが、どの言葉がヘイトにあたるかの議論を抜きにして、一方的に断罪するのは異常である▼「反日教育」を取り上げて韓国人を批判することも許されないのでは、それは特定国家を利するための、言論統制になってしまいかねない。三島由紀夫は言論の自由の大切について、独自の考え方を持っていた。「言いたいだけ言ってやることによってそれが微妙な影響を相手に及ぼし、また、微妙な影響が来るかもしれないが、それによって徐々に実現していく他はないというのが言論自由というもののどうしょうもない性質だと考えています」(『文化防衛論』)▼韓国の人たちは、日本人に向かって何を言っていいのに、日本人が反撃できないのでは、あまりにも理不尽である。そんな異常な状態が続いているからこそ、韓国の裁判所が不当な判決を次々と下すのである。日本での言論の自由は守られるべきであり、私たちは臆することなく、物を言うべきなのである。

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ブログ「草莽隊日記」の思想家編というのは読書日記!

2019年03月25日 | 思想家

毎日書いていても、ネタを探すのは大変なので、読書日記のような文章になる場合が多い。読む方にとってはあまり面白くないと思うが、書く方にとっては、それがカード式にたまることで、ちょっとした本を出すために役立つことになる▼左右を問わないことから、読者からは評判がよくないが、あくまでも私自身のやり方なので、勘弁してもらうしかない。ここ2、3年よく取り上げるのがハンナ・アレントであり、カール・シュミットである。あくまでも翻訳に頼るしかないが、この二人の著作を通じて、政治というものが、薄ボンヤリとながらもわかってきたような気がする▼二人の言っていることはまったく逆である。アレントは他者への寛容を説いているのにたいして、シュミットは、敵味方の区別にこだわる。共通しているのは、現象面だけで、政治を語らないということだ。原理原則を究明する思想家の立場から、論じているのである▼今の日本のジャーナリズムは、枝葉末節なことを話題の中心にしている。スポーツの競技と同じで、どっちが勝つ負けるかが中心なのである。どれだけ情報通であるかを、したり顔に語るのが常で、じっくり考えて語るのではないのである。その点は右も左も共通している。アレントやシュミットのテキストを読み込むというのは、人類が生み出した知の伝統に立脚することであり、それなくしては、喧騒な時代を理解することは困難であるからだ▼それだけに生涯勉強の私に付き合ってもらうことは、ブログを書いている身としては、感謝感激なのである。

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