草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

国会招致に応じずテレビで弁解する小沢一郎を嗤う

2011年01月16日 | 政局

 フジテレビの「新報道2001」に小沢一郎が出演して、言いたい放題であった。脱小沢を実行に移したからこそ、菅内閣の支持率も若干上向いてきたのに、ここで表舞台に出ようというのは、勘違いもはなはだしい。「老兵は去るのみ」であるわけだから、小沢の無駄な抵抗は、ただただみっともないだけだ。小沢の意見をたれ流しにするテレビ局も、テレビ局である。国会に出て説明もしないくせに、公共の電波をハイジャックして、ヘラヘラしゃべるというのが、許されて良いのだろうか。証人喚問と違って、何を言っても罰せられないのだから、気楽なものである。電波利権を握っていたのは、旧田中派であり、その流れを汲んでいる小沢の力は、一時は圧倒的だった。キー局が地方にネット局を開設するにあたっては、小沢の意向を無視できなかったはずだ。それだけに、民放のテレビ局関係者とのつながりは深かった。そうした背景があったからこそ、今回のようなことになったのだろう。しかし、強制起訴が間近な政治家が出てきて、今の日本の政治を論じるのだから、まったくの茶番である。キャスターも、小沢をヨイショしている始末で、ジャーナリスト失格である。どうせすぐに過去の人になるにしても、出演者が小沢一郎では、お笑い番組とどっこいどっこいである。  

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日本の混乱の元凶は過去を否定した戦後教育だ!

2011年01月16日 | 思想家

 過去の歴史から学ぶことがないから、今の日本は不幸なのである。とくに、戦後の日本は、先の戦争で敗北したことが後遺症となり、過去は全て悪だと決め付てしまった。子供が親を敬うことも、軍隊が存在することも否定されてしまった。それを後押ししたのが、米国の占領政策であり、それに踊らされたのが、朝日新聞や岩波書店の自称進歩派であった。民主党政権が愚かなことばかりしているのは、そんな教育しか受けてこなかったからだ。考える材料を与えられなかったのだ。せいぜい、司馬遼太郎の時代小説を読むのが関の山であった。村松剛は「過去を学び得なかった国にはもちろん、過去だけしか学び得なかった国にも、未来はない。未来はそれ以上のことがらを、つねに求めるからである。過去をいかにうまく学ぶかが、生きのびる条件となる」(『歴史に学ぶ』)と書いていた。村松は過去を美化しろとは一言も述べていない。過去から学ぶことの大切さを説いたのである。「人間は未来を想像するための素材を、既知の過去に求めるほかない」(同)といったことから、ヴァレリイの「人間はうしろ向きに、未来にはいって行く」という言葉を引き合いに出した。歴史を消されてしまった民族が、その歴史を回復させるのは、並大抵のことではない。しかし、それをしなければ、村松が予言しているように、日本は破滅を待つしかないのである。

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料亭で接待を受けるのが仕事の菅首相のブレーン

2011年01月16日 | 思想家

 菅直人首相はやたらと高級な日本料亭で食事をしている。昨日などは、昼は永田町の「黒沢」、夜は赤坂の「雲海」である。五十嵐敬喜法政大学教授、与謝野馨経済財政相がそれぞれ相手であった。こんなことを麻生太郎元首相がしたならば、マスコミはこぞって批判したはずだ。財政が逼迫しているおり、高級料亭通いでもあるまいと。菅首相の場合は、それが連日のわけだから、庶民感覚からかなりずれている。「国民目線の民主党」というキャッチフレーズが、そもそも嘘であったのだ。とくに、菅首相の側近と目される五十嵐敬喜も、よくのこのこと出かけて行くものだ。その五十嵐が書いた「世界遺産をどうやって持続させるか?」という文章を読んで、ついつい嗤ってしまった。世界遺産とどこでどう結びつくのか分からないが、「かつてのヒットラーのファシズムは民主主義から生まれたことを想起したい。民主主義を生き生きさせるためには、家庭、地域、教会、学校、組合、職場などあらゆる人の集まるところの『中間組織』が活性化していなければならない」と書いているからだ。若かりし頃の清水幾太郎が、国家と個人との間に、社会を介在させる必要性があると説いたのと、まるっきり同じである。晩年になって清水は、その自説を否定し、日本が国家として自立することを主張したことは、記憶にまだ新しい。菅首相のブレーンというのは、せいぜいその程度だから、国民の税金でもって接待を受けて喜んでいるのだろう。

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