草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中共による民族浄化に抵抗するウイグル人を断固支持する!

2014年07月31日 | 国際問題

ウイグルの人たちは自分たちが殺される前に、カシュガルで粗末な武器を手にして決起したのである。去る28日未明、せいぜい斧や爆発物で中共の関連の庁舎や派出所を襲撃したのだった。中共当局はテロと断定しているが、それこそサヨクがよく口にする「革命」ではないか。人間狩りまでされて、追い詰められていたウイグルの人たちは、殺されることを恐れずに、装甲車や機関銃で武装した警察や軍隊に向って行ったのである。特定アジアに与するマスコミなどは、そのニュースを一切報道しないか、それを伝えても、中共当局の発表をそのまま電波に乗せるだけだ。これまでに中共が虐殺したウイグル人の数は100万人を超えるとも見られている。強制堕胎が800万人にも達するともいう。そうした民族浄化の動きを世界は放置している。許せないのは国連の対応である。罪のないウイグル人は次々と虐殺されているのに、一向に声を上げようとしない。国連の事務総長は韓国人の潘基文である。韓国と中共が蜜月時代を迎えていることもあり、口出しをしたくないのが本音なのだろう。今の時代は、日本に住む私たちもネットを通じて、中共による悪辣な犯罪を知ることができる。特定アジアに与するマスコミやサヨクへの抗議の意味を含めて、保守派は中共批判のキャンペーンを強めるべきだろう。中共は日本も過去を責め立てるが、それ以上のことを、現在進行形で彼らは行なっているのだ。同じアジア人として、中共の蛮行を黙認することは断じてできない。私たちが声を大にしなければ、ウイグルの人たちは、地上から抹殺されてしまうのである。毛沢東の目指した共産主義の理想は、一体どこにいったのだろう。これでは独裁国家そのものではないか。中国共産党の殺害者自身がいつか自分の血で、それを贖うことになるのである。

  

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安倍首相と保守派の攘夷は根本において一体だ!

2014年07月30日 | 祖国日本を救う運動

日本における攘夷の運動が安倍首相の足を引っ張っていると思うのは、とんでもない間違いである。戦後の日本は国家意思を表明することを許されなかった。60年安保騒動や70年安保騒動で学生たちが反米を叫んだのは、根底にナショナリズムがあったためだ。ようやくそれが保守派の手に戻ったのである。中共や韓国、さらには北朝鮮に媚びるのではなく、公然と日本人が国益を主張するようになったのだ。保守派を中心とした攘夷の動きがあったからこそ、安倍政権は誕生したのである。時として攘夷の運動は政治的なバランス感覚を逸したかのように突っ走るかもしれない。しかし、それはある意味では許されるべきなのである。今なおアメリカの従属化にある我国は、国民レベルでのエネルギーの爆発でしか、アメリカなどの大国を動かせないからだ。今のサヨクには理解できないだろうが、70年安保騒動の底流にあったのは、アメリカが譲歩して沖縄を返さなければ、日本で内乱を起こすといった攘夷のパトスであった。これにはアメリカも手こずってしまい、しぶしぶ日本に返還することになったのだった。今の行動する保守を始めとする攘夷は、イデオロギーが変わっただけであり、本質においては大差がない。激しいアジテーションになるのはそのせいだ。日本が国家として復権するまでは、大国と対等に交渉するには、攘夷の力を働かなくてはならない。安倍首相が国益をかけた外交交渉ができるのは、保守派における攘夷が台頭してきているからだ。占領下にあって、アメリカに押し付けられた憲法すら改正できず、国家として当然の権利である集団的自衛権にまで反対する世論がある。そうしたなかで大胆な路線の転換を行なおうとしている安倍政権と、保守派の攘夷は一体であり、戦術的なアプローチでの違いだけなのである。

  

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舛添東京都知事へのリコールを断固支持する!

2014年07月29日 | 政局

保守派内部での泥試合は避けなくてはならない。しかし、保守派を利用しながら、その実は特定アジアに与する政治家は断じて許してはならない。舛添要一東京都知事に対するリコールが準備されている。就任から1年が経過しないと着手できないが、これが名もなき保守派の一大イベントになることは確実である。舛添都知事は韓国に出かけて行って、媚びへつらう態度に終始した。そして、日本人の大半が韓国に対して好意的であるかのような発言をした。安倍首相が立派であるのは、国家としての意思を表明し、あえて毅然たる態度を取ったことである。国際政治学者の経歴があるにもかかわらず、その辺のことに無頓着な舛添都知事への反発が強まるのは当然のことである。とくに、今の東京は、地区によっては特定アジアの国民が占拠しているような雰囲気の場所もある。それを後押しするような人間が都知事では、それこそ首都東京は惨憺たる様相を呈するようになる。日本国籍を手にして国家を支えて行こうとする人たちであれば、選挙権も付与されるべきだ。だが、特定アジアの国民に執着し、そこへの忠誠を誓うのであれば、対応が異なってあたりまえだ。その辺の判別もできず、日本のサヨクがそうであるように、特定アジアに尻尾を振ることが、進歩的だと勘違いしているのが舛添都知事なのである。ここで思い知らせるべきだろう。リコールというのはとんでもなくエネルギーが必要である。かなりの都民を動員しなくてはならない。多くの保守派のブログがそれへの賛同を示している。リコールに追い込むための戦いは、日本国民にとっては、日本を取り戻すための第一歩でもあるのだ。断固やり遂げることで、東京が日本が変わるのである。

  

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アジアの大半の国々は安倍首相の勇気を称賛している!

2014年07月28日 | 思想家

櫻田淳が産経新聞の「正論」(ネットでは7月28日配信)に書いていることは、至極まともであり、それすらも理解できない日本のマスコミは、愚かさを通り越して喜劇でしかない。集団的自衛権が国連憲章で認められていることは世界の周知であり、それで論争すること自体が異常な光景なのである。しかも、櫻田が指摘するように「相手のある議論」であるにもかかわらず、それはまったく不問に付され、内輪の議論に終始した。国連中心主義を常日頃唱えてきたくせに、反対のための反対に終始する。それが日本の特定アジアに与したマスコミなのである。さらに、日本がアジアの国から孤立しているとの議論について、事実にもとづいていないことはいうまでもない。櫻田は米国調査機関、ピュー・リサーチ・センターが7月14日付で発表した国際世論調査の結果を持ち出す。調査対象は、日米中印韓5カ国に、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、パキスタン、バングラデシュを加えた12カ国。このうち中共と韓国以外は、安倍首相を「信頼できる」と回答した数字が圧倒的に上回っていた。安倍首相による外交戦略は正当に評価されているのだ。朝日新聞や毎日新聞が真実を伝えていないだけだ。日本と呼応してアセアンの国々は、中共の軍事的な動きに対処するために「現状変更につながる一方的な行動を控えるよう求める」という考え方で、足並みをそろえている。櫻田の意見が少数派であるところに、日本の言論界のゆがみがある。連日のように、安倍首相に対する嫌がらせのキャンペーンが行われ、それを真に受ける国民も出てきている。しかし、これまでとは違うのはネット言論があることだ。櫻田のような主張が主流であり、日本では国民レベルの方がマスコミよりもまともなのである。

  

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自衛隊の諸君は死を恐れぬ防人であり卑怯者ではない!

2014年07月27日 | 自衛隊

国家国民の為に喜んで命を捧げるのが軍隊である。そんなわかりきったことに異議を申し立てて、安倍政権を攻撃しているのが日本のサヨクだ。これまでは自衛隊を税金泥棒を扱いにし、人民に銃を向けるブルジョア政権の手先と罵倒して来たのに、雲行きがそこまで変わったのだ。人間扱いをしているわけではない。自衛隊解体が彼らの究極的目標であり、そのための手段として自衛隊員の命を問題にし出したのである。それに呼応する動きも自衛隊の一部にはあるようだが、全体にまでそれは及んではいない。自衛隊の殉職者は毎年30名ほど出ているともいわれる。訓練中や不慮の事故によるもので、戦争にならなくても危険な任務を強いられているのである。それも理解せずして、戦争になれば死者が出ると大騒ぎをしているのは、特定アジアによる日本侵略から目をそらそうとする策略でしかない。命はかけがえのないものである。しかし、それを犠牲にしてまで守るべき価値が存在するのである。今の日本にとっては、国体とも呼ぶべき日本の文化と伝統であり、さらに、自由と民主主義を享受している社会体制である。それを死守するためには、自衛隊の存在は不可欠である。あれほど教育現場で、自衛隊を親に持つ子供たちをさらしものにし、「人間の屑の集まりだ」とこきおろしていたサヨクが、ここにきて自衛隊員の味方面をしているのは、断じて許すことはできない。そう言えば、大江健三郎が親戚の者が防衛大学に入ったことを批判したことがあった。日蔭者であることに耐えて来た者たちは、国の危機にあたって、その本分をまっとうすることが求められている。日本人の血には、古代より死を恐れない勇気が脈打っている。何かことがあれば、自衛隊が国民の命と財産を守ってくれると、私は固く信じている。

  

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8月を前にして 5首

2014年07月26日 | 日本人拉致

つわものの夢のあとなる8月を目の前にして襟をたださん

青空と飛行雲がまぶしけり白いマフラー父は予科練

意味も無き死と言うなかれ悠久の大義の中に若者の顔

恋すらも知らずに後ろ振り向かず飛び立ちし人忘れてならず

暑かりし8月なれば若者の特攻隊の銀の翼よ

  

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ネットでの特定アによる保守派分断策に乗ぜられるなかれ!

2014年07月25日 | マスコミ評

ネットを制する者は世論を制するのであり、日本を動かすのである。それにしても気がかりなのは、ネットにおける特定アジアに与する勢力の台頭である。その背後には中共や韓国もいるようだが、ラインの乗っ取りを海外から行なっているグループがあるように、日本の国全体を乗っ取ろうとしている。とくに、それらの勢力が狙っているのが保守派の分断である。その典型が安倍首相へのバッシングだ。マスコミのかなりの部分が特定アジアに屈服しているのに、ネットまでそうなれば、目も当てられなくなる安倍首相の政策に全面的に賛成するわけではないが、安全保障や外交については期待通りである。そこにまでケチを付ける自称保守派がいるが、それは間違っている。当面は安倍自民党を応援するしかない。真正保守党が結成される次のステージにいくまでには、もう少し時間がかかるからだ。保守派の分裂を策する勢力は、涙ぐましいといったらない。韓国に舛添都知事が媚びると、安倍首相がそれをけし掛けているように書き込む。韓国に批判的な保守派にそっぽを向かせようと必死である。しかし、日本国内の工作員や海外から書き込む連中に、使命感があるわけがない。それと比べると、根っからの保守派はバックボーンがしっかりしている。本物の保守派か、それとも偽物かを見破るすべも知っており、コモンセンスを持っていれば、政治的な主張がすぐに実現するとは考えない。政治的な駆け引きや権力闘争がともなうのである。100点満点を狙うのではなく、せいぜい60点で合格とするしかないのだ。安倍首相に失望して見せる自称保守派は、特定アジアに踊らされているだけなのである。

  

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国は瓦礫撤去による被曝の真相を福島県民に明らかにすべきだ!

2014年07月24日 | 災害

福島第一原発の事故は収束したわけではなく、現在も継続中なのである。注視しなくてはならないのであり、いつまた何が起きるか分からないのである。しかし、そうした私たち福島県民の不安感を高めるような出来事が昨年の8月に起きていたことが明らかになった。そのきっかけは南相馬市から検出されたコメの汚染であった。3号機の瓦礫の撤去で放射性物質1兆1200億ベクレルが放出されたことを、東京電力は昨日になって公にした。福島第一原発から50キロ圏がそのときに影響を受けたとみられている。そのこともまたなおざりにはできない。そのときの風向きによっては、福島県の中通りだって安全ではなかったはずだ。そのニュースは福島県民にも大きな衝撃を与えている。再被曝が繰り返されるならば、当然のごとく生活が困難になるからだ。東日本大震災にともなう福島第一原発の事故では、民主党政権によってしなくてもよい被曝をさせられた。今回もまた、結果的には似たようなことになる可能性がある。安倍首相は誠意をもって福島県民に説明をすべきだろう。民主党政権がそうであったように、事実を隠蔽することは絶対に許されない。福島県ばかりでなく、さらなる被曝の危険性に東日本全体が直面しているのである。なぜ瓦礫の撤去でそのようなことになったのか、同様のことは今後も起こり得るのか、東京電力任せではなく、国が積極的に乗り出すべきなのである。すぐにやるべきは、福島県民にヨウ素安定剤を手渡し、事態が急変したらば、すぐに飲めるようにすべきだろう。さらに、棄民化しつつある福島を救う方策を、国は真剣に考えるべきだ。原発事故との戦いはこれから何世代にもわたって続くわけだから。

  

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決断力のある安倍首相と決められないオバマ大統領!

2014年07月23日 | 政局

世界に多大な影響力があるアメリカの大統領が「これ以上市民の犠牲を見たくはない」と発言する。それは異常なことではないか。現実にイスラエルが行っているガザ侵攻に対して、そんなコメントをするよりも、それをこれ以上やらせないために、政治的な力を発揮すべきである。願望で政治を行うべきではないのである。目の前の現実に対処する方法を探しあぐねて、何も決められず、傍観者の立場にとどまっているのが、今のアメリカではないだろうか。平和は達成するには、それなりの武力の行使を含めて、アメリカは決断しなくてはならないのだ。それと比べると、安倍首相は立派である。国家国民のことを考えている。中共や韓国などのバッシングにもめげずに、日本の国益を貫こうとしている。日本が身構えることで中共や韓国の態度が変わってきている。舛添要一都知事あたりが韓国に媚びへつらわなくても、日本に有利に展開しつつあるのだ。オバマ大統領は、決められない政治家の典型である。国際関係のなかでアメリカの力が相対的に低下しているのは、アメリカの国力が衰えているからではない。一強支配になった世界で、アメリカがやるべきことをやっていないからだ。このままでは世界はもっともっと混乱するに違いない。そのなかで唯一の日本人の希望は、安倍首相は日本の舵取りをしていることだ。内閣支持率が少しくらい低下しても、そんなことを気にする必要はない。危機を乗り切るために、怯むことなく前に進むべきだろう。ためらいや優柔不断は、国民に犠牲を強いるだけであり、それよりは責任を回避しない勇気が求められるのだ。それができるのは、日本の政治家では安倍首相しかいないのである。

  

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太宰の言葉を借りるなら戦後民主主義は徒党の論理だ!

2014年07月22日 | 思想家

戦後民主主義はあくまでも徒党の論理である。自分の頭で物事を考える人間には適さない。そこに属している者たちが、本当は誰一人仲間を信じてはいないのである。表向きは仲間であっても、本心では反目をしあっているのだ。それは大宰治が『もの思う葦』で書いている通りである。「私にとって(ほかの人は,どうだか知らない)最も苦痛なのは『徒党』の一味の馬鹿らしいものを馬鹿らしいとも言えず、かえって賞賛を送らなければならぬ義務の負担である。『徒党』というものは、はたから見ると、所謂『友情』によってつながり、十把一からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調とか口調とかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その同じ『徒党』の中に居る人間なのである。かえって、内心、頼りにしている人間は、自分の『徒党』の敵手の中に居るものである」(「徒党」)。サヨクが好きな内ゲバはその典型である。あくまでも信念にもとづいた一致ではなく、徒党でしかないから、同じセクトの仲間を疑って、そのうちに分裂して、血で血を洗うことになるのだ。それと比べると、保守は徒党には与しない。まずは少数派から出発し、地道に説得を積み重ねていくのだ。そこでは「馬鹿らしいものを馬鹿らしい」と言葉にすることができる。絶対的な価値観などは存在せず、あくまでも討論の結果が方向性を定めるのである。日本のマスコミやサヨクは、徒党の好きな人種である。そうしていれば安心感があるからだろう。仲間はずれにされることを極端に恐れる。人と同じように「平和」「民主主義」を叫んでいれば、それでスクラムが組めると思い込んでいる。しかし、実際は隙間だらけの自信にない集団なのである。

  

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