しかし、日本の人文科学の世界で業績を残した人たちは、左翼ではなかった。代々木のスターリン主義者に膝を屈したわけではなかった。党派的な運動として戦後の一時期、岩波や朝日に後押しされた進歩的文化人がのさばっただけであった。
そのなかのリーダーであった丸山眞男が、晩年になって『歴史意識の「古層」』において、日本人の底に流れる基底音を問題にし、「なりゆき」や「いきおい」というキーワードで説明しようとしたのは、欧米的なイデオロギーではない。まさしく日本人の情念としての右翼の思想なのである。
岩田さんのような優秀な研究者を排除するというのは、アカデミズムにとって不幸なことである。戦後のアカデミズムの世界で、土方成美の一派は東大経済学部を追われたが、その流れを汲む者たちは高崎経済大学、京大法学部の大石義雄の一派は京都産業大学をそれぞれ拠り所にした。
それでもアカデミズムの世界で多数派を形成することはなかった。かつて保守派の拠点であった国学院、拓殖、国士舘でも今は左翼が浸透しているのではないだろうか。
僕が出た法政などは、マルクス経済学の大内兵衛一派の牙城であり、経済学に関しては考えが違う人間は一切寄せ付けなかった。左翼の最後の砦がアカデミズムとマスコミである。それか崩壊しなければ、日本に本当の学問は復活しないのである。
そんなお偉いさんがそこまで焦っているというのは、自分たちの対外的な権威が傷つけられるからだろう。大学教授、しかも名門国立大学の教授であることは、そんなにすごいことなのだろうか。
僕が敬愛する小室直樹や吉本隆明は、そんなアカデミズムの人ではなかった。とくに小室の場合は、大学教授クラスの人間を指導したにもかかわらず、ついぞその職にありつけなかった。その代わりに、小室を高く評価したのは、世間一般の人たちであった。このことを私たちは肝に銘じるべきだろう。
吉本にしても、自分で『試行』という雑誌を発行して、権威を拒否する自由な学問の場にこだわったのである。その取り巻きは私立大学の卒業生が多かった。どんな地位にあるかよりも、これまで何をしたか、これから何をしようとしているかが問題なのである。
マックス・ヴェーバーは「私講師やまた研究所の助手が他日正教授やまた研究所の幹部となるためにはたゞ僥倖を待つほかないということである。この傾向はむしろ従来以上であろう。全くそれが偶然の支配下にあることは想像以上である。恐らくこれほど偶然によって左右される経路はほかにないであろう」(『職業としての学問』尾高邦雄訳)と書いている。
また、ヴェーバー自身が「私が敢えてこの点を強調するのは、私のような者でもこうした全くの偶然のお陰で、ほかにも私と同年配で疑もなく私以上に適任の人があったにも拘わらず、まだ若いころ一学科の正教授に任ぜられたからである」(『同』)とも謙遜している。
あまりにも日本は権威主義であるために、その肩書で判断したがる。しかし、今回の飯山さんへの攻撃の仕方が、あまりにも感情的なのを目の当たりにして、とんでもない国立大学教授がいることを、私たちは知ったのではないだろうか。アカデミズムには常識がない人間が多過ぎるのであり、それが原因で優秀な人材は海外に逃げてしまうのである。
ブンド(共産主義者同盟)の理論的な指導者であったペンネーム姫岡玲治こと青木昌彦は、自分たちの運動を「左翼の中にあった権威主義を軽蔑し、憎悪し、それを破壊する熱情をブンドのメンバーが共有していたことです」(「ブンドが目指したもの」)と書いている。
そして、新左翼のまともな部分は「新しい権威でおきかえること」を拒否したのであった。それこそ、今ネットで、権威主義的な左翼のプロパガンダをこき下ろしている人たちと、相通じるものがあるのだ。
新左翼にとっての最大の敵は、スターリン主義者の代々木官僚であり、彼らが支配していた大学に、まずは風穴をあけることであったのだ。
ところがポストモダンの連中は、そうしたスターリニストとの戦いの歴史を忘れて、日本共産党の代弁者に成り果てているわけだから、笑止千万である。内田自身がソフトスターリニストなのである。
日本が中国の属国になっても、現在の権力者や官僚組織はそっくり温存されるだろう。その一方で、内田のように日本共産党に媚びる者たちは、いくら左翼を名乗ろうとも、中国共産党は同調者とは見ずに、粛清の対象とすることは明らかである。
そのときになって気付いても遅いのである。スターリン主義国家に立ち向かうには右も左も関係がない。侵略者に立ち向かう勇気があるかどうかだ。ブンドの流れを汲んだり、反帝反スタを叫ぶ者たちは、保守派の私たち以上に、反中国を明確にすべきなのである。

戦後日本の左翼は、こともあろうに国家権力から庇護されてきた。アメリカの占領下にあっては、戦争に協力した者たちはアカデミズムから追放された。東大においては、国史の平泉澄や経済の土方成美らが、京都大学では高坂正顕や高山岩男らである。そのポストを左翼が占めたのである。
それが今日まで続き、公然と反体制を主張する学者が、国立大学の中枢に陣取っているのだ。口では革命や変革を口にしながら、その実は、もっとも恩恵に浴してきた。国の機関のようになっている日本学術会議にしても、左翼の温床に成り果てているのは、それが未だに尾を引いているからだ。
フェミニズム運動の先頭に立っている上野千鶴子氏は、最近になって東大教授を退任したようだが、タワマンに住み、高級車を乗り回している。左翼なのに勝ち組気取りなのである。
70年代前後の学生運動は、ある意味では、国家権力の恩恵に浴しながら、左翼的な言動をしていた進歩的文化人への攻撃でもあった。竹内好らが大学を退いたのは、自らに負い目があったからだ。学生たちが丸山眞男の東大の研究室が破壊したのは、口舌の徒が許せなかったからだ。初期マルクスの研究家であった田中吉六は、肉体労働をしながら執筆した。吉本隆明は一物書きに徹した。高橋和巳は京都大学に職を得ていることを恥じたのである。
今この期に及んでも、左翼は国家権力を利用しようとしている。colaboなどによる公金チューチュースチームは、これまでの左翼の常套手段なのである。彼らは革命や変革などは、実際には望んでいないのだ。自分たちに役得があるのは、今の自公政権においてなのである。ネット社会においては、そうした恥ずべき行為は、白日にさらされることになる。国家権力を頼りにする左翼などは、真の左翼とは無縁なのである。
特権的な地位に甘んじているくせに、少数派や民衆の味方面するのは筋が通らない。リベラルの旗手である上野千鶴子はジェンダー論の権威として知られているが、東大の名誉教授であり、学問的なヒーラルヒーの頂点に君臨し、権威と金とをお上から与えられている。それでいて、若者に向かって左翼活動家のように「平等に貧しくなれ」ということを口にするのは、断じて許されることではない。高村武義氏がツイッターでその点を追及したらば、多くのネット民の共感を得て、目下大炎上中である▼上野は都心のタワマンに住み、八ヶ岳山麓に別荘を持ち、高級外車を乗り回している。庶民には考えられないことである。日本のアカデミズムの主流は、上野のような者たちで占められている。権力を批判したいのであれば、野にあって叫ぶことが本筋ではないのか。初期マルクスの『経哲草稿』を翻訳した田中吉六は、一肉体労働者として研究にいそしんだ。魯迅の研究家であった竹内好も、60年安保の岸内閣の強行採決に抗議して、東京都立大学教授の職を辞した▼きれいごとリベラルほど度し難い人間はいない。人類の歴史を回顧するならならば、額に汗して働く民衆ではなく、言葉を駆使できる知識人が特権な地位を与えられてきた。それを自己否定することなく、民衆を指導するというのは、あまりにもおこがましい。勝ち組の知識人に、民衆の労苦など分かりようがないからだ。
日本学術会議の詭弁はもはや通用しない。昨日のBSフジプライムニュースで門田隆将氏が大西隆元会長に対して、中国科学技術院と覚書を交わしていることを批判すると、まともに返答せずにへらへら笑っているだけであった。防衛省の軍事研究には絶対反対を主張しながら、軍民融合の中共に全面的に協力するというのは、ダブルスタンダードも甚だしい▼門田氏から「国民の命の敵」といわれても、返す言葉がなかったのは、自分たちがやっていることを自覚しているからなのである。国の機関として全面的にバックアップを受けながら、日本を仮想敵国にしている国家に対しては、まったく警戒心がないというのは、国民の命などどうでもいいからなのである。事実を突きつけられても、平然と居直るような日本学術会議は、即刻廃止すべきだろう▼日本のマスコミはそのことの全く触れず、政府が学問の自由を侵害しているかのような報道をし続けている。しかし、ネットがあるおかげで、国民の間にも問題の本質が分かり始めている。だからこそ、任命を拒否した政府を支持する国民も多いのである。学者はエリートであるとしても、自分たちを特権視をするのは間違っている。門田氏の批判にまともに答えず、うやむやにしようとするのは、断じて許されることではなく、それでは国民の反感を買うだけなのである。
戦後レジームの解体に向けて私たちは一歩踏み出さなくてはならない。日本学術会議の問題などはその典型である。大東亜戦争に敗北したことで、東京裁判という国際法を無視した暴挙によって、我が国は「平和に対する罪」によって裁かれた。事後法によって、占領軍は日本の弱体化を徹底的に行ったのである。現憲法に9条の第2項において「交戦権」認めないと書き込むことで、国家の根本が否定されたのである▼日本学術会議が設立されたのも、日本の弱体化を進めるためであった。共産主義者でまで動員されたのである。日本を代表する良識な学者たちの多くは追放され、二度と教壇に戻ることはできなかった。かろうじて残った人たちも少数派に甘んじなければならなかったのだ。マスコミや学界が未だに左翼の牙城となっているのは、そのときの後遺症なのである。日本学術会議を牛耳っているのは、日本共産党系の民主科学者協会のメンバーであることも白日の下にさらされた▼ようやくその実像が国民の前にも明らかになった。科学者を名乗りながらも、実際は学究の徒ではなく、左翼活動家でしかない。我が国がまともな国家に脱皮するためには、自虐史観からの脱却も含めて、知の再考が急務なのである。
立憲民主党などの野党によりヒアリングでそこまで言うのならば、国会の場で堂々と弁明すべきである。今日付けの産経新聞によれば、大西隆元日本学術会議議長が昨日、中共の「千人計画」に協力しているとの批判に対して、「まったくない。関係があるかのような悪質なデマが流されている」と反論したが、愚かにも大西元会長は地雷を踏んでしまったのである▼平成27年に中国科学技術協会との協力や交流の覚書を結んだことに対しても、「向こうの求めに応じて結んだ。覚書に基づく活動実績はない」と抗弁した。日本学術会議が働きかけたのではなく、中国科学技術協会からの働きかけがあったと逃げているのだ▼遠藤誉筑波大学名誉教授のブログを読むと、中国科学技術協会は中国工程院と戦略的提携枠組みの合意書に調印しており、中国行程院は軍事科学院国防工程研究所との人的交流で活発である。それが明かになってきたので、言葉に窮しているのだ。すでに「デイリー新潮」によって、中共の軍事部門に手を貸すような東京大学名誉教授がいることが暴露されている。さらに、笑止千万であったのは、自衛隊の装備に関する研究について「一概に禁じていない」と弁解したことだ▼「学問の自由」を叫んでいた者たちが、身の潔癖を自ら証明しなくてはならなくなったのだ。騒いだことが藪蛇になってしまったのである。
法政大学にも立派な学者はいる。衛藤幹子法学部政治学科教授の「学術会議:迷惑な学者の正義の押し売り」というブログが一昨日、言論プラットホーム「アゴラ」にアップされた▼衛藤教授は自ら集団的自衛権に賛成の立場であったことを告白するとともに、法政という「リベラル派の牙城」で沈黙を強いられたことを告白している。「署名や集会には一切参加しない」という消極的抵抗をするのが精一杯であったようだ。2017年3月に学術会議が「軍事的安全保障研究に関する声明」を出したときにも、即座に法政も声明を支持したが、それにも衛藤教授は違和感を覚えた。どのような研究をするかは、あくまでも「研究者自身の良心や倫理観の問題」であり、「学術団体で一律に決める」というのには抵抗があったからだ▼衛藤教授はジェンダーの研究家として知られているが、杓子定規な「女性の権利の主張という正義」には与しない。「男女という性別二元論」に含まれない性的マイノリティにこそ目を向けるのである。衛藤教授のように「暴走する正義ほど怖いものはない」と説く識者が出てくるというのは、時代が変わりつるあることを教えてくれる。教条的な左翼の時代はとっくの昔に終わっているのだ。気付かないのは教条的な活動家の学者たちだけなのである。